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鏡の迷宮
鏡よ、鏡。
私の怖いものを映す鏡よ。
私の全てを曝け出す鏡よ。
「すいませ〜ん、サンタ便なんですけどー。お届けの品を……」
ステラはサンタ袋を担いで職員室のドアを開ける。あれ、と小さく呟いた。
灰皿に置かれた吸い掛けの煙草からは消した直前の煙があがり、飲みかけの湯飲みからは湯気が立ち上っている。
職員室を覗いたステラは、今度は廊下のほうを振り向いた。生徒はいない。当然だ。今は授業中である。
「……お留守なんですかねぇ。受領証にハンコがいるんですけどぉ」
とりあえず誰かが戻ってくるかもしれないので、サンタ袋を床に置いて手を突っ込んだ。
「むぐ……っ、お、重いぃ……!」
もう片方の手も突っ込んでから、両足を踏ん張る。立とうとする体勢で、懸命に上に引っ張った。
サンタ袋から現れたのは、一枚の鏡だ。全身を映す鏡。鏡を全て引っ張り出すと、ステラは壁に立てかけた。
「これでヨシ、ですぅ。でも綺麗な鏡ですぅ」
羨ましそうにステラは鏡の前に立つ。貧乏人のステラのアパートの部屋には、鏡などない。
鏡の前に立つ彼女は自分の身なりをちょっと気にした。真っ赤な衣服。くるくるの金髪。ぺったんこの胸は……まあこれから成長するとしてもだ。うん、まぁなかなか可愛いと思う。
「あー、でも早く帰ってきてくれませんかね〜。今日は午後から先輩に呼び出しされてるので、早く帰りたいんですけどぉ」
そう言いながら鏡に背を向ける。だが、鏡の中のステラは実像に合わせた行動はしなかった。目の前に立つステラを見て、薄く笑ったのである。
*
困ったことになった。
「あー、もう。校内で行方不明とか勘弁して欲しいわ〜」
うろうろ。そわそわ。
校門前で待ち構えていた響カスミは現れた人物に「ん?」と視線をとめる。
「ステラが消えたっていうけど……。心当たりは?」
「…………あなた、もしかしてステラさんの保護者さん?」
白い帽子を持ち上げて、白いコートの娘は小さく笑う。
「友人ではあるけど、保護者じゃないな。まあでも、こういう怪しげな事件では役に立てそうだと思って、ここまでやって来た。
というより、ステラが心配だっただけだが。レイは役に立たないだろうから、アタシが来ただけ。ちょうど良かったよ、ここに来てて」
「よくわからないけど、もしかしてあなた、凄い人?」
「……どうかな。この世界ではちょっと色々制約が……」
呟く赤い髪の少女の腕を、カスミが掴んだ。
「なんだかすごく頼もしい感じがするわ! ぜひステラさんを探して欲しいの! 私は用があって抜けなきゃならなくて……!」
「ああ。そんなこと? いいとも。早く見つけてあげないと、可哀想だからな。腹が減って泣いてそうだ」
「ありがとう! 他にも探索してくれる子がいるの。一緒に行ってあげて!」
「ふぅん。協力者がいるわけか。わかった」
あっさりと頷いた少女にカスミは笑顔を向ける。なんだかとんでもなく安心する女の子だ。しかも、不思議と。
(事件が解決しそうな予感!)
***
ステラが行方不明になったということで、菊坂静は神聖都学園まで足を運んでいた。
ここの生徒ではないが、ステラにはスイカ狩りの時に一緒に過ごした縁がある。放ってはおけなかった。
(なんだか……泣いてるのが想像できてしまうな……)
わああん、誰か助けてぇー。
(なんて、言ってそうな……)
「ありがとう〜! 部外者なのに悪いわね」
カスミに対し、静は「いえいえ」と手を振ってみせる。
「僕が知ってる人、僕を知ってくれてる人を助けたいだけですから」
「まあ、しっかりしてる」
驚くカスミはにっこり微笑んだ。
「よろしくお願いね!」
「わかりました」
*
集まったのはステラに縁のある、静、シュライン・エマ。
縁はないが協力してくれるという静宮御津羽と浅葱漣の四名だ。
カスミによって四人と合流したフレアは、ぎょっとしたように目を見開く。あら、とシュラインが呟いた。
「待った」
シュラインに掌を向け、彼女が発言するのを止める。
「何も言わなくていい。エマさんにとっては過去のことだが、アタシには未来のことになる」
「? えと、どういうことかしら?」
「……けもの耳の世界の話だ。あれに関してはアタシに何も言わなくていい」
「はぁ……まあそう言うなら」
シュラインの言葉に少女は安堵の息を吐き出した。
フレアは他の三人を見回し、静と漣を見てなぜか吹き出す。
「ごほっ、ごほっ」
咳をする彼女は姿勢を正すと自己紹介した。
「フレア=ストレンジだ。フレアと呼んでくれ」
「あの……なんで吹いたんですか?」
静の言葉に漣も頷く。初対面の相手に対して失礼だと思うのだが。
「……おまえたちがアタシを知らなくても、間接的にアタシはおまえたちを知ってる。それだけだ」
フレアの答えに漣も静も疑問符を浮かべた。わけがわからない。
「じゃあ後はお願いね!」
カスミの言葉に御津羽が頷く。残された五人は、校内で姿を消したというステラを探すために歩き出した。
*
「サンタ便……ということは、依頼人と受取人がいるということですよね?」
そう言いだした御津羽にシュラインが頷く。
「鏡を持ってきたらしいのよ、ステラちゃんは。その鏡も行方不明みたいね」
「受取人は誰だったんですか?」
「それが……もう辞めた先生らしいのよ。だからここにはいないの」
しーん、と静まり返った夕暮れの校舎の中を五人は歩く。
「とにかく、校内を隈なく探すしかないな。高等部なら、俺が案内できるが……」
四人の協力者の中で唯一在校生である漣が、結局残るメンバーを引き連れて歩くことになった。
まずは高等部からスタートだ。生徒がまだちらほらと残っているため、部外者を見て少々驚いていた。特に全身真っ白のフレアは目立つ。
「さっきの間接的って、どういう意味ですか?」
どうも気にしていたらしい静が尋ねてくる。フレアはちょっと考えてから静に耳打ちした。
「欠月が言ってた。大切な、弟みたいに思ってる子がいるって。名前は菊坂静って聞いた。おまえのことだろ?」
「…………」
理解するまで時間がかかる。みるみる顔が赤くなっていく。
「可愛くてたまらないって言ってたぞ、あいつ」
その言葉に驚き、静は慌てる。
「えっ、あ」
動揺したように呟く静は羞恥にもじもじした。
後方の様子に漣は怪訝そうにしている。
「……俺も、気になるんだが……」
漣の視線に気づいてフレアは足を速めて横に並ぶと、小声で耳打ちする
漣の頬がカッと赤く染まった。驚いたような目をフレアに向ける。
フレアはにやりと笑ってさらに何か囁くと、漣は真っ赤になって動揺した。
「なっ、ななな……!」
そんな漣から離れ、フレアは元の位置まで足を緩めて戻る。
「そうだわ!」
突然シュラインが思い至ったように言い出す。
「鏡が関わっている場合もあると思うの。一緒に消えたのなら、可能性は高いわ。全員が本物って判別するために、皆、右手にハンカチを巻いておかない?」
「いいですね、それ」
静が同意する。全員がハンカチを右手に巻いていった。しかしフレアだけはつけない。
「……ハンカチ、持っていないのですか?」
尋ねた御津羽の言葉に「えっ」と呟き、フレアは苦笑する。
「いや、アタシの姿は鏡に映らないから」
意味不明なことを言うフレアは、その後は黙って歩き続けた。
しかしなんと広い学校なのだ。高等部だけでこの広さ。教室の数も半端ではない。一つ一つ見ていくだけで時間がかなりかかる。
「一人で探してたら迷子になりそう……」
途方に暮れる静の呟きが廊下に響いた。
ドアを開けて中までそれぞれで確認する。
「受取人は高等部の先生だったのかのー……だったのですかね?」
言い直しつつ教室を確認して出てくる御津羽は、隣の教室を調べて出てきたシュラインに尋ねた。シュラインは頷いた。
「みたいね。数学の教師だったって聞いたわ」
「数学……」
御津羽が苦手そうに少し眉根を寄せる。
廊下で腕組みして突っ立っていたフレアは、じっくりと何か考えている。
漣と静それぞれが、調べた教室から出てきた。どこにもステラと鏡はいない。
フレアは「む」と小さく呟いた。
「……見つからないわけだ。移動している……」
ちら、と視線を走らせた。何かを追うように彼女の視線は動き続けている。
「移動? どこに?」
「こちらに捕まらないように動き続けているみたいだ。アタシに気づいたか」
フレアは唐突に歩き出した。
「別行動する」
*
フレアが姿を消してから30分ほど経った頃、陽も完全に傾き、空が紫色に染められていく。
四人は相変わらず一つ一つ部屋を調べていた。
「フレアさん、どこに行ったんだろ……」
「そうですね」
静に御津羽が応えた時、廊下の先…………ちょうど廊下の真ん中に何かがあるのが見えた。
「看板かの……看板ですかね」
「なんでしょう……? ここからでは遠くて見えませんね。そうだ。浅葱さんが知ってるかも」
不用意に近づくのを躊躇った静は、別の教室を隈なく見ている漣を呼びに行く。
残された御津羽はその場から動けずにただじっと、ソレを見ていた。
人影のようにも見える細長い縦に伸びたもの。棒のようにも見えなくはない。
(もしかして……鏡?)
鏡だとすれば御津羽には怖くはない。御津羽は相手の攻撃などを反射することができるのだ。
「あら、一人?」
教室を調べて出てきたシュラインが御津羽に声をかける。御津羽は廊下の先を指差した。
「あちらに妙なものがあるので、今……」
「妙なもの?」
シュラインが御津羽の指が示す先を見遣る。確かに廊下の先に影が在る。
漣が静と共に教室から出てきた。
「ほら、あれ。なんですか? 前からありました?」
「いや……あんなのはここの廊下にはなかった。今日もここは通ったから確かだ」
漣の言葉に全員が顔を見合わせる。そして近づいていった。
細長い影が動く。まるでこちらを振り向くように。
刹那、周囲が塗り替えられるような感覚に陥る。同じ風景だというのに、別物だと思わせるように。
*
静は校門をくぐって外に出るところだった。
振り向き、不思議そうにする。
なぜ自分はここに来ていたのだろう? ここは自分の通う高校ではないのに。
(誰かを探してた……ような……)
誰だったっけ?
ぼんやりそう思う静は、前に向き直る。そして歩き出した。
しばらく歩き、歩行者用の信号が赤なのに気づいて静は足を止めた。青に変わったら渡って……渡ってどこへ行くんだっけ?
ああそういえば。えっと……。
(ここって……あれ? なんであの病院の近くにいるのかな……?)
あの病院って?
不思議だった。そして、目を見開く。
車道を挟んだ向こう側に、あの人が立っている。こっちに気づいていないようだ。
信号が青になる。行かなきゃ。
彼も渡り始めた。その時だ。がくん、と彼が膝をつく。
(あ。だからあまり出歩かないでって……)
――ドンッ。
静の目の前で、トラックが彼を撥ね飛ばした。信号無視した車だった。
勢いのあったトラックに直撃した彼は、間違いなく即死だった。
本当に一瞬の出来事だったのだ。だから静は、本当に、理解できなかった。
何ガ起キタ……ノ?
「…………っ!」
静は声にならない悲鳴をあげた。なんの悪夢だ! なんの……!
そんな静のすぐ背後に、黒い衣服の金髪の少女が舌なめずりをして立っている。
「コレはあなたの想像した世界の一つ。あなたが恐れる未来のカタチ」
少女はぞくぞくと背筋を震わせ、恍惚とした表情を浮かべる。その少女は静もよく知っている者の姿だった。だが赤ではなく黒い衣服だが。
「ああ……! 心地良い恐怖……! 己を呪う苦味……!」
あ、と少女が呟き、唐突に顔をしかめた。
「あ……? が……ああ? だ、誰だ……? あ、熱……っ」
*
ハッ、とした時には静は先ほどと同じ状態で立っていた。廊下の先で燃える細長い影。
周囲には三人が立っている。では今のはやはり、夢?
(夢? って、どんな夢だったっけ……?)
先ほどと違うモノと言えば、燃えていないものが燃え、居ないはずのフレアが自分たちの前に立っていることだ。
ソレは廊下の左側の窓から入る薄暗い光を受けて、ただ静かに燃え尽きた。
「うえーん、おなかすいたですぅ〜!」
半日近く行方不明になっていたステラは、一年生の教室の掃除用具入れにて発見された。
「そう思ってちゃんと差し入れ持ってきたのよっ。さ、召し上がれ」
「スーパーで買ったプリンで良ければ……」
鞄から弁当箱を出すシュラインと、買い物のビニール袋からプリンを出す漣。
その姿にステラは感動してだばだばと涙を流した。
「エマさん、浅葱さん、ありがとうですぅ〜」
「それで? ステラさんはどうしてその……掃除用具入れに?」と、静。
「あの鏡が原因ですぅ! あいつ、いきなり鏡から出てきてわたしを捕まえて鏡の中に連れ込んだのですぅ!」
「それで……なぜ用具入れから出てきたのでしょう?」と、御津羽。
「出口がここに繋がったみたいですぅ〜! うわーん、帰ってお風呂入らなきゃ〜!」
「いい加減泣き止みなよ」
やれやれと嘆息するフレアを見上げ、ステラが「ほえ?」と驚いたような顔をする。
「どうしてフレアがここにいるんですかぁ?」
「誰かさんが行方不明になったからって連絡受けてさ。ちょうど見舞いも終わったところで暇だったし」
「それでわざわざわたしを探しに……?」
感動しているステラがフレアに抱きついた。
「わ〜ん! だから大好きですぅ〜!」
「……いや、いいんだが、雑巾臭いよステラ……」
シュラインと静は驚いている。
「仲良いのね〜」
「そんなに仲良かったんですか?」
「……まあ、ちょっとした事情で」
言い難そうなフレアは、引きつった笑みを浮かべた。
*
「今日はすっかりお世話になりました〜」
「ステラさんに何事もなくて良かったです」
微笑む静に、ステラは「えへへぇ」と笑ってみせる。
「欠月によろしく伝えてくれ。嫌がるとは思うが」
「嫌がる? どうしてですか?」
「アタシのこと、嫌ってるから」
フレアにさらっと言われて静は驚く。だがすぐに元の表情に戻して頷いた。
「わかりました」
静は、神聖都学園の校門のところで二人と別れた。元気よく手を振って見送るステラの姿が、とても目立っていた。
帰り道、静は歩行者用信号を見て寒気をおぼえる。
何か忘れていないか……?
(怖いものを見たような……)
けれどもなんだったのかは思い出せなかった。いいや……思い出さないほうが、きっといいのだ――。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【5566/菊坂・静(きっさか・しずか)/男/15/高校生・「気狂い屋」】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【5612/静宮・御津羽(しずみや・みつは)/女/17/高校生】
【5658/浅葱・漣(あさぎ・れん)/男/17/高校生・守護術師】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございました、菊坂様。ライターのともやいずみです。
怖い想像が現実になる……いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!
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