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忌み言
それは、ごくありふれた書き込みだった。
ゴーストネットOFFではけして珍しくない、コックリさんの最中の異変報告と助けを求める声。
気の向くまま流し読みをしていて、ふとその書き込みに目を留めたのは、ほんの偶然だった。
そういった異変報告は、大抵が『集団ヒステリー』という名目で片がつくもので、本物の『霊障』とはまったくの別物だ。
なのにその記事には、何故か目が留まった。
一緒にコックリさんをしていた友人は、その日以来、昏々と眠り続けているのだと文字は語る。
呼び出したコックリさんは、「自分は霊ではなく生霊だ」と告げた。そこにはそう書かれていた。
それは何か探し物をしていて、自分達の呼ぶ声に引き寄せられて降りてきたのだと。
そこでくだんの友人は、何か『口にしてはならないこと』を口にし、結果、今日に至るまで目を覚まさない。
なのに、その場にいた全員が、生霊が求めていたものも、友人が口にした言葉のどちらもまったく憶えていないのだ。
まるで、記憶を抜き取られてしまったかのように。
──誰か、助けて下さい。
短い一文。ただの文字の羅列のはずのそれが、今にも震えて声を上げそうなほど悲痛なものに映った。
海原みあおは、幼い姿に似合わぬ慣れた手つきでキーボードを叩く。
昨今は子供の方がなまなかの大人よりもパソコンの扱いに慣れているとはいえ、その手つきはなかなかに鮮やかだった。
「変わってるよねぇ。コックリさんで生霊呼び出しちゃうなんて、めっずらしいなぁ」
銀色の瞳いっぱいに好奇の光を浮かべて、みあおは画面をのぞきこむ。
これは是非とも首を突っ込んでみなければ気が済まない。詳しい事情を問う書き込みをすると、まるでそれに飛びつくかのように素早い返信が来た。
そのタイミングが依頼者の追い詰められ具合を如実に現していたけれど、何を訊ねても返ってくるのは「分からない」という動転した様子の返事ばかりで、一向に埒が開かない。
「これはもう、一回そのお友達に会いに行ったほうが早そうかも……」
聞けば、依頼者の友人とやらは昏睡状態のまま、病院で点滴による栄養摂取を受けている状態らしい。それを知った途端、みあおは思わず、自分には稀なしかめっ面を浮かべてしまった。
「やだなぁ、キライ。行きたくない……」
『病院』という文字を見ただけで寒気がする。二の腕をさすりながら、みあおは決意した。
まずは、この依頼者に会ってみよう。詳しい話はそれからだ。
それにしても。
「運がいいよね、この人達」
みあおは画面に向かって微笑んだ。
他の誰でもなく、みあおの目に、この記事は留まった。それはイコール、彼らが救われるのが決まったということなのだから。
待ち合わせの喫茶店にやって来たのが自分と同い年くらいの、しかも至極清純そうな女子高生であるのを見て、依頼者の少女はホッとしたような不審そうな複雑な表情を浮かべた。
正直な人だなぁ、とみあおは心の中で呟く。やはり、小学生がランドセルを背負ってくるよりは、こちらのほうがマシだったようだ。
今のみあおは、自分の持つ『夢使い』の能力を行使するため、普段の子供姿から女子高生へと変身している。この能力を使えば、みあお自身が病院まで足を運ばずとも、夢を渡って問題の『友人』の意識とアクセスできるからだ。
依頼者から『友人』の名前を聞き出し、みあおはにっこりと笑って見せた。
「大丈夫。お友達もこの生霊も運がいいから、きっと助かるよ」
不安げな表情を浮かべていた少女が、みあおの明るい笑顔に引っ張られるように小さく笑った。
「じゃ、みあおはちょっと、そのお友達に会いに行ってくるから、あとはよろしくね」
言うなり、みあおは喫茶店のテーブルに突っ伏す。依頼者が慌てた様子で、ようやく浮かんだ笑みを引っ込めた。
「あ、あの、あとって?」
「んと。お友達は眠ったまんまなんでしょ? みあおもね、眠ってその子の夢の中まで歩いていくんだ。ひょっとしたら、いきなり椅子から落ちて倒れたり、変身しちゃったりするかもしれないから、その時はよろしく、って話」
一応、人目につきにくい奥の席を選んで座っているので問題はないと思うのだが、そう念押ししておく。生霊の正体や目的が分からない以上、みあおの身に何が起こるか分からないのだから。
何を言われているのか分からない、という表情を浮かべる少女に、みあおはお気楽そうな仕種でぱたぱたと手を振った。
「いいの、いいの。とりあえず大船に乗ったつもりで待ってて」
ぱたんと顔を伏せるなり、すやすやと寝息を立て始めたみあおの姿を見つめる少女の顔には、極太文字で「不安だ」と書かれているようだった。
さしたる苦労もなく、みあおは問題の友人の夢へと渡る。そこには顔を伏せてうずくまる二つの人影があった。
一人は依頼者と同じ年頃の少女。もう一人は、ただぼんやりと人の形をしているだけで顔がなかった。のっぺらぼうだ、とみあおは心の中で呟く。
「あのぉー」
屈託なく声をかけると、少女の方がけだるそうに顔を上げた。
「……あんた誰? ……何の用?」
「ん? みあおはね、頼まれて生霊にからまれてる人を助けに来たの」
「……俺、からんでなんか……」
もそもそと人影が呟く。覇気のない声だった。
「からんでるでしょ。のっぺらぼうがその女の子の意識をここに引き止めてるから、その子が目を覚まさなくなっちゃって、周りのみんなが心配してるんだよ」
「のっぺらぼうなんて、ひどい……」
人影はますます身を縮こまらせる。みあおは腰に手を当てて言い放った。
「だって顔がないもの。のっぺらぼうがイヤなら影って呼ぶよ?」
こっくりと影はうなずいた。意外と素直だ。
「そもそも、影はここで何してるの? どうして生霊なんかになっちゃったの?」
「……俺、警察官になりたかったんだけど、試験に四年連続で落ちてさ……」
影は一人前に、深々と溜息をつく。
「もう嫌だ、情けないし恥ずかしいし辛いし、消えてなくなったら楽なのにな、って思ってたら、いつの間にかこんな姿になってた……」
なるほど、人生ドロップアウト寸前というわけか。自殺することなく、限りなく生を放棄した結果がこの姿ということらしい。みあおはそう納得した。
「あたしも、彼死にはフラれるし、親は離婚寸前だし、こないだの模試の結果なんか、すんごい頑張ったのにサイアクで、もういなくなっちゃいたいな、って思っててさぁ……」
少女も物憂げな溜息を落とした。
「この人の気持ち、分かっちゃったんだよねぇ……」
「彼女が俺のこと、『分かるよ』って言ってくれて、俺、嬉しかったんだ……。ずっと、そう言ってくれる人を探してたから……」
みあおの脳裏にひとつの言葉が浮かんだ。同病、相憐れむ。
この影、目当ての相手を見つけて、それを独り占めしたくて夢の中に留め置いていたようだ。コックリさんの関係者の記憶まで消して、大層なことだ。
「でも、ここで二人してうずくまってても、何もいいことなんかないよ?」
「努力して頑張って、普通に生きてても、いいことなんてなかった……」
みあおの言葉に、しょんぼりと影は呟く。同意するように少女がうなずいた。
「何でそんなに早く諦めちゃうの? 努力が実を結ぶのに、ちょっと時間がかかってるだけかもしれないのに」
呆れたような口調でそう言うと、少女が鋭くみあおを睨みつけた。
「あんたみたいにお気楽そうな子には分かんないのよ。あたし達の辛さが」
たかだか試験に落ちたり、恋人にふられたくらいで、この世の不幸を一身に背負ったような物言いをするのはやめてほしい。
それは確かに不幸のひとつかもしれないけれど、不幸の全てではないのだから。
みあおが見舞われた不運の話をこの二人にしてやったら、一体どんな顔をするだろう。まるで天災のように変人に遭遇し、自分の望まぬ能力を押し付けられた話を。
欠落した感情と、老いることのない体。
けれど、みあおはそれを口にしなかった。だって、不幸自慢なんて自分の性に合わない。
「じゃあ聞くけど、本当に生きててひとつもいいことなんてなかったって言い切れる?」
問いかけに、影と少女はのろのろと顔を見合わせる。
「少なくとも、そっちの女の子には心配してくれる友達がいるし、影だって今、こうして自分の辛さを理解してくれる女の子と出会ってるじゃない。それでも、人生って投げやりに捨てちゃえるほどひどかった? このまま死んじゃっても、絶対に後悔なんかしないって誓える?」
しばしの沈黙のあと、影がゆっくりと首を横に振った。
「そりゃ、少しはあったけどさ……」
「だったら、いっときの辛いことにばっかり目を奪われてないで、ちょっと視野を広げて、もう一回だけやり直してみない?」
言って、みあおは少しばかり探るような、意味ありげな視線を二人に向ける。
「それにねぇ、ここでこうしてるのって、一番つまらなくない? だって二人とも寄り添ってるけど、それ、実体じゃないし」
「……それはそうだけど」
少女がちょっともじもじした様子でそう答えた。影もまた、照れてうつむいた──ように見えた。何しろ輪郭しかないので、はっきりとは分からないけれど。
どうやらこれは脈ありのようだ。期せずして、みあおは恋の天使の役割も果たすことになりそうだった。
「ひょっとしたら影の実体、かっこよかったりなんかするかも。そっちの女の子も、お日様の下で笑ったらもっと可愛く見えるかも」
にっこりと輝くような笑顔を浮かべて、みあおは明るく誘い文句を口にする。
「そんな感じで、もうちょっと人生、期待してみてもいいんじゃないかなぁ?」
「期待して、裏切られない保証なんか、どこにもないじゃん」
どこかすねたような口調で少女は言う。それに、みあおは人さし指を立てて、自信満々に答えた。まるで迷える子羊に託宣を告げるように。
「あるよ」
「……どこに?」
すがるような突き放すような、複雑な口調で影が訊ねる。みあおは胸を張って自分を指さした。
「どういう意味だよ、それ」
怪訝そうに問う声。みあおはそれに頓着することなく、笑った。
「だって、二人はみあおに会ったんだもの。その時点でもう、ちゃんと“運がいい”んだよ」
みあおの姿が銀色に溶け、ふわりとふくらみ、新たな像を結ぶ。
──そこに、天使がいた。幻のように美しい笑みを浮かべて。
神々しいほどに白い羽根が広がり、まるで祝福の紙吹雪のように二人の上に降り注ぐ。
みあおの持つ特殊能力のひとつ。──他者に幸福を与える、『奇跡』の行使。
「憶えててね。『幸運の女神様には前髪しかない』、って言葉があること」
呆然とする二人に、天使は──みあおはやわらかく笑いかける。
「うつむいてばっかりいたら、通り過ぎちゃって、つかみそこねるよ、幸せ」
それだけ言って、みあおは人事不省に陥った。
ぱちりと目を開けたら、馴染んだ自分のベッドで横になっていた。
心配そうに顔をのぞきこんできたのは、依頼者の少女だ。どうやら喫茶店で昏倒したみあおを、生徒手帳に記された住所を見ながら海原家まで運んでくれたらしい。
みあおの姿がすっかり子供に変わってしまったことにも、突然倒れたことにも、彼女は何も言わなかった。ただ、友人から「心配かけてゴメン」というメールが届いたと、嬉しそうに伝えてくれた。
みあおは、事の顛末を簡単に彼女に語って聞かせる。不可思議きわまりない話のはずなのに、少女は黙って聞いてくれた。最初に見せた不審そうな表情は、もうどこにも見えなかった。
「ありがとうございました」
そう言って深々と頭を下げてくれた少女は、去り際、みあおにこう訊ねた。
「私達、たいしたお礼もできません。それなのに、自分が倒れてしまうほど一生懸命に力を貸してくれたのは何故ですか?」
その問いに、みあおは満面の笑顔で答えた。それを聞いて、少女は「確かにそうですね」と笑ってうなずき、帰っていった。
疲労困憊しているみあおは、それを見送ることができなかったけれど。
──『みんな幸せで、めでたしめでたし』っていうの、最高だからね。
物語の結末は、ハッピーエンドが一番。
ふかふかの布団を鼻先まで引き上げて、みあおはぬくぬくとした気持ちで目を閉じた。
他人の幸福を、我が事のように噛みしめながら。
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