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突然の依頼
オープニング
草間興信所の扉が何の予告もなく開いた、草間武彦が目を向けるとそこには顔色の悪い少女が一人立ちすくんでいた。
立ちすくむのみで、扉の向こうから扉を開けたまま入ってこようとしないその子に草間はぶしつけな視線を送る。
「どうしたってんだ、あんた」
黒い髪を肩まで垂らしたその少女は、視線を泳がせていたものの、意を決したように草間武彦に向き直った。その挑戦的な瞳は鮮やかなオッド・アイ。右が赤で、左は紫色をしている。草間はまた怪異のたぐいかと、頭を抱えたい気持ちで少女の言葉を待った。
妹の零が奥からひょっこりと顔を出した。
「お客様ですか〜?」
とてとてと、軽い調子で少女に駆け寄ると、少女は零の顔を見て心を決めたようだった。
「依頼したい」
草間にまっすぐ視線を向けて、少女が言った。
「私の名前は、当野マリア。私を、殺してくれないか」
それは又何とも、突拍子もない依頼だった。
草間はあんぐりと口を開け信じられなそうに少女をじろじろと眺めた。
「なんだってんだ」
つぶやいたそのとき、後ろのほうから事務、整理等事務員のシュライン・エマが顔を出した。セクシーな肢体に、美しい黒髪を一つに纏め上げている彼女は、少女の言葉を聴いていたのかいぶかしげにその整った曲線を描いている眉をゆがめた。彼女の手にはガラスのコップが握られ、その中にはオレンジ色の液体が注がれていた。
「ええと、何か誤解があるようですが、ここはあくまで民間の興信所で犯罪以来所ではないのよ」
シュラインは飲み物を差し出して、マリアに優しく語り掛ける。彼女は軽く礼を述べて、オレンジジュースに口をつけた。顔色は相変わらず優れない。
「自分自身に対する恐怖や不安が原因、かしら。…命を絶つ以外に方法を探れないか一緒に考えて、て探してみましょう」
シュラインのその言葉にマリアは決意を固めたようだった。
「これを」
彼女が机の上に出したのは、一つの新聞記事だった。
几帳面に切り取られているそれを草間とエマが眺めた。
『通り魔あらわる』
そんな題名のその記事の中には、女性が通り魔に襲われ死んでしまったという話が載っていた。時事問題に比べ小さな欄だったが、その記事を一通り眺めてからシュラインがたずねるような視線を送る。
「それ、私がやったかもしれないんだ。この、つい最近ひどい高熱に見舞われた。そしたら瞳がこんな風になっていて、その日から朝起きると体に泥や血がついている。そして、つい先日起きたその事件のとき、私の部屋に……」
マリアは言葉を詰まらせ、それから吐き出すように一気に言った。
「ナイフが、血まみれのナイフが置いてあった。だから、もうこれ以上人殺しをしたくない! お願いだ、私を、私を殺して」
透明な涙が頬を伝う。
これが彼女の出した結論だったのだ。悩みぬいた末の最後の結論。シュラインと草間はそんな少女を痛ましげな視線で見る。それから、シュラインが深く息を吐き出した。
「とりあえず、あなたが夜中に動くのを見てみないと何もできないわ。草間さん、このコの行動を見てみましょう」
「何かの間違いかもしれないしな」
草間も異論がないというように頷いた。
「でも」
「あなたがやったかわからないでしょう。本当にやっていたとしても何か解決方法があるはずよ。とにかく、見てみないとわからない、そうじゃない?」
「……はい、よろしく、お願いします」
途切れ途切れの声でマリアが言った。
***
マリアの家は神社だった。小さな神社だったが、祖父と父親と三人の生活をしているようだ。
シュラインと草間はそれぞれ彼女の部屋の窓の下と、玄関に張り込んでいた。もう家の明かりが消えて一時間過ぎただろうか。シュラインは深くため息を吐き出した。
じっと目を閉じて気配をうかがっていると、突然、窓が大きく揺れるのを感じた。シュラインが見ると、そこには窓枠に足をかけているマリアがいた。
「マリアちゃん!」
声をかけ、彼女の手をつかもうとするが、マリアは信じられないことに大きく跳躍してシュラインから離れる。そして、そのまま駆け出した。
少女とは思えない身のこなしに、シュラインは驚愕に目を見開きながらも、同様に駆け出した。草間に声をかけていたら逃してしまうと考えた末の行動だった。
マリアの後を必死に追う。
彼女の言っていたことは真実だったのかと歯噛みしたい気持ちに駆られる。
マリアの気のせいであることを祈っていたのは本当だった。
シュラインは自分の考えを打ち消すように首を振った。今はそんなことを考えている場合ではない。とにかく追いかけなくてはならなかった。
風が髪を揺らし、靴がアスファルトを叩く。
腕を大きく振るいながら、前をかける彼女を見失わないように必死に駆けていった。
道路を真っ直ぐに進み、右へ曲がった、と思ったその瞬間。シュラインは信じられない光景を目にする羽目になる。
アスファルトに広がる黒い髪、赤いワンピースが印象的な女の人が十字路の真ん中で倒れていたのだ。シュラインは、あわててその女の人に近づいた。
脈を確認すると、確かな鼓動が聞こえてきてホッと息を吐いた。気絶しているだけのようだ。
だが、ほっとしたのもつかの間、マリアの姿がなくなっていることに気づきシュラインはあせりの表情を顔に浮かべた。辺りをうかがうように見渡して、まぶたを閉じる。どの方向へといったのかわからないので、かすかな物音を捉えようとしたのだ。
耳に入ってきた物音、それは何かが倒れるような音だった。
シュラインはそれを捉えた瞬間、その方向へと駆け出した。しばらく走ると人影が見えてくる。
それは、立ちすくむマリアと、倒れている一人の男だった。
「マリアちゃん!」
マリアはその呼びかけに振り向いた。オッド・アイの瞳が怪しく光る。赤い唇が開かれた。
「まりあ、とはこの娘の名前か」
マリアの口から出たのは、そんな言葉だった。
「え、ええ。あなたは?」
シュラインは、驚きを隠せずにマリアに視線を送る。マリアは、今はマリアではないかもしれないが、凛とした表情で口を開いた。
「わらわは、明燐(めいりん)。あの神社を代々守ってきた竜の末裔じゃ」
「じゃあ、明燐さん。何故、あなたは夜中に家を飛び出したの?」
「妖魔が人間に巣くっていたからじゃ。この男、夜な夜な歩き回っては無抵抗な婦女子を襲っていた。先日は逃したが、今宵は捕まえ内に巣くう妖魔を退治してやった。それが、わらわの役目だからのう」
「だからって、人の体を勝手に使っちゃだめでしょう。その女の子、マリアちゃん酷く気に病んでいたのよ。私たちのところに、殺してくださいって言いに来るぐらいにね」
シュラインがあきれたように言うと、明燐はフム、と頷いた。
「すまぬ、ぬしにも迷惑をかけたようじゃな。この娘とわらわも接触を図ってみようと前々から思っておったが、どうにもわらわの目が気に入らなかったらしくうまくいかなくてのう。この娘に伝えてくれぬか? わらわと接触をはかってくれ、と」
「わかりました。それが、私たちの役目ですからね」
「感謝する」
明燐はそういって、微笑んだ。
***
シュラインは、報告を聞くために草間興信所に現れたマリアに昨夜あったすべてのことを話して聞かせた。
「そうだったのか。まったく、知らなかった」
「俺を置いていきやがって」
マリアと草間の声が同時にシュラインに向けられた。シュラインは草間をなだめつつ、マリアに優しい微笑を向けた。
「明燐さんと、一度話してみたらどうかしら? そうすれば誤解はとけると思うし、あなたの今後にも役立つわ、きっと」
「わかった。ありがとう、お礼を言う」
マリアの表情は依頼に訪れたときよりも、晴れ晴れとしたものになっていた。
シュラインはそんなマリアに向かって口を開いた。
「あなたのその目、とても素敵だと思うわ」
マリアは一瞬虚を突かれたような顔をしてから、嬉しそうに微笑んだ。
エンド
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
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■ ライター通信
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シュラインさま
このたびは、依頼のほうありがとうございました。
まだまだはじめたばかりの未熟者ですが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
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