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<東京怪談ノベル(シングル)>


■□■□■ GOGO ☆ あ、ミーゴ! 〜アルゼンチンバックブリーカー変〜 ■□■□■


「じぶふッ!!」

 基本的に部屋で書物に没頭するのが日常の彼にとって、古書店巡りは数少ない趣味であり、楽しみであり、仕事のようなものでもある。元々一つの物事に集中すると周りが多少見えにくくなるきらいがあって、それは家に篭っていることが一因でもあった。それを矯正するにも、こうして外を歩くのは良いことだ。古書店の紙魚臭さなんて、家のようで落ち着く。
 いや、それじゃあ意味がないですよ。
 セルフ突っ込みも力がない。

 彼は死んでいた。

 なじみの古書店の新規棚に向かって、いつものように探し物をしていただけだった。ただ、馴染んで気持ちの良い紙魚のニオイに、いつものゲシュタルト崩壊が襲ってきただけで。自分が呟いている言葉が聞こえなくなっていただけで、そもそもその言葉にも悪意はなくて。
 うっかり鉢合わせてしまった碇に『誰が根暗な未婚か!!』とアルゼンチンバックブリーカーを掛けられたのは、ついさっきのこと。
 完全な不意打ち+書架への激突による脳震盪で対応が遅れたのは、まったく不運なこととしか言いようがなかった。畳み掛けられるようにカナディアンバックブリーカー、ハイジャックバックブリーカーと言う三大バックブリーカー攻勢の後に、ハイヒール十六文キックでフィニッシュ。店内はドミノ倒しになった書架でぼろぼろだった。

「顔つき合わせるたびに根暗だの未婚だの、随分懲りないったらこの変態マゾヒストが!!」
「だ、だから誤解、ですから本当……」
「どうっせもうお肌の曲がり角は越えたわよ、ファンデのノリも悪くて毎日ガッツリのセレブ塗りしなきゃアラが目立って仕方ないわよ!! 近くにいるのはヘタレか変態ばっかり、私に出会いをくれない世界が悪いんでしょうがぁぁぁああ!!」

 そんな愚痴を言われても。
 そしてそんな恨みがましく首を絞められても。
 そんな血の涙流されても。
 いや、それは僕の返り血ですか?

 がくがく揺さぶられた挙句にぽーいッと書架に放られ、崩れた本に埋められたと思ったら帰ってきたドミノに潰され、少し気を失っているところでまたうわ言に本の名前を呟いてさらなる悪夢を見せられたり見せられなかったり――

 碇が去った後に残ったのは廃墟然とした店と、床にめり込んだ屍一つだった。
 まだ死んでないけれど。
 しくしく、泣きながら死体、もとい宇奈月慎一郎は身体を起こす。

 毎度のこととは言っても流石に今回はハードだった感が強い。具体的に言うと古書店一つ潰す勢いが、すべて自分に向けられた攻撃への余波でしかないというのが恐ろしい。不運と悪運の絶妙なコンビネーションで今まではどうにか逃げてこられたが――頭がくらくらして、走馬灯が見える。小さい頃にテレビ番組で見た茶色いもふもふとか、ニュースキャスターに転身した後でグラスホッパーなおじいさんになってしまった無口なあの人や、ライオンとネズミとペンギンの着ぐるみトリオとか、あと電気街のおでん缶のバリエーションとか。
 様々な情報の中でぶるぶると頭を振ると、辺りに血が飛び散った。貧血との相乗効果でさらに頭がくらめくのが、いかんともしがたい。懐に手を入れると携帯電話は壊れてしまっていた。とにかく救急車、病院……現代の魔術師ハイヒール十六文で死す、なんてのは御免なのだし。

 ふらふらと出て行く彼の背中を見詰めながら、カウンターの下に避難していた最大の被害者――店の主は、呆然と呟くのだった。

「なんで、生きてるんだ……」



 古書店街は神田の込み入った裏路地に面しているために、病院や診療所といった医療施設はそれほど近くない。人通りの少ない道をふらふら歩いていたものだから、さらに迷って方向も足元も何もかもが覚束なくなっていくのに、彼は脚を止めた。下手に歩き回っても仕方ない、落ち着いてみればきっと案外近くに避難場所があるはずだ。多分。
 見渡せば神田は随分離れて、寂れた通りに出ていた。保険証の類は持っていないが、この辺りなら幸いいくつかのモグリがいたのを覚えている。実際世話になったことはないが、無碍に断られることもないだろう。

 少し目を閉じて落ち着いてからもう一度辺りを見回すと、視界に靄が掛かったようになってしまっていた。いけない目までやられている――ぐしぐし手で擦ると、病院特有の十字印が目に入る。落書きのように軒先にぶら下げられているが、どうやら病院らしい。走れば二秒で着きそうなのに、脚には立つ力も無かった――彼は乱れた黒い髪を掻きあげながら、べたりとアスファルトに這い蹲る。

 そして。
 どっかの映画のS子のごとく、もしかしたら孔雀の王の映画のごとく、しゃこしゃこしゃこッと腕の力だけで移動していった。

 建物はところどころひび割れて日に焼けた白い漆喰作りで、二階建て程度のものだった。ガラスに皹の入った自動ドアを開けると、内装は異様に整っている。明るい光に思わず目をしばたたく――が、彼は気付いた。受付らしいブースにも待合室と思しき椅子にも、人影がまるでない。どころか、気配すらもない。
 はて、同じような状況が以前にもあったような気がする。
 これは――、朦朧とした頭で彼が記憶を探っていたとき、天井からしゅるしゅると言う音がするのに気付いた。
 ごろりと仰向けになる。


 天井一面に、触手を出してるミーゴの大群。
 ピンクの外骨格に、もっと強いピンクのナース服。
 ご丁寧に、どうやって装着しているのか、ナースキャップ付き。
 ……。
 何故看護士、ナースマンは一人も居ないのだろう。
 いやそれより、何この、形容詞的に言うなら『みつしり』とした魍魎の天井。
 わしわしと、触手が伸びてくるのに、ああ、と彼は頷く。

「……ミーゴミーゴナースじゃあ、仕方ありませんよね……ナースマンがいなくても……」

 …………。

「ってそういう問題じゃないですよぅ!?」

 がばぁっと身体を起こすと途端に貧血に見舞われるが、そんなことを気にしている場合ではない。銀色の円筒に脳みそを突っ込まれる危険性が天井から触手を伸ばしているのだ、多少寿命を縮めてでもこの場を逃げ切らなくては、そもそも明日がない。
 ぐらぐらする頭を必死に動かして入り口に戻るが、皹の入った自動ドアはどうやらガラスではないらしい。叩いても撓みもしないそれに早々と見切りをつけ、彼は猛ダッシュで近くの窓に向かった。クレセント錠を下ろしてスライドさせるも、やはり錠自体がフェイクらしい。どうにか逃げる方法を考えるが――二階建ての建物、病院施設。給水タンクは上にあるはず。ならば屋上には出入りが出来るようになっている、か。

 建物の作りとしては一般的なものを模しているから、確率的にどちら側に行くと階段があるのかはわかる、それでもギャンブルだが、触手に脚をつかまれる前に彼は駆け出した。今日はおでん缶のストックもないし、モバイルでの召喚も、この室内では不利だろう。建物が崩れた場合下敷きになるのは負傷しているこちらだ。どうにか屋外に出るのが、先決。

 幸い角を曲がった影に階段を見つけ、彼は一気に駆け上がる。脚が長いほうで良かったと二段飛ばしをするも、天井をしゃこしゃこしているミーゴ達にはそもそも障害がないのだから、やはり距離は詰められるばかりだ。対して、消耗しているこちらは階段の極端な上下運動でさらに体力が奪われる。

「に、二階建てなのが幸い、ですけどッ」

 しかし、屋上への階段が見付からない。直通になっている様子がないのだ。辿り付いた二階の廊下、彼が見たものは――今度は、左右の壁一面に敷き詰められた、ミゴミゴナースの群れ。
 ユゴスが全体的にこんな場所だとしたら、絶対行きたくない。
 ナース服の破壊力が、また抜群だ。
 しかもよく見ると一匹一匹デザインが違う。と言うか、ボタンにストラップが引っ掛けられていたり、ナースキャップに飾りがついていたり、スカートの裾に刺繍がついていたり。

 これは、この病院を乗っ取りでもしたときに奪ったものなのか? それとも彼らが彼らなりに楽しんでいるということなのか?
 高度知的生命体の考えることはよく判らない。いやいや、特技が脳移植なんて連中の考えることを積極的に判りたいともあまり思わない。ことに、自分がその対象になっている現時点では。
 どこから襲い掛かられるものか判らないみっしりした廊下を避けると、必然逃亡ルートは限られてくる。よろよろと逃げ出した先にあるのは手術室だった。他の道がふさがっている以上逃げ場はそこしかない――しかし、あからさま過ぎる。こんなのは。
 これはもう、死を覚悟して召喚をするしかないのか。はたまた錬金術に頼るか、しかし、どちらにしても自分の消耗が激しい状態では自滅の可能性が捨てきれない。そもそもどうしてこんなに頭が朦朧とするのか。アルゼンチンバックブリーカーの後遺症なのか、それとも、ドミノ本棚の直撃の所為なのか。
 どちらにしても、体力がなくては、もう思考など――――


 ぐらぐら思考していた背後に、ピンクの影が立つ。
 巨大なナース服に身を包んだ巨大なミゴミゴナースは、さながら婦長の様相だった。
 終わった、と思う。
 シスターナースやチャイナナースバージョンがなくてよかったと、仄かに彼は感じた。
 節足一本一本に丁寧に網タイツを吐いているミゴミゴナースの姿には、そう思わせるだけの破壊力があった。

 はよ入れとばかりに触手に突き飛ばされた彼は、そのまま手術室のドアに叩き付けられる。衝撃を覚悟して目を閉じるが、瞬間にドアは開かれ、優しく何かに抱きとめられた。閉じた目を開ければ、身体中になにやらピンクの糸状のものが巻きついている。細やかな触手の向こうには――手術室一杯のミゴミゴナース。
 そして、銀色のシリンダーがセットされた手術台。
 体力と精神力の限界に、彼の意識は飛んだ。




 目を覚ました場所は、ベッドの上だった。
 清潔そうな白い病院の一室、真っ白なシーツの上に、彼は寝かされていた。衣服は変わらず、どころか、碇に強かに痛めつけられた際の埃や血の痕なども一切ない。漫画の神様が禁止した夢オチという言葉が頭を過ぎって一瞬笑いそうになった――身体の節々、まるで痛む箇所がない。あれだけ痛んでいた頭も、傷一つない。どうやら本の読みすぎだったようだ、良かった良かった。こくこく一人頷く――が。

「あれ、じゃあどうして病室なんかに寝てるんでしょうね……」

 きょろり、傍らのサイドボードには水差しや花瓶などはなく、一枚のメモ用紙がそっと置かれていた。
 かれはそれを手に取り、目を通す。
 そして。
 顔面を、蒼白にした。








『あたらしいからだです なかよくつかってね たのしくつかってね みーご』








「いやあああああ、脳みそはいやですよぅううぅぅううう――――!!」

 脱兎のごとく逃げ出した宇奈月慎一郎の後姿を。
 ミーゴ達は屋上から、ハンカチをふりふり眺めていた。
 彼の上着の背中には、こんな貼紙が付いていたそうな。





『この人は騙されています、優しい人は教えてあげて下さい
 また、病院では静かにしないとこういう風に騙されます
                         ユゴス総合病院地球支局一同』