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<東京怪談ノベル(シングル)>


雨よりせつなく

 雨音が聞こえる…。
 それは天から細かく降り注ぎ、辺りの音を全て吸収しながら地面に落ちていく。
「………」
 その雨音を聞きながら、紅葉屋 篤火(もみじや・あつか)は朦朧とする頭で蒼月亭の奥にあるナイトホークの居住スペースにあるベッドで寝転がっていた。半地下のせいか部屋の中は薄暗く、煙草の香りが満ちている。
「あ…」
 自分の声が出ることを確認し、篤火は闇の中でそっと右手を上に伸ばした。手のシルエットだけがぼんやりと闇の中に浮かび上がるのを見て、篤火はふとこんな事を思う。
 この手は一体誰にすがろうとしているのだろう。
 だとしたら、すがりつける相手はどこにいるのだろう…。

「…コーヒー以外の注文は?」
 ナイトホークから受けた『危険な仕事』をこなし、びしょ濡れになりながら何とか蒼月亭にたどり着いた篤火にかけられたのはそんな言葉だった。
 その仕事で思いも寄らぬほど体力を消耗し、気力だけで何とかここまでやって来たのは、仕事の事後報告のためだけではない。そんな事は次の日にでも出来るのに、何故か真っ直ぐ足が蒼月亭に向いたのだ。
「…を…」
「聞こえない」
 頭が朦朧とする。理性よりももっと強い何かが篤火の中で声を上げる。
 この餓えを満たしたいと思う心と、それを否定する心。
「血を…血を下さい…!」
 次の瞬間、篤火はカウンターに膝をかけ、ナイトホークの肩口に噛みついていた。強く噛みつくと皮膚が破れる感覚が歯に伝わり、口の中に甘苦い血が流れ込んでくる。
「っ……」
 かなり痛いはずなのに、ナイトホークはほとんど声を出さなかった。ただ篤火がカウンターから落ちないように体を支えるだけで、逃げもせずされるがままになっている。
「………」
 外から聞こえてくる雨音が、店の中に流れている音楽を消していた。今かかっているのは「雨の日のジャズ」という名のレコードで、スー・レイニーが雨をテーマにした曲を甘い低音で歌い上げている。
 餓えている時は前後不覚になる。
 何も考えられず、ただ血を求める。
 せめて人並みに生き永らえたいと思いながらも、篤火が生きていくためには血を飲む必要があった。普通の人間であるはずなのに、血を口にしなければ生きていけない。何故そのように生まれついてしまったのかは分からないが、そうしなければ生きられない…。
 首元からあふれ出す血を、篤火は無意識のまま口にする。
  雨音に重なっていた「九月の雨」という曲が終わり、スピーカーからノイズが聞こえた時だった。
「………!」
 突然目が覚めたかのようにびく!…と篤火は我に返った。
 気が付くとカウンターに膝をかけ乗り出し、ナイトホークは首元から血を流している。黒いシャツなので目立たないが、手の甲にも血が流れ落ちているのが見えた。
「気ぃ付いた?」
「夜サン…わ、私…」
 自分は一体何をしていたのか。混乱を落ち着かせるように、篤火は眉間に手を当て深呼吸をする。確か店の中に入って、コーヒーを注文し、その後「コーヒー以外の注文は?」と聞かれ…それから後は覚えていない。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
 自分のせいでこんなに怪我をさせてしまった。篤火はカウンターから降りるのも忘れ、差し出されていたタオルでナイトホークの傷口を拭った。だが、ナイトホークは相変わらず篤火の体を支え、いつものようにふっと笑っている。
「大丈夫だ。これぐらいならすぐ治る」
「でも…」
 ふと横を見ると、灰皿に乗せてある煙草が形を残したままほとんど灰になっていた。
 一体どれだけの時間我を失っていたのか…体力や気力は戻ったのに、そう思うと胸が痛い。
「篤火、俺のことはいいから取りあえずカウンターから降りて」
「あ…は、はい」
 ナイトホークに言われ、やっと篤火は自分がカウンターに膝をかけていたことに気付く。そっと降りると、ナイトホークは自分で首元にタオルを当てながらカウンターの外に出てきた。
「お前しばらく俺の部屋で休んでけ。雨に濡れたままだと風邪ひくだろ」
 その言葉に篤火は戸惑う。
「いえ、今日は帰ります…これ以上夜サンに迷惑をかけるわけには…」
「俺を依頼した仕事のアフターケアも出来ない奴にさせる気か?」
 するとナイトホークは篤火の手を取りカウンターの中に引っ張り込んだ。そこまで言われてしまってはどうすることも出来ない。
 キッチンと逆の方向にある階段を下り、突き当たりの部屋がナイトホークの居住スペースのようだった。ドアを開けると、小さな二人がけのソファーにガラステーブル、その奥に広いベッドがあった。他には冷蔵庫や食玩などを飾るスペースなどがあるようだが、生活感はほとんどない。
「………」
 どうしていいか篤火が戸惑っていると、ナイトホークはてきぱきとクローゼットから服を出した。
「濡れたままだと風邪ひくから着替えて、しばらくそこに寝てろ。後で何か普通に食うもの持ってくる。勝手に帰ったりしたら出入り禁止にするからな」
「あ、あのっ…」
「何?」
 ナイトホークが振り返り、いつものように笑った。篤火に服を渡した後、自分が着ていたシャツなどを無造作に脱ぎ着替え始める。その背中には背筋に沿って真っ直ぐとメスを入れたような傷跡があった。
「いえ…後で話します」
「その方がいい。なかなか俺の部屋に案内される奴いないよ、今日は大サービスだ」
 ベストのボタンを留めないまま、ナイトホークは店に戻っていった。

「私はなんて事を…」
 雨はまだ降り続いていた。
 篤火が呟いた声に雨音が重なり、声が闇の中に消えていく。
 目を閉じると、ナイトホークが誘拐された時の光景が目に浮かんだ。あの時の女吸血鬼は「私達は『人の血肉』を取らなきゃ生きられない者なの。でも人を喰らうのもなかなか大変なのよ…それで困っていたら、ある人が教えてくれたのよ。『食べても減らない神の食物のような者がいる』って…」と言っていた。ナイトホークが倒れていた部屋にあった血溜まりも、多分血を糧にする輩に捕食されたからなのだろう。
 だが、自分はそんなつもりでナイトホークに近づいたわけではない。ただ本当に蒼月亭という店が好きで、それだけでここに来ている。
 だからこそ自分がやったことが許せなかった。
 その行為自体に自己嫌悪を感じていた。
 本当は血など捕食せずに普通に生きていたい。霊視能力や発火能力がなくてもいい…普通に人として生きていたいだけなのに…。
「篤火、起きてるか?電気つけるから目瞑ってろ」
 カチャと音がして、ナイトホークの声がした。篤火は目が弱いので、気を使ったのだろう。
「瞑りました」
「じゃ電気つけるぞ」
 目を閉じていても灯りがついたのが分かる。そーっと目を開けると、ナイトホークが片手に持ったトレーをガラステーブルに置いている。
「雨で客入らないから、早じまいした。トマトのリゾット作ったけど、食う?コーヒーも入れてきたけど」
 首に付けていた蝶ネクタイを緩め、ナイトホークは冷凍庫から氷を出し無造作にグラスに入れる。
「夜サンはコーヒー飲まないんですか?」
「仕事終わったら酒だろ。『グレンゴイン』ってスコッチが手に入ったから、客に出す前に味見…っと、テーブルベッドに寄せるか」
 篤火が起きあがる前にナイトホークはガラステーブルをベッドの方に寄せた。そしてコーヒーの入ったカップとリゾットを篤火の方に出す。
「………」
「冷める前に食えよ。猫舌だったらゆっくりでいいけど」
 さっきあんな事をしたのに、全く普段と変わらないナイトホークが篤火から見てとても不思議だった。本当だったら噛みつかれた時点で追い出されても仕方ないのに、自ら血を与えここまでしてくれる…そう思うと自然に言葉が出た。
「どうして夜サンは、私にこんな事までしてくれるんですか?」
 カランカラン…とグラスを回しながらナイトホークはスコッチを一口飲み、ベストの胸ポケットからシガレットケースを出す。
「こんな事…ってのが、どれを指してるのか分からん」
「夜サンには、私の体質のことを言ったことはなかったはずです。なのに、どうして私に血を与えてくれたんですか?」
 シガレットケースを開け、ナイトホークは煙草をくわえた。それにマッチで火を付け一服すると、何かを考えるようにテーブルに肘をつく。
「どうしてって…そこまで消耗させたのは俺が振った仕事のせいだろ。それに、篤火俺の友達だから、血ぐらいならいくらでも」
 それを聞き、篤火はリゾットを食べていたスプーンを皿に置いた。
 友達だから…その言葉が嬉しいのに、上手く言葉が出てこない。
「血を吸われたら、吸血鬼になるとか思ってなかったんですか?」
「うーん、俺そもそも死なないからなぁ。逆に俺の血なんか吸わせて、篤火に何かあったらどうしようとか後で思った」
 笑いながら煙草を吸うナイトホークを見て、篤火は少し切なくなった。
 初めてこの店に来た時に自分の目で視た光景…篤火は俯きながらそれをぽつぽつとナイトホークに話す。
「実は、この店に初めて来た時…私が夜サンの血を吸う光景を見たんです。知っていたのだから回避できたはずなのに、私はそれをしなかった…ごめんなさい」
 雨音が部屋の中の音を吸い込んでいく。
「謝るなよ。謝られると、俺がすごい悪いことしてる気になる。俺がやってもいいって思ってるんだから、謝るな」
「………」
 ポタ…と篤火の目から雫が落ちた。何が切ないのか、何が悲しいのかは分からない。もしかしたらそういうのではなく、自分は嬉しいのかも知れない。
「…篤火の体質のことは内緒にしておくからさ。もし血が足りなくなったらいつでも献血してやるよ。その代わり今まで通り常連でいてくれりゃいいから」
 何か言いたいのに言葉が出ない。
 俯きながら泣いている篤火の目の前にティッシュの箱が差し出された。
「自分の体質が嫌になることもあるだろうけど、それでも行けるところまで生きようぜ。たまには弱み見せてもいいからさ。ずっと隠したままってのもそれはそれで結構辛い」
「ありが…とう…ございます…」
「ん、どういたしまして」
 雨のように止めどなく涙は流れ続ける。
 静かになった部屋の中に聞こえる時折氷がぶつかる音や篤火がすん…とすすり上げる音は、雨音が静かに消していった。

「雨止まないな…」
「そうですね」
 薄暗い部屋の中で声がする。
 結局リゾットを食べた後、ナイトホークの「服洗濯してやるから泊まってけ」という言葉に負け、篤火はナイトホークのベッドで寝ていた。ナイトホークはソファーの上で毛布にくるまっている。
 夕方から降り始めた雨は夜中になってもまだ降り続き、部屋の中に雨音を響かせていた。
「夜サン…もし、私が夜サンにすがりつきたいと思って手を伸ばしたら、夜サンは私の手を取ってくれますか?」
 沈黙を雨音が洗い流す。
 返事が聞こえないので、もしかしたら眠っているのかも知れない。そう思い篤火が寝返りをうつと、その背中に小さく声がかけられる。
「俺がすがりつきたいと思った時に手を取ってくれるなら、迷わずその手を取るよ。いくら死なないって言っても、一人で生きていけるほど強くない…」
 それは雨音よりもせつない言葉だった。

fin

◆ライター通信◆
シチュノベ発注ありがとうございます、水月小織です。
前回参加していただいたゲームノベル『過去の労働の記憶は甘美なり』からの続きということで、篤火さんの隠し能力などに触れつつ、雨を意識した話にさせていただきました。
お互いなかなか見せられない力のことなどを話しながら、その傷や弱みに少し触れ合う感じになっています。友人である篤火さんのためであれば、血ぐらいはあげてしまうのではないかと思います。
雨のシーンを書くのが好きなので楽しく書かせていただきました。
リテイク、ご意見はご遠慮なくお願いいたします。
またナイトホークの所に遊びに来てやってくださいませ。