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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


かがやく日の宮

「おや、珍しい人が来たもんだ」
 蓮は、あらわれた男を見るなり、そう言って、からかうような微笑を浮かべた。
 相手は、ふん、と面白くもなさそうに鼻を鳴らす。
「それが客に対する挨拶か」
「こいつは驚いた。あんな客なのかい? ここは骨董屋だよ。いったい何の用があるっていうのさ。ええ、鬼鮫?」
「……」
 鬼鮫の目が、濃いレイバンの向こうで、すうっ、と細められた。
「なにか厄介事かい? あんたが出て来るってことは、相当な――」
「違う」
「……え?」
「今日は俺の、個人的な用件で来たんだ」
 蓮は目をしばたいた。気のせいだろうか。鬼鮫が、どこか落ち着かない、戸惑ったような様子なのは。おそらく、馴れていないのだ。誰かにものを頼むということに。
「ある品物を探してほしい。金はいくらでも出す。その……依頼に来た」
「あんたに骨董の趣味があるとは知らなかったねェ」
「俺じゃない。俺は頼まれて……」
「わたくしがお願いしておりますの」
 鬼鮫のうしろから、声がかかった。
 あらわれたのは……、和服の女だった。歳の頃なら三十代後半といったところか。しかし、美しい女だった。……というよりも、艶めいている、というべきか。
 蓮は、女の着物も帯も、かなりのものであることを瞬時に見てとっている。それが、また実に板についた着こなしなのだ。結い上げた髪は艶々とした鴉の濡れ羽色。おくれ毛が、襟をぬいた首にかかるのも、匂いたつような風情である。
「わたくし、藤咲と申します。藤咲迦耶子。……わたくし、ずっとせんより探している品物がございます。この霧島が、そういったものならこの店にあたればよい、と」
「……」
 蓮は黙って、女と鬼鮫を見比べた。霧島、というのが鬼鮫のことだとわかるまでに数秒を要する。次いで、藤咲組という暴力団組織があったことも、ぼんやりと思い出した。
「おかみさんには俺が昔世話になった」
 蓮の内心の疑問を見越して、鬼鮫――いや、霧島徳治がぽつりと言う。
「……それで、何を探せばいいんだい?」
「本――、でございますの。……和綴のかなり古い本です。ある好事家がそれを所有したまま行方知れずになったとか」
「ま。捜せないことはないね。見つかったら売るにもやぶさかじゃないが……。で、それは一体、何の本なんだい?」
 女の紅をひいた唇に、笑みが登るのを、蓮は見た。
 それは凄絶とさえ言えるあやしい微笑だった。
 蓮の問いに彼女は応える。

「『かがやく日の宮』。……現存しないはずの、『源氏物語』の一帖でございますわ」


■幻の一帖

  一説には巻第二、かかやく日の宮 このまきもとよりなし。
               ――藤原定家『源氏物語奥入』

「こんにちは」
 ドアを開ければ、いつ来てもうす暗く、あやしげな空気のただようアンティークショップ。
 時永貴由は、そこにうっそりとたたずむ鬼鮫の姿を見て、一瞬、立ち止まったが、すぐに会釈だけして、店の奥へと向かった。
「よく来てくれたね」
 レンが、煙管から紫煙をくゆらせつつ、貴由に椅子を薦めた。
 店には、鬼鮫の他、すでに2人の先客がいた。
 モーリス・ラジアルは知らない顔でもなかったので、目で挨拶をかわす。
 奥の壁には、影と一体化するかのような黒ずくめの男の姿があった。ジェームズ・ブラックマンは壁にもたれ、腕組みをしたまま、彫像のように動かない。
(なんかヘンな雰囲気)
 そう思ったが、顔には出さず、レンが手ずから入れてくれた紅茶を受取る。
 この店が「ヘンな雰囲気」でなかったことなどないのかもしれないが、それにしたって、なんとなく、調子の狂ったような感じがするのはなぜだろう。
 レンの説明を聞きながら、頭のもう半分では、どうしても、この場にもっともそぐわぬ人物である鬼鮫が気にかかる。
「……と、いうわけで、それらしい品物がその男の手に渡ったのは本当のようなのさ。その筋じゃ有名な奇書・稀覯本の蒐集家でね」
「コレクターといっても、いろいろなタイプがありますね」
 モーリスがうっすらと微笑んで言った。
 幾人か……、彼の周囲の、コレクターたちの顔が浮かぶ。
「見せびらかすのが好きなタイプもいれば、ひっそりとしまい込んで独りで楽しむタイプも。……問題の品物を見た人はいるのですか」
「それでいうと、後者のほうだったかもしれないねェ。でも求められれば披露するにやぶさかではないという感じだったらしい。ものは、まあ、見たところは和綴じのそれらしい体裁のものだったようだね」
「魔術的な作用のあるアーティファクトではないのですか? どうしても手に入れたくなってしまうとか」
「そういう話は聞いてないね」
「そうなんだ」
 拍子抜けしたように、貴由が言った。
「だったら――」
 自分たちの手がどうして必要なのか、という疑問は、レンも心得ている。
「金は用意してあるんだね」
「ああ」
 レンの問いに、鬼鮫が低い声で答える。
「あんたは交渉事には向いてなさそうだから、専門家を呼んでおいたんだよ」
 レンが煙管で、ジェームズを指した。
 黒衣の紳士が一礼する。
「品物の鑑定はこちらさんの仕事。修復が必要な場合もね」
「お役に立てるといいですが」
 とモーリス。
「私は?」
「野郎ばかりの道行きじゃ気が滅入るだろ」
「……なにか危険がある?」
 くくく、とレンは笑った。
 そしてテーブルの上に地図を広げる。
「行ってもらうのはこの山奥。その好事家が所有していた屋敷のひとつがある。件の人物は、ずっと連絡が取れず、所在が掴めていないのさ。そして、他の場所では、例の品物は見つかっちゃいない。品も本人も、ここにいるんだろうということでね」
「そんなあいまいな話なの?」
「行けばわかる」
 ぼそり、と、言ったのは鬼鮫だった。
「行ってみれば見つかるだろう」


 どこかで、鳥が飛び立つ音――。
 鬱蒼と茂る樹木が陽射しを遮る山道を、面々は歩く。
 見つかるだろう、というのは多分に期待を含んだ言葉だ。本人が生きていれば……そしてその品物が本当に実在するのであれば、という話に過ぎない。
 だが、この山道の向こうに、なにかが待ち受けているのは確かなことだろう。
 さきほどから、異様な妖気が漂っている。
 鬼鮫は、仕込み杖に油断なく手をかけていた。その表情は相変わらずの鉄面皮だ。
「でも……」
 貴由が口を開いた。
「それが実在したら、大変なことになるんじゃないか?」
「『かがやく日の宮』ですか。そうでしょうね」
 モーリスが応える。
 今まで、その存在が囁かれながらも、ただ一度も確認されず、単なる噂に過ぎぬのだろうとされていたものなのだ。もし、実在し、まして現存したのなら、日本の文学史が塗り変わることになる。
「その方――ミズ藤咲は」
 ふいに、ジェームズが言った。
「いったい何故、そのようなものを……?」
「……」
 鬼鮫がうろんな目で、彼を見返す。
「それが関係するのか」
「関係って」
 ジェームズは肩をすくめた。
「依頼人の目的は確認しておかないと」
「依頼人は俺だ」
「でも、本を欲しがっているのはその女性なのでしょう? ミスターも、ただ言われるままに品物を探しているわけでは――」
「言われるままに探しているだけだ」
 ぴしゃりと、鬼鮫は言った。
「俺にそれ以外の何ができる」
「……」
 ジェームズは、ちょっと鼻白んだような表情を一瞬、浮かべると、やれやれと言ったふうに息をついた。

「天然属性にも程があるよネ〜」
 双眼鏡で、そんなやりとりを見つめる人物が、ひとり。
 ケヴィン・トリックロンドがいるのは、鬼鮫たちのはるか頭上だ。
 忽然と、空に浮かぶ、金髪の男は、うすい昆虫めいた羽をふるわせ、ゆっくりと、山の空を旋回する。
「ちょっと考えりゃわかることでしょうに、徳ちゃんってば……」
 昨日、公園のベンチで聞いた話を思い出す。
 ケヴィンと鬼鮫の不思議な交友関係については、また別の話だ。
 今、大事なのは、彼が、鬼鮫から聞いた話に、表面上は表情を変えず「フーン、ガンバッテネ」と応えたけれど、内心では思うところがあって、わざわざこうして出向いてくれているという、その厚いけれども、ちょっと屈折した友情についてである。
 あるいは、それ以上に、好奇心が勝ったのかもしれないが――
 ケヴィンは、木々に囲まれてある、日本家屋の屋根を見下ろす。
 彼の目は、そこにわだかまる瘴気のようなものをとらえていた。

■女郎蜘蛛

 ふわり――、と、鳥のような影が、貴由の手の中に舞い降りてくる。
 ふっ、と、まぼろしのように消え失せたものは、彼女の使役する式神である。先に飛ばして、偵察をさせていたようだ。
「結論から言うと」
 彼女は言った。
「たぶん、本人はもう」
 首を横に振る。
「屋敷自体を包む妖気からして、物理的に、何かが出現してるんだと思う」
「本と関係があることなんでしょうか?」
 モーリスの疑問に答えられるものは、いない。
「ふん」
 鬼鮫は、金が詰まったアタッシュケースを、かたわらのジェームズに押し付ける。
「好都合。品物だけ持って帰ればいい」
 そして仕込み杖の刃を抜き放つと、ひとり、大股で歩きはじめる。あとの面々は、やむなく着いてゆくしかなかった。
「こうなると、もう、私の領分じゃないんですけどね」
 ジェームズが、アタッシュケースを渡されたもう片方の手に、黒光りする銃を握った。

「ここで何してる」
 玄関先に、まるで、ちょっと近所なので寄りましたといわんばかりの風にたたずんで、一行を待っていたケヴィンを、鬼鮫が睨みつける。
「ご挨拶」
「俺をつけたな」
「そういうわけじゃないんだけど……、あ、ここん家のヒトなら留守みたいだョ?」
「人には用がない」
「ひどいなー」
 ケヴィンを無視して、もはや礼儀も何もあったものではなく、鬼鮫は玄関の戸を蹴り開けた。
「これは……」
 モーリスが眉をひそめる。
 屋敷の中は、至るところに蜘蛛の巣がはびこっていた。
 放置された空家だったのか……と、思ったが、いや、それも妙だ。蜘蛛の巣はものすごいのに、埃はそう積もっていないのだ。
 鬼鮫は白刃で糸を斬り払いながら、靴のままずかずかとあがりこむ。後のもの(ケヴィン含む)は顔を見合わせたが、やむなく、彼に倣い、土足で続いた。
 平屋の日本家屋である。
 部屋数は多かったが、そのいずれにも……
「本――」
 壁は本棚で占められ、それにも収まり切らずに古書がうずたかく積み上がっているのである。古本屋の倉庫もかくやというような有様だ。
 そしてその本の山にも、無気味に白々とした蜘蛛と糸がかかっている。
「探してくれ」
 鬼鮫は言った。
 相変わらず表情は変わらず、その片目は醜く潰れているままだ。
 だが、同行者はそれが、彼のせいいっぱいの懇願であることを知った。
 誰かにものを頼むことに、極端に慣れていない男が、しかし、自分では目的のものを探し出せないと悟ったのである。
「いいでしょう」
 応えたのは、ジェームズだった。
「これだけあると骨が折れそうですが」
「お手伝いしましょう」
 とモーリス。
「助かる」
 ぶっきらぼうに、鬼鮫が礼らしき言葉を吐いた。
「俺は、あれを始末する」
 そして、奥の襖を蹴り飛ばす。
 うす暗い奥の間に――、ぼう、と浮かび上がる白い塊。
 それが繭のような、蜘蛛の糸の塊だとわかるには少し時間がかかった。
 うっすらと、糸の中に見える人影はこの屋敷のあるじだろうか。いずれにせよ、それがすでに、生命などとうに失われた骸であることは間違いがない。
 そして、その生命を奪ったとおぼしき存在が、毛のはえた、縞模様のある、長い脚をかさこそと動かして、天井から這い降りてくる。
 あざやかな青と黄色の縞模様をおびた巨大なジョロウグモだ。
 かッと、顎を開いて威嚇する。
 問答無用――。鬼鮫が何もいわずに白刃を振るった。
 蜘蛛はひらりと、かわして後退すると、そのままかさこそと、奥の間の闇へ消えていく。
「気をつけて」
 貴由が鬼鮫に並び立つが、言われるまでもない、とばかりに、鬼鮫は不機嫌そうに鼻を鳴らしただけで、蜘蛛を追う。
「逃がすか」
 びゅっ、と蜘蛛が糸を吐く。
 鬼鮫は刀でそれを防いだが、切れ味鋭い刀身に糸が絡まってしまう。舌打ち。
 だが、次に空を切って飛来したのは、青白く燐光をまとった呪符だった。貴由の放ったそれは、投げナイフのように糸を裂き、蜘蛛の身に突き刺さる。
 ちらり、と、彼女に一瞥だけくれると、鬼鮫は気合いの一声とともにあやかしに飛びかかった。剣劇ものさながらの音を立てて、蜘蛛の身体がまっぷたつに切り裂かれ、血飛沫が高くあがった。
「徳ちゃん」
「その呼び方はやめろ」
「殴り込むならもうすこし後先考えなきゃね。鉄砲玉じゃないんだから」
 ケヴィンが、顎で示したのは、ざわざわと、襖の破れ目や、天井の嵌め板のはずれたところなどから、次々に這い出して来る蜘蛛たちの姿であった。
「これって!?」
 貴由が呪符を放った。 
 ひとつひとつが人の顔ほども大きさのある毒々しい蜘蛛は、呪符にふれるとじゅッと音を立てて蒸発するように消滅するが、あとからあとから沸き出してくる。
「負の想念……何かのきっかけで、マイナスのパワーが実体化したものみたいだネ」
「いきすぎた蒐集家の末路……ってこと……?」
「そっち突っ切れば、庭に出られるョ。さっき退路は確認しといた。ここはバカ正直に応戦する必要はないでしょ。昨今はガソリンも高いんだけど……」
 見れば、いつのまにか、ケヴィンはガソリンの缶を持っているのだ。
「ま、待て……!」
 鬼鮫が、狼狽の声をあげた。

■妄執の業火

「これはまた、いい趣味みたいですね」
「ほとんどすべてが、偽書――ですか」
 ジェームズとモーリスがあきれた顔を見合わせる。
「しかもジャンルも年代も節操なし。……これ、『ヴォイニッチ手稿』だ。こちらはどうも『ネクロノミコン』のようですね」
「これは……『ナポレオンの辞書』? ……なんというか……」
 屋敷のあるじは相当な変人だったのだろう。
「しかし……、と、いうことは……ミスターにはお気の毒ですが」
「彼が買い付けたという『かがやく日の宮』も、偽書である可能性が高いですね。まあ、いみじくも、貴由さんが仰ったように、文学史上は、もともと存在しなかったと言われているものですし……」
「!」
 そこで、ふたりは手を止め、言葉を切った。
 かさこそ……、かさこそ……という、背筋を粟立たせずにはおかない足音が、いつのまにか、かれらを取り囲んでいる。
「これ――」
 ジェームズは、かたわらに積まれた古い本が、もぞもぞと震えだし、ふいに八本の脚をはやすのを見た。そのまま、色褪せた表紙が毒々しい蜘蛛の模様を得て膨らみはじめる。
 ジェームズは銃を、モーリスは鞭を構えて、背中合わせに立った。
 本の山からあらわれる無数の蜘蛛たち。
 この世のものならざるあやかしの蟲どもは、敵意もあらわにふたりににじりよってくる。
「自らの妄執に喰いつぶされたようですね」
 モーリスの鞭が、手近な蜘蛛を弾きとばす。
「偽書に執着する心が、自身の偽書をあやかしに変えてしまった。そしてそれに自らが犠牲になったと?」
 蜘蛛を撃ち抜きながら、ジェームズが応じる。
「きりがありませんね」
「しかし、品物がまだ――」
 ジェームズの言に、モーリスは、おや、といった顔を向ける。
「偽書だとしても?」
「ええ……。これは想像ですが……藤咲夫人はそれが偽書だと知って、欲したのではないでしょうか。あるいは……本そのものが目的ではないか、です」
「それは私も同じようなことを考えていました。彼女には、確実に、物を手に入れる以上の目的があると思います。しかし、わざわざ鬼鮫さんを巻き込む意図がわかりませんね」
 襲いかかってくる蜘蛛たちをさばきながら、ふたりは語り合う。
「あるいは……それが目的なのかも」
「?」
「鬼鮫さんですよ」
 その真意を、モーリスが問いただそうとしたとき、襖を突き破って、あらわれたものがいる。
「ちょっ、徳ちゃん! そりゃないよ! 公園友だちに向かって!」
「うるさい!」
 鬼鮫の刀がケヴィンの背をかすめる。すっぱりと開く白い切り口。なぜだか血も出なければ、ダメージを受けた様子もないが、ただ、ケヴィンは、鬼鮫の刃から逃げる。
「はやくここから出て! ケヴィンさんが火をかけた」
 貴由が飛び出してきて、モーリスとジェームズに退避を促す。
「え!」
 そして、ものが燃える匂いと、白煙がただよいはじめる。
「本は!?」
「いえ、まだ――」
「畜生」
 悪態をつき、鬼鮫は、手近な本の山を手当たり次第に崩していく。
「和綴じの本だ……古い――和綴じの……」
「徳ちゃん、逃げなきゃ!」
「鬼鮫さん!」
「勝手に逃げろ!」
 古い家屋は乾燥していたと見え、思いのほか火の回りが早い。もうすぐそこまで火の手が迫ってきていた。
「いったん、撤退しましょう」
「鬼鮫さんは……」
「滅多なことじゃ死なないでしょう」
「で、でも――」
 後ろ髪を引かれながらも、やむなく、ばたばたと駆け出していく一同。
 煙の中で、咳き込みながら、本を探している鬼鮫。
 だが、鬼鮫が、この状況でその本を探し出せるとは到底思えない。まして、あるのかどうかもわからない品だ。
 それでも……、彼ははいつくばって、なだれる古書と格闘している。


「嘘」
 ケヴィンは絶句した。
「強運というか……」
 モーリスが苦笑めいた笑みを浮かべる。
 まだくすぶっている焼跡を前に、鬼鮫が救出した古書の山から、それらしい品があらわれたとき、一同のあいだには声にならぬ歓声が上がった。
「しかしこれは――」
 偽書ですよ、というべきかどうか、ジェームズは迷った。
 だが、そんなことはとうに、鬼鮫自身も承知しているのかもしれなかった。
「世話になったな」
 煤で真っ黒の鬼鮫が、うっそりと言う。
 服はぼろぼろに焦げていた。火傷も負ったが、すでに治癒しているようだ。
 そしてそのまま、見つけた本を手に、立ち去ってゆく。
「……」
 その背中に、なんとなく声をかけづらいものを感じて、一同のあいだにわだかまった空気が流れた。 
「そうまでして、藤咲迦耶子の依頼を遂行しなければならない理由があるのでしょうかね、鬼鮫さんには。……昔、世話になった――、そんなようなことを仰ってましたけど」
 モーリスが息をつく。
「義理堅い人は嫌いじゃないけど」
 貴由が呟いた。
「どうして、あんなに寂しそうに見えるんだろう」


■後奏

 後日、アンティークショップ・レン――。
 うす暗い店のテーブルに、過日のようにモーリスと貴由がつく。今日もまた蓮が茶をいれてくれた。
「『源氏物語』の巻名は……『桐壷』にはじまり『帚木』『空蝉』『夕顔』など、だいたい漢字二文字です。『紅葉賀』など三文字のものもありますが……それにしても『かがやく日の宮』はあきらかに異質です。これが、当該の巻が非実在とする根拠のひとつですね」
「『かがやく日の宮』って、藤壷のことなんだよな」
「ええ。光源氏を『光る君』、そして藤壷宮を『輝く日の宮』と称してたたえる描写があるそうですね。『かがやく日の宮』という帖があったとする根拠は、巻ノ一『桐壷』と巻ノ二『帚木』のあいだに、物語的な欠落があることです。光源氏と、義母にあたる藤壷宮との禁断の逢瀬の場面が描かれた部分があったはずだと」
「光源氏みたいなタイプは、あんまり好きじゃないな」
 貴由のその言葉に、モーリスは、ふっと笑った。
 それからふいに、何かに気づいたように真顔になる。
 それには気づかず、貴由が続けた。
「藤咲さんは……自分を藤壷になぞらえたかったのかな。自分の人生を映しているとか……。それで『かがやく日の宮』に執着していたのかも。そう思うと、執着が高じてあやかしにとらわれたあの蒐集家とも同類ってわけで、なんだか皮肉だけど……」
「それですよ、貴由さん」
「え?」
「藤咲迦耶子は暴力団の組長の夫人なのですね」
「ああ――、“極道の妻”ってやつ?」
「そして鬼鮫さんも元ヤクザです」
「世話になったって言ってたし。…………あ」
 貴由も、モーリスの言わんとしていることに気づいたようだ。
「それって、つまり……」
「世話になったといっても、本人にではないでしょう。彼女の夫である暴力団幹部なりその組そのものなりと考えるのが自然です。日本のヤクザはきわめて血族的な性質を持つ組織ですから……組長は鬼鮫さんにしてみれば親のようなものだったでしょう」
「そして迦耶子さんは――」
 くくく、と、低い、含み笑い。
 見れば、蓮がこらえかねて笑いを漏らしたようだ。
「ちょっといやだよ」
 煙管をひと吸い。
「どこの世界に、片目であんなこわもての光源氏がいるのさ」

「藤咲迦耶子さんですね」
 ふいに名を呼ばれ、女ははじかれたように顔をあげる。
 女は、今日も和服だった。自宅でも、和服の女は昨今、珍しい。きっちりと化粧もし、髪は美しく結い上げられている。
 広いリビングは、和洋折衷の、なかなか洒落た風であったが、置かれている調度類が相当高価なものに違いないことは素人目にもあきらかだ。
 迦耶子はソファーに腰掛けて、どこか物憂げに、雑誌をめくっていたところらしかった。
 テーブルには紅茶のカップがあったが、同時に、ブランデーのボトルもあった。
「あなた――」
「先日、鬼……いえ、霧島さんとご一緒させてもらったものです」
「……ああ」
 そう聞いて、叫び出すには至らなかったが、それでも、誰もいないはずのリビングに、いつどうやって入り込んだのかわからない相手に対し、迦耶子の目は警戒心に充ちていた。
「品物は受取られたのですか」
 喪服のような黒いスーツの男――ジェームズ・ブラックマンが問う。
「品物?」
「『かがやく日の宮』」
「ああ」
 まったく興味がなさそうに、迦耶子は言った。
「霧島がそんなものを持ってきたわね。そう言えば」
「受取られなかったのですね」
 ほほほ、と、さも可笑しそうに、女は笑った。
「あんな捏造品、持っていても仕方がないのではなくて?」
「すこし調べさせていただきましたが。藤咲さん。あなたは大学院まで行って古典文学を専攻されている。……『かがやく日の宮』なんて存在しないことは重々承知のはずです」
「だからこそ……それがもしもあったなら――、そんなロマンをたくしたい気持ちを、ご理解いただけないかしら」
 そう言って小首を傾げる様子はまるで少女のようなのだが。
「鬼鮫さんへのメッセージのつもりなのですか」
「仰る意味がわかりませんわ」
「『かがやく日の宮』なんて存在しない。そのことを思い知らせることがあなたの目的だった。光源氏と藤壷宮が禁忌をおかしてさえ逢瀬を行なったようなことは、あなたと鬼鮫さんの間には起こらないということを」
「失礼な方ね」
 迦耶子は立ち上がった。
「誰か!」
 その一声で、どやどやといかにもといった風体の、屈強な男たちがリビングになだれこんでくる。見知らぬジェームズの存在に、一瞬、驚いた風だった男たちは、迦耶子があごをしゃくると、一斉に、とびかかってきた。
「余人が口出しするようなことではないことは承知」
 するり、と、男たちをかわし、適確に、首のうしろに手刀を入れたり、膝で下腹部を蹴り上げたりして、ジェームズは男たちをリビングの厚い絨毯に沈めてゆく。
「ですが……過去、何年かに渡って、鬼鮫さんへの接触は常にあなたのほうから行なわれている」
「……っ」
 ずい、と身を寄せたジェームズを避けようとして、迦耶子はソファーのうえに倒れた。
 顔のすぐ横に、ジェームズが手をつく。
 顔を近付け、囁くように言う。
「あなたは……遊んでいるんだ。猫が鼠をすぐには殺さないようにして。違いますか?」
「……も、もし、そうだと言ったら……?」
 瞬間――、ジェームズの瞳に暗いかぎろいが宿ったような気がした。
 だがすぐに、もとの伶俐な表情に戻ると、彼は身を起こして、迦耶子から離れた。
「別に。……ただ、光源氏でさえ、最期には一切の、この世への執着を捨てたのです。……私は因果応報ということを信じますよ」

「――で。つっかえされたわけネ」
「……」
 公園のベンチに、並んで坐っている奇妙な二人組みがある。
 昼下がりの公園は子どもの嬌声にみち、鬼鮫とケヴィンの姿はあきらかに場違いだ。
「徳ちゃん、苦労したのにね。角刈り、燃えて、カーリーヘアーになってたじゃん。笑いそうになるの堪えるの必死で――あ、いや」
「誰のせいだと思ってる」
「……どうすんの、これ?」
 古びた和綴じの装丁に、ケヴィンは手を伸ばした。
「欲しけりゃやる」
「いいよ別に。やっぱりこれは徳ちゃんが持ってなよ」
「ふん」
 むっつりと、鬼鮫は、それをしまった。
「もしかしたらさ……本物かもしれないョ?」
「おかみさんが言うんだから偽者なんだろう。学のあるひとなんだ。俺らとは違って」
「『ら』って言った!?」
「俺たちヤクザっていう意味だ」
「ああ、そう。……でも、こんなこと言うのは何だけどさ……あのヒト、最初っから本物じゃないコト、知ってたんだと思うョ」
 それはケヴィンなりに言葉を選んでの発言だった。
 内心ではもっと直截なことを考えていたのだが。
「……」
 鬼鮫は答えなかった。 
 そして、鷹揚に、立ち上がると、またな、といった風に目だけで挨拶。
「元気出しなよ」
 背中にかけた一言に、片手をあげて応える。
 その背中は……IO2のエージェント鬼鮫でもなければ、極道の霧島徳治でもない……ただの、ひとりの壮年の男に過ぎなかった。

(了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2318/モーリス・ラジアル/男/527歳/ガードナー・医師・調和者】
【2694/時永・貴由/女/18歳/高校生】
【5128/ジェームズ・ブラックマン/男性/666歳/交渉人 & ??】
【5826/ケヴィン・トリックロンド/男性/137歳/神聖都学園英語教諭・蟲使い】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2号です。『かがやく日の宮』をお届けします。
今回はまた、ちょっと、いつもと違う意味で「これアリなのか?」という
お話でありました……。

>モーリス・ラジアルさま
好事家は周囲にたくさんいらっしゃるはず(笑)ですが、
モーリスさまが日本の古典にどこまでお詳しいかなあ…と思いつつ……。
でも、まあ、きっと、何でもよくご存じなんだろうな、と結論しております。
好事家は変な人が多いですよね。変な人だから好事家なんでしょうが。

>時永・貴由さま
ある意味、実働部隊とわりきっていただいたのがすがすがしいというか、
漢らしいというか(笑)、貴由さまらしくて素敵です。
そのくせ、『〜日の宮』の内容と藤咲迦耶子自身を結び付けてお考えになったのは
女のカンというやつでしょうか。

>ジェームズ・ブラックマンさま
ジェームズさんだったら、どうお感じになるかな、ということを
いろいろ考えて書かせていただきました。
ただ、少なくとも、幻の古書よりは、藤咲迦耶子なる「人間」のほうに
ご興味をお持ちになるでろう、と。

>ケヴィン・トリックロンドさま
鬼鮫との意外な接点と身も蓋もない第一声に、ちょっと笑ってしまいました。
真相はこのようなものでしたが、まあ、ある意味で「真っ黒」ですよね(笑)。
どうぞ、これからも、徳ちゃんをよろしくお願いします。
あんな感じですけど、彼にとっても公園友だちは必要な存在だと思うのです。

機会がございましたら、また、お会いできればうれしく思います。
ご参加ありがとうございました。