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<東京怪談・PCゲームノベル>


煉獄の向こう側 その3

 18日前、関東を代表する広域指定暴力団、東和会系列の轟組という小さな組に所属する構成員の1人が何者かに殺害された。それも全身をバラバラに切り裂かれるという凄惨な方法で。組員を殺されて黙っていられるほど暴力団はおとなしいわけではない。ただちに組を上げて組員を殺した人間を探し始めた。
 だが、その1週間後。また1人、組員が殺害された。今度は喉まで大量の食い物を詰め込まれ、窒息死していた。轟組の組員を狙っていることは明らかであった。2人目が殺害されたことで、抗争のことを考慮した警視庁捜査4課が動き出した。捜査4課は犯罪組織に対する捜査を主にした部署だ。
 だが、轟組も警察だけに任せるわけはなく、犯人を見つけ出して血祭りに上げてやろうと、血眼になっていた。轟組をはじめ、東和会系列の組織が緊張に包まれていた。そして3日前、3人目の犠牲者が現れた。どうやら1週間に1度のペースで犯行を繰り返しているようだ。3人目の犠牲者も轟組の組員で、顔をズタズタに切り裂かれて絶命していた。
 ここに至り、1部の人間は今回の犯行がキリスト教の「7つの大罪」を模していることに気がついた。最初が憤怒、次が大食、3つ目が高慢といったところだろうか。
 そして、東和会では20年以上も組織を率いてきた組長が危篤の状態で、場合によっては代替わりもあるという微妙な時期であるため、轟組の暴走を危惧した東和会は外部の人間に犯人の身柄を確保するように依頼した。犯人の生死は問わない。ただ、確実に次の犯行を止めて欲しいということであった。犯人がこれまでのペースを守るのなら、次の犯行は2日後ということになる。それまでに犯人を特定しなければならない。

 現場で目撃された男は轟組の元組員で、黒岩という牧師であった。
 そして、轟組によって一家心中に追い込まれた家族の中で、奇跡的に生き残った当時12歳の少女は、山梨の病院で眠り続けていた。
 意識の戻らない天涯孤独の少女。その治療費を払い続けている黒岩。
 2人の接点はどこにあるのか。そして犯人は黒岩なのか。
 また黒岩が犯人だとしたら、東和会の跡目問題に照準を合わせるかのように発生した殺人事件は、本当に黒岩の単独犯行なのだろうか。第3者の介在はあるのか。

 その日、真行寺恭介は黒岩という人物に渡されていたであろう、金の流れを調べることから開始した。ジェームズ・ブラックマンからの情報によれば、かつて轟組の地上げが原因で一家心中に追い込まれた家族の中で、奇跡的に生き残った山本朱里という少女は、植物人間となって今も病院のベッドで眠り続けている。
 その入院費用を払い続けている人物が、今回の犯人とおぼしき黒岩であった。恭介は黒岩が何者からか金を受け取っているのではないか、と考えていた。牧師としての収入だけで、朱里の入院費用を捻出できるとは思えないからだ。そこに何者かの介在を感じ取った恭介は、金の流れを調べることで黒岩の交際関係を調べられると判断したのだった。
 その辺りのことを調べるのは恭介にとって難しい作業ではない。黒岩名義の口座、そして偽名で管理している口座などを部下に命じて調べ上げ、会社側から圧力をかけることで金の入出記録を銀行側に提出させた。
 問題と思われる会社の名前を見つけたのは、黒岩が別の名義で管理している銀行の口座からであった。入金記録によれば会社の名前は「新光企画」となっている。この会社から数ヶ月に1度の割合で、数百万円もの入金が行われていた。
 この「新光企画」なる会社による最後の入金記録は、今回の轟組の組員殺害事件が発生する2週間前となっていた。タイミングとしては微妙ではあるが、現時点では無関係であると断ずることはできない。また、黒岩が入金を確認してから、1人目の殺害準備に入ったのだと考えれば、それはタイミングが良すぎるともいえた。
「新光企画」が轟組の組員殺害に無関係であるとは思えなかった。それになんの目的で黒岩に金を渡していたのか、それを調べる必要も感じられた。単に教会への寄付ということも考えられるが、果たしてそれを行える規模の会社なのか。ただの企画会社が、数百万円の寄付を行えば、それは明らかな違和感となる。
 その辺りを詳しく調査する必要があった。

 恭介がグレイ・レオハーストから渡されたというメモに記された、轟組の構成員8人のうち、すでに3人は何者かによって殺害されていることは確認されていた。メモに名前のある残る5名が過去に地上げへ関わり、複数の家族を一家心中に追いやったのだろう、とジェームズ・ブラックマンは考えていた。
 恭介との話し合いにより、その5名の居場所と、現在の動向を調べることにしたジェームズは、所轄である新宿署の組織犯罪対策課から轟組の組員名簿を入手し、それを基にして所在地などを洗うことにした。そのうち1名の居場所はすぐに把握することができた。
 数日前、ジェームズを尾行していた2人の組員のうち、指を詰めた片方が新宿区内の病院に入院しているという情報をつかみ、ジェームズは病院へ向かうことにした。
 市ヶ谷駐屯地に程近い靖国通り沿いにある総合病院は、昼間ということもあってかかなりの患者が診察に訪れていた。待合所を通り抜けて入院病棟へと上がったジェームズは、廊下の突き当たりにある個室の前で足を止めた。扉には「面会謝絶」のプレートが下がっている。壁にかけられた入院患者の名前が、目的の人物と相違ないかを見て、辺りに誰もいないかを確認してからドアを開け、ジェームズは部屋に入った。
 ブラインドカーテンが下ろされ、薄暗い室内の中央に置かれたベッドの上では、1人の男がイビキを立てて寝ているのが見えた。その男にジェームズは見覚えがあった。数日前に彼を尾行し、そして返り討ちに遭った轟組の組員であった。
 ジェームズは足音もなく男へ近づき、看護師の呼び出しボタンを遠くへやると、男の口を片手で塞いだ。その瞬間、男が瞼を開いた。目の前にいるジェームズの顔を確認し、男の瞳が驚愕に見開かれた。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
 ジェームズの言葉に男が腕を動かそうとした。しかし、それよりも早くジェームズの左手が閃くと、どこからか取り出したナイフが男の頬に当てられていた。頬にナイフの冷たい感触を感じ取り、男は小さくうめき声を漏らしながら動きを止めた。
「少し訊きたいことがあります。素直に答えてくださるのなら、なにもしません。ですが、もし大声を出したり、質問に答えてくださらないときは――」
 ジェームズはナイフを移動し、男の腕につながれた点滴のチューブへ刃を当てた。
「これを切り、あなたを動けなくしていきます。あなたの血圧が高ければ、血が溢れ出して止まらなくなるでしょうし、逆に血圧が低ければ空気が血管に流れ込み、そう時間もかからずに心臓を止めてくれるでしょう。なんなら、チューブに空気を吹き込んで差し上げましょうか?」
 男は目を見開き、首を振った。その額にはびっしりと汗が浮かび上がり、顔は青白く強張っている。
「これから手を離します。ですが、大声を出して助けを呼んだりしたら、容赦なく刺しますよ?」
 そう告げてジェームズは男の口から掌を離した。
「て、てめえ――」
「おっと」
 男がしわがれた声を発しようとした瞬間、ジェームズは再び口を塞いだ。
「余計なおしゃべりはナシです。時間を無駄にしたくありませんので」
 言いながらジェームズはナイフを男の目の前でゆっくりと揺らした。男は観念したように小さくうなずいた。再びジェームズが手を離すと、男はなにも言わなかった。ただ殺意のこもった目をジェームズに向けているだけだ。
「では、第1問です。この中で次に狙われそうなのは誰だと思いますか?」
 恭介から渡されたメモを取り出し、男の目の前に掲げながらジェームズは問うた。
「た、多分、三島さんだ」
「三島。この方ですか」
 メモに記された名前を確認してジェームズはうなずいた。
「他には?」
「わ、わからない。だが、もし三島さんでなければ、俺たち全員が狙われる」
「つまり、この三島という人物が、この中でも特に地上げに深く関わっていたということですか。あなたがたも、今回の殺人が、自分たちが行っていた地上げに関係していると理解しているのでしょう?」
 ジェームズの問いに男はうなずいた。
「他に気がついたことは?」
「オヤジがイラついている」
「それは当然でしょう。自分の組の人間が殺されているのですから」
「それだけじゃない。オヤジは、身内に裏切り者がいると思い込んでいるらしい」
「裏切り者? それは興味深い話ですね。どういうことですか?」
「詳しくはわからない。だが、内部の誰かが手引きしたとしか思えない節が確かにある」
 そこまで話を聞いたところで、ふとジェームズにも思い当たることがあった。例えば組員の所在地である。犯人が黒岩だとしたら、どのような手段で彼は轟組の組員の現住所を知ったのだろうか。無論、黒岩が元組員であることを考えると、昔の仲間である誰かから情報を仕入れたということも充分に考えられる。
 しかし、そうした情報を誰から入手したにしろ、殺人が起きたことを考えれば、黒岩に情報を明かした人物が危険を察知し、それを組長なり、他の組員なりに教えていなくてはならないはずである。だが、轟組は犯人が誰であるかもつかんでいない。つまり、黒岩に情報を提供した人物が、故意に組側へ知らせていない可能性も考えられる。
 構成員が少ないとはいえ、ここまで轟組が調査しているにも関わらず、犯人の目星すらつけられていない状況を考えると、轟組内部に裏切り者がおり、その人物が意図的に組の動きを誘導している可能性すらあった。
「なるほど。裏切り者ですか」
 呟き、ジェームズは面白そうに口を歪めた。恭介の読み通り、ただの殺人というわけではない公算が高くなってきた。轟組の内部問題、東和会の権力抗争、そうしたことが今回の事件を複雑にしているような気が、ジェームズにはした。

 登記簿に記載された「新光企画」の住所は中野区となっていた。どのような会社であるかを確認しようと足を運んだ恭介は、すぐに「新光企画」が名前だけのペーパーカンパニーであることを察した。築20年は経過していると思われる雑居ビルの3階にあるオフィスには、誰もおらず扉にも鍵がかけられていた。
 それは予想されたことだった。恐らく、この「新光企画」は一種の休眠会社か、どこかの団体が資金の流れをカモフラージュするために設立した書類上の会社で、実体はないのである。こうしたペーパーカンパニーは数多くあり、そこになんらかの違法性がない限りは警察や税務署も目をつけたりしない。だが一方で、実体のない会社から黒岩の口座に多額の入金が行われていることは、そこになんらかの意図があることを示唆していた。
 引き続き、部下と会社の情報部に「新光企画」について調査させようと、ビルから出ようとしたところで恭介の携帯電話が着信を知らせて震えた。反射的に携帯電話を懐から取り出し、液晶画面へ視線を移すとグレイの名前が表示されていた。
「はい。真行寺です」
「真行寺か? グレイ・レオハーストだ」
 聞こえてきたのは馴染みとなった男の声であった。渋谷を中心に始末屋を生業とするアメリカ人であり、今回の轟組に関する件では、グレイも東和会側から依頼を受ける形で動いていた。現在は恭介と共闘路線という形を取っている。
「東和会に関して少し気になる情報があった。これから会えないか?」
「わかった。どこにする?」
「大久保のトライアングルで待っている」
「わかった。これから向かう」
 そう答えて電話を切ると、恭介はビルの前に止めておいたBMWに乗り込み、新宿方面へ車を向けた。早稲田通りから山手通りを経由して大久保通りへと入り、新大久保駅の先にある、百人町と大久保2丁目の境にあるコインパーキングに車を止め、そこからは歩いて目的の店を目指した。
 木製の扉を潜るとカウンターの最奥にグレイが座っているのが見えた。店内に他の客はいない。グライの他にはカウンターの内側で初老のマスターがいつものようにグラスを磨いているだけだ。恭介はグレイの隣のストゥールに腰掛けた。グレイの前にはロックグラスに注がれたスコッチが置かれていた。さすがに飲酒運転はできないと考え、マスターにミネラルウォーターを注文してから恭介が訊ねた。
「それで、情報というのは?」
「東和会内部で不穏な動きがある」
「不穏な動き?」
 グレイは小さくうなずいた。
「現在、東和会を仕切っている組長は恐らく駄目だろう。持って、あと数日が限度だと誰もが考えている。その場合、次に東和会を纏めるのは新宿事務局の重松だ」
 東和会新宿事務局。本部の次に東和会内部で影響力を持つ部署で、新宿、渋谷、池袋などにある系列組織を纏め上げている。その事務局長を務めているのが重松という男で、現組長が健在の頃から次に東和会を束ねるのは、この人物であると目されていた。
「だが、重松に対抗する勢力がある」
「そんなことは珍しい話ではない。どこの組織でもあることだ」
 組織内部の権力抗争はどこにでもある。組織が肥大化すればするほど、争いは表面化することがなくなり、だからこそ激化する。それがヤクザともなればなおさらだ。特に東和会のトップに立つということは、傘下組織も含め、数万人ともいわれる兵隊の頂点に君臨することである。それに手が届く立場にいるなら目の色を変えないほうがおかしい。
「だが、関西の息がかかっているとなれば、話は別だ。違うか?」
 グレイの言葉に恭介は思わず眉をひそめた。
「東和会内部に、関西の息がかかっている人間がいると?」
「そういう噂がある、という程度の話だ。だが、決して的を外した意見でもないような気がする」
 これまでも東和会が関西の組織と大規模な抗争を行ったという話はない。また、関西系列の組織がいくつか東京方面に進出しているとはいえ、やはり東和会が一種の防波堤となって本格的な進出を食い止めているというのも実状である。その辺りは関東と関西で棲み分けが行われているのだ。
 現在は滅多なことで暴力団同士の戦争は起きないとされている。抗争を起こせば、それだけ余分な金を食い、さらに警察にも目をつけられる。不況から脱しつつあるとはいえ、どの組織も懐に余裕があるわけではない。余計なことをして痛い目に遭うことを避けているというわけである。だが、だからといって現状のままで納得しているような連中でもない。隙さえあれば、敵対する組織に取って代わろうと画策しているのが暴力団だ。
 それゆえにグレイの話もすべて納得できたわけではないが、理解することができた。もし本当に東和会内部に、関西の息がかかった人間がいるのだとすれば、今回の出来事は関西側が仕組んだ謀略であるという見方もできる。
「そこで、東和会の新宿事務局から提案があった」
「提案?」
「そうだ。今回の轟組の件を重松は重く見ている。重要な時期であるだけに、下手をすれば東和会が2つに割れる恐れがあるからな」
 その意見に恭介はうなずいた。かつて日本全土を震撼させた暴力団抗争至上、最悪とまで言われる山一抗争を思い出したからだ。1981年、それまで山口組を率いてきた3代目組長、田岡一雄の死亡により、組内は2つの勢力に割れ、実に4年半にも亘って血で血を洗う抗争を繰り広げた。竹中正久4代目率いる山口組と、そこから分裂した山本広らによる一和会による抗争である。
「重松は共同作戦を申し入れてきた」
「共同作戦?」
「そうだ。新宿事務局の人間と協力し、轟組の中で生き残っている人間を監視する。組長を含めて残り5人。そう難しいことではないだろう」
「それはそうだが、警察の目は?」
「東和会本家の人間は、本庁4課にマークされているため、動かせない。そこで新宿事務局の人間と、八十八組の人間を使うこととなっているようだ」
「なるほど」
「どうする?」
「特に断る理由は思いつかないな。俺の仕事は、この殺人を食い止め、犯人を探し出すことだからな」
「では、決まりだな」
 そう言うとグレイは懐から携帯電話を取り出し、どこかへ連絡した。その様子を眺めつつ、妙な成り行きになった、と恭介はミネラルウォーターを口にしながら思った。

「しかし、なにも起きませんね」
 BMWの助手席に座り、ポットからコーヒーを紙コップへ注いで運転席の恭介へ手渡しながらジェームズがぼやいた。2人は車内からマンションの入口を監視していた。三島という轟組の組員が住んでいる建物である。マンションの周囲には、ジェームズと恭介の他にも、東和会新宿事務局と八十八組の人間が配置されている。
「このまま、何事もなく終わってくれるなら、それに越したことはない」
 そう答え、恭介はコーヒーをすすった。
「美味いコーヒーだな」
「そうでしょう。私が淹れてきましたから」
「おまえが?」
「ええ。淹れたてよりも味は落ちますが、不味い缶コーヒーを飲むよりはマシでしょう?」
 ジェームズは自分の分も注いでコーヒーを口に運んだ。すでに2人が三島の身辺に張り付いてから2日間が経過していた。今のところ、三島の周辺に不審な人物が現れた形跡は確認されていない。それは他の轟組組員に関しても同様で、この2日は表面上、平穏な日々が流れているといった印象でしかない。
 気分は、さながら内偵を進める刑事といったところだ。しかし、恭介もジェームズも三島の監視を常に行っているわけではなく、三島が事務所などの安全な場所にいる際には、轟組や黒岩、そして山本朱里などに関する情報を調べるように心がけていた。少しでも犯人と目される黒岩の行動心理を読み取ろうと考えているのだ。その努力の甲斐あってか、2人はさらにいくつかの新たな情報をつかむことができた。
 まず黒岩と山本朱里の接点が判明した。それは予想されていたことであったが、朱里の家族に追い込みをかけたのは、服役になる直前の黒岩であった。追い込みの途中で黒岩は中国人を殺害して服役することとなり、最終的に山本家へ追い込みをかけたのは、すでに1件目の事件で死亡した轟組の組員であったが、黒岩と朱里の接点は、組員時代の黒岩が行っていた地上げによるものであった。
 そこから推察するに、黒岩は朱里に対して贖罪を行っていたのかもしれない、と恭介もジェームズも考えていた。自身の行為によって山本家が一家心中をしたことを獄中で知った黒岩は、入院費用を肩代わりすることで償いを朱里にしていたのだろう。
 そして情報部の調査で「新光企画」の大元が割れた。それは関西に本拠を構える広域指定暴力団、稲本組であった。つまり、稲本組がペーパーカンパニーの「新光企画」を介して黒岩に金を渡し、今回の事件を裏から操っているという可能性も充分に考えられた。稲本組の狙いは、轟組の暴走で警察が介入することか、組織内に裏切り者がいると組員たちに思わせ、内部崩壊か分裂を誘発させることにあると思われた。
「恭介」
 その時、マンションの地下駐車場から1台の車が現れたのを見て、ジェームズが声を上げた。それは紛れもなく三島の車であった。
「自分が狙われているかもしれないというのに、出かけるとはな」
 呆れたような口調で恭介が言い、三島の車が路肩に停車したBMWの横を通り抜けようとした。助手席に座っていたジェームズの目には、車を運転する人物の姿がはっきりと見えた。それは車の持ち主である三島ではなく、また轟組の組員でもなく、2人がまったく知らない男であった。
「恭介、黒岩です!」
 通り過ぎた車を振り返り、ジェームズが言い放った。次の瞬間、恭介はエンジンを始動させると、激しいスキール音を辺りに響かせながらスピンターンをし、逆方向に走り去ろうとする車を追いかけ始めた。
「こちらジェームズ。標的が現れました。現在、追跡中」
 ジェームズは携帯電話で別の場所を監視しているグレイに連絡した。
「どうします?」
「大通りに出られると厄介だな。この時間だと見失う可能性が高い」
「では、派手にいきますか?」
「やむをえまい」
 ため息混じりに吐き捨て、恭介は懐から拳銃を取り出した。破壊力の高いIMIデザートイーグル。イスラエル製のオートマチックで50口径の銃弾を使用する大型拳銃だ。運転席側の窓を下げた恭介は、左手ながら車のタイヤに照準を合わせると、引金を絞った。
 銃声が轟き、銃口から吐き出された数発の銃弾は、分厚いタイヤのゴムを撃ち抜いた。BMWの数十メートル先を走る車は、瞬く間にバランスを崩し、左右にふらついたかと思うと、電柱に激突して動きを止めた。それと同時に停止したBMWの助手席から拳銃を構えたジェームズが飛び出し、車へ近づいた。
 銃口を向けながら車内を覗き込んだジェームズは、後部座席に両手両足の腱を切られ、血まみれで横たわる三島の姿を発見した。しかし、その運転席に黒岩はいなかった。いつの間に脱出したのか、と訝しくジェームズが思っていると、不意に恭介の声が響いた。
「上だ!」
 とっさにジェームズは反応した。直後、銃声が反響し、それまでジェームズのいた場所に黒い物体が落ちてきた。それは大振りのコンバットナイフを構えた黒岩であった。右の太ももが裂け、出血しているのが見えた。今の銃声は恭介が発砲したものであった。
 しかし、黒岩は自分の傷を気にしている様子がない。痛みすら感じていないように見えた。その瞳に宿った異常な光から、ジェームズは黒岩がなんらかの薬物を摂取しているのではないか、と疑った。麻薬か覚醒剤、薬によって痛みを感じていないのだ。
「黒岩。観念しろ」
 デザートイーグルの銃口を向けながら恭介が低く言った。距離は数メートル。黒岩がどのような行動に出たとしても、絶対に外さない距離だ。それはジェームズにも同様のことが言える。黒岩が一方へ攻撃を仕掛ければ、もう1人が仕留められる。そんな間合いだ。
「なぜ、私の邪魔をする?」
 恭介とジェームズを交互に見やり、黒岩が口を開いた。
「今、あなたに動かれると困る人間が多いのですよ」
「こんなクズ、死んで当然の連中だ」
「そうかもしれませんが、我々も同じ穴のムジナでしょう? 山本朱里に代わって、復讐でも行っているつもりですか?」
 朱里の名前を耳にした瞬間、黒岩の表情にかすかな変化が生じた。
「そうだ。我々のような連中がいると、苦しむ人間が増える一方だ。ヤクザなど、いなくなったほうがいい」
 黒岩の口許に自嘲めいた笑みが浮かんだ。
「それはナンセンスではありませんか? あなたが、いくらヤクザを殺して回ったところで、ミス朱里が目覚めるわけではありませんよ」
「それでも、制裁は必要なのだ」
 薬物を摂取している、と考えていたジェームズは自分の考えが誤っていたことに、ふと気がついた。黒岩は薬物を使用しているわけではない。マインドコントロール、もしくは思想誘導によって精神が肉体を超越してしまっているかのように見えた。一種の強力な催眠状態である。だからこそ痛みも感じず、正常な判断もできていないのだと。
「投降しろ。そうすれば、命は助かる」
 近づいてくる車の音を聞き、恭介が言った。近づいてきているのは新宿事務局と八十八組の人間であると思われた。彼らは黒岩を警察に引き渡すつもりなど最初からない。組織に楯突いた敵対者として始末し、その首を上層部に差し出すことしか考えていない。
「命など問題ではない。それに、そこの男が言った。同じ穴のムジナなのだ。私も同罪だ」
 次の瞬間、黒岩はコンバットナイフを自身の首に突き立てた。深々と突き刺さったナイフは喉を貫通し、紅く濡れた先端が後頭部から覗いた。
 そのまま、目を見開いたまま黒岩は地面に崩れ落ちた。
 恭介の口から舌打ちが漏れた。黒岩が最期にこうした行動に出ることは予想できていた。もしかしたら、止めることができたかもしれない。しかし、そうしなかったのは、黒岩の行動や考えが非常にナンセンスなものであるとわかりながらも、その思いが少なからず理解できたからでもあった。
 キリスト教の教義に染まってはいたが、黒岩は自分だけの神を胸中に抱えている、そんな気がしていた。すべての罪を認め、許すのではなく、罪を憎み、裁くという考えだ。そして、その狂信的とすらいえる考えは、自身の過去の罪をも許さなかった。
「もしかしたら、黒岩は聖域に入りかけていたのかもしれませんね」
「聖域?」
 聞き慣れない言葉に恭介は疑問を発した。
「ええ。原理主義に偏ったテロリストが抱く妄信的な幻想です。自分の考えは正しく、その教えを広めることが世界の浄化につながる、といった考えですよ」
 端的に表すならば自爆テロという行為だろうか。妄信的、かつ狂信的な考えに囚われた人間は、時として暴力的な手段を用いてでも自身の考えを世界に広めようとする。そこには自分の考えが正しく、それ以外は歪められた思想であるという危険な考えすら内包し、そうした歪められた思想をすべて排除しようとする。
 そして、そうした人間はマインドコントロールの影響を受けやすい。1つの思想しか持ち合わせていない人間は、その思想を誘導されることで、簡単に自我をなくし、思想そのものが自分の意思であるという錯覚に陥る。そこには自分を利用しようとする何者かの悪意が介在するという可能性すら考えずに。
 恭介とジェームズの背後で数台の車が停車し、中から複数の男が降り立った。それぞれの手に拳銃を構えている。新宿事務局と八十八組の人間であった。
「行きましょうか」
「そうだな。俺たちの仕事は終わった」
 その場を他の人間に任せ、2人はBMWに乗り込んだ。

 黒岩の死亡記事は、どのメディアでも報道されることはなかった。東和会が極秘裏に処理を行ったことは明白であった。また事件の数日後、東和会の組長が死亡し、新しい組長に重松が就任したことを、恭介とジェームズは噂で知った。
 表面上、街には平穏な日々が戻ったかのようにも見えたが、今回の事件に関西の稲本組が関与していた可能性が出てきたことで、水面下では東和会と稲本組が緊張状態に突入した、とも噂されたが真相は定かではない。
 その後、山本朱里は入院していた山梨の病院から忽然と姿を消した。脳死であり、自身で動けるような状態でなかったため、何者かが彼女を連れ去った可能性は高いとされたが、その目的がどこにあるのかを知ることはできなかった。

 完


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 2512/真行寺恭介/男性/25歳/会社員
 5128/ジェームズ・ブラックマン/男性/666歳/交渉人&??

 NPC/グレイ・レオハースト/男性/32歳/始末屋

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■         ライター通信          ■
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 毎度、ご依頼いただき、誠にありがとうございます。
 今回も遅くなりまして申し訳ありません。
 最終的にこのような結果となりました。依頼のほうは一応、完遂ということになります。
 またの機会がございましたら、よろしくお願いいたします。