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<東京怪談ノベル(シングル)>


御山の奥にて、天狗と共に






【1】




「そろそろ、二時も回るかしらん……?」


 某日某所。
 ……或る駅前に店を構えているスナック、「瑞穂」の静かな店内で、呟く声がした。
 女性の―――流麗な、声である。
(……凄い雨ねぇ)
 物思いに沈んで店の外を叩く豪雨に耳を傾けている彼女は、桜塚・詩文。

 このスナックのママであり、

 北欧から来た魔術師であり、

 日本に住んで長い女性であった。

 少なくとも。虫の羽音――耳障りにしか感じない者も居る――に、雅を感じることが出来る彼女である。



「それにしても」
 ……目下の処。余りの豪雨に客足の途絶えた店内で、彼女は或る冊子を見つめていた。
 そこには―――まっさらな紙に雅な黒で描かれた、書道の作品が載っている。
「日本語って素敵よねぇ…滅ぶと美しいで滅美なんて造語?国にいた頃は想像できなかったわよん♪」
 彼女はじぃっとそれを見て、楽しそうに相好を崩していた。
 ―――詩文は、日本語を好ましく思っている。
(特に、ひらがなが好きかしら?……だって私の性格に、合ってるんだもの♪)

 ………彼女を知る者がその台詞を聞いたら、おそらく十人中十人が頷くのだろうが。

 とまれ、現在のところ日本語、その具現たる「書道」が―――彼女の興味を誘う対象であった。
 勿論、彼女も一通りの読み書きは余裕でこなせる。
だが。
「こう、書の心、みたいなものが……難しいのよねー」
 詩文が、そう呟いて両目を閉じる。
 書「道」と銘打たれているからには、剣道や華道などと同じように――或る程度、その中には一般から離れたものがあるのだろう。彼女にとってそれは未知を含んでおり、知りたいと思う対象でもあった。
(誰か、こういうものに詳しい人でも居ないかしらん?)
 故に、彼女は悩む。書道に詳しい知り合いは居ないか。いっそスクールにでも通うか―――
 そう思い悩んでいると、或る一人の人物が彼女の脳裏を過ぎったのである。
「あ……」
 おそらくそれは、自分よりは書道について知識のある適任なのだろう。
「………この前の天狗様!」
 ―――天狗の梢。
 この前の事件で知り合った、面白い性格の男である。
「ふむ……そうね。それじゃ、そうしましょうか♪」


 思い立ったが吉日、という言葉もある。
 詩文は自分の思いつきに満足を覚えつつ、早速彼とコンタクトを取ろうと算段を始めたのであった。






【2】


「……うむ、今日も長閑だ」
 豪雨が過ぎ去った、次の日。
 いつものように人の余り寄り付かない山の奥で、彼、梢は目を細めて景色を見ていた。
 …彼は子供が好きだが、別段毎日付き合っているというわけでもない。

 ―――静かなこの空間を独り占めできることは、素晴らしい特権だと信じていた。

「この頃は外出もして疲れたからな。最近の流行の着衣というのも……慣れぬわ」
 ゆったりとした和装で、天狗である彼は呟く。
 他には誰も居ない。人も、妖怪も。
 ………そも、古来より山とは別の異界であった。
 現代において殊更にそれを意識する者など、そうは居ないだろうが―――現状は、それでも平和である。
(どれ。今日はこのまま、寝てしまおうか…)
 そんなことを考え、座っていた巨石に身体を完全に預けてしまおうとした矢先―――

 がさりと、近くの茂みが音を立てた。

「誰だ?」
 彼は起き上がり半眼で問う。
 誰だ、と。
「出て来い。己を害する気で無ければ、己も害は成さぬわ」
 昼寝の邪魔をした礼はするかも知れんがな、と笑う。
「あ、あの……」
 けれど。
 茂みから出てきたのは、泣きそうな声でこちらを見てくるあどけない少女だった。
(む)
 見ない顔だ。麓の村の子供ではない……では敵か?
 梢はもう一度少女を見た。
「て、天狗の梢様……ですよね?あ、あのっ」
「むむむ」

 とても可愛かったので、敵ではないと判断することにした。

「怯えるな。そら、こちらへ来い……こんな山奥まで何の用だ?村の子供では無いようだが」
「え、ええ……実は、その」
 意を決して、こちらへ歩き来る少女。
 彼女が梢を見据えて、言った。
「お願いがあるの、天狗様………」




(どこから見ても完璧な美少女よーん♪うふふふふ)
 ―――――さて。
 この少女、実は梢も一度会ったことのある女性であるところの、詩文であった。
 ガンドと呼ばれる幽体離脱の法により、十歳の頃の自分のイメェジで梢の前に現れたのである。
 ……目の前の梢は、今のところ気付いていない。
 彼は見目麗しい少女であれば詮索はせず、洞察もせず、無条件で慈しむのである。
(正解だったみたいねん♪)

 まして、魔術に精通する詩文の術。梢が彼女の正体に気付くことは難しいだろう。
 あとは、彼に対して頼み事を引き受けてもらうだけである――――





「書道を習いたい、だと?」
「はい!」
 ―――――そうなんです、と頷くこちらへ。
 詩文の前の前に居る彼、梢は難しげに眉根を寄せた。
「また、変わった悩みを抱えて此処まで来るのだな……いや、まあ、確かに素人よりは詳しいのだろうが」
 わざわざ頼って来た者を無下には出来ない。
 下手の横好きと云うべきか。梢は、日本の文化に対してある程度の知識は持ち合わせていた。
「今度の、街の書道コンクールになんとしても入賞したいの…」
「ふむ?」
「そうでないと、私は一生、三時のおやつを抜きにされてしまうんです……うう」
「くっ、それは大変だ!」

 巴は、人の云うことを信じる男だった。

 勿論、悪人に対してはその限りではないが……現在、梢はおろおろと詩文を案じている。
「そういうことか……うむ、了解した。だが己の修行は厳しいぞ?」
「大丈夫です!瓦割りでも熊との格闘でも、やってみせます!」
 勢い良く頷いた詩文の台詞に、梢は満足げに頷いた。素晴らしい心意気だ。
「ふ、己とて六道より外れし外道の者。少女一人に書道を教えられずして何の天狗か!」
 ……待て。
 その論理はおかしいだろう、と。
 当然のように出る筈の突っ込みも、この場においてはなされない。
「六道って柔道、剣道、合気道、書道に華道にジークンドー!あちょー♪でしょう?」
「む」
 ……何故なら、突っ込まねばならぬ立場の詩文もまた、微妙に天然だったからである。
 理解のスピードは、常人を圧倒する。
 けれど彼女の思考が帰結する先は、常に多少の愉快であった。
(少女よ、それは空手の正拳突きだ……!)
 梢も、そう思いはするのだけれども…。
「ですよね、天狗様♪」
「うむ。そうそう、まさにそれだ」

 目を輝かせてこちらを見てくる詩文が可愛かったので、口には出さない。
 不幸なことに――――他に人の来ることは有り得ない、神聖な御山の奥である。
「よし、では始めるぞ!まずは厳しい修行を通して霊験あらたかな力を手に入れるとかそんな修行だ!」
「はい!健全なる精神と肉体を持ってこそ書道は極められるのですね、師匠!」
「ああ、概ねそんな感じだ!」
 ………そんな訳で。
 微妙に勘違いしたまま、けれど存外に良い相性で、二人は修行とやらを始めたのであった。





【3】


 こうして――――

「まずは滝に向かって蹴りを二百回!こうして鍛えた足腰は完璧な正座を可能にする!」
「はい、師匠!」



「次に、大岩を持ったまま停止すること三十分!これでどんなに重い筆であろうとも―――」
「羽のように扱えるということですね!」
「うむ!」


 二人の修行は、苛烈を極めた。


「違ぁぁぁぁう!川魚を素手で取るときはこうだ!手を素早く動かせ!書道は制限時間との戦いだぞ!」
「それは初耳です、師匠!」
「うむ。勿論、己もそんな書道は聞いたことが無い!」
「流石です!」



 瞠目するべきは、詩文の集中力と初志貫徹の意志。
 加えて、梢の課す修行に違和感を覚えない点だろう。



「次に降霊術――――もう面倒になったときは、これで書道の上手い霊でも降ろせば問題無い!」
「究極ですね!」


 …修行をしている本人たちは、大真面目で。



「最後に、夕日に向かって全力で駆けるのだ!意味は無いが!」
「分かりました、全力で行きます!意味は無いけど!」
「待て少女、その先は崖だ――――!!」


 ……いつしか、日は沈み、辺りが暗くなろうとしていた。




「ふっ、見事だ……ここまでの修行についてくるとはな!」
「頑張りました♪」
「うむ……というか、最近の若い者は凄い体力だな……」
 場所は再び、初めて二人が会った巨石の近く。
 想像を絶する地獄の修行を終えて、梢と詩文は再び向き合っていた。
(これで完璧ねん♪)
 己の内に湧き上がる力―――その辺の妖怪なら素手で倒せそうだ――を感じながら、詩文は思う。
「さて。少女よ、修行はどれくらい続けたいのだ?夜は?」
「夜も大丈夫!あ、それに、親の許可もあるので一週間くらいは帰らなくても大丈夫です」
「凄い放任主義だのう……」
 互いが互いの言葉を疑わない奇妙な雰囲気の中で、会話が続く。

 さて、と梢が仕切り直し、更に言葉を紡いだ。
「では、それなら問題ない。近くに己の構えた小屋がある……夕餉にしてから、書道をするぞ」
「え?夜も肉体を鍛える修行じゃないのかしら?」
「うむ……まあ、アレは気概を整える為のものでな。あそこまで完璧にこなすと思っていなかったので、ついつい苛烈な条件で長引いてしまったが……やはり実際に、紙と筆を持って手解きをせねば、な」
 むー、と、微妙に渋い顔で梢が答える。
「それに」
 ……そして。
 そ、と。梢の柔らかい手が、詩文の頭を撫でた。
「わざわざ己を頼ってきてくれた者が居るのだ。純粋なその思いを、どうして裏切れよう?」
「あ…」
「案ずるな。己は全力で、お前に書の道を教えるよ」

 少しだけ、先程までの梢と違う微笑み。
 それを見て、なんとなく詩文は理解した。
(ああ……成程、そういう人なのね?)
 彼は純粋に子供という存在を慈しみ、愛しているだけなのだ、と。
 自分の姿がたとえ少年のそれであったとしても、困った顔で頼られたなら―――この天狗は何事も断るまい。
「師匠って、なかなか素敵!」
「む?ふふふふふ、そうであろうそうであろう?もっと褒めてくれ!」
 とりあえず褒めてみると、梢は子供のように嬉しそうな笑みを見せた。
「まぁ、何につけ行おうとする対象に集中することが第一だ。紙に言葉を現せばそれは呪符であるし―――」
「ああ……成る程。ルーン魔術だって、想って紡ぐことは重要ですものね?」
「博識だな。そう、正直、お前は少女とは思えぬほどに集中という作業に慣れているのだが……む、まさか!?」
(あら)
 思わず打った相槌に、詩文がしまった、と思う。

 ルーン魔術。
 集中に慣れすぎている少女。
 ……ならば北欧。そこに、ガンドという術は無かったか―――?
(しまった、かしら?)
 頭の回転の速い者は、少ない材料でそこにまで至ってしまうかもしれない!


「そうか、お前はその歳で魔術師だな!?成程成程、それで書道に興味を持ったと」
「え……ええ!そうなんですっ」

 微妙に、至らなかった。

「うむ、ならば教え甲斐もある!では少女よ、こちらだ―――」
「あ、天狗様、待ってぇ―――」

 ともあれ。
 そんな風に、即席師弟の稽古の一日が、過ぎて行ったのであった。





【4】

「天狗様!梢師匠ー!」

 数週間後。
 良い天狗が住むと噂されている山の奥に、再び可愛らしい少女の声が響き渡った。
「おや、久し振りだな。どうであったか、その、品評会は?」
 その声に出てきた梢が、眉根を寄せながら訊く。
 ……おそらく。彼女が持っている和紙は、それに関する品であるだろうと思ったからだ。
「えへへへへへ」
 はにかむように、今日も少女の姿をした詩文が笑う。
「これ。見て見て、天狗様!」


 ―――広げた和紙。元気に「てんぐ」と書かれたその作品には。
「銀賞」の朱印が、押されていた。


「おお」
「初参加でこれだけ貰えるって、凄いでしょう?」
「ああ!」
 本当に嬉しそうに、詩文は己の師に微笑みかける。
 それは、本当に幸いなことで。梢も、嬉しそうに頷きを返した。
「良く頑張ったな」
「ええ。それで、それでね……」
 彼女は和紙を、そのまま梢の方へ。
 ―――学校で賞状を生徒へ預ける教師のように、そのまま、す、と差し出した。
「感謝の意を込めて、この作品を……貰ってくれますか?」
「己に?」
「はいっ!」
 おかしな礼だ、とは自分でも少しだけ思ったが。
 ……やはり彼女は、梢にそれを受け取って欲しかった。
「ふむ」
 こちらの反応を待つ少女。それを一瞥して、梢はその和紙を受け取る。
 そして、先程の詩文の笑みと同じく。
「では、ありがたく頂いておこう。大事にさせてもらうぞ、少女よ」

 梢は。
 本当に嬉しそうに、笑った。

「喜んで貰えて嬉しいです!」
「うむ。では今日は祝宴だな。まずは魚でも獲って一品目と―――」
「素手で掴むんですね、師匠っ」
「ああ、そうだな。素手で取ろうか――」



 ―――人の入らない御山の奥で、そんな会話が楽しげに響き渡る。

 こうして、詩文は悪くない思いで、天狗との書道の修行を終えたのであった。

                                  <END>



<ライター通信>
 ご指名どうもありがとうございました、緋翊です。
 「天狗の悩み」を機にNPC登録させた梢ですが、今回詩文さんにシチュエーションノベルで指名して頂けて、驚くと共に大変光栄でした。梢も基本的にズレた男なので、今回の詩文さんとの会話はどうなるのだろう、と色々想像しつつ、楽しく書かせて頂きました。

 字数の関係で全てを詳しく描写できなかったのは残念ですが、本ノベルにおいては詩文さんの梢への口調など、細かい部分については私なりに組み立てさせて頂きました。また、梢が詩文さんの正体に最後まで気付かずに話が進んだり(的外れな推理までしておりますが)、肝心の「地獄の特訓」については悩んだ挙句あのような荒行としてお話を纏めさせて頂きましたが(苦笑)………如何でしたでしょうか?


 それでは、物語を気に入って頂けることを切に願いつつ。
 また縁がありましたら、宜しくお願い致します。
                              緋翊