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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


立ち止まったまま



「あった、あった」
 教科書の間に挟んでおいた折り紙を無事見つけて、あたしは安心した。
 今日は授業が早く終わる水曜日。さっきホームルームが終わったところで、廊下ではみんなの声が聞こえる。
(元気だなあ、みんな……)
 少し騒がしく思えるのは、あたしの気持ちが沈んでいるからだろうか――。
 中高一貫校になる。そのことを知って以来、あたしの心には暗い霧が立ちこめていた。
(あれから何日も経ったのに)
 今まで抱えていた将来への漠然とした不安――それがどんどん具体的なものになって、あたしの目の前でユラユラと揺れているような気分が抜けなかったのだ。
「みなもは帰らないの?」
「あ、うん……」
 ドア付近で待っている友達に向けて、あたしは折り紙を見せた。
「ごめんね。これから文化祭の用意をしなきゃいけないから……」
「飾りつけ? もう明日だもんね。みなものクラブは何をやるの?」
「え、ええと、ディナーショウ……みたいなものかな」
 あたしは数秒悩んでから、ちょっと申し訳なさそうに笑って答えた。
(どう説明すればいいか、わからないんだもん)

 あたしの所属する水泳部と演劇部の合同で行うお店は、水泳部の先輩曰く“今までにない個性溢れる喫茶店”だそうだ。演劇部の先輩の言葉を借りるとするなら「みんなの度肝を抜くショウ!」。
(確かに、その通りだけど……)
 方向が少しおかしい。
 メニューも、演劇部演ずるショウの内容も、変わったところはないけれど、このお店、なんとウエイトレス全員が「怪物」のメイクをすることになっているのだ。
 ――怪物!
 てっきり可愛い制服を着て接客をするのだと思っていたから、部長からそう聞かされたときに凄く驚いた。
(お客さん、来るのかなあ……)
 あたしは頭の中で、怪物に扮した自分と先輩たちの姿と、水を打ったように静まり返った店内を想像して青くなった。でも、部長は胸を張って言うのだ。
「たくさんのお店が出るんだから、マイノリティーを追求してこそ人気が出る!」
 ……ううん、そういうものなのかなあ。
 お客さんが行列を作ってお店に押しかけてきたところを想像してみる。笑顔のお客さんと、対照的にちょっと怖いくらいの形相をした怪物たち――。
(な、何だかそれも変な感じ……)
 それに怪物によっては重労働になりそうだ。
(出来れば顔は出しているものの方がいいなあ。呼吸が大変だもん)
 淡い希望を抱きつつ、役を決めるためクジを引いた。クジにはドラゴンとか河童とか、中にはスライムなんてものまであるらしいけど――。
 不安で胸をドキドキさせながら目を開けてみると、紙には「件(くだん)」と書かれてある。
「くだん……」
 怪物の名前としては聞き覚えがなかったので首を傾げた。
(どんな姿をしているんだろう)
 あんまり動き辛いものだと大変だろうし……。丁度近くにいた先輩に紙を見せて訊くことにした。
「件はね、頭は人間、身体は牛の姿をしているのよ」
「そうなんですか。初めて聞きました……」
 それなら、スライムよりはずっと良い怪物に当たったんじゃないかな?
「じゃあ知らないでしょう? 件は予言をする怪物なのよ」
「予言……ですか? 占い師みたいな……」
「ううん。絶対当たる予言なの。凶作だったり流行病だったりね」
「凶作……」
 人間にとって聞きたくないことだ。先輩は護符にもなる怪物だと言うけれど、あたしが件だったら、自分の居場所に困る気がする。
(自分が凶を呼んでいる気がして……)
「寂しい怪物なんですね……」
「そうでもないわよ。すぐ死んじゃうから」
 何でもないことのように先輩は言った。
「みなもちゃん、細かいことは気にしなくていいのよ。文化祭なんだもの」
「はい……」
「機材だって衣装だって、選択授業のお世話をしてくれている企業とかが出してくれるから、派手にやれるのよ。メイクなんて、専門学校の人たちがやってくれることになっているの。こんなことって滅多にないわ。楽しまなきゃ損よ」
 ――先輩は、あたしを励まそうとしてくれている。
(わかってる。先輩は優しいんだって)
 だけど、その言葉があたしを落ち込ませるのだ。選択授業。企業。学校が中高一貫制になるからこその現実だ。
(嫌、今は考えたくない)
 文化祭に向けての準備――それだけを考えて過ごしていたい。
 先輩の思いとは裏腹に、気持ちの沈みきったあたしには、文化祭を楽しもうとする余裕はなかったのだ。
 先輩たちのように機材を上手く使いこなしたり、より良いイベントにするよう案を出すことも出来ない。
 同級生たちのように、楽しそうに質問したり、はしゃぐことも出来ない。
(ごめんなさい、先輩……せっかく励ましてくれたのに)
 居場所がないところを考えれば、あたしは件と似た存在なのかもしれない。自虐的だと理解してはいるものの、ふとした瞬間に自分を追い詰めることもあった。
 ――前日の夜には件になる夢を見た。予言能力を思えば人の前に出ることが叶わず、山奥で空を眺めていた。顔は人間だったから牛たちと友達になることも憚られて、気付いたら死んでいた。暗闇の中でパジャマが汗でヌルついているのが肌で感じられて、起きてからも悪い夢を見ているようだった。

 ――文化祭当日。
 室内プールは見事な喫茶店に化けていた。広さもあるから、特設舞台を作っても充分なスペースがあるのだ。声もよく響く。
「みーなーもーちゃん」
 聞き覚えのある声だと思ったら、バイトでお世話になっている専門学校の生徒さんだ。
(ううん、今は選択授業でも面倒をみて頂いているんだよね)
 まだ慣れない制度が頭を掠めて行く。とにかく、あたしはお辞儀をした。生徒さんに嫌な思いをして欲しくないのに、表情は曇ったままだった。
 生徒さんは表立って何か言うことはなかったけど、メイクを始める前に二度あたしの肩を軽く叩いてくれた。
 ――ポン、ポン。
 制服を通して伝わってくる掌のぬくもりが心地いい。何だか、こわばっていた身体の力が抜けて、倒れていきそうだった。
「……今日は、頑張ります」
「その調子よ、みなもちゃん」
 肩の力は抜いて。でも、心にはグッと気合いを入れて。
 元気になれた訳じゃなかったけれど、文化祭は成功させたかったから。

 冷静になったら、喫茶店の中の様子が大分見えてきた。
 一番変に映っていたのは演劇部の部長。メイクを終えたあたしたちを見て、これで良いか最終決定を下す立場なんだけど――。
「鱗と隙間から見える透き通った肌が萌える! OK!」
「萌えない! リアルさが足りない! もう少し猫背になってみて……そうそう、その方が怪物っぽいでしょ? 萌える! OK!」
 基準がすこーし個人的過ぎる気がするのは、あたしだけなのだろうか。
 ちなみに怪物のメイクをするのは、殆どがあたしたちのような女子生徒。男子は部長が「可愛い」と認めた人だけメイクすることになっている。他は裏方。演劇部はミュージカルのショウをするから、裏方の人って凄く重要なのだ。
(それにしても……可愛い男の子、か)
 やっぱり部長って不思議な人。
「海原さん、チェックするからこっちにきてー」
「はいっ」
(萌え、怪物、萌え、怪物……んん……奥が深いなあ)
 やり直しを命じられたらどうしようかと思ったけど、杞憂だったみたいで無事通った。あたしは憂いを帯びた表情と牛の姿との対比が良いらしい。
(複雑な気分……)
 スライムの役に当たった子は大変そうで、這い蹲った状態でいなければならない。ウエイトレスというより、オブジェみたいだ。
(注文を取るので一杯一杯だよね……)
 間違ってもグラスを運ぶのは無理だろう。見ているだけで腰や腕が痛くなりそうだ。
 ドラゴンも大変そう。
(知らず知らずのうちに、尻尾がテーブルに当たったりしそうだもん)
 あたしは件で良かったのかもしれない――と思っていると、同じ演劇部の子があたしの尻尾を指に巻いて遊んでいたりして。蝶々結びが出来ないのが残念、なんて言っている。
「牛の尻尾が蝶々結びだったら、可愛いのにね」
 今日になってから、初めて笑った。

 部長の読み通り、好奇心旺盛なお客さんたちが店内に入ってくる。
 お客さんの声と、ショウの音と、怪物たちのメイクの匂い。
(あたしは今件の姿をしている――)
 昨日みた夢での寂しさを思い出した。
 でも不思議なことに、さっきの笑顔のことも脳裏に浮かぶのだ。自然と笑っていたときの筋肉の動き――口元にまだ笑みが残っている気がした。
(どうしてなんだろう)
 どういう訳だか、前よりも、もっともっと寂しくなってくる。疎外感じゃなくて、胸が締め付けられるような――ぬくもりと孤独の間を行き来しているような感情だ。
「クリームソーダ、ひとつ」
 注文を取ってから、遠くにある窓に目をやった。夢でみた空よりずっと薄い青色をしている。
(あのときの空と違う)
 あたしの――件の瞼にはうっすらと涙が滲んでくるのだった。



終。