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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


nocturnal assault



 夜道をただぶらりと歩いていただけで、いきなり何者かに襲われたのだと依頼者は語った。
 その姿は夜陰に紛れて見えず、声が静かな空気を震わせて告げた。

 何の恨みもありはしない。
 むしろ、好意さえ抱いているのだと。

 なのに、襲撃者が手にした武器は殺意に似た感情をみなぎらせて、依頼者の頬をかすめた。
 その場は何とかしのいだものの、尋常ならざる気配に身の危険を感じて、依頼者はその足で草間興信所までやって来て扉を叩いたのだという。

 依頼者が襲われた理由も、襲撃者の正体も目的も不明。
 狙われたのは身柄か、命か、それとも他の何かなのか。何もかもが判然としないまま。
 それでも草間武彦がその依頼を受けたのは、別に依頼者の様子が切羽詰っていたとか、襲撃者の背景に興味があったとか、そういう理由ではない。
 そう、単に懐具合が寒かったのだ。



 襲撃者はスニーカーを履いていたと、シュライン・エマは草間武彦に告げた。
 仕事の帰り道、シュラインの頬をかすめた物騒な斬撃は、左から右へと流れた。そこから犯人は右利きであると推定できる。
 左頬の一寸先を薙いだ凶器はおそらく刀身の長い刃物。斜めに一閃したその位置から推測するに、相手は長身。その割に足音は軽かったから、かなりの細身だろう。
 性別は男。声音から察するに若い。
 シュラインに携帯電話を握らせる余裕も与えずに追いかけてくるあたり、足はそれなりに速いと言える。
 追撃は、彼女が草間興信所の近くに辿り着くなりぴたりと止んだ。
 今しがた自分の身に降りかかった災難を、ごく淡々と分析し、報告するシュラインの言に、草間は感心とも呆れともつかない溜息を落とす。
「そこまで冷静に状況を把握してるなら、俺の出番はないんじゃないか?」
「あら、冷たいのね武彦さん。少しは心配してくれてもいいんじゃないの?」
 そう言うシュラインの目も、草間の目も笑っている。夜陰に乗じた襲撃のあとに似合わぬ、平穏な空気。
 それがふと、真顔になる。
「それに、犯人の目的が私とは限らないわよ。むしろ武彦さんが狙われている確率の方が高いんじゃないかしら」
 怪訝そうな表情を浮かべる草間に、シュラインは犯人が放った言葉を伝えた。

 ──あんたには何の恨みもない。それにいい女だしな。傷をつけるのはちょっとばかり勿体ないが……。

 そう言って、男は行軍の為に邪魔な草を払うかのような当然さで、女性の顔に斬りつけようとしたのだ。
「それは確かに、俺が目的ととれなくもないな……」
 でしょう、と言って、シュラインは艶然と笑う。
「一応、私が襲撃を受けた場所で、過去に似通った被害が出ていないかを調べてみるわね。それで何も出てこなかったら……」
 みなまで言わずとも、草間は肩を竦めて頷いた。くわえ煙草の灰が落ちそうになるのを慌てて灰皿へと押しやる。
「引き受けよう」
 簡潔にそう告げるのに頷き返して、シュラインは自分のパソコンに向かった。
 予想していた通り、該当区域での同様の被害報告は一件もなかった。


 生憎の曇天で月も星も見えない。
 それでもどこか少し浮き立つような気分で、シュラインはヒールの踵を鳴らして歩く。そのすぐあとを、気怠げな足取りで草間がついてくる。
「忙しいところを駆り出しておいて言うのもなんだけど、武彦さん、やる気あるの?」
「なかったらここにいないさ」
 それは確かにそうなのだけど。
「スタッフからの依頼だと張り合いがない? 依頼料ならそれなりにお支払いするつもりでいるんだけど」
「身内から金が取れるか」
 そうでなくてもまともに給料も払えてないのに、と言外に語っているようだった。憮然とした物言いに、思わず笑ってしまいそうになる。
 シュラインはくるりと彼を振り返った。
「一食、ご馳走するわよ」
 シュラインが食事をご馳走すると言えば、それは彼女自身の手作り料理のことである。
 万年貧乏の草間のことだ。ここ数週間の忙しさもあって、どうせろくなものを食べてはいまい。それが報酬なら、彼もきっと喜んでくれるだろう。
 案の定、草間は軽く目を瞠って、淡く笑った。
「それは……悪くないな」
「だったら、しっかり護衛してちょうだいね」
 そう言って前に向き直ろうとした瞬間、シュラインは聞いた。先程の襲撃者の足音を。
 彼女が身構えるのに気づき、草間がそれを庇うように前に出た。
 灯りの途切れた細い路地の入り口。そこに男が立っていた。その手には日本刀が握られている。
 歳の頃は十代後半から二十代前半。金色に染めた髪と耳からぶら下がったピアスの数々を見る限り、健全な青少年とは言い難い。
 そもそも、危険な得物を手にしている時点で健全とは言えないけれど。
 だが、顔立ちは整っている。若い女の子達が色めき立つような風貌だ。
 男は二人の前に立ちはだかると、おもむろに口を開いた。
「その女を襲えば、きっとお前が出てくると思ってたぜ、草間武彦」
 草間はそれには答えず、シュラインにだけ聞こえるような小声で呟いた。
「おまえの推測、当たってたな」
 身長、体格、武器、利き手、そして真の標的。確かに全て当たっていたようだ。ちっとも嬉しくないことに。──特に最後が。
「用件を聞こうか」
 男が手にしている武器はおそらく真剣だ。それに物怖じすることなく、淡々と草間は問う。
 けれど。
「俺の女を返してもらおうか」
 男の口から飛び出した言葉に、草間は眉をひそめ、シュラインは思わず咎めるようにその袖を掴んでいた。
「……どういうことかしら? 武彦さん」
「何の話だか、さっぱり分からん」
 どうやらとぼけているのでも嘘をついているのでもなさそうだ。とりあえずは一旦その言葉を信用することにして、シュラインは男を見る。
「あんたの彼女と武彦さんと、何の関係が?」
「シラを切る気か。俺の女は、お前らの依頼人だ」
 そう言って男が口にした女性の名前に、草間は軽く考え込むような表情を浮かべている。彼が思い出すより早く、シュラインはその名前の主を思い出していた。
 二週間ほど前、「変な男につきまとわれて困っている」と相談に来た女子高生。
 それなりに名の通った女子校に通う、柔和な印象の少女だった。通学に使っている電車でおかしな中年男に目をつけられたらしく、心底困っている様子で。
 その事件は草間が犯人を捕まえて、二度とおかしな真似をしないと誓わせて片がついたはずだ。珍しく『普通の』依頼だったから、よく憶えている。
 シュラインが耳打ちすると、それでようやく草間はその少女のことを思いだしたようだった。おそらくは、目の前の不健全な少年と、あのおとなしやかな少女がうまくつながらなかったせいだろう。
「彼女とは、事件解決以来会ってないが?」
「とぼけんなよ。あいつは俺からお前に乗り換えるって言いやがったんだ。一週間前から携帯もつながらないし、家にも帰ってない。お前が隠したんだろ?」
 言って、男は真剣の切っ先を草間に突きつけた。
「俺は知らん。聞き間違いじゃないのか?」
 草間は全く動じない。
「草間興信所所長、草間武彦。……お前のことだろ?」
 どうやら人違いでも勘違いでもなく、この男は草間を標的としているらしい。しかも、草間には全く思い当たる節のないことで。
 男は臨戦態勢だが、辛抱強く話せば誤解は解けるのではないだろうか。そう思ってシュラインが口を開きかけたのを、草間が制した。
「俺には身に覚えがない。おまえのやってることは見当違いだ」
「武彦さん……」
 呼ぶシュラインを背中に庇ったまま、草間は冷然と言い放つ。
「事実関係をよく調べてから動くんだな、青二才。……つまらん言いがかりでうちのシュラインに襲い掛かっておいて、無事に帰れると思うな」
 静かに鋭い光を放つ双眸に気圧されたように、男が一歩を退く。
「シュライン、下がっていろ」
 そう言い置いて、草間は歩を進める。先程までの勢いはどこへやら、男はへどもどと武器を構え直すが、腰がすっかり引けてしまっていた。
 そこへ唐突に缶コーヒーが飛んできて、男の頭を直撃した。重い音を立てて真剣が落ち、男はふらふらとその場に倒れ込んだ。
「全く、馬鹿はどこまで行っても馬鹿ね」
 吐き捨てるような口調でそう言いながら近づいて来る人影。小柄で華奢な、その輪郭。
「その節はお世話になりました。草間さん、エマさん」
 草間もシュラインも、揃ってぽかんと口を開ける。
 缶コーヒーを投げつけたのは、男が探していた、あの可憐な少女だったのだ。
 少女は二人の見ている前で、倒れ伏した男を憎々しげに足蹴にした。
「私はあんたなんかにはとっくに愛想尽かしてるのに、いまだに彼氏気取りなの? あんたなんて、そこそこお金持ってて見栄えも悪くないから、ちょっと一緒にいてあげただけのことなのに。……私が困ってる時に、助けるどころか、真剣振り回して事を荒立てようとする男なんか要らないわよ。探偵さんの方がよっぽど役に立ったわ」
 そう言い放つ少女の姿と、興信所のソファに所在なさげに座って不安そうな表情を浮かべていた依頼人の姿が、どう頑張っても重ならない。それはもう恐ろしいくらいに。
 二人の視線に気がついたのか、少女は薄く笑った。
「ごめんなさい。この男があんまり鬱陶しかったもので、振る口実に草間さんの名前を使わせてもらいました」
 頭を下げられて、草間とシュラインは顔を見合わせる。
「感心できることじゃないな」
 しばしの沈黙のあと、草間は呆れたような口調で呟いた。そう言われると思った、というふうに、少女は首を竦める。
「反省してます。でも、草間さんならきっとうまく計らって下さるだろうって信じてました。……これも依頼だったということで、謝礼をお支払いします」
「結構だ。……子供のウロつく時間じゃない。さっさと帰るんだな」
 厳しい口調にも悪びれることなく、少女は素直に「はい」と返事をして背を翻して去っていった。──きっちりと男の背中を踏みつけて。
 取り出した煙草に火をつけ、草間は男に対し、憐れむような視線と溜息を落とした。
「どうやらこの件、片がついたようだな」
「ええ。勝手に、ね」
 飯を食いそこねた、と呟く草間に、シュラインは苦笑混じりに言う。
「嫌ね。ちゃんと守ってもらえたんだから、ご馳走するわよ」
「巻き込まれたのはおまえの方なのにか?」
「ええ。お疲れ気味の所長に、ちゃんと栄養を取ってもらいたいことだし、腕を振るうわ。……私の家の近所のスーパーがまだ開いてるから」
 その言葉に、草間は驚いたように目を丸くした。
「……今からか? こんな時間に?」
「ええ。何か問題でも? ひょっとして武彦さん、送り狼になったりするのかしら?」
 にっこり笑って、わざとそう問う。
 別にそれでも構わないけど、という小さな呟きが聞こえたのか聞こえなかったのか、草間の吐いた紫煙に、逡巡が透けて見えた。
 二人の間に落ちてきた、意味深な沈黙。それを破って、草間は答えた。
「……ありがたく、ご馳走になろう」
 ためらいながらも嬉しそうな返答に、シュラインはとびきりの笑顔を浮かべた。
 哀れな夜の襲撃者に、心の底から感謝しながら。


■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ (しゅらいん・えま) / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】