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Revolver
「お帰りなさい。おつかれさま」
事務所にもどると、待ちかまえていたようにエマが顔を出した。手にはタオルを持っている。用意がいい。俺が濡れて帰ることを見越している。それだけではない。俺がこの時刻にもどることも、腹をへらしていることも予測済みらしい。
「軽い食事を作っておいたけれど。食べる?」
見ると、事務室のテーブルにはホテルの朝食のように整えられたサンドイッチとコーヒー。作ったばかりのようで、コーヒーカップからは真っ白な湯気が立っている。いい香りがここまで届いてきた。
「胃にやさしいように、カフェオレにしておいたわ」
その内容とは裏腹に、エマの口調は事務的だった。彼女にとって俺の食事を作るのは事務ではないはずだが、客観的に見ればそうなるのかもしれない。まぁ、どうでもいいことだが。タオルで頭をふきながら、俺は事務室のソファに腰を下ろした。
「なにか浮かない顔ね。仕事がうまくいかなかったのかしら」
そう言って、エマは俺の前に座った。
「いや、そっちは無事に終わった」
答えながら、サンドイッチをひとつ手に取った。それと反対の手で、新聞に包まれた預かりものを抜き出した。デスクの上で、ゴトッと重い音が響いた。
「拳銃みたいに見えるわね」
たいして驚いた風でもなく、エマは言った。
「拳銃そのものだ」
答えて、俺は溜め息混じりにサンドイッチを口に運んだ。
コトの経緯を説明するのは簡単だった。エマも、この手のことには慣れている。おそらく、俺以上に。ひととおり説明を終えるのに、二分とかからなかった。
「とりあえず、背景を調べましょうか」
言いながら、エマは慣れた手つきで新聞紙を解いた。銃に対して、まったく物怖じしていない。この国では、一般市民が拳銃を手にすることなど滅多にあるものではないはずだが。彼女の場合、まるで日用品を扱うような手つきだ。あるいは、実際そのとおりなのかもしれない。俺は、エマの私生活についてまでは関知していない。
彼女はリヴォルヴァ銃の弾倉を確かめ、そっと鼻を近づけると、「最近使われた痕跡はないわね」と断言した。それは悪くない情報だ。使われた痕跡がある銃は、人を殺した可能性が高いということだ。呪いだの何だのは信じないが、寝覚めの悪くなるようなものは極力避けたい。──もっとも、すでに十分寝覚めは悪そうだが。
「武彦さん。これを預けたのは女性だったのよね?」
「あぁ、そうだが」
問われて、俺はうなずいた。
エマは、ぐしゃぐしゃになった新聞紙を伸ばして読んでいる。
「若い女性だった?」
「そうだな。すくなくとも、ばあさんではなかったよ」
「とすると、この事件の被害者かもしれないわねぇ」
エマは新聞紙を俺に向けた。
一年前の記事だった。暴力団の抗争で市民が一人巻き込まれたと伝えている。当時二十四才の女性。拳銃の流れ弾を浴びて病院に運ばれたが数時間後に死亡したと書かれている。
「それじゃ、彼女はこの銃で殺されたわけか? どうも不自然なように思うんだが。……いや、幽霊が存在することではなくてな。自分自身を殺した銃を、なぜ被害者が幽霊になってまで俺に預けようとするんだ?」
「そうね。すこしおかしいわね」
「被害者が銃を持っているというのも、かなり疑問だろ」
「よく調べる必要がありそうね」
「ああ。しかし、ひとつだけ問題がある」
「問題?」
「ねむいんだ」
徹夜明けなのだから、当然と言えば当然だ。幽霊のおかげですこしばかり目は覚めたが、徹夜後の眠気を吹き飛ばすほどではなかった。なにしろ、こちらも幽霊には慣れている。不本意なことに。
「それじゃ、仮眠をとっておいて。その間に調べておくから」
「よろしくたのむ」
カフェオレの最後の一口を啜って、俺はそのままソファに倒れた。あっというまに眠気が襲ってきた。眠りに落ちる寸前、毛布の暖かさを感じたような気がした。噴霧される聖水の香りも。
気がつくと、深夜だった。事務室には薄明るい照明が灯って、パソコンのディスプレイが煌々と光を発している。カチカチとマウスのクリック音が、やけに大きく聞こえた。
「おはよう。よく眠れた?」
すぐにエマが声をかけてきた。
「まぁ、とりあえず頭は動くようになったかな……」
あくびを噛み殺しながら、体を起こした。マルボロをくわえ、火をつける。一服すると、ニコチンが全身に行き渡るような感覚で目が覚めた。タバコの匂いに混じって、カフェインの香りがする。デスクの上に置かれたコーヒーカップから熱い湯気が立ち上っていた。
「目覚ましに一杯いれておいたわ」
こちらを見もせずに、エマは言った。
「ありがたいね」
カップに口をつけた。砂糖もミルクも入っていない。濃いブラックコーヒーだったが、はっきりとした甘みがあった。丁寧にいれたコーヒーでなければ、この味は出ない。無言のうちに改めて感謝しつつ、俺はソファを離れた。
「……で、何かわかったか?」
「残念ながら、あまり成果はないわね。いま、一年前の事件の前後関係をネットで調べているところだけれど……。私一人じゃ限界があるわ」
「俺も手伝おう」
「んん……。ちょっと遅かったみたいね」
エマが苦い表情を浮かべた。
カチッという音が聞こえた。壁掛け時計が零時をさしたのだ。その直後、来客を告げるチャイムが鳴った。思わず、エマと顔を見合わせた。十秒と置かず、二度目のチャイムが沈黙を裂いた。
「どちらさまですか?」
エマが低い声を出した。返事はなかった。三度目のチャイムが鳴った。エマが、もういちど問い返した。やはり、返事はなかった。四回、五回とチャイムが鳴り、それきり静かになった。
そのまま、しばらく沈黙がつづいた。しかし、依然としてドアの向こうに何かがいるのは明白だった。人ではない。それぐらいは俺にもわかる。厚い鉄板のドアを通しても伝わってくる冷気は、断じて人間の持つものではなかった。やがて、小さい声が沈黙を破った。
「銃を返してください」
女の声だった。銃を預けていった女とは違う声。しかし、それはたしかに若い女の声だった。二十四才を「若い」と言うならばの話だが。
エマを見ると、難しい顔をしていた。ドアを開けるべきか迷っている。そういう顔だった。鏡を見れば、俺も同じような表情を浮かべていたに違いない。
「銃を返してください」
扉の向こうで、女の声が繰り返した。切実な声だった。リヴォルヴァは俺の懐にある。しかし、渡すわけにはいかなかった。たとえ相手が幽霊であろうと、依頼は依頼だ。破棄することはできない。
「返してください。お願いします」
女の声は悲痛な色を帯びてきた。それでも、俺は扉を開けなかった。相手が生者でないことは、もはや明らかだった。エマは何度か首を横に振ったきり、来訪者に取り合おうとはしなかった。それが正しいことだったのか否か──。判別する術はなかった。
女の声は、空が白み始めるまで断続的につづいた。懇願する以外、何もなかった。いっそ、無理に押し入ってくるぐらいなら迷いなく対処できたのだが。何にせよ、預かったリヴォルヴァ銃は無事のままだった。そして、預けた女が現れることも二度となかった。
■ 参加PC
0086/シュライン・エマ / 26歳 / 女性 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
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