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<東京怪談ノベル(シングル)>


【堕ちるみなも――秘密の願望】

 ――あたしには、誰にも言えない望みがあるんです‥‥。

 雑踏から逃れるように、海原みなもはビルの狭間に覗く路地へと足を踏み入れた。
 陽光の遮られた薄暗い世界から突風が吹き込み、青い長髪とスカートが舞い踊る。
 刹那、一瞬にして騒音が掻き消えた。静寂だけが幼さの残る愛らしい風貌の少女を包み込む。
 僅かに円らな青い瞳が違和感を覚えるものの、それでも気にする事なく、真っ直ぐに瞳を向けたまま、ゆっくりと奥へ奥へと踏み込んだ。
 路地は罅割れたコンクリートで舗装されており、両手を左右に広げられる幅もあって、先を歩む事に不都合は無い。ただ、セーラー服という清楚な出で立ちで入り込むには、あまりにも危険な空間とも見えただろう。
 ‥‥尤も、少女がビルの狭間に踏み込む背中を、誰かが見ていたらの話である――――。

 みなもは歩きながら空を仰いだ。視界に映る青空は道に沿って長方形に区切られ、まるで自分は何処かに閉じ込められているような錯覚を感じた。あまりにも空は遠く、青い海を底から覗いているように曖昧だ。
「まるで、檻の中みたい」
 開いた口から紡ぎ出された言葉に、不安の色は無い。寧ろ、愛らしい風貌に愉悦さえ浮かべており、何かを期待するような響きを湛えていた。
 ――コツン★
 空を見上げたまま歩く少女の靴に、何かが当たった。
 みなもは驚いた風でもなく、ゆっくりと視線を落とす。刹那、青い瞳が見開かれた。
 視界に捉えたのは、大きな犬の毛皮だ。
 否、正確には違う。中の臓物や肉、骨などを取り除いた犬の抜け殻と例えるのが適切だろうか。
 頭部の額から背中に沿って一直線に切れ目が走っており、ビラリと外側に捲れていた。誰が見ても猟奇的な物体である。
 みなもは両手を口元に運び、恐怖に白い足を戦慄かせ――――たりしなかった。
 ジッと青い瞳はパックリと開いた赤い空間を見つめており、ゆっくりと唇が呟く。
「‥‥着ぐるみ?」
 少女は不思議なものを見つめるような表情をそのままに、愛らしく小首を傾げると、柔らかそうな青い長髪が背中で揺れた。
 ――沈黙がみなもを包み込む。
 まるで蛇に睨まれた小動物にように、少女はその場を離れられず、赤い空間を見つめている。
 コクンと愛らしく喉が鳴った。
 薄く開いた蕾のような唇から、静かな息遣いが洩れ聞え、つぅーと紅潮気味の頬を汗が伝う。
「‥‥着たら、どんな感じなんだろう?」
 唇が薄く笑みを模った。
 何となく分かる。これが着ぐるみだとしても、普通ではない。こんなものに肢体を包み込もうなんて考えている自分が、どうかしている。
 だが、気付いていても、瞳を逸らして首を横に振れなかった。
「‥‥うで。腕だけ通す位なら‥‥いいよね?」
 みなもはセーラー服の腕を捲りながら、乾いたコンクリートに膝を着く。犬の抜け殻を両手で掴み、赤く染まった中を覗き込んだ。前足の付け根を外から確認し、改めて再び覗くと二つの穴が見えた。
 ――これだわ‥‥。
 少女はゆっくりと右腕を滑り込ませてゆく。柔らかく絡み付くような感触が腕を伝い、ピクンと身体を跳ね上げた。更に、前足に沿って腕を入れてゆくと圧迫感が強襲し、堪らず声を洩らす。
「生暖かい‥‥何か、気持ち‥んッ」
 みなもは四つん這い状態で、両手を犬の抜け殻に突っ込んだまま、荒い息を弾ませた。
 青い瞳は濡れ、愉悦の篭った微笑みを浮かべている。
 暫らくそのままの状態を維持した後、名残惜しそうに少し腕を引いた。圧迫感が僅かに緩み、ねっとりとした感触を皮膚から脳に伝えながら、白い腕を開放してゆく。少女は、ざわざわと背中を走る快感に熱い声を響かせ、長髪を乱れさせた。
「ハァ、ハァ‥‥まるで生きているみたい‥‥」
 みなもはペタンと座り込んだまま空を仰ぎ、息が整うのを待つ。足が震えて立ち上がれないのだ。
 何とか落ち着くと、つい視線を『あれ』に落としてしまう。
「ダメっ! 腕だけって決めたじゃないっ!」
 少女は小刻みに震える細い肩を交差させた両手で抱き、瞳を瞑りながら首を横に振って誘惑と戦った。必死の抵抗を表わすように、青い長髪が勢い良く左右に舞い揺れる。
「分かっているわ‥‥ここで耐えなきゃ‥‥負けちゃダメだもん!」
 涙を浮かべた青い瞳をゆっくりと開く。痛みすら伴う程に両肩を掴んでいた指が緩んだ。
 ――でも、全て忘れられそう‥‥。
「そうよ! 足っ‥‥足を入れたら帰ろう! ハァ、ハァ、足なら‥‥」
 ――まだ、引き戻せるわ。
 みなもは荒い息を弾ませながら、乱暴に靴を脱ぐと、細い足を包むソックスを払い除けた。
 スカートの裾を口に咥え、まるでズボンを履くように犬の抜け殻にしなやかな両足を包み込んでゆく。
「‥‥んあッ」
 ぎゅッと中で肉が締まり、堪らず仰け反ると、口に咥えていた布地の裾がパサリと落ちた。瞳は蕩け、焦点の定まらない眼差しは歓喜に濡れた空を見つめる。
「はぁ〜☆ うでよりもいい‥‥あんっ」
 犬の抜け殻に包まれた両足が悦びに戦慄いた刹那、ストンと腰が抜けた様に座り込んだ。遅れて重力を伴った青い髪が宙を泳いで背中を包む。少女は空を仰いだまま、嗚咽を洩らす。
「‥‥だめ‥‥もう逆らえない‥‥」
 再び犬の抜け殻を脱ぐと、次の行動は早かった。
 躊躇う事なくスカーフを解き、セーラー服を脱ぎ捨てるとスカートを足元に落とした。
 次第に外気が露となる素肌を撫でる中、乾いた音をビルの壁に打ち付け、身に着けていた衣服が乱暴に散らばってゆく。まるで慌てて風呂に入る仕度をするかのように、瞬く間に少女は生まれたままとなり佇んだ。荒い息を弾ませる中、視線は『あれ』を見つめる。
 コクンと喉を鳴らし、胸の鼓動が高鳴った。静寂がみなもの心を掻き回す。
 ――まだ‥‥今なら退き返せる。
 まるでバカみたいじゃない? あたし変だよ‥‥。こんな所で裸になって‥‥何をしようとしているの? おかしいよ‥‥あたし、普通じゃないよ‥‥。でも‥‥。
 ――全身を包んだら、どんな気持ちなんだろう?
「さむい‥‥」
 突風が吹き込み、少女は肩を抱いて細い肢体を丸めた。しゃがみ込んだ刹那、『あれ』が目の前に映り、瞳を奪われる。パックリと開いて捲れた赤い空間が、とても魅力的に見えた。小刻みに身体を震わせる中、次第に嗚咽が漏れ出すと、俯いた顔をあげて涙の雫を舞い散らして叫んだ。
「誰か! 誰かあたしを止めて! 今のあたしを見て! 恥かしくて逃げ出したくなるように‥‥あたしを、笑って、よ‥‥」
 悲痛な声はビルの狭間へ響き渡った。しかし、まるで誰もいないかのように直ぐに静寂が戻る。
 みなもは子供のように泣きじゃくった。それでも涙に濡れた青い瞳が『あれ』を見つめると、唇が微笑みを模ってゆく。
 ――もう、どうなっても、いい。
 少女は嗚咽を洩らしながら、犬の抜け殻に四つん這いになると、両腕と両足を滑り込ませた。包み込む柔らかい肉の感触に責められ、甘味な吐息を洩らす。みなもは涙を流しながら、笑った。
「やっぱりいい‥‥ハァハァ、このまま肌を密着させて‥‥顔も埋めたら‥‥はぁンっ」
 打ち寄せる快感と期待に、少女は肢体を跳ね上げて、打ち震えた。
 既に理性のタガは解かれ、愉悦に歪んだ顔を犬の頭部に近付け、埋めてゆく。
 全身を犬の抜け殻に委ね、柔らかく包み込む感触に肢体を歓喜させた――――その時だ。
 次第に滑り込ませた切れ目が修復されてゆき、文字通り少女の肢体を包み込む。
(はッ、はふぅッ、息が‥苦しい‥‥!?)
 空気が得られない感覚が襲い、みなもは慌てて犬の抜け殻を脱ごうと試みる。しかし、絡め取られた肉体は振り解けなかった。暗闇の中で少女は恐怖を覚えて足掻く。刹那、口、鼻、耳――穴と呼ばれるあらゆる箇所にヌルリとした異物が侵入して来た。更に全身をマッサージ機のように揉み解してゆく感覚が強襲し、苦悶と快楽の中で身悶える。幾度となく打ち寄せる波に、意識が朦朧としてゆく。
(うそ? 躰の中に熱いものが注ぎ込まれて‥‥苦しい‥‥身体が蕩けるみたいに‥‥んんッ!)
 みなもは確信した。自分の身体が揉み解されると同時に躰の中と外から溶かされている事を――――。
 否、正確に例えるなら融合と呼ぶべきだろうか。
 少女の肢体は水飴のように原形を失い、もはや人の身体と呼べない状態だ。
 指先とつま先が同時に感覚を失ってゆき、四肢が消える感覚が伝う。みなもは恐怖に瞳を見開く。
(やだッ! あたし、溶けている? 腕が‥‥足が‥‥あたし‥‥無くなっていくッ!)
 遂に手足の感覚が消えた。今のみなもはダルマ状態で、暖かく柔らかい肉にうつ伏せに転がされ、包み込まれているようなものだ。抵抗の足掻きを脳に伝えても、どうにもならない。
(やだッ! 待って! やっぱり怖いっ! もう溶かさないでっ!)
 恐怖が濁流の如く流れて来る。泣きたくとも感覚は伝わらない。埋めた顔も躰も熱い快楽だけを伝え、自分がどうなってゆくのか分からないだけに、気が狂ってしまう程の恐怖に占領された。
(分かっていたの! これに身を包んだら大変な事になるって! お願いっ、もうやめて!)
 全てを塞がれた少女は声なく叫ぶ。しかし、状況は悪化するばかりだ。
 抵抗する術が完全に消失すると、諦めにも似た想いが鎌首を上げ出した。不思議と動揺は掻き消え、冷静になると快楽に委ねた。恐怖が消失すると意識が再び朦朧として来る。
(このまま、とかされてあたしはなくなっちゃうのかな? でもきもちいいから‥‥っ!?)
 次第に四肢の感覚が甦った。どこか違和感はあるものの、手足の存在を確信する。次に身体が形成されてゆくような気がした。その感覚を例えるなら、レンジに入れて膨れ上がってゆく蒸しパンに似ているだろうか。
 しかし、形成される違和感が何かに思い当たった時、少女は戦慄を覚えた。
 ――手足が短い。ううん、関節の箇所が変。まるで‥‥。
 四本の足で立つような比例した手足の感覚‥‥それにお尻に繋がったような異物(尻尾)の感覚――――。
 みなもは確信した。
(そっか‥‥あたし、犬に変わっちゃうんだ‥‥着ぐるみに合わせて溶かされて‥‥作り直されたんだ‥‥)
 ――なんだ‥‥そっか。
 少女は闇の中で微笑んだ。もうすぐ視界も取り戻す筈。きっとその目線は低いものだろう。
 ――犬になったら‥‥全て忘れられるのかな?
 ――犬になったら、広い公園を思いっきり走り回ろう。
 そして暖かい陽射しを浴びながら原っぱでお昼寝して‥‥。
 犬になったら――――。


<ライター通信>
 この度は発注ありがとうございました☆
 お久し振りです♪ 切磋巧実です。
 みなもさんはタイミングが良いですよね。何とか執筆時間が取れたのでノミネート受けさせて頂きました。
 さて、いかがでしたでしょうか? 「物語」ではなく「場面」や「過程」を読み込めるとの希望に沿えていれば幸いです。何て言いましょうか、短編のOVA(オリジナルビデオアニメ)っぽい雰囲気ですか(笑)、物語は無視して唐突に夢の中から始まっています。ゆったりとしたピアノの旋律がバックに流れていると想像しながら読んで頂けると幸いです。あ、世にも奇妙な〜な雰囲気かな。
 動物はお任せとの事で悩みましたが、着ぐるみとしての大きさと従順なペットの代表として、犬とさせて頂きました。なんか、猫になるっていうより、犬の方が下僕に成り下がると言いますか(苦笑)そんなイメージありませんか?
 今回の構成は『好奇心』『快楽』『誘惑との葛藤』『愉悦と堕落』『恐怖』『後悔』『完全なる堕落』となっています。既に鳥編(?)で殆ど描いているシチュエーションですが、今回の新たな演出は『誘惑との葛藤』でしょうか。楽しい事って止めるのが難しいと思いませんか? つい本を読んでいたら深夜。このまま読み進めれば空が白み始める。そろそろ止めようかなと思うけど、1ページ位なら良いかな? と読み進めて気が付くと朝だった。分かっていたのに止められない。次に諦めてしまう。もういいや、最後まで読んじゃえ。と堕ちてしまう訳ですね(笑)。
 そんな危うさをダークな雰囲気と織り交ぜて感じて頂けたら嬉しいです。
 楽しんで頂ければ幸いです。よかったら感想お聞かせ下さいね。
 ‥‥ってゴメンなさい。毎度感想頂けるのにお返事できなくて(汗)。
 それでは、また出会える事を祈って☆