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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


月下の怪盗、現る!



 ――飽きもせず、よくもまぁしゃべり続けられるもんだ。
 ろくに話も聞かず、そんなことを考えていたら、どうやら顔に出てしまっていたらしい。
 ハッと気がついた時にはもう、目の前の男がふるふると拳を震わせていた。
「草間探偵! 聞いているのか私の話を!」
「……いや、まぁ。申し訳ない、少しぼうっとしていたようだ」
 気まずさを隠すために胸元へ手をやっても、ポケットのシガーケースはすでに空。思わず上目遣いに彼を見るが、金持ちのくせにケチなこの男、どうやらタバコ1本すら恵んでくれそうにない。
 諦めて、口寂しさをため息に紛らわせつつ、草間武彦は話を再開する。


 草間は現在、目の前にいるこのブルドックのような小男と、依頼内容についての打ち合わせ中だ。わざわざ出向いてきた彼自慢の屋敷はなるほど広かったが、いかんせん成金趣味がすぎる。
 久々の、「金になりそうな」依頼だった。しかもこれを引き受ければ今月のガスと水道代がなんとか払える、ともなれば、草間だってそれなりに張り切るつもりではあったのだ、最初は。
 しかし、こうも延々と愚痴と自慢ばかり続けられては、草間のなけなしのやる気など、すぐに底をつくというもの。

「で。俺の仕事は」
「だから、さっきから何度も何度も言っているではないか! 『怪盗ムーンリット』を捕まえろ! あいつは、あいつは……こんな、こんな予告状まで、ワシの元に送りつけてきたのだぞ!」
「……これも何度も言いますがね、俺はしがない興信所の探偵なんですよ。物捕帳は警察に任せたらどうです」
「警察なんぞ、ワシの家に入れられるか! 何をかぎつけられるか分からんではないか!」
 言いたいことは山ほどあったが、フリでもここは同意しておかねば面倒だ。そうでしたそうでした、と意味も無く大仰に頷きつつ、草間は再びテーブルの上のカードに視線を落とす。

 オ ツ キ サ マ ー
 頂 キ ニ マ イ ル
        怪盗ムーンリット

「この『オツキサマー』ってのは何なんでしょうかね。お月さま……か?」
「ああ! わが愛娘の夏緒には、隠れているように厳重に言っておかねば。……いや、ひょっとして怪盗の狙いは娘か?! か、可能性はある! あやつはワシに似てあんなに可愛いのだから!」
「そりゃあ大変不幸な……ああいや、響さん。他にも何か『月』にちなんだ宝物をお持ちで?」
「あ、ああ。『ムーン・プリンセス』というダイヤモンドが金庫の中にある。あの大きさ、カットの繊細さ、あれほどのすばらしい宝石を持つのは世界でもワシぐらいだろうて! ……アレはワシの物だ、見せんからな」
「はぁ……」
「それから……そうだな、怪盗が指定してきた日に花開くはずの、世界でも珍しい花がある。紫のバラだぞ紫の! これもまた、苦労して金を積んだ!」
「指定してきた日というのは?」
「もうじき中秋の名月だろう! その日だ!」

 なるほど、どこまでも『月』にこだわる怪盗らしい。
 ――宝石か、花か? 狙いはどちらだ?
「娘が狙われている! あああ、ワシはどうしたらいいんだ! あんな可愛い娘、狙われないわけがない!」
「……はいはい分かりました。娘さんも警備対象に入れておきますよ」





◇起◇日和と悠宇



「なあ日和、お前は犯人の狙いってなんだと思う?」
「うーん……夏緒さんかなって。響さんにとって、それが一番『奪われたくないもの』かなって思ったから」
「なーるほどなぁ。俺はダイヤかなって思ったんだけど、お前にそう言われるとそういう気がするなあ」
「どうしてそう思ったの、悠宇くん?」
「だって、ダイヤをさ、ばっ! と奪ったりとか、いかにも怪盗ですーって感じしねぇ? ……しねぇか」
「まだ何も言ってないってば、悠宇くん」


 響邸、芝生の敷き詰められた庭にて。
 日の沈みかかった、暮れなずむ茜色の光景の中、羽角悠宇と初瀬日和は、屋敷を見上げることの出来る庭の一角に佇み、会話を楽しんでいた。
 集合時間はあと数十分。それまで、もう少し時間を潰す必要がありそうだ。 

 依頼人である響大吾郎は、必要のないもてなしはしない主義らしい。草間が依頼人と面会した応接間へは、他のメンバーは招き入れられる事もなく、余っているはずの他の部屋には通してもくれなかった。
 そうして打ち合わせ用として与えられたのは、狭い倉庫のような一室。あれでは、集まった面々が一同に会することも出来ない。
 ということで、挨拶もそこそこに、草間他数人以外のメンバーは、屋敷内の見回りを始めることになり、それで日和と悠宇は庭へと出てきたのだ。
 ちなみに、この屋敷――響邸は、近所でも有名な豪邸だった。その豪華さもさることながら、何しろ屋敷の外見が「天守閣」を模している。
 周囲に石垣まではないものの、3階建て超の高さに瓦屋根、おまけにその上で反り返るしゃちほこ――対面の時に大吾郎にその点を自慢された時には、これはこれは、今晩の満月がきっと映えますね、としか草間は言えなかったらしい。
 成金趣味、威圧的でおまけに非協力的とくれば――彼でなくとも、ため息をつかずにはいられなかっただろう。



 カァ、と塀の向こうでからすが鳴いた。
 吹いてくる風も、この季節柄、分刻みで冷たくなっていく。くしゅん、と日和が小さくくしゃみをするのを見て、悠宇は慌てて彼女の手を引いた。
「悪い悪い、さっさと家ん中入ろうぜ。……しっかし、シュミ悪い家だよなぁ。ま、中に入っちまえば外見は分からないけどさ」
 どうたしなめたらよいものか迷っているのか、日和は大人しく手を引かれ、黙ったままだ。が、反論もしないところを見ると、少しぐらいは同じことを考えていたのかもしれない。
 ホールと呼んでもいいぐらい、大きな玄関をくぐり、そうして年代ものの柱時計の前で二人は立ち止まる。そこから廊下は右と左に分かれていた。
「よし、じゃあ打ち合わせ通り。俺たちも別行動といくか。……おい日和、あんまり無理するなよ」
「私は大丈夫。だって、無理しようと思っても出来ないもの」
 柔らかく笑う日和。悠宇はがしがしと頭をかき、天井を睨む。
「とか言って、お前も引かない時は絶対引かないからさぁ。意外と芯は強いからさ」
「?」
「まぁいいさ、何かあったら俺んとこに末葉よこせよ! じゃあな!」
「あ、ちょっと待って! ……悠宇くんこそ、無茶しないでね。分かってる?」
 め、と可愛らしく眉を上げ、日和は悠宇に睨んでみせる。それにニッ、と笑って答えてみせながら、悠宇はくるり背を向け、日和の向かう方とは違う方へと走り出した。
 日和には振り向かないまま、手を上げて応える。
「分かってるって! あ、俺は出来るだけ白露出さないようにするからな。あいつお前の方にばっかり懐くしさぁ」
「悠宇くんってば! 肝心な時にはちゃんと教えてね!」

 廊下を曲がる寸前、悠宇はその声に手を大きく振って見せた。




◇承◇シュラインと日和


 ――怪盗ムーンリット。
 この名が世間を騒がせるようになったのは、ここ最近だ。
 出現はここ半年で10回近く、その全てが天気のよい晩だったという。そして今晩も天気予報は晴れを告げている。
 また、その手口は派手で鮮やか、それでいて後に証拠は全く残さない。そのお陰で、警察も随分と手を焼いているという噂だった。

 外からの襲撃にそなえ、日が落ちた今では屋敷の門の前に草間が立ち、周囲に目を光らせているはずだ。
 しかし、そこは警察と違い、人手の足りない民間の零細企業のすること。――今頃彼は、携帯を握り締めつつ怪しい影が近づいてこないかキョロキョロとしていることだろう。
「いいんだよ、俺たちは少数精鋭だ。お宝の前で犯人を捕まえるのが本当の狙いだからな」と草間は言っていたが、さてどこまでが彼の本気だっただろうか。



「……怪盗ムーンリットは『マジシャン』か、もしくはそれに傾倒した人物ではないか、という推測が、警察ではなされているようです。というのも、スモークですとか、トランプカードといった、いわゆるステージで使われる小道具が、実際の犯行で使われているらしくて」
「マジシャン、か……それとも、いわゆる『怪盗』を気取ってるのかもしれないわね」

 ――ここは「天守閣」の一室。
 シュライン・エマと初瀬日和は、依頼人の愛娘、夏緒の部屋を訪れていた。
 共に、怪盗の狙いが娘ではないかと推測したからだ。何はともあれ、直接部屋に赴き彼女を警備するのが一番と、ここへやってきていたのだった。
「だけど日和ちゃん、すごく詳しいのね。情報は多い方がいいし、助かるわ」
「ここに来る前に、出来る範囲で調べておいた方がいいかなと思ったんです。それで少し」
「私も武彦さんも、依頼人の対応でそっちには手が回らなかったのよ。うんうん、やっぱり日和ちゃんは気が回るわね。頼りになる」
「いえ……お役に立てて嬉しいです。今回の事件の解決、がんばりましょうね、シュラインさん」
「ええ、頑張りましょうね!」

 盛り上がる二人。――と、そこで場違いなほど高い声が響き渡る。
「何二人で盛り上がってるのー。なつお、つまらないんだけど!」
 声をあげたのは、部屋の中央、ふかふかのクッションに埋もれるようにして、ちょこんと座っていた女の子――響夏緒、だった。
 御年、7歳。
 高く結われた栗色の髪。可愛らしく頬をぷぅと膨らませ、シュラインと日和を睨んでいる。
「ああ、ごめんなさい夏緒ちゃん。そういうつもりじゃなかったのよ」
「もっと遊んでよー、なつお、退屈しちゃった〜」
 癇癪を起こし始める少女を構いながら、二人はこっそり顔を見合わせる。
 その顔は共に苦笑していて――お互い、「こんなに若いとは思わなかったわね」と目で語り合っていた。
 
 
     ■□■


 夜半を過ぎても、少女はいっこうにベッドへ潜ろうとしない。きゃらきゃらと笑いながら、部屋中を駆け回る。着せ替え人形にままごとに――少女に付き合って遊んでいるうちに、二人がへとへとになる始末だった。
 子供というのは、どうしてこんなにもバイタリティがあるのだろう。共に疲れて、少し休憩をいただきたい。「ねぇ、もっと遊ぼうよ!」との誘いに、すぐには返事出来なかったほどだ。
 と。
「あ、それなーに!」
 少女の目線の先――二人が目線を追ったその先。
 日和の肩元に、白いイヅナが顔をひょこりと覗かせていた。夏緒に指をさされているのが分かったのか、イヅナはチチチ、と鳴いてみせる。
「……白露? どうしてここに」
「あら。それ、日和ちゃんの使役の……」
「あ、いえ、この子は私のではなくて」

 説明しようとした日和の言葉は、途端に夏緒に遮られる。
「かわいー! ねぇ、触らせて!」
 すたすたと寄ってきた夏緒は、むんずとイヅナを掴みあげる。
 幼い子供のこと、その掴む力に容赦はない。二人が止める間もなく、イヅナは途端にぐりぐりといじられている。
「おもしろーい! この子、なんていう動物? あはは、ふかふかしてる!」
「……だ、大丈夫かしら。えっと、アレって」
「あの子、本当は悠宇くんのイヅナなんです。白露っていうんですけど……え、えっと、一応あやかしですから、多分大丈夫だと、思うんです……けど」
 ひそひそと囁きあう二人。日和にいたっては、ごめんね白露、と付け足す事も忘れない。

「白露がここに来てるってことは、悠宇くんが少し心配してるのかも。……おいで、末葉」
 日和はくるりと後ろを向き、夏緒に背を向けた。そうしてスカートのポケットから銀のピルケースを取り出す。
 そこから顔を覗かせたのは、今夏緒の手の中にいるあやかしと、一見同じ姿かたちをしているもの。
「末葉。悠宇くんのところへ行ってあげて。……私は大丈夫って伝えて。それから悠宇くんを助けてあげてね」
 日和の言葉に、チチ、と鳴いたイヅナは、すぐにフッと姿を消した。
「……行った?」
「ええ」
 シュラインの言葉にうなずき、再び日和は前を向いた――が、白露を握り締めたまま、嬉しそうにぱたぱたと部屋を駆け回る夏緒に、どうしたものかと表情を曇らせる。
「わーい! ね、あなた、私のペットにしてあげる! ね、今日から仲良しよ!」
「ど、どうしましょう、シュラインさん」
「夏緒ちゃん、随分はしゃいでるわね。……しょうがないわ、少しだけ様子を見ましょう」
「で、でも」
「大丈夫よ、子供のことだもの。すぐに飽きるわ。それに人になれてるあやかしだもの、危害を加えることもないでしょうし。子供には勝てないってこと、つくづく分かったわ」
「……ごめんね白露、あとでちゃんと助けてあげるからね」


 床にぺたんと座り込む二人。しばらくは、はしゃぐ夏緒を目で追うばかりだった。
 と、シュラインが「ね、日和ちゃん」とささやきかける。
「私ね、今回の依頼……夏緒ちゃんのお母さんが何か関係してるんじゃないかって思ってたの」
「お母様が?」
「さっき武彦さんに話を聞いた時それは杞憂だって分かったけど……夏緒ちゃんね、お母さんを亡くしてるんですって」
「そうなんですか……」
「だから、私たちが来て……あんなにはしゃいでるのかもしれないわね」
 二人の視線の先で、夏緒はきゃらきゃらと笑い、それははしゃいで手の中のイヅナと戯れている。
「それから、実は……」
「実は?」

 と、そこでシュラインは苦笑した。
「今となっては、これこそ考えすぎだったけど……実はね、夏緒ちゃんが今回の犯人となんらかの結びつきがあるんじゃないか、だなんて思ってたのよ」
「……共犯、ということですか?」
「可能性には全て備えておくのが、私のやり方だから。……例えば夏緒ちゃんが、犯人と一緒にこの屋敷を出ることを目的としたら」
「駆け落ちとか、ってことですか?」
「そう。もしそうだったら、今日でなく翌日こっそり抜け出したりすることの方が心配だったんだけど」

 ――そう、警備対象がこの少女だったとするならば、その心配は全てが杞憂と化すだろう。
 何しろ彼女は、年端も行かない幼い少女なのだから。
 ――だけど、胸騒ぎが収まらないのはなぜかしら?

 
 シュラインは静かに目を閉じ、耳を済ませてみる。
 夏緒から発せられる、音の『波動』――心音や呼吸音、それに足音――それらが少しだけ、浮ついているように思える。そう、まるで何かを期待して、胸躍らせているかのような。
 ――期待?
 シュラインは自分の考えにハッとする。
 まさか夏緒は、何かを待っているのでは……?
 


 
 その時。
 上の階からドン、と強い爆発音が響いてきた。天井からぱらぱらと埃が落ちる。屋敷全体が振動していた。
「何? 上でなにかあったの?!」
「上の階には、金庫が……!」
 突然の出来事に、シュラインと日和は共に天井に目を向け、身を緊張させる。
 
 ――だから、対応が一瞬遅れた。
「……夏緒ちゃん!」
 ぱっと白露を放り出した夏緒が、二人の傍らを駆け抜けていった。慌てて手を伸ばすがもう間に合わない。
 地の利を生かし、夏緒はすぐに廊下を曲がって見えなくなってしまった。
「追いかけなきゃ!」
「白露、おいで!」
 急きたてるかのように、再び上階では爆発音が鳴り響く。
 ハッと我に返った二人は慌てて部屋を飛び出した。そして肩に白露を乗せた日和はもちろん、夏緒の駆け去った左へと。そしてシュラインは――
「日和ちゃんは、夏緒ちゃんを追いかけて!」
「シュラインさん、どこへ!」
「武彦さんに応援を頼むわ、お願いね!」
 シュラインは廊下を右へ折れた。パンプスの音を響かせ、シュラインは迷いなく廊下を疾走する。
 一瞬迷った日和だったが、一つ頷いた後、彼女もまた身をひるがえした。




◇転◇日和と悠宇



 ――2匹のつがいのイヅナは、やがて屋敷で一番高い場所にて邂逅する。
「日和!」
「悠宇くん、大丈夫?」
 そこは屋根の上へとつながる、屋根裏の窓辺だった。
 はしごがかけられた、ほこりまみれの曇ったガラス窓。そこへ駆け寄ろうとした日和を、すんでのところで悠宇は押し留める。
「待てって! 危ないだろ、屋根の上になんて!」
「違うの、屋根の上に夏緒ちゃんが!」
「え?!」


 瓦ぶきの屋根の上に、夏緒は一人で立っていた。
 地上からは随分と高さがある。上空を吹き荒れる風、それから夏緒の身を守るものは何もない。
 金のしゃちほこを支えとし、結われた髪を風に乱しながら、それでも夏緒はまっすぐに立っていた。
 唇を噛み締め――その視線を真っ直ぐ前に据えて。
「夏緒ちゃん!」
「おい危ないぞ、早く中にもどれ!」
 はしごを駆け上がり、窓から上半身を出しながら、二人は口々に叫んだ。



 その時。
 
 ――その場にいた者誰もが、後にそれら一連の出来事を正確に言い連ねる事は出来なかっただろう。
 大きな鳥が羽ばたいたかのような音。破裂音。風の唸り。地面から立ち上るようにして宙を走った閃光。
 全てのことが一度に起こり、そうしてその後に――屋敷の周囲は一面の白煙に覆われていた。


「きゃぁっ!」
「おい、夏緒!」
 悠宇は日和を胸に庇いながら、それでも夏緒に向けて手を伸ばそうとした。
 あと少し、もう少しでスカートのすそに手が届く、というところで、夏緒がくるりと悠宇を振り向く。
「邪魔しないで、おにいちゃん。なつおが呼んだんだから」
「え?」


 
 白煙はなおも立ち上り、ゴウという唸りをあげながら屋根の周囲を取り囲んでいく。
 空気が渦巻くその様を見た悠宇と日和は――やがて夏緒の向こう、もう一方のしゃちほこの元にいる人影を見た。
「……怪盗、ムーンリット……!」
 悠宇がぽつりと呟く。
 それは間違いなく、悠宇が先ほど顔を合わせた少年だった。


 
 彼は屋敷の外からやってきて、まるで鳥のように屋根の上に舞い降りた。
 ハングライダーのようなものだろうか。背中に生えていた『羽』が、彼がパチンという指を鳴らすと共に、一瞬にしてその背に収まっていく。
 純白の衣装に身をまとった彼が、腕を一振りすると、途端に周囲の白煙は動きを止めた。宙に留まり、やがて風に流れだし、周囲へと広がっていく。
 やがてそれは次第に薄くなり、白い霧状になっていく。
「……逃げるのか!」
「だめです!」
 日和が叫び、そして手を組んだ。目を閉じ、精神を統一していく。

 ――力が、発動する。

 大気中の水分が音を立てて凍りついていく。特に怪盗周辺の大気は、闇夜にはっきりと映えるほど白くなる。
 球状に、怪盗を閉じ込めるようにして固まっていく凍てつく大気。日和も悠宇も、彼を閉じ込めた、成功した、と思った瞬間、球の中心にいた怪盗が、また大きく腕を振った
 ――ぱりん、と何かが割れる音。



「……え、花?」
 突然、白くけぶる辺り一面に花が咲き出した。
 そう、煙の中、空中に花が咲いていた。花びら、ではなく、花の香り、でもない。
 手のひら大の白い花が、宙をくるくると回りながらあたり一面に舞っている。それも幾百、幾千も。風に浮かび、揺れて、それは決して沈んでいくこともない。
 花を輝かせるようにして、白煙までもがキラキラと輝き始めた。日和の氷は目に見えない大きさまでに打ち砕かれ、風と合わされ、花と共に舞っている。暗闇の中、氷砂糖を撒いたかのような輝き。
 雪にしては大きく、紙ふぶきにしては華麗すぎる。水辺を漂う睡蓮の様子にも似て、それは花がまるでワルツを踊っているようだ。
「なんだこれ……」
 悠宇は手を伸ばし、花を手に取ろうとした。――が、その寸前で花は消えてしまう。
 かすかに指先に残ったのは、氷のかけらのような冷たい感触。
「花の映像を映し出してるのか? 大気中に?」
「この煙自体が、スクリーンの役目を果たしてるんだわ。ねえ悠宇くん、どこかに光源があるんじゃないかしら……そこからこの煙に向かって、花の映像を『映し出してる』みたい」
「……そっか。この煙は、それが狙いか。でもなぜ、こんなことわざわざ」
「ムーンリットが『かいとう』だからに決まってるわ! 私が、お花をたくさんみたいってこの前お願いしたんだもの!」


 その疑問に答えを返したのは夏緒だった。
 悠宇と日和が、そろって彼女に視線を送ると、夏緒はそんな二人を見向きもしないまま、前方の怪盗をにらみつけたままだった。
「遅いっ!」
 そして一言、そう言い放つ。
 花が舞う周囲の中、怪盗は――白い服をまとった少年は、はにかむようにして笑う。
「ごめんね、なかなか警備が厳しくて。お花どう? 君のために考えたんだ」
「きれいだけど! でもなつお、ずっと待ってたんだから! すっごく眠かったけど、頑張って起きてたんだから!」
「……どういうことだ?」
「すみません、みなさんにはご迷惑をお掛けしました」
 悠宇の呟きを耳にしたのだろう。危なげない歩調で、怪盗はこちらへ歩み寄ってきた。そして二人が身を乗り出す窓辺に立つとひざを折り、目線を合わせてぺこりと頭を下げる。
「あの予告文……本当は、僕たち二人だけの秘密だったんです。それを、大吾郎さんがたまたま目にしてしまって」
「なつおはパパに見せてないもん! ちゃんと秘密にして、ずっと机の中に入れておいたんだよ!」
「うん分かってるよ、だから危ないから、早く窓の向こうへお行き」
 さりげない仕草で、怪盗は夏緒を窓の向こうへと追いやる。そうして日和がしっかと彼女を抱きかかえるのを見て微笑んでから、もう一度悠宇たちに頭を下げた。
「夏緒さんとは、以前……仕事中の僕を見られたのがきっかけで、それで知り合ったんです。それ以来たまに……こんな風にやりとりを続けていました。内容が他の人に分からないよう、暗号文にしたてて」

 そして、迷いのない素振りで立ち上がった。
「でももう、こんなことはやめにします。夏緒さんに迷惑がかかったら大変だから。……じゃあね、夏緒さん」
「ま、待ってよ! 行かないで! もう会えないの!」
「君が大人になったら迎えに来るよ、それまではお別れだ」
「やだ、やだよ!」
「じゃあね」
「やだってば!」


 じたばたと暴れる夏緒を、日和は必死に抱え込む。
 抜け出そうとしてそれが敵わないと悟ったのか、終いには夏緒は泣きじゃくりだしてしまった。
「……楽しかったよ、夏緒」
 ――愛娘は、決して悪い事を企んだわけではなかったけれど。
「今回のことは、こういうことだったのね……」
 日和のつぶやきは、うなる風にかき消され、消えていく。
 薄くなっていく白煙、そして闇夜に広がる翼。

 満月を従え、白衣の怪盗は振り返ることなく、その空に姿を消した。




◇結◇忍と日和




 そして。
 屋敷から立ち上った白煙をボヤとして119番通報された響邸は、そのまま警察に踏み込まれる事となってしまった。
 ひょっとしたら、結局捕まることなく姿を消した怪盗は、そこまで計算していたのかもしれない。

 そうして響氏は、屋敷内に溜め込んでいたいろいろなものを『発見されてしまった』らしい。
 事件翌日に、響氏の写真と名前が新聞紙面いっぱいに踊っていた。あれほど名声を欲しがっていた彼のことだ、さぞ喜んでいることだろう。とはいっても、彼自身は格子の向こうに収監されてしまったようで、恐らく新聞そのものを見ていないだろうが。
 だが、料金は前払いですべてもらっていた草間にとっては、それらは全てどうでもいいこと。参加のメンバーが全て無事に返ってきて、報酬もたんまりとあっては、これ以上望んだらバチが当たるというものだろう。

 世は並べて事なきかな。暑くもなく寒くもなく、雨も降らずにいい天気。
 ああ、今日もまた平和だ――
 
 
 
 ――そんな後日。
「日和さん」
 物陰から突然声をかけられて、初瀬日和は飛び上がるほど驚いた。が、振り向き、認めた姿が見知ったものだったので、ああ、と安堵の息を漏らす。
「こんにちは、忍さん」
「あの事件以来でしたが、お元気でしたか」
 今回の一件で顔をあわせた加藤忍が、にこやかな表情で立っていた。
 その腕に抱えていたのは鉢植え。その中央に小さな苗木が植わっている。一見したところ、そこから伸びるつるには花がついておらず、ただ棘のある様子から「バラかな?」と日和は判断する。


 なんとなくそのまま二人は肩を並べ、同じ歩調で歩き出した。
 時は休日の午後だ。暑くもなく寒くもない、人がよく「今が一番いい季節だ」という頃合。散歩もまた気分がいい。
「ひょっとして日和さん、響さんの御宅へ行かれていたんですか」
 問いかけられ、日和は驚きつつも素直に頷いた。
「ええ。……夏緒ちゃんが心配だったので」
「ああ、お父さんがあんなことになりましたからね」
「まだ幼い年頃ですし、だからちょっとだけ心配で……お屋敷に行ってみたんです。そうしたら親切な親戚の方がいらしたから、もう心配はなさそうでした。元気そうな夏緒ちゃんの顔も見れたし、私も安心しました」
「この前の依頼の時には、私は顔を合わせる機会がなかったのですが……どうやら随分と個性的なお嬢さんだったらしいですね」
 遠まわしな言い方に、日和は苦笑する。
「夏緒ちゃん、お嬢様らしくわがままいっぱいに育ったみたいで。この前は随分手を焼かされました……でも」
「でも?」
「好きな人に……とても素直なところは、ちょっと見習いたいな、と思って」


 見上げた空は随分と高く、点々と連なるいわし雲が、建ち並ぶ街並みの向こうまで続いていた。
 風は気持ちいいが、一週間前よりは確実に冷たい。「そろそろマフラー出してもいいでしょうか」「そうですね」などとたわいもない会話をしながら、二人は坂道を下っていく。
「ところで、どうして私が夏緒ちゃんのところへ行ったんだって、すぐ分かったんですか? 先ほどばったり会ったの、お屋敷の近くじゃなかったですよね」
「ああ、それは簡単ですよ。……行ってしまえば何のことはありませんが、私も実は先ほどまで屋敷にいたのです。その時にあなたの姿をお見受けしただけで」
「え? そうだったんですか?」
「まあ、私の場合はこっそりとあのお屋敷にお邪魔してたんですが」
 驚きに目を丸くする日和を見やり、穏やかに忍は笑った。
「……何をしていたのか聞きたい、といった表情ですね」
「あ、いえ、別に」
 即座に頬に朱を散らす日和に、ぷ、と忍はふき出す。
「冗談です。……ああ、日和さんをからかったことが知れたら、悠宇さんに怒られてしまうな」
「もう、これ以上からかわないでください」
「すみません。ではお詫びに、私もお話しますよ」


 忍は抱えていた鉢植えを軽く示してみせた。
「これ、響邸にあった『幻の紫のバラ』の苗木です。前回の時は成木しか持って帰れなかったものですから……今日こっそりと、その『子供』もいただいてきたのですよ。ほとぼりが冷めるのを待っていたのですが……ようやくこれで、『紫のバラ』に関するものは全て、あの方のところへお届け出来ます」
「え? えっと……その、忍さん?」
「『勝手に盗ってはいけないだろう』と?」
 言いたいことを先回りされ、日和はこくんと頷くばかり。
「ええまぁ、でも私は盗人ですから。……というのはまぁ開き直りですね」
 苦笑して見せてから、ふと忍は遠くを見つめた。――その先に、ここではないどこかを見ていた。
「実はこれ、とある人からの依頼品なんです。『私が精魂込めて作り上げた紫のバラを、完全に取り戻して下さい』とね」


 ――その園芸職人は、紫のバラを作り上げることに、生涯をかけていた。
 何十年という時間と、そして何度やったか数え切れないほどの品種改良――その末、ようやく作り上げた、紫のバラ「かもしれない」苗木。
 あともう少しで花が開く、後もう少しで自分の人生の結果が示される――だがその直前、花は盗まれてしまった。職人は、それはそれは落胆した。
 そして、忍の元に依頼が来たのだ。「どうか、あの花を取り戻してはくれまいか」と。

 遠い目をしたまま、忍はその場に立ち止まる。
「私が今回、依頼に参加したのは、何よりその依頼があったからなんですよ」
「……その方、よろこんでましたか?」
「ええ。私がその人の下へ花を持っていったのは、もう花が開いた後でしたからね。『咲く瞬間が見られなかったことだけは残念だったけど』なんて言ってましたけど」

 ――だけど、花がこの手に帰って来たことだけで嬉しい。
 ――ああ、こんなにも鮮やかに、紫色に花を開かせて。
 ――この目で確かめられたんだ、これほど嬉しい事はあろうか。ありがとう、忍君。ありがとう……。



「……忍さん」
「ああいけない、長話につき合わせてしまいました」
 我に返った忍は、日和を促しつつ再び歩き出した。
 出来る限り早足で、しかし日和にも決して早過ぎることのない、紳士たる速度で。
「さあ、草間さんのところへ急ぎましょう。実は私も草間さんの所へ届けものがあるんですよ。……全く、草間さんへの預かり物は、どれもこれもいわくがありすぎて、ちょっと困りものです」
「私も、実は悠宇くんと待ち合わせしてるんです、草間さんのところで。早く行かなきゃ、今頃悠宇くん待ちくたびれてるかも」
「では日和さん、急ぎましょうか」
「そうしましょう、忍さん」






 そして、後日。
 日和の元へ、一つの小包が届いた。差出人は、響夏緒。

「パパはつかまってしまったけれど、わたしはこれでよかったとおもってます。
だって、パパはわるいことをしたんだもの。
あなたや、ほかのひとが止めてくれたおかげです。ありがとう。いちおう、おれいはいっておきます


なつお

ついしん またあそんでね」



 たどたどしい字で書かれた手紙と共に、夏緒からの贈り物がそこには入っていた。





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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)   
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【0086/シュライン・エマ/しゅらいん・えま/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3524/初瀬日和/はつせ・ひより/女/16歳/高校生】
【3525/羽角悠宇/はすみ・ゆう/男/16歳/高校生】
【5745/加藤忍/かとう・しのぶ/男/25歳/泥棒】
【1166/ササキビ・クミノ/ささきび・クミノ/女/13歳/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】
【3356/シオン・レ・ハイ/しおん・れ・はい/男/42歳/紳士きどりの内職人+高校生?+α】

(受注順)


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          ライター通信           
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こんにちは、つなみりょうです。今回はご発注下さり、誠にありがとうございました。
さて、大変お待たせしてすみませんでした。今回のお話をお届けいたします。
少しでもご期待に添えていればよいのですが。

今回は主に(OP&)起、承、転、結の4パートに分かれています。
もちろん、最初から最後まで、それぞれのPCさまが主人公の独立した話なのですが、今回他の参加者様のお話も「同時進行」という形で時間が流れています。
合わせて他の方の作品を読んでいただけると、他の場所で何が起こっていたのかが分かって楽しいかもしれません。

あと、OPの謎かけの答えですが……「オ付summer」で夏緒が狙い、というのが正解でした。
みなさまの正答率の高さにびっくりしました……簡単すぎたでしょうか?(笑)
それから、次の文も「頂に参る」……ということで、「頂上に行く」という意味の二重がけがしてありました。こちらはオマケのような伏線のような、ぐらいの意味合いだったのですが、それにもツッコミを入れられてた方がいてびっくりです。
(正解者の方にはちょっとしたアイテムが夏緒さんから贈られました、おめでとうございます)


日和さんこんにちは、今回もお会いできて嬉しいです。
さて、今回はいかがでしたでしょうか。少しでもご期待に添えていることを願っております。
プレイングに書かれていた、夏緒さんを選んだ理由が、すごく日和さんらしい優しいもので、なんだかちょっと嬉しかったです。(作者として)その辺の優しさを、「結」の部分で特に生かさせていただいたつもりだったのですが……さていかがでしたでしょうか? そうそう、あと「凍りつかせる」対象がちょっことずれて、結果としてはこんな感じになってしまいました。ど、どうでしたでしょうか……? 楽しんでいただけてればいいのですが。



私事ではありますが、今回の納品をもちまして、テラでの納品が100作品を突破しました。活動期間からするとあまり多い方ではないと思うのですが、これを機に心機一転(?)気持ちを引き締めなおしつつ、今後もまだまだ活動して行こうかと思います。
見かけた際は、またぜひご一緒して下さいませ! どうぞよろしくお願いいたします〜

ではでは、つなみりょうでした。