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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


月下の怪盗、現る!



 ――飽きもせず、よくもまぁしゃべり続けられるもんだ。
 ろくに話も聞かず、そんなことを考えていたら、どうやら顔に出てしまっていたらしい。
 ハッと気がついた時にはもう、目の前の男がふるふると拳を震わせていた。
「草間探偵! 聞いているのか私の話を!」
「……いや、まぁ。申し訳ない、少しぼうっとしていたようだ」
 気まずさを隠すために胸元へ手をやっても、ポケットのシガーケースはすでに空。思わず上目遣いに彼を見るが、金持ちのくせにケチなこの男、どうやらタバコ1本すら恵んでくれそうにない。
 諦めて、口寂しさをため息に紛らわせつつ、草間武彦は話を再開する。


 草間は現在、目の前にいるこのブルドックのような小男と、依頼内容についての打ち合わせ中だ。わざわざ出向いてきた彼自慢の屋敷はなるほど広かったが、いかんせん成金趣味がすぎる。
 久々の、「金になりそうな」依頼だった。しかもこれを引き受ければ今月のガスと水道代がなんとか払える、ともなれば、草間だってそれなりに張り切るつもりではあったのだ、最初は。
 しかし、こうも延々と愚痴と自慢ばかり続けられては、草間のなけなしのやる気など、すぐに底をつくというもの。

「で。俺の仕事は」
「だから、さっきから何度も何度も言っているではないか! 『怪盗ムーンリット』を捕まえろ! あいつは、あいつは……こんな、こんな予告状まで、ワシの元に送りつけてきたのだぞ!」
「……これも何度も言いますがね、俺はしがない興信所の探偵なんですよ。物捕帳は警察に任せたらどうです」
「警察なんぞ、ワシの家に入れられるか! 何をかぎつけられるか分からんではないか!」
 言いたいことは山ほどあったが、フリでもここは同意しておかねば面倒だ。そうでしたそうでした、と意味も無く大仰に頷きつつ、草間は再びテーブルの上のカードに視線を落とす。

 オ ツ キ サ マ ー
 頂 キ ニ マ イ ル
        怪盗ムーンリット

「この『オツキサマー』ってのは何なんでしょうかね。お月さま……か?」
「ああ! わが愛娘の夏緒には、隠れているように厳重に言っておかねば。……いや、ひょっとして怪盗の狙いは娘か?! か、可能性はある! あやつはワシに似てあんなに可愛いのだから!」
「そりゃあ大変不幸な……ああいや、響さん。他にも何か『月』にちなんだ宝物をお持ちで?」
「あ、ああ。『ムーン・プリンセス』というダイヤモンドが金庫の中にある。あの大きさ、カットの繊細さ、あれほどのすばらしい宝石を持つのは世界でもワシぐらいだろうて! ……アレはワシの物だ、見せんからな」
「はぁ……」
「それから……そうだな、怪盗が指定してきた日に花開くはずの、世界でも珍しい花がある。紫のバラだぞ紫の! これもまた、苦労して金を積んだ!」
「指定してきた日というのは?」
「もうじき中秋の名月だろう! その日だ!」

 なるほど、どこまでも『月』にこだわる怪盗らしい。
 ――宝石か、花か? 狙いはどちらだ?
「娘が狙われている! あああ、ワシはどうしたらいいんだ! あんな可愛い娘、狙われないわけがない!」
「……はいはい分かりました。娘さんも警備対象に入れておきますよ」





◇起◇日和と悠宇



「なあ日和、お前は犯人の狙いってなんだと思う?」
「うーん……夏緒さんかなって。響さんにとって、それが一番『奪われたくないもの』かなって思ったから」
「なーるほどなぁ。俺はダイヤかなって思ったんだけど、お前にそう言われるとそういう気がするなあ」
「どうしてそう思ったの、悠宇くん?」
「だって、ダイヤをさ、ばっ! と奪ったりとか、いかにも怪盗ですーって感じしねぇ? ……しねぇか」
「まだ何も言ってないってば、悠宇くん」


 響邸、芝生の敷き詰められた庭にて。
 日の沈みかかった、暮れなずむ茜色の光景の中、羽角悠宇と初瀬日和は、屋敷を見上げることの出来る庭の一角に佇み、会話を楽しんでいた。
 集合時間はあと数十分。それまで、もう少し時間を潰す必要がありそうだ。 

 依頼人である響大吾郎は、必要のないもてなしはしない主義らしい。草間が依頼人と面会した応接間へは、他のメンバーは招き入れられる事もなく、余っているはずの他の部屋には通してもくれなかった。
 そうして打ち合わせ用として与えられたのは、狭い倉庫のような一室。あれでは、集まった面々が一同に会することも出来ない。
 ということで、挨拶もそこそこに、草間他数人以外のメンバーは、屋敷内の見回りを始めることになり、それで日和と悠宇は庭へと出てきたのだ。
 ちなみに、この屋敷――響邸は、近所でも有名な豪邸だった。その豪華さもさることながら、何しろ屋敷の外見が「天守閣」を模している。
 周囲に石垣まではないものの、3階建て超の高さに瓦屋根、おまけにその上で反り返るしゃちほこ――対面の時に大吾郎にその点を自慢された時には、これはこれは、今晩の満月がきっと映えますね、としか草間は言えなかったらしい。
 成金趣味、威圧的でおまけに非協力的とくれば――彼でなくとも、ため息をつかずにはいられなかっただろう。



 カァ、と塀の向こうでからすが鳴いた。
 吹いてくる風も、この季節柄、分刻みで冷たくなっていく。くしゅん、と日和が小さくくしゃみをするのを見て、悠宇は慌てて彼女の手を引いた。
「悪い悪い、さっさと家ん中入ろうぜ。……しっかし、シュミ悪い家だよなぁ。ま、中に入っちまえば外見は分からないけどさ」
 どうたしなめたらよいものか迷っているのか、日和は大人しく手を引かれ、黙ったままだ。が、反論もしないところを見ると、少しぐらいは同じことを考えていたのかもしれない。
 ホールと呼んでもいいぐらい、大きな玄関をくぐり、そうして年代ものの柱時計の前で二人は立ち止まる。そこから廊下は右と左に分かれていた。
「よし、じゃあ打ち合わせ通り。俺たちも別行動といくか。……おい日和、あんまり無理するなよ」
「私は大丈夫。だって、無理しようと思っても出来ないもの」
 柔らかく笑う日和。悠宇はがしがしと頭をかき、天井を睨む。
「とか言って、お前も引かない時は絶対引かないからさぁ。意外と芯は強いからさ」
「?」
「まぁいいさ、何かあったら俺んとこに末葉よこせよ! じゃあな!」
「あ、ちょっと待って! ……悠宇くんこそ、無茶しないでね。分かってる?」
 め、と可愛らしく眉を上げ、日和は悠宇に睨んでみせる。それにニッ、と笑って答えてみせながら、悠宇はくるり背を向け、日和の向かう方とは違う方へと走り出した。
 日和には振り向かないまま、手を上げて応える。
「分かってるって! あ、俺は出来るだけ白露出さないようにするからな。あいつお前の方にばっかり懐くしさぁ」
「悠宇くんってば! 肝心な時にはちゃんと教えてね!」

 廊下を曲がる寸前、悠宇はその声に手を大きく振って見せた。




◇承◇シオンと悠宇


 ――怪盗ムーンリット。
 この名が世間を騒がせるようになったのは、ここ最近だ。
 出現はここ半年で10回近く、その全てが天気のよい晩だったという。そして今晩も天気予報は晴れを告げている。
 また、その手口は派手で鮮やか、それでいて後に証拠は全く残さない。そのお陰で、警察も随分と手を焼いているという噂だった。

 外からの襲撃にそなえ、日が完全に落ちた今では、屋敷の門の前に草間が立ち、周囲に目を光らせているはずだ。
 しかし、そこは警察と違い、人手の足りない民間の零細企業のすること。――今頃彼は、携帯を握り締めつつ怪しい影が近づいてこないかキョロキョロとしていることだろう。
「いいんだよ、俺たちは少数精鋭だ。お宝の前で犯人を捕まえるのが本当の狙いだからな」と草間は言っていたが、さてどこまでが彼の本気だっただろうか。



「悠宇さん、どうですか一杯」
 勝手に入り込んだ茶室の一角。礼儀正しく正座をしたシオン・レ・ハイは、目の前であぐらをかく羽角悠宇に抹茶をすすめる。
 勧められた悠宇は、茶碗を持ち上げ、抹茶の匂いを眉をしかめつつ嗅ぎ、それを恐る恐るといった表情で口にした。
「……まずい」
「だめです悠宇さん。日本人たるもの、わびさびの心は常に持ち続けていなくては」
「なぁシオン、茶菓子ないの茶菓子」
「いやー、それが抹茶と茶道具一式しか押入れにはなかったんです。あ、ちなみに私は茶菓子ですときんつばが好きです」
「……ていうかさ、それ以前に、勝手にここ入ってよかったのか? 俺たち、明らかに不法侵入してるよなこの部屋に」

 頂上階でばったり出くわした悠宇とシオンは、なぜか今茶室で膝をつき合わせていた。一言でいえば成り行きで、詳しく言えば――茶室を発見し、そのことに目を輝かせたシオンが、悠宇を無理やり引っ張り込んだのだ。
 もちろん、悠宇だって好奇心に負けた以上、シオン一人の責任するつもりなど毛頭ないが。
「いいのかなあ。きっと下の階じゃ今頃、シリアスな展開やってると思うんだけど。……心配だな」
 急に不安になった悠宇は、一瞬逡巡した後、結局ポケットから銀のピルケースを取り出し、己の使役を呼び出した。
 出てきたのは白いイヅナだ。手のひらよりやや大きいほどのそれは、たちまち悠宇の身体を駆け上り、肩に上ってチチと鳴いてみせる。
「おい白露。お前日和んとこ行ってろ。何かあったら日和のこと、助けてやるんだぞ」
「悠宇さん、それ何ですか? カワイイですね」
「あ、こいつ俺のイヅナ。白露っていうんだ。……白露、ほら行けって……じゃなかった、ちょっと待った!」
 主人の命令に従おうとして駆け出そうとしたイヅナの尾を、悠宇は強く引っ張った。彼の手のひらの中でチチチ、と再び鳴いたのは、今度は抗議の意味合いだったに違いない。
「いいか? 勘違いするな、日和に遊んでもらったりとか絶対するんじゃないぞ。お前が日和を守ってやるんだぞ? 分かってるか? また日和にベタベタしたりしたら、お前今度こそピルケースに閉じ込めるからな」
 チチチ、と鳴いてイヅナは暴れ――そしてふっと姿を宙に消した。
「あー! あいつ逃げやがった! くっそー、あいつちゃんと話聞いてたかな」
「ふーむ、何か大変そうですが、まあまあ悠宇さん、お座りなさい。あ、今度は少しは正座してみたらどうですか? さ、ほらほら」

 膝立ちになった悠宇をシオンは変わらぬ調子でなだめる。
 その穏やかな、それでいてどこか抜けた物言いに毒気を抜かれた形で、悠宇もまた腰を下ろした。シオンのペースに巻き込まれていることにも気づかないまま、今度は正座を試みる。
「うーん、俺、正座苦手なんだよな……よっこらしょっと」
 ちなみに、シオンの茶道の心得はなかなかのものだった。こんな知識、彼はどこで見につけたのだろう? 振る舞いは決して急く事なく、終始余裕があって、さすが紳士を自称しているだけはある、と悠宇は変なところで感心してしまった。
 ――こういうのを『ちょいワルオヤジ』っていうのか? いや、シオンの場合、『ちょいダメオヤジ』ってとこか?
 
 
「ど〜うですか悠宇さん、抹茶をもう一杯」
「え、勘弁してくれよ。それ飲んだらもう4杯目だぜ? さすがにもう飲めないって」
 わずかに顔を強張らせつつ、半ば本気で悠宇は断る。悠宇なりに気を使ったつもりだったが、シオンはあからさまに肩を落とした。
「そうですか、実はボールいっぱいの分量で抹茶を立ててしまったのですが……どうしましょうか、悠宇さん」
「ええ! そんなに入れちまったの? じゃあシオンが飲めばいいじゃん」
「私は抹茶は嫌いです」
「……あ、そう」
 取り合ってられない、と悠宇は一旦は明後日の方を向いたものの、見捨てるのも後味が悪い。結局は二人して入れすぎた抹茶を前に、うーんと頭を悩ませる。
 と。
「では、僕がいただきます」
 聞き覚えのない声。
 いつの間にか、二人の間に見知らぬ少年が座っていた。二人の視線をにっこりと笑って受け止めると、置かれた茶碗を手に持ち、そしてそれをあおる。
「……結構なお手前で」
「ありがとうございます」
 平然と返すシオンに、悠宇はただぽかんとするばかり。
「ちょ、ちょっと……お前、誰だ?」
「いえ、怪しいものではありません」
「その返答、すごく怪しいんだけど」
 少年が身にまとっている、全身白の服装。
 背にはおっているのは、大げさなほどひらひらしている、これもまた白いマント。
 どこか悠然としているこの少年が装うと、不思議と似合っていると言えないでもないが――それにしても怪しい格好だ。
「おいお前、もしかして……」


 突然。
 ドン、という強い爆発音が階下から響いてきた。振動する屋敷内。
 シオンと悠宇は慌てて立ち上がる。
「な、なんだこの揺れ……!」
「地震でしょうかね?」
「んなわけないだろ!」
「ああ、始まりましたか」
 二人に遅れ、純白の衣装をまとった少年が、やはりどこか悠然と立ち上がる。二人と目が合うと、えへへと彼は笑った。
「あぶないですから、しばらくこの下と……あと上には行かない方がいいですよ」
「上?! ここは最上階だぞ?」
「ええ、だからさらに上」
 さらに爆発音。
 屋敷が揺れ、畳の上で茶碗が倒れる。がらがらと転がる茶道具。
「あち、あちちち、湯が足に、足にっ! 悠宇さん熱いです熱い!」
「シオンうるさい! ……あ!」
 その時どこからともなく、白いものが悠宇へと駆け寄ってきた。――イヅナだ。
「おや、白露さん!」
「違う、これは俺んじゃない! ……どうした末葉、日和はどうした!」
 白露とつがいのイヅナ、末葉。こちらの主人は悠宇ではなく――先ほどから悠宇がしきりに気にかけていた人物。
 悠宇の言葉に、チチチ、と鳴いてみせると、末葉は途端に駆け出した。
 振り返ってみれば、いつの間にかあの白い衣装の少年もいない。胸の内で募る不安感が、悠宇を行動へと急きたてる。
「くそっ……! ひょっとしてあいつが、怪盗ムーンリットなのか?! ……末葉! 日和んとこへ俺を連れて行け!」
 イヅナを追い、悠宇は部屋を飛び出した。


「……あ、あれ? 悠宇サ〜ン? 私、足火傷しちゃったかも、なんです、けど」
 そうして、ぽつんと一人、シオンは部屋に残される。
 きょろきょろと周りを見回し、どうしたものかと迷い、結局その場に座りこんでしまった。
 ちなみに、おかげさまで足は大丈夫なようだ。スラックスの裾をちらとめくってみても、火傷を危惧する赤い痕すら残っていない。
「さて、どうしましょうかこれから。そうですねぇ……」
 階下からの振動は収まりつつある。うーん、と声に出して悩んでから、シオンはぽんと一つ手を叩いた。
「では、下へ様子を見に行ってみましょう。何か面白いことが起きているのかもしれませんから」




◇転◇日和と悠宇



 ――2匹のつがいのイヅナは、やがて屋敷で一番高い場所にて邂逅する。
「日和!」
「悠宇くん、大丈夫?」
 そこは屋根の上へとつながる、屋根裏の窓辺だった。
 はしごがかけられた、ほこりまみれの曇ったガラス窓。そこへ駆け寄ろうとした日和を、すんでのところで悠宇は押し留める。
「待てって! 危ないだろ、屋根の上になんて!」
「違うの、屋根の上に夏緒ちゃんが!」
「え?!」


 瓦ぶきの屋根の上に、夏緒は一人で立っていた。
 地上からは随分と高さがある。上空を吹き荒れる風、それから夏緒の身を守るものは何もない。
 金のしゃちほこを支えとし、結われた髪を風に乱しながら、それでも夏緒はまっすぐに立っていた。
 唇を噛み締め――その視線を真っ直ぐ前に据えて。
「夏緒ちゃん!」
「おい危ないぞ、早く中にもどれ!」
 はしごを駆け上がり、窓から上半身を出しながら、二人は口々に叫んだ。



 その時。
 
 ――その場にいた者誰もが、後にそれら一連の出来事を正確に言い連ねる事は出来なかっただろう。
 大きな鳥が羽ばたいたかのような音。破裂音。風の唸り。地面から立ち上るようにして宙を走った閃光。
 全てのことが一度に起こり、そうしてその後に――屋敷の周囲は一面の白煙に覆われていた。


「きゃぁっ!」
「おい、夏緒!」
 悠宇は日和を胸に庇いながら、それでも夏緒に向けて手を伸ばそうとした。
 あと少し、もう少しでスカートのすそに手が届く、というところで、夏緒がくるりと悠宇を振り向く。
「邪魔しないで、おにいちゃん。なつおが呼んだんだから」
「え?」


 
 白煙はなおも立ち上り、ゴウという唸りをあげながら屋根の周囲を取り囲んでいく。
 空気が渦巻くその様を見た悠宇と日和は――やがて夏緒の向こう、もう一方のしゃちほこの元にいる人影を見た。
「……怪盗、ムーンリット……!」
 悠宇がぽつりと呟く。
 それは間違いなく、悠宇が先ほど顔を合わせた少年だった。


 
 彼は屋敷の外からやってきて、まるで鳥のように屋根の上に舞い降りた。
 ハングライダーのようなものだろうか。背中に生えていた『羽』が、彼がパチンという指を鳴らすと共に、一瞬にしてその背に収まっていく。
 純白の衣装に身をまとった彼が、腕を一振りすると、途端に周囲の白煙は動きを止めた。宙に留まり、やがて風に流れだし、周囲へと広がっていく。
 やがてそれは次第に薄くなり、白い霧状になっていく。
「……逃げるのか!」
「だめです!」
 日和が叫び、そして手を組んだ。目を閉じ、精神を統一していく。

 ――力が、発動する。

 大気中の水分が音を立てて凍りついていく。特に怪盗周辺の大気は、闇夜にはっきりと映えるほど白くなる。
 球状に、怪盗を閉じ込めるようにして固まっていく凍てつく大気。日和も悠宇も、彼を閉じ込めた、成功した、と思った瞬間、球の中心にいた怪盗が、また大きく腕を振った
 ――ぱりん、と何かが割れる音。



「……え、花?」
 突然、白くけぶる辺り一面に花が咲き出した。
 そう、煙の中、空中に花が咲いていた。花びら、ではなく、花の香り、でもない。
 手のひら大の白い花が、宙をくるくると回りながらあたり一面に舞っている。それも幾百、幾千も。風に浮かび、揺れて、それは決して沈んでいくこともない。
 花を輝かせるようにして、白煙までもがキラキラと輝き始めた。日和の氷は目に見えない大きさまでに打ち砕かれ、風と合わされ、花と共に舞っている。暗闇の中、氷砂糖を撒いたかのような輝き。
 雪にしては大きく、紙ふぶきにしては華麗すぎる。水辺を漂う睡蓮の様子にも似て、それは花がまるでワルツを踊っているようだ。
「なんだこれ……」
 悠宇は手を伸ばし、花を手に取ろうとした。――が、その寸前で花は消えてしまう。
 かすかに指先に残ったのは、氷のかけらのような冷たい感触。
「花の映像を映し出してるのか? 大気中に?」
「この煙自体が、スクリーンの役目を果たしてるんだわ。ねえ悠宇くん、どこかに光源があるんじゃないかしら……そこからこの煙に向かって、花の映像を『映し出してる』みたい」
「……そっか。この煙は、それが狙いか。でもなぜ、こんなことわざわざ」
「ムーンリットが『かいとう』だからに決まってるわ! 私が、お花をたくさんみたいってこの前お願いしたんだもの!」


 その疑問に答えを返したのは夏緒だった。
 悠宇と日和が、そろって彼女に視線を送ると、夏緒はそんな二人を見向きもしないまま、前方の怪盗をにらみつけたままだった。
「遅いっ!」
 そして一言、そう言い放つ。
 花が舞う周囲の中、怪盗は――白い服をまとった少年は、はにかむようにして笑う。
「ごめんね、なかなか警備が厳しくて。お花どう? 君のために考えたんだ」
「きれいだけど! でもなつお、ずっと待ってたんだから! すっごく眠かったけど、頑張って起きてたんだから!」
「……どういうことだ?」
「すみません、みなさんにはご迷惑をお掛けしました」
 悠宇の呟きを耳にしたのだろう。危なげない歩調で、怪盗はこちらへ歩み寄ってきた。そして二人が身を乗り出す窓辺に立つとひざを折り、目線を合わせてぺこりと頭を下げる。
「あの予告文……本当は、僕たち二人だけの秘密だったんです。それを、大吾郎さんがたまたま目にしてしまって」
「なつおはパパに見せてないもん! ちゃんと秘密にして、ずっと机の中に入れておいたんだよ!」
「うん分かってるよ、だから危ないから、早く窓の向こうへお行き」
 さりげない仕草で、怪盗は夏緒を窓の向こうへと追いやる。そうして日和がしっかと彼女を抱きかかえるのを見て微笑んでから、もう一度悠宇たちに頭を下げた。
「夏緒さんとは、以前……仕事中の僕を見られたのがきっかけで、それで知り合ったんです。それ以来たまに……こんな風にやりとりを続けていました。内容が他の人に分からないよう、暗号文にしたてて」

 そして、迷いのない素振りで立ち上がった。
「でももう、こんなことはやめにします。夏緒さんに迷惑がかかったら大変だから。……じゃあね、夏緒さん」
「ま、待ってよ! 行かないで! もう会えないの!」
「君が大人になったら迎えに来るよ、それまではお別れだ」
「やだ、やだよ!」
「じゃあね」
「やだってば!」


 じたばたと暴れる夏緒を、日和は必死に抱え込む。
 抜け出そうとしてそれが敵わないと悟ったのか、終いには夏緒は泣きじゃくりだしてしまった。
「……楽しかったよ、夏緒」
 ――愛娘は、決して悪い事を企んだわけではなかったけれど。
「今回のことは、こういうことだったのね……」
 日和のつぶやきは、うなる風にかき消され、消えていく。
 薄くなっていく白煙、そして闇夜に広がる翼。

 満月を従え、白衣の怪盗は振り返ることなく、その空に姿を消した。





◇結◇シュラインと悠宇



 そして。
 屋敷から立ち上った白煙をボヤとして119番通報された響邸は、そのまま警察に踏み込まれる事となってしまった。
 ひょっとしたら、結局捕まることなく姿を消した怪盗は、そこまで計算していたのかもしれない。

 そうして響氏は、屋敷内に溜め込んでいたいろいろなものを『発見されてしまった』らしい。
 事件翌日に、響氏の写真と名前が新聞紙面いっぱいに踊っていた。あれほど名声を欲しがっていた彼のことだ、さぞ喜んでいることだろう。とはいっても、彼自身は格子の向こうに収監されてしまったようで、恐らく新聞そのものを見ていないだろうが。
 だが、料金は前払いですべてもらっていた草間にとっては、それらは全てどうでもいいこと。参加のメンバーが全て無事に返ってきて、報酬もたんまりとあっては、これ以上望んだらバチが当たるというものだろう。

 世は並べて事なきかな。暑くもなく寒くもなく、雨も降らずにいい天気。
 ああ、今日もまた平和だ――
 
 
 
 ――そんな後日。
「へーっくしょん!」
 古びた興信所に、くしゃみの声が響く。
 窓の外で寝そべっていた猫が、驚きに飛び上がり、にゃーんと一声、逃げ去った。
「草間さん、うるさいってば」
「バカヤロウ、病人のいるとこにわざわざ来る奴があるかよ、全く……は、ハクション!」
「ほらほら、武彦さん。寝てなきゃダメじゃない」


 この秋の夜、薄着のまま一晩外にいたのが効いたらしい。
 あの事件で、草間は風邪という全くありがたくない報酬までいただいてきてしまった。彼はここ数日寝込むばかりで、全く仕事にならない。
 最も、そうでなくとも仕事は今現在全くないのだが。
「ああもう、俺にうつさないでくれよ? 大人しく寝てろって」
「ま、こればっかりは悠宇君の言う通りだわ。武彦さん、ほら布団に入って」
 シュライン・エマと、事件後の報告ついでに興信所を訪れていた羽角悠宇になだめられ、草間はぐずぐずと鼻を鳴らしながら、ソファの上におざなりに置かれた布団にくるまる。

「全く、草間さんもとことんツイてないよなぁ。なんでそんな風邪ひいちまうんだか。……って」
 同情半分、からかい半分の目を草間に向けていた悠宇だったが、その視線をふとシュラインへと向ける。
「あれ? シュラインさん、その腕んとこ、どうしたの?」
「腕? ……ああ」
 シュラインの左の手首に見慣れぬ包帯が巻かれていた。悠宇の視線を受け、シュラインは苦笑してみせる。
「大した事ないんだけどね。ちょっとあの事件の時に、クミノちゃんとケンカしちゃって」
「……? ふーん」
「ケンカっていうのか、あれは。シュライン」
「何かあったの?」
「いいのよ、武彦さん。……ふふ、実はね。さっきシオンさんから電話があったの」
「シオンのやつが? 何言って来たんだ」
 いまいち正体不明のシオン・レ・ハイのことを、草間は少し警戒しているらしい。わずかに眉間を曇らせた草間に、シュラインは笑いかけてみせる。
「あのね。……私と武彦さんに妬いてたみたいですよって」
「は?」
「だからね。クミノちゃん、武彦さんに憧れてるでしょう? ……それで、武彦さんと仲のよかった私が悔しかったみたい」
「……って、シオンが言ってたのか」
「ええ、そう」
「……それで、なんでお前はそんなに上機嫌になってんだ?」
「あら、分からない? 武彦さん」
「分かるか」
「あ、なんだよ草間さん。俺にだって分かるぜそんなの」
「そうよねー、悠宇君」
 頷きあう二人をよそに、首をかしげる草間。ついでにくしゃみも一つ。


「やっぱり、男性は優しさがなくっちゃね。女心を分かってくれるし」
「まーね。俺は誰より日和のこと理解してるって自信あるし」
「あら、ご馳走様」
「シュラインさんは大変だよなぁ。毎日毎日、こんな草間さんの相手ばっかりじゃ」
「うるさいぞ、悠宇。さっさとどこかへ行っちまえ」
 草間の、風邪でかすれたダミ声も、ふて腐れた態度も、今の悠宇は意に介さない。その表情は明るく、どこか楽しげだ。
「もうすぐ日和がここに来るんだ。ここで待ち合わせなんだけど、それまで待っててもいいよな、シュラインさん」
「ええ、もちろん」
「おい、ここは俺の事務所だぞ」
「そういえばさ、俺のイヅナが……あ、白露ってんだけど。この前の事件以来なんかぐったりしてんだよなぁ。なぁシュラインさん、こういうあやかしってさ、何か食べさせたら元気になったりすんのかな」
「あら、この子大丈夫だった? あらあら、まだ疲れてるのかしら」
「おい! 所長の俺を無視するな! ……へ、へ、へくしょん!!」






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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)   
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【0086/シュライン・エマ/しゅらいん・えま/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3524/初瀬日和/はつせ・ひより/女/16歳/高校生】
【3525/羽角悠宇/はすみ・ゆう/男/16歳/高校生】
【5745/加藤忍/かとう・しのぶ/男/25歳/泥棒】
【1166/ササキビ・クミノ/ささきび・クミノ/女/13歳/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】
【3356/シオン・レ・ハイ/しおん・れ・はい/男/42歳/紳士きどりの内職人+高校生?+α】

(受注順)


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          ライター通信           
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こんにちは、つなみりょうです。今回はご発注下さり、誠にありがとうございました。
さて、大変お待たせしてすみませんでした。今回のお話をお届けいたします。
少しでもご期待に添えていればよいのですが。

今回は主に(OP&)起、承、転、結の4パートに分かれています。
もちろん、最初から最後まで、それぞれのPCさまが主人公の独立した話なのですが、今回他の参加者様のお話も「同時進行」という形で時間が流れています。
合わせて他の方の作品を読んでいただけると、他の場所で何が起こっていたのかが分かって楽しいかもしれません。

あと、OPの謎かけの答えですが……「オ付summer」で夏緒が狙い、というのが正解でした。
みなさまの正答率の高さにびっくりしました……簡単すぎたでしょうか?(笑)
それから、次の文も「頂に参る」……ということで、「頂上に行く」という意味の二重がけがしてありました。こちらはオマケのような伏線のような、ぐらいの意味合いだったのですが、それにもツッコミを入れられてた方がいてびっくりです。


悠宇さんこんにちは、今回もお会いできて嬉しいです。
さて、今回はいかがでしたでしょうか、楽しんでいただけてれば幸いです。
今回は白露に活躍? してもらったかなーという気がします。(だけど書いてみたら、どちらかというと日和さんsideの方に、その活躍の場が移ってしまった気がしますが)ちょっぴりかわいそうでもあるのですが(笑)おそらく今頃ピルケースの中で拗ねていると思いますので、どうぞ労わってあげて下さいね。


私事ではありますが、今回の納品をもちまして、テラでの納品が100作品を突破しました。活動期間からするとあまり多い方ではないと思うのですが、これを機に心機一転(?)気持ちを引き締めなおしつつ、今後もまだまだ活動して行こうかと思います。
見かけた際は、またぜひご一緒して下さいませ! どうぞよろしくお願いいたします〜

ではでは、つなみりょうでした。