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Night Bird -蒼月亭奇譚-
蒼月亭に入った者は全員同じ言葉で出迎えられる。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
いつもの言葉を聞き、シュライン・エマはカウンターの一席に座った。時間は丁度お昼時で、既にキッチンからは美味しそうな香りが漂っている。
「シュラインさんこんにちは。今日は何になさいますか?」
レモンの香りがする水を差し出しながら挨拶をしてきたのは、ここの従業員の立花 香里亜(たちばな・かりあ)だ。それににっこりと微笑みながら、シュラインはメニューも見ずにこう言った。
「いつもの『マスターの気まぐれランチ』をお願いね、香里亜ちゃん。今日のデザートは何なのかしら」
「今日は『ブドウのクラフティ』です。デザートと飲み物どちらになさいますか?」
「丁度ブドウが旬だものね…じゃあ、今日はデザートで」
「かしこまりました…ランチ一つお願いしまーす」
香里亜がキッチンに向かって声をかけると、そこから店主のナイトホークが顔を出した。そしてシュラインが座っているのを見て、にっと笑う。
「よう、最近寒くなったな」
「そうね、そろそろ冬物の用意もしなくちゃいけない時期になったわ。今日も何が出て来るか楽しみにしてるわね」
ここでランチを取る楽しみ。それはナイトホークが客の顔を見てから作る、一人一人違うランチメニューだ。たまに香里亜が和食を作るときもあるが、それでもお総菜を色々と作っていて、隣に座っている人と食べている物が違うのはしょっちゅうだ。
ナイトホークがそれを聞いてまた微笑む。
「少々お待ち下さいませ」
そんな様子を見ながら、シュラインは思い出していた。
この店で始めてナイトホークの名を聞いたときのことを。
その日もシュラインはランチタイムに蒼月亭のドアを開けていた。だが、いつもと違っていたのはドアを開けた瞬間かけられた声のトーンが、全く違っていたことだった。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
カウンターの中にいるマスターの姿が見えず、その代わりに小柄な少女がちょこんと立っている。耳を澄ますとマスターが近くにいることは分かったが、シュラインは真顔で少女に向かって冗談を言った。
「マスター、脱皮したの?」
それを聞いた少女が一瞬目を丸くした後、クスクスと笑う。
「ふふふっ…実はあの姿は着ぐるみだったんですよ」
「あら、そうだったの。最近の着ぐるみはよく出来てるわ」
そう言って楽しげに笑っていると、マスターがカウンターの裏から出てきて、少女の頭を軽く押さえる。
「誰が着ぐるみだ、香里亜」
「ナイトホークさんやめて下さい、これ以上身長縮んだら困りますー」
マスターの名を聞いたのはそれが初めてだった。何度か店に来ていたことはあったのだが、名前をいきなり聞き出すのも妙だと思い「マスター」と呼んでいたのだが、今聞いたナイトホークというのが本名なのだろうか…カウンターに座り笑いながらシュラインが二人を見る。
「私、初めてマスターの名前聞いたわ。ナイトホークさんって言うのね」
「あれ?そういえば名前言ってなかったか…ナイトホークって言うんだ。マスターでも名前でも好きに呼んでいいよ」
ナイトホークがそう言いながらにっこりと笑ったので、シュラインも名刺入れから自分の名刺を二枚出した。翻訳の仕事をするときの名刺だが、裏には草間興信所の住所と電話番号も書いてある。
「私も自己紹介してなかったわね。シュライン・エマよ。よろしくね」
その名刺を受け取りながらナイトホークは興味深そうに頷き、香里亜は両手でじっと名刺を見ていた。
「翻訳家なんてすごいですね…あ、私ここの従業員の立花 香里亜です。よろしくお願いします。えーと『シュラインさん』って呼んでいいですか?」
ぺこりとお辞儀をするのがなんだか可愛らしい。それににっこりと頷きながら、シュラインは差し出された水を飲む。
「ええ、好きに呼んでちょうだい。ところで……」
「あの時シュラインさんに『二人は親戚かなにかなの?』って聞かれたんですよね…なんかそう考えると、ずいぶん前のような気がします」
今日のメニューは『キノコとカボチャの温野菜マリネ』に、メインは『なすと椎茸のはさみフライ』だった。それに特製のソースとおからを使って作られたパンが添えられている。
「二人ともずいぶん仲が良さそうだったから、親戚とかだと思ったの」
仲が良かったのは元々香里亜とナイトホークが知り合いだったからなのだが、その時は本当に親戚のように思えたのだ。その後で香里亜が北海道からやって来たことなどを聞いたりもして、それからすっかり蒼月亭の常連になっている。
中に挽肉が挟まれたなすに舌鼓をうちながら、シュラインはふとこんな事を言った。
「そう言えば、あの後ナイトホークの名前聞いてから、ずっとそれで呼んでるのよね…実は何か他のいい呼び方がないかなとか考えてるんだけど」
それを聞き、カウンターの隅で煙草を吸っていたナイトホークが顔を上げた。香里亜はなんだか楽しそうにグラスなどを拭いたりしながらその話を聞いている。
「他の呼び名?ナイトホーク自体通り名みたいなもんだけどな…」
「私のお父さんは『NOT DEAD LUNA』とか、略して『LUNA』とか呼んでますけど、ナイトホークさん結構あだ名多いですよね」
香里亜の父が呼んでいるという『NOT DEAD LUNA』に関しては、本人からその理由を聞いていた。月の満ち欠けからだと思っていたのだがそれだけではなく、月のようにずっと静かに光りながら変わらずに『そこにある』という理由から名付けたらしい。
「他にも色々呼ばれてるの?」
シュラインが聞くと、香里亜が笑いながら頷く。
「はい。私が知ってるのは『夜サン』に『ホークちゃん』ですけど…」
『夜サン』は呼ばれているのを聞いたことがあるが、『ホークちゃん』は初めてだ。一体どんな人がそう呼んでいるのだろうと思うと、なんだか無性に可笑しい。
「ちょっと『ホークちゃん』は盲点だったわ…何か可愛いわね」
「いや、シュラインさんにそれ呼ばれたら、マジでむせるから勘弁して」
困ったように首を振るナイトホークに、シュラインはクスクスと笑った。色々と考えてはいたが、流石に『ホークちゃん』と呼ぶのは少し恥ずかしい。
さて、一体どんな呼び方をしたらいいのだろう。おからが半分以上入っているという香里亜特製のパンを手で一口大にちぎりながら、シュラインはまずナイトホーク自身に聞いてみることにした。
「ナイトホーク自体が通り名みたいって事は、呼ばれたくない名とかがあるのかしら。だったら気を悪くさせたくないから、私も避けたいんだけど…」
ナイトホークをそのまま直訳すると『夜鷹』になる。だがそれは日本ではあまりいい呼び方ではないはずだ。英語名なら『Jungle Nightjar』だが、それをそのまま通していいものかも悩む。
するとナイトホークは煙草の煙を上に向かって吐きながら、ふっと微笑んでこう言った。
「うーん『ヨタカ』だけはちょっと嫌かな。それ以外ならなんでもいいよ」
「分かったわ」
名前から連想する名を呼ばせないのはそのせいか。シュラインはフォークでマリネを突き、自分が考えた呼び名を言い始めた。
「私が考えたのは『ナっちゃんさん』とか、『王子さん』とかだったのよね…」
『王子』と聞き、ナイトホークがシュラインの方をまじまじと見る。だが香里亜はそれを聞き妙に納得していた。
「ああー、ナイトホークさんってなんだか『囚われの王子様』ってイメージありますよね」
「でしょ?この前からそう思ってたのよ」
シュラインが言った「この前」とは、ナイトホークが誘拐された事件のことだ。それからぼんやりとだが、何故かその『囚われの王子様』というイメージが頭に残りずっと気になっている。
「いや、王子って言って俺が出てきたら詐欺だろ」
ナイトホークは苦笑しているが、シュラインと香里亜はかなり真剣だ。
「『王子様』じゃなくて『王子さん』ってのがナイトホークさんっぽいですよね。私も何か考えてみようかな」
「二つ合わせて『ナっちゃん王子さん』ってのもいいと思うのよね…」
人の呼び方を考えるのはなんだか楽しい。それは「自分だけの呼び方」があるとなんだか相手との距離が縮まるような気がするのもあるが、本人が頷いたり感心したり、はたまた嫌がったりする反応を見るのにも醍醐味がある。シュラインとしては考えてきた『ナっちゃんさん』などがかなり気に入っていた。
それを言うと、ナイトホークは吸っていた煙草を灰皿で消しながらふっと笑う。
「『ナっちゃん』はなんかオレンジジュースみたいだな…」
「だから『ナっちゃんさん』なのよ。結構いいと思うんだけど…香里亜ちゃんはどうかしら」
その呼び掛けに一生懸命考えていた香里亜が顔を上げる。
「『ナっちゃんさん』可愛いですよね。可愛いのが嫌なら『鷹さん』とかどうですか?なんか渋いですよ」
それを聞いたナイトホークがぶんぶんと手を横に振った。
「それはどっかの俳優みたいだからやめろ。どの俳優かは詳しく言えないがやめてくれ」
多分香里亜は全く気付いてないだろうが、流石にそう呼ばれて気軽に返事が出来るほど悟りきってもいないし、事情を知らない客に詮索されるのはもっと困る。
「えー、格好いいと思ったんですけど」
「その呼び名はダメです。理由を聞くのも却下」
二人の会話に楽しげに笑いながら、シュラインはフォークを置いた。楽しく話しているうちにすっかり今日のランチを堪能してしまった。旬の物がたくさん出てくるランチは美味しいし、会話も楽しい。おそらくここでよく顔を合わせる他の常連達も、そんな思いから来ているのだろう。
「あ、あいた食器お下げします。『ブドウのクラフティ』すぐお出ししますね」
カウンター越しに食器を下げる香里亜を見て、ナイトホークも何かに気付いたようにコーヒーミルに手を伸ばす。
「あー何かぐったりきたわ。折角だからコーヒーも飲んでってよ。にしても『鷹さん』は勘弁してくれ…」
「ふふふっ、じゃあその日の気分で『ナっちゃんさん』とか『ナっちゃん王子さん』とか呼び分けようかしら。それならいいでしょ?」
にっこりと笑うシュラインに、ナイトホークがミルに豆を入れながらふうっと溜息をつく。
「いいよ、それで」
「よろしくね、ナっちゃんさん」
そう呼び掛けると、シュラインの目の前にココット皿で焼かれた『ブドウのクラフティ』が小さなフォークと共に出された。それを出した香里亜は二人を見てにっこりと笑いながら、こんな事を言い出す。
「何かナイトホークさんだけいっぱい呼び名あっていいなー。私も誰かに『カッちゃん』とか呼んでもらおうかな」
「どっかの野球マンガかよ…鷹で『タッちゃん』は断固拒否するぞ」
香里亜とナイトホークの会話を聞きながらその素朴な焼き菓子を口に入れると、しっとりとした生地にブドウがはじけ、優しい甘みが口いっぱいに広がった。きっとコーヒーと一緒に食べると一層美味しいだろう。
「香里亜ちゃんは名前が可愛いから、つい名前で呼んじゃうのよね。香里亜ちゃんのお父さんのネーミングセンス素敵よ」
「そうですか?シュラインさんにそう言われると、名前で呼ばれるのも悪くないです」
小首をかしげニコニコと笑う香里亜の後ろでは、ナイトホークがゆっくりとコーヒーを入れている。
「香里亜、お前現金だな」
「シュラインさんとか憧れの人にそう言われると、自信持っちゃうのが女心なんですよー。私、シュラインさんみたいに大人っぽいお姉さんになりたいですし」
シュラインはくす…と笑い、また焼き菓子を口に運ぶ。
またこれからもこの蒼月亭という店で、色々なことに出会ったりするのだろう。そしてその度に驚いたり笑ったり、時には冷や冷やしたりするだろうが、ここは大事な場所の一つだ。
そんな事に思いを馳せていると、いつもの香ばしい香りが鼻をくすぐる。
「新しい呼び名のお礼に一杯どうぞ。そして今後ともごひいきに」
「ありがとう、ナっちゃんさん」
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
◆ライター通信◆
蒼月亭へのご来店ありがとうございます、水月小織です。
香里亜との出会いのシーンとともにナイトホークの呼び名を考える…ということで、めでたく『ナっちゃんさん』をベースに今後呼んでいただく事になりました。『ナっちゃん王子さん』は結構ツボですが、そう呼ばれる日は来るのでしょうか。囚われの王子様というのがなんだか妙に合っているような気がします。
そういえばナイトホークだけ妙に呼び名が多いですよね。
リテイク、ご意見はご遠慮なく言ってください。
またのご来店をお待ちしています。
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