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過去の労働の記憶は甘美なり
それは蒼月亭の閉店時間間近の時だった。
午前2:30が閉店時間だが、その日は客が早く引けナイトホークは一人カウンターの中で煙草を吸っている。
「流石に今から来る客はいねぇか…」
心の中でそう呟き溜息と共に煙を吐くと、入り口の前で車が止まった音がした。ガラス越しに見えるその灯りを見て、ナイトホークは思わず眉間に皺を寄せる。
「…嫌な客が来た」
扉の前に止まったのは黒塗りの車。そこに乗っているのが誰かを、ナイトホークはよく知っていた。こんな事なら最後の客が出て行った時点で早じまいしておくべきだった。だが、今更そんな事を言っても仕方がない。
ドアベルが鳴り、二人の客が店の中に入ってくる。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
そこに立っていたのは『Nightingale』に所属している少女の白鋼 ユイナ(しろがね・ゆいな)と、その長である篁 雅輝(たかむら・まさき)だった。
「一番安全に情報を運ぶにはどうしたらいいと思う?」
ユイナが雅輝にそんな事を言われたのは、蒼月亭へ向かう車の中でのことだ。運転席と後ろの席には仕切りがついていて、会話は運転手に漏れないようになっている。たとえ聞こえていたとしても、運転手自体も『Nightingale』の一員なのだから、個人的に会話に口を出してくることはないのだが。
ユイナはそれを無表情で聞きながら、窓の外に目を向ける。
「メールや電話はダメね。何処かから漏れる可能性があるもの」
「そうだね。だから僕は重要は仕事の連絡は、絶対メールでやりとりしない。その点で行くと郵便も信用出来ないね」
そう言いながらくす…と雅輝が笑う。その表情を見て、ユイナは雅輝が何を言わんとしているかに気付いていた。
メールは漏れる可能性がある。電話は盗聴されている可能性がある。郵便は日本であればまだ確実に届く部類であろうが、安全にと言われるとそれには多少不安がある。
一番安全で、確実に相手に情報を届ける方法。
「雅輝はいつも遠回りな質問をするわ…確実なのはまず『雅輝が書いた手紙を、信用出来る誰かが直接届ける』事だわ。この前蒼月亭に行ったときがそうだったもの」
若くして篁コーポレーションの社長に着いた雅輝は、かなり疑り深いところがある。それは社長になった経緯や、今までの生き方がそうさせるのだが、安易に何でも信用してしまうよりはよっぽどいいとユイナは思っている。少しぐらい疑り深くなければ、この世界で生き残っていくことは出来ない。
街の灯りが窓を流れ、車は徐々に蒼月亭へ近づいてくる。ユイナの言葉に満足そうに頷いた雅輝は、目を閉じ一つ溜息をついた。
「僕が信用している者に直接届けさせるのが確実だ。そしてもう一つ『僕が直接相手に情報を伝えに行く』かな」
それを聞きユイナが雅輝の方を見た。
「それはどうかしら。雅輝が誰かに襲われたら安全じゃないわ」
「僕はユイナ達を信用しているよ。それともユイナは僕を守りきれる自信がない?」
雅輝は分かってて言っている。もしここで何者かが襲ってきたとしても、運転手とユイナの二人で守りきれると言うことを。
ふい…とユイナが窓の方に目をやり、雅輝がそれに笑ったあと視線を足下に向ける。
「今日のオーダーは、直接相手に伝えに行かなきゃならないんだ。もちろんユイナも一緒に…」
カウンターの上にはコーヒーカップが二つ乗せられていた。
ナイトホークは煙草を吸いながら、天を仰ぐように視線を天井に向けている。
「直接来るなんて珍しいな。しかも二人連れで」
ユイナはその言葉に黙ってコーヒーを飲んでいた。いつもと同じ、研ぎ澄まされたようなブレンド。
「オーダーがオーダーだから、君に直接言った方が良いと思ったんだ。ユイナも一緒に聞いて欲しい…旧陸軍研究所の記録から、人造ヴァンパイアが逃亡していることを突き止めた」
静かに、そしてはっきりとした雅輝の言葉にナイトホークが視線を降ろし、ユイナは飲んでいたカップをカウンターに置く。
「それは確実な情報なんだろうな?」
「今まで僕が確実じゃない情報を持ってきたことがあるかい?」
三人の間に沈黙が流れた。
雅輝は裏の取れていない情報を決して人に回すような人間ではない。だが『人造ヴァンパイア』とは一体何者なのか。ユイナの赤い瞳が急に真剣みを帯びる。
「それをナイトホークと一緒に倒せばいいのね?」
ユイナの言葉に雅輝が頷き、コーヒーを一口飲む。
「そう。旧陸軍研究所の情報はこっちの方で調べておくから、ユイナとナイトホークはそれを倒す事に専念して欲しい」
それを聞き、ナイトホークがわざと大きく溜息をついた。そしてゆるゆると首を横に振る。
「断る。研究所関連の事なら首を突っ込むが、化け物退治までする気はねぇ」
だがナイトホークの言葉を聞いても、雅輝は静かにコーヒーを飲むだけだ。そしてもったいぶるように間を取った後、顔を上げナイトホークを真っ直ぐ見てこう言う。
「そのヴァンパイアが『綾嵯峨野研究所』で大正時代に作られたものだと言っても?」
「………!」
ナイトホークが明らかに雅輝の言葉に動揺したのを、ユイナは不思議な気持ちで見ていた。その言葉の意味はよく分からないが、ナイトホークにとってそれは、自分と一緒に仕事をするだけの理由になるらしい。
「ユイナのバックアップをするだけでいいんだ。もちろん対ヴァンパイア用の装備はこっちで用意する。ユイナもいいかい?」
「ええ、わたしは問題ないわ」
ヴァンパイア・ハンターである自分が吸血鬼を狩らない理由はない。それが作られし者であろうとそれは変わらない。
自分を落ち着かせるように煙草を吸っていたナイトホークが、感情を抑えるように声を出す。
「…話が変わった。せいぜいユイナの足手まといにならないようにするさ」
強い風がガタガタと窓ガラスを鳴らす。
その後ろに遠雷の音が響きはじめていた。
雨が強く降り始めてきていた。
ユイナとナイトホークがやって来たのは、とある山にある廃病院だった。そこは昔隔離病棟だったようだが、今ではすっかり廃墟と化している。
「確かにヴァンパイアの気配がするわ…」
黒いコートを風になびかせながら、ユイナは病院の入り口に立っていた。ナイトホークは雨に目を細めながら改造三八式歩兵銃を肩に提げ、忌々しげな表情をする。
「ユイナ、この事に関しては話さなくてもいいか?出来れば、話したくないんだ」
「ナイトホークが話したくないのなら、別に聞く必要はないわ。わたしが雅輝から受けたオーダーは『人造ヴァンパイアの殲滅』だもの」
そう言うユイナは全くの無表情だった。確かに『綾嵯峨野研究所』などユイナが初めて聞いた言葉はあるが、それは『命令』とは全く関係のないことだ。そしてそれを聞くことでナイトホークとの連携が崩れるのは危険だ。ユイナにとってはそっちの方が重要だ。
「それよりわたしが気になるのは、ナイトホークがちゃんと戦えるかだわ。引き返すなら今のうちよ」
その瞬間稲妻が光り、轟音が空気を揺らした。その光りに一瞬照らされたナイトホークは、真っ直ぐドアを見つめている。
「俺は相手が知り合いでも引き金をひく!」
二度目の稲光と共にナイトホークは入り口のドアを蹴り開けた。轟音が破壊音を消し、それと共に埃っぽい匂いが中から漂ってくる。走り込んだナイトホークに続き、ユイナもその中に躍り込んだ。
「………」
ただの闇に見えるが、確かに吸血鬼の気配がする。それも一体だけではない。『人造ヴァンパイア』と言うが、ヴァンパイア自体吸血によって仲間を増やす者達だ。最初に作られたそれが、その能力を感染させないとは限らない。
ざわっ…としたざらついた気配と共に、闇から影が現れた。
「ダレダ…ダレダ…」
そのたくさんの影はユイナとナイトホークを確実に視認し、ゆらりと二人を見つめる。そこに銃声が響き渡った。
「死ねぇっ!」
ナイトホークが銃を構え、その群れへ向かって銃を撃つ。三八式歩兵銃の装弾数は五発…全部撃ってしまえば、後は着剣して近接するしかない。その音に怯んだ隙に、ユイナは壁を蹴って天井まで駆け上る。
「狭い空間なら銃は不利…」
背中に提げていたナイフを抜き、音もなくユイナは吸血鬼の群れに向かって襲いかかった。純銀で出来たナイフを逆手に持ち、そのまま横へと滑らせる。
「闇に還れ」
刃先に感じる確かな抵抗感。それと共に感じる高揚感。
姿勢を低くして着地し、ナイトホークと自分とどちらを狙えばいいか分からない吸血鬼達の足下をなぎ払う。
「ナイトホーク!」
ユイナが時間を稼いでいる間に、ナイトホークは着剣した銃剣を構え、突撃姿勢に入った。
「雑魚に用はねぇ!」
カッとまた稲光が入り口から入ってきた。その光りの中でユイナが見たのは、ほとんど同じ顔をした吸血鬼の群れと、笑いをこらえるように歯を食いしばりながら銃剣を振り下ろすナイトホークの姿だった。
「『血の兄弟』…人造ヴァンパイアってのは本当みたいね」
吸血鬼にも色々な種族がいる。ただ血に飢えた獣と変わらない者もいれば、光さえ克服し貴族のように振る舞うものや、芸術に耽溺する者など色々だ。だが、その中でも『血の兄弟』と呼ばれる人造ヴァンパイアは、物理的攻撃に長けた者達だ。
ただ厄介なのは、彼らは個人としての意識が低い反面仲間意識が強く、仲間同士で痛みだけでなく体を共有し合ったりする。
「何だ、こいつら…」
ナイトホークが銃剣で切り飛ばした手を、他の者が拾い失った自分の手に付け、更に襲いかかろうとする。それを見てナイトホークとユイナが距離を取る。
「こいつらは頭を潰さない限り、仲間の体を使ってでも再生しようとするわ。見て、お出ましのようよ」
ざわざわと闇が鳴る。
朽ちかけた階段から発せられるのは、吐き気がするほどの憎悪と絶望。辺りに血の匂いが立ちこめ、ゆっくりと階段を下りる音がする。
「ここから去れ。そうでなければ、私はお前達を殺さねばならない…」
人であれば見えなかっただろう。階段の上から下りてきたのは、軍服を着た一人の男だった。その男はナイトホークが持っている銃剣を見て、ゆっくりと顔を上げる。
「三八式、歩兵銃…?」
だがそれと同時にナイトホークの顔色も変わっていた。口元に呆れたような笑いを浮かべながら、小さな声で呟く。
「嘘だろ…あんたは俺が…!」
ナイトホークが駆け出すのと共に、ユイナも同じように階段の方に向かって駆け出していた。 その攻撃を止めるかのように『血の兄弟』達がそれを守るように一気に集まり、今まで一人一人だったものが大きな一つの塊になろうとしている。
「ナイトホーク、冷静になって。それが出来ないなら、一番最初にわたしが殺すのはあなたよ」
その声凛としたで我に返ったようにナイトホークの動きが止まった。猛禽類のような鋭い視線が塊をじっと見据える。
「ユイナ…階段の奴は任せる。永遠に目覚めないように、完全に殺してやってくれ…俺はこのデカブツを何とかする」
「了解」
タン…と足音を立てナイトホークが塊に向かって低い姿勢で銃剣を突き出していく。
「ユイナあっ!」
その声を合図に、ユイナはナイトホークの背を踏み台代わりに階段の上まで飛び上がった。それは音もなく、まるで本当の夜啼き鳥のように静かな滑空だった。
「………」
ユイナと男の間にピンと張りつめた緊張感が漂う。ユイナは脇に提げていたリボルバー式の拳銃を男に向かって向けた。S&M(スミス&ウェッソン)M500 8インチモデル…反動はすさまじいが、当たれば吸血鬼に深手を負わせることが出来る。これだけ至近距離なら外す方が難しいぐらいだ。
「あなたが大正時代からの亡霊なのかしら」
階下ではナイトホークの叫び声が聞こえる。それがまるで慟哭のように建物に響き渡った。ユイナの問いかけに男はゆるゆると首を振る。
「分からない…何か思い出しそうなのに、それが分からない…」
男の目からすうっと涙が流れた。だがそうしているのに手は腰に下げているサーベルにかかっている。
「血が欲しいんだ…人を殺めるのは嫌なのに、それがどうしても止まらない!」
ヒュン…と風を切る音がする。だが振り下ろした先にユイナはおらず、トン…と身軽にその攻撃を避けいつの間にか手すりの上に立っている。
「わたしがあなたを楽にしてあげる。だから無駄な抵抗はやめなさい」
引き金を引くと共に建物の中の空気が響き、耳が一瞬キン…と鳴る。ユイナの撃った弾が男の右の肩口に当たり、そこから赤い血が噴き出していた。それと共に階下にいた『血の兄弟』達もうめき声を上げ、塊が少しずつ離れはじめる。
「『血の兄弟』は、頭である貴方の痛みを共有する…何か伝えたいことがあれば、今のうちに言って頂戴。わたしはナイトホークの約束と、雅輝からの命令を守るためにあなたを殺さなくちゃならないから」
「約…束…。そうだ…『どちらかが死にそうになったら、お互いの手で楽にしよう』って…私を楽にしてくれ。永遠に目覚めないように…」
男がユイナに向かって涙を流したまま微笑む。
ユイナは無表情のまま引き金を引いた。一発…二発…その弾は頭を完全に吹き飛ばし、体の中心に穴を開ける。
糸が切れた操り人形のように体から力が抜け、男がゆっくりと落ちていった。ナイトホークと戦っていた『血の兄弟』達も同じように崩れ落ち、次々と床に倒れていく。
「……っ!」
手すりから階下を見下ろすと、小銃にもたれかかり銃床に頭をつけ、かすれる声で何かを呟いているナイトホークの姿が見えた。
「………」
ユイナは黙ってナイトホークの隣に立っていた。なぜだか分からないが、ナイトホークが銃床に頭をつけているのが祈りの姿のように見える。
「ごめん、ユイナ。足手まといだっただろ」
ようやく顔を上げたナイトホークは、先ほどまでの戦闘が嘘だったかのようにユイナに向かって静かに笑う。その様子にユイナは首を横に振った。
「そんな事ないわ。ナイトホークは出来るだけのことをしたもの…だから、わたしも余計なことは聞かないわ」
そう言ってユイナは銃をホルスターにしまい込んだ。そして背中に提げていたナイフを出し、ポケットに入っていた布でそれを一度拭く。
「ユイナ、そのナイフ…」
十字架の形をしたナイフ。その言葉にユイナがナイトホークをじっと見る。
「これがどうかしたの?」
赤い瞳と黒い瞳の視線が重なる。だが、ナイトホークはふっと笑って目を伏せた。
「いや、いい…何でもないんだ。もう少しここにいさせてくれ…」
そんなナイトホークをその場に残し、ユイナは建物を後にする。
自分はオーダーを完璧にこなした。後の詳しいことは雅輝に聞けばいい。
Nightingale。夜啼き鳥。
真実を知るまで、夜の闇を飛び続ける…。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6662/白鋼・ユイナ/女性/18歳/ヴァンパイア・ハンター
◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
ナイトホークと共に『Nightingale』関係の危険な仕事ということで、職業を生かして吸血鬼狩りをしていただきました。ナイトホークを動かすために少しだけ研究所の話や、過去に関わったことも出てますが、詳しいことはまだ闇の中です。
飛んでいるうちにその真実にたどり着けるのかも知れませんが…。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってくださいませ。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。
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