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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり
−廃墟来訪−

 午前二時。ざわめいていた街も静まりかえり、家の灯りなどはほとんど消えている。そんな静かな街の中を、白鋼 ユイナ(しろがね・ゆいな)はいつもの場所に向かって歩いていた。
 蒼月亭。ユイナがここに行くのは、大抵昼と夜との営業時間の境目か閉店間近だ。その時間なら他の客やマスターのナイトホーク以外の従業員に会うこともないし、人の気配がしたらそこから立ち去ることも出来る。今日もユイナはそのつもりで蒼月亭のドアを開けた。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
「あ…」
 誰もいないと思っていたのに、カウンターには黒い革ジャンを着て長い髪を後ろで縛った青年が、ぐったりとカウンターに頭を置き煙草を吸っていた。灰皿の横にはまだ湯気の立っているコーヒーカップが置かれている。その青年はナイトホークと親しいようで、ドアベルの音に姿勢を正す。
 他人と関わりたくない…。ユイナがそんな事を思っていると、ナイトホークが煙草を置いて青年に向かってこう言った。どうやらユイナの来店を『仕事』関連だと思ったらしい。
「麗虎、帰れ」
「なんで?」
 レイコ、と呼ばれたその青年は不満げな声を出し顔を上げた。ナイトホークからはある種の緊張感が漂っているが、麗虎はそんな事に構わず煙草を吸い続けている。
「俺さっき東京帰ってきたばっかなのに、そういう仕打ちする?それってあまりにも酷くない?」
「いいから帰れ」
 こういうときは一体どうしたらいいのだろう。自分はただコーヒーを飲みに来ただけなのに、ナイトホークは仕事の依頼だと勘違いしているし、麗虎は一向に腰を上げる気配がない。このまま出て行けばいいのかも知れないが、そうするとナイトホークは自分を追ってくるだろう。それで面倒なことになるのは困る。
 身のやり場に困りその場に立ちつくしていると、麗虎は吸っていた煙草を消しナイトホークに向かって小指を立てる仕草をした。
「あ。マスター…もしかして逢い引き?」
 それを聞き、ナイトホークが本気で呆れかえったような溜息をつく。
「馬鹿かお前。帰れ、つーか去ね」
「客に向かって去ねとか言うか、普通?」
 なんだか妙な雰囲気になってきた。このまま何も言わないでいると本気でケンカが始まりそうなので、ユイナは小さな声で間に入った。本気で逢い引きと思われるのは恥ずかしいし、こんな状況は初めてなのでどうしたら一番上手く収まるかが分からない。戦いに関しては百戦錬磨のユイナだが、こういうのは一番困る。
「いえ…本当にコーヒーを飲みにきただけ、なんだけど…」
 珍しく少しだけ恥じらいの表情を見せたユイナを見て、ようやく仕事じゃないと分かったのかカウンターの上におしぼりが出された。麗虎はユイナに向かって人懐っこく笑ってみせる。
「よかったら一緒にコーヒーどう?久々に東京に帰ってきたから、誰かと話ししたくてしょうがないんだけど」
「私でよければ…あまり気の利いた話は出来ないけれど」
 そっと隣の席に座ったユイナの目の前に、一枚の名刺が差し出される。そこには住所や電話番号の他に『フリーライター』という肩書きと『松田 麗虎(まつだ・れいこ)』と書かれていた。
「それ、俺の名刺。何て呼んだらいい?」
「ユイナよ…それがわたしの名前。呼び捨てでいいわ」
 コーヒー豆を挽く音に、ジャズが重なる。それはアニタ・オディの『リトル・ガール・ブルー』と言う曲だ。
 なんだか麗虎は不思議な感じのする青年だ…ユイナは自分に向けられた笑みを見てそう思っていた。確かにここにいるのに、何かを何処かに忘れているような印象がする。そうやって他人に興味を持つのがあまりにも久しぶりで、それにユイナは戸惑った。
 先に出された小さなミルクレープを食べていると、麗虎がカメラバッグから何かを取り出しユイナに見せる。
「今日まで東北の方に写真撮りに行ってたんだ。現像終わって久しぶりコーヒー飲みに来たのに、『帰れ』とか言われてどうしようかと思った…写真見る?」
 袋から出されたのは廃墟の写っている写真だった。それは閉山された炭坑の跡だったり廃村になった建物だったりと、どれもこのような建物に独特の妙な静けさを漂わせながらひっそりと一枚の写真の中に収まっている。
 それをゆっくりと眺めていると、ナイトホークが静かにカウンターの上にコーヒーを置いた。立ち上るコーヒーの香りが煙草の匂いに重なる。
「…廃墟の写真ばかりなのね」
 半分崩れかけた教会の写真を見ていると、麗虎はボックスから煙草を一本だし、トントンと曲に合わせてカウンターに打ち付けた。どうやら気付いてくれたことが嬉しいらしい。
「そう。取材と称して暇を見つけては廃墟ばっかり撮りに行ってる…ユイナが持ってる教会の廃墟とか、結構雰囲気出てて気に入ってるけど」
「………」
 崩れかけたステンドグラス、埃の積もった椅子に倒れたイエス像、そして朽ちかけた告解室。
 それを見て、ユイナはある一つの建物を思い出していた。確かそこも教会として使われていたような建物だったはずだ。あの廃墟は何故か気になる場所だったから、こうやって写真にするのは悪くないかも知れない。
「麗虎はまだ廃墟の写真を撮りに行くの?」
「いい場所があればね。どっか知ってたら教えて欲しいぐらいだ」
「だったらいい所があるわ。そこも教会の廃墟なんだけど…」
 シュッと音がして、麗虎の持っていたライターに火が灯る。ややしばらく無言で煙草を吸った後、麗虎は自分で撮った写真を見ながらふっと笑う。
「教会の廃墟か…日本だとなかなか見つからないから、それはちょっと興味ある。良かったら『取材手伝い』と称して案内してくれない?もちろんタダとは言わないから」
 いつもならこんな事を言ったり誰かに関わろうとしたりはしないのだが、何故かどうしてもあの廃墟を誰かに見て欲しかった。ユイナの気持ちが揺らぐ。
「いいわ。少し遠いから、コーヒーを飲んだら出かけましょう。車がなかったらわたしのを出すけど、林道を走るにはちょっと大きいの」
 基本的に日本の林道は軽トラ設計だ。ユイナが持っている大型の4WD車でも通れないことはないのだが、場所によっては道幅がかなりギリギリになってしまう。それを聞いた麗虎は鍵が何本かぶら下がったキーホルダーを出し指でくるくると回した。
「駐車場に俺のパジェロイオが停めてあるからそれで。廃墟探索用の装備とかも入ってるから丁度いい。運転は任せていいの?」
「ええ。そうじゃないと行けないし、わたしも迷い込んで見つけたところだから上手く口で説明出来ないの」
「了解。じゃあ完全にお任せで」
 お互い細かい打ち合わせをしているうちに、コーヒーカップはすっかり空になっていた。麗虎は千円札をカウンターに置き、カメラバッグを持ち立ち上がる。
「二人分のコーヒー代ここに置いとく。ごちそうさま」
 二人一緒に出て行こうとするのを見て、ナイトホークがくすっと笑った。
「逢い引きか、麗虎」
「写真撮りに行くだけだよ…」
 先ほどと逆の会話にユイナが少しだけ目を細める。
「美味しかったわ、ごちそうさま」

 闇の中を飛ばし、車は少しずつ山の中へと向かっていた。山道を走ると多少悪路もあるが、砂浜や河原を走ったりするのでなければ今運転しているぐらいの大きさが丁度いいのかも知れない。
「いい車ね」
 ハンドルを握りながらユイナがぽつりとこう言う。麗虎がヘビースモーカーなので、多少煙草臭いのを覗けば、ハンドルなどの取り回しは悪くない。ユイナの褒め言葉に、麗虎は少し肩をすくめて笑う。
「しょっちゅう機嫌悪くなっては修理出してるけど、割と気に入ってるんだ。本当は大型の四駆が欲しいんだけど、山の中走るのに不便で」
 ポツ…ポツ…と雨がフロントガラスを叩き始めた。それはやがて本降りとなり、ワイパーがせわしく左右に振れる。天候のせいか今まで音楽代わりに聞いていたラジオが聞きにくくなってきた。それをMDに切り替え、麗虎は闇の先を見つめて溜息をつく。
「雨降ってきたな。天気予報じゃ高気圧のど真ん中のはずだったんだけど」
「…秋の天気は変わりやすいから仕方ないわ」
 曇天のせいで夜が明けてきたのかどうかが分からない。徹夜であるはずなのに全く眠そうにしていないユイナの隣で、麗虎は窓にもたれかかっている。
「悪い、ユイナ。何か眠い…」
「着いたら起こしてあげる。東京に帰ってきたばかりだったんでしょ」
「強行軍に慣れてるはずなのに、何か猛烈な睡魔が…」
 目指す廃墟はもうすぐだが、少し寝かせておいた方がいいのかも知れない。
 少しずつ雨が強くなり、道がぬかるんでハンドルを取られそうになりながらも、ユイナは無言で車を走らせ続けた。

「…ん…俺何時間ぐらい寝てた?」
 雨音が響き渡る車内で、麗虎が薄く目を開ける。運転席のシートを少し後ろに倒して休んでいたユイナは、それにふっと微笑む。
「二時間ぐらいよ。よく寝てたから起こさないでおいたわ…あそこよ」
 そう言って指を差した先には蔦の絡まる教会の廃墟が見えていた。雨が細い糸のように降り続いているが、外観だけは何とか撮っておきたい…少し伸びをした後で後部座席からカメラを取り出し、レンズをセットし三脚を用意し始める。
「晴れてるときに撮りたかったけど仕方ないな…」
「傘を持ってあげるわ」
 車内にあった明るいグレーの雨傘を持ち、ユイナはカメラの位置を決めようとしている後ろを着いて歩いた。本当は麗虎が濡れないようにしたいのだが、身長の差でそれがなかなか上手く行かない。雨に濡れたりするのに慣れているのか、麗虎は何かを確かめるかのようにうろうろし、ある位置で三脚をセットし始めた。
「こんな所に教会なんて誰が来てたんだ…?近所に民家もないのに」
 修道院にしては規模が小さく、教会にしては場所が悪すぎる。だがその廃墟は、他の廃墟が持つ存在感と何かが違っていた。
 妙に静まりかえり、雨音しか聞こえない。そして生きているものの気配が全くしない。廃墟自体は既に役目を終えた物として静かに佇んでいるものだが、それにしても『この世とあの世の境目』に立っているがごとく、気配が希薄すぎる。
「こんな廃墟初めてだ。入ってみるか」
 両開きの扉は割としっかりしていた。きしんだ音を立てその扉を開けると、中は教会と言うには妙な風景が広がっていた。
「元々教会だった所を、誰かが普通に住めるようにしたのね」
 ユイナの言う通りそこには祈りの場もイエス像も、ステンドグラスすらなかった。床には絨毯が敷かれ、ソファーが置かれている。テーブルの上にあるチェスはまるでゲームの途中だったかのように綺麗に並べられている…。
 それに息を飲みながら、麗虎はデジカメをユイナに渡した。
「どこか気になる所があったら撮ってくれないかな。俺一人だと視点が偏るから同行者がいるときはそうしてるんだけど、何かここは俺が知ってる廃墟と違うような気がする」
「いいけど、何が違うのかしら…わたしは廃墟に詳しくないから分からないのだけれど」
 渡されたデジカメのスイッチを入れながら、ユイナがチェスに目を向ける。うっすらと埃が積もり、しばらく人が入ったという様子は全くない。
「何かすげぇ生々しい…気持ち悪いぐらいだ」
 それを聞きユイナは階段の方を見た。確かに麗虎の言うとおり、この建物の中は何か生々しい。別に何か霊のようなものがいるわけではないが、建物自体が圧迫感を感じさせるのだ。戸惑うように辺りを見回す麗虎を見て、ユイナはこう提案する。
「写真の前にこの中を歩いてみない?わたしも中を全部見た事がないの」
「そうするか」
 二階には寝室が二つあった。一つの寝室は天蓋つきのベッドがあり、黒いビロードのベッドカバーが掛けられている。これだけ状態がいい廃墟は珍しいのだが、その状態の良さが更に自分達を拒絶しているような気がする。
「なんだか幽霊船みたいね。人が急にいなくなったみたいな感じがするわ」
 ユイナはそう言いながら別の部屋を見る。その部屋には昔の文芸雑誌などが乱雑に散らばっており、ベッド自体もずいぶん乱れている。この部屋を使っていたのは読書好きの誰かだったのかも知れない。だが、その中にあった一冊の表紙にユイナと麗虎の目がとまる。
「麗虎、これ…」
 そこにあったのは「大正五年発行」と書かれた『第四次新思潮』という文芸雑誌だった。
 麗虎はその名を知っている。夏目漱石などが参加していた文芸雑誌で、大学の頃それに関してレポートを書いたことがある。だが、それがこんな所にあるのは明らかにおかしい。
 その表紙をデジカメで撮りながら、ユイナが興味深そうにしている。
「他の本も見てみる?」
「いや、廃墟にある物は基本的に移動させない事にしてるんだ。それにしても、ここはいつの廃墟なんだ?」
 この建物が大正時代からあるのか、それとも誰かが大正時代の本をここに持ち込んだのか。それにしては本はほとんど傷んでおらず、紙も色あせていない。その本以外にも気になる場所があった。
 机の近くに血が乾いたような痕がある。そのくすんだ茶色が床に染みついている。
「誰かがここで殺されたのかしら」
「分からない。でもこれは明らかに血の痕だ」
 ゆるゆると首を振り麗虎は溜息をついた。ここで撮った写真はどこにも使えないだろう。これを雑誌に載せるのは危険だと自分の勘が告げる。
「さて、写真撮りに戻りましょう。わたしばかり撮っても、麗虎が困るでしょ?」
「ああ、そうだな」
 それからしばらく時間をかけ、麗虎はあちこちの写真を撮った。いつもなら廃墟全体を撮るようにしているのだが、フィルムを何本も使い細かい所を撮っていく。
「少しは取材の役に立てたかしら」
 ユイナは壁に飾られているサーベルを見上げている。その様子に麗虎は頷く事し出来なかった。

「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 あの廃墟を後にし、都内に入った所で「行かなきゃならない所があるから…」と言ったユイナを下ろし、麗虎は蒼月亭のドアをくぐっていた。時間は午前二時。暗室を借りて現像をやっていたせいで昨日とほとんど同じぐらいの時間だ。店の中に客の姿は見えない。
 麗虎が椅子に座ろうとするのを見て、ナイトホークが渋い表情をする。
「一週間も逢い引きか?弟さんから電話あったぞ」
「えっ?」
 あの廃墟にいたのは一晩ほどだ。車を走らせて、林の中を走り…だが、あれは一体どこの林だったのだろう。日本中車で走り回っているはずなのに、あの場所がどこだか思い出せない。
「俺は一晩しかあそこにいなかったはずだ…マスター、信じてもらえないかも知れないけど、聞いてくれないか?」
 麗虎から廃墟の話を聞きナイトホークの顔色が変わる。まさかと思うが、ユイナと麗虎が行った場所とは…肩口から血の気が引き、指先が震えないようにそっと手を組む。
「写真も撮ってきたんだ。どう考えてもおかしいだろ」
 そして現像された写真を見た途端、その不安は現実のものとなった。そこに写っていたのは…昔自分がいたことのあるあの廃墟。
「マスター?」
「麗虎、その写真とフィルムを全部俺に売れ…デジカメのデータとかがあるなら、それも消してくれ。金ならいくらでも出す」
 いつになく真剣なナイトホークの射るような視線を避けるように、麗虎はスッと目を閉じた。色々と聞きたいことはあるが、それが出来るような雰囲気ではない。
「分かった。デジカメのデータはマスターの目の前で消す…それでいい?」
 無言で頷きながらナイトホークは考えていた。
 あの短剣と廃墟…一体ユイナは何者なのか。何処かに繋がりがあるのか。
 そしてその真実を知ることはいつか来るのか…。
「マスター、コーヒーブレンドで。落ち着いてからでいいから」
「かしこまりました」
 警戒しても仕方がない。今はコーヒーを入れることに専念しなければ。
 マヘリア・ジャクソンの『雨が降ったよ』という曲が、沈黙の中に流れ続けていた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6662/白鋼・ユイナ/女性/18歳/ヴァンパイア・ハンター

◆ライター通信◆
連続でのご参加ありがとうございます、水月小織です。
隠し設定に関わるプレイングでしたので、それを優先させて話を作らせていただきました。なのでユイナさんが狂言回し的な存在になっています。謎への導き手というか、謎が謎を呼んでますね。それぞれが独自に真実へと向かっていきそうな、そんな感じです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またのご来店をお待ちしています。