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<東京怪談・PCゲームノベル>


百鬼夜行歩き 海の怪-人魚-


『建木(けんぼく)の西にあり。人面にして魚身、足なし。
胸より上は人にして下は魚に似たり。

是テイ人国の人なりと云』

鳥山石燕 著




 人と魚を合わせたその姿は、時に幻想を含み、神秘を主張するが、時に異様さを放ち、不吉の象徴として恐れ、崇められ乱獲されるに至る。


■□

「それにしても、ある意味接触の多い方々だわ」
 車とも思えないほどに快適な空間から流れる景色を眺めながら、有能な興信所事務員、シュライン・エマはそう呟いた。
「何が、ですか?」
 応えたのは、某財閥の総帥、セレスティ・カーニンガム。
 もう一人いた同乗者、とある情報屋、法条・風槻は、忙しく叩いていたモバイルパソコンの画面から目を離して二人を交互に見たものの、無言だった。
 この一見、何の共通項もなさそうな三人がこうして一台の車に乗り、一路目的地に向かっているのには、一つの共通の目的があるからに尽きた。
 それが――――
「人魚、よ。時にご本人だったり、その末裔だったり、依頼人だったり、色々だけど。その存在自身を深く調査することになるとは、ちょっと思わなかったわ」
である。

 事の始まりは、ほんの四方、数センチの、B5にも満たないほどのわら半紙から。

『百鬼夜行に興を覚える者 求む
 各地妖譚編集業

 人員 制限なし     
 このたびの編纂対象 人魚               

              猫又堂』


 必要最低限のことを、ぶっきらぼうとも言えるシンプルさで伝えるこの貼り紙。
 人を募集する内容であるのに、本当に募集する気があるのか、まったく目立たない隠れた古書店の店先に一枚きり貼り付けられていたものである。
 それで、結構な人数が集まったのだから、世の中捨てたものではない。
「甚大くんと、そのお爺さんでしたか。猫又堂も、なかなか興味深い仕事に乗り出したものですね」
 シュラインのコメントには、含むところのある笑みを返して、セレスティはそう呟く。そして、車の天井に向けて、柔らかな声を張り上げた。
「ねぇ、黒吉さん?」
 すると、分厚い鉄の板を隔てて、上部から「ふにゃあ」と猫の鳴き声がする。
 とてつもない風圧に耐えているらしく、その声は風に吹き散らされてどこかおかしな風体だった。
「……あの、黒吉、だっけ。大丈夫なのかな、中にいなくて」
 風槻は、本当に不思議そうにそう呟いた。
 この調査には、同じ妖のことという点もあって、黒谷黒吉という化け猫も同行していたが、何故か現在車内にはおらず、聞いての通り、車の上にいる。
 皆が口を揃えて中に乗るように勧めたのだが、どうしてか頑として首を縦には振らなかった。
 化け猫としての本性は子供ほどの背丈の二足歩行の大猫だが、今は普通の猫を装っているので、車上の風への対抗が難しいのだろう。
「なんとなく、落ち着かないそうよ。まぁ、江戸の生まれだからね、黒吉さんは」
 天井を見上げながら、苦笑し、シュラインはさて、と呟いた。
「纏めたこと、もう一度さらいましょうか?」

+
 シュライン、セレスティ、風槻が人魚調査に乗り出す頃、すでに百鬼夜行歩き第一陣の調査報告が寄せられていた。
 その内容は世界の人魚と日本の人魚の相違点を比較した結果や、互いの人魚伝説の地域分布の他、童話や伝説などにも目が向けられており、調査の足がかりとしては十分な貴重な資料と言えた。
 情報の重複を避けるため、その資料を三人は一部ずつコピーして持ち、一日、日を明けてそれぞれで調査を行い、その後もう一度集まる、という手法をとった。
 そうして集結した次の日。
 少し眠そうな目をこすりながらも、やってきた風槻が、どこから仕込んだのかは謎だったが、なかなかに面白い情報を持ってきたのである。

「見て、これ。現在の人魚伝説に当たると思うんだけど、情報としては、ゴーストネットオフ、だっけ。教えてもらったサイト。あそこの掲示板の隅っこに、ポツっと載せられてたんだ」

 それは、いわば都市伝説と言える内容の小さな話だった。
 プリントアウトされたそれに目を通し、シュラインとセレスティはそれぞれになるほど、と頷く。

 それは、要約するとこんな話だった。

 現在のある都市に、人魚の肉を食べることで不老不死になる、という伝説を信じ込んだ一人の物書きがいた。彼女はなかなかの美貌を持っており、その美貌がどんどんと衰えることに憂いを感じていた。
 彼女は、物書き、という自分の職業を最大限に活かして各地に取材に出かけ、必死に人魚伝説を追い求める。
 そしてついに現代の人魚が住む北方の海域と島を発見し、そこで生きた人魚を見出した。
 彼女はその人魚を捕らえて食べた。
 自分はこれで不老不死になった――。
 そう確信した彼女はそのまま家路に着く。だが、家にたどり着くことはなかった。
 その途中で、激しい腹痛に見舞われ、病院に運ばれたのである。
 ところ変わり、彼女が搬送された病院でのこと。
 ある看護婦と医師の間でこんな会話が為されていた。
「あの、あの患者さん、どうなんですか? 確か、有名な作家さんですよね」
「ああ、彼女だね。それが、とても不思議なんだ」
 医師は、食中毒だ、と診断し、彼女に何を食べたのか、と聞いた。だが、彼女は人魚を食べた、とはいえなかった。
「全身に、毒素がまわっている。今まで発見されたこともないような毒だ」
「とても、痛がっておられましたけど」
「それは、痛いだろう。なにせ、解毒する方法がない。むしろ、あの状態で生きていることが奇跡なんだ。普通ならば、とても生きていられる毒ではない」
 彼女は、確かに不老不死を手に入れた。その為に、身を冒す毒にどれだけ蝕まれようとも、永遠に苦しみ続けなければならない。

「分不相応なものを求めた者への戒めのようなものを感じる最後ですね。都市伝説の典型というか」
 セレスティの言葉に、風槻は頷く。
「まぁ、普通だったらこんなのただの噂ってエントリーなんだけどね。どことなく、気にかかったんだ」
 それにこの場所。どこにあるものかわかったから、と風槻はサラリ、と呟く。
「わかったの?」
 驚いたように目を見開くシュラインに、うん、と応えてマップを取り出す。
 彼女が指したのは、日本海に面する小さな、名もない島だった。
「日本での人魚の伝説は、河、もしくは東北地域の海域で多く見られるよね。シュラインが、潮の流れや水温変化を考えてみるといい、って言ってたからさ。ちょっと計算してみたんだ。すると、このまゆつば物の都市伝説。結構精巧にできてる、ってわかったんだよね」
 今からそこに行ってみない? という彼女のいたずらっ子のような問いに、二人は一も二もなく頷いた、とそういう訳だ。
 車は、長時間のドライブにも体に負担をかけない造りのものをセレスティが用意し、かくして、非常に快適なドライブがてらの調査が始まったわけである。……屋根にへばりついている黒吉以外には。
 ちなみに、近場での宿もセレスティが抜かりなく調べてくれていた。

「私は、あれから古い書物も調べてみたんだけど。人魚の記述は、本当に意外と古くから存在したわ。例えば、日本書紀などには、619年、推古天皇二十七年の条に、”蒲生河に物有り。その形人の如し。”という記載。はっきりと言明はされていないけど、これが実は人魚のことだと言われているわ。詳しい伝説として現代に伝えられているものと、きっと同じだと思うんだけど……、近江国蒲生寺村の、小姓が淵に現れた人魚」
「あー、それネットでも見たな。確か、村の干ばつの時に、その小姓が淵という淵を水で満たした人魚の話」
「そう、それ」
 風槻の言葉に頷きながら、シュラインが資料のページを繰る。
「また、1234年頃の古今著聞集では、少し詳しい姿が描写されているわ。頭は猿のようで、歯は魚のように細かい、など。まるで怪獣みたいな書かれ方だけれど」
「それは、一般に日本で、”人魚のミイラ”として紹介される姿に酷似していますね」
 シュラインの言葉に、セレスティがそう断じる。
「ですが、実際に残っているミイラなどを学者が検分すると、そのほとんどは胴体が鯉のもので、頭は猿自身だと言いますね。江戸時代などにはそうした珍奇なものを見世物として全国を回る見世物屋が多く存在したそうですが、その時に彼らが持参していたのはそのような合成されたミイラであったと聞き及んでいます」
「ええ。あの頃には、異国人へのおみやげとして、そんなでたらめな燻製が人魚としてたくさん作られていた、という話も聞くわね。後に、それを本当に日本の人魚だと信じて国に持ち帰った異国人は大恥をかいた、という話よ」
「……なんだか、そんな風に聞くと人魚って夢を失うもんだね」
 少しゲンナリとした口調で感想を述べた風槻に、セレスティは小さく笑う。
「ええ。ですが、それはまったくもって人魚の全容ではありませんから」
 そう言い切るセレスティを、風槻は少しだけ不思議そうに見やった。
「大体からして、古い人魚は、どちらかというと人面魚、と言った方がしっくりくる姿で描かれているわね。その辺が、そのミイラからきているものなのかしら」
「恐らく、そうでしょう。形のあるものは、いかに合成品のまがい物と言えど、やはり説得力のあるものですからね。定着するのも早かったのではないでしょうか」
「だけど、現在では、人魚はジュゴンを見間違えたもの、って説の方が一般的じゃない? そんな、猿とか鯉をくっつけたものから、どうやったらそんな話になったのかな」
「それについては、南方熊楠、という学者の存在が大きかったようよ」
 そういいながらシュラインが取り出したのは、先の調査員たちが纏めてくれたという資料だった。
「日本での、人魚イコールジュゴン説は、彼が広めたものだ、という説があるわね。文献を調べてみると、確かにそういった説が広がりだしたのは明治以降なの。江戸時代には、まだその全容は神秘的なものを含んでいて、西洋などから伝わった美しい女性の人魚などが、滝沢馬琴の里美八犬伝などに記されているそうだわ。それが、著名人である熊楠によって否定され、一般聴衆たちにもそれが受け入れられて、浸透していった……」
「ですが、その説はおかしい、とも書かれていますね」
 セレスティも同じように資料を繰りながら、なるほど、と頷く。
「そもそも、日本でジュゴンが捕獲されていたり、目撃されているのは、沖縄のみです。これでは、日本全国に分布する人魚伝説の説明がつかない。だから、どちらかというとアザラシやニホンアシカなどが有力なようですよ」
「東北地方で人魚の目撃率が高いからね。それなら、リュウグウノツカイなどもそうね」
 シュラインがあげたのは、世界各国の深い海に生息する深海魚の名だった。
 当時の人魚の特徴が、頭や肌が白い。赤い髪がある。体は魚の形で長く、九州近辺や北の海で多く目撃されている、とされていたからだ。そのすべてを満たすのはリュウグウノツカイしかない。
「時に、妖怪の龍女房や、蛇女房などもその類似として上げられるけど、学術的な根拠はまったくないものだから、まぁ、当時の噂ね。信憑性は確かめづらいものだわ」
「これだけ見ていると、人魚なんてただの見間違い、ですんじゃうんだけどね……」
 肩を竦めた風槻に、セレスティが柔らかく微笑んだ。
「火のない所に煙はたたず、ですからね。やはり、日本の人魚伝説で最大の注目点はと言えば、人魚の肉を食べることにより不老不死になる、というものでしょう」
「……八百比丘尼ね」

 車は、海岸を巻くように伸びる曲がりくねった道を滑らかに滑っていく。
 風に抵抗することにも大分慣れてきた黒吉は、いつしか車内で交わされる三人の興味深い話に、耳をピクリ、ピクリ、と動かしていた。

「人魚の肉、ね。私に言わせれば、人肉の間違いじゃないか、と思ったりもするのですが。真実はどのような物なのか、興味があります」
「江戸の時代には、随分見世物小屋で、人魚の肉、と称されたものが売られていたようね。実際は、何の肉だったのかしら。――ねぇ、黒吉さん?」
 シュラインが上に向けて問いかけると、さすがに不便だと思ったのか、「窓を開けてくだせぇ」と人語で声が聞こえ、そのようにしてやるとほどなくして黒猫が飛び込んでくる。
「へぇ、どうも。すいやせんねぇ、どうも」
 飛び込んだその先がちょうどシュラインの膝の上だったので、ひどく恐縮しながら、黒吉は身軽に車内を移動する。
 元は飲み物やちょっとした食べ物を置くことができる簡易テーブルにその身を落ち着け、激しい風圧で随分乱れてしまった全身を一頻り繕っていた。
「ええと、そうでやすねぇ。あっしは調度、その人魚の肉だ、などという触れ込みの肉を、食ったことがございやすよ」
 そして、非常に驚きの新事実をあっさりと述べた。
「……本当? それ、大丈夫だったの?」
「へぇ、特に。まぁ、そのなんですね。その見世物自体の魚の部分がほら、鯉だ、とさっき仰られてたでしょう。肉も、まるで鯉のようでしたよ。食ったところでなんてぇこともなかったですしねぇ」
 まぁ、所詮大道芸でやすから、と笑い、黒吉は改めて顔を洗った。
「でも、八百比丘尼は、人魚の肉だ、といわれるものを食べて実際に八百年を生きた、といわれているでしょう。あの伝説は、一体何から出来上がったんでしょうね」
「それは、手前にはどうとも。そのような女の話は、手前も詳しくは存じませんので」
 すまなそうに頭を下げ、黒吉は身を伏せる。
「八百比丘尼の元となったのであろう伝説として、仙崎のお静伝説、というものがあるは、ネットでちらりと拝見しましたが。ですが、内容がほとんど同じですから、ただ名を変えているだけのことかもしれませんね」
「不思議なのは、八百比丘尼という、人魚の肉を食べた少女の話が各地に残っている点と、伝説が散らばって存在している割には、不思議な程に話の統一性があることよね。これは、先に話をしたものが、うちが本家本元だ、と主張した、というようないきさつなのかしら」
「……うーん。どうなんだろうね。その、八百比丘尼、っていう尼の話が存在してるのは、海に面した県ばかりみたいだけど……だけど、その尼さん、確か年を取らないから、全国を渡り歩いてたんでしょ? そんで、最後はどこかの岩穴に消えたとかなんとか。……もしかしたら、そのせいで、彼女の出生の土地までもがごちゃ混ぜになっちゃったのかもしれないよね」
 言葉を選びながら風槻が考えを述べると、そうすると、とセレスティが言う。
「やはり、何らかの肉を食べて不死とまではいかずとも、長寿をあやかった娘が、本当にいた、と思えてなりませんね。これは、動物の見間違えとはまったく根の違う話ですから。興味深いものです」
「……うん。まぁ、これからそれを確かめに、っていうか、行くんだから。真相のきれっぱしでも、わかればいいよね」
「ええ。できれば、知りたいわ」

 そうして、三人はそこで一時議論を止めた。
 三者三様、思い思いに外を眺めたり、流れるテレビの中継に目を奪われたり、資料を纏めたり、としばしの時間を有用に過ごす。
 ただ、風槻のキーボードを打つ音は、軽快にいつまでも続いていた。

■□
 その島は、本土からおよそ10Km先の日本海海上に浮き上がる、小さな島だった。
 島への定期船は今はすでになく、三人は、渡し舟を頼まなければならなかった。今となっては、物好きな観光客くらいしかその島に渡るものはなく、渡し舟を出した船頭は、こんな夕方から島に渡りたがる三人をいぶかしんだ。
 隠すことでもないので、実は人魚について調べているのだ、と明かすと、船頭は歯の抜けた口を大きく開けて、かすれた声で笑いながら、「ああ、学者さんかなにかかぇ」と納得したように頷く。
 この様子では、もしかすると人魚について調べるにくるものが他にもいるのかもしれない。
 そう思った三人を代表して、シュラインが船を出してもらう傍ら、船頭に聞き込みをしてみた。
「この島には、私たちのように人魚について調べに来る人が、時々いらっしゃるんですか?」
 すると船頭は日に焼けた顔をくしゃり、と崩して、何度か頷く。
「そうだよぅ。なんてこたぁない、なーんもない島なのになぁ。あんたたちみたいな変わりもんはどこにでもいるもんだ」
「この辺では、人魚の話などは有名なんですか?」
「いや、もう年寄りの間でだけだろう。まぁ、海に近いからねぇ。おかしなもんを見たとか、食ったとか。今じゃあ、だーれも信じてねぇ話だよ。だが、もう島も人が絶えて随分になるから、そんな噂をする奴さえ、いなくなっちまった」
 そういうと、船頭は操舵する舵をぐるり、と回して大きく旋回した。

 室町の時代には、まだ人が住み、葉タバコなどを育てることによって生計をたてていたというが、現在では島内には店も宿もなく、海岸線は長く伸びる断崖絶壁に埋め尽くされている。
 だが、一度入り江に入り込んでしまえば、内陸部には意外と平坦な地が続き、一部には、いまだにタバコ畑の残骸をその身に抱え、島は沈黙していた。
 まったくもって、小さく、静かで、現在の妖が存在しているとは思えない浜辺。
 渡し舟を降りた三人は、その浜辺のしなやかな砂の上に無造作に降り立ち、この波間の何処かに、日本で言うところの人魚という妖が存在するのか、と寄せて返す波を眺めていた。

「……平穏ね」
「……だね。見たところ」
「ですが、どちらかというと置き去りにされた地、という印象を受けますね」

 水平線に沈もうとする夕日は、いつもよりもずっと穏やかで、それでいて、不気味に色づきすぎる。
 その赤い球体は、実の所遠い場所で動きもしていないのではなく、実際に海に溶かされ、その身を傷つけているのではないか、と錯覚してしまう。もしそうならば、夕日が消えこる頃、この海は真っ赤に染まるだろう。
 だが、そうならないことは誰もが知っている。

「夜が、参りやすねぇ」

 砂浜に降り立ち、一番のびのびとしていたのは、どうやら化け猫の黒吉のようだった。
 彼は、移動中ずっと押し込めていた自分のこの頃の本来の姿をさらけ出し、ブルブル、と幾度か身震いを繰り返していた。

「……日が沈みきる前に船頭さんの所へ戻らないと行けないから。ほんの、あと少しだけね。ここにいられるのも。今日は泊まって、本格的な調べは明日になるのかしら」
「移動に時間がかかりすぎたよ。まぁ、すごく快適だったけどね」
 頷きあう女性二人をなんとはなしに眺めながら、セレスティは地に突いた杖を器用に操り、ボンヤリと海に向かって鼻をひくつかせる黒吉に歩み寄った。

「何か、感じますか」
「いえ、何も。静かなもんでさぁ」

 黒吉は、潮風でムズムズすらぁ、と鼻をすすってから、風槻を見やる。その視線に気づいたのだろう。シュラインを伴って、彼女が歩いてきた。
「ここには、もう何にも残ってないね。残滓があったように、思ったんだけど」
「へぇ。左様でございますね。近い匂いがするといえば、それは多少はするんでやすが。しかし、どうにも」
 セレスティさまはいかがで。何か、感じられますか、この浜に。
 そう尋ねられて、改めてセレスティも海を眺める。
「――――そもそも、人魚といいましても、様々な種があるでしょうから。一概に私だけの見解ではなんとも言えませんが、言うなれば」
 ここに、同族の匂いは感じません、と彼は言った。
 では、やはりただの噂であったか、それとも遠く昔に人が島を去った際に、人魚までもが去ってしまったのだろうか。
 仕事あがったりかな、と有能な情報屋が呟く。だが、計算や目算からすれば、ここに人魚が現れる可能性は非常に高いものだった。
 凪ぐ海を眺めながら、三人は立ち尽くす。
 かつて、人魚が住んだという波打ち際を。

 ざぁ。ざざん。

 波が鳴る。
 
「とりあえず、今日は本土に戻りましょうか。夕暮れということもありますし、情報ももう少し本土の地元住民の方などから集めれば、また色々とわかるかもしれません」

 セレスティのその提案に、二人は頷く。

 黒吉も一回りして黒猫の姿に戻ると、やがて尻尾をたててサクサクと砂浜を歩いていく。

 ただ一人、風槻だけが、歩いて行きかけ、もう一度だけ浜を振り返った。

 遠見の暴走――――だろうか。何か具合だとは思うが、情報を集めている時に脳裏を貫くように現れた、あの断続的な小さな映像。

 この浜で。間違いなくこの浜に、人間が来ていた映像だったと思う。それも複数で、最近のことだ。

「……人海戦術、かな」

 甚大の話によると、明日以降はまた調査員が増える、とのことだった。

 調査員が増えれば、その分明らかになる謎も比例して増えるに違いない、と思う。
 そのまましばらく佇んでいた風槻も、やがて踵をかえして、二人と一匹の後を追った。

 人が去った後の波のまにまに。

 僅かに、何かがはねる様な、小さな音が響いた。
 


END

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
1882/セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い
6235/法条・風槻(のりなが・ふつき)/女/25歳/情報請負人

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■         ライター通信          ■
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この度はご発注いただき、誠にありがとうございます。
猫亞です。

納品が、またもや納品期限その日、となってしまいました。
大変長らくお待たせしてしまって、申し訳ありません。

しかも、今回はお待たせした割には妙に序章的なものになってしまいました。
謎を残したままで――――皆様に議論していただいた分がメインのような状態に;

ですが、あの部分は非常に楽しく書かせていただきました。
各方々のプレイングなどを参考に、なんだか頭脳合戦のようで書いている私は楽しかったのですが、
動的な部分が少ないノベルになってしまったのでお楽しみいただけるかが非常に心配ですが(汗)

なんにせよ、このたびのご発注、ありがとうございました。

人魚の章は、この後、機会がありましたら同じゲームノベルとして、片足を突っ込んだ調査で留まらない本格的調査版なども書きたいな、と思っていますので、もしそうしたシナリオをごらんになりましたら、覗いてみてやってくださいませ。


それでは、今回はこの辺で。

猫亞