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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


『男の子? 女の子?』

「『アンティークショップ・レン』……ここね」
 木製の扉に掛けられたプレートの文字を読み上げ、わたしはゴクリと生唾を呑み込みました。
 ――ここなら、きっとわたしを何とかしてくれる。
 強い期待を胸に秘め、わたしは汗ばんだ手で扉を開きます。立て付けが悪いのか、ギギギという軋んだ音を立てながら扉は内側に呑み込まれて行きました。
「いらっしゃい。何か探し物かい?」
 凛と張った艶のある声。
 この店の主、碧摩蓮はカウンターに片肘をついて退屈そうに煙管をもてあそんでいました。
「オ……」
 一見、怠惰で横柄に映る態度。しかし全身から溢れんばかりのフェロモンが立ち上り、彼女の無造作な一挙手一投足を魅力的なモノに仕上げています。
 ルビーのように紅く透明感のある髪。細長い柳眉に、一本一本キレイに揃った睫毛。キメの細かい肌は白磁のようで、体にピッタリフィットしたチャイナドレスが線の細いボディーラインを際だたせています。大きく開いたスリットから覗く太腿は、熟れた果実のように甘く柔らかそうでした。
「オネエさまあぁぁぁぁぁ!」
 気が付けばわたしは叫んで飛びついてました。
「ちょ……アタシにソッチの趣味はないよ!」
 煙管を脳天に振り下ろされた衝撃で、わたしはようやく我に返りました。
「――はっ。そうだ。こんなことをしている場合ではありませんでした」
「なんなんだい……ったく」
 わたしにジト目を向けてくるオネエ……蓮さん。ちょっとションボリです。
「実はわたし……素敵な女性と素敵な恋愛がしたいんです」
「だからそういう屈折した相談は別の所でやっておくれよ」
 蓮さんは溜息をつき、しっしっと手を振ってわたしを追い返そうとします。
 ……やっぱり、勘違いされているみたいです。でもしょうがありません。こんな格好ですら。
「蓮さん。わたし、こう見えても男です」
 ガタッ、と体勢を崩して、蓮さんは椅子から転げ落ちそうになりました。ベタなリアクションが素敵です。
「ぉ、男ぉ? だってどう見ても女じゃないか」
「はい、でも本当なんです。コレがわたしの免許証です」
 わたしはプリーツスカートのポケットからカード入れを取り出し、中の免許証を蓮さんに見せました。
「八城涼太(やしろ りょうた)……確かに男の名前だけど……」
 免許証とわたしの顔を交互に見比べながら、蓮さんは声を震わせて言いました。
「なんでそんなカッコしてんだい」
「それは、話せば長くなるのですが……」

◆PC:加藤忍◆
 蓮に呼び出されるのはいつも突然だ。そのことに関して今更何か言うつもりはない。もう慣れた。
 ただ店に入って来た時、どうして最初に目に入るのがこの黒一色なのだろう。
「なんだ忍。その『なんでテメーがいるんだよ、この歩くブラックホールめが』な視線は」
 自分の胸中を的確に表現してくれた目の前の大男は、優雅な仕草でコーヒーカップを口に運びながら、片眉を軽く上げ見せた。
 ジェームズ・ブラックマン。こういう厄介事関係で、何かと一緒になる男だ。
 黒いスーツ。黒いネクタイ。黒い髪。黒いオーラ。黒い吐息。
 ……最後のは自分の妄想だが。
 中身も外身も黒一色で染め上げたような厳つい風体の男は、長い足を組み替えて蓮の方に視線を向けた。
「で、蓮。忍も来たことだしそろそろ話してくれないか。私達を呼び出した理由は、そこのお嬢さんにあるのだろう?」
 野太い声で訊ねるブラックマン。忍は溜息をついて気持ちを切り替える。
 これは仕事だ。ならば完璧にこなさなければならない。蓮の頼み事であるならばなおのこと。
 忍はセミロングに伸ばしたストレートの髪を掻き上げ、蓮とその隣で気弱に座っている女性を見た。
「そちらの方は?」
 用意されていた木製の丸椅子に腰掛け、忍は蓮に話を進めるよう促す。
「黒男(くろお)の言うとおりさ。この子が今回の依頼者だよ」
黒男、というのはブラックマンの別称だろう。以前『ブ男』と呼ばれていたが、何とか蓮に譲歩させたらしい。
「ほら、後は自分で説明しな」
 どこか疲れた様子で言うと、蓮は煙管を取り出して紫煙をくゆらせた。
 話をふられた女性はオドオドしながら、遠慮がちな目線を向けてくる。
 線の細い女性だった。それでいて健康美に溢れ、美しいというよりは可愛らしいという表現がしっくり来る。
 肩口で切りそろえた栗色の髪の毛は内側に軽くカールし、元々小さな顔をより小さく見せていた。化粧はそれほど濃くなく、ファンデーションと口紅が薄く引かれた程度だ。それでも持ち前の長い睫毛と大きな双眸が、明るく朗らかな雰囲気を自然と演出していた。
「あ、あの……」
 少しハスキーな声で口ごもりながら、彼女は両手を白いプリーツスカートの前でモジモジと動かす。恥ずかしそうに目線を上げ、薄紫色のVネックカーディガンの胸元を整えながら、自分の名前を言った。
「八城涼太と言います……。今日はヨロシクお願いします……」
 ……今、肝心な部分が良く聞き取れなかった。
 何と言った? 八城……?
「あ、あの……」
 顔をしかめる忍を見てか、彼女はブラックマンの方を見た。彼は口元に柔和な笑みを浮かべたまま、「ワンモアプリーズ」と低い声で言う。
「や、八城涼太、です……」
 ……どうやら聞き間違えではないらしい。
 彼女は確かに『八城涼太』と名乗った。コレの意味するところはつまり?
「アンタ達が混乱するのはよく分かるよ。アタシだって未だに信じられないんだからね。この子の名前は八城涼太。正真正銘男の子だよ」
 男の子? どこからどう見ても可愛らしい女性にしか見えないのに?
「蓮さん。本当なんですか?」
「あぁ。コレを見な」
 言いながら蓮が取り出しのは革製のカード入れ。ソコから一枚抜き出し、忍とブラックマンの目線の高さまで持っていった。
 蓮につまみ上げられた免許証に写っていたのは『八城涼太』という名前と、男性の写真。恐らくコレが本来の顔なのだろう。短い髪と服装で男性だと分かるが、やはりどこか女性的な顔立ちをしている。
 忍は頭の中で写真の男を女装させ、改めて涼太を見た。
(なるほど……)
 納得行く。確かに写真の男は涼太本人のようだ。
「し、信じて貰えましたか?」
 蚊の鳴くような涼太の声。
 ええ、と忍が頷こうとした時、ブラックマンが口を挟んだ。
「八割ですな。残りの二割を埋めるために最終確認をさせていただきたい」
「最終確認、ですか……」
「なに、簡単なことですよ。ちょっと失れ――」
 涼太のスカートに潜り込もうとしたブラックマンの脳天に、蓮の煙管と忍のかかとが突き刺さる。
「では、詳しい話を聞きましょうか」
 倒れ込んだブラックマンの背中に腰掛け、忍は涼しい顔のままスローな喋りで言った。

 八城涼太、十九歳。神聖都学園の大学一回生。
 事件の発端は高校の時から付き合っていた彼女のほんの些細な一言だった。

『涼太ー、アンタってホントキレイな顔してるよねー』

 小悪魔的な微笑を浮かべて、彼女は唐突に言ってきた。
 似たようなことは以前から何回か言われたことがあった。元女優である母親の血を濃く受け継いだせいか、髪を伸ばせばそれだけで女性に見間違えられることもあった。

『ねぇ、ちょっと遊んでみない? 退屈しのぎにさ』

 最初は本当に遊びだった。
 彼女が自分の化粧道具で涼太の顔をメイクする。そのまま二人で外に出歩き、女の子同士で遊んでいるように振る舞いながらデートした。
 そこにちょっとしたお芝居が加わり、女言葉や女っぽい仕草も取り入れた。家に戻れば女装を解き、二人で撮った写真を見ながら談笑する。
 次はああしよう、今度はこうしよう。
 そんな他愛もない会話をしながら、涼太の女装はどんどんエスカレートして行った。
 涼太の部屋には女物の服が増えた。自分の化粧道具も買った。可愛らしいアクセサリーも取り揃えてみたりした。
 気が付けば、涼太は女装していることが多くなっていた。
 もう一人の自分の発見。
 背徳感や非現実感といった危険な麻薬に病み付きになり、涼太はいつの間にか抜け出せなくなっていた。
 しかしそれでも良かった。
 女装していれば彼女も喜んでくれる。自分も楽しんでいる。
 親の目さえ気を付けていれば、充実した大学生活をおくれるはずだった。
 しかし――
「突然、別れ話を切り出されたんです……」
 その時のことを思い出しているのか、涼太の顔は悲壮感に溢れていた。
「なんでまた。上手く行ってたんだろ?」
 銀色のピンヒールでブラックマンの頭を小突きながら、蓮は煙管を器用に手の中で回す。
「理由は、分からないんです。いきなり言われて、それで一方的に……」
「ふぅん。まぁ女心は複雑って言うからねぇ……。何か心当たりでもないのかい」
 自分も女なのに蓮は他人事のように言った。
「いえ、サッパリ」
 肩を落として項垂れる涼太。
「そうかい。それじゃあ他に好きな男が出来たとか、アンタと居るのがマンネリになったとか……」
「蓮さん」
 言いたいことを包み隠すことなく喋る蓮を、忍は少し強い語調で止めた。
「とにかく、八城さんの元恋人に会って話を聞く必要がありそうですね。貴方も訳も分からないまま拒絶されたのでは納得行かないでしょう」
「それは、そうなんですけど……」
 自分の髪をいじりながら、涼太は気まずそうに言葉を濁した。
「別れたのはいつ頃ですか?」
「に、二週間ほど前です……」
 二週間。それほど時間が経っているわけではない。
 さすがに直接会うのは辛いか。かと言って自分が代理人として涼太の元恋人に会っても、詳しい話をしてくれるとは思えない。
「会ってくればいいじゃないか。それともアンタもその恋人のこと、嫌いになったのかい?」
 どうしようかと忍が思案していると、またも蓮が棘のある言葉を掛けた。 
「と、とと、とんでもないです! 朱音(あかね)のことは今でも好きです! 本当に感謝もしてますし、出来ればヨリを戻したいとも思います! で、でも……」
 今はまだ傷が癒えていない。会ってまた拒絶されたら、同じ傷口を更に広げることになる。
「わかりますよ、貴方の気持ち」
 忍は出来る限り優しい声で話しかけた。
「加藤さん……」
 涼太は僅かに潤んだ瞳を向けてくる。
 こういう繊細な問題は慎重に進めて行かなければならない。行き当たりばったりではダメだ。
「ところで八城さんはどうしてこのお店に来たんですか?」
 涼太は自分で何とかしようと思って『アンティークショップ・レン』を訪ねたはずだ。ならばその気持ちを後押ししてやれば、それほど涼太に負担を掛けることなく解決できるはず。
「あ、はい。わたしもいつまでも落ち込んでばかりいられないと思いまして……ここなら色々揃っていると聞いたものですから……」
 言いながら熱っぽい視線を蓮の方に向ける。
「な、なんだい」
「わたし、『男らしい女性』が好きなんです。蓮さんならそれを解決してくれるのではないかと……」
 涼太の言葉に、蓮は大袈裟なほどに体を震わせ、両腕で自分の体を庇うように抱きしめた。
「アタシはノーマルなんだよ! 頼むから変な目をコッチに向けないでおくれ!」
「あ、ああいえ……そう言う意味ではないんです。ココに色んなお薬があると聞いたものですから、それで今のわたしの女装癖を何とかしていただけるのではないかと……」
 なら最初からそう言えばいいのに。
 あれだけ意味深な言葉を聞けば誰だって誤解する。
「……でも、蓮さんがお相手してくれるって言うんならそれでも……」
 ボソッと小声で呟く涼太。
 どうやら誤解ではなかったようだ。
「八城さん、薬で何とかしようとする考えは止めた方がいい。特にココの薬は」
「何だって、忍」
 ドスの利いた蓮の声を聞き流して忍は続ける。
「貴方は貴方らしくいるのが一番です。無理に矯正しない方がいい。『男らしい女性』ということであれば私も二人ほど知っています。向こうが貴方を受け入れてくれるかは分かりませんが、会ってみる価値はあるでしょう。どちらも恋愛には縁のない女性ですから」
「そ、そうなんですか……」
 忍の差し伸べた救いの手に、涼太は目を輝かせた。
 自分の人格を否定するのは辛いことだ。人間としての自信を失いかねない。それに恋愛が絡んでくれば、今後異性との付き合いに対して臆病になる可能性もある。
 今の涼太をそのまま受け入れてくれる人を探す。それが一番の解決法だと忍は考えた。
「なるほど。さすがに対応が丁寧だな、忍」
 声と同時に忍の視線が下がる。
 さっきまで自分の椅子と化していたブラックマンが、いつの間にか隣りに立って、湯気の立ち上るコーヒーを口にしていた。
「そういうことなら私も微力ながら力を貸そうではないか。『確認』も終了したことだしな」
「確認って……お前……」
 したたかに打ち付けた尻をさすりながら、忍は信じられないといった視線でブラックマンを見上げた。
「おっと勘違いするなよ忍。私は『ブラック・アイズ』で彼の性染色体を確認しただけだ」
「『ブラック・アイズ』?」
 聞き返す忍に、ブラックマンは指を鳴らして応える。
《説明しよう! 『ブラック・アイズ』とは対象をDNAレベルで解析できる魔眼の一種だ! 「テメー、現代のナノテクノロジーに正面からケンカふっかける気か!」的な技だが、コレを発動させるためには対象の股下で強い衝撃を受けなければならないという過酷な制約条件があるのだ!》
「と、言うわけだ」
「お前今どっから声出した!」
 忍のツッコミにブラックマンはおどけたように肩をすくめて見せる。
「謎が多い方が魅力的なのは男も女も変わらない。そうだろう? 蓮」
「そうだねぇ……」
 興味なさそうに煙管から紫煙を吐き出す蓮。
「ああ! 蓮さんがすでに『どーでもいい』モードに!」
 いたたまれない気持ちと同時に、不快な敗北感に襲われる忍。
「ミスター八城。忍に任せておけば心配ない。彼は受けた仕事は完璧なまでにこなす、悪質ストーカーのようにしつこい男だ」
 褒めているのか、けなしているのかよく分からない表現を得意顔でするブラックマン。
 忍は深い溜息と共に、大きく肩を落としたのだった。

 碇麗香、二十八歳。大人の色気を濃く漂わせる、クールビューティーな女性。月刊アトラス編集部の編集長で、男顔負けの仕事っぷりと、部下の三下いびりには定評がある。
 今日もこの編集部には三下の悲痛な叫び声と、鳴りやまない電話のコール音が響き渡っていた。
「――と、言う訳なんですが。麗香さん、いかがでしょうか」
 『男らしい女性』の第一候補である麗香に一通り話し終え、忍は真剣な目で彼女を見つめた。
「そうねぇ……」
 アップに纏めていた茶色い髪の毛を下ろし、軽く頭を振って手櫛で整えながら、麗香は忍の後ろにいる涼太に視線を向けた。
「まぁ、仕事にも一段落付いたし。こんなに可愛らしい男の子と遊ぶってのもまんざらじゃないわね……」
「麗香さん。『遊び』では困ります。彼は真剣なんですから」
「ああ、ごめんなさい。そんなつもりで言ったんじゃないのよ。まぁ物でも人でも最初は相手を知るために、色々試してみたりするじゃない。そういう意味ね」
 デスクに片肘を付いて顎を乗せ、麗香はフレームレスの眼鏡を外しながら切れ長の目を細めた。
「けど……」
「『けど』?」
 さっきまでの和やかな雰囲気から一転し、物理的な殺傷力さえ感じさせる麗香の鋭い視線が忍と涼太の後方に向けられた。
「今アイツの姿を見て、私凄く機嫌が悪くなったの」
 その言葉に呼応して、麗香から凄まじいまでの殺気が放たれる。
「クロスケェェェェ!」
 怒声と共に、厚さ二十センチはあるハードカバーの本が、壁に向かって投げ付けられた。
 直後、誰もいないはずの壁から『をぶっ!』という奇怪な声が聞こえて、一枚の布がはらりと床に落ちる。
「ふ……さすがだな、碇麗香。私の隠れ身の術を見破るとは」
 布の後ろから現れたのはブラックマン。脳天にはマンガのように大きなコブが出来ていた。
 さっきから姿が見えないと思っていたらあんな所に隠れていたのか。
「あなた……一ヶ月も前に渡した仕事、当然出来てるんでしょうね?」
 憤怒の形相でブラックマンを睨み付けながら、麗香はゆっくりと立ち上がった。
「碇麗香……物事には優先順位と言う物がある。大人のお前なら分かるな?」
 キザっぽく髪を掻き上げ、ブラックマンはどこから取り出したのかコーヒーを一すすりする。
「へぇ、じゃあ仕事の優先順位がどの位のものか、教えて貰いましょうか」
 両手の関節をボキボキ鳴らしながら、麗香は忍と涼太の前を通り過ぎた。彼女の横顔を見た涼太が「ひぃ!」と短く悲鳴を上げる。
「例えば、ここにプチシートがあったとしよう。最初はプチプチと一つ一つ潰していてそれなりに楽しかったのだが、だんだん飽きてきて最後は雑巾絞りのように纏めて潰してしまった。ココで問題。この例え話から予測される私のやる気度合いを、二文字以内で述べなさい」
「死ねーーーーーー!!」
 ブラックマンは黒い星になった。

 人気のない閑散とした通り。
 最寄り駅から三十分近く歩いたところで、忍は溜息をついた。
「どうした忍。元気がないではないか」
 忍の隣りを歩きながらコーヒーをすすり、ブラックマンは野太い声で話しかけてきた。
「まぁ時には失敗もある。人はその失敗を乗り越えて成長するものではないか」
「その失敗は誰のせいだと思う?」
 静かな口調で聞き返す忍。
「神様からの贈り物だ」
「じゃあその神様ってのは随分と黒いんだろーな」
「ああ、かつて大黒天と呼ばれたこともある」
 コイツとまともに話そうとするだけ時間の無駄だ。
 今は『男らしい女性』の第二候補に神経を集中させなければ。
「あ、あの、お二人ともケンカは良くないですよ、ケンカは……」
 険悪な雰囲気を察してか、後ろを付いて歩いている涼太が遠慮がちに言ってくる。
「ああ、大丈夫ですよ。私はプロですから。仕事に私情を持ち込んだりしません」
 肩越しに振り返り、忍はぎこちない笑みを浮かべた。
「そうそう、カンケリするほど仲が良いと言うように、私達はギャル語で言うところの犬猿の仲って言うヤツだ」
 あまりにツッコミどころが多いと、逆に冷静になれるのはどうしてだろう。
 忍はあやかし荘への道を急ぎながら、第二候補の顔を思い描く。
 少しキツイ性格ではあるが、視野は非常に広い女性だ。女装癖のある男性くらい軽く受け入れてくれそうな気はする。
 唯一不安があるとすれば……。
「時に忍」
 話の切り出し方を考えていると、ブラックマンが声をかけてきた。
「インプリンティング、という言葉がある。刷り込みとも言われ、雛鳥が卵からかえった時、最初に見た物を親だと思い込む習性のことだ。何でも初めての相手には格別の思い抱くのは、人も鳥も同じという訳だな」
「……それがどうかしたのか」
 そんなことは勿論知っている。
 だが今関係のあることなのだろうか。
 ブラックマンは目を瞑り、気取ったように鼻を鳴らす。ニヒルな微笑を口元に浮かべたかと思うと、くわっ! と力を込めて開眼し、裂帛の気合いと共に言い放つ。
「言ってみただけだ!」
「威張るな!」
 不安があるとすれば、コイツの存在自体なのだが……。

 天王寺綾、十九歳。有名な某女子大に通う、高飛車が金棒を持って歩いているような女性だ。攻撃的な性格で自己顕示欲が強く、金の使い方を知らない金持ちとして広く名を馳せている。
 あやかし荘の共有食堂で、時価五千万とかいう『黄金焼きそば』を食べながら、綾は忍の話を黙って聞いていた。
「――と、言う訳なんですが、綾さん。いかがでしょう」
 丸テーブルに四人で腰掛け、綾の正面に座った忍は神妙な面もちで聞いた。
「せやなぁ……」
 キャミソールにショートパンツというラフな格好で大きく伸びをし、綾は忍の左に座っている涼太に目を向けた。そして観察でもするかのように、下から上までじっくりとねめ上げる。
 たじろぐ涼太を気に掛けることなく、しばらくそうしていた後、
「ウチは別にええで。まー何でも経験やからなぁ。おもろそうなことはやっとかんと損やしな」
「そうですか……」
 ほっと胸をなで下ろして忍が涼太の方を見た瞬間、右の方で黒い影か動いた。
 慌ててそちらに振り向くが時すでに遅し。
 綾から『黄金焼きそば』をふんだくったブラックマンが、麺を口に入れていた。
「……む、少し塩味がきついな。それに麺の太さがバラバラだ。ソースの味は秀逸だが全体としてバランスが悪い。高級な具材に頼り過ぎて基本をないがしろにしている雰囲気がある。点数は五十点。次回作に期待、といったところか」
 さらに偉そうな講釈まで垂れ流す。
 忍の中で冷たい何かが流れて行った。先程、碇麗香が見せた悪鬼の如き容貌が脳裏に蘇る。
 恐る恐る綾の方を見ると……。
「せやろー。ウチもそー思ーとってん。これは失敗やったなー」
 明るく言ってカラカラと笑う。
 どうやら機嫌を損ねるようなことにはならなかったようだ。
「では八城さん。コチラの天王寺綾さんがお付き合いして下さるそうなので、貴方の方からもご挨拶を」
 ブラックマンがこれ以上変なことをしないウチにと、忍は早口でまくし立てた。
 しかし涼太は忍と綾の顔を交互に見ながら黙っているだけで、口を開こうとはしない。
「八城さん?」
 焼きそばを食べ終わりキョロキョロし始めたブラックマンを横目に見ながら、忍は改めて涼太に声を掛けた。
「あ、あの……」
 涼太は気まずそうな顔つきになり、忍の耳元に口を近づける。そして綾には聞こえないようにボソボソと小声で話しかけてきた。
「わ、わたし、関西弁の人って恐そうで苦手なんですけど……」
 ブラックマンとは違うところで問題発生。さすがに想定外だ。
「大丈夫ですよ、綾さんは見かけによらず……」
 そこまで言って忍は言葉を詰まらせた。
 見かけによらず攻撃的で、我が儘で、面倒くさがりで、無神経で、荒唐無稽で、気に入らないことがあるとすぐに暴れる、とは言えない。
 と言うか見かけ通りだ。
「八城さん。新しい世界に一歩を踏み出してみませんか?」
 忍の言葉に涼太は泣きそうな顔になって、激しく頭を横に振る。
 どうやら言葉の選定を誤ったらしい。
「……綾さん、申し訳ありませんがこの話はなかったことに」
 酷い先入観を与えてしまった。自分の責任だ。ならば事後処理も自分でしなければならない。
「ほぅ……そっちからお願いしといて、一方的に断るんか。忍、なかなかええ度胸しとるやんけ」
 背後に灼怒のオーラを立ち上らせ、綾はゆらりと緩慢な所作で立ち上がった。
「ちょ、待って下さい綾さん。釘バット何か持ち出してどうするつもりですか」
 殴られることくらいは覚悟していた。しかしココまでは――
「せやから、今ソレ教えたるんやんか」
 無数の釘が打たれた木製のバットを綾は高々と振り上げる。
「忍」
 隣でブラックマンが自分の名前を呼んだ。真剣な顔つきで何かパンフレットの様な物を広げて見せてくる。
「葬儀は竹コースでいいか?」
「助けろおおぉぉぉ!」

「つまり、だ」
 命からがらあやかし荘から抜け出し、綾の編成した特殊部隊に追われ、それから逃れるためにブラックマンの『ブラック・ダイブ』で月まで飛ばされた後、ようやく落ち着いた駅前のベンチ。
 陽が暮れ始め、帰宅に急ぐスーツ姿の会社員が目立つようになってきた。ファーストフードから出てくる女子高生や、スーパーに足を向ける主婦達がそれに混じる。
「ミスター八城は『男らしく“紳士な”女性』が好きなわけだな」
 缶コーヒーを飲みながら、ブラックマンは長い足を組み替えた。
 先程の綾の一件で新たに加わった条件――『紳士』。
「そう、ですね……男らしいけど優しい。そんな女の人が理想ですね……」
「前の彼女、朱音さんもそうだったんですか?」
 隣で忍が聞くと、涼太は嬉しそうに頷いた。
 やはり、一番の近道は彼女とヨリを戻すことにある気がする。勿論、涼太にその気がなければ意味はないのだが。
「八城さん。その朱音さんともう一度、話をしてみる気はありませんか?」
 駄目だと思いつつも、もう一度聞いてみる。
「……え?」
 案の定、どこか怯えたような顔で涼太が顔を向けた。
「ブラックマンの言うように『男らしく紳士的な女性』で、貴方の女装癖を受け入れてくれる方というのはなかなかいないかも知れません。私も尽力しますが、今日明日というのは難しくなってきました」
「ソレは違うぞ、忍」
 わざわざ三十メートル以上離れたゴミ箱に缶コーヒーを投げ捨て、ブラックマンは自信に満ちた表情と共に立ち上がった。
「ミスター八城の趣味を理解した『男らしく紳士的な女性』ならここにいるではないか」
 言われて辺りを見回すが、それらしい人物は見つからない。
「どこを見ている忍、ミスター八城。ここだ、ここ。あそーれ、『ブラック・チェーンジ』!」
 叫んでブラックマンは片足立ちとなり、腕を折り畳んで高速回転を始める。
《説明しよう! 『ブラック・チェンジ』とは一端肉体を幽子レベルまで分解し、任意の姿形に再構築する、変身術の中でも最上位の術である! 「テメー、現代の整形技術を鼻で笑い飛ばすつもりか!」的な技だが、使用した次の日から向こう一ヶ月、赤ちゃん言葉しか喋れなくなるという過酷な試練が課せられるのだ!》
 例によって例のごとく、どこからか入った説明を聞きながら、忍と涼太はブラックマンであった物を見つめていた。
 今や黒いゴミの塊と化したブラックマンは不気味に蠢動を続け、くけけけけけけ! と奇声を上げながら変態して行く。
「か、加藤さん……わたし恐いです」
「心配するな。私も恐い」
 忍と涼太は互いに身を寄せ合いながら、軟体生物となったブラックマンを見守る。
 逃げ出した衝動に駆られたが、なぜか縫い止められたように足は動かなくなっていた。
 恐い物見たさ。
 今の心理を言い表すとすれば、それが最も的確だろう。
「コンップリィィィィィトッ!」
 黒い汚水が大声を上げたかと思うと、飛沫を撒き散らして垂直に立ち上がり、一瞬のうちに人型を取って変態を終えた。
 そして現れたのは元のままのブラックマン。
 顔に施された不気味な化粧と、歪に膨らんだ胸元が、最凶にして致命的に違う点ではあるのだが。
(ま、まさか本物の変態になって戻ってくるとは……)
 恐るべしブラックマン。
 忍は胸中で底知れない凶怖を覚えた。
「さぁ、ミスター八城。どーんと私の胸に」
 手を差し伸べながらウィンクするブラックマン。
 どう見てもゲイバーの客引きにしか見えない。
「加藤さん。わたし、朱音に会ってみようかと思います」
「そうですか。分かってくれましたか。では今すぐ会いに行きましょう。さぁ急いで!」
 ブラックマンと他人のフリをしながら、忍と涼太はその場を後にした。

 古宮(ふるみや)朱音、十九歳。涼太の元恋人。
 涼太が携帯でファミリーレストランへ呼び出すと、彼女はあっさり応じてくれた。ハーフシェイドガラスで仕切られた、店の隅にある個別スペース。奥から涼太、忍、そして何故かミニチュアサイズになったブラックマンの順で座っていた。
「で、今更なんか用なの?」
 ダルそうに頭を掻きながら、彼女は涼太の向かいの席に腰掛ける。
 短いシャギーに切りそろえた黒髪、眠そうに半分だけ開かれた瞳。顔の輪郭は鋭角的で、高めの鼻梁としまった唇がどことなく男性的な雰囲気を演出していた。
 ドクロが刺繍された黒シャツの上には革製のジャケット。襟元や袖口などにファッション的な鋲が無数に打たれている。ロック系の音楽でもやっていそうな雰囲気だ。
「貴女が、古宮朱音さんですか」
 涼太のオレンジジュースを無遠慮に飲み干した朱音に、忍は慎重に話を切りだした。
「最初にことわっておきますが、私は別に貴女を責め立てたり困らせようとするつもりは全くありません。ただ純粋に知りたいことがあるのでココに来ていただきました」
 グラスの底にたまった氷をガリガリと噛み砕き、朱音は不審者でも見るような視線を忍に向ける。
「ねぇ涼太。コイツ誰?」
「あ、こちら加藤忍さん。隣りにいるのがジェームズ・ブラックマンさん。二人ともわたしのために色々お世話してくれてるの」
 涼太はすこし緊張気味に、忍と、その隣でハンバーグに馬乗りになって格闘している身長五センチのブラックマンを紹介した。
「お世話? なに、お世話って」
「だから、その……わたしの、恋愛相手、とか……」
 恥ずかしげにモゴモゴと言う涼太に、朱音は嘆息で返す。
「優男と不細工なラジコンかぁ、変な組み会わせ」
 どうやら朱音の中でブラックマンは不細工なラジコンに認定されたらしい。
「あまりお時間を取らせてしまっても申し訳ないので単刀直入にお聞きします」
 そこで一端言葉を句切り、忍は朱音の目を正面から見据えた。
「八城涼太さんと別れた理由を教えていただけませんか」
 一言一言に強い威圧と明確な意志を込めて、忍は言い切る。
 しかし朱音はまるで意に介した様子もなく、興味なさげにそっぽを向いた。
「そんなこと聞いてどうするわけ?」
「八城さんに今の趣味を押しつけたのは貴女でしょう。その貴女に拒絶されて、彼は非常に辛い思いをしました。去るなら去るで理由くらい残していくのが礼儀だと思うのですが」
「押しつける? 随分と人聞き悪いこと言うね。アタシは別に押しつけたつもりなんてないよ。涼太も楽しそうだったから一緒に遊んでただけ」
「つまり楽しかったのは貴女も一緒、と言うことですね」
 忍の話術にはまった形となり、朱音は悔しそうに言葉を詰まらせた。
「そ、そうよ。まぁ途中まではそこそこ楽しめたんだけどね」
 少し強がった素振りを見せながら、朱音は氷を口に入れる。
「途中まで? ではある時突然別の男性を好きになり、八城さんと別れた、という理解でよろしいんですね?」
「何でそうなるのよ!」
 ダン! と強くテーブルを叩いて朱音は声を荒げた。
「コレは失礼。私のように経験の浅い者からすると、女性が男性と別れる理由と言えばそのくらいしか思い浮かばなかったものですから」
 涼しげな顔で、忍はアイスティーを一口含む。
 これで他の恋人が出来たという線は消えた。
「では改めてお聞きします。貴女が八城さんと別れた理由は何ですか?」
 嘲るような響きさえ持つ忍の言葉に、朱音は怒りと悔しさで唇をかみしめて睨み付けてくる。
 この手の相手から真意を聞き出すのは簡単だ。神経を逆撫でして理性を失わせてしまえば、自分から喋るようになる。
 勝利を確信した忍の目の前で、朱音は突然冷めた顔つきになると、小さく鼻を鳴らした。
「アンタ……見かけによらず結構えげつないこと言うんだ。そんなに知りたい? アタシが涼太をフッた理由」
「ええ勿論」
 頷く忍に、朱音は髪を掻き上げながら見返した。
「ぶっちゃけ、飽きちゃったのよねー。コイツに」
「飽き、た?」
 双眸に剣呑な光を宿し、忍は朱音の言葉を繰り返す。
「そ。アタシってさ、欲しいモンは何でも手に入れないと気がすまないタチなんだ。昔っからそう。オモチャでも、アクセサリーでも、男でも。でもね、手に入っちゃうと全っ然興味なくなっちゃうの」
 半眼になり、ソファーの背もたれに体を預けて、バカにしたような視線を涼太に向けた。
「コイツもそう。コイツって女の子みたいに可愛いじゃん? だから色々イジってみたわけ。そうやってドンドン女の子みたいにしていってる間は面白いんだけどさー、もうこれ以上変わんないなーって思ったら急に冷めちゃって。分かる? 物でも人でも、コレが欲しい、コレをああいう風にしたいって思ってるウチは楽しいんだけど、実際ゴールしちゃうとどーでも良くなるのよ。もっと言っちゃえば努力は楽しいけど、最終成果には興味ないわけ。今に満足しないで、どんどん新しい物にチャレンジしていきたいのよ、アタシは。結構ガンバリ屋さんでしょ?」
 言いたいことを一気にまくし立て、朱音は満足げに息を吐いた。
「……ソレが、貴女の本音ですか」
 いつになく低い声で忍は言う。
「本音も本音。チョー本音だよ。どぅ? コレで満足? エラソぶった優男さん」
 忍はテーブルの下で拳を固く握りしめ、沸き上がってくる怒りを唾液と共に呑み込んだ。
「ええ、満足です。貴重なお時間を割かせてしまって申し訳ありませんでした。どんな下らない理由でも具体的に言っていただけると、コチラも対処のしようがあります」
「あ、そ。じゃ、アタシ帰るから。せいぜい頑張って新しい出会い見つけてあげてね」
 勝ち誇ったような笑みを浮かべて朱音は立ち上がると、ズカズカと大きな足音を撒き散らせてレストランを後にした。
「八城さん、安心してください。貴方にふさわしい女性は私が必ず探し出して見せます」
 確固たる決意を胸に、忍は涼太の方を見た。
「あ、は、はい。ヨロシクお願いします」
 涼太は朱音に突きつけられた辛辣な事実をまだ受け切れていないのか、それほど気落ちした様子は見えない。
(コレからだ……コレから徐々に苦しみが襲ってくる。その苦しみで身動き取れなくなる前に、別の女性を見つけてあげないと……)
 自分にはもう心当たりはない。だが、他の友人ならばまだ知っている可能性がある。
 とにかく今、自分が出来うる限りのことを涼太にしてやりたかった。

◆PC:ジェームズ・ブラックマン◆
 明滅を繰り返し、頼りなく闇を追い払う街灯の光。
 冷たい夜風が吹き抜ける公園で、朱音は一人ブランコに乗っていた。錆びた鉄同士が擦れあい、寂寞(せきばく)とした夜にキィキィと高い音が響く。足下の砂利を底の厚いブーツで蹴り上げ、朱音は虚ろな視線を前方へと投げだしていた。
「夜は良い。全てを黒く包み隠してくれる」
 後ろから掛けたブラックマンの声に、朱音は即座に反応して振り向く。
「だ、誰!?」
「コレは失礼、レディー。私の名はジェームズ・ブラックマン。又の名を不細工なラジコンと言う」
 厳かな口調で言いながら、ブラックマンは朱音の隣にあるブランコに腰掛けた。
「ジェ……? ラジコン?」
「まぁ、私のことなどどうでもいいのだよ、レディー。取りあえず先程の陰険男、加藤忍の知り合い、と言えば分かって貰えるかな?」
 忍の名前を出されて朱音の表情が不快な物になる。
「はんっ、アイツの知り合い。で、何? アンタもアタシに偉そうな説教垂れる気?」
 朱音は地面を蹴って大きくブランコを揺らし、八つ当たり気味に激しくこぎ始めた。
「まさか。私をあのような不逞の輩と一緒にして貰っては困る。ミス朱音、私は貴女の味方だよ」
 どこから取り出したのか、湯気の立つコーヒーを一すすりしながら、ブラックマンは落ち着いた口調で言った。
「味方? 味方だったら何してくれるわけ? アイツをぶん殴ってきてくれたりすんの?」
「貴女がお望みとあらば」
 ブラックマンはペースを崩すことなく、淡々と答える。
 朱音はブランコを急停止させ、ブラックマンの顔を下から覗き込んだ。
「アンタ、本気で言ってんの?」
「私はミス朱音の味方だからな」
「なんで味方になんのよ。素直に知り合いの肩持てばいいじゃん」
「貴女の気持ちが分かるからだ」
 コーヒーをソーサーの上に乗せ、ブラックマンは銀色の双眸で朱音の方を見た。
「忍は非常に真面目な男でね。頼まれた仕事は完璧に、そして迅速にこなさないと気が済まないらしい。だからあの時も、貴女をわざと挑発するような真似をして情報を引き出そうとした。貴女が怒るのも無理はない。全て忍が悪い。知り合いとして、忍の非礼を代わりに詫びよう。申し訳なかった」
 ブラックマンの誠意的な態度に、朱音に僅かな動揺の色が見える。
「べ、別にアンタに謝ってもらっても嬉しくないよ。それにまぁ、涼太にフッた理由言わなかったアタシも、ちょっとは悪いんだし」
 最後の方は聞こえるか聞こえないかくらいの小声で言って、朱音は俯いた。
「手に入れようとする過程は変化に富んでいて面白い。しかし、ソレが自分の物になったり完成したりしてしまうと、もうそれ以上の変化は見込めない。だから興味が無くなる。極めて自然な反応だ。私もより高見を目指す者として非常に共感できる」
 ブラックマンの言葉に、朱音は何の反応も示さない。
 ただ下を向いて、押し黙ってしまっている。
「何も落ち込むことはない。天才とは常に世から迫害されるものだ。孤独に耐え、周囲の不理解と嘲笑、蔑称に耐え、それでもなお自分を信じて前に進む。それを乗り越えてこそ孤高の存在となりうるのだ。ミス朱音、貴女は正しい」
 独り言のように語り続けるブラックマンの言葉に、朱音はポツリと呟いた。
「……違うの」
「違う? 何も違わないぞ、ミス朱音。貴女はミスター八城の女装を完成させたから興味が無くなった。そしてより高い満足感を得るために新たなるターゲットを選定してる真っ最中なのではないのか。実に素晴らしいことだ。私でよければ協力するぞ」
「違う! そんなんじゃない! そんなんで涼太をフッたんじゃない!」
 両眼に涙すら浮かべて、朱音は大声を上げた。
「では何故」
「涼太が、可愛くなり過ぎたから……! アタシなんかよりもずっと! だから、だから……!」
 ブランコを蹴って立ち上がり、朱音は悲鳴に近い叫声をブラックマンにぶつける。
 何も包み隠すことのない、心の底からの本音を。
「一緒に歩いてても、男から声を掛けられるのは涼太が先! いっつもいっつも! 女のアタシがいるってのに、なんで男の涼太を選ぶわけ!? おかしいじゃない!」
「だから、一緒にいるのが辛くなって別れたのか?」
「そうよ! 悪い!? アタシにだってプライドってモンがあるわ! 女よりも女らしい男となんて一緒にいられる訳ないじゃない!」
「だが、最初に女装を勧めたのは貴女なのだろう?」
「分かってるわよ! そのくらい! 全部アタシが悪いんだって! 自業自得だって! 変なこと言わなきゃ良かったって死ぬほど後悔したわよ! でもどうしようもなかったのよ! 涼太の嬉しそうな顔見てたら今更やめろなんて言い出せなかった! でもアイツは何も知らずにヘラヘラしてるし! それでだんだん腹が立ってきて……!」
 そこまで言った朱音の頬に、光の筋が引かれた。
 ソレを皮切りに、決壊した涙腺は留まることを知らず、後から後から雫を溢れさせていく。
「まだ、ミスター八城のことを大切に思っているか?」
 朱音が肩を小さく揺らすまでに落ち着いたのを見計らい、ブラックマンは柔らかい口調で諭すように言った。
 朱音は嗚咽しながらも、コクコクと何度も頷く。
「そうか。では急ごう。手遅れになる前にな」

◆PC:加藤忍◆
 あれから、友人のツテをたどって五人くらいの候補者に会った。
 しかし、誰からも色好い返事は得られなかった。
 駅前のベンチ。終電も間近となった時間帯。人の波は殆ど引き、たまに飲み屋帰りの酔っぱらいがおぼつかない足取りで駅に吸い込まれていく程度だ。
「すいません、八城さん。明日までお時間を貰っても良いですか?」
 申し訳なさそうな顔で、忍は項垂れている涼太を見た。
(疲れてるな……当然か)
 短い時間で沢山の所を回った。気が焦っていたせいか、非効率的な部分も多々あった。しかも全く成果に結びついていない。
 コレでは肉体的にも精神的にも、疲れが溜まって当然だ。
「加藤さん……」
 か細い声で、涼太はポツリと言った。
「はい」
「どうして、わたしのためにそんなにも一生懸命になってくれるんですか?」
 どうして。どうしてだろう。最初は蓮の頼み事だからと仕方なくやっていた。仕事は完璧にこなす。コレは加藤忍としてのポリシーだ。
 しかし、今は――
「貴方を幸せにしてあげたいからです」
 純粋な思い。
 あんな劣悪非道な女に弄ばれ、挙げ句の果てに飽きて捨てられた。
 こんな酷い仕打ちが許されて良いはずがない。
 涼太を幸せにして、朱音を見返す。それが今の忍に出来る、唯一にして最大の仕事だ。
「加藤、忍さん……」
 手の平に温もり。
 見ると涼太の手が自分の手と重なり合っていた。
「や、八城さん……?」
 思わず戸惑いながら涼太の方を見る。
 すでに顔を上げていた涼太は、熱っぽく頬を上気させ、潤んだ瞳でコチラを見つめていた。疲れた様子など微塵もない。
「わたし……もしかしたら、紳士的で男らしい『男性』も好きになっちゃったかも知れません」
「ちょ……待……」
 一気に血の気が引いていく忍を置いて、涼太は顔を近づけた。
 セミロングの髪から香る甘い匂い。魅惑的な瞳。紅い唇。華奢な体つき。
 どれを取っても女性にしか見えない。
「わたし、男の方にこんな風に優しくされるのって初めてなんです」
 ――『初めてなんです』
 その言葉で忍の脳裏に蘇るブラックマンの言葉。

『インプリンティング、という言葉がある。刷り込みとも言われ、雛鳥が卵からかえった時、最初に見た物を親だと思い込む習性のことだ。何でも初めての相手には格別の思い抱くのは、人も鳥も同じという訳だな』

(まさか……初めてだからって、そんな……)
 落ち着け。落ち着くんだ忍。ココは冷静に、冷静に……。
「や、やや、八城さん。こ、こういう話を知っていますか? あるところに船乗りがいたんです」
 ココはブラックマンと同じ戦法を取る。
 名付けて、『全然違う話で気を萎えさせよう作戦』だ。
「ある晩のことでした。海を渡っていた船乗りは、突然船が動かなくなったことに気付いたんです。慌てて周りを見回してみると、邪悪な精霊が海の上に立っていました。ソイツは半分に切ったヘッドボトルで海水を組み上げ、自分の船にどんどん注いでいったのです。沈められてはたまったものではないと、船乗りも対抗してバケツで海水をくみ出していきました。ところが邪悪な精霊が注ぐ方が速く、海水はドンドンたまっていきます。その時、光の精霊が現れて、邪悪な精霊にこう言ったのです。『お前はこんなマヌケを殺すつもりか?』と。そして照らし出されたバケツの底には大きな穴が開いていました。結局、やる気を削がれた邪悪な精霊は海へ戻り、船乗りは自分の間抜けさ故に命を助けられたというお話です」
 そこまで一呼吸で話し終え、忍は肩で息をしながら涼太の方を見た。
 この後、彼は『ソレがどうかしたんですか?』と言ってくるはず。それに『言ってみただけです』と答えれば、場の雰囲気は一気に崩れ落ちる。
 完璧な作戦だった。しかし――
「忍さん、知ってますか? そのお話には続きがあって、あまりに間抜けな船乗りを見ていられなくなった邪悪な精霊は、人間の女性に変身して、一生添い遂げたそうですよ。きっと、あそこまで頼りない船乗りは“初めて”だったんでしょうね」
 作・戦・逆・効・果。
 石で作られた漢字五文字が、忍の脳天に突き刺さった。
 やはりブラックマンの真似など、慣れないことをするものではない。
「忍さん。わたし……尽くしますよ」
 言いながら、涼太は忍の胸に顔を埋めてくる。
 どうする。どうするどうするどうするどうする!
 目の前が回る。頭がグチャグチャになって何も考えられない。
 ああ、そう言えば昨日の天気は晴れのち時々オカマ……。
(ッて違う! しっかりしろ忍!)
 現実逃避しかけた頭を激しく振って、意識の覚醒を促す。
 そうだ、こういう時はいつもアイツが何かしてくるはずではないか。あの地球外生命体の黒い塊が。それに便乗してこの場をブチ壊せばいいだけのこと。
 そう言えばアイツはどこに行った。さっきから姿が見えな――
「誰をお探しかな。忍」
 頭上から聞こえる野太い声。
 見上げると木の枝に逆さ吊りの状態で、ブラックマンがぶら下がっていた。
「危機一髪。何とか間に合ったようだな」
 音も立てずに地面に着地し、ブラックマンは不敵な笑みを浮かべる。
「ミスター八城。お取り込み中すまないが、彼女の言葉を聞いてやってくれないか」
 そう言って指さした先には、古宮朱音の姿があった。
 駅の方からとぼとぼと歩いてくる。先程までの悪女っぷりからは想像も付かないしおらしさだ。
「あ、あの、さ……涼太。さっきはゴメンネ。酷いこと言っちゃって」
『え?』
 そして彼女の口から発せられる意外すぎる言葉。
 思わず忍と涼太は声をハモらせて、疑問符を浮かべた。
「あ、あの、さ……。アンタさえよければなんだけど、もう一回やり直さない? アタシ達」
 言葉が出ないとはまさにこのことだろう。この百八十度の心境の変化は何だ。あの短い間にいったい何があったと言うんだ。
「朱音……」
「ああ、その……! アタシの方からフッといてまたヨリ戻そうなんて調子の良いことは分かってるんだよ! アタシが同じコトされたら絶対にふざけるな! ってソイツぶん殴ってると思う! 図々しいことは十分判ってるつもりなんだ。だから……その……」
 それから言葉が続かずに、朱音は顔を真っ赤にして下を向いた。
 ここからは涼太が声を掛ける番だろう。
「八城さん」
 忍は絶体絶命からの脱却に安堵し、今まで生きてきた中で最高の笑みを浮かべて、涼太に優しく声を掛けた。
 事情はよく分からないが元の鞘に戻ってくれるなら、それに越したことはない。
 涼太は戸惑いながらも、朱音と忍を交互に見比べ、意を決した表情になって口を開いた。
「朱音……」
 涼太の言葉に朱音が顔を上げる。
 そして――
「ゴメン! わたし忍さんのこと真剣に好きになっちゃったみたい!」
「なにいぃぃぃぃぃぃぃ!?」
 かつて無いほど表情を崩し、忍が絶叫を上げた。
「朱音ホントにゴメン! わたし、忍さんにしかトキメかなくなっちゃった!」
 大声で周囲に宣言しながら、涼太は忍の首に腕を絡めて、体ごとしなだれかかる。どこからともなく酔っぱらいの歓声が聞こえた。
 朱音はすでに石と化し、完全に固まっている。
「ふ……どうやらすでに手遅れだったようだな」
 隣でブラックマンが冷静に言いながら、コーヒーをすするのが見えた。
「ブラックマン! お前の訳の分からん技で何でも良いから何とかしろ!」
 抱きついてくる涼太に溺れさせられまいと、忍はミジンコをも掴む思いで叫んだ。 
「何とか……と言われてもなぁ。じゃあ例えばこういうのはどうだ」
「何だ!?」
「忍、お前がミス朱音を愛せばいい」
「ソレでどうなる!?」
「泥沼のトライアングルが完成する」
「完成させるなあぁぁぁぁぁぁ!」
 忍の心の底からの雄叫びは、深淵の闇へと葬り去られた。

◆エピローグ◆
「郵便でーす」
 『アンティークショップ・レン』の扉を、制服を着た配達員が叩いた。
「ああ、ご苦労さん」
 いつも決まってこの時間に来る手紙やら、小包の山。薬の発注文書や、蓮が取り寄せた曰く付きの代物が大半だ。
「ん?」
 その中に可愛らしいデザインのピンクの封筒が一つ。
 裏を見て送り主を確認すると、『八城涼太』と書かれていた。
「何なんだろうね」
 ハートマークのシールを剥がして封を開け、蓮は中の手紙を取り出した。

《蓮さんへ
 この度は本当に色々お世話になりました。
 今わたしは、元の彼女と楽しく過ごしています。コレも全て忍さんとブラックマンさんのおかげです。
 まさか男装した朱音が、あんなに魅力的だとは思いませんでした。忍さんのことはちょっと残念でしたけど、やっぱり恋は両思いの方が楽しいですよね》

「男装、ねぇ……」
 フフ、と含み笑いを漏らしながら蓮は必死の形相をした忍の顔を思い出した。
 涼太に追い回されてから日に日に痩せ衰えていった忍。持ち前の優しさからか、忍は涼太にキッパリ言うことが出来なかった。
 そこで考え出した苦肉の策。それが朱音を男装させること。
 元々涼太は女性が好きだった。しかしあの一件で男性も好きになってしまった。ならばソレを両方兼ね備えた者が現れれば、自分よりも好きになってくれるに違いない。
 そう考えたのだ。
 狙いは見事に的中。
『男らしく紳士的な、男装した女性』
 これ程涼太の嗜好を満足させる条件はないだろう。 

《忍さん……本当に男らしく紳士で包容力のある素敵な男性でした。
 ブラックマンさんは、一見変な人でしたが、やっぱり変な人でした。
 あの人には朱音が大変お世話になったと聞いています。またいつかお会いする機会があれば、改めてお礼をしたいものです。わたしは席を外しますが。
 ところで忍さんはお元気ですか? あれから何度も連絡を取ろうとしたのですが、全く捕まりません。なんだか引っ越しされたみたいです。もしご存じであれば新しいご連絡先を教えてください。コレからもお友達としてお付き合いしていきたいので。
 それでは。蓮さんもお体に気をつけて。

 八城涼太》

「いい子じゃないか」
 イタズラっぽい笑みを浮かべながら、蓮は手紙を封筒に戻した。
(まだまだイジリがいがありそうだねぇ……)
 蓮は店に戻って受け取った荷物を置き、目に映る戸棚を片っ端から開けていく。
(今度は忍を女装させてみたら面白いことになるかもねぇ……)
 そんなことを考えながら、蓮は忍の新しい連絡先が書かれたメモを取りだしたのだった。

 【終】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【5745/加藤・忍(かとう・しのぶ)/男/25歳/泥棒】
【5128/ジェームズ・ブラックマン(じぇーむず・ぶらっくまん)/男/666歳/交渉人 & ??】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、加藤様。『男の子? 女の子?』を納品させていただきます。
 今回は少々毛色の違うお話となりました。楽しんでいただけたでしょうか? まぁ、私も書きながら色々と悩んだ本作品でありました(汗)。
 さて、どちらかというと加藤様メインで動かしていた今作。プレイングに書かれましたように最近は「らしく」という言葉が薄れてきている感じはしますね。でもキャラクターを動かすときはそのキャラクターらしく動かしていきたいものです。なるべく加藤様らしい言動を練ったつもりですが、いかがでしたでしょうか。
 しばらくはココで活動していくつもりですので、またお会いしましょう。ではでは。

 飛乃剣弥 2006年10月8日