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<東京怪談・PCゲームノベル>


百鬼夜行歩き 海の怪-人魚-

『建木(けんぼく)の西にあり。人面にして魚身、足なし。
胸より上は人にして下は魚に似たり。

是テイ人国の人なりと云』

鳥山石燕 著

『百鬼夜行に興を覚える者 求む
 各地妖譚編集業

 人員 制限なし     
 このたびの編纂対象 人魚               

              猫又堂』


■序□
 白い光が、色濃い緑に煌々と降り注ぐ秋のその日。光は、この所続いていた曇り空ばかりか、季節の紅葉までもを振り払ってしまったかのようで、秋だというのに樹木はいまだ青々としていた。

 古書店「猫又堂」に、風変わりな貼り紙が出されて早三日。
 募集要項が奇妙ならば、呼びかけに応じ、集うものどもにも一癖、二癖が見えるが道理。
 記念すべき第一回目の百鬼夜行歩き編集の会合に集まった面々は、なかなかにバリエーションに富んでいたと言える。
 一見なんの共通項もないような面々。だが、不可思議な現象に興を覚えるものたちばかりである。
 よくも集まってくれたものだ、と呼びかけたものは喜んだ。

 その面々の一人、櫻・紫桜は、依頼人である猫倉・甚大(ねこくら・じんだい)に指定された時間よりも随分早く、猫又堂を訪れていた。
 もともと時間はきっちりと守る性だ。だが、今日の場合少し理由がある。
 非常にシンプルな貼り紙を見て、なるほど、これは面白そうだ、と思ったものの、物事の真核だけを記した募集要項には、詳しいことが何一つ書かれていなかった。
 まずは事前に聞きたいことが二、三とあった為、いつもよりも早めに集合場所まで参じた、という訳だ。
 それで、紫桜は今たった一人で黒々とした古書店の前に立っている。
 店は、何も汚れているわけでも何でもない。恐らく、そういった木を使用しているか、塗っているのだろう。
 建物はいかにも古びていて、右端の柱から入り口に向かっては細長いれんじ格子が連なっている。その横に土壁があって、ここに自分が数日前に見かけた貼り紙が今も貼られていた。素朴なわら半紙は端が少しだけめくれ上がって、時折ヒラヒラとさやかな風に揺れている。
 店の入り口であるガラス格子の引き戸は今日も閉まったままで、軒先に頭を突っ込むとようやくやる気のなさそうな「営業中」の札が沈黙していた。
 そもそも、中屋根の上に店名を記した看板さえ上がっていなければ、この古書店は一見店には見えない。
 だからこそ、というか、この辺は何度か通ったことがあるはずなのに、紫桜は今までこの店の存在に気づかなかったのだ。
 客を呼び込む必要は、きっとない店なのだろう。
 そう見当をつけて、紫桜は店の引き戸を、まずは叩く。
 すると、ほんの二呼吸ほどをおいて、中の方から「開いてるっすよー」という声がやってきた。
 甚大のものだろう。紫桜は誰も見ていないのに、一礼してから妙に重たい引き戸を開け、古書店に足を踏み入れた。

+
 古書店の中は、一種独特な紙の匂いに富んでいる。初めの内は一種類の匂いのように思うが、長くこの店内で過ごす内に、実は様々な複数の香りがあるのだ、ということに気づかされた。
 恐らく、収められた本の数だけ。
 甚大は、本に埋もれた書机の前にいた。
「いらっしゃい、紫桜!」
 ほんの一度顔を合わせただけの相手は、当然のように自分の名を呼んでくる。
 一瞬驚いたが、これが彼の性なのだろう、と勝手に納得して会釈した。
「こんにちは。この度はよろしくお願いします」
「こっちこそ。引き受けてくれて有難いっす」
 甚大の方でも深々と頭を勢いよく下げながら、それにしても随分早く来てくれたもんだね、と、年代ものの柱時計を見やった。
 約束の時間は昼の一時過ぎ。今は、ようやく昼時になろうとしているところだった。
「昼時に失礼かとは思ったんですが、調査についていくつか確認したいことがあったので」
「あー、なるほどね。まぁ、すっげーさわりしか書いてないもんねぇ、あの貼り紙」
 悪いねぇ、と頭をかきながらニシニシ笑った甚大は、手に持っていた数冊の文庫本をそっと書机の上に積み上げると、紫桜を奥へと誘った。
 開け放しの引き戸の敷居を越えると、その先に僅かによく踏み固められた土間廊下があり、通常よりもう一段高そうな上がりかまちが待ち構えている。
 遠くの方から日が差し込み、長く使われて磨り減ったのだろう、廊下を黒光りさせていた。
「まぁ、どうぞどうぞ」
 甚大は更に奥に進む。途中、T字路になった廊下を右に曲がり、隣接した部屋の内の奥の側に、彼は入っていった。
 外から見るよりもずっと広い家なのだな、と思いながら紫桜もそれに続く。
 通された先は、少々生活感はにじみ出ているものの、十二分に整頓された座敷だった。
「上座とか、下座とか気にしなくていいから、とりあえず座って。座布団そこ。俺、自分も飲みたいからお茶淹れてくるし」
 紫桜に口を挟む暇は与えず、自分勝手に決定事項だけを伝えると甚大は一端部屋を出て行った。
 ポツン、と一人残されながら、紫桜はとりあえず言われた通り座布団に向かい、少し考えて二枚持って座敷の中央あたりに向かい合わせに敷いた。
 そこに正座していると、ほどなくして甚大が盆の上にお茶と和菓子を添えてやってくる。
「昼代わりにはなんないだろうけど。あー、俺は平気。朝結構つまみ食いしたから本気で」
 そうして紫桜の向かいの座布団にどっかり、と座り、ようやく話ができる体勢が整ったようだった。
 さぁ、なんでもどうぞ、と言われて紫桜は用意していた質問を述べる。
「まず、調査内容なんですが、調べるのは日本の人魚だけですか? 西洋の伝承とは違うようなので、そちらも調べるのかな、と思いまして」
「あー。もちろん、人魚と名のつくものなら、調べられることは何でも調べて欲しい。けど、悪いけど実地調査は国内まで、ってことにしてほしい。これはじいちゃん――今回の大元の依頼主の意向」
「なるほど。それなら、異国の人魚については本や、ネットなどで調べられる範囲の伝承、ということですね。……では、編集は主にどんな内容になるんでしょう。伝承や物語だけなのか、全国の人魚伝説の分布状況とかも知りたいのか……どの資料を重点的に調べるのか、ということで結果も違ってくると思いますが」
「編集内容ねぇ……。そうだな。じゃあ、逆に聞くけど、紫桜は人魚の何を知りたいんだ? 人魚というものに興味を持って、何かを調べよう、と思った時にまず何を調べる」
「え?」
 質問の途中で逆に聞き返されるとは思わなかったもので、紫桜は一瞬聞き返したが、すぐに思考を切り替えて答えた。
「……そうですね。どちらかというと、伝承内容だけでなく、どのように分布しているのか、とか、伝承の派生の仕方などを知りたいですかね」
「じゃあ、それだ。それで調べてよ」
 甚大がニシャ、と笑う。
「今回、他にも人員がいるんだけど、何せ調べることが多いからさー。二手に分かれて調べてもらうつもりなんだ。紫桜の相棒はもうすぐ時間通りにやってくると思うけど、その人と二人で調べてもらうことになる。主に受け持ってもらおうと思ってたテーマは、異国の人魚と日本の人魚の共通点と相違点。そこに、総括的な伝承なんかの分布の仕方を加えて調べてよ。興味のある事の方が、絶対に仕事は楽しいから、効率も二バーイ!!」
 二倍のところでどうして外国人口調になるんだ、と素朴な疑問を覚えながら、紫桜は頷いた。
 確かに、彼の言うことには一理ある。要は、大きくテーマをはずしていなければ効率のいい調べ方をすればいい、ということなのだろう。
 納得して、勧められたのでお茶菓子を頂く。
 濃い目に入った煎茶と、しつこくない餡を携えた花の形の和菓子は、似合いの組み合わせで、非常においしかった。

+
 よく喋る甚大にたまに突っ込みをいれながら、とりとめのない話をしていると、表の方から猫の鳴き声が聞こえた。
 甚大がすぐに立ち上がって行きかけ、顔だけこちらに向けて、「相棒の到着っすよ」と伝えて出て行く。
「…………猫が?」
 一人、残された座敷で思わず呟いて、とりあえずそのまま正座したまま相手を待った。
 ほどなくして、ドカドカと廊下を踏み抜きそうな足音と、密やかに摺るように歩く足音とが入り混じって聞こえてきたので、紫桜は入り口に目を向ける。
 現れたのは、先に甚大、その後に、自分と同じくらいの年恰好の学生服姿の少年がいた。だが、猫はいなかった。
 甚大が相手に向かって紫桜を紹介する。
「紫桜も一緒に人魚を調べてくれる奴。今回は遠夜の相棒ってこと」
(……なんて簡潔な紹介なんだ)
 その紹介に合わせて、遠夜と呼ばれた少年が紫桜を見た。美少年、といって差し支えない容貌を持っているというのに、妙に落ち着いた空気を抱え持っている人だ、と思った。
 紫桜は、改めて向き直って深く腰を折った。
「はじめまして。俺は、櫻、紫桜と申します。今回は調査でご一緒するということでお聞きしてます。よろしくお願いします」
「榊、遠夜(さかき・とおや)です。こちらこそ、よろしく」
 すぐに、応え、遠夜も深く礼をしてくれる。座ったままでは少し失礼だっただろうか、と思ったが、いまさらなのでそのまま甚大と遠夜が場所を落ち着けるのを待った。
 その間に、甚大が紫桜も高校生なのだ、と言葉すくなに説明している。その後、調査の概要について切り出した。
「実は他にもいるんだけど、調べる対象が巨大だから、今回はチームを組んで動いてもらってる。紫桜には、さっきちょっと話したけど、おおまかなテーマは、異国の人魚と日本の人魚の相違点と、共通点。それを含めた総括的な物語の分布について重点的に調べてもらえると嬉しいんだけど」
 遠夜は黙ってそれに頷く。そして、少しの間、何かを考える様子を見せた後、口を開いた。
「……異国、ですね。人魚の怪異や伝承で、一番有名というか、耳で聞いて知っているのは、人魚の肉を食べたものは不老不死になる、という話だけれど、あれは日本だけのものなのかな……」
 多分、自分が聞かれているのだろう。紫桜も少し考えた上で、応えた。
「そうですね。言われてみれば西洋の人魚を食する、という話はあまり、俺も聞いたことがありません。まずは、その辺の既出の伝説や物語を図書館やネットの方面から集めますか? 印象としては、日本の人魚と西洋の人魚はまったく違うもののようなんですが……まぁ、異国の人魚伝説となると、現地に行くわけにも行きませんから主に書物やネットの情報を収集することになるんでしょうね。……俺には、その方面の特別な能力はありませんから、地道に」
 はっきりとそう申告すると、遠夜は僕もだ、と頷いてから、そういえば、と言葉を返した。
「――――式が、います。日本の人魚を現地で調査する時なら、聞き込みや文献で足りないものは、きっと補ってくれると思う」
「式神を? では――榊さんは、陰陽師ですか」
 考えてもみない申告だったので、思わず驚いて聞き返すと、遠夜は無言でその問いに頷いた。そのまま彼がツイ、と手を僅かに振ると、一匹の黒猫がどこからともなく姿を現した。さりげなく遠夜の隣に並んでチョコン、と座る。
 ああ、この猫がさっき声をあげたのだ、と思いながら、紫桜はその姿を眺める。
「……綺麗な猫ですね」
 そして、率直にそう述べた。それを聞いた遠夜の目が、初めて柔らかく和む。
「もう一匹は……鷲なので」
 座敷では、ちょっとという意味なのだろう。紫桜は頷いて、甚大と遠夜を交互に伺いながら聞いた。
「わかりました。では、その方向で調査をはじめましょうか?」
「ん。そんじゃあ、よろしくお願いいたしまっす!」
 頭をザッと下げた甚大に、二人も頭を下げ返し、その場は散会となった。


□相違点と共通項■
 では、まず図書館ですね、という話になって、二人は数ある図書館の中でも都立中央図書館を選んだ。国内で最大級の蔵書数を持つということもあるし、何より江戸からの古い年代の書物などもデータベース化されており、古いことを調べるには都合が良いと判断した為だ。
 図書館に着くと、二人はまず手分けして互いに必要と思われる資料を一通り集めてから、一時間後、もう一度集まることにして一時別行動を取った。
 その際、情報のかぶりを避ける為に予め、調べることを大まかに分けておく。
 紫桜は、主にネットの分野を受け持ち、異国の人魚と日本の人魚の相違点を総括的に、また、異国での人魚伝説の大まかな分布なども調べることになった。
 さて、まずは何から調べたものか、と考え、紫桜は手始めにネットコーナーに足を運んだ。
 幅広い検索ができるサイトをブラウザで立ち上げ、自分が考えたキーワードとして主だったものをスペースをあけて打ち込み、必要なことを印刷して抜粋すると、その組み合わせを変えて再度検索をかけていく。
 その作業が終わると、今度は蔵書の検索機に向かい、ピックアップされた本を書架から集め、内容を検分した上で、必要だと思われる部分だけをコピーした。
 だが、何分対象が広いもので、時間は一時間などでは到底足りなかった。集めた資料は絞り込めていないので膨大な量になってしまったし、これを書籍に足るものとして纏めるとなるとなると、もっとたくさんの時間が必要だろうな、と考える。
 だが、少しだけ。今からそれが楽しみでもあった。
 やってみてわかったが、自分は意外とこういう作業が嫌いではないようだ。
 道場で心を平静に保ち、鍛錬を重ねているとは違う、何か沸いてくるものを感じる。
 これが、探究心というものなんだろうか。人間、こんな欲を持っているからこそ文明が進化するのだろう。
 そんなことを考えながら、紫桜は膨大な量になった資料を抱え持って、遠夜が待っているはずの閲覧室のテーブルまで軽やかに歩を進めた。

+
 一時間という短い調査時間を経て、二人は改めて顔を合わせた。
 お互いに、集めた文献やプリントアウトした資料などを手に、広大な閲覧室の一角に陣取る。
「ではまず、俺の方から纏めたことを順を追って話しますね」
 そう言いおいて、紫桜は持参した資料の中から一つを抜き出した。
「まず、異国の人魚と、日本の人魚の相違点、ということについてですが、これはむしろ、西洋、ヨーロッパの人魚と、アジアの人魚の違い、と言った方がいいようです」
 纏めるとこうだ、と紫桜は説明する。
総括的に、人魚として定義されるのは水中に存在する架空の生き物、という認識で、これは世界で共通している事項らしい。
 そして、西洋の人魚は美しい姿で描かれるが、日本や、中国などのアジアで言うところの人魚は不気味で、醜い姿をしていることが多い。
「現代では、西洋の人魚として、セイレーン、ジレーネ、ローレライなどの妖怪がひとくくりに”人魚”と呼ばれているようですが、元はまったく違うもののようですね」
 紫桜が纏めたところによれば、セイレーンと呼ばれるのは、元はギリシア神話に登場した上半身が人間、下半身が鳥の姿している半妖であり、現在のような姿で描かれてはいなかった。
 セイレーンが人魚へと変化したのは、大体7〜8世紀頃に、イギリスの修道士、マムズベリのアルドヘルムという人物が書いた『怪物の書』という書物が初めのものだという。中世初期のヨーロッパでは、魚と人の半妖、鳥と人の半妖、魚の鱗と鳥の羽を持つ女、という三種類のセイレーンが描かれていたが、時を経て次第にその魚と人の半妖としてのセイレーンが定着するようになり、セイレーン=人魚の図式が成り立つにいたったらしい。
「また、先程言ったセイレーン、ジレーネ、ローレライというのは、どれも違う地域の伝説なのですが、内容は非常に酷似しています。大体が、川や海を通る船に歌いかけるものがいて、その歌を聴いたものは美しさのあまり舵を誤り、船を沈められてしまう、というものです。実際、そういった伝説のある川や海では、よく船が事故を起こしているようですね」
 ここを見てください、と一際分厚い本を取り出し、紫桜はある一角を指差す。
「ちょっと、面白い記事なんです」
それは怪談、というものをテーマに編集された雑誌の中の小さな記事の一つだった。
「この東京の多摩川ダムは、魔を呼ぶダムである、という記事です。幽霊事件のメッカとして、”日本版ローレライ”と呼ばれる現象が起こっている、と書かれてあります。これは、ただ単に泳ぎが達者なものでも溺れてしまう水域である、ということに恐ろしさを感じた人たちが、先にある有名な妖怪伝説の名をつけただけのことなんでしょうが、俺は案外、オリジナルのセイレーンや、ローレライ伝説も、初めはこういったことから端を発したのではないか、と思いました」
 つまり、紫桜はそもそも順番が逆なのでは、と考えたわけだ。
 人間を暗い水の底に沈ませるセイレーンという妖怪がいたから事故が起こった訳ではなく、まず事故が起こり、それが重なったからこそ、その水域が畏怖の対象となり、恐ろしい妖女の存在が囁かれるようになった、と。
 遠夜も、その意図を察したらしく、幾度か頷いて、「それは、考えられない話ではないね」と同意を示してくれた。
 それにどうも、と会釈して、次に、紫桜はアジアの人魚、という項目が記された資料を差し出す。
「西洋において、人魚は美しいものではあっても、やはり不吉の象徴です。人間を害する、恐ろしい妖女という印象を受けます。けれど、日本や中国のものとなるとまた少し変化が見られますね」
 遠夜は、興味深げにその資料を検分する。
「中国においての人魚とは、詩集『楚辞』に拾遺されている『湘夫人』や、『洛神の賦』などのように、海底に棲む女神としてあらわされるものもありますが、『山海経』においては、人魚は河に住む生き物であり、オオサンショウウオの一種と見て間違いないらしいです。日本の書物である南総里見八犬伝では、この山海経に書かれた人魚を取り上げているのに、挿絵自体は西洋に見られる、美しい女の姿が添えられています。これは、恐らく里見八犬伝を編集した時期によるものでしょう」
ちょうど、西洋の人魚像などが伝来し始めた時期だったのだろう、と紫桜は思う。
「ですが、日本で人魚といえば一番有名な伝説はやはり、彼らを食した、というものでしたね。俗に、八百比丘尼伝説と呼ばれるものです。榊さんも仰っていましたが……そちらは、どうでしたか?」
 ある程度のところまで調べたことを発表してから、紫桜は遠夜に水を向けた。
 それに頷き、遠夜はファイリングしたものから日本地図のコピーと思われるものを取り出す。
 見てみると、そこには、点々、と赤い丸が各地につけられており、恐らく人魚伝説の日本での地域分布を調べてくれたものだろう、と見当がついた。
「……人魚の伝説で、一番有名なものは、この福井県の小浜。だけど、八百比丘尼、というキーワードで調べただけでも同じような伝説が日本の各地で見られたんだ。土佐・石見・美濃・飛騨そして佐渡島。その名をはずして、人魚を食した、人魚が現れた、という記録で調べると、津軽、能登、若狭、近江、出雲、伊予、九州から沖縄まで範囲が広がった。……沖縄の昔話に、面白い記述を見つけたよ」
 それは、二十三夜さま、という一見人魚とは何の関係もなさそうな昔話だった。
 二十三夜という、月の昇りを祝う日に現れた不思議な乞食の家で、ある主人が「ニンジュ」という大変珍しい魚を食する、という話だ。遠夜は、これは人魚のことではないか、と思う。
「乞食が料理している場面を、主人の連れの二人が覗き見るシーンがあるんだけれど、二人はその光景を、”まな板に赤子をのせて料理をしていた”、と言うんだ。二人は逃げ出してしまうけれど、主人は覗き見をしなかったので、そのまま料理を頂くことになった。ニンジュという魚は非常においしく、また、不老長寿の妙薬でもあるものだった、と書いてある。人魚の肉である、と明確に書いているわけじゃあ、ないけど」
「……こうして見ると、やはり随分広い範囲で同じような話が分布しているんですね」
 改めて地図の上で形として見ると、それは実に不思議な現象だった。確かに、日本は海に囲まれた国であり、海は繋がっているが、これほどに根を同じものとする妖怪の顕現の話が残されている。
 感心しながら、今度は紫桜がおもむろに地図を広げた。これは、紫桜の持分だった世界での人魚伝説の分布だ。
「こっちもです。見てください。手元にあった資料だけでも、世界中で人魚の伝説や、物語が残されています。ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、ギリシャ、アメリカまでは当然のこと、元ソ連やオーストラリア、それに、アフリカのアマゾン川流域や、エジプトにまで人魚伝説はあります。北欧神話の中にも人魚の話はあるそうですよ」
 調べていた時の、なんだろう――知識が増えていくことに対しての興奮のようなものを思い出しながら、紫桜は説明した。
 遠夜はその説明に深く何度も頷きながら自分が出した日本地図と世界地図を見比べ、ふと気づいたように呟いた。
「これは、まるでフォークロアみたいだ……」
 ポツリ、と。雨の雫のように静かに響いた遠夜の声に、紫桜も一瞬目を見開き、ああ、なるほどと応える。
「Friend Of a Friendですか?」
 遠夜は頷いた。
 友達の友達に聞いたような、その真偽を確かめられないけれども、実話だ、として口伝される物語たち。
 このフォークロアも、確かに一つの根となる話があり、それが幾重にも細かい設定や小道具、結末などを変えて全国に流布している。そしてそれは日本だけにとどまらず、何千キロも離れた国であるアメリカなどでも、まったく同じような話が伝わっているのだ。
 消えるヒッチハイカーや、ベッドの下の斧男などはその最たるものである。
「人魚、という存在自体を都市伝説、と分類してしまうのは乱暴でしょうが、分布の仕方だけを取り上げると、そういう見方もできますね。さっきあった、日本版ローレライなどが、どちらかという都市伝説、と言えるかもしれません」
「人魚はジュゴンやアザラシなどを見間違えたものだ、という説も、世界で共通のもの、だよね。日本でそういう見方を広めたのは、南方熊楠だった、というけど」
 遠夜は、アンデルセンの童話である「人魚姫」と、小川未明の「赤い蝋燭と人魚」を並べながら、少しだけ顔を曇らせた。
「……童話や、物語も調べてみたけど、人魚の物語で幸せになった人魚というのは、まずいなかった。やっぱり、不吉の象徴にされているからかもしれない。悲劇しかない、と言っていいくらいに見つけられなかった。特に、この”赤い蝋燭と人魚”なんかは、人間の醜さがひどく浮き彫りにされている話だった」
「――そうですか……。題材としているもの自体が不吉の象徴では、確かに物悲しい話になりがちでしょうね。それが人魚である、ということが、一層の悲劇を描くのには良い材料だったのかもしれません。何せ、日本の数ある妖怪の中でも、人間を脅かす妖怪は数あっても、人間に食される立場にある妖怪は人魚くらいのように思いますから」
 食う側と、食われる側と。食された人魚たちは、大体が不慮の事故などで、不老不死など望んでもいない少女に食された、という話が多いが、江戸の見世物小屋などが流行った時期には、人々はこぞって何の肉かもしれないものを、不老長寿、人魚の肉である、という触れで買い漁っていたのだ。
 明治時代になっても人魚が物悲しく描かれるのは、人にとって永遠のテーマである、不老長寿のときじくの木の実を体内に持ってしまったが故の悲劇だろう。
 頷きながら、遠夜は、これが今回ではあまり知りたくなかったことにあたるだろうか、と考えた。
 確かに、人は時として欲に目が眩み、弱い者の命さえも奪う。だが、一番弱いのは、きっとそうして他者を蹴落としてでも生き残ろう、とする人間であるはずだ。強く、確かなものを持つ人間は、奪わない。自分が、すでに持っているからである。

□夕暮れ■
 図書館を出る頃には、すでに日が遠く、ビルの向こうに沈みかけていた。
 日中、秋にしては強かった日差しも今は衰え、だんだんと冷えた空気が忍び込むように吹いてくる。
 黙って先を歩いていた遠夜は、ふと紫桜を振り返り、向き直った。
「……今日の調べ物はここまで、かな?」
 紫桜も正面からの光に思わず目を眇めながら頷く。
 そうしながら、一つの提案をした。
「実地調査などは、日を改めて、ということになるでしょうか。また、よろしければ都合のいい日などを決めて、今日調べた何処かを、実際に足で回って見ませんか」
 そして、少し考えてから、正直、と付け加える。
「俺としては、初め、ちょっとおもしろそうだ、という興味本位で受けた依頼ですが。こうして調べていくうちに、知らなかったことや、隠れていたような事実を発見できたりして、今日はなかなか面白かったもので。榊さんが良ければ、是非また」
 すると、遠夜は今まで見た中で一番柔らかな、笑みを浮かべた。
「僕も、そう思った。櫻さんみたいに、テキパキ調べられるわけじゃないけど。……今日は、楽しかったよ」
「……それは、良かった」
 紫桜も、自分の口元が自然と笑みの形を作るのを感じながら、最初に会った時のように、深く礼をした。
 それでは、また、と言い合い、二人はそこで互いに別れる。

 一人になると、紫桜は空に向けてうん、と伸びをして、大きく息を吐いた。
「……なんだか、体を動かしたくなった」
 思ったことをそのまま口に出しながら、風を切って足早に歩きはじめると、表の通りでは何台あるのだろう、と思われるほどの車が綺麗に二列に並んでいた。だが、あまり動いていないように見える。
 恐らく、帰宅ラッシュなのだ。
 ああいう列を見ていると、なんだかスイスイ歩いていける自分が得をしているような気がして、自然、足は速くなる。

 百鬼夜行歩き。その本作りは、まだ始動したばかりだが、一体どんな本になるのだろう。
 
 できることなら、後にそれを読む人が、俺のような面白さを感じられる本になるといいな。
 そう、できるように頑張ろう。

 どこまでも生真面目に前向きに。
 そんなことを考えながら、紫桜は夕暮れの一番美しい時間の中を足早に家路に着いた。


END

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【5453/櫻・紫桜(さくら・しおう)/男/15歳/高校生】

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■         ライター通信          ■
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櫻様

はじめまして。
猫亞と申します。

百鬼夜行歩き 人魚 にご参加いただきまして、誠にありがとうございました。
今回は榊様とのペアとして調査に参加していただきました。

どことなく、何でもキビキビ効率的に物事を進めてくださるイメージが出来上がっていたもので
作中でもそのように書かせていただいております。

現地調査まで話が進まず、なんだかひどく日常的な話になってしまいましたが^^;
少しでもお気に召すところがありましたら幸いです。

お叱りなどございましたら、ご遠慮なくお申し付けください。次回執筆の課題にしたいと思います。

せっかく現地調査をまたしましょう、というところでおしまいになっているので、できればまたそういったシナリオも設けたいと思っております。

もし実現しまして、お目にかかりましたら、よろしければご覧くださいませ。

この度は誠にありがとうございました。

それでは、今回はこの辺で。

猫亞