コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

「一行も、いや一文字も書けない…」
 慌ただしい月刊アトラス編集部の一角で、俺は自分の手で顔を扇ぎながらノートパソコンを前にしてずっと呻いていた。
 少し傾き始めた日が窓から入り、あたりはほのかに暖かい。俺が開いているテキストエディタも日差しのように真っ白だ。小見出しすら書けていない。
 俺は鼓雫 雷哉(こしずく・らいや)…しがないフリーライターだ。主にこの月刊アトラスで仕事をもらっているのだが、オカルト記事ばかり書かされるのに最近辟易中だ。かといって何処か大手にコネがあったり、独自に追っているネタがあるわけでもないので、結局オカルト記事を書き続けるしかない。全く因果なものだと思う。
「レーコが締め切り破りで、編集部缶詰って珍しいな」
 隣で煙草を吸いながら、やる気なさそうにキーを打っているのは同業者の松田 麗虎(まつだ・れいこ)だ。俺はレーコと呼んでいて、割と親しい仲だ。
「時間泥棒に一週間ほどまとめて盗まれたんだよ」
「ミヒャエル・エンデの『モモ』か」
 パチパチ…と、俺はキーボードを軽快に叩き『時間泥棒』と画面に打ち出した。確かに普段暮らしていくことは、時間泥棒に時間を盗まれているようなものだ。こうやって何も思い浮かばずに無為に呻いているのだって、ある意味自分の時間を食われている。
「本当に知らないうちに一週間過ぎてたんだから仕方ないだろ…あーっ、本当だったら締めきり前に終わってた仕事なのに」
 砂時計の砂が落ちるようにサラサラと時が流れていく。砂時計はひっくり返せば落ちきった砂を戻すことは出来るが、俺達はそうはいかない。ディスプレイの『時間泥棒』を消し、絶望するような白い空間をまた甦らせる。 
「俺も気が付いたら締め切りが三日過ぎてた」
「いや、そうじゃなくて…だーっ!何か納得いかねー。ついでに原稿も進まねー」
 レーコが一体何を言わんとしているのか俺には全く分からないが、煮詰まっているのは一緒らしい。
 お互いの名誉のために言っておくが、別に雑誌に穴を開けるほど書けないというわけではないのだ。物事には波があって、単にお互い「今はそんな気分じゃない」」だけで、その時が来たらいい物を仕上げられる。…ただ、今はその時じゃないだけで。
 俺はノーパソに入っているソリティアを立ち上げ、マウスを使って遊び始めた。
 そもそも編集部で缶詰…というのも書く気を削ぐ。電話はあちこちで鳴るし、人の出入りは慌ただしいし、編集長は三下さんを怒っていて…何というかオカルト記事を書く雰囲気じゃないのだ。サーフィンだっていい波が来なければただの海水浴なように、俺達にだって波待ちが必要だと思う。
「ダメだ…集中出来ねぇ。雷哉、俺のぶんも記事書いて」
 何を言い出すんだこいつは。
 動かしていたマウスの手を止め、俺はレーコのノーパソを覗き込む。記事を書いているのかと思っていたら、自分が好きでやっている廃墟写真にタイトルを打っていたようだ。これじゃあ、何億年経っても記事なんか書けるわけがない。
「…なあ、いっその事フケちまおうよ」
「それマジで言ってる?」
「フケるなら今しかチャンスなさそうだぜ。それに、ずっと飯抜きで腹減った」
 ずっと編集長席で俺達を見張っていた碇女史が、原稿チェックのために席を外した。自由を掴むなら今しかない。何も完全に失踪するつもりじゃなく、小一時間ぐらい外に行って飯でも食えればいいだけだ。
 いや、抜け出すなら一人より二人の方が、怒りが分散されると思わなかったと言えば嘘になるが。
 オフィスの何処かで電話が鳴っている。
 せわしなく社員達が立ったり歩いたりしている。
 隣で煙草を吸っていたレーコは開いていたフォルダを閉じ、何かを考えている。
「よし、飯食いに行くか…煮詰まってるんだからここにいたってしょうがねぇし」
 話は決まった。だったらもたもたしている暇はない。
「一緒に出ると怪しまれるから、時間差で出ようぜ。ビルの隣にある自販機の前で待ってる」
 記事は思い浮かばないのに、どうしてこういう悪巧みとなるとすらすらと出てくるのか自分でもよく分からないが、俺はそう耳打ちして立ち上がった。携帯電話をポケットに入れながら、碇編集長の様子をうかがう。姿が見えないあたり、応接スペースで対応しているのだろう。
「十分立っても出てこなかったら捕まったと思ってくれ。その時はお前一人で逃げろ」
「了解、健闘を祈る」
 人の出入りを見ながら、俺は何気なく編集部を抜け出した。たった一枚のドアを抜けただけなのに、今まで感じていた圧迫感から解放されたように俺は階段を駆け下りる。
 俺が抜け出してから五分後、レーコがビルの入り口から飛び出してきた。俺の姿を確認すると「こっち」指を差しながら、思いっきり走り出す。
「レーコ、どこ行くんだ?」
 取りあえず外に出ることが先決だったので、何も相談せずに出てきてしまった。腹がふくれるのならハンバーガーでもコンビニ飯でもいいと俺は思っているが、どうやらレーコは行きたい所があるらしい。
「俺が知ってる店でいいなら、そこ行かないか?飯美味いし、煙草吸えるし」
「その辺の店でいいだろ」
「やだ、最近どこも喫煙者に厳しいから、俺は一人でも気を使わずに煙草が吸える所に旅立つ。雷哉、達者で暮らせ!」
 俺に決定権はないのか。
 だがレーコが勧める所なら、悪い所ではないだろう。軽く溜息をつきながら俺はレーコの隣を走る。
 勧められた店の名前は『蒼月亭』
 その店の名前を俺は相棒から聞いたことがあった。一度行ってみたいと思っていたのだが、まさか今行くことになるとは奇妙な縁といえば奇妙なものだ。
 そろそろ走らなくてもいい頃だろう。少しずつスピードを緩め、息を整える。秋の冷たい空気が火照った体に心地よい。やっぱり外に出ると開放感が全く違う。
「もうそろそろいいだろ…」
 賑やかな街中から少しだけ横道に逸れ、安心したように二人で息をついたときだった。
「松田麗虎だな?」
 今まで自分達の後ろには誰もいなかったはずなのに、突然男の声がした。何かを確かめるように警戒しながら振り返り、レーコは怪訝そうな表情をする。
「そうだけど、どちら様…っ!」
 その刹那、風を切るような音がした。
 レーコが咄嗟に俺を突き飛ばし、その反動を使って逆方向にさっと動く…そして俺達がさっきまでいた場所に男の手から出た触手が真っ直ぐ伸びている。
「お前は誰だ?」
 緊張した声でそう聞くと、男は喉の奥でくっくっと笑いながらレーコの方を見据える。
「『星の生命』と言っていただければ分かっていただけるかな?お前のおかげで我々の計画が狂ってしまった…これ以上邪魔になる前に消えてもらおうと思ってね」
 『星の生命』の名前は月刊アトラスにも出てきている。他の星に棲む者と交信するとか精神体で永遠の命を求めるとか、常人が考えればかなりまともじゃない事をやっているカルト宗教の一つだ。脱会した者は変死するという噂があったのだが、最近教祖が殺されてから活動が大人しくなっている。
「雷哉、逃げろ」
 そんな事言われてほいほいと逃げられるやつがいるとしたら、そいつは相当神経が図太い奴だ。俺は男がレーコに気を取られている隙に、両手を上げる仕草をする。
 時間があるなら足踏みから残心までゆっくり間合いを取ってやるのだが、今はそうしている暇がない。左手を前に伸ばし、右手で弦を引く。
 レーコは俺の友人だ。その友人を見捨てるのは屑がやることだ。
 その相手がカルト宗教のイカレた奴だろうが、化け物だろうがそれは同じだ。
「レーコ!避けろ!」
 その声と共にレーコが駆け出した。弓から矢が放たれたように念で作った弾が飛び、男の背中に突き刺さる。
「貴様ぁっ!」
 俺もそいつが振り返る前にレーコが向かった方に走る。いきなりこんな住宅街で仕掛けてくるなんて、正気の沙汰じゃない。狂っている。
 走っていたその背中に追いつくと、レーコは一緒に走ってきた俺に向かってとんでもないことを言った。
「馬鹿か、お前。自分からターゲッティングされてどうするんだよ!」
「ちょ!まずは礼が先じゃないのか」
「余計な事すんな。二人で狙われても仕方ねぇだろ」
 なんだか余裕があるような会話だが、俺達は必死だ。
 俺が飛ばした念弾は咄嗟に撃ったせいでさほどダメージを与えられなかったらしく、男はカサカサという音をさせながら追いかけてくる。背中から狙われるとやられてしまうので、後ろを振り返りながら走っているせいかどうしてもスピードが出ない。
「助けてやったのに、余計な事とはどういう了見だ!」
 レーコは俺を逃がして自分でこいつを何とかする気だったのだろうが、肉弾戦で戦ってどうにかなる相手だとは思わない。世の中には一人で倒せない奴だっているのだ。
「うるせぇ、俺が取材してた奴なんだから手出すな」
「てめっ…雷落すぞコノヤロー!!」
 全力で走りながら俺達はお互いを肘でどつきあう。多分ここにハリセンがあったら、お互いものすごい勢いで殺伐と殴り合いをするだろう。
 背中から感じる殺気の雰囲気が嫌な感じに変わる。
「貴様ら…ずいぶんと私をなめてくれる…」
 何かの羽音がして、男が高く跳躍した。急降下して振り下ろそうとした右手を避け、レーコが思い切りそいつを蹴り飛ばした。
「くっ!」
 だが見事に脇腹に入ったはずなのに、痛そうな表情をしているのはレーコの方だ。さっと後ろに離れて構えを取り直すレーコを見て、俺はまた弓を射る仕草をする。
 一撃で落とせるような威力の物を作れる時間はない。ならば数で押すしかない。
 イメージするのは片手に何本も弓を持ち、連射するアーチャー。魔弾の射手。
「当たれぇっ!」
 左手を前に突き出したまま、俺は何本も矢を撃った。矢を射る、装甲で弾かれる。また矢を射る…だが、いくら撃てるといっても、こっちにも気力の限界というものがある。
 モーションを続けながら、俺達はにらみ合いを続けた。レーコが攻撃のスピードに着いていけるので、男も出るに出られないらしい。
「くそっ、吐け物か!」
 額の汗を手の甲で拭うと、レーコが革ジャンのポケットからライターを出し溜息をつく。
「触手が出たりするんだから化け物だろ」
「…いちいち突っ込まないとダメか」
「俺、関西育ちだから」
 ざわざわと鳥肌が立つような緊張感が辺りに満ちた。レーコが前に飛び出し、相手の足下をなぎ払おうとする。だが男はしっかりと足を地に着けているようで、その隙に右手が飛んだ。
「しまっ…!」
「馬鹿め!」
 アクション映画のようにレーコの体が飛ばされる。地面に叩きつけられそうになる前に何とか受け身を取ったようだが、左の頬には切り傷が出来ている。
「ハハハハ!人間風情が我々の計画を邪魔しようなど、出過ぎた真似をするからだ!」
 風が強く吹き始めた。
 先ほどまで日が差していた空は、暗雲が立ちこめ急に暗くなってきている。
「大丈夫か、レーコ」
「俳優じゃなくて良かったぜ…男前度が上がっちまった」
 頬についた血を親指で拭い、レーコがニヤッと笑ってある場所を見た。その視線の先…男の足下にはレーコがいつも使っているライターが落ちている。
 真鍮で出来た無地のジッポライター…それを見て俺はレーコが何を期待しているか分かった。
「レーコちゃん…お願いだからビビって逃げないでくれる?」
「善処はするけど約束は無理よ。その代わり、あたしに気使って手加減してくれる?」
「善処はするけど約束出来ないわ」
 何故かオカマ言葉でぼそぼそ話すと、レーコは構えを解き男の方を見た。
「何か、すっげー俺達不利だね…あんた達の計画って何なの?」
 にぃっ…と男がおぞましい笑みを浮かべる。
「これから死ぬ者が聞いても理解出来ないだろう。だから言う必要はない」
「俺はいつ死んでもいいけど、後生だから俺の後ろにいるこいつは助けてやってくれない?あんたの計画と関係ないし」
 くつくつ…くつくつ…。
 それは笑い声なのだろうか。喉の奥から男が妙な音を出す。
 俺はレーコに完全に隠れる形になりながら、黙って俯いていた。今ここで死ぬわけにはいかない…腹も減ってるし、原稿も出来てない。相手が人間だろうが化け物だろうが、何も分からないうちに殺されるのは勘弁だ。目の前にいる奴が何の計画を立てているかなんて俺の知ったこっちゃない。
「その後ろで怯えている男か?一人で深淵を彷徨うのは寂しいだろうから一緒に送ってやろう…天国にも地獄にも行けず、狂った神の元で永劫の狂気を味わう仲間は多い方がいい」
 急に生暖かい風が吹き始め、空は夕暮れのように暗くなる。
 力が欲しい。
 人を守るために。真実を知るために。そして…生きるために。
 首元の毛が逆立つような高揚感に俺は歯を食いしばる。
「その先遣りが『星の精』か?ラブクラフト…いや、ダーレスの創作かと思ってたよ」
「知りすぎる者は命を縮める…お喋りは終わりにするか」
 ザッと足音を立て、麗虎が再び構えを取った。それが合図だった。
「地獄の大伯爵にして翼持つ牡鹿フールフールよ…鼓雫 雷哉の名において命ずる!我に仇なす魔物に裁きの雷を!」
 空気が揺れる…稲光が光った瞬間、獣が咆吼するような音と共にある一点に向かって雷が落ちた。レーコがわざと落としたライター…それに向かって雷を落とせば、自動的に男の体を射抜くことが出来る。
「………!!」
 声とも叫びともつかない形容しがたい音を出しながら男が崩れ落ちる。何かが焦げるような不快な匂いと、俺達を睨み付けよとする濁った視線。
 まだだ。まだ足りない…この体を塵に返す為に、俺は指を鳴らす。
「もう一発!」
「ばっ!」
 轟音にかき消されてレーコの声は聞こえない。悪魔の放った稲妻は、確実に男だけを射抜きその身体を消し炭と化す。風が強く吹き、黒い墨と化した物がサラサラと虚空に消えていった。
「………」
 どれぐらいの時間が経っただろうか。先ほどまでの戦いが嘘だったかのようにまた秋の高い空が戻り、優しい風が吹き始める。
「レーコ、大丈夫か?」
 その場に立ちつくしたままのレーコにそう言った瞬間、俺の額に見事な突っ込みが飛んだ。
「全然大丈夫じゃねぇ!」
「助けてやったのに、なんだその態度は!」
「手加減しろって言っただろ。マジ泣きする、謝罪を要求する」
 雷がダメとは聞いていたが、どうやら本気でダメらしい。さっきまで余裕ありげに化け物と睨み合っていたのに、こんなに取り乱すレーコは初めて見た。
「…もしかして、本当に雷嫌いなのか?」
「本気にしてなかったのかよ!」
 ぱしーんと高い空に突っ込みの音が響き渡った。

「いらっしゃいませ、蒼月亭に…って、何やってきたんだお前」
「ノーコメで」
 やっと着いた蒼月亭はなかなか悪くない雰囲気だった。俺はマスターの方に近づきそっと一言耳打ちする。
「世話になった」
 相棒がマスターに世話になったので一言礼を言いたかったのだが、これでやっと義理を果たすことが出来た。それにマスターはふっと笑って俺達に水を出す。
「さっきの雷すごかったな。麗虎大丈夫だったか?」
「全然大丈夫じゃねー。コーヒーと、なんか食う物二人分…」
 レーコがカウンターに突っ伏しそう注文すると同時に携帯が鳴った。なんだか激しく嫌な予感がする。
「はい、もしもし…」
「松田君?そこに鼓雫君もいるのかしら…原稿放って何やってるの?」
 編集長から直電だ。
 俺はこっちの雷の方がよっぽど恐ろしい。でもさっきの出来事で何とか記事は書けそうな気がする…もしかしたら俺も狙われることになるのかも知れないが。
「飯喰ったら帰って原稿やります…はい、一時間以内に…あ、フケようって先に言ったのは雷哉の方なんで」
「ちょ!そこは連帯責任だろ」
 携帯を持って話し続けている麗虎の頭を、俺は思いきり突っ込みモードですっ叩いた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6708/鼓雫・雷哉/男性/26歳/雑誌記者&ゴーストスナイパー

◆ライター通信◆
初ノベル発注ありがとうございます、水月小織です。
麗虎と一緒に原稿書きから脱走して事件に巻き込まれ…ということで、一人称の話にしてみました。賑やかなのが希望でしたので、なんだか二人でお互いに突っ込みを入れつつなので緊張感はあまりないです…いや、本人達は至って真面目なのでしょう。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってくださいませ。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。