コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


nocturnal assault



 夜道をただぶらりと歩いていただけで、いきなり何者かに襲われたのだと依頼者は語った。
 その姿は夜陰に紛れて見えず、声が静かな空気を震わせて告げた。

 何の恨みもありはしない。
 むしろ、好意さえ抱いているのだと。

 なのに、襲撃者が手にした武器は殺意に似た感情をみなぎらせて、依頼者の頬をかすめた。
 その場は何とかしのいだものの、尋常ならざる気配に身の危険を感じて、依頼者はその足で草間興信所までやって来て扉を叩いたのだという。

 依頼者が襲われた理由も、襲撃者の正体も目的も不明。
 狙われたのは身柄か、命か、それとも他の何かなのか。何もかもが判然としないまま。
 それでも草間武彦がその依頼を受けたのは、別に依頼者の様子が切羽詰っていたとか、襲撃者の背景に興味があったとか、そういう理由ではない。
 そう、単に懐具合が寒かったのだ。


 夜の街を遊び歩く少年達に、あの草間武彦の名を知らない者は少ない。
 腕に覚えがあり、常に自分より強い相手と拳を交えることを渇望していればなおさらの話。
 氷室浩介も、以前はその一人だった。
 今でこそ探偵という職業についている草間だが、少年時代はいわゆる不良というやつで、その強さは今でも伝説として語り継がれている。
 それがどこまで真実なのかは分からないけれど。
 完全武装したヤクザ数十人を相手に立ち回ったとされる草間の雄姿を、この目で見てみたいと氷室は思う。できることなら、その強さを実感したい。
「一度、勝負してみてぇな……」
 誰に言うともなくそう呟く。
 草間と拳を交えることができれば話は早いのに。そう考え出すと、血が沸き立つような昂揚感に包まれた。
 そんな時だった。道端に、怪しげな古道具が並べて売られているのに気がついたのは。
 氷室の目に、ひとつの黒いレザーグローブが目に入った。指なしタイプで、手首のところにコイン型のスタッズがついたシンプルなデザインのものだ。
 思わず氷室はそれを手に取っていた。スタッズには何かが彫られている。
 竜、だろうか。
「毎度あり」
 まだ買うとは言ってないのに、若い露天商の男はそう言ってニヤリと笑った。
 気がつけば、氷室は何かに操られるように、ジーンズのポケットから財布を取り出していた。

 グローブは、まるで元から自分の皮膚だったのだと錯覚するほど手に馴染んだ。
 手を握ったり開いたりしながらぼんやり眺めるうち、氷室の頭にひとつの考えが浮かぶ。
 どうして今まで思いつかなかったのだろう。誰でもいい。草間興信所の近くで人を襲えばいいのだ。
 うまくすればそいつが興信所に駆け込んで、草間に護衛や襲撃者の撃退を頼んでくれるだろう。

  ──あの草間武彦と戦える。

 氷室の口の端に、剣呑な笑みが浮かんだ。


 作戦は当たった。
 運悪く通りがかったOL風の女に拳をかすらせただけで、相手は血相を変えて草間興信所に飛び込んでいったのだ。
 もっと早くこうすればよかったと、氷室は不敵な笑みを浮かべながら草間の登場を待つ。
 拳が熱く震えていた。夜の冷たい風を切って、この熱を草間の身に叩き込む瞬間のことを想像しただけで、頭の芯がしびれるほどにわくわくする。それは、生線を超えて死線ギリギリに踏み込む時の感覚によく似ていた。
 やがて願いどおり、草間は氷室の前に姿を現した。
「……よう。あんたが出てくると踏んでたぜ」
 どうしておまえが、と驚き顔で問う草間の視線に、氷室は笑い混じりに答える。
「勝負しようぜ、草間さんよ」
 羽織っていたジャンパーを脱ぎ捨て、言い放った。
「今の俺は、罪のない人間に襲い掛かった不埒者だ。遠慮はいらねぇ」
 草間は言葉を吟味するかのように、氷室の顔をじっと見つめる。その視線がふと、見慣れぬグローブに移った。
 それを掲げて見せ、氷室は宣言するように告げた。
「あんたか俺か、どちらかが倒れるまで勝負は終わらねぇ。……行くぜ!」
 鋭い氷室の先制パンチをかわしながら、草間は真意を計りかねたように問う。
「本気か?」
「ダテや酔狂であんたにケンカ売るバカがいるかよ」
 答えて、ボディを狙って繰り出した拳はやすやすと防がれた。
 続けざまに顔を狙った腕が空を切る。素早く身を屈めた草間が半身をひねり、氷室の脇腹に回し蹴りを叩き込んだ。
 腹に力を入れ、足を踏ん張ってそれに耐え、氷室はニヤリと笑う。
「遠慮はいらねぇと言ったはずだぜ。あんたの実力はこんなもんじゃねぇだろ?」
 お返しとばかりに、草間のみぞおちめがけて本気の拳を放つ。両手で防がれたはずのそれは、もろとも草間の体にめり込んだ。
 かすかにうめいた草間の顎を打とうと発した一撃は、紙一重で避けられてしまう。逆に自分が顔を打たれ、蹴りを食らって氷室は軽くよろめいた。
 血の混じった唾を地面に吐き、Tシャツの袖で無造作に唇をぬぐい、氷室はなお笑う。
 いいパンチだ。重い拳の感触に、腹の底から愉悦がわきあがってくるのを感じた。
 けれど、まだ足りない。互いの拳で血肉をえぐり、身を削り合うような勝負がしたい。
 それなのに、草間はまだ本気を出していないと感じた。

  ──なら、出させればいいだけの話だ。

 氷室は一旦脇を締め、強く握りしめた拳を、渾身の力を込めて草間の頬めがけ、放った。
 その軌跡は緩やかな弧を描く。だが、スピードは目視がかなわないほどに速い。草間のガードも間に合わない。
 とらえた。そう確信した。
 自分の拳が草間の顔にめり込む様子を想像した瞬間──。
 氷室は自分の顎がきしむ音を聞いた。
 何もない空間から弾丸が飛び出すがごとき速さ、そして鋭さで繰り出された草間の拳が、氷室の顎にヒットしたのだ。

 肉体の痛みよりも先に痛感した。
 この男にはかなわないと。
 何故なら草間の拳が氷室の顎を打つ直前、彼はその威力をわずかに落として手加減するだけの余裕を見せたのだから。

 氷室の体は宙に舞い、派手な音を立てて路傍のがらくたの上に落ちた。その時。
『負けちまったな……。満足かい?』
 氷室は、誰かがそう囁くのを聞いた。
 声の主を確かめる間もなく、意識が遠のいた。



「おまえはどうやら、変なモノに好かれるタチらしいな」
 目を覚ました氷室に、草間は開口一番そう言った。
「へっ?」
 氷室は、きょとんとしてから自分の姿を見回す。
 血のついたシャツ。切れた口の端に手をやった時、氷室は何かがなくなっていることに気がついた。
 あのレザーグローブが、ない。
「アレなら、おまえが倒れた瞬間に消えたぞ」
 あたふたする氷室に、草間は煙草をくわえながら、まるで全てを見通しているかのような口調で言う。
「まったく。俺に殴りかかるだけならともかく、関係のない人間を巻き込むような真似は二度とするなよ」
 煙草に火をつける草間の姿を呆然と見つめながら、氷室は自分の手の甲をさする。
 先ほどまで、自分の皮膚のように感じていたグローブ。それをはめた瞬間の感覚を思い出すと、冷たいものが背中を撫でていった。
 氷室の脳裏に、あのグローブに『憑かれた』時の記憶が蘇る。見ず知らずの罪なき女性を襲い、大胆にも草間に挑みかかった無鉄砲な自分。
「わあぁ!」
 氷室は恥ずかしさのあまり叫び、思わずその場に土下座した。
「す、すみませんでしたぁ!」
 草間は呆れた様子で、煙の混じった溜息をつく。
「どこで手に入れたんだ、あんなモノ」
「ろ、露天商……。古道具屋みたいな……」
「さっきも言ったが、おまえはどうも変なモノに好かれるようだから、うかつに妙なものに近寄らないほうが賢明だぞ」
 とりあえずはうなずいて見せたが、氷室は基本的にトラブルに見舞われることが嫌いではないのだ。せっかくの草間の忠告も無駄になるような気がしないでもない。
 それでも、自分自身が厄介の種になるのは勘弁だ。氷室は姿勢を正し、もう一度草間に向かって頭を下げた。
「すみません。草間さん、俺……」
 その言葉を遮るように、草間が軽く手を上げる。
「俺に謝る筋合いの話じゃない。ま、迷惑料くらいはふんだくってやるか。とりあえず、あの依頼人の女性には、お前から謝って依頼料を返してこい」
 言って、草間は意地の悪い笑みを浮かべて見せた。氷室はしおしおとうなずいてから、草間の言葉に目をぱちくりさせる。
「え? 何で返しちまうんだ?」
「おまえが俺をおびき出すために使われただけの人間から金が取れるか」
「黙ってりゃ分かんねぇのに?」
「この稼業は信用第一なんだ」
 そう答える男の横顔に、かつての不良少年の面影はない。立派な、一人の職業人然とした表情だった。探偵としての腕は一流と呼べるのに、怪奇事件に関する依頼ばかりが舞い込んでくるのが哀れに思えるほど。
「そっか……。そうだよな。了解!」
 氷室は立ち上がり、軽く敬礼した。
 お詫びついでに、あの女性にはお礼を言わなければと思う。何はともあれ、草間と勝負することは氷室の夢だったわけだし、彼女はそれをかなえるきっかけとなってくれたのだから。
 礼を言ったところで、きっと喜ばれはしないだろうけれど。
 氷室はちらりと探偵の横顔を盗み見る。黙って紫煙を吐き出すその姿は、何よりも、誰よりも、この街の夜に似合うような気がした。

 自分がどうして草間との勝負を望んだのか、氷室にはよく分からない。
 ただ自分より強い相手を求めた結果が、たまたま草間だったのか。それとも……。

  ──できれば再戦してぇよな。今度こそ本気でさ。

 そんなことを心の中だけで呟いて、氷室はニッと笑った。
「……何か言ったか?」
 口にしていないのにそう問われ、慌てて首を横に振る。
「何でもねぇよ。……今回は本当に悪かった」
 もごもごと口ごもりながらそう言うと、草間の手が氷室の頭を軽く小突いた。
「腕試しなら、気が向いた時にでも付き合ってやるさ。正面きってかかってこい」
 その顔に浮かんだ笑みは、歳の離れた弟の稚気を笑う兄のようで、氷室は思わずそれをぼんやりと見つめてしまった。
 さっき顎に食らったパンチより、小さなゲンコツの方が何故か胸に痛い。
 それと同時に、やはりこの男にはどう頑張ってもかなわないような気がした。そして、それでいいのだという気も。
「……いつか、手加減なんかできねぇようになってやるからな」
 心の内を押し隠しながら虚勢を張るのに、意外にもやわらかい笑みが返ってきた。
「期待してる」
「……本気にしてねぇだろ?」
「してるさ。……結構効いたぞ」
 言って、草間はみぞおちを指さし、唇の端だけで笑って見せる。
「十年後が楽しみだ」
「でも、あんたは……」
 十年後も、やっぱり俺より高いところにいるんだろう? という言葉を、氷室はかろうじて飲み込んだ。
「ん?」
「いや。十年後、再戦してくれるってんなら、今度こそ絶対勝つ!」
 草間が、さも楽しげに白い煙を吐き出す。
「年寄りをいじめる気か」
「あんたが隠居とかするタマかよ。約束だぜ、十年後!」
「ハイハイ」
 苦笑いを浮かべる男に、氷室は「じゃあな」と手を上げて背を向けた。
 今は、草間の背中を見たくなかった。きっとこれから、嫌でも見ることになるような気がしたから。

 つまるところ、草間という男は、氷室の目標であるのかもしれなかった。
 ──目標は高ければ高いほど、やる気が増すというものだ。
 氷室は一人、決意を表すかのように、夜空に向かって高々と拳を突き上げた。





■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【6725 / 氷室・浩介 (ひむろ・こうすけ) / 男性 / 20歳 / 何でも屋】