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<東京怪談ノベル(シングル)>


夢の通い路

 白鋼 ユイナ(しろがね・ゆいな)が、篁コーポレーションの社長である篁 雅輝(たかむら・まさき)と出会ったのは、まだ雅輝の祖父が社長をしていた十年ほど前のことだった。
「後々、ワシの後を継がせようと思っておる」
 そう言って紹介された後、ブレザーの制服を着た雅輝は大人びた微笑みでユイナに右手を差し出した。
「よろしく。これはお近づきの印にどうぞ」
 そう言って手渡されたのは、水面に映ったように胴体で繋がっている折り鶴…。

「忙しそうね」
 篁コーポレーションのオフィスに現れたユイナは、社長室のデスクでパソコンを操っている雅輝に向かって一言こう言った。四年前に雅輝が会社を継いでから、食品・科学を扱っている篁コーポレーションは不況の中でも着実に業績を伸ばしていた。
 社長室へのセキュリティは堅いが、ここにすんなりと来られるのは数少ない者達だけだ。その中でもユイナは、ここに真っ直ぐ来られるIDカードを雅輝から渡されている。
 その声で、ユイナが来たことに気付いた雅輝は、キーを操っていた手を止めふっと微笑む。
「やあ、おかげさまで遊ぶ暇がないぐらいだよ。でも何もすることがないよりは、よっぽどいいけどね」
 出会った頃は同じぐらいの年頃だったが、普通の人間である雅輝はすっかりユイナの歳を追い越してしまった。ただ眼鏡の奥の大人びたような、それでいて影を含むような笑い方だけは、出会った頃から変わっていない。
「そうね、でもたまには休んだ方がいいわ」
「そうするよ。ユイナが来たから、久々に連鶴でも作ってみせようか」
 連鶴…という言葉に、ユイナが少し顔を上げる。
 祖父から会社を継ぎ、自分を犠牲にしている雅輝が自由に出来るもの。それが『連鶴』と『Nightingale』だ。もっとも雅輝自身は自分を犠牲にしているなどとは思っていないだろうが。
「今度はどんな鶴を折るのかしら」
 あまり表情を変えずに、ユイナは雅輝の側に近づく。雅輝もデスクから立ち上がり、少しだけ伸びをして息を吐いた。
「時間がなくてあまりたくさんの鶴は折れないから、久々に『夢の通い路』にでもしようか」
 それを聞きユイナが珍しくふっと笑った。他の連鶴の名前だったら、多分こんな気持ちになることはなかっただろう。
 『夢の通い路』…それはユイナが雅輝に初めてもらった連鶴の名前。
 その鶴の名と共に、あの日のことをユイナが忘れる事はないだろう…。

「篁の会社を、僕は父さんに継がせるつもりはないよ」
 まだ高校生だった雅輝は、ユイナを前にして堂々とそう言いはなった。眼鏡の奥の瞳を影を帯びたように細くしながら、そんな事を自分に言った雅輝に、ユイナはある意味衝撃を覚えた。
 篁の名前は古くから現在まで伝わる由緒正しい名字だ。
 だが、雅輝の祖父には一人娘…雅輝の母しか子供が出来ず、雅輝の父は「篁」の名字を持つ部外者的存在だった。祖父もそろそろ高齢ということもあり、後継者問題が出てきはじめたのだが、社内でも雅輝の父親に後を継がせる事に対して不安を持つ声が出ていた…二人が出会ったのはそんな頃だ。
 あまりにもクールな言葉に、ユイナは無表情のまま雅輝の顔を真っ直ぐ見た。だがユイナの赤く真っ直ぐな瞳を見ても、雅輝は顔色一つ変えない。
「会社と父親とどっちが大事なの?」
「会社だよ。父親なんて、僕にとっては単なる遺伝子提供者に過ぎない」
 本当に彼は人なのだろうか。
 それほどまでに全てを切り捨てられる気持ちが、ユイナには分からなかった。確かに代々続く会社は大事かも知れないが、かといって実の父親を「遺伝子提供者」とまで言い切れる理由…それだけでユイナが雅輝に興味を持つ理由にはなる。
 沈黙したままじっと見つめているユイナに、雅輝はふっと笑って見せた。
「母さんの遺言でね『篁の会社を絶対に父さんに渡すな』って。遺言と言うより恩讐かも知れない。なにせ、それを僕に刻みつけるのにこうしたぐらいだから」
 すると雅輝は制服のネクタイを緩め、シャツのボタンを開ける。
「馬鹿馬鹿しいと思うかも知れないけど、これが篁の血なんだ」
 シャツで隠れていた左の首元には、何かで斬られたような傷跡があった。その傷跡を触り、雅輝は変わらぬ表情で言葉を吐き続ける。
「他の会社じゃ駄目なんだ。篁の会社を手に入れるためなら、僕は自分の命以外使えるものは何でも使う」
 そう言った瞬間、ユイナは自分が持っていたナイフを素早く抜き、雅輝に向かって突きつける。だがそれでも雅輝は真っ直ぐユイナの顔を見ているだけだ。
「その決意は固いの?」
「信用出来ないなら、そのナイフを手にとって逆側を斬ってみせてもいいよ…」

「雅輝はあの頃から無茶だったわ」
 応接セットのソファで紅茶を飲みながら、ユイナは溜息をついた。
 結局あの後雅輝の祖父が合間に入り事なきを得たが、止めるのが一歩遅ければ雅輝は迷わずナイフを取っていただろう。今となっては笑い話だが、あの瞬間をユイナは時々思い出すことがある。
 雅輝は長方形の和紙の真ん中にカッターで切り目を入れながら、クスクスと楽しげに笑う。多分こんな顔をして笑うのは、心を許した相手にだけだろう。それぐらい普段の雅輝には隙がない。
「あの頃の僕はそれぐらいしか持つものがなかったからね。でも、死なない自信はあったよ」
「その自信はどこから来るのかしら」
「どこからだろうね。でも本当にそう思ってたんだ」
 ユイナは呆れたように笑い、紅茶のカップをテーブルに置いた。
 だがあの時雅輝の手が早かったとしても、おそらく雅輝は死ななかっただろう。それで死んでしまうぐらいなら、今ここにいるのはおそらく別の誰かだ。それにお互い気付いている。
「でもわたしは、今のところ雅輝以外の下につく気はないけれど」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
 ふふっと笑いながら雅輝が鶴を折りはじめた。話をしながらそうやって連鶴を折っているときの雅輝は、会社の社長でも『Nightingale』の長でもない、たった一人の青年だ。
「つまらなくないかい?」
「いえ…わたし、雅輝が連鶴を作っているの見るの好きだから」
「そう、それならいいんだ。これと『Nightingale』がなくなったら、僕は会社の経営以外に暇つぶしがなくなってしまうから」
 Nightingale…夜啼き鳥の名を持つ組織の名前。
 それが出来たのは、ユイナが雅輝と出会ってからだった。その前から雅輝の祖父が人外の者に東京に潜む怪異などの調査や始末を頼むことはあったが、正式な組織になったのは十年前からだ。
 雅輝は「人外だからと言って、社会の外で生きなければならない道理はないよ」と言うが、その組織が何のために作られたのかユイナが聞いても「今はまだ言えない」と答えるだけで、いまだにそれを明かしてくれようとはしない。
 だがそれは、ユイナを信用していないのではなく、何か考えがあってのことだろう。それに『Nightingale』は、強制的な組織ではない。篁 雅輝という一人の人間に協力しようとする者達が、雅輝の代わりに手を汚すことも厭わない存在だ。
「………」
 もし自分達が雅輝に協力しなければ、今頃ここには雅輝の父が座っていたはずだ。
 だが雅輝の祖父が亡くなる少し前に、雅輝の父は愛人と一緒に行った旅行先で行方不明になっている。そこに何らかの動きがあったことを、ユイナは別に責める気はない。雅輝の父に『死なない自信がある』程の覚悟と自信があったとは思えないし、この位置に座るのにふさわしい者が座っただけのことだ。
「いつも思うけれど、雅輝は器用よね」
 連鶴は一羽ずつ折らず、まず最初に頭で覚えている鶴の折り目を紙につけるところから始まる。切り目が入ったりはしているが、基本的には一枚の紙から折り上げるのがルールらしい。
 ユイナの言葉に、雅輝が和紙に折り目を付けながら顔を上げた。
「そうかな。僕はこれ以外はほとんど何もしないからね。会社を手に入れ経営するための手段以外に、母に教わったのがこれぐらいしかないんだ。でも、今は僕が好きでやっていることであって、別に母は関係ないけれど」
 ユイナが雅輝と話をしていると、時々こうやって雅輝の母の話題が出ることがある。
 雅輝と出会った頃は既に亡くなっていたのでその人となりは分からないが、雅輝が母親の話題を出すときは決まって影を帯びた笑い方をするので、あまりいい思い出ではないのだろう。
 篁の会社を継がせるために実の息子に傷を負わせ、それを恩讐として刻みつけた女。
 その恩讐を身に受け、実の父親を「遺伝子提供者」と言い切る息子。
 そこに大した違いはないのかも知れないが、それでもユイナはその話を聞く度に言いようのない気持ちになる。
「…わたしと雅輝は似ているかも知れないわ」
 無表情のまま、ぽつんとユイナがそう呟いた。
 感情が読み取れないはずなのに、雅輝はそんなユイナを見て小さく溜息をつく。
「そうかも知れない…実はね、ユイナと初めて会ったとき、僕は連鶴を何羽か持っていたんだ。二羽で出来る連鶴の名前はいくつか教えたことがあるよね」
「ええ、『妹背山』に『妙妙』…あと『村雲』とか」
 それらの連鶴をユイナは雅輝から見せてもらったことがあった。二羽で出来る連鶴は簡単な方で、多い物になると一枚の紙で十六羽折るものもある。その中からするとユイナがもらった『夢の通い路』は、胴体で繋がっているとはいえ雅輝にとっては簡単な部類だろう。
 ユイナが黙ったままでいると、雅輝は器用に鶴を折り上げながら今まで見せたこともないような安らいだ表情で笑う。
「お爺様に『これから僕のためになる人を紹介する』って言われて、その頃の僕には渡せる物がほとんどなかったからせめて連鶴を渡そうって…そして、ユイナを見たときに何故か思ったんだ。『僕とどこか似ている』って。どこがって言われると、上手く話せないんだけれど」
「それで?」
「うん…それで『夢の通い路』は水面に映ったような姿になってるから、咄嗟にそれを選んだ。本当はもっと複雑な連鶴も持ってたんだけど」
 話し終わると同時に、雅輝の手の上に『夢の通い路』が出来上がっていた。それは初めて渡されたものと全く変わらず、水面に映ったように胴体で対称になっている。
 その『夢の通い路』をそっと手に取ると、ユイナは自分のコートのポケットから一つの包みを出した。それはビニール製のパックにしっかりと包装されている。
「やっぱりわたしと雅輝は似ているわ」
 そう言いながらユイナはそれを解く。するとそこから現れたのは、雅輝と初めてであったときに渡された『夢の通い路』だった。それは十年の年月のせいで羽やくちばしの先が少し毛羽立っていたが、大事にしまわれていたため赤い和紙は色あせてもいない。
「今の話を聞いて、嬉しかったって言ったら雅輝は笑うかしら?」
 くすっと微笑みながらそう言うユイナに、雅輝は首を横に振る。
「僕はユイナがずっとそれを持っていてくれたことが嬉しかった。とっくに捨てられているかと思っていたのに」
 お互い口には出さないが、色々似ていることには気付いていた。
 ユイナが生きてきた長い時間と、雅輝が生きてきた二十七年間は全く違うが、それでも二人は同じような傷を持っている。
 だがそれを舐め合うわけでも、慰め合うわけでもない。ただ水面に映る姿のように、似ていることを認識しているだけだ。それだけで他に何もいらない。
「…じゃあ、僕もユイナと同じように『夢の通い路』を持っていることにしよう。同じ物を持っていると何となくお守り代わりになりそうな気がするから」
 ユイナの手に乗っていた新しい方の『夢の通い路』を雅輝が手に取り、大事そうにスーツの裏ポケットに入れた。それを見てユイナはソファーの上で膝を抱える。
「意外とロマンチストなのね」
「普段からこんな事は言わないよ。すっかり紅茶が冷めてしまったね、入れ直そうか」
 そう言って立ち上がろうとした雅輝をユイナが押しとどめた。
 せめて…せめて今だけは、会社のことも何もかも忘れた篁 雅輝という一人の人間でいて欲しい。『Nightingale』も関係なく、連鶴を器用に折ってみせる一人の青年で…。
「ユイナ?」
「紅茶より、もう少し雅輝が鶴を折るところを見ていたいの。ダメかしら」
 ユイナがそう言い、雅輝の顔をじっと見る。
 その赤い瞳を真っ直ぐ目を反らさずに見つめ、雅輝がふっと無防備に笑った。多分それは、ほとんどの者が知らない雅輝の素直な表情。
「じゃあ三連鶴の『稲妻』でも折ろうか。紙が小さいから、あまり大がかりな物は折れないけれど」
「いいの。さっきも言ったけどわたし、雅輝が連鶴を折っているのを見るのが好きだから」
 冷めた紅茶を飲みながら、ユイナは長方形や正方形の和紙から鶴が出来上がるのを見ている。
 紙に折り目を入れながら、雅輝が楽しそうに一つの和歌を呟いた。

 住の江の岸による波よるさえや 夢の通い路人めよくらむ

fin

◆ライター通信◆
ご指名ありがとうございます、水月小織です。
篁 雅輝に関する情報とユイナさんとの関係ということで、結構昔からの知り合いのようだと思い話を作らせていただきました。雅輝の数少ない趣味である「連鶴・変わり鶴折り」を合間に入れ、その折り方である『夢の通い路』をきっかけにしています。
設定の細かいところに偶然似ている所があったりしていて、水に映るような感じだなと思いました。ラストの和歌は百人一首の一つです。
リテイク、ご意見はご遠慮なく言ってくださいませ。
またよろしくお願いいたします。