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<東京怪談・PCゲームノベル>


一日限りの異邦人 〜 記憶のない男

 どんな店にも、なぜかなかなかお客の来ない日というものはある。
 そして、井園鰍(いぞの・かじか)が店長を務める画材屋『夢飾』にとっては、どうやら今日がその日のようだった。

「暇やなぁ」

 全く客は来ないが、だからといって「客が来ないから臨時休業」などというわけにもいかない。
 やれやれと思いつつ、鰍は一度店の外に出てみることにした。
 店のすぐ前にいれば客が来てもすぐわかるし、そもそもこれだけ客が来ないとなると、一度外に出てただ単にこの店に客が来ないだけなのか、それともこの一帯が何らかの理由によってゴーストタウン化したのか確かめてみる必要があるだろう。
 ――というのは、さすがに冗談だが。





 店の外の大通りでは、いつものように大勢の人々が行き交っていた。
 けれども、その中にこちらに目を向けるものはなく――と、思いきや。

 一人だけ、足を止めて『夢飾』のショーウィンドウに視線を向けている男がいた。

 見た目で判断する限り、青年と呼ぶにはいささか年上だが、中年と呼ぶのは失礼に当たるであろう年齢、というところだろうか。
 いつからいるのか、ほとんど微動だにせずにショーウィンドウに飾られている色とりどりの画材を見つめている。
 とはいえ、真剣にそれらを一点一点品定めするように見ているというのではなく、むしろ全体をぼんやりと眺めていると言った方が正しそうだ。

 その様子が少し気になって、鰍はその男に声をかけてみた。
「何かお探しですか?」
 その声に、男は小さくこう答える。
「ええ。そう言えないこともないです」

 生返事というわけではないところを見ると、鰍の言葉はちゃんと聞こえているのだろう。
 とはいえ、どうとったらいいのか判断に苦しむ返事であることには間違いない。
 それに何より、先ほどショーウィンドウを見つめていた男の目は、どう見ても何かを探していたようには見えなかった。

 何やら妙な客ではあるが、とりあえず悪い人ではなさそうだ。

「ほんなら、中も見てって下さい」
 鰍がそう言うと、男は一度頭を下げた。
「では、お言葉に甘えて」

〜〜〜〜〜

 店の中に入っても、男は相変わらずの様子だった。
 ゆっくり数歩歩いては足を止め、並べられている様々な画材などを見るともなく眺めては、軽く首をひねったり、微笑んだりする。

 依然として彼以外に客が来る気配はなかったが、彼の存在、とりわけ「彼が何者で、一体何を探しているのか」について推理することは、鰍のちょうどいい退屈しのぎになった。

 一番当たり前の答えは、「ただの暇つぶしで、特に探しているものはない」。
 ただ、これではあまりにつまらないので、その可能性はとりあえず脇に置いておく。

 彼は絵を描くのが趣味なのだろうか?
 友人の絵描きに何か頼まれごとでもしたのだろうか?
 あるいは、純粋な画材マニアという可能性もゼロではない。

 しかし、そもそも彼が探しているのは画材の類なのだろうか?
 それよりも、もっと大きな、漠然としたものを探しているようにも――。





「私はね」

 その男の声で、鰍はふと我に返った。
 鰍の様子に気づいてか、男は画材を眺めたまま、ぽつりぽつりと話し出す。

「私はね、自分が何者なのか、それを探しているんですよ」

 これは、さすがに予想外の答えだった。

「ちゅうことは、つまり……?」
「今朝より前の記憶がないんです。
 私の記憶は、今朝、この先の交差点に立っていたところから始まっています」

 どうやら、事態は鰍が想像していたよりはるかに困難であるらしい。

「いろいろと見て回っているうちに、何か思い出せるかもしれないと考えていたのですが」
「まだ何も思い出せへんか?」
「ええ。何か思い出せそうな気はしているのですが、具体的にはまだ何も」

 男の話を聞きながら、鰍は推理を続ける。

 服装はきちんとしているし、特に薄汚れているというようなこともない。
 何か事故にあったような形跡もないし、記憶が「立っているところ」から始まっているのも妙だ。

「まあ、これも何かの縁や。
 何か思い出せそうな気がするんやったら、気が済むまで見てってくれてええで」

 男にそれだけ言うと、鰍はさっそくネットワークにアクセスし、自身の『情報屋』としての伝手や能力を駆使してこの男についての手がかりを探し始めた。

〜〜〜〜〜

 それから、どれくらい経っただろうか。

 鰍が八方手を尽くしたにも関わらず、不思議なことに、男に関する確かな情報は何一つとして手に入らなかった。

(普通、もう少し情報が出てくるもんやけどな)

 一度大きくため息をついて、飽きずにあちこちを眺めている男に声をかける。
「で、どっか行くあてはあるんか?」
「いえ、全く」
 落ち着いて考えればかなり大変なことのはずなのに、男にあまり慌てた様子は見られない。
 そのことを少し不自然に思いながら、鰍はこう続けた。
「ほんなら、部屋は開いてるから泊めたってもええけど、タダ、いう訳にはいかへんな」





 そして。

「これ、そこ並べといてんか」
「あ、はい。ここですね?」

 鰍が男に出した条件は、「店の手伝いをすること」であった。

 もっとも、あれ以来多少はお客が来るようになったものの、相変わらず普段と比べると客足は少なく、従って必要な仕事も比較的少ない。
 にも関わらず、彼が手伝いを要求したのは、彼の手伝っている時の様子から何かわかるかもしれない、ということと、彼自身もそう言ったことをしているうちに何か思い出すかもしれない、ということの二つによるものである。

「自分がもともと何の仕事をしていたのかすらわからない」という男であったが、実際に手伝わせてみるとなんでも無難にこなし、さらに細かいことにも気がつくようで、鰍がうっかりを装って間違った指示を出しても、ちゃんと気づいて確認を取りにきたりする。
 これは、本人の記憶にないだけで、過去にこういった作業をやったことがある、と考えるのが無難だろう。

 けれども、結局わかったのはそのことだけで、男が何かを思い出すことも、男についての情報が見つかることもないまま、昼を過ぎ、やがて夕方になった。

〜〜〜〜〜

 数人のお客が立て続けに店を訪れ、その全員が買い物を済ませて、忙しさが一段落した時。

 絵の具の在庫を確かめてもらいに行っていた男が、何やら神妙な表情で戻ってきた。

 理由はわからない。
 だが、何かがおかしい。
 鰍は、直感的にそう思った。



 

「やっと、思い出したんですよ」
 寂しげな笑みを浮かべて、男はぽつりとそう言った。
「思い出した、っちゅうと……記憶が戻ったんか?」
 それにしては、あまりにも男の表情が暗い。
 そのことを怪訝に思いながら聞き返す鰍に、男は静かに首を横に振り……やがて、一言こう呟いた。
「私はね、『旅人』だったんですよ」





「旅人」。
 その存在は、鰍も何度か耳にしたことがある。
 この世界に忽然と現れては、ほんの一日ほどの間だけ存在し、現れた時と同じように消えていく存在。
 そのようにしていくつもの世界を渡り歩くが故に、彼らは「旅人」と呼ばれる。

 そして、そんな彼らの最大の特徴は。
 それぞれの世界での記憶を、次の世界には一切持ち越さないということ。

 つまり、彼ははなから記憶など持ち合わせてはいなかったのだ。
 今ようやっと思い出したという、彼の素性を除いては。

「普通、自分の正体くらいは覚えているものなのですが、今回は何か手違いがあったのでしょうね」

 ことここに至って、鰍は全てを理解した。

 なぜ男の情報が一切手に入らなかったのか。
 ――今朝まで、彼はこの世界に存在していなかったから。

 そして、なぜ男はこんな表情をしているのか。
 ――それは、彼がもうじき「消えるべき」定めを負っていることに気づいてしまったから。

「恐らく、私がこの世界に存在できるのも、あとほんの僅かでしょう」

 男の存在が、徐々に希薄になってきているのがわかる。

「旅人」は、命に関わるような大きな外傷や、強い精神的ショックを受けた際には、一日の経過を待たずに「消えて」しまうと言われているが、この男の場合、「自分が『旅人』である」と気づいたことが、その「強い精神的ショック」に該当したのだろう。

「きっと、ここのことも、あなたのことも、もうすぐ全て忘れてしまう」

 寂しげに、しかし、男は笑う。

 その、理由は。

「それでも。私はここに来られてよかった。そう思います――たとえ、この一瞬だけでも」

 屋内だというのに、不意に微かな風が吹き――。
 男の姿は、その風に吹かれるように消えていった。

〜〜〜〜〜

「暇やなぁ」

 どんな店にも、なぜかなかなかお客の来ない日というものはある。
 そして、鰍が店長を務める画材屋『夢飾』にも、そんな日はたびたび訪れる。

 そんな時、鰍は決まって一度か二度、店の外へと出てみることにしている。

 ひょっとしたら、彼一人を残してこの一帯が突然ゴーストタウン化したのかもしれないし――。





 ――あるいは、ショーウィンドウをぼんやりと眺めている、不思議な男がいないとも限らないから。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 2758 / 井園・鰍 / 男性 / 17 / 情報屋・画材屋『夢飾』店長

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■         ライター通信          ■
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 撓場秀武です。
 この度は私のゲームノベルにご参加下さいましてありがとうございました。
 また、ノベルの方、大変遅くなってしまって申し訳ございませんでした。

 さて、話の雰囲気とも合わせ、ただでさえとらえどころのない「旅人」の中でも、ますますつかみ所のない感じの相手になってしまいましたが、こんな感じでよろしかったでしょうか?

 もし何かありましたら、ご遠慮なくお知らせいただけると幸いです。