コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『恋する台風』


 日本上陸か、と騒がれていた台風も無事に日本の横を通り過ぎて行ったとある秋晴れの日。
 しかしリンスター財閥総帥セレスティ・カーニンガムの屋敷に台風が上陸した。



【1】 さあ、いい? 絶対にあの方を落すわよ! このあたしの溢れる魅了でさ。

 朝。
 いつものようにリンスター財閥総帥セレスティ・カーニンガムがこよなく愛する庭の整備を終えてモーリス・ラジアルは満足げに微笑んだ。
 庭はモーリスにとっては娘であり、
 そしてその娘はセレスティに愛でられる存在である。
 だからセレスティに愛でられる存在であるべく庭はいつもそれに相応しい様相をしておかなければならない。
 娘を愛する男に相応しい淑女にするための労力を親とは厭わぬもの。
 そしてモーリスにとってそれは決して労力と言う程の物では無い。
 生きている者が難なく呼吸をするのと同じくらいの気軽さで彼は庭の整備ができる。それもとても美しくできるのだ。
 以前セレスティに言われ創り上げた主と彼女の二人のためだけの庭の整備を済ませると、モーリスは屋敷の庭に新たに造られた薔薇の館へと向かった。
 その薔薇の館はイギリスの古城の庭にあった礼拝堂をそっくりそのままここ日本のセレスティの屋敷へと移したモノで、その礼拝堂を薔薇のために使っているのだ。故にその礼拝堂は薔薇の館と名前を変えた。
 ステンドグラスから採光されている光りの中で様々な薔薇たちが美しく咲き誇っている。
 香りよい薔薇の芳しい匂いはモーリスの精神を安定させるようだった。
 香りの効果。
 今朝彼がこの薔薇の館を訪れたのもそれが理由だった。薔薇たちの手入れはいつも朝食後にしている。しかし今日に限ってはまだ早朝と呼べるこの時間に訪れた彼の真意とは?
 モーリスの白く精緻な手が薔薇の花一輪に溜まった朝露へと伸びる。
 それこそがこの薔薇の館の薔薇たち全ての薔薇の精(ジン)によって生み出されたモノだった。
「いただくよ、薔薇たちよ」
 モーリスは美しく微笑みながらその朝露を小さな小瓶の中に入れて、そしてそれをスーツの胸ポケットへとそっと仕舞いこんだ。
 少しはこれがセレスティ様の退屈を紛らわせるための慰み物となるはずだ。
 モーリスはその足でセレスティの執務室へと向かった。
 少し前まではこの地球の健康を本気で心配もしたものだがしかし今年は9月初頭から随分と秋めいた天候が続き、主も過ごしやすいようだった。
 暑い夏は主の身体に悪い。
 だからこの涼しく美しい秋、または春はモーリスにとっても心安らぐ季節であった。
 全てにおいて主こそが何よりも優先されるのだから。
 こういう涼やかな朝はセレスティは決まって執務室で仕事をしている。
 しかし執務室へと向かっていたモーリスを呼び止めた声があった。
 執事長である。
 白髪のその老人はとても穏やかな口調でセレスティがモーリスを呼んでいる事を伝えてくれた。
 そして彼と別れてからモーリスはふと考えるのだ。
 いつものセレスティ様との行動にズレがあると。
 ――――なるほど。つまりとても楽しい事をお見つけになられた。と、そういう事だろうか?
 形の良い口元に軽く握った拳をあててモーリスは微笑んだ。
 薔薇の朝露は不要になったかもしれない。
 しかしそれは一向に構わなかった。
 モーリスにとっての歓びとはセレスティと共にあり、そして優雅に微笑んでいる彼を見る事にあるのだから。
 果たして呼び出された先に赴けば、
 彼を出迎えたのは意外にもあのセレスティが少し困っているような微苦笑であった。もっともその憂いの表情ですらもうっとりとため息を零しそうなほどに美しかったが。
 それにしても我が主にこのような表情をさせる事とは何事であろうか?
 モーリスは純粋に興味を持った。
「いかがなさいましたか、セレスティ様?」
 そう訊ねると主は優雅に肩を竦めた。
「台風が来ます」
「台風、ですか?」
「そう。台風」
 そしてセレスティが口にした台風の名前を聞いてモーリスもまた苦笑したのだ。
「なるほど。それは確かにすごい台風です」
「ええ。モーリス。今日はキミにも同行を頼めますか?」
「はい。セレスティ様がそれをお望みになられるのなら」
「ええ。頼みますよ。薔薇の館。あそこにテーブルを持ち込んで、それでお茶会にしましょう」
 そう告げるセレスティにモーリスは深々とお辞儀をした。



【2】 好き。好き。好き。愛している。

 さて、今日これからこの屋敷に訪れてくるのは小型台風であるがしかしその勢力は絶大であった。
 わずか十五歳の少女であるがとにかく気が強い。
 そして、遠慮無しに積極的だった。
 とにかく若い。青臭いと言っても良いかも知れない。
 それはひょっとしたら浅い、という事にもなるのかもしれないがしかし眩しさである事も確かである。
 決してそれを羨ましいとは思わないがだけど、彼女のそれは見ていて楽しい。
 …………実害さえ、無ければ――――――。
 彼女はリンスター財閥とも付き合いのある財閥の孫娘だった。
 主、セレスティとは彼女の社交界デヴューのパーティーで出逢ったのだ。
 その時はまだ十歳の少女だった。
 しかしその時セレスティの横に控えていたモーリスは見た。人が恋に落ちる瞬間というものを。
 まだ十歳の少女が主、セレスティに恋をしたのだ。
 かわいらしい恋のメロディーを奏で出した彼女の瞳にモーリスはくすりと微笑んだものだ。
 微笑ましい、とは思わなかった。
 身の程知らずの恋とも。
 ただ、主の美しさはこのような幼女と言っても過言では無い娘にでさえも有効なのかとそう面白く思ったのだ。
 いや、初潮もまだな娘であるからこそ絵本の世界からまるで抜け出てきたような主は理想的な一目惚れの相手だったのかもしれない。彼は王子様だと。
 帰りのリムジンの中でくすりと笑いながらあの娘はセレスティ様への恋に落ちていましたね、と告げると、彼はくすりとどこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。
 その当時の彼はまだ彼女と出会う前だったからメリットのある男女との恋しか紡ごうとはしなかった。
 彼女はだから家柄だけを見ればセレスティにとっては理想的なメリットのある恋人関係を演じるに足る相手ではあったが、しかし幼女過ぎた。
 さすがにリンスター財閥の総帥が幼女趣味の変態を演じる訳にはいかない。
 もっともそれから十年後には何の問題も無くなる訳だが。
 しかしその十年が経つのを待つ間に恋心を持たれたセレスティにとって重大な変化が起きてしまった。おそらくは主、セレスティでさえも予想していなかった事が。彼は恋を知り、愛を得た。
 かわいそうなのはだからお嬢様の方か? たとえ演技であったとしても主と恋人関係となりえたかもしれないその可能性が絶たれたのだから。
 もっともだからと言ってモーリスは誰よりもセレスティの味方であるから彼女に同情する事は有り得ないが。
 その彼女が十五歳となった今日、オーストラリアからの留学から帰ってくる。
 そしてその足でセレスティに会いに来るのだそうだ。
 彼に恋人ができている、そんな現実も知らないで。
 モーリスはひょいっと肩を竦めた。
「ご愁傷様、ですね」
 薔薇の館に並べられた薔薇たちを動かす作業はモーリスの指示のもとに行われた。
 どのような位置に薔薇たちを持ってくるかでその薔薇がどれだけ綺麗に見えるかが決まる。それを誰よりもよくわかっているのがモーリスだ。
 そして屋敷のスタッフたちもそれをよく知っており、美しい薔薇たちがよりその艶やかな美しさを増していくのを彼らも作業をしながら楽しんでいた。
 薔薇の館はとても美しい茶室へと装いを変えた。
 姫を出迎える準備は万端となった。
 後はその姫を迎えるだけなのだが、
「さて、その姫は今回はどのような無理難題を言うのか?」
 モーリスはくすりと笑った。



 +++


 深々とお辞儀をしたモーリスはそのまま薔薇の館を茶室とするために部屋を出て行った。
 さて、それにしても今回はあのお嬢様は恋する相手の気を惹くためにまたどのようなわがままを言うのだろうか?
 セレスティはくすりと悪戯っぽく笑う。
 小型台風。セレスティが彼女をそう評するのは彼女がそれだけパワフルだからだ。
 気を惹くためにこの屋敷の中でわざと迷子になって自分を探させたり、
 そうかと思えばわざと男を連れ込んでいちゃついて見せたり、
 または熱を出したフリをしたり………
 もしくはものすごくわざと冷たい対応をしたり、
 会うたびに様々な恋愛の駆け引きテクニックを見せてくれて自分を楽しませてくれる。
 それが本当にパワフルなのだ。
 まあ、恋人ができてしまった今となってはその彼女のこれまでの努力も水に帰してしまっているので同情するに値する訳だが。
 本当に、
「ご愁傷様ですね」
 セレスティは軽いため息を吐き、窓の向こうに広がる風景へと眼を向けた。
 いつもは楽しい彼女の来訪だが、さて、今回ばかりは辛い役を背負わなければならぬのかもしれない。
 苦笑を浮かべながらセレスティはクリックした。



【3】 さてと、仕込みはOKよね? 

 朝の主従の風景は今日の昼に上陸すると思われる小型台風への対応に追われる風景であった。
 モーリスは小型台風…財閥お嬢様のお姫様を接待するべく薔薇の館を急遽喫茶室とするための準備に追われ、
 セレスティは何やら自分の書室でパソコンを使って作業をしていた。
 きっと姫のための作業であるのであろうが今現在ではそれは不明だ。
 その様に迎える側の主従は昼までの時間を過ごし、
 そして昼少し前にもう一組の主従がリンスター財閥総帥セレスティ・カーニンガムの屋敷に到着した。
 小型台風が上陸したのだ。
「おーほほほほほほほほ。あたしは帰ってきた。この日本に。そう思うわ」
 少女はしなやかな肢体に白のワンピースドレスを纏わせて屋敷の門をくぐった。
 背後にエプロンドレスを着た少女を引き連れて。
 メイドの少女はズレ落ちそうになる眼鏡のフレームをどこかぎこちない動きで添えた指先で押し上げて、周りを見回した。
 そしてその二人をセレスティとモーリスが出迎えた。



 モーリスはおや、と思った。
 そして今度はそう来たのかと、最小限の動きで小さく肩を竦める。
「ごきげんよう、セレスティさま。そしてモーリスさん」
 ひらり、と姫はスカートの裾をわずかにあげてお辞儀をした。それはたおやかに咲く花のようだった。
 ふむ、とモーリスは内心でほくそ笑む。
 それでこの姫様はどうするのだろうか?
「それではこちらへどうぞ、お嬢様」
 セレスティは姫の折れそうに細い腰に腕を回してエスコートする。
 と、では自分がこのメイドをエスコートせねばならないのだろうか?
 モーリスは自分を顔を俯かせつつ上目遣いで見る彼女ににこりと微笑んだ。
「では、行きましょうか?」
「はい」
 二人一緒に歩き出す。
「あの」
「はい?」
「モーリスさんはセレスティ様にお仕えして長いのですか?」
「ええ、そうですね。長いですよ。ご存知の通りに」
「え? あ、いえ、あたしはお嬢様にはお仕えして短いので、セレスティ様やモーリスさんの事は知らないのです。あ、あの、すみません」
「いえ」
 くすりと笑う代わりに双眸だけを細めてモーリスは微笑んでみせる。
 サービスだ。
「あそこですよ。茶会の場所は」
「あ、あれは有名なイギリスの古城の礼拝堂では? それをモデルにしたのですか?」
「いえ。その古城を買い取って、礼拝堂はここへ運んだのです」
「まあ! まさかあの古城の礼拝堂の事だったとは」
 メイドは小さな口を両手の指先で覆った。
「セレスティ様は悪戯っぽい方ですからね」
「でもそれを素敵な薔薇園になさったのは貴方様なのでしょう? セレスティ様のお手紙に書かれて、あ、お嬢様が書かれていたと言っていました」
「ええ。セレスティ様も大変にお気に召してくださいました。だから今日はお嬢様のためにもここを喫茶室にしたのですよ。美しい薔薇に囲まれたここを喫茶室にしてお嬢様をお迎えしたいとセレスティ様が申されたので」
 メイドは小さく息を吸い込んだ。
 それからしばらくの間何かを躊躇うかのような間を置いてから彼女はモーリスに口にした。
「ぁ、あの、それはモーリスさんもでしょうか? モーリスさんもお嬢様の為に………」
「ええ。私もそうですよ」
「そうですか。それは良かった。それは、安泰です。お嬢様にとって」
 モーリスはおや? と思った。
 これは意外だ、と思い、
 そしてその後にその事に行き当たる。
「それは私がセレスティ様に一番近い場所に居る部下だからですか? だから私が邪魔になると。そうですね。敵は居ない方がいいですか。恋する乙女には」
 くすくすと笑うモーリスにメイドはわずかに口を開けた。
 ひょっとしたらお嬢様のセレスティへの恋心に気付かれていないと思っていたのかもしれない。
 モーリスはひょいっと肩を竦め、それから薔薇の館の扉を開けた。
 だがそのモーリスに開けられた扉をくぐるメイドの表情は固かった。



【4】 …………。


 昼。
 薔薇の館に入った。
 そこには一つの大きなテーブルと二つの椅子が置かれていた。
 テーブルには綺麗な紅葉とどんぐりを使った素敵なオブジェが飾られている。それもまたモーリスの手作りであった。
「セレスティ様にはやはりこういう日本の四季は物珍しく心惹かれるモノなのでしょうか? だから日本にお住まいで?」
 姫はどんぐりを手に取り、小首を傾げた。
 セレスティはにこやかに微笑む。
「そうですね。この美しい日本の四季は確かに心惹かれます。暑い夏を我慢するに充分に足りうるそれは魅力ですよ」
「なるほど。それは、十全ですね」
「それでお嬢様、お飲み物は何になさいますか? 大抵の銘柄は揃えて有りますし、任せていただけるのならオリジナルの茶もご用意できますよ」
 紳士的なセレスティの申し出にも姫は姫と呼ばれる由縁を感じさせるような物言いをした。
「あたしはコーヒーがいいわ」
 そしてメイドの名前を口にして、
「あなたが台所をお借りしてコーヒーを煎れて来なさい」
 と、命じる。
 セレスティはモーリスと顔をあわせて微笑みあった。
「では私の茶はキミが台所に行って煎れてきて下さい。オリジナルで。ブレンドはキミに任せます」
「承りました」
 にこりと笑ってモーリスはメイドと共に出て行った。
 その二人を見送って、姫は軽く吐息を吐く。
「少しあの娘、様子が変ね。何か、されたのかしら? あなたの部下に」
 横目でじろりとセレスティを睨む。どことなくその表情は猫に似ていた。
 セレスティは軽く両手を上げて肩を竦める。
「彼は紳士ですよ。とてもね。だから私は彼に任せてます。大丈夫ですよ。キミの大切なメイドさんはね」
 悪戯っぽく笑いながらそう言うと、彼女はアーモンド形の瞳を見開いた。
「べ、べべべべべべべ別にあたしは使用人の事なんか心配してなんかいないわよ」
「ツンデレ、と言うのですよ。今のキミのような方の事は」
「ツン、デレ?」 
「ツンツンデレデレ。前に手紙に書いたでしょう?」
「え、あ、ええ、はい」
 姫はこくりと頷く。どこかぎこちなく。だけど大仰に。
 セレスティはくすりと笑う。
「猫耳」
「ね、猫? 猫耳?」
「そう。彼女、猫耳をつけなかったのですね。日本のメイドは今は動物の耳をつけるのがトレンドなのですよ」
「嘘」
「本当ですよ。秋葉原という所に行って御覧なさい。今は秋葉原はメイドが修行するためのメッカとなっています。メイドたちは有能なメイドを育成するための機関で日々そこを訪れるご主人様やお嬢様にご奉仕して修行しているのですよ。ああ、これは手紙に書きませんでしたよね」
「え、ええ。そ、そう。それは知らなかった。日本も変わったのね。うん」
 彼女は口元に軽く握った拳を当てて何かを考えているようだった。
 それを楽しげに眺めながらセレスティはころころと転がってきたどんぐりを拾い上げて、それに空気中の水分子を使って作った水の爪楊枝を刺してどんぐりの駒を創り上げた。
 それをテーブルの上でくるくると回す。
 何かを難しい顔で考えていた彼女はそのかわいらしいどんぐりの駒に嬉しそうな顔をした。
 ぐるぐると回っていたどんぐりの駒が止まる。
 そのどんぐりの駒を手の平に乗せて姫がセレスティを見て、
 セレスティはくすりと笑いながら頷いた。
 姫はいそいそと駒を回した。
 くるくると回る駒の音色は芯が水を凝固して創り上げたモノだからかとても美しい音色を奏でて、それが周りの薔薇たちの香り良い芳香にもまた似合った。
 駒が回っていたテーブルにカップとパンケーキが二人分置かれたのはじっくりと姫が駒を堪能してからだった。



【5】 まさかこの案を使う事になるとはね………。あなたもわかったわね?

 ずっと黙ったきりでいたメイドは薔薇の館に戻るまで黙っていた。
 そして彼女は、
「って、こらぁー。あなたは何度言えばわかるのかしら? あたしがコーヒーと言えばそれはカフェラテだと言うのがわからないの? あなたはあたしが背伸びしていたと周りに思われれば良いの? ああ、そう。そうなのね。そういう事を言う訳ね。ふーん、そう。このブラックが飲めないあたしに衆目の前でたっぷりのミルクと砂糖を入れるという屈辱を味あわせたいと。こ、このダメメイドぉー」
 びしぃ、と姫は親指でメイドを指差した。
 メイドは眼鏡の下の瞳からぼろぼろと涙を流しながら薔薇の館を走って出て行く。
 ばたん、と大きな音で閉まった扉は果たして乱暴に開けられた事に対しての抗議の声を上げているのだろうか?
 モーリスは閉まった扉を眺め、
 それから紅茶を飲んでいるセレスティを見た。
 しかしカップに優雅に口をつけているセレスティが何かをモーリスに命じる前に姫が、
「何をしているの、そこのあなた!!! あたしのメイドが走って出て行ったのよ。あなたが追いかけなさいよ」
 フォークをびしぃっと蜂蜜がたっぷりとかけられたパンケーキに刺しながら姫がモーリスに命令した。
 モーリスはわずかばかりに驚いたように眼を見開き、
 それからセレスティを眺める。
 主は彼にくすりと笑いながら頷いた。
「モーリス。すみませんが彼女を追いかけてもらえますか?」
「はい。わかりました」
 ひょいっと肩を竦めて、モーリスは出て行った。



 彼女は薔薇の館を出て直ぐの場所で泣いていた。
 小刻みに動くその彼女の華奢な肩を見やりつつモーリスは小さくため息をついた。
 それから彼はスーツの胸ポケットから虹色の液体、今朝採取した薔薇の朝露が入った小瓶を取り出し、
 それを泣いている彼女に差し出した。
「もう泣くのはおよしなさい。これをあげますから」
 彼女は顔を上げた。
 そしてモーリスを見る。
 モーリスは人の良い笑みを浮かべた。
「これは薔薇の朝露。セレスティ様の申しつけで姫様の為に用意したモノですが、良いでしょう、あなたに差し上げます。さあ、それの匂いを楽しんでごらんなさい」
 嘘も方便だ。
 ここで彼女の涙を止められるのなら、これぐらいのリップサービスは容易い。
 途端に彼女は嬉しそうな顔をした。
「まあ、モーリスさん。このあたしのためにセレスティ様にも背くような事をしてくださるのですか?」
「ええ。それほどにあなたが泣いている事は重大な事です」
 でなければこの後にどのような計画を次にしてくるかわからない。
 ―――モーリスは内心で苦笑した。
 だけどそれも知らずにこのメイドの少女は嬉しそうに微笑むのだ。
「本当にありがとう。あ、あの、ところであたしを追いかけてきたのは?」
「ん? ああ、それはあなたのお嬢様に言われてです。きっと我が主もお嬢様のお優しさに心を和ませている事でしょう」
「え、あ、あの、モーリス様はお嬢様の事はどのようにお思いになられましたか?」
「ええ、優しい方だと想いましたよ」
 さてと、ここら辺で事実を打ち明けた方が良いだろうか?
 主には恋人ができた事を。
 その役はこの自分が請け負えば、そうすれば或いは憎まれるのはこの自分となる。
 それをスマートに口にしようと思った時、
「モーリス」
 まるでタイミングを読んだようにセレスティが現れた。
「はい、何でしょうか?」
「場所を移動します。紅葉狩りに」



【6】 六義園に紅葉狩りに誘う事が計画の最終段階。そして一気に落として差し上げますわ。おーほほほほほほほほほほ。

 夕方。
 セレスティたちは東京の紅葉の名所としても知られている六義園を訪れた。
 六義園と書かれた石柱の横を通り、セレスティと姫が並んで紅葉が舞う中を歩いていき、その後をモーリスとメイドの少女がついていく。
 木製の案内板、それの前でメイドの少女が足を止めた。
 それを姫が振り返る。
「ああ。あなたはそういうのを読むのがお好きだったわよね。いいわ。あなたはそれを読んでなさい。ゆっくりと堪能なさい。モーリスさん。それでもこの娘一人をここに残しておくのは危ないから、その娘をお願いするわね」
 どうやらそういう計画らしい………。
 モーリスはやはり内心で苦笑しながら優雅にお辞儀をした。
 憂いは無い。
 主の下を離れるのはいささか心配だが、しかし今回はあてつけ役が自分だという事で主の心労も軽減されているのだ。ならばそれは喜ぶべき事であろう。
 そして一行は二組に別れた。



 セレスティは隣を歩く彼女に木製の屋根があるベンチを指差した。
「あそこで少し休みませんか?」
 そう言う彼に姫の方も素直に頷いた。
 セレスティは足が悪い。長時間の歩行は身体に負担がかかるのだ。
「大丈夫ですか、セレスティ様?」
「ええ、大丈夫です。別段足が疲れたわけではありませんから。ここなら後から来るモーリスたちからもよく見えるでしょうし、それに私たちがここに居るのなら彼女は意地でもここには来ないでしょう? だから居座るのに都合が良いからここに居るだけです。恋に邪魔者は無用ですからね」
 姫は少し何かを思うような顔をするが、こくりと頷く。
 それからセレスティは少し済まなさそうな顔をした。
「こんなにも綺麗な場所を歩けないのはキミには少し済みませんが」
「いえ。次は車椅子を持って来ましょう。その時は私、いえ、あたしがその車椅子を押して差し上げますわ、セレスティ様」
 そして彼女は足下に落ちている紅葉を拾い上げ、セレスティにかわいらしく微笑んだ。
「ここに座って周りの錦を広げたような紅葉を見ながらセレスティ様とお話をするのも楽しいですし。そうですね、手紙では聞かなかった事をたくさんお聞かせください」
 そう言う彼女にセレスティはこくりと微笑みながら頷き、
 それから彼女から手渡された紅葉を弄いながらまずはこの六義園の歴史について語り出した。



「あ、あそこにはお嬢様たちがいらっしゃいますから、ですから、あたしたちはこちらから行きましょう。ね、そうしましょう、モーリスさん」
「そうですね」
 モーリスは彼女に言われるままについていく。
 ひらひらと舞い落ちてくる紅葉はとても美しかった。
 雨が降るように終わり無く紅は空から落ちてくる。
 夕暮れ時の橙色が空から零れ落ちてくるのと一緒に。
 それは本当にとても美しい光景であった。
 モーリスとメイドの少女は六義園の池にかかる橋の真ん中で足を止めた。
「本当に凄く綺麗」
「そうですね」
 そう言いながらモーリスは脱いだスーツの上着を彼女の背中にかけてやった。
 少し肌寒い風が吹く夕景の薄暗い明かりの中で彼女はどこか濡れたような瞳でモーリスの顔を見つめる。
 そしてそっと、眼鏡のレンズの奥で瞳が閉じられる。
 モーリスは苦笑を浮かべた。とても優しい表情を。
 そしてそっと少女のさらさらと夕風に吹かれて額の上で軽やかに踊っている前髪を右の指先で掻きあげてやりながら彼女の額に優しく口づけをした。
「ぁ」、と彼女の薄いルージュが塗られていた唇からかすかな声と共に吐息が漏れて、それが切なく夕暮れ時の空気に儚く溶けた。
 俯いた彼女の手を、だけどモーリスは優しく取る。
 彼女はとても驚いた風に顔をあげて、
 そしてモーリスは夕日を背に、ひらひらと舞う、くるくると回る、紅い紅い紅葉たちに包まれながら微笑んだ。
「手を繋いで歩きましょう」
 彼女はこくこくと顔を何度も何度も頷かせた。
 そして二人は歩いていく。手を繋ぎながら、紅い紅葉が降るように舞う中を。
 顔を紅葉のように紅くさせた少女は、だけどとても幸せそうだった。



【ending】

 夜。
「お嬢様。これは私からのプレゼントですよ」
 セレスティはそっと姫に年頃の少女が好みそうな綺麗な包み紙で包まれたモノを手渡した。
 お嬢様、そう呼ばれた彼女はとても驚いたような顔をする。
「ご存知、だったのですか? あたしたちが入れ替わっていた事?」
 眼を丸くしたメイド姿の姫にセレスティはくすりと微笑んだ。
「見違えるようにお綺麗に成長なさいましたね。背も高くおなりになった」
「はい。プロポーションだって良いんですよ。だから、すごく変わったから、それで入れ替わろうと思ったんです。きっとわからないと思ったから。メイドの格好をして。ほら、眼鏡をかけるだけでもだいぶ顔って変わるでしょう? メイドとしてもう一度出会いなおして、そしたら、って………。少女の夢ですよ」
「初恋ですからね。モーリスは姫にとっての」
「はい」少女は胸を張って頷いた。とても美しく、そして気高く。
 それから彼女は苦笑をする。
「もっともあの方はあたしがセレスティ様に恋をしているのだと勘違いをなさっているようですが」
「それは私が謝ります」
「いえ、構いません。あたしの祖父もそうですから。それを利用していたのだし、また」
 ぺろり、と彼女は舌を出した。
 それから彼女は、だけど切なそうな顔をする。
「でも、セレスティ様に気付かれているのなら、モーリス様にも気付かれていますよね。そしたらきっともうあの方は会ってはくれないのでしょう。母もそうだった、とあたしに言っていました。母の初恋の相手も、祖父の取引先の方に仕えていた執事で、その恋心を伝えた途端にその執事は母に対してぎこちなくなったそうです。幼い頃はそういう事、わかりませんでした。でも今は少女でもそういう事、わかります」
 そう言った彼女に、セレスティは優しく微笑んだ。
「メイドとして修行がしたいので、今度メイドの聖地である秋葉原に連れて行ってください、とでもモーリスに頼んでごらんなさい。彼ならば連れて行ってくれますよ。せめてブラックが飲めない主のためにコーヒーと言われればカフェラテを持ってこれるぐらいのメイドにレベルアップできるように、とね」
 そう悪戯っぽく言ったセレスティに姫は長い睫をせわしくなく上下させてから、とても嬉しそうに、
「はい」
 と、頷き、そして帰っていった。
「やっと小型台風は去っていきましたね、セレスティ様」
 後ろに控えていたモーリスがそうどこか名残り深そうに言うのを聞きながらセレスティは小さく微笑んだ。



 →closed