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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

 その日は朝からしっくりいかない事ばかりだった。
 草間興信所の中では、シュライン・エマと草間 武彦(くさま・たけひこ)が、微妙に不穏な空気を発しつつお互い無言で業務をこなしている。
 パソコンに向かって報告書を作りながら、シュラインは無言でキーを叩いていた。
「武彦さんの馬鹿…」
 そもそも今日は事務所が休みだから一緒に出かけて映画でも見ようという話だったのに、突然昨日の夜になって「急ぎで報告書作らなきゃならなくなったから、約束は今度にしてくれないか」と言われたのだ。
 仕事なのだから仕方ないと思ってはいるのだが、最近お互い忙しいせいで時間が取れず、それを楽しみにしていただけにやはり少し腹は立つ。自分がもっと物知らずであれば「仕事と私のどっちが大事なの?」とも言えるのだろうが、お互い過ごしてきた時間がそれを許そうとしない訳で…。
「でも、一言『ごめん』ぐらい言ってもいいんじゃないかしら」
 仕事の優先が当然と思っていることにもふくれながら、報告書を打ち上げ印刷のボタンを押しシュラインは立ち上がる。
「シュライン、どこか行くのか?」
 デスクで煙草をくわえ、新聞を読んでいた武彦が声をかけた。急ぎの報告書も結局自分が作ったのに、どうして新聞を読んでいるのだろう。
 一つ棘が刺さると、他のことまでが痛く感じる。そのせいかシュラインはジャケットを羽織りながら、つい刺々しい物言いになってしまう。
「いいわよね。煙草吸って新聞読んでても急ぎの報告書が出来るんだから」
「そういう言い方しなくてもいいだろ…」
 慌てて新聞をたたみ、立ち上がった武彦も何だか不機嫌そうだ。
「別に映画ぐらいいつでも見られるんだし、どうしてそんなに怒ってるんだ?」
 別に。
 いつでも。
 武彦にとってはそうかも知れないが、そう言われてしまうと楽しみにしていた自分の気持ちはどこへ行ってしまうのか。いつもならこんな事で腹を立てたりしないのに、小さな棘が針になったかのように胸に刺さる。
「そうよね…いつでも見られるものね。だから私、今見に行ってくるわ。後のお仕事頑張って」
「おい、シュライン…」
 むくれたまま事務所のドアを出て、階段を急いで降りる。
 今日は朝にコーヒーも落としてないし、お客様に出すお菓子も用意していない。少し一人で苦労してみればいいんだわ…そんな事を思っていると、シュラインに向かって金髪銀眼の青年が手を上げた。
「あ、シュラインさん。先日はどーもー」
「あら、夜守さん。今日はどうしたの?」
 それは菊花葬祭に勤めるエンバーマーの夜守 鴉(よるもり・からす)だった。今日は仕事ではないのか喪服ではなく、ラフな長Tシャツとジーパンにニット帽を被っている。
「今日は草間さんに、俺一人じゃどうにもならないお仕事を頼みに来たのよ」
 鴉は「死者の声が聞こえる」という能力と、エンバーマーという職業のせいかたまにこうして草間興信所に依頼を持ってくることがある。いつもなら快く事務所に案内するのだが、今日は勝手が違う。
「それどんな話なのかしら。私で良ければ話聞くけれど」
 冷戦中なのに、事務所を潤すような話をわざわざ渡すもんですか…心の中でそう思いつつ、笑顔でシュラインはコーヒースタンドを指さした。鴉は事務所の窓とシュラインを交互に見つつ、くすっと笑う。
「そだね、じゃシュラインさんに話聞いてもらっちゃおっかな…そこのコーヒースタンドでいい?」

 鴉の相談事…とは、やはり死者絡みの話だった。
 それは先日エンバーミングをしたという幼い女の子が、鴉に向かってこう言ったのだという。
『おおかみさんからの手紙が欲しいの』
 それについて色々と話を聞いたりはしたのだが、幼いせいかどうも上手く話せないようで、その事について相談しに来たのだという。
「なんかすっごい気にしてて、ずっと『おおかみさんからの手紙…』って言ってたから、どうしても捜して届けてあげたいんだよね…事故とかに関わらず、子供の声にはやっぱ弱いのよ」
 そう呟きながら、鴉はクリームを足したキャラメルマキアートを口にする。シュラインもエスプレッソを飲みながら思わず俯いた。自分のことも上手く話せないような子が、それほどまで捜している品物であれば、ちゃんと届けてあげたい。きっとそれほどまでに心残りなのだろう。
「『狼』がヒントなのね。何だか赤ずきんちゃんとかみたいだわ」
「シュラインさん、協力してくれるの?」
 顔を上げふっと微笑んだ鴉に、シュラインも快く頷く。
「私で良ければ協力させてもらうわ。もちろん…ボランティアじゃないから、ただとは言えないけれど」
「元々仕事で持ち込む気だったから、それはちゃんと払うよ。そのあたりがしっかりして人だと、俺も頼みやすくて助かるわ…なぁなぁで済ませたくないし」
 …つい事務所のあれやこれやの必要事を思い出してしまった。
 でもそうやってお互いきちんとしておけば、気持ちよく仕事が出来るだろう。何も今思いだしたからといって、そのまま武彦に通す必要はないのだ。
「じゃあ、その子の住所とか教えてくれるかしら。大事にしていたものや、付近の聞き込みをしてくるわ。夜守さんはこれからどうするの?」
 紙コップを持ちながら、鴉が椅子から立ち上がる。
「友引待ちがあってその子の通夜が今日だから、俺は祭壇開設と受付の手伝い。何か分かったら連絡して」

 その女の子…真美は、郵便配達のバイクを追いかけて道路に飛び出して事故に遭ってしまったらしい。それはシュラインがした聞き込みですぐに分かった。
「郵便配達を待つのが好きだったんでしょうか…?」
 公園で子供達を遊ばせている母親達に聞くと、皆一様に何かを考えるような仕草をする。
「お姉ちゃんとかがいたから、結構他の子よりも物知りだったわね。字は書けなかったけど、絵を描いた手紙とか見せてくれたりしてたから」
 手紙、に関する知識はあったらしい。シュラインは取材用のメモを取りながら、聞き込みを続ける。
「真美ちゃんが親しかった方とかご存じありませんか?」
 その親しかった人の中に『狼』のヒントがあるかも知れない。すると、母親の一人がこう言った。
「真美ちゃんは人懐っこかったから、子供達以外なら近所のおばあちゃんとか、おひさま教室の先生とかかしら」
 いつも遊んでいたこの公園にはゲートボール場があり、そこにやってくるお年寄りなどとも仲が良かったらしい。時々ボールで遊んだり、一緒に玉を打たせてもらっていたりもしていたという。
 そして「おひさま教室」とは、月に二度ほど区民センターに子供達を集めて絵本の読み聞かせをしたり、工作を教えたりという集まりのことらしい。お月見の時にも行われ、一緒にお団子を作りウサギの絵を描いたりしたということを、その場にいた母親達が涙をこらえながら話す。
「ハロウィン前にカードを作った時も、真美ちゃん頑張ってたの…『おおかみさんにあげる』んだって」
「狼さん…あの、その方が誰だか分かりませんか?」
 やっとその話が出た。このヒントを逃すわけにはいかない…だがシュラインの質問にその場にいた全員が首を振る。
「ごめんなさい。お父さんとかお友達じゃなかったみたいなの…先生達が『狼さんって誰』って聞いても『ないしょー』って教えてくれなかったから」
「そうですか…」
 どうやら同じぐらいの友達などではないようだ。年齢的にも手紙を送ったりするような関係でもない。少なくとも相手は「郵便局」を使い「手紙を配達する」事を理解している年齢であるだろう。かといって、ゲートボールをするようなお年寄りが「おおかみさん」に当てはまるとも思えない。
「ありがとうございました」
 全員に一礼し、シュラインは子供達の声で溢れる公園を後にした。
 夕方に郵便配達を待っていた…ということは、きっと真美にとってその手紙は大事な物だったのだろう。危険を忘れ道路に飛び出してしまうほど大事で、死んでしまってからも気にしているほどの物。
「『欲しい』って事は、今持っている物ではない…」
 住宅街を歩きながらシュラインは考える。この辺りは再開発が進んでいるようで、古い家と新しい家が一緒になっている街だ。真美の家もそんな新しい家の一つで、玄関には「忌中」と書かれた紙が貼られている。
 おおかみさんからの手紙。
 最初は絵本のタイトルとか子供が好きなアニメの記号かと思っていたのだが、ハロウィン前に作った『おおかみさん』にあげるためのカード…という言葉からすると、そうでもなさそうだ。仮に本だとするのなら「絵本が欲しい」と言えば済むわけだし、聞き込みから分かった真美の様子だと、それが伝えられないということはないはずだ。
「狼…ドイツ語だと『wolf(ヴォルフ)』で、フランス語だと『loup(ルー)』…ルーポにローポにリュコスにヴォールク…って、流石にそんな事、四歳の子が知ってるわけないわよね」
 そう呟いた時だった。シュラインの携帯から着信音がする。
 武彦だったら無視しようと思ったのだが、それは鴉からの電話だった。
「もしもし、シュラインです」
「夜守でーす。シュラインさん今忙しい?」
「大丈夫よ」
 電話の向こうからガタガタという音がしたり、椅子を並べている音が聞こえる所からきっと斎場の隅から電話をしているのだろう。
「あのさ、遺族の方からのお願いで『ハロウィンを楽しみにしてたから、その人形とかがあったら祭壇に乗せてあげたい』って言うから、本当に悪いんだけど何か捜してくれないかな…出来ればでいいんだけど」
「カボチャの提灯とかでもいいのかしら…」
「うん、それでいいんじゃないかな。何か便利に使っちゃって申し訳ないんだけど」
 電話をしながらシュラインは辺りを見回す。すると少し古めの家に黄色いカボチャがなっているのが見えた。訳を話せばきっと譲ってもらえるだろう。
「いいわよ。なるべく早く持っていくようにするわ」
 ピッと電話を切り、その家までそっと近づき、玄関のチャイムを押す。
「ごめんくださーい」
 玄関に出てきたのは老夫婦だった。カボチャが欲しいという訳を話すと二人は心地よく承知してくれ、わざわざ提灯を作ってくれるということになり、シュラインはその間居間に上がって待たせてもらっていた。
「申し訳ありません、急なお願いなのに提灯まで作って頂いて」
「いやいや…どうせなったままにしといても全部食えんし、真美ちゃんはよく家にも来てくれとったからの」
 元々木彫りなどが趣味ということで、彫刻刀を使い老人は器用にカボチャの中をくりぬき鉛筆で目などの位置を決めていく。それを感心しながら見ていると、そっとお茶が差し出された。
「ありがとうございます」
「本当は私達もお通夜に行きたいんだけど、遠いと足腰がね。だから代わりに連れて行ってあげて頂戴…」
 寂しそうな老婆の言葉に、シュラインはそっと頷く。真美はきっと近所の人たちにも愛されていたのだろう…そう思うと余計に『狼さんからの手紙』を捜さなければいけない。愛されていたからこそ、この世に未練を残さずに安らかな気持ちで天に昇ってもらいたい。
 そっとお茶を飲むと、老人が窓の外を見た。その視線の先は古い空き家で、人がいなくなったせいかずいぶん汚れて見える。
「古宇さん所の息子さんも真美ちゃんと仲が良かったが、事故のことは誰か連絡したのかの…夏に引っ越してそれきりになってるみたいだし」
「そうねぇ。真美ちゃんずいぶん懐いてたから、教えてあげたいわねぇ」
「えっ……?」
 古宇…その名字を聞いた途端、今までの謎が解けたような気がした。
 ふるう、を逆さまに読んで「ウルフ」
 それを日本語に直して「おおかみさん」
 真美が待っていたのは、彼からの手紙だったのだ。郵便配達のバイクをも待っていたのも、それが欲しかったからなのだろう。
「あの、よろしければ私が連絡します。きっと最後のお別れをしてあげた方が、真美ちゃんも喜ぶと思いますから」
 カボチャの提灯を受け取ったら、すぐにでも鴉に連絡をしなければ。
 そして最後まで待っていた手紙をちゃんと渡してあげられるように…。

 真美の通夜はしめやかに行われていた。
 チューリップで飾られた祭壇にはシュラインが持ってきたカボチャの提灯が置かれ、その横には真美がずっと待っていた『おおかみさんからの手紙』が飾られていた。
 それは真美の家の隣に住んでいた古宇という名字の青年が作った、飛び出すハロウィンのカードだった。引っ越してしまうまで、毎年彼は手作りのカードを真美に贈っていたのだという。
「夏に引っ越した時に『ハロウィンには約束通りカードを贈る』って言ってたんです。でも、そんな約束しなければ…」
 古宇に連絡を取るのは簡単だった。だが彼は真美が事故で亡くなったことを聞き、それが自分のせいではないかと言って通夜には出ずロビーで涙を流していた。そんな彼に鴉が白いハンカチを差し出す。
「違うよ。郵便配達のバイクを追いかけて…じゃなくて、本当は『猫を追いかけて』事故に遭ったんだ。信じてもらえないかも知れないけど、真美ちゃんがそう言ってる」
 それが本当なのか嘘なのかは分からない。
 シュラインに真美の声は聞こえないし、鴉がついた優しい嘘なのかも知れない。それを確かめる術はないが、これだけはシュラインにも分かっていた。
「古宇さん、真美ちゃんに最後のお別れをしてあげてください。事故に遭ってもずっとカードが欲しいと言っていた真美ちゃんのためにも…きっとここで帰ったら、真美ちゃん『おおかみさんに嫌われた』って、泣いちゃうと思うわ」
 その言葉を聞き、古宇が号泣する。
「眠ってるみたいに綺麗だから…『大きくなったら、隣のお兄ちゃんのおよめさんになりたい』って言ってたって、遺族の人から聞いたから…お別れしてあげてよ」
「…はい……」
 溢れる涙を止めようともせず、室内に向かっていく古宇の背中をシュラインと鴉はそっと見送った。
 切ない別れだが、人には越えなければならないものがある。それでもきっと古宇の中で、真美は思い出として永遠に残るのだろう。ハロウィンのたびに少し痛い想いを残しながら。
「…シュラインさん、ありがとう。これで真美ちゃんも安らかに逝けるよ」
 喪服のままきちんと頭を下げる鴉に、シュラインは困ったように微笑む。
「いいの、それよりちゃんと願いが叶えられて良かったわ」
 そう言って並んで斎場の出口に向かおうとした時だった。武彦がいつもの格好にネクタイをしめて、辺りをきょろきょろしている。鴉がそれを見て、にっと笑いシュラインに小さな包みを手渡す。
「そういえばさ、さっき草間さんに聞いちゃった。シュラインさんとケンカしたって。それあげるから料金の話とかは今度にして、それ振りかけた後で一緒にどっか行っといでよ…何かあってから後悔したら辛いよ」
 手渡されたのは塩が入った小さなパックだった。歩みを止めて武彦を見ていると、たくさんの弔問客の中から必死に自分を捜そうとしているのが分かる。
「夜守さん、ありがとう」
「どういたしまして。彼氏募集中の女の子がいたら、夜守さん優しいって教えといてよ」
「そうするわ…じゃあね!」
 ハイヒールのままシュラインは武彦に向かって駆け出していく。それに気付いた武彦が、大きく手を振る。
「シュライン、ごめん。今からでもいいなら、一緒に飯喰って映画見よう…こんな所で言う台詞じゃないけど」
 こんな場所だから…だからこそ後悔しないように。
 ケンカしたまま別れて、ずっと痛みを残さないように。
「喪服のままだけどいいかしら」
「何着ててもシュラインと一緒なら…すまん、恥ずかしい」
 それに答えるように、シュラインは武彦の手を取った。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
ちょっとしたケンカをきっかけに、意地悪心も合わせて鴉の依頼を引き受けるということで、このような話にさせて頂きました。文中に出てくる「ルーポにローポにリュコスにヴォールク…」ですが「イタリア、スペイン、ギリシャ、ロシア語」の狼の発音です。語学に精通しているシュラインさんならきっと分かると思って書きました。
後悔したままの別れというのは切ないものだと思います。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってくださいませ。
またよろしくお願い致します。