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<東京怪談・PCゲームノベル>


Night Bird -蒼月亭奇譚-

 蒼月亭という店に紅葉屋 篤火(もみじや・あつか)が初めて来店したのは、まだ夏の暑さがやってくる少し前の事だった。
「また火事か…」
 外から突き刺さるように入ってくる消防車のサイレンが、店の中でかかっているBGMをかき消す。最近この近辺で放火魔があらわれているせいで、二日に一辺はこうやってけたたましい音を聞いている。
 時間は夜の七時。まだ店が混み始めるには時間が早いだろう。マスターのナイトホークは煙草をくわえ、サイレンが走っていく方向を見送った。どうも放火魔の噂のせいか、最近は客足も何となく鈍い。
 カラン…。
 入り口に付けられているドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 そこに立っていたのは黒ずくめの服と薄い色のサングラスに、髪の一部に長い赤銅色のエクステンションを付けた長身の男…それが篤火だった。
「こんばんは。つかぬ事を伺いますが、こちらに女の子が働いてないでしょうか?」
 篤火はそう言いながらカウンターに近づき、上着のポケットを探る。確かにここには昼間、立花 香里亜(たちばな・かりあ)という少女が働いているが、その唐突な挨拶にナイトホークはおしぼりを用意しながらも少しだけ警戒した。
「何か用があるなら、俺が聞いておくけど」
「いえ…怪しいものではありません。落とし物を届けに来たんです」
 そう言う篤火の掌に乗せられていたのは、磨りガラスで出来たピンクの花がぶら下がっているイヤリングの片方だった。今日仕事をしている時に香里亜が付けていたのだが、買い出しに出た時に何処かで片方を落としたらしく、仕事が終わった後で探しに行くとか言っていたはずだ。その時に「もし店のどこかで見つけたら教えてください」と、もう片方を見せてもらったので、よく覚えている。
 それを見たナイトホークはさっきまでの警戒心が嘘のように、篤火に向かって人懐っこく微笑んだ。
「ごめん、新手のナンパかと思って警戒した。今連絡するから、座ってこれでも食べてて」
 カウンターの上にスモークサーモンのマリネが出された。その場所に座り、篤火は店内をそっと見渡す。
 アンティークのランプシェードに、ねじ巻き式の時計。カウンターの中には綺麗に拭かれた酒瓶が並べられている。カウンターは一枚板で、かなりしっかりした作りだ。
 しばし電話で話をしていたナイトホークが、ふっと笑って受話器を置く。
「すぐ来るって…俺はここのマスターのナイトホーク。落とし物を届けてくれたお礼に、何か一杯飲んでいかない?俺の奢りで」
 それは悪い提案ではない。篤火は初めて行ったバーで必ず注文するメニューを告げる。
「『マティーニ』をお願いします」
「スタンダードでよろしいですか?」
 珍しい切り返しに、篤火は思わずくすっと笑った。マティーニは色々と作り方があり、こだわりがあるスノップ達の中にはジンの銘柄だけではなく、ドライ・ベルモットやスイート・ベルモットにまで注文を付ける者もいる。ナイトホークはおそらくそれを知っているのだろう。
「お任せします。私はそれほどスノップではありませんから」
「かしこまりました」
 カウンターの中でミキシンググラスに氷が入れられ、静かにマティーニの材料が入れられていく。それを見ていると、ドアベルがそっと鳴った。
「こんばんはー」
 肩ぐらいまで髪を伸ばした大きな目の少女が店の中に入ってきた。それを見て篤火がそっとイヤリングを差し出す。
「落とし物ですよ」
「香里亜、ちゃんとお礼言っとけよ…こちら『マティーニ』になります」
 カクテルピンが刺さったオリーブが沈む『マティーニ』が置かれるのと同時に、香里亜がイヤリングを両手で受け取って篤火に深々とお辞儀をする。
「ありがとうございます。お気に入りだったんで見つかって良かった…」
「いえいえ。この近くで辻占いをしていますので、見つけてすぐに分かりました。とても大事にしているんですね」
 それをきっかけに篤火は香里亜を隣に座らせ、カクテルを飲みながら世間話をし始めた。
 イヤリングを見つけたのは偶然だったが、それが大事にされていたのと同時に、落とした香里亜が一生懸命に捜している様子とこの店の看板が一緒に視えたのだ。
 それを聞きながらナイトホークは香里亜のためにコーヒーを入れ、香里亜は篤火の話を感心しながら聞いている。
「篤火さんって占い師なんですか?」
「ええ、いつもは夕方に店を出したりしてます。なので失せ物探しも得意なんです」
 それを聞いたナイトホークが、香里亜に向かって意地悪そうに笑った。
 どうやらナイトホークはヘビースモーカーらしく、酒瓶を拭いたりしている間もほとんど煙草を吸っている。店自体も禁煙ではないようで、カウンターの上にはしっかりとした灰皿が置かれていた。
「失せ物探ししてもらったから、香里亜もしっかりお礼しないとな」
「はっ!お、おいくらぐらいかかりますか…?」
「そうですね『マティーニ』五杯分ぐらい…なんて、冗談ですよ。大事にされている物は一緒にしておかないと寂しいですから、気にしないで下さい」
 そう言って篤火はクスクスと笑った。香里亜はそれにちょっとホッとしたように胸をなで下ろす。
「ちょっとドキドキしました…でも、篤火さんが夕方からお仕事でしたら、このお店昼もやってますから是非来てください。その時はサービスしますから」
 『蒼月亭』という名前から、夜だけ営業するバーなのかと思っていたがそうではなく、昼間はカフェとして営業しているらしい。よく観察するとカウンターの棚にはコーヒーミルだけではなく、エスプレッソマシンなどもある。
「昼もやっているんでしたら来やすいですね。定休日は何曜日ですか?」
 篤火の問いに、ナイトホークは青い月が描かれた店の名刺をそっと差し出した。そこには簡単な地図とともに営業時間と定休日が書かれている。
「日曜定休以外は大抵やってるよ。盆と正月ぐらいは流石に少し休むけど…お代わりは?」
 話しているうちにすっかりグラスが空になっていた。それを見た香里亜がひらひらと手を挙げる。
「はーい、二杯目は私がごちそうします。作るのはナイトホークさんですけど」
 初めて来たばかりの店なのに、なんだか妙に居心地がいい。
 それはやたら入ってこようとしない適度な距離感もあるが、何より二人の雰囲気にあるのだろう。今まで自分の事に関して聞かれたのは「占い師なんですか?」だけで、それも最初に自分が言ったことを反芻する意味でだ。
 なんだかこの店は興味をそそる。
 それはドアをくぐった時に視えたもののせいだけではない。上手く説明は出来ないが、ここに来ることは自分にとって悪いことではない…そんな気がする。
「香里亜サンはお酒に詳しいんですか?」
「私は未成年なので…でも、ナイトホークさんが詳しいのでお勧めカクテルとか聞くといいですよ」
「では…夜サンのお勧めで」
 あまりに聞き慣れないその呼び方に、ナイトホークが一瞬言葉を失う。名前はある意味記号でしかないのでどう呼ばれようと構わないのだが。
「んー…じゃあ店の名前にちなんで『ムーンライト』とかどうかな?ブランデーベースになるけど」
「お任せします」
 空いたグラスが下げられ、またミキシンググラスが用意される。
 それを篤火が見ていた時だった。
 脳裏に突然浮かぶイメージ…燃え上がる炎と、灯油のような匂い。
 チリチリと体の表面が焼けるような嫌な感覚。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 ドアから外の空気が流れ込み、顔色の悪い男が辺りを見渡しながら店内に入ってきた。それは何かを確かめるような、湿った嫌な視線だ。
「…ビール一つ」
「少々お待ち下さい」
 ミキシンググラスに入れられた『ムーンライト』がバースプーンでかき混ぜられる。
 篤火はその男を見た瞬間、突然話を切り替えた。
「そう言えば、最近この辺りに放火魔が出ているらしいですね」
 びく…。
 男が篤火の言葉を聞き、不自然に顔を上げた。だが篤火は全く視線を合わせない。ナイトホークから男の様子は見えず、香里亜もそれには気付いていないようだ。
「そうですね。消防車のサイレンってどきっとしますし、怖いんで早く捕まって欲しいです。燃えやすい物を玄関に置かないとか注意してても、灯油とか撒かれたら油が燃えちゃいますし…」
「人が集まったりするのが嬉しいって奴はいるからな…こちら『ムーンライト』になります。ビールの方ただいまご用意致します」
 琥珀色のカクテルが篤火の目の前に出された。
 ナイトホークはおしぼりとマリネを男の方に出し、ビールサーバーからそっと泡を出している。
「………」
 篤火には視えていた。
 この男が店の外に油を撒き、火を付けようとするビジョンが。おそらくこの辺りで起こっている放火事件の犯人はこの男だ。先ほどサイレンが聞こえたが、きっとその様子を見た後で下調べにでも来たのだろう。
「お待たせ致しました。こちらビールになります」
 ピルスナーグラスの上に細かな泡が立ち、よく冷えたビールが男の前に出された。落ち着きなさげに店内を見たり、チラチラと自分の方をうかがっている様子が滑稽で仕方がない。
 くす…と、篤火は威圧するように微笑む。
「あまり過ぎた悪戯にはお仕置きが必要かもしれませんね」
「放火殺人って、確か刑が重いんですよね…亡くなった方もいるみたいですし」
 香里亜は単に篤火の話に同意しているだけなのだろう。だが、その凛とした声が店に響くと、男は震える手でグラスを持ちそわそわと篤火達の方を見た。
 脅えろ。
 そしてもっと恐怖を感じるといい…火事で亡くなった人たちが感じた恐怖はこんなものではないはずだ。
 煙草に火を付けたナイトホークが溜息をつく。
「そういう事する奴は、ろくな死に方しないさ」
「そうですね…きっといつか無惨な目に遭うでしょう」
 くすくす…くすくす…。
 男の視線が篤火とぶつかった。
 私は全部知っていますよ…あなたが放火魔だということを。そして、その因果故に起きる数奇な運命すらも…。
 サングラスの下で篤火の目が細くなる。
「…おあいそ」
 まだグラスに半分ほどビールが残った状態なのに男がそわそわと立ち上がる。それにナイトホークは伝票を出しながら、こう言った。
「何かご不満がおありでしたらお取り替えしますが…」
「いや…急用を思い出しただけだ。釣りはいらないから」
 一枚の札をカウンターに置き、男が逃げるように立ち去ろうとする。
 そして後ろを通ろうとする時、篤火は小さくはっきりとした声で男にこう告げた。
「火の気には気をつけた方がいいですよ」
「………!」
 もつれるような足取りで出て行く男に、ナイトホークは困ったように声をかける。
「おい、お客さん…」
 その瞬間、男は脅えたような顔をして逃げるように走って行った。その背中を唖然と見送り、ナイトホークは男が置いていった札を篤火と香里亜に見せる。
「万札置いてったから、千円と間違えてないかって聞こうと思っただけなんだけど…」
「よっぽど急いでたんでしょうね…」
 生き急ぐために。
 そして死に急ぐために。
 篤火はそっと目を閉じながら『ムーンライト』を飲み干した。

 後日、その男が焼死したという報道が新聞の片隅に書かれていた。
 警察では油をかぶった焼身自殺の線で捜査をしていたが、篤火はその真実を知っている。
 火を操っているつもりでも、一歩間違えればそれは自分に牙を向く。因果応報という言葉があるが、自分がやった行いは巡り巡って還っていくものだ。
 男が死んだのは…自分がやった行いのせいだ。
「当然の報いですね」
 その新聞を無造作に公園のゴミ箱に捨て、篤火はベンチから立ち上がる。
 きっとナイトホーク達は何も気付いていないだろう。それよりも自分が見つけた居心地のいい場所が、炎によって失われなかったことを喜ばなければ。
「さて、そろそろコーヒーでも飲みに行きましょうか」
 篤火があの場所で視たのは、放火魔の事だけではない。だがそれは今考えるとこではない。蒼月亭という場所とナイトホークに興味があり、美味しいコーヒーが飲める…それだけでいい。
 いつものようにドアを開ける。ドアベルの音と共に、ナイトホークと香里亜の声がかけられる。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6577/紅葉屋・篤火/男性/22歳/占い師

◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
蒼月亭初来店の話ということで、プレイングを参考に書かせて頂きました。
真実を知っているとついじわじわと圧力をかけてしまいそうなイメージに加え、さりげなく二人が追い打ちをかけてます。千円と一万円を間違えるほど焦ったのだと思われます。
過去の話などが出てくると、世界にふくらみが出るような感じがしていいですね…。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またのご来店をお待ちしています。