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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


想い深き流れとなりて 〜4、そは聖者か狂人か

「わざわざ来てくれてありがとう」
 アトラス編集部の一室で、菊坂静は碇編集長の声をふらふらする頭で聞いていた。
 麗香から「希望の会」という宗教団体について調べて欲しいというメールがきたのはつい先日のこと。
 「希望の会」というのは、まあどこにでもあるような新興宗教団体で、自分の力に自信を持たせることで、人を前向きにし、実際、何人もの引きこもりの若者たちを立ち直らせていることで最近よく話題になっている。
 しかし、その一方で、表に出るのは教団のスポークスマンに当たる人物ただ1人であり、他の幹部は誰か、どうやって若者たちを立ち直らせているのかなど謎の部分が多い。さらに、裏では黒い噂も絶えないとか。
 麗香の知り合いのフリーのジャーナリストが、その暗部に迫るべく取材を繰り返していたようなのだが、全く表に出ない教祖の名が「カンナギノゾミ」だと麗香に伝えた後、消息を絶ち、そして女性と共に遺体で発見された。表向きには心中事件として処理されたそれを、麗香は納得できず、また、月刊アトラスとして公然と取材することはできないので、協力者を募りたい、というのがそのメールの概要だった。
 ここ最近の一連の事件に関わった静としては、決して見過ごすわけにはいかない依頼だったのだが、それは静の中に住まう死神にとっても同じだったようだ。
 三途の川が浅くなったと聞かされた学校の事件以来、静の中の死神は騒ぎっぱなしで、静はそれを抑えるのに多大な精神力の消耗を強いられていた。互いの利害が妙な形で一致して今ここにいるものの、静としては他人の話を聞くのがやっとというくらい疲れ果てていた。
 麗香の要請を受けて今集まっているのは、静の他に、シュライン・エマ、弓削森羅(ゆげしんら)、櫻紫桜(さくらしおう)、ササキビ・クミノ、陸玖翠(りくみどり)、ヴィルア・ラグーンの合計7人だった。
 既に互いの自己紹介は済ませ、麗香の話の続きを待っている。
「お願いしたいことはメールでお知らせした通りよ。参考になるかと思うのだけれど、これも見てくれるかしら」
 実に簡潔に言うと、麗香は手元のリモコンを操作した。お世辞にも大きいとは言えないテレビの画面にワイドショーとおぼしき番組の1シーンが映る。
 3人ほどのキャスターと向かい合うようにして、ゲストとおぼしき初老の男が座っている。画面にテロップで、「宗教団体希望の会広報担当 高階幸宏氏」と紹介が流れた。
『こんにちは。今日は、最近話題の宗教団体、希望の会の高階さんに来て頂きました。高階さんは、現役の外科医としても活躍なされている一方で、教団でも中心人物として精力的に活動なさっておられます』
 司会者が、カメラに向かってしかつめらしく挨拶をした後で、ゲストの男、高階に会釈をした。高階も軽く頭を下げてそれに返す。
『希望の会では、何人もの引きこもりの若者を更正させたと聞いています。何が、その秘訣なのでしょうか』
 あの粘り着くような独特の視線をゲストに向け、司会者は高階にマイクを譲った。
『私は長年、医師として仕事をしていく中で、いろいろな患者さんと出会いました。中には、大けがを負ったり、大病をされて、まず助からないだろうな、というような方も大勢おられる。けれど、そんな中でも、生還される方はおられるんですね。もう、奇跡としか言いようがない。そういう人たちに共通するのは、みな、強い想いなんです。生きようとする想い、大切な者を遺しては逝けない、そんな強い想いで死の淵を乗り越えられる』
 高階は熱っぽく司会者に向かって語り、そしてカメラへと顔を向けた。
『本来、人が持っている想いの力というのは本当に大きなものなのです。誰もが、素晴らしい力を持っている。我々が関わって来た引きこもりの人たちっていうのは、それに気づかず、自分の力を知らずに、悩み、迷い、立ち止まっている人たちなんです。そういう人たちに、自分の力を気づかせてあげる。そうすれば、誰だって好き好んで引きこもったりはしないんです』
 その語りに、司会者たちは感心したような顔で何度も頷いてみせる。
 と、ぷつり、と小さな音がして画面が消えた。麗香が手元のリモコンで電源を切ったのだ。
「……こんな感じよ。表向きはこのテレビで言うように、一見建設的な新興宗教だけれど、黒い噂もちらほら聞こえてくるわ。そこを調査して記事にしたいのはやまやだけれど、どうもけっこうな数の政治家なんかも絡んでいるみたいで、上からのお達しで、月刊アトラスとしては表立って、その暗部を取材できないのよ」
 麗香は、既に何も映っていないテレビ画面を睨んで溜息をついた。
「さっきも言った通り、こちらからは大したフォローはできないわ。危険な仕事をお願いするのはとても気が引けるのだけれど、あなたたちにしか頼めないの。どうしても彼の無念を晴らしてやりたいの」
 言って、麗香は深々と頭を下げた。普段は見られない鬼編集長の態度に、誰もが一種神妙な顔になる。
「時に、黒い部分というのはどのあたりでしょうか?」 
 重くなりかけた沈黙を破ったのは、翠だった。さっぱりとした中性美人の彼女は、相変わらずひょうひょうとしていて、その口調がとても心強い。
「ひょっとして洗脳? それとも人体実験?」
 さらりとした口調で、翠は実に物騒な言葉を続けた。
「どちらかという洗脳かしら。黒い部分というのはさっきも言った殺人疑惑と、あとやはりカルト化の疑いがある……と言えばいいのかしら。狂信化して暴走しかねない、いえ、ひょっとしたら既に暴走している可能性があるの。具体的にどう、とまでは言えないのだけれど」
「強い想いが時にすごい力を生むことはわかるよ、いい方にも悪い方にも。でも、心のよりどころを変な方に持っていくのは勘弁して欲しいよなぁ」
 麗香の言葉に、森羅が腕組みをして、天井をあおいだ。
「時に碇麗香。その『心中相手』とやらの名前は木下朱美といわないか?」
 おもむろにクミノが口を開いた。それは、静にとっても大いに聞き覚えのある名前で。思わず肩がぴくりと震えた。
「よく知っているわね」
 麗香の返事に、静は唇を噛んだ。となると、今回問題になっている「希望の会」とやらは、学校の幽霊や、ゴンタの一件だけではなく、最初の殺人事件にさえ絡んでいることになる。それも、最悪の形で。
「ふむ……。ということはそれは心中ではないな。少なくともその記者が殺されたというのは間違いない」
 クミノが表情を変えず、頷く。
「実行犯を公にすることがかなわぬため、不幸にして教唆者に捜査機関の手は及ばなかったということだな……」
 クミノの後を受けて、シュラインが当の殺人事件について簡単に皆に説明した。
「教祖の名前を知るだけで殺されてしまうなんて……、信じたくはないけれどよほど教祖のことを秘密にしておきたいんですね」
 紫桜が深刻な面持ちで口を開いた。
「もしくは、そのライターがまた別のことも掴みはしたけれど伝えられなかったのかもしれませんね」
 翠が付け足す。
「あれ? その教祖のカンナギノゾミさんって……、あの神薙老人のひ孫さんも、希美さんっていう名前でしたよね?」
 宙をにらんで、ぶつぶつと教祖の名を呟いていたらしい紫桜が、不意に目を瞬かせた。
「ああ、そういえばそうね」
 シュラインがそれに頷いている。
「でも、もしそうだとしたら、今までの経緯や他の家族の行方も気になるところですね……」
 そう呟いてから、紫桜が思い直したように、学校の幽霊に関わっていない人たちに経過を説明した。
「なーんか、だんだんと怪しい部分が大きくなってきたな。ゴンタの件といい……」
 森羅が天井を睨んだ。
「まあ、要はその教団の黒い部分とやらを探れば良いのだろう?」
 今までわずかに口元をつり上げながら話を聞いていたヴィルアが、不敵な顔である意味身もふたもない総括をする。黒いスーツに身を包み、やはり黒ネクタイを緩めに締めた長身の外見は、一見して男に見えるが、れっきとした女性だと先ほど聞いたところだ。
「まあ、行ってみればわかることも多いでしょうしね」
 翠がそれに頷いた。どうやら、この2人、どことなくペースが合うようだ。
「そのことだけど、私は高階氏の病院の方を当たってみたいのだけれど」
 シュラインが機を見計らっていたような風情で口を開いた。
「私はカンナギノゾミの過去情報の方を主に調べたい」
 続いてクミノもまた、教団外の調査を宣言した。
「あ、もし神薙老人に会うのならお手紙を書いておくわね。麗香さん、便せんを頂けるかしら」
 シュラインが麗香からそれを受け取り、さらさらと素早く手紙をしたため始める。
「ということは、教団の方に行くのはこの5人になりますね」
 その間に、翠は軽く室内を見渡して確認をとった。他の4人は教団に行くつもりだったらしく、皆小さく頷く。
「じゃあ、私は裏方の方が似合ってますので潜入でもしましょうか、ね」
「私も潜入派だな」
 翠がさらりと言うと、ヴィルアも短く頷いた。
「あ、俺も潜入の方が……。インタビューで聞き出せる話術ありませんし」
 紫桜は、少し困惑気味の表情を浮かべた。
「あれ? 俺、インタビューにいく人に護衛がてらついてく予定だったのに」
 森羅はぱちぱちと目を瞬かせる。
 どうやら誰もが、インタビューは他の誰かがやると思っていたらしい。麗香が一瞬目を丸くして、そしてくすくす笑う。
「いっそ、囮を使うというのはどうですか?」
 静はゆっくりと顔をあげた。一瞬にして皆の視線が静に集まる。
「静くん……、顔色悪いわよ? 休んでなくて大丈夫?」
 シュラインが心配そうな顔を向けた。
「大丈夫です」
 静は即答した。
 まさか、自分の中で死神が騒いでいて疲れています、などと言えるはずがない。いや、調査を進めやすくするためには、いっそ言ってしまった方が良いのかもしれない。
 さっきから皆の話を聞きながら、そんなことを考えていた静だったが、どうしてもそれを実行する踏ん切りはつかずにいた。頭の中から離れないのだ。あの、小鬼に憑かれた子どもが静に向けた怯えの目が。
 ――嫌だ……。僕は、人でありたい……。化け物じゃない。
 静はきつく唇を噛んだ。
 今ここにいる人たちが、自分を化け物扱いすると思っているわけではない。けれど、ひょっとしたら自分の魂を狩るかもしれない存在に対して、何らかの怯えを感じないでいられる人間がいるのだろうか。もし、ほんの少しでも怯えの視線を向けられたら……。
 ――やっぱり、言えないよ……。
 それはもはや、理屈を超えた感情だった。
「夏バテというやつで……」
 曖昧な笑みを返すと、シュラインはいまだ心配げながらも、それ以上の追及はしてこなかった。
「引きこもり役とその他数名で、その教団に直接潜入するんです。引きこもり役は僕がやります……。ちょうど夏バテで顔色悪いし、それに、僕が一番それっぽいでしょ?」
 最後は少し冗談めかして笑ってみたが、このメンバーの中では誰がどう見ても静が一番それっぽいのは間違いなさそうだ。
「けど、静」
「危険は承知です」
 森羅が声をあげたのを、静は穏やかに遮った。
「けど、危なくなったらみんなが助けてくれると信じてますから」
「そこまで言うんだったら……。全力で静を守るよ」
「ありがとうございます、弓削さん」
「『森羅』! それからございますはナシ」
 びし、と先日と全く同じように、森羅は静に指を突きつけた。
「ありがとう、森羅さん」
 慌てて言い直した静だったが、森羅の反応は手厳しかった。
「『森羅』! さんはつけない」
「えと……、ありがとう、森羅」
「はい、合格」
 ようやく出たお許しに、静は思わず安堵の息をついた。そのやりとりに周囲はくすくす笑う。
「じゃあ、俺友達その1で、しーたんは友達その2で」
 森羅がさっさと役割分担を始める。
「じゃあ、私が母親でヴィルアは父親ってとこですかね」
 翠がくすくす笑いながら同調した。
「誰が父親だ、誰が」
 ヴィルアが渋い顔で返す。
「でも、さすがにそれは無理があるかと。せめて若い叔父夫婦とか」
 紫桜は真顔で口を挟んだ。
「だからどうして私と翠が夫婦なんだ」
 じろりとヴィルアが紫桜を睨む。
「では、さしずめ私は妹か」
 ぼそり、とクミノが漏らした。

 結局、シュラインとクミノを先に見送り、残ったメンバーで作戦会議続行、という流れになった。クミノが小型のイヤホンとマイクとを人数分残していってくれたため、情報交換は随時できることになっている。イヤホンは耳にすっぽり入るし、マイクは少し注意して服の裏側につければ、まず人から見られても気づかれまい。しばらくは誰もが物珍しそうにそれをしげしげと眺めたり、いじったりしていた。
「で、手順はどうしましょう?」
 やはりというべきか、一番最初に本題に立ち戻ったのは紫桜だった。
「そうだなー。俺としてはあの高階って人と接触したいね。何か持ち物を失敬できるといいんだけどな」
 森羅が名残惜しそうにイヤホンとマイクとをいじるのをやめ、それらを装着した。
「ちょっと……、失敬って」
 思わず静が口をはさむと。
「いや、ちょっとした能力ってやつでさ。持ち物持ってると相手のことがある程度わかるから、感情とか考えてることとか。場所もわかるし、ナビがわりになるかなって」
 森羅が少しきまり悪そうに頭をかいた。紫桜はその隣で苦笑いを浮かべている。
「この際、構うまい。相手は黒い教団なんだろう?」
 ヴィルアがしれっと言い放つ。
「まあ、この場合はやむを得ないでしょうね」
 翠の口調もさらりとしたものだ。
「でも、さっきのビデオでも現役の医師と言ってましたし、いつでも教団の方にいるとは限らないですよね」
 紫桜が言うと。
『シュラインよ。一応、小さい情報だけれど伝えるわね』
 不意に、耳元から聞き覚えのある声が流れた。さっそくシュラインが連絡を入れてくれたようだ。
『高階氏の勤め先は幸和会病院。数年前から勤めているから、入信当時から所属は変わっていないはずよ。ちょうど明日が高階氏の休診日になっているわ。教団の方にいるんじゃないかしら』
 それも、まるでこちらの会話を聞いていたかのような絶妙な内容だ。
 静たちは顔を見合わせた。無言のままに、皆が頷き合う。決行は明日だ。
「えーっと、こちら教団突入組の森羅、どうぞ」
 好奇心丸出しの顔で、森羅がマイクに向かって語りかける。
「それじゃ、こちらの作戦は明日決行。高階氏のいる時を狙いますね」
 絶妙のタイミングで翠が結論を口にした。
「あー、先に言われたー!」
 森羅はまるで幼子のように残念そうな声をあげた。
『了解。私も病院へは明日行くことにするわ。高階氏の留守を狙ってね』
 イヤホンの向こうの声にくすくすと微笑が混じっていたのは気のせいではないはずだ。
「とりあえず、高階氏から何か失敬するとしたら、少し騒ぎを起こした方がいいですね」
 紫桜が真剣な顔でそう口にした。
「じゃあ、私たちはその間に潜入するとしようか」
 ヴィルアがちらりと翠に目を遣り、翠もそれに頷いた。
 さらに細かいことを詰めたり、今までの事件について話し合っている間に、シュラインから再び通信が入った。
『高階氏、政治家たちの間では『神の腕』と評判らしいわ。家族が大病した時なんか、お世話になっているみたい。それもここ最近のことですって』
 特に、とある閣僚経験者の妻が最近、大病を患って生死の境を彷徨ったものの、大手術の末に一命を取り留め、さらに目を見張るような順調な回復を見せているらしいという話をシュラインは続けた。
『そのようだな。だいぶ政治家から金が流れている。おそらくは同じく医者つながりだろうが、暴力団関係者からも金が流れているな』
 続いてクミノの声も聞こえてくる。
「暴力団とも繋がりが……」
「なーんかどんどんうさんくさくなってくるなぁ。テレビの前では一応いいこと言ってたのにさ」
「呆れたものですね」
 面々の呟きを聞きながらも、静にはまだ違和感が拭えなかった。否、もちろん他の人たちもそうだろう。この団体の持っている黒さというのは、暴力団関係のそれとはまた質が違うように思われる。
 そうして、翌日の行動を確認し合い、とりあえず解散した後の夕方、再びクミノから連絡が入った。
『団体に肩入れしていた政治家連中の目的は、おそらく不死だ。具体的な方法までは知らされていないようだがな』
 不死、その言葉にまた静の中の死神がざわざわと騒ぎ始める。
 それをなんとか抑え込んだ静だったが、やはりじわりと何か嫌な予感が浮かんでくる。三途の川が浅くなっていることと、教団のもくろむ不死と、どことなく連想がつながるのだ。
『それからカンナギノゾミについては裏も表も情報がさっぱりだ。こうなると一般人だと結論づける他なくなってくる。それも低年齢の。明日、神薙老人を当たってみる』
 それだけ言うと、クミノからの通信は切れた。

 翌日、静、紫桜、森羅の3人は「希望の会」の建物の前にいた。古い診療所を改築したらしいそれは、都心にありながらなかなか広い面積を占め、周りを塀と植え込みに囲われて、うっそうとした雰囲気をまとっていた。
 事前に紫桜が電話をして約束をとりつけたため、高階は今、教団にいるはずだった。裏潜入組の翠とヴィルアも、静たちからは姿が見えないが、既に待機しているという連絡がイヤホンから入っている。
 3人は軽く頷きを交わした。紫桜と森羅が静の両脇に回り、その腕をしっかと掴む。
「やめろよー、騙したなー、僕はこんなところに入る気はないぞー!」
 静は声を限りに叫びながら2人の手を振りほどこうと激しく暴れた。
「そんなこと言うなよ、静のためなんだから」
「ここにきたら元気を取り戻せるってみんな言ってるじゃないですか」
「しーたん、タメ口!」
「いや、森羅、今はそんなこと言ってる場合じゃ……」
「やめてくれ! 僕のことなんかほっといてくれ」
「ほっとけるかよ! 友達なんだから」
 門の前で騒いでいると、ほどなくして中から慌てて人が駆け出して来た。背広の上から白衣を羽織ったその男は、間違いなく、テレビで見た高階だった。
「菊坂静くんだね。よく来てくれたね。せっかくここまで来たんだ、とりあえず中に入って話だけでもしていかないかい?」
 高階は穏やかながら力ある声で話しかけ、静の肩に手をかけた。
「やめて下さい!」
 静は思い切り高階の肩を突き飛ばした。一見して華奢な印象を与える静だが、それでも武術の心得はある。予想以上の衝撃を受けたと見えて、高階の身体が後ろへよろめいた。
「大丈夫ですか?」
 森羅がすかさず高階を支えた。そして、どさくさまぎれに白衣の胸ポケットからボールペンを抜き取って、それを素早く自分のズボンのポケットに収めた。
「ああ、大丈夫だよ、済まないね」
 高階は口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「ほら、静」
 紫桜がとがめるような視線を向ける。
「……済みません」
 静ははっとした顔をして、ゆっくりと頭を下げる。
「いや、いいんだ。誰でも最初は戸惑うものだよ。さあ、中に入ろう」
「はい……」
 静は素直に頷いて、紫桜森羅ともども高階の後に従った。イヤホンからは、翠たちが潜入に成功した旨が既に届いていた。

「そうか、お友達が心配して連れて来てくれたんだね」
 紫桜が高階に事情を説明する横で、静はずっと俯いていた。
「頼りにしてくれるのはありがたいんだけど、静くんは未成年だよね? 一応、保護者の方の了解も要る。できれば一度、お父さんかお母さんと話をしたいんだけど」
「両親は、いません。事故で死にました」
 静は抑揚のない声で答えた。
「そう、か……」
 高階は独り言めいた頷きを寄越すと、しばし黙り込んだ。
『シュラインよ。神薙希美さんと高階氏が繋がったわ』
 その間にも、イヤホンからは、シュラインの報告が入っていた。
『希美さん親子が事故に遭って運ばれたのが高階氏の勤めていた病院。ご両親はひん死の重傷で、希美さんだけが奇跡的に軽傷だったみたい。そのご両親も、こちらも奇跡的に一命をとりとめて、転院したことになっているわ。そして、教団を設立したのはどうも高階氏本人みたい。代々受け継いできた診療所を改築して本部にしたみたいね。希美さんの一件で、人の想いの強さを知ってっていうのが直接のきっかけみたい。宗教という形にしなければその想いの力を引き出せない、というのが宗教団体を名乗った理由、ということになっているわ。彼自身が教祖だとか代表者だとか名乗らないのは、人を崇拝するような形になるのを避けるためだと周囲には説明しているみたい。少なくとも幸和会病院の看護婦さんたちはそう認識してるわ』
 シュラインの報告を片耳で聞きながら、静は高階の方にもちらちらと視線を向ける。高階は、何か考え込むような顔で宙を睨んでいる。
「どうだっていいんです、僕なんて……」
 静は虚ろな呟きを漏らした。
「そんなことを言うもんじゃない、ご両親が悲しむよ。お友達だってこんなに心配してくれているのに」
 高階はじっと静の顔を覗き込むと、強い口調でそう言った。それは、実に情熱的な態度だった。ひょっとしたらこの熱意に動かされる人間もいるかもしれない、そう思わせるには十分だった。けれど、その裏で何を企んでいるのだろう。
「とりあえず、少し歩かないかい? お友達にはここで待っててもらって」
「はい」
 静は日よけのために着て来ていた薄手のジャケットを森羅に預け、高階の後について歩き出した。途中、何人かの若者とすれ違ったが、皆自然な態度で挨拶をおくってきた。高階はそれに朗らかに返し、静も形式だけの会釈を返す。その間にも他のメンバーからの報告が次々に入っていた。
『クミノだ。神薙老人に会って来たが、希美は今年6歳。老人の話を聞く限りだと、どうも生まれつき、治癒だか予知だかの弱い能力を持っているようだな。とはいっても正式な訓練を受けいるわけでもないから、その詳細ははっきりとはわからないが。ただ、事故で生命の危機を迎えて、一気に能力が開花した可能性も否めないな。教団を高階が創立したというのなら、あるいは希美は利用されている可能性もあるわけか』
『翠です。『更正した』という子たちを何人か見ましたが、『別人と入れ替わっている』可能性は限りなく低いでしょうね。術を施した跡もなく、魂と容れ物の間にも違和感がありません』
『まあ、引き続き潜入を続けるさ』
 静は報告を聞きながら横目で高階の顔を伺った。
「ところで、静くんがこうなったのって、ご両親を亡くしたのと関係があるのかな?」
 おもむろに、高階が口を開く。
「さあ……。わかりません。それに関係あってもなくても、死んだ人はもう戻ってきませんし」
 静は投げやりに返事を返した。
「そうだね……」
 頷いた高階の言葉にはどこか含みを感じさせる響きがあった。
「それはそうかもしれないけれど、人の思いにはみな強い力がある。強く願えばかなうことも多いものだよ。ちょっとしたことやものでもいい、何かやりたいこと、欲しいものとかはないのかい? ……例えば、ちょっと喉が渇いていたりしてないかい?」
 言われてみれば、確かに喉は渇いている。この暑さならば当然のことなのだが。
「はあ」
「先生ー」
 静が曖昧な返事を返すのと、そこに幼い女の子の声が割り込んでくるのとがほぼ同時だった。
 ざわり、と静の中の死神が騒ぎ始める。
 ――この娘が、全ての……
「先生、今日は暑いねぇ。はい、希美がジュース持って来てあげたよ」
 鎌首をもたげ始めた死神の意識を必死で抑えながらも、その希美という名を静は聞き逃さなかった。年頃といい、彼女が神薙希美なのだろう。静は2人に気づかれないよう、マイクのスイッチを入れた。これでここでの会話は皆に聞こえるはずだ。
「ありがとう。こっちは今日新しく入った菊坂静くんだよ」
「静お兄ちゃんだね。よろしくね、あたし、神薙希美。お兄ちゃんにもジュースあげるね」
 無邪気に笑いながら、希美は抱えていた缶ジュースを1本静に差し出した。しかも、偶然だろうが、それは静の好んで飲むメーカーのものだ。
「ほら、かなっただろう? これをただの偶然、あるいはこちらの芝居ととるか、自分の思いの力ととるかは君しだいだよ。でも、どうせならもう一度だけ自分を信じてみたらどうかな? 損をすることはないと思うよ」
 くつくつ、と高階は笑う。と、そのポケットからクラシックの重厚なメロディが流れ出した。
「っと失礼」
 高階は着信を告げる携帯電話を取り出し、それを耳に当てて二言三言しゃべってから、「すぐ行くよ」と答えてそれを切った。
「済まないね、少し急の用事が入ったんだ。適当にこの辺りを見ていてくれないかい? すぐ戻るよ」
 軽い笑みを残して、高階は足速に去って行く。その後ろ姿を静は少し複雑な気持ちで見送った。
「君が、神薙希美さん?」
 その後ろ姿が完全に消えたのを見計らって、静は少女に声をかける。
 ――何をしている、その娘を……!
「お兄ちゃん、希美のこと知ってるの?」
 希美は不思議そうに小首を傾げた。
 ――狩……
 ――やめろ!
「ひいおじさんが、お家で待っているよ。一緒に帰ろう」
 静は無理矢理死神を押し込め、優しげな笑みを浮かべて、希美に手を差し伸べた。
「うーん、でもパパもママも、ここにいるから……。今の希美のお家はここなの。パパもママも、お怪我が治るまでここにいなくちゃいけないんだって」
 自分が利用されているとは夢にも思っていないらしい少女は、少し困惑したような表情を浮かべた。
「ね、それよりもお外の話して。お外行くとばい菌がついてきちゃうから、そうしたらパパママに会えなくなっちゃうって先生が言うんだ」
 言うなり、希美は静の手を引っ張った。途端に、何かが静の身体を突き抜けたような感覚があった。静の中の死神がぴたりと静かになる。そして、その直後、今度はまるで魂を引き裂かれるかのような痛みが襲ってきた。強い力が、静と死神とを引き離そうとしているのだ。
「う……」
 静は思わず膝をつきながらも、視線を持ち上げ、希美の顔を覗き見た。
「お兄ちゃん! 大丈夫? しっかりして」
 そこには静を心配する色しかなく。とても意図的に静、あるいは死神を攻撃しているとは思えなかった。
「静!」
「静さん!」
 ばたばたと荒い足音が響き、森羅と紫桜が駆けつけてくるのが見えた。
「大丈夫ですか?」
 紫桜が静の肩に手をかけた途端、痛みは嘘のように引いた。
「大丈夫? お兄ちゃん」
 希美が今にも泣き出しそうな顔で静を見上げる。
「大丈夫だよ」
 肩で大きく息をしながら、静は穏やかな笑みを希美に向けた。
『翠です。……希美殿のご両親を発見しました』
 イヤホンから静かな声が流れ出す。
『身体的には、既に亡くなられているのですが』
『死体に魂が宿っている……といった状況だな。不完全な蘇生術でも使ったような状態だ。魂の劣化も否めまい』
 ヴィルアが淡々と続けた。
「どうしたんだい?」
 そこへ高階が戻ってくる。
「ずいぶんと顔色が悪いけれど」
「少し立ちくらみを起こしただけです。大丈夫です」
 静は軽く首を振って見せた。
「そうかい。ここで休んでいってもいいけれど、今日はもう帰るかい? 体調が戻れば明日、また来るといい」
「そうします」
 静は短く返事を返すと、紫桜と森羅と共に、「希望の会」本部を後にした。
「希美さんの能力は」
 その帰り道、静はマイクに向かって口を開いた。
「おそらく、相手の望みを現実にしてしまうこと……。多分、本人はそれと気づかずに能力を発揮しています」
 希美と顔を合わせた時、静は高階に席を外して欲しいと思っていたし、希美が静に手を触れた時は――否、本当は常に、かもしれない――自らの中の死神の存在を抑え込み、「人」でありたいと願っていた。そして、あの痛みから解放された時には、おそらく森羅と紫桜がそれを望んでいてくれたに違いない。
「きっと、希美さんは無意識のうちに高階氏の望みをかなえ続けているのでは……」
 死を否定する高階の願いをかなえ続けることが、今の生死の境界が揺らぐという事態を招いているのではないだろうか。
『なるほど。そうだとしたら、高階氏が教団を設立した経緯にも納得がいくわね。希美さんの能力に気づいた高階氏がそれをより効率的な形で発揮するために宗教団体を発足させた、と。奇跡を前にすれば人は簡単に傾倒するわ。うまく演出すれば、高階氏の思い通りに、立ち直る若者だって出てくるでしょうね』
 思慮深げなシュラインの声がイヤホンの向こうから返ってくる。
『ふむ。しかし、正式な術の手順も踏まずにそれだけの力を発揮しているとなると……』
『彼女の精神も長くはもたないでしょうね。そちらも退去したようですし、こちらも一時撤退しますね。引き続き、情報を集められるよう手配はしておきますが』
 イヤホンの向こうから翠とヴィルアの声が聞こえて来た。
 そして、しばしの後。クミノからとんでもない情報が入ってきた。
『クミノだ。先ほど入った情報だが……、とある裏組織から教団の方にC−4……、俗にいうプラスティック爆弾が流れているな。それも結構な量が』
「爆弾なんて何に使うんだよ」
『さあ……、破壊活動以外の使い道があるのなら知りたいところだが』
 森羅の呟きに返って来たのは、クミノの冷静な声だった。

<了>
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」】
【5453/櫻・紫桜/男性/15歳/高校生】
【6118/陸玖・翠/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師】
【6777/ヴィルア・ラグーン/女性/28歳/運び屋】
【1166/ササキビ・クミノ/女性/13歳/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【6608/弓削・森羅/男性/16歳/高校生】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。ライターの沙月亜衣と申します。
この度は、当シナリオへのご参加、まことにありがとうございました。いつものことながら、納品がぎりぎり綱渡りになってしまい、誠に申し訳ございません。
とりあえず、今回は調査という形で、解決すべき問題点をいくつか浮き彫りにした形になりました。次回、決着がつけばいいなと思っております。一応、皆様一度撤退したという立場になっておりますので、次回はお好きな行動をお取り下さいませ。
今回は、調査先がほどほどにばらけたこともありまして、皆様に違うものをお届けしております。が、情報を共有する旨のプレイングを頂いたこともありまして、主要な情報は、皆様に届いております。前後の脈絡等気になる部分があれば、お暇な際にでも他の方の分にも目を通していただければ幸いです。

菊坂静さま

1作目から通してのご参加、まことにありがとうございます。今回は大胆な作戦をありがとうございました。しかもまた高階にとって静さんの設定がツボだったもので、希美との接触、という流れに無理無く通すことができました。
あの場面では、きっと静さんの自我が勝るだろうな、と思ってああいう感じになりましたが、イメージを損ねていなければ幸いです。

ご意見等ありましたら、遠慮なくお申し付け下さい。できるだけ真摯に受け止め、次回からの参考にさせて頂きたいと思います。

それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ、失礼致します。本当にありがとうございました。