コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


Halloween fantasia

「Trick or treat!」
 そんな子供たちの声を聞きながら恭介は教会から出た。礼拝堂の入口には、様々な怪物の格好をした子供たちが、楽しそうにシスターからお菓子を受け取っている。その光景を横目に見ながら、恭介はタイムリミットが差し迫っていることを実感した。
 腕時計へ目をやると、間もなく午後6時になろうとしていた。残り6時間。今日中になんとしても1人の男を見つけ出し、その行動を阻止しなくてはならない。そうしなくては街が大きな混乱に包まれることは明らかであった。
 その依頼がどのようなルートによってもたらされたのか、恭介は知らない。ただ上司から命令されたことは、ある人物を見つけ出し、その男の行動を止めること。それができなければ、東京には多くの魔物が闊歩するようになる、というものであった。下手をすれば一笑に付してしまいそうな話だが、上司の真剣な表情を見て、それが決して大げさに物事を伝えているわけではないことを恭介は理解した。
 恭介たちのチームが探しているのは、アイルランド系の移民でドルイド教徒の男だった。ドルイド教徒と聞き、恭介の胸中にかすかな不安が広がった。折しも今日はハロウィン。この世とあの世をつなぐ、冥界の門が開かれるとされる日である。そして、ハロウィンの元となった習慣はドルイド教が発端であるとされていた。
 上司から恭介が命令を受けたのが2日前。この2日間、恭介のチームは男に関する情報を集めた。その結果、渋谷に潜んでいる可能性が高いという判断が下された。若者の街という印象が強い渋谷だが、実は日本最大の宗教都市という側面も持ち合わせている。そうした無数の宗教の中に、男が潜んでいるのではないかと考えられた。
 当然、魔物を呼び出すためには儀式が必要となるだろう。その儀式を行っている場所を見つけ出すことが先決であった。渋谷のみならず、都内各所をチームの人間が手分けをして当たっているが、現時点でそれらしき形跡を発見したという報告はない。
「Trick or treat!」
 その時、先ほどまで教会でお菓子をもらっていた子供たちが、ばたばたと恭介へ駆け寄ってきた。かぼちゃのお化けをかぶった子供、吸血鬼の格好をした子供、様々なコスチュームをした子供たちが恭介を取り囲み、手を差し出してきた。
「Trick or treat!」
 お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ――それはハロウィンでの子供の常套句である。恭介は戸惑いの表情を浮かべながらもスーツの懐を探った。しかし普段、滅多に菓子など食さない彼に持ち合わせなどあるはずもなかった。
「すまない。お菓子は持っていないんだ」
「えー? じゃあ、いたずらしちゃうよ」
「それも困るな」
 顔にかぶったかぼちゃのお化け、ジャック・オー・ランタンの下から不満そうな声を発した1人の子供に、恭介は苦笑いを向けた。
「さっきのおじちゃんはお菓子くれたのに、お兄ちゃんはケチなんだね」
 そう言って立ち去ろうとした子供の後ろ姿を見た瞬間、その子がかぶったジャック・オー・ランタンの後頭部に刻まれた印に恭介は気がついた。
「ちょっといいかな」
「なーに?」
「このかぼちゃ、君たちが作ったのかい?」
「ううん。おじちゃんにもらった」
「もらった?」
「うん。今日は持ってなさいって」
「どんなおじさんだったか、覚えている?」
「外国人のおじちゃん。みんなも、いろいろもらったよ」
 その言葉に反応するように子供たちは、それぞれもらったという品物を恭介に見せた。それは仮装用の装飾品であったり、お守りのような物であったりと様々だったが、共通しているのは、それらすべてに同じ紋様が刻み込まれていた。
 その紋様に恭介は見覚えがあった。ドルイド教の神官が儀式の時などに使用するものだ。宗教都市である渋谷といえども、ドルイド教徒がそうそういるとは思えなかった。恭介はひょんなところから男に関する手がかりを得たような気がした。
「これをもらったのは、どこかな?」
「あそこの近く」
 子供が指差した方向へ恭介は振り向いた。そこには地上数十メートルの巨大な建造物がそびえていた。
 渋谷セルリアンタワー。そこに目的の人物がいるのだろうか。調べる必要があった。

 渋谷セルリアンタワーはオフィスフロア、レストラン、ホテル、式場、能楽堂などを内部に抱えた巨大複合施設である。渋谷マークシティーを除けば、思いのほか高層建築物の少ない渋谷において、2001年にオープンした新しいランドマークであるともいえる。
 チームの人間を率いてセルリアンタワーに向かった恭介は、まずホテルのフロントで宿泊客のリストを提示するように求めた。本来、守秘義務があるために部外者への情報漏洩は禁止されているが、会社の上層部から圧力をかけることで強引にリストを提出させた。
 無論、宿泊客の中に目的の人物がいるとは限らない。しかし、それがどれほど少ない可能性であろうと、調べてみないことにはわからない。男が偽名を使用していることも考慮し、恭介たちは虱潰しに建物内部を調査した。だが、それらしき人物は宿泊者、セルリアンタワー内部にある施設利用者の中に存在しないことが判明しただけであった。
「外れ、でしょうか?」
 恭介の傍らに控えていたチームの女性が不安そうな面持ちで言った。日付が変わるまで4時間。残された期限が迫っている。
「まだ調査が済んでいない場所は?」
「タワー内にある各商業施設、宴会場、ゲストルームの一部です。現在、地下駐車場を捜索しています」
 その報告を受け、建物の見取り図を見つめながら恭介は考えた。不思議と自分の読みが外れている、という印象はなかった。恭介の勘が告げているのだ。目的の人物は間違いなくタワー内部のどこかに潜んでいると。
「屋上は調べたか?」
「いえ、まだです」
 こうした高層建築物のセオリーとして、火災などの発生時に避難が容易なように、このセルリアンタワーの屋上にもヘリポートが設けられている。周囲から目撃されやすい場所ではあるが、儀式を行うには適度な広さでもある。
「屋上への経路は?」
「40階まで高速エレベーターで向かい、そこからは非常階段で上がります」
「屋上へつながる扉に鍵はかけられているのか?」
「はい。ですが、管理者側からタワー内部のマスターキーを借りているので、これで開くと思います」
「そうか。では行くぞ」
 恭介は部下を連れてエレベーターに乗り込むと、40階を目指した。ノンストップのエレベーターで最上階まで数分。そこから先は非常階段を上がって屋上へ向かう。
 非常階段の先に鉄扉が見えた。平時は立ち入りが禁止されている区画で鍵がかけられている。女性の持っていたマスターキーで開錠し、鉄扉を開けようとしたが、まるで扉が壁と一体化してしまったかのように、押しても引いても動こうとはしない。
「開きません」
「どうなっている?」
 疑問を口にした恭介であったが、屋上に何者かがいるとすれば、誰も入ってこられないように扉に細工を仕掛けている可能性は充分に考えられた。当然、立ち入りが禁止されている屋上に誰かがいるとすれば、それは恭介らが探している人物である公算は高い。
「1度、下りるぞ」
 女性へ告げると、恭介は踵を返した。

「間もなく目標地点の上空です!」
 耳元でうなる風切り音に負けないように操縦士が大声で言った。ヘリコプターの後部座席に座っていた恭介は、おもむろに立ち上がると窓際へ寄り、双眼鏡を構えながら眼下を見下ろした。街には様々なイルミネーションが溢れ、ハロウィンで一色に染まっているようにも見える。一足早いクリスマスといった雰囲気である。
 数年前から日本でも定着を見せ始めたハロウィンだが、日本人にとってはクリスマスやバレンタインデイと大差はないだろう。単にお祭りとして楽しんでいるだけだ。
 しばらくしてヘリコプターは渋谷セルリアンタワーの上空へと差し掛かった。光量増幅方式――スターライトスコープと同様の機能を持つ双眼鏡を覗き込んだ恭介は、セルリアンタワーの屋上に1人の人間がいることを発見した。
「もう少し寄ってくれ」
「了解!」
 ヘリコプターは大きく旋回し、東京大学教育学部方面からタワーへ接近する。しかし、一定の距離まで近づいたところで、まるで見えない壁に押し戻されるかのように、ヘリコプターは接近できなくなった。
「どうした?」
「駄目です! これ以上、近づけません!」
(結界か?)
 操縦士の言葉に、そんな単語が恭介の脳裏をよぎった。結界という言葉は密教で使われるものだが、ドルイド教でも同様の秘術があったとしてもおかしな話ではない。屋上にいる人物が恭介たちの追っている男で、本当に魔物を召喚しようとしているのなら、そうした秘術に精通していることもうなずける話であった。
「ぎりぎりまで接近してくれ」
 高度を徐々に落としながらタワーへ近付いて行くヘリコプター。そのから双眼鏡の倍率を最大にして屋上を確認した恭介は、そこにいるのが目的の人物であると認識した。
(ヤツだ)
 双眼鏡の中に移った人物は、紛れもなく恭介たちが探している男であった。そして、屋上の様子を探っていた恭介は、男の前方に鏡のようなものがあり、そこから巨大な腕が伸びているのを見て、思わず息を呑んだ。
 その腕、とおぼしき物は異様であった。巨大な鏡の表面からは、人間の背丈よりも巨大な紫色をした腕が生えている。それが徐々に伸び、肘から上腕、肩口まで達しようとしていた。上司の言っていたことは嘘ではなかったのだ。男は魔物を召喚しようとしている。あの鏡が、この世界と別の世界を結ぶ媒体となっているのだろう。
「もう少し高度を下げられないか?」
「これ以上は無理です! 乱気流が激しすぎます! こっちが落ちてしまうっ」
 その返答に恭介は傍らに置いた銃へ目を向けた。H&K社のPSG‐1。高性能スナイパーライフルとして有名な狙撃銃である。ヘリコプターから男を狙撃できないかと考えて持ってきたが、この場所からでは不可能であると判断した。
 狙撃は多くの計算を必要とする。距離、角度、風速。様々な要因を計算した上で、最適な狙撃位置を割り出し、そして変化し続ける状況に応じて引金を絞る。
 PSG‐1を使用するには、まず距離が長すぎた。ヘリコプターの位置から男まで500メートル。通常であれば問題はないだろう。恭介の腕をもってすれば確実に狙える距離だ。しかし、それを不可能としてしまっているものがあった。風だ。
 都会には強い風が吹く。いわゆるビル風と呼ばれるもので、ビルとビルの間をすり抜けた風が一定の場所でまとまり、時として台風にも匹敵する強風となる。
 高層ビルが多い場所でこのビル風は発生しやすく、新宿ほど高層ビルのない渋谷では無縁とも思われがちだが、セルリアンタワーの北側には首都高速が走っている。この高架道路を吹き抜ける風が、まるでビル風のようになり、銃弾を押し流してしまうのだ。
「一端、地上へ降りる。資材部に連絡して、装備E‐3を用意するように伝えろ」
「了解しました!」
 操縦士の言葉を聞きながら恭介は腕時計へ目をやった。針は午後10時を指していた。

 近くの飛行場へ降りたヘリコプターを待っていたかのように、複数の人間が駆け寄ってきた。恭介の指示でヘリコプターの後部に巨大な狙撃銃が設置される。
 マクミランM88。50口径、12・7ミリの銃弾を使用するアンチマテリアル・ライフルである。有効射程距離は優に1500メートルを超え、高性能スコープと組み合わせれば、2キロ先の標的も狙撃することができる。
 急ピッチでライフルを固定させると、ヘリコプターは再び離陸した。
 風向き、風速などを考慮し、東側からセルリアンタワーに接近したヘリコプターは、恭介の命令で青山大学の青山キャンパス上空で停止した。高度を下げ、タワー屋上と同じ高さでホバリングする。ここからセルリアンタワーまでは約1キロ。途中に遮蔽物となる高層ビルなどは存在しない。
 ヘリコプターの中に寝そべり、伏射の姿勢を取った恭介は、スコープを覗き込んだ。
 恭介の視界に鏡が映りこんだ。鏡から出てこようとしている魔物は、すでに上半身までが現れていた。その姿は醜く、伝説上の食人鬼を連想させた。
「距離982。風速、右から6メートル」
 恭介の隣に片膝をついた男が、双眼鏡を覗き込みながら告げた。狙撃手をサポートするスポッターである。風や目標、着弾点などの情報を報告し、狙撃手の補助を行う。
 大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出したところで恭介は呼吸を止めた。
 瞬間――
 轟音が辺りを埋め尽くした。
 発砲の衝撃でヘリコプターが多きく傾き、操縦士が慌てて機体を制御する。
「銃弾ロスト! 外しました。若干、右へ修正」
 報告を受けなくとも恭介は外したことを理解していた。恭介が思っていたよりも銃の精度が低い。1発目は試射と割り切っていたが、それでも当てるつもりで撃ったのだ。
 スコープの中に映る男は、自分が撃たれたことを自覚していないのか、それとも儀式に集中しているのか、逃げ出そうという気配はない。
 スコープを2クリック。風速に変化なし。
 ボルトアクションで空の薬莢を排出し、新しい銃弾を薬室へ装填する。
 今にも高鳴ろうとする心臓を精神力で押しとどめ、恭介は呼吸を整える。浅く呼吸を繰り返し、再び大きく吸い込み、吐き出した。
 直後――
 耳をつんざく凄まじい音が反響した。
 一瞬の後、音速に近い速度で空間を切り裂いた銃弾が、男の上半身を捉えたのを、恭介はスコープの中の狭い視界で確かに見た。
「ヒット!」
 スポッターの声が上がった。
 胸部を撃ち抜かれた男は、周囲に血と肉片を撒き散らしながら屋上に崩れ落ちた。対物狙撃銃に使用される50口径の破壊力は凄まじい。人間など簡単に肉片としてしまう。だからこそ戦時協定で人間への使用が禁止されているのだ。
 しかし、今回は他に手段がなかった。いや、手段はあったかもしれないが時間が限られていた。残された時間で男の暴走を食い止めるためには、これが最良の方法だと恭介は判断していた。
「機首をタワーへ向けてくれ。もう近づけるはずだ」
「了解!」
 恭介の指示で操縦士はセルリアンタワーへ機首を向けた。

 足元に横たわる男は完全に事切れていた。胸部を吹き飛ばされ、周囲に大量の鮮血を撒き散らしながら、それでも苦悶の表情すら浮かべずに男は眠るように倒れていた。
 恭介の読みは当たっていた。男を殺したことで、屋上に張られていたと思われる結界は消滅し、ヘリコプターを難なく着陸させることができた。
 しかし、魔物は健在であった。男が死亡した今も、鏡から出ようと体を蠢かしている。時刻は午後11時半。ちょうど日付が変わると同時に魔物はこちら側の世界に現れ、自由に闊歩するようになるのだろう、と恭介は思った。
「ここは、おまえが存在して良い世界じゃないんだ」
 恭介は懐のホルスターから拳銃を引き抜き、鏡に向けて発砲した。
 強烈な音を響かせて鏡が砕け、それと同時に鏡から出ようとしていた魔物も、まるで立体映像が消え去るかのように姿を消した。
 砕け散った小さなガラスの破片が強風に流され、辺りに舞った。
 それは、さながらダイアモンドダストであった。渋谷のイルミネーションを浴び、きらきらと輝くガラスは、ゆっくりと地上へ降りて行った。
 拳銃をホルスターに収めた恭介は、代わりに携帯電話を取り出し、短縮ダイアルを押して電話をかけた。
「任務完了しました。これより戻ります」
「ご苦労だった」
 電話の向こう側から労いの言葉がかけられた。携帯電話を懐に戻し、恭介は男の死体へ目を向けた。名もない神官。男がハロウィンの日になにを狙っていたのか、今となってはわからない。ただ、目的を遂げられなかった死体だけが、そこに転がっていた。
 恭介はポケットから取り出した煙草に火をつけると、男の傍らに置いた。瞬く間に煙草が血で染まり、立ち上る煙に血の臭いが混じった。
 それを一瞥し、恭介は屋上を後にした。

 完