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夜語り鴉
どことも知れぬ、鬱蒼とした森の中の館。ひっそりとしているが、耳を澄ませば無数の囁き声が聞こえてくるようでもある、不気味な様相。二階奥の一室にだけ、ぼんやりとした灯がともっている。
アンティークランプの灯の中で、無数の輝きに囲まれているのは、鴉のような黒づくめの男――レイリー・クロウ。
レイリー・クロウ「やはり! よく知る方に呼ばれたような気がいたしまして、ひさしぶりに戻ってみましたが……やはり貴方がたが私をお呼びでしたか。――いやいや、人聞きの悪い。このレイリー・クロウ、貴方がたのことを一時たりとも忘れたことはございませんよ。
……ふむ、こうして見ると少々散らかっておりますね。今度整理をいたしましょう。ガラスはガラス、宝石は宝石と、きちんと分けておくべきでしょうか。
しかし、安心しました。貴方がたは私の記憶の中の姿のまま変わっていない。貴方がたは変わらずお美しい。私が存在する限り、貴方がたは永遠なのですねぇ。
……ああ。この私が、見つめているだけで心を奪われる。私は無数の心です。ただそこに在るだけで、数多の魂を魅了する、その輝き。実に素晴らしい、本当に美しい。偉大とも言えるでしょうねぇ。
しばらく家を空けたことをお詫びいたしましょう。しばらくお話でも致しましょうか。さて……、ひときわ強く私をお呼びになられたのは、どなたでしょうかねぇ……。
美しい仏蘭西人形の貴女。貴女が呼ばれた……わけではない、ですか。どういったわけでしょう、貴女に呼ばれたような気もしてしまって。
貴女の両目のエメラルドは変わらず美しい。……おや、失礼。以前よりもいっそう美しくなられたようですねぇ。初めて私と出会った頃の貴女は、首だけでした。
貴女の目にエメラルドを嵌めこんだのは、確か、どこぞの伯爵令嬢でしたか。ご令嬢は貴女のそのお口も開いて、中にいくつものダイヤモンドを詰め込まれていたはず。さぞ、美味しいお食事であったことでしょう。
価値ある『貯金箱』であった貴女。ご令嬢のお家の没落は、貴女の力によるものでしょう。貴女はダイヤモンドを食べすぎた。ダイヤモンドに沁みこんだ、黒い心も食べすぎた。貴女は血も浴びたのでしょうか。貴女を奪い合い、ご令嬢も伯爵夫妻もお亡くなりに。貴女は首を刎ねられ、そのお身体の中身を何者かに奪われた。大方、伯爵家に仕えていたものの仕業でしょう。お金の切れ目が縁の切れ目と申します。忠誠心とは、富の前ではかくも無力なものなのです。
惨劇は夜にでも起きたのでしょうか。それとも、貴女を陵辱した者は、貴女の双眸の輝きを知らなかったのでしょうか。いずれにせよ、愚かなことを。貴女のその美しいエメラルドを奪わず、首を森に投げ捨てたのです。貴女の魂は、そのエメラルドの中に閉じこめられていたというのに。
ああ、惜しい。私はその惨劇の場に居合わせることがかなわなかった。間に合わなかったのです。貴女の視線を受けながら、ダイヤモンドの黒を帯びた輝きに憑かれた者。かの者の心は、さぞかし美味であったことでしょう!
私は貴女を拾い、新しい身体とお召し物を差し上げました。……そうですか、お気に召しておられますか。それは上々。
貴女が望むのならば、この館からお連れし、新たな主を見つけて差し上げてもかまいませんよ。貴女はまた、黒いダイヤモンドを召し上がることができるかもしれません。
……なるほど、なるほど。お気持ちはお察しします。また首を刎ねられてはかないませんからねぇ。ククククク、失礼、失礼……。
おお、……おお、勿論貴方がたもお美しい。はて、私を呼ばれたのは、貴方がたでもないようですねぇ。勘違いがこうも続くとは、珍しい。
『黒い』ダイヤモンドと言えば貴方がたでしょう。何せ貴方がたは、黒いベルベッドのような見事な毛並みの、黒い猫のお腹から生まれた。貴方がたこそ、黒の中の黒。私の黒も、もしかすると及びもつかないかもしれません。
ひとの欲望を渡り歩いて、輝きが増した貴方がたは、1匹の猫の中に隠されたのです。黒猫は、初めはいやいやでしたが、最後にはすすんでダイヤモンドを食べるようになったはず。それはひとえに、貴方がたの濃厚な闇の味に魅せられてしまったからなのでしょう。貴方がたは猫の、ペリドットのような緑の目を通して、一体どれほどの人生を見つめてきたことでしょうか。
黒いダイヤモンドの在り処を探し、探し出すために罵り合い、殺し合う人々の姿――ああ、私もその席をご一緒したかった。さぞかし、素晴らしい戯曲であったことでしょう。想像するだけで、私の多くにしてひとつなる心が震えます。
黒猫が貴方がたを吐き出すことも排泄することもなく、長くその腑の内に留め置けたのは、何故なのでしょうね。これも、黒い心が成し遂げた奇跡でしょうか。しかし、それは猫にとっての悲劇になってしまいました――黒猫は捕らえられ、憐れにもその腹を裂かれてしまったのですから。
貴方がたはそうして、猫から生まれた。黒い毛並み、赤い血と臓腑の中から顔を覗かせた貴方がた。どれほど美しかったことでしょうか。私はこれも悔やみます。新たな誕生の瞬間に立ち会いたかったと、心の底から思います。
ああ、時を戻すことができればいいのですが!
!
……そうでしたか、貴方でしたか。この私を、呼んだのは。なるほど、これで勘違いの見当もつくというものです。
貴方は『呼ぶ』ために生まれたもの。貴方は純金の鈴。そうです、貴方です! シルクのリボンに縫い付けられ、仏蘭西人形の襟元に飾られていた貴方。エメラルドの目の人形に詰めこまれていたダイヤモンド。奪われたダイヤモンドを食べさせられた黒猫。どこへ逃げても居場所がわかるように、その黒猫の首にかけられた貴方。貴方の存在があったために、ダイヤモンドも、黒猫も、人の欲望から逃れることはできなかったのですよ。貴方が噂を振り撒き、富への欲望を抱いた人間たちを呼び寄せたのです。
そう、今宵も……貴方は私という欲望を呼んだ。何と素晴らしい力でしょうか!
貴方には、〈呼び鈴〉という名前がついています。貴方の音に呼ばれたら、富に出会えるという曰くもついています。貴方はしかし、その名の通り、呼び寄せてしまうのですよ――富を求める心そのものを。
今や貴方はそれを望んでおられる。人間の黒い心と、黒猫の怨念をも取り込んだ。貴方の音色は富の在り処を知らせ、人を惑わせ、黒い心のもとに争いやいさかいを生むでしょう。ここで黙りこんでいるよりも、貴方は人の世でその音色を響かせていたいのですね。
よろしい!
では、貴方と共に参りましょう。しばらくは、私の懐で歌っていただくことになりそうですが――なに、心配はご無用です。すぐに貴方の音色に惹かれ、富を求める黒い心が近づいてくるでしょうからねぇ。いやいや……私も、どなたがこの音に気づき、そして近づいてくるのか……今から楽しみで仕方がありません。
ん……?
……おやおや!
そうですか、貴女がたもご一緒したいと。そうですか、そうですか。確かにかつて貴女がたはひとつだったのですからねえ。
わかりました。鈴を、仏蘭西人形である貴女のリボンに。ダイヤモンドも、仏蘭西人形に召し上がっていただきましょう。
さあ、これで、何もかも元通り。あとは黒猫ですが、どうか、ここは黒い鴉で妥協してはいただけませんでしょうか。そう、私です。鴉が貴女がたを抱えてゆきましょう。これは自負になりますが、私の羽毛も黒いベルベットのようですよ。私が抱える心の集まりは、黒猫の臓腑に勝るとも劣らない生温かさ。
私でかまいませんね? クククク……そうですか、ありがとうございます。
それでは、参りましょうか。私は今度こそ、貴女がたが織り成す戯曲を鑑賞させていただきますよ。いつもいつも、呼び声に駆けつけてみれば、祭りの後ならぬ終幕の後。貴女がたが語るお話に耳を傾けるのも勿論心地よいのですが、やはりこの目で直に見るに限ります。
どうかこの次も、素晴らしい物語を紡いでくださいね。期待しておりますよ。
フフフフフ……」
そして、妖しい館の灯は消える。どの窓が開いたものか、中から大鴉が現れた。その羽ばたきは、マントがひるがえるような音を立てた。鴉は夜を飛んでいく。
彼は、澄んだ鈴の音色を引き連れていた。
〈了〉
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