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想い深き流れとなりて 〜4、そは聖者か狂人か
「わざわざ来てくれてありがとう」
アトラス編集部の一室で、口を開いた碇編集長の顔は硬いものだった。
麗香から「希望の会」という宗教団体について調べて欲しいというメールがきたのはつい先日のこと。
「希望の会」というのは、まあどこにでもあるような新興宗教団体で、自分の力に自信を持たせることで、人を前向きにし、実際、何人もの引きこもりの若者たちを立ち直らせていることで最近よく話題になっている。
しかし、その一方で、表に出るのは教団のスポークスマンに当たる人物ただ1人であり、他の幹部は誰か、どうやって若者たちを立ち直らせているのかなど謎の部分が多い。さらに、裏では黒い噂も絶えないとか。
麗香の知り合いのフリーのジャーナリストが、その暗部に迫るべく取材を繰り返していたようなのだが、全く表に出ない教祖の名が「カンナギノゾミ」だと麗香に伝えた後、消息を絶ち、そして女性と共に遺体で発見された。表向きには心中事件として処理されたそれを、麗香は納得できず、また、月刊アトラスとして公然と取材することはできないので、協力者を募りたい、というのがそのメールの概要だった。
軽い興味を引かれて引き受けることにしたヴィルアだったが、いざ来てみると集まった面々の中に、旧知の友人である陸玖翠(りくみどり)の姿があった。これは、思っていたよりも面白いことになりそうだ。
他に麗香の要請に応じてこの場に集まったのは、菊坂静(きっさかしずか)、櫻紫桜(さくらしおう)、弓削森羅(ゆげしんら)の男子高校生が3人、落ち着いて理知的な雰囲気を漂わせたシュライン・エマ、少女ながら隙のない暗殺者のようなオーラを持つササキビクミノの5人。今回の調査に臨むのは総勢7名ということになりそうだ。
既に互いの自己紹介は済ませ、麗香の話の続きを待つばかり、という段取りになっている。
「お願いしたいことはメールでお知らせした通りよ。参考になるかと思うのだけれど、これも見てくれるかしら」
実に簡潔に言うと、麗香は手元のリモコンを操作した。お世辞にも大きいとは言えないテレビの画面にワイドショーとおぼしき番組の1シーンが映る。
3人ほどのキャスターと向かい合うようにして、ゲストとおぼしき初老の男が座っている。画面にテロップで、「宗教団体希望の会広報担当 高階幸宏氏」と紹介が流れた。
『こんにちは。今日は、最近話題の宗教団体、希望の会の高階さんに来て頂きました。高階さんは、現役の外科医としても活躍なされている一方で、教団でも中心人物として精力的に活動なさっておられます』
司会者が、画面に向かってしかつめらしく挨拶をした後で、ゲストの男、高階に会釈をした。高階も軽く頭を下げてそれに返す。
『希望の会では、何人もの引きこもりの若者を更正させたと聞いています。何が、その秘訣なのでしょうか』
あの粘り着くような独特の視線をゲストに向け、司会者は高階にマイクを譲った。
『私は長年、医師として仕事をしていく中で、いろいろな患者さんと出会いました。中には、大けがを負ったり、大病をされて、まず助からないだろうな、というような方も大勢おられる。けれど、そんな中でも、生還される方はおられるんですね。もう、奇跡としか言いようがない。そういう人たちに共通するのは、みな、強い想いなんです。生きようとする想い、大切な者を遺しては逝けない、そんな強い想いで死の淵を乗り越えられる』
高階は熱っぽく司会者に向かって語り、そしてカメラへと顔を向けた。
『本来、人が持っている想いの力というのは本当に大きなものなのです。誰もが、素晴らしい力を持っている。我々が関わって来た引きこもりの人たちっていうのは、それに気づかず、自分の力を知らずに、悩み、迷い、立ち止まっている人たちなんです。そういう人たちに、自分の力を気づかせてあげる。そうすれば、誰だって好き好んで引きこもったりはしないんです』
その語りに、司会者たちは感心したような顔で何度も頷いてみせる。
と、ぷつり、と小さな音がして画面が消えた。麗香が手元のリモコンで電源を切ったのだ。
「……こんな感じよ。表向きはこのテレビで言うように、一見建設的な新興宗教だけれど、黒い噂もちらほら聞こえてくるわ。そこを調査して記事にしたいのはやまやだけれど、どうもけっこうな数の政治家なんかも絡んでいるみたいで、上からのお達しで、月刊アトラスとしては表立って、その暗部を取材できないのよ」
麗香は、既に何も映っていないテレビ画面を睨んで溜息をついた。
「さっきも言った通り、こちらからは大したフォローはできないわ。危険な仕事をお願いするのはとても気が引けるのだけれど、あなたたちにしか頼めないの。どうしても彼の無念を晴らしてやりたいの」
言って、麗香は深々と頭を下げた。普段は見られない鬼編集長の態度に、誰もが一種神妙な顔になる。
「時に、黒い部分というのはどのあたりでしょうか?」
重くなりかけた沈黙を破ったのは、翠だった。相変わらずのひょうひょうとした口調は健在だ。
「ひょっとして洗脳? それとも人体実験?」
さらりとした口調で、翠は実に物騒な言葉を続けた。
「どちらかという洗脳かしら。黒い部分というのはさっきも言った殺人疑惑と、あとやはりカルト化の疑いがある……と言えばいいのかしら。狂信化して暴走しかねない、いえ、ひょっとしたら既に暴走している可能性があるの。具体的にどう、とまでは言えないのだけれど」
「強い想いが時にすごい力を生むことはわかるよ、いい方にも悪い方にも。でも、心のよりどころを変な方に持っていくのは勘弁して欲しいよなぁ」
麗香の言葉に、森羅が腕組みをして、天井をあおいだ。
「時に碇麗香。その『心中相手』とやらの名前は木下朱美といわないか?」
おもむろにクミノが口を開いた。ずいぶんと核心をついたようなその発言に、皆の目が一斉にクミノの方を向く。中でも森羅がぎょっとした顔をしているあたり、彼にも心当たりのある名前なのかもしれない。
「よく知っているわね」
麗香の瞳が鋭さを増した。
「ふむ……。ということはそれは心中ではないな。少なくともその記者が殺されたというのは間違いない」
クミノが表情を変えず、頷く。
「実行犯を公にすることがかなわぬため、不幸にして教唆者に捜査機関の手は及ばなかったということだな……」
「先日、私たちが関わった殺人事件があって」
クミノに代わってシュラインが口を開いた。
「木下朱美さんという方の幽霊が興信所に来たの。殺人現場を目撃したがために彼女自身は殺されてしまったのだけれど、その時にたまたま電話で話していた妹さんも命を狙われているから守って欲しいって。結局、妹さんは無事だったし、犯人も捕縛したのだけれど、その犯人が能力者だったこともあって、後始末はIO2がしたのよ」
つまりは、その木下朱美という女性が目撃した現場で殺害されたのが、麗香の知人のライターで、IO2がこの事件を心中事件として処理した、というのがそもそもの真相だということらしい。
「教祖の名前を知るだけで殺されてしまうなんて……、信じたくはないけれどよほど教祖のことを秘密にしておきたいんですね」
紫桜が深刻な面持ちで口を開いた。
「もしくは、そのライターがまた別のことも掴みはしたけれど伝えられなかったのかもしれませんね」
翠が付け足す。
「あれ? その教祖のカンナギノゾミさんって……、あの神薙老人のひ孫さんも、希美さんっていう名前でしたよね?」
宙をにらんで、ぶつぶつと教祖の名を呟いていたらしい紫桜が、不意に目を瞬かせた。
「ああ、そういえばそうね」
シュラインがそれに頷いている。
「でも、もしそうだとしたら、今までの経緯や他の家族の行方も気になるところですね……」
そう呟いてから、紫桜が思い直したような顔をして、言葉を継いだ。
「ええと、少し前に学校の桜の木の下にたくさんの幽霊が出て『1人足りない』と騒いでいる、という事件があったんです。ふたを開けてみれば、幽霊たちの同窓会だったのですけれど、何でも三途の川が浅くなっていたので、思い入れのある母校の桜の下に集まっていたのだそうです。その同級生の中で、唯一ご存命の神薙さんという方がおられたのですが、その方のひ孫さんが希美さんというお名前でした。ただ、ご両親ともども行方不明なんです。三ヶ月前、山道で事故に遭ったようで、谷底から乗っていた車だけが見つかったとか。その時の幽霊の話では、彼らはまだ『向こう』にはいないということでしたが」
「なーんか、だんだんと怪しい部分が大きくなってきたな。ゴンタの件といい……」
森羅が天井を睨んだ。
「あ、ゴンタってのは、本を書き換える悪戯をする小鬼のことね。そのゴンタがさ、強い思いにあてられて暴走しちゃったってのに出くわしたんだけどさ、その原因となった本がこの教団の出してた本だったってわけ」
どうやら今までに皆が関わって来た事件が、今回のこの教団といろいろと関係があるらしい。
「まあ、要はその教団の黒い部分とやらを探れば良いのだろう?」
かなり探りがいのある相手のようだ。ヴィルアは口元を軽く持ち上げた。
「まあ、行ってみればわかることも多いでしょうしね」
翠がそれに頷いた。
「そのことだけど、私は高階氏の病院の方を当たってみたいのだけれど」
シュラインが機を見計らっていたような風情で口を開いた。
「私はカンナギノゾミの過去情報の方を主に調べたい」
次いで、クミノも教団外の調査を宣言する。
「あ、もし神薙老人に会うのならお手紙を書いておくわね。麗香さん、便せんを頂けるかしら」
シュラインが麗香からそれを受け取り、さらさらと素早く手紙をしたため始める。
「ということは、教団の方に行くのはこの5人になりますね」
その間に、翠は軽く室内を見渡して確認をとった。他の4人は教団に行くつもりだったらしく、皆小さく頷く。
「じゃあ、私は裏方の方が似合ってますので潜入でもしましょうか、ね」
翠がさらりと言う。
「私も潜入派だな」
ヴィルアもそれに頷いた。互いに相手の姿を確認した時から、組んで動く気は満々だ。
「あ、俺も潜入の方が……。インタビューで聞き出せる話術ありませんし」
紫桜は、少し困惑気味の表情を浮かべた。
「あれ? 俺、インタビューにいく人に護衛がてらついてく予定だったのに」
森羅はぱちぱちと目を瞬かせる。
どうやら誰もが、インタビューは他の誰かがやると思っていたらしい。麗香が一瞬目を丸くして、そしてくすくす笑う。
「いっそ、囮を使うというのはどうですか?」
それまでずっと黙っていた静が顔をあげた。夏だというのに幾分青ざめたその顔には、疲労の色がにじんでいる。
「静くん……、顔色悪いわよ? 休んでなくて大丈夫?」
「大丈夫です。夏バテというやつで……」
シュラインの心配に、静は力なく微笑んだ。
「引きこもり役とその他数名で、その教団に直接潜入するんです。引きこもり役は僕がやります……。ちょうど夏バテで顔色悪いし、それに、僕が一番それっぽいでしょ?」
言って、静は少し苦みを帯びた笑いを漏らす。
「けど、静」
「危険は承知です」
森羅が声をあげたのを、静は穏やかに遮った。
「けど、危なくなったらみんなが助けてくれると信じてますから」
「そこまで言うんだったら……。全力で静を守るよ」
「ありがとうございます、弓削さん」
「『森羅』! それからございますはナシ」
「ありがとう、森羅さん」
「『森羅』! さんはつけない」
静の謝辞を、森羅は指突きつけてびしびしといちいち訂正する。
「えと……、ありがとう、森羅」
「はい、合格」
なんだか奇妙な方向に流れ始めたそのやりとりに周囲はくすくす笑う。
「じゃあ、俺友達その1で、しーたんは友達その2で」
森羅がさっさと役割分担を始める。どうやらしーたんというのは紫桜のことらしい。
「じゃあ、私が母親でヴィルアは父親ってとこですかね」
翠がくすくす笑いながら同調した。
「誰が父親だ、誰が」
ヴィルアは渋い顔で言い返した。
「でも、さすがにそれは無理があるかと。せめて若い叔父夫婦とか」
紫桜が真顔で口を挟んむ。
「だからどうして私と翠が夫婦なんだ」
じろり、とヴィルアは今度は紫桜を見返した。
「では、さしずめ私は妹か」
ぼそり、とクミノが漏らした。
結局、シュラインとクミノを先に見送り、残ったメンバーで作戦会議続行、という流れになった。クミノが小型のイヤホンとマイクとを人数分残していってくれたため、情報交換は随時できることになっている。イヤホンは耳にすっぽり入るし、マイクは少し注意して服の裏側につければ、まず人から見られても気づかれまい。しばらくは誰もが物珍しそうにそれをしげしげと眺めたり、いじったりしていた。
ヴィルアもまた、この指先でつまめるくらいの小さな機械をもてあそんだり、ひっくり返したりしてみた。魔術にはそこそこ覚えのあるヴィルアだが、それとはまったく系統の違う技術にも、興味が動かないわけではない。
「で、手順はどうしましょう?」
真っ先に機械の装着を終えた紫桜が口を開いた。
「そうだなー。俺としてはあの高階って人と接触したいね。何か持ち物を失敬できるといいんだけどな」
森羅も名残惜しそうにイヤホンとマイクとをいじるのをやめ、それらを装着した。
「ちょっと……、失敬って」
静が少し驚いたような視線を森羅に向ける。
「いや、ちょっとした能力ってやつでさ。持ち物持ってると相手のことがある程度わかるから、感情とか考えてることとか。場所もわかるし、ナビがわりになるかなって」
森羅が少しきまり悪そうに頭をかいた。紫桜は軽い苦笑を唇に浮かべた。
「この際、構うまい。相手は黒い教団なんだろう?」
今更気にかけるようなことでもないだろう。ヴィルアはしれっと言い放った。
「まあ、この場合はやむを得ないでしょうね」
翠の口調もさらりとしたものだ。
「でも、さっきのビデオでも現役の医師と言ってましたし、いつでも教団の方にいるとは限らないですよね」
紫桜が言うと。
『シュラインよ。一応、小さい情報だけれど伝えるわね』
不意に、耳元から聞き覚えのある声が流れた。さっそくシュラインが連絡を入れてくれたようだ。
『高階氏の勤め先は幸和会病院。数年前から勤めているから、入信当時から所属は変わっていないはずよ。ちょうど明日が高階氏の休診日になっているわ。教団の方にいるんじゃないかしら』
それも、まるでこちらの会話を聞いていたかのような絶妙な内容だ。
静たちは顔を見合わせた。無言のままに、皆が頷き合う。決行は明日だ。
「えーっと、こちら教団突入組の森羅、どうぞ」
好奇心丸出しの顔で、森羅がマイクに向かって語りかける。
「それじゃ、こちらの作戦は明日決行。高階氏のいる時を狙いますね」
絶妙のタイミングで翠が結論を口にした。
「あー、先に言われたー!」
森羅はまるで幼子のように残念そうな声をあげた。
『了解。私も病院へは明日行くことにするわ。高階氏の留守を狙ってね』
イヤホンの向こうの声にくすくすと微笑が混じっていたのは気のせいではないはずだ。
「とりあえず、高階氏から何か失敬するとしたら、少し騒ぎを起こした方がいいですね」
紫桜が真剣な顔でそう口にした。
「じゃあ、私たちはその間に潜入するとしようか」
どさくさにまぎれてなら、潜入もかなり容易になる。ちらりと翠に視線を送ると、翠も頷き返した。万一見張りがいたら騒がれないうちに口を塞ぐことも辞さないヴィルアだが、それでも面倒は1つでも少ない方がいい。
さらに細かいことを詰めたり、今までの事件について話し合っている間に、シュラインから再び通信が入った。
「高階氏、政治家たちの間では『神の腕』と評判らしいわ。家族が大病した時なんか、お世話になっているみたい。それもここ最近のことですって」
特にとある閣僚経験者の妻が最近、大病を患って生死の境を彷徨ったものの、大手術の末に一命を取り留め、さらに目を見張るような順調な回復を見せているらしいという話をシュラインは続けた。
『そのようだな。だいぶ政治家から金が流れている。おそらくは同じく医者つながりだろうが、暴力団関係者からも金が流れているな』
続いてクミノの声も聞こえてくる。
「暴力団とも繋がりが……」
「なーんかどんどんうさんくさくなってくるなぁ。テレビの前では一応いいこと言ってたのにさ」
「呆れたものですね」
そうして、翌日の行動を確認し合い、とりあえず解散した後の夕方、再びクミノから連絡が入った。
『団体に肩入れしていた政治家連中の目的は、おそらく不死だ。具体的な方法までは知らされていないようだがな。それからカンナギノゾミについては裏も表も情報がさっぱりだ。こうなると一般人だと結論づける他なくなってくる。それも低年齢の。明日、神薙老人を当たってみる』
それだけ言うと、クミノからの通信は切れた。
「不死ねぇ……」
ヴィルアはくつくつと笑う。
翌日、翠とヴィルアは、「希望の会」本部を前にしていた。古い診療所を改築したらしいそれは、都心にありながらなかなか広い面積を占め、周りを塀と植え込みに囲われて、うっそうとした雰囲気をまとっていた。
「これなら、騒ぎを起こしてもらわなくても潜入は簡単そうだな」
ヴィルアは呟いた。
「まあ、外壁は簡単でも玄関は閉まってるってことも多いだろうし、ガラス割って侵入、なんてわけにもいかないだろうし、騒いでもらった方が手間ははぶけるね」
翠が軽く肩をすくめる。相棒とも言える仲のヴィルアと2人きりになれば、自然と翠の言葉からよけいな装いがとれていた。
「それはそうだな」
ヴィルアも頷き、2人は身軽に塀を乗り越え、その内側の木蔭に身を隠した。
「さて、どんな『舞台』が出てくるのか、楽しみだな」
「こちら翠。侵入待機完了」
翠がマイクに向かって囁いた。すぐに男子高校生トリオから了解の旨が入る。
やがて、門の外から少年たちの叫び声が聞こえてきた。
「やめろよー、騙したなー、僕はこんなところに入る気はないぞー!」
昨日のあのもの静かな様子から一変、静が大声で叫んでいる。
「ほう、なかなかの役者だな」
ヴィルアは、唇の端を持ち上げた。
「確かにね」
翠もほんのわずか、笑う。
その間にも、2人は物陰を伝って玄関の方へと近づいて行った。
「やめてくれ! 僕のことなんかほっといてくれ」
再び静が大声で叫んだ段になって、玄関のドアが勢い良く開き、中から白衣をまとった男が慌てて飛び出して行った。
それとすれ違い様に、翠とヴィルアは建物の中に滑り込んだ。
玄関を入ってすぐのところは、ロビーのような少し広い空間になっていた。隣の部屋――かつて診察室だったのだろう、それらしき雰囲気が残っている――へと繋がる扉と、奥へと伸びる廊下が1本ある。
この教団の関係者とおぼしき何人かが廊下を時折行き来するが、別に彼らは決まった服を着ているわけでもなく、特有の雰囲気を持っているわけでもない。そのあたりを普通に歩いている人たちが、建物内を普通に歩き回っている。2人がここにいたところで、たいした違和感はなさそうだ。
「これは堂々としていた方がかえって見つからなさそうだな」
ヴィルアが呟くと、翠も頷いた。
少し廊下を行けば、階段が現れた。階上と地下へ、上下両方の階段がある。地下への階段は突き当たりに重厚な扉があり、鍵がかけられているようだった。
「静殿から、更生した子たちが『別人』と入れ替わってないか調べて欲しいと言われてたね」
翠は確認するように囁いた。ああ、とヴィルアもそれに頷く。
ダントツで怪しいのは地下だが、普通の会員がいるのは階上だろう。2人はとりあえず、階段を昇った。
2階に昇れば外からの光も差し込んで、目に快い明るさに満たされていた。かつて病室であったであろう部屋がいくつか並んでいるが、その中からは誰かが数人の前で話しているような声が聞こえてくる。
耳を澄ましてみれば、どうやら、先に立ち直った「先輩」が自分の体験談を聞かせているらしい。
音もさせずにドアを開け、2人は中を覗き込んだ。ヴィルアは前に立つ若者に精神を集中させた。彼に何らかの魔術をかけて別のものを取り憑かせてはいないか、あるいは彼自体、魔術で作られた「ニセモノ」ではないか。
だが、どれほど用心深く見ても、彼の存在に不自然さは見当たらなかった。隣の翠もまた、手で枠を作り、その中から彼を見ていたようだったが、何ら不自然な点は見当たらなかったのだろう、振り向いたその顔は、ヴィルアの結果を求めているようだった。
「魔術の跡も見当たらないな」
ヴィルアは軽く首を振って返事を返す。
「となると、本当にここの教義に共感した……ということになるのかな」
翠は首をひねった。
『シュラインよ。神薙希美さんと高階氏が繋がったわ』
耳元のイヤホンがシュラインの声を運んで来た。
『希美さん親子が事故に遭って運ばれたのが高階氏の勤めていた病院。ご両親はひん死の重傷で、希美さんだけが奇跡的に軽傷だったみたい。そのご両親も、こちらも奇跡的に一命をとりとめて、転院したことになっているわ。そして、教団を設立したのはどうも高階氏本人みたい。代々受け継いできた診療所を改築して本部にしたみたいね。希美さんの一件で、人の想いの強さを知ってっていうのが直接のきっかけみたい。宗教という形にしなければその想いの力を引き出せない、というのが宗教団体を名乗った理由、ということになっているわ。彼自身が教祖だとか代表者だとか名乗らないのは、人を崇拝するような形になるのを避けるためだと周囲には説明しているみたい。少なくとも幸和会病院の看護婦さんたちはそう認識してるわ』
どうやら、麗香の知り合いの記者がつかんだカンナギノゾミという名は、ミーティングで話に上った神薙老人のひ孫であると断定してもよいようだ。
2人は別の部屋も覗いて回ったが、「別人」と入れ替わっているような者は1人も見当たらなかった。
『クミノだ。神薙老人に会って来たが、希美は今年6歳。老人の話を聞く限りだと、どうも生まれつき、治癒だか予知だかの弱い能力を持っているようだな。とはいっても正式な訓練を受けているわけでもないから、その詳細ははっきりとはわからないが。ただ、事故で生命の危機を迎えて、一気に能力が開花した可能性も否めないな。教団を高階が創立したというのなら、あるいは希美は利用されている可能性もあるわけか』
次いで、クミノの報告が入る。彼女の前日の報告、およびシュラインの先ほどの報告と合わせて考えれば、クミノの言う通り「黒幕」は高階だと考えるのが妥当であると思えてくる。
「翠です。『更正した』という子たちを何人か見ましたが、『別人と入れ替わっている』可能性は限りなく低いでしょうね。術を施した跡もなく、魂と容れ物の間にも違和感がありません」
「まあ、引き続き潜入を続けるさ」
周囲に人気がないのを見計らい、2人も報告を入れた。
「さて……、階上にはこれ以上なにもなさそうだな。あとは1階と地下か」
ヴィルアはぺろりと舌なめずりをした。
「七夜に1階は探らせているが、どうも台所他居住空間になっているみたいだ。やはり、地下だな」
翠もそれに頷いて、2人して階段を降り始めた。
そして、あの扉の前に立つ。
「鍵はかかっているな」
念のため、とヴィルアは取っ手を握ってみたが、案の定、それは回りはしなかった。
「これでどうかな」
翠は懐に手を入れると、針金を1本取り出した。
「……陰陽師らしくないぞ」
ヴィルアは翠に半眼を向けた。懐から唐突にものを取り出す彼女の特技は今更突っ込むこともないが、ここは符を使うなりして開ける場面ではないのか。
「気にしない気にしない」
翠の方はしれっとしたものだ。針金を鍵穴に差し込み、何やらこちょこちょやったかと思うと、あっという間にそれを開けてしまった。
開いた扉の先には、さらに薄暗い、細い廊下が続いている。
「この先は、元霊安室、というところだな」
自然と2人の声も低いものになった。
「何か……、異様な気配がするな」
ヴィルアはわずかに口元を歪ませる。この扉を開けてから、何か首筋がちりちりする。それは、何らかの空気の歪みのようなもの。この先に待っているものが敵意あるものかどうかはわからないが、用心に越したことはない。ヴィルアは、いつでも拳銃を抜けるよう、細心の注意をはりめぐらせた。翠もまた、符を数枚、いつでも放てるよう、扇状にして手に握っている。
『ありがとう。こっちは今日新しく入った菊坂静くんだよ』
唐突に、イヤホンから仲間以外の声が聞こえて来た。一瞬戸惑ったものの、すぐにそれがテレビで聞いた高階のものであることを思い出す。
『静お兄ちゃんだね。よろしくね、あたし、神薙希美。お兄ちゃんにもジュースあげるね』
次に飛び込んで来たのは、幼い少女の声だった。
「カンナギノゾミ……」
翠が低く呟き、視線を送って寄越した。ヴィルアも、それに視線だけで返す。状況から考えて、希美と接触した静が、それを皆に伝えようとマイクのスイッチを入れたというところだろうか。
『ほら、かなっただろう? これをただの偶然、あるいはこちらの芝居ととるか、自分の思いの力ととるかは君しだいだよ。でも、どうせならもう一度だけ自分を信じてみたらどうかな? 損をすることはないと思うよ……っと失礼』
高階の声が途切れ、遠くの方で違う誰かと二言三言言葉を交わしているような声が聞こえた。『済まないね、少し急の用事が入ったんだ。適当にこの辺りを見ていてくれないかい? すぐ戻るよ』
イヤホンの向こうでは、どうやら高階が席を外したらしい。しばしの沈黙の後に、今度は静の声が聞こえて来た。
『君が、神薙希美さん?』
『お兄ちゃん、希美のこと知ってるの?』
『ひいおじさんが、お家で待っているよ。一緒に帰ろう』
『うーん、でもパパもママも、ここにいるから……。今の希美のお家はここなの。パパもママも、お怪我が治るまでここにいなくちゃいけないんだって』
静と希美の会話を聞きながらも、2人は用心深く廊下を進んだ。その突き当たりのドアに、手をかける。やはり鍵のかかっていたそれを、翠が先ほどの針金で開けた。
『ね、それよりもお外の話して。お外行くとばい菌がついてきちゃうから、そうしたらパパママに会えなくなっちゃうって先生が言うんだ』
軽く頷き合うと、翠が一気に扉を開けた。2人ほぼ同時に、身構えたまま中に飛び込んむ。そして、次の瞬間、2人ともその場に立ち尽くした。
『お兄ちゃん! 大丈夫? しっかりして』
『静!』
『静さん! 大丈夫ですか?』
イヤホンから聞こえてくる声は、静の身に何か起きていることを示唆していたが、2人にとってはそれどころではなかった。
その暗い部屋の中にいたのは、2人の男女だった。否、かつて人間であったものだった。2人の目からすれば「それら」が本来なら既に生きていないのは明白だった。まるで壊れた人形を修繕したかのように形を整えられたそれらは、なのにゆっくりと、動いていた。その口からは、言葉になりきらない声までもが漏れる。2人の姿を認めたか、それらはぎこちない動きで振り向いた。その瞳には濁った鈍い光が――それでも敵意は認められなかったが――宿っていた。
翠とヴィルアは、思わず顔を見合わせた。どちらからともなく、ゆっくりと首を振る。
『大丈夫? お兄ちゃん』
『大丈夫だよ』
イヤホンの向こうではどうやら一段落ついたようだ。翠がゆっくりとマイクのスイッチを入れた。そうして、今見ている状況をマイクに向かって語り出す。
「翠です。……希美殿のご両親を発見しました。身体的には、既に亡くなられているのですが」
「死体に魂が宿っている……といった状況だな。不完全な蘇生術でも使ったような状態だ。魂の劣化も否めまい」
翠の言葉を、ヴィルアが引き継いだ。
『どうしたんだい? ずいぶんと顔色が悪いけれど』
イヤホンの向こうでは、高階が戻って来たらしい。
『少し立ちくらみを起こしただけです。大丈夫です』
『そうかい。ここで休んでいってもいいけれど、今日はもう帰るかい? 体調が戻れば明日、また来るといい』
『そうします』
どうやら表潜入組は、これにて撤退らしい。
「これは……、神薙希美の能力なのか……?」
ヴィルアは、ゆっくりと瞳を細めた。この状況に、何らかの能力者の力が加わっているのは間違いない。けれど、それは正式な術の手順を踏んでいるとはとうてい思えなかった。
「解放してやるのが情けというべきか……」
翠の声には迷いが含まれていた。先ほどの希美の無邪気な言葉がひっかかっているのだろう。
『希美さんの能力は、おそらく、相手の望みを現実にしてしまうこと……。多分、本人はそれと気づかずに能力を発揮しています』
イヤホンから、再び静の声が聞こえてきた。
『きっと、希美さんは無意識のうちに高階氏の望みをかなえ続けているのでは……』
運ばれて来た瀕死のけが人を助けたいと思った、高階の望みをかなえた結果がこれだというのだろうか。ひょっとしたら希美1人が事故でほとんど無傷で済んだのだって、両親の希望をかなえた結果なのかもしれない。さらに、三途の川が浅くなっているという現象も、高階の死を否定する思いを実現していることによるものなのかもしれない。
『なるほど。そうだとしたら、高階氏が教団を設立した経緯にも納得がいくわね。希美さんの能力に気づいた高階氏がそれをより効率的な形で発揮するために宗教団体を発足させた、と。奇跡を前にすれば人は簡単に傾倒するわ。うまく演出すれば、高階氏の思い通りに、立ち直る若者だって出てくるでしょうね』
思慮深げなシュラインの声がイヤホンの向こうから返ってくる。
「ふむ。しかし、正式な術の手順も踏まずにそれだけの力を発揮しているとなると……」
ヴィルアは眉を寄せた。
「彼女の精神も長くはもたないでしょうね。そちらも退去したようですし、こちらも一時撤退しますね。引き続き、情報を集められるよう手配はしておきますが」
翠が後を引き取り、ちらりと目配せを送って寄越した。彼女の危惧はすぐに知れた。このままでは希美の負担が大きすぎるのは明らかだ。しかし、間違いなく彼女の心のよりどころである両親を、今ここで奪ってしまえば、事態は悪い方にしか転がらないだろう。行動を起こすにはまだ準備が必要だ。
ヴィルアはそれに頷き返し、2人は一時撤退することにした。
『クミノだ。先ほど入った情報だが……、とある裏組織から教団の方にC−4……、俗にいうプラスティック爆弾が流れているな。それも結構な量が』
翠とヴィルアは思わず顔を見合わせた。教団内にはそれらしきものは見当たらなかった。ということは、既にどこかに運び出されていると結論づけるしかない。
「まだまだ幕は降りない、ということか」
ヴィルアは低い声で呟いた。
<了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」】
【5453/櫻・紫桜/男性/15歳/高校生】
【6118/陸玖・翠/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師】
【6777/ヴィルア・ラグーン/女性/28歳/運び屋】
【1166/ササキビ・クミノ/女性/13歳/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【6608/弓削・森羅/男性/16歳/高校生】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは。ライターの沙月亜衣と申します。
この度は、当シナリオへのご参加、まことにありがとうございました。いつものことながら、納品がぎりぎり綱渡りになってしまい、誠に申し訳ございません。
とりあえず、今回は調査という形で、解決すべき問題点をいくつか浮き彫りにした形になりました。次回、決着がつけばいいなと思っております。一応、皆様一度撤退したという立場になっておりますので、次回はお好きな行動をお取り下さいませ。
今回は、調査先がほどほどにばらけたこともありまして、皆様に違うものをお届けしております。が、情報を共有する旨のプレイングを頂いたこともありまして、主要な情報は、皆様に届いております。前後の脈絡等気になる部分があれば、お暇な際にでも他の方の分にも目を通していただければ幸いです。
ヴィルア・ラグーンさま
はじめまして。このたびはご参加まことにありがとうございました。お会いできて非常に嬉しいです。ご覧の通り、なぜか皆様裏方ご希望でしたので、「裏」潜入組としてご活躍いただきました。幸か不幸か、口を塞ぐ見張りはおりませんでしたが……。
翠さんとは相棒とのことですが、どこか夫婦漫才みたいな感じになってしまったような気が……。イメージを損ねていたらまことに申し訳ありません。
ご意見等ありましたら、遠慮なくお申し付け下さい。できるだけ真摯に受け止め、次回からの参考にさせて頂きたいと思います。
それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ、失礼致します。本当にありがとうございました。
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