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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

 ナイトホークが渡してくれた地図には、『大きな蜜柑の木が目印』と赤い文字で書いてあった。
「蜜柑の木…」
 紅葉屋 篤火(もみじや・あつか)はその地図と住所を頼りに小路を歩きながら、蒼月亭で受けた依頼のことを考える。
『俺の知り合いの家なんだけど、何か手伝いが欲しいっていうんで、もし暇なら行ってくれない?バイト代出るし、誰でも出来る簡単な作業って話だし』
 誰でも出来るというのなら、あまり体力などを使うものではないのだろう。だが一体どんなものなのだろうか…そんなことを思っていると、蜜柑の木が見えてきた。それはカラスなどに荒らされているわけでもなく、しっかりとした実が少しずつ色づき始めている。家の周りにの塀からは倉なども見えていおり、かなり古い佇まいだ。
「ごめん下さい」
 玄関の引き戸を開け奥に向かってそう言うと、短髪の黒髪に作務衣を着た長身の男が篤火のいる方にやってきた。
「おや?どんな奴が来るのかと思っていたら『黒猫』だったのか。久しぶりだな」
「太蘭(たいらん)様?」
 奥から出てきたのは、篤火の十年ほど前から知り合いの太蘭だった。古武術や自分の「眼」の能力の使い方を教わったりしていたのだが、二年ほど前から急に旅に出たのか、ずっと連絡が取れなくなっていた。あっけにとられている篤火を見て太蘭が目を細める。
「この辺も様変わりしたし、俺も最近帰ってきたばかりだ。玄関先も何だから、上がってくれ」
 懐かしい知り合いに会ったことで、記憶の扉が急に開き始める。
 玄関を上がると、廊下からは開けっ放しの道場が見えた。知り合った頃はここで受け身などを習ったりしていたのだが、今は使われている気配がない。
 客間に通されると縁側からさんさんと日が入り、日なたで猫たちが固まって寝ている。
 太蘭は慣れた手つきで火鉢にかけていた鉄瓶から急須にお湯を注いだ。お茶請けにぬか漬けが出されているというのが何とも太蘭らしい。
「仕事の依頼が太蘭様だと分かっていれば、酒を持ってきましたのに」
 お互いナイトホークと知り合いだったというのを、今初めて知った。人の縁とは妙なものだというが、こうやって巡り巡って知り合いにぶつかると世界は案外狭いのではないかという気持ちになる。
「それはこっちの台詞だ。黒猫が来るのなら、道場を掃除しておけば良かったな。今は弟子も取っていないから、すっかり埃まみれだ」
 黒猫。
 久しぶりに呼ばれた自分のあだ名が何だかくすぐったい。
 太蘭は篤火のことを出会った時からそう呼んでいる。それは自分を拾った猫のように思っているからなのか、それとも他に意図があるのか分からないが、その呼び方を太蘭自身は気に入っているようだ。
 ややしばらく昔話や、最近篤火がこの界隈で辻占いをしているという話に花を咲かせた後、日本茶をすすりながら篤火は本題に入り始めた。このまま話しているのも楽しいが、今日は手伝いということで呼ばれたのだ。それをせずに帰ってしまってはナイトホークや太蘭に失礼な気がする。
「今日は簡単な手伝いと言われて来たのですが、私は何をしたらよろしいのでしょう。炊事洗濯なんでもお手伝いいたしますが…」
 お茶を湯飲みに足しながら、本題を思い出したかのように太蘭が顔を上げる。
「それか。季節柄漬け物でも漬けようかと思っていたんだが、一人でやるには骨が折れそうなので手伝ってもらおうかと」
 漬け物を漬けるとは。
 そういえば太蘭は基本的に、自分で作れる物は自分で作っていたような気がする。味噌作りをしていたり、果実酒を作ったりと年中何かやっていた。
「漬け物…ですか?」
「ああ。他にも何かしたいことがあるならやってもいいが」
 他にやりたいこと…と言われ、篤火はふと考えた。今は道場の方はやっていないようだが、埃を被ったままなのが気にかかる。別に太蘭がずぼらな性格な訳ではなく、本当に必要最低限の清掃しかしていないのだろう。太蘭がここに帰ってきていることが分かれば、また暇を見ては道場に来るのもいいかもしれない。
「太蘭様の手伝いが終わった後で、道場を掃除してもよろしいでしょうか?」
 それを聞いた太蘭が篤火の方を見て眼を細める。
「そうだな。時間が空いたらたまにはちゃんと清掃するか。相変わらず掃除機のない家だから全て手作業になるが構わんか?」
「それは覚悟しております。では、まいりましょう」

 庭先には大根が何本もスダレ状に縄で結ばれ干されている。漬物用の樽や瓶などが日干しにされているのが見える。
 だが篤火が手渡されたのは、大きい網袋に入った大量のニンニクだった。
「全部皮を剥いて、根の所を包丁で切り落としておいてくれ」
「全部ですか…」
 何キロあるのだろうか。だがそれもまた自分の仕事なので、篤火は丁寧にニンニクの皮をむき始めた。味噌のはいった瓶が近くにあるので、全部味噌漬けにするのだろう。自家製味噌との組み合わせはそれだけで酒が進みそうだ。
「ずいぶんたくさん漬けるんですね」
 篤火がニンニクの皮を剥きながらそう言うと、太蘭は縁側に新聞紙を敷き、糠と塩や唐辛子などを混ぜ込んでいる。
「俺が作った漬け物は評判がいいんでな。近所にお裾分けしたりするのに丁度いい…今日はたくあんとニンニク漬けだが、いい麹を手に入れたから、来週はべったら漬けを作るつもりだ」
 食べる…というよりは、作る方が目的になっているのではないだろうか。太蘭は性格的にそういうところがある。
 表向き刀剣鍛冶師と言っているが、本当に気が向いた時にしか太蘭は刀を作らない。その刀が欲しいと多くの者から頼まれているらしいが、この性格とマイペースさでのらりくらりとかわしている。
「太蘭様は、最近刀を作っておられるのですか?」
「…いや、いい構想が浮かばんから手慰み程度だ。どんな刀を作るかよりも、今年の漬け物が上手く行くかどうかの方が、今の俺にとっては大事だ」
「太蘭様らしいですね」
 今は刀作りよりも、漬け物作りや猫と遊んだりする方が楽しいらしい。それ以上篤火は質問するのをやめた。話したければ話すだろうし、そうでなければ何も言わなくていい。それぐらいの距離感がお互い心地よい。
 ニンニクの皮むきは最初の大きな皮を剥くのは楽だが、薄皮になるとだんだん辛くなる。それを傷つけないように少しずつ剥いてはざるに入れ、また新しいのを剥いていく。元々篤火は右目が弱視なのだが、そういうのを気にされないのはありがたい。指先の感覚が鋭ければ、目でじっくり見なくてもその違和感はちゃんと分かる。
「剥いたニンニクはどうなさいますか?」
「瓶の中に入っている味噌に適当に差し込めばいい。全部入れた後は上から味噌を被せるだけだ…今漬けておけば、二月頃には食べ頃だ」
 漬け物樽にビニール袋を被せ、太蘭はその中に糠や塩をふっては干してあった大根を中に詰め始めた。その光景は何だか日本庭園風の庭と相まって、懐かしさすら感じる風景だ。
 お互い黙々と作業をこなしていると、太蘭がふと顔を上げる。
「黒猫、これを蔵に運ぶのを手伝ってくれ」
「お待ち下さい」
 たくさんの大根が詰められた樽は重く、二人で持って丁度いいぐらいだ。それを蔵に入れると太蘭はそれに木の押し蓋をし、辺りを見回す。
「漬け物石…コレでいいか」
 太蘭が手に取ったのは、どこからどう見ても金塊にしか見えなかった。最初自分をからかっているのだろうと篤火は思っていたのだが、よくよく考えたら太蘭は冗談言うような人間じゃない。しかしあまりにも無造作に置かれているので、それが金塊だと理解するまでに一瞬時間がかかる。
「太蘭様…そういう高価な物は蔵に置かない方がよろしいかと思いますが」
「戦後のどさくさに手に入れたんだが、平らなので漬け物石に丁度良くてな。金は柔らかくて刀には使えんから、別にいいだろう」
「そういう問題では…」
 いや、太蘭はあくまで真面目なのだろう。
 仮に泥棒がこの家に入ったとしても、太蘭に見つかればこの家から生きて出ることは出来ない。『Eyes Tyrant』…その瞳に力を持ち、人を喰らう魔物…それが太蘭の正体だ。その話をされた時に篤火は質問したことがある。「今、人を喰らわないのは何故ですか?」…と。
 答えは至極簡単だった。
 太蘭にとって人とは「一番手に入りやすい食料」だっただけで、別に人を喰わなければ生きていけないというわけではないらしい。それに関してこんな事を言われた事がある。
「鯨肉と同じで別に食わなくても生きていけるが、たまに食いたいと思う程度の物だ。それに今は人を狩らなくても、その辺で美味い物がいくらでも売ってる」
 だがそれに続けてこうも言った。
「まあ、チャンスがあれば食うだろうがな。例えば…家に泥棒に来た運の悪い奴とか」
 それは本心だったのだろうか。
 篤火はそれに関して深く追求する気も、目で視る事もしない。ただ太蘭はそういう人間なのだと思うだけだ。
 たくあんを漬けた樽を蔵に運び入れると、今度はニンニクの皮むきを黙々とやり始める。
「何だかこういうのも久しぶりです」
 誰かと並んで何かを作る。
 しかもそれは今すぐ食べられる物ではなく、時間をかけて美味しくなる物だ。秋の日差しが差し込む縁側はぽかぽかと暖かく、何だかのどかな気持ちになってくる。
「そうだな。黒猫が近くに住んでいると分かれば、今度から色々と手伝ってもらおうか…押型の整理や、骨董品の虫干しなど、猫と遊ぶのに忙しくて一人じゃ追いつかん」
 近くに寄ってきた猫を撫でながら太蘭がふっと笑い、篤火も同じように微笑む。
「太蘭様は人使いが荒いんだかなんだか分かりませんね…」

 大量のニンニクを全て味噌に漬け込んだ後、今度は道場の掃除に取りかかった。埃が落ちてくるので、天井から順に少しずつ汚れを落としていく。
「やっぱり茶殻とほうきなんですね」
「流石に洗濯機は買ったが、掃除だけならこれで充分だからな」
 床に茶殻を撒いてほうきがけをするのは昔から変わっていない。篤火がここに通っていた頃も全く同じだ。
「………」
 ふとほうきを動かしていると、篤火は太蘭の背中ががら空きなのを発見した。昔は手加減してもらっても一本取れなかったが、今なら隙をつけるだろうか…つい悪戯心がそそられ、そっと持っているほうきを構え、突きを繰り出す。
「甘いな、黒猫…だが、突きのキレは良くなった」
 カン!と竹がぶつかる音と共に、篤火の持っていたほうきが飛ばされた。持っていたほうきを逆手に構え、太蘭は篤火が突きを出すと共に振り返り、それを横になぎ払ったのだ。それは水のように静かな動きで、空気すら揺れてはいない。
「油断していると思ったのですが…」
 びりびりと手に伝わる振動に、篤火は苦笑いをしながら飛ばされたほうきを拾いに行く。
 自分も出会った頃よりは、かなり力を付けたはずだ。だが、太蘭も同じように更に力を付けている。それが篤火が太蘭を「様づけ」で呼ぶ理由なのだ。どんなに己を極めても、それに満足しない姿…それは十分尊敬に値する。
「俺を油断させるなら、もう少し別の所での方がいいな。道場にいる間は目を瞑っていても、相手の動きが分かる」
「そうでしたね。すっかり失念しておりました」
 自分もまだまだ甘い。久々の再会だからといって、手加減してくれるような相手ではないのに、つい懐かしさで調子に乗ってしまった。
「さて、日が暮れる前に終わらせるぞ」
 しばらく掃除をし、ぬか袋で仕上げ拭きをすると、道場は見違えるようにきれいになった。その様子が分かったのか、この家に来た時は道場の中に入っていた猫たちも、今は入り口からそっと中を覗き込むだけだ。
 そんな猫たちに近づきながら太蘭がスッとしゃがむ。
「黒猫、道場も掃除したからまたいつでも来い。どうせ悠々自適の生活だ、暇はいくらでもある」
「そうですね…また暇を見て通いに来ましょうか」
 今までも自分の力を使ってはいたが、それを研ぎ直すのはいいかも知れない。
 今持っている力でも自分には余るぐらいだが、それをより上手く使えるようにしたいと思うなら、やはり師についた方がいいだろう。
「次に来る時は酒を持ってまいりましょう」
「…酒もいいが、これからの季節なら蜜柑だな」
 そうだった。
 しばらく会っていなかったので忘れていたが、太蘭の大好物は酒より蜜柑だ。それを聞いた篤火が思わずくすっと笑う。
「蜜柑を食べている時なら、太蘭様の隙がつけましょうか」
「食い物の恨みは恐ろしいから、後々まで祟るぞ」
 それは流石にやめておこう。命は惜しいし、蜜柑の代わりに食われるのはあまりにも馬鹿馬鹿しい。
「さて、茶にでもするか、黒猫。手伝いの報酬も払わねばな」
 灯りを消し、道場の扉を閉める。猫たちが太蘭の足下をついて回る。
 その背中を見ながら篤火はこう返事をした。
「はい。太蘭様」

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6577/紅葉屋・篤火/男性/22歳/占い師

◆ライター通信◆ 
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
太蘭とは十年来の知り合いというプレイングでしたので、こんな感じで普通の仕事をしていただきました。主に漬け物作り…何というか渋い仕事です。
古武術というところが繋がっていそうなので、そういうイメージで書かせていただきました。眼の能力も繋がってますね。
リテイク、ご意見は遠慮なくお願いします。
またご参加下さいませ。