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想い深き流れとなりて 〜4、そは聖者か狂人か
「わざわざ来てくれてありがとう」
アトラス編集部の一室で、口を開いた碇編集長の顔は硬いものだった。
麗香から「希望の会」という宗教団体について調べて欲しいというメールがきたのはつい先日のこと。
「希望の会」というのは、まあどこにでもあるような新興宗教団体で、自分の力に自信を持たせることで、人を前向きにし、実際、何人もの引きこもりの若者たちを立ち直らせていることで最近よく話題になっている。
しかし、その一方で、表に出るのは教団のスポークスマンに当たる人物ただ1人であり、他の幹部は誰か、どうやって若者たちを立ち直らせているのかなど謎の部分が多い。さらに、裏では黒い噂も絶えないとか。
麗香の知り合いのフリーのジャーナリストが、その暗部に迫るべく取材を繰り返していたようなのだが、全く表に出ない教祖の名が「カンナギノゾミ」だと麗香に伝えた後、消息を絶ち、そして女性と共に遺体で発見された。表向きには心中事件として処理されたそれを、麗香は納得できず、また、月刊アトラスとして公然と取材することはできないので、協力者を募りたい、というのがそのメールの概要だった。
先日関わった小鬼の暴走事件で、そのきっかけとなった本が「希望の会」のものであった、ということもあり、シュライン・エマは一も二もなく麗香の頼みを承諾したのだった。
麗香はかなりたくさんの相手に協力を頼んだらしく、集まったのはシュラインと、シュラインが声をかけたササキビクミノの他に、菊坂静(きっさかしずか)、櫻紫桜(さくらしおう)、弓削森羅(ゆげしんら)、陸玖翠(りくみどり)、ヴィルア・ラグーンの総勢7名となった。
既に互いの自己紹介は済ませ、麗香の話の続きを待つばかり、という状況だった。
「お願いしたいことはメールでお知らせした通りよ。参考になるかと思うのだけれど、これも見てくれるかしら」
実に簡潔に言うと、麗香は手元のリモコンを操作した。お世辞にも大きいとは言えないテレビの画面にワイドショーとおぼしき番組の1シーンが映る。
3人ほどのキャスターと向かい合うようにして、ゲストとおぼしき初老の男が座っている。画面にテロップで、「宗教団体希望の会広報担当 高階幸宏氏」と紹介が流れた。
『こんにちは。今日は、最近話題の宗教団体、希望の会の高階さんに来て頂きました。高階さんは、現役の外科医としても活躍なされている一方で、教団でも中心人物として精力的に活動なさっておられます』
司会者が、画面に向かってしかつめらしく挨拶をした後で、ゲストの男、高階に会釈をした。高階も軽く頭を下げてそれに返す。
『希望の会では、何人もの引きこもりの若者を更正させたと聞いています。何が、その秘訣なのでしょうか』
あの粘り着くような独特の視線をゲストに向け、司会者は高階にマイクを譲った。
『私は長年、医師として仕事をしていく中で、いろいろな患者さんと出会いました。中には、大けがを負ったり、大病をされて、まず助からないだろうな、というような方も大勢おられる。けれど、そんな中でも、生還される方はおられるんですね。もう、奇跡としか言いようがない。そういう人たちに共通するのは、みな、強い想いなんです。生きようとする想い、大切な者を遺しては逝けない、そんな強い想いで死の淵を乗り越えられる』
高階は熱っぽく司会者に向かって語り、そしてカメラへと顔を向けた。
『本来、人が持っている想いの力というのは本当に大きなものなのです。誰もが、素晴らしい力を持っている。我々が関わって来た引きこもりの人たちっていうのは、それに気づかず、自分の力を知らずに、悩み、迷い、立ち止まっている人たちなんです。そういう人たちに、自分の力を気づかせてあげる。そうすれば、誰だって好き好んで引きこもったりはしないんです』
その語りに、司会者たちは感心したような顔で何度も頷いてみせる。
と、ぷつり、と小さな音がして画面が消えた。麗香が手元のリモコンで電源を切ったのだ。
「……こんな感じよ。表向きはこのテレビで言うように、一件建設的な新興宗教だけれど、黒い噂もちらほら聞こえてくるわ。そこを調査して記事にしたいのはやまやだけれど、どうもけっこうな数の政治家なんかも絡んでいるみたいで、上からのお達しで、月刊アトラスとしては表立って、その暗部を取材できないのよ」
麗香は、既に何も映っていないテレビ画面を睨んで溜息をついた。
「さっきも言った通り、こちらからは大したフォローはできないわ。危険な仕事をお願いするのはとても気が引けるのだけれど、あなたたちにしか頼めないの。どうしても彼の無念を晴らしてやりたいの」
言って、麗香は深々と頭を下げた。普段は見られない鬼編集長の態度に、誰もが一種神妙な顔になる。
「時に、黒い部分というのはどのあたりでしょうか?」
重くなりかけた沈黙を破ったのは、翠だった。さっぱりとした中性美人の彼女は、相変わらずひょうひょうとしていて、その口調がとても心強い。
「ひょっとして洗脳? それとも人体実験?」
さらりとした口調で、翠は実に物騒な言葉を続けた。
「どちらかという洗脳かしら。黒い部分というのはさっきも言った殺人疑惑と、あとやはりカルト化の疑いがある……と言えばいいのかしら。狂信化して暴走しかねない、いえ、ひょっとしたら既に暴走している可能性があるの。具体的にどう、とまでは言えないのだけれど」
「強い想いが時にすごい力を生むことはわかるよ、いい方にも悪い方にも。でも、心のよりどころを変な方に持っていくのは勘弁して欲しいよなぁ」
麗香の言葉に、森羅が腕組みをして、天井をあおいだ。
「時に碇麗香。その『心中相手』とやらの名前は木下朱美といわないか?」
おもむろにクミノが口を開いた。シュラインにもその予感があったからこそ、木下朱美殺害事件で犯人の捕縛にあたったクミノに声をかけたのだが。
森羅がぎょっとした顔をクミノに向け、他の面々も少し不思議そうな顔を寄せる。ただ、静だけが軽く目を閉じて俯いていた。
「よく知っているわね」
麗香の瞳に鋭い光が宿る。
「ふむ……。ということはそれは心中ではないな。少なくともその記者が殺されたというのは間違いない」
クミノが表情を変えず、頷く。
「実行犯を公にすることがかなわぬため、不幸にして教唆者に捜査機関の手は及ばなかったということだな……」
「先日、私たちが関わった殺人事件があって」
クミノに代わり、シュラインは当の殺人事件について簡単に皆に説明した。
「木下朱美さんという方の幽霊が興信所に来たの。殺人現場を目撃したがために彼女自身は殺されてしまったのだけれど、その時にたまたま電話で話していた妹さんも命を狙われているから守って欲しいって。結局、妹さんは無事だったし、犯人も捕縛したのだけれど、その犯人が能力者だったこともあって、後始末はIO2がしたのよ」
そのIO2が、事件を隠蔽するために心中事件とした処理した、というのがその後の流れのようだ。
「教祖の名前を知るだけで殺されてしまうなんて……、信じたくはないけれどよほど教祖のことを秘密にしておきたいんですね」
紫桜が深刻な面持ちで口を開いた。
「もしくは、そのライターがまた別のことも掴みはしたけれど伝えられなかったのかもしれませんね」
翠が付け足す。
「あれ? その教祖のカンナギノゾミさんって……、あの神薙老人のひ孫さんも、希美さんっていう名前でしたよね?」
宙をにらんで、ぶつぶつと教祖の名を呟いていたらしい紫桜が、不意に目を瞬かせた。
「ああ、そういえばそうね」
シュラインはシュラインで、カンナギという名字は、神の降りる木の神薙ともとれるし、死神を払うにかけているようにもとれるし、巫部のような名だと考えていたところだった。
「でも、もしそうだとしたら、今までの経緯や他の家族の行方も気になるところですね……」
そう呟いてから、紫桜が思い直したように、学校の幽霊に関わっていない人たちに経過を説明した。
「なーんか、だんだんと怪しい部分が大きくなってきたな。ゴンタの件といい……」
森羅が天井を睨んだ。そして、慌ててゴンタの一件の説明を付け足した。
「まあ、要はその教団の黒い部分とやらを探れば良いのだろう?」
今までわずかに口元をつり上げながら話を聞いていたヴィルアが、不敵な顔である意味身もふたもない総括をする。黒いスーツに身を包み、やはり黒ネクタイを緩めに締めた長身の外見は、一見して男に見えるが、れっきとした女性だと先ほど聞いたところだ。
「まあ、行ってみればわかることも多いでしょうしね」
翠がそれに頷いた。どうやら、この2人、どことなくペースが合うようだ。
「そのことだけど、私は高階氏の病院の方を当たってみたいのだけれど」
話が本題に入ったのを察して、シュラインは口を開いた。どうしても病院関係が気になるのだ。教祖のカンナギノゾミがあの神薙老人のひ孫だとしたらよけいに病院が関わっている可能性が濃くなってくるし、それにもし空振りに終わったとしても、これだけの人数が揃っているなら、教団は他の人に任せても大丈夫だろう。
「私はカンナギノゾミの過去情報の方を主に調べたい」
続いてクミノもまた、教団外の調査を宣言した。
「あ、もし神薙老人に会うのならお手紙を書いておくわね。麗香さん、便せんを頂けるかしら」
シュラインの求めに、麗香がすばやく上質の便せんと封筒、ついでに万年筆まで出してくれた。シュラインは礼を言ってそれを受け取り、素早く老人宛の頼りをしたためた。
「ということは、教団の方に行くのはこの5人になりますね」
その間に、翠は軽く室内を見渡して確認をとった。他の4人は教団に行くつもりだったらしく、皆小さく頷く。
「じゃあ、私は裏方の方が似合ってますので潜入でもしましょうか、ね」
「私も潜入派だな」
翠がさらりと言うと、ヴィルアも短く頷いた。
「あ、俺も潜入の方が……。インタビューで聞き出せる話術ありませんし」
紫桜は、少し困惑気味の表情を浮かべた。
「あれ? 俺、インタビューにいく人に護衛がてらついてく予定だったのに」
森羅はぱちぱちと目を瞬かせる。
どうやら誰もが、インタビューは他の誰かがやると思っていたらしい。麗香が一瞬目を丸くして、そしてくすくす笑う。
「いっそ、囮を使うというのはどうですか?」
それまでずっと黙っていた静が顔をあげた。夏だというのに幾分青ざめたその顔には、疲労の色がにじんでいる。もともと、丈夫な印象からは遠い静だが、それでもつい先日会った時にはここまでではなかったはずだ。
「静くん……、顔色悪いわよ? 休んでなくて大丈夫?」
「大丈夫です。夏バテというやつで……」
シュラインの心配に、静は力なく微笑んだ。
「引きこもり役とその他数名で、その教団に直接潜入するんです。引きこもり役は僕がやります……。ちょうど夏バテで顔色悪いし、それに、僕が一番それっぽいでしょ?」
その言葉に、一同は思わず互いの顔を見比べた。確かに、紫桜と森羅は血色もよく、高校生活を謳歌している健全な少年にしか見えないし、翠とヴィルアはその真意が読みにくいながら、どちらもひょうひょうとしていて、とても引きこもるようなタイプでもない。となると、失礼ながら本人の言う通り、静がもっとも適任なのかもしれない。
「けど、静」
「危険は承知です」
森羅が声をあげたのを、静は穏やかに遮った。
「けど、危なくなったらみんなが助けてくれると信じてますから」
「そこまで言うんだったら……。全力で静を守るよ」
「ありがとうございます、弓削さん」
「『森羅』! それからございますはナシ」
「ありがとう、森羅さん」
「『森羅』! さんはつけない」
静の謝辞を、森羅は指突きつけてびしびしといちいち訂正する。
「えと……、ありがとう、森羅」
「はい、合格」
そのやりとりに周囲はくすくす笑う。紫桜だけは身に覚えがあるのか、苦みを含んだ笑みだったが。
「じゃあ、俺友達その1で、しーたんは友達その2で」
森羅がさっさと役割分担を始める。
「じゃあ、私が母親でヴィルアは父親ってとこですかね」
翠がくすくす笑いながら同調した。
「誰が父親だ、誰が」
ヴィルアが渋い顔で返す。
「でも、さすがにそれは無理があるかと。せめて若い叔父夫婦とか」
紫桜は真顔で口を挟んだ。
「だからどうして私と翠が夫婦なんだ」
じろりとヴィルアが紫桜を睨む。
「では、さしずめ私は妹か」
ぼそり、とクミノが漏らした。
結局、あの場を皆にまかせ、シュラインは一足先に編集部を出た。
さっそく知人の政治部記者へと電話をかける。ここ最近で入院して持ち直した政治家がいないかを聞くのが目的だ。
電話に出てくれた彼女の話によると、特に当てはまる政治家はいないように思われるが、とりあえず調べてみるという返事だった。
シュラインは礼を言って電話を切り、次に書店に向かった。教団出版の本を買うと、今度はネットカフェに向かう。
本とネット上の情報から、シュラインは教団と高階の経歴を調べた。
どうやら、教団が設立されたのはつい2ヶ月ほど前。そして、高階の勤務先の病院はここ数年変わっていない。
「幸和会病院、か……」
シュラインは手帳に病院の名前と住所を書き留め、高階の勤務日を確認した。どうやら今日は勤務日だが、明日は非番のようだ。今は他に勤務先を持っていないようだから、彼はおそらく教団の方にいるのだろう。
さっそくシュラインはそれを他の調査員たちにも伝えることにした。シュラインが出てくる前に、クミノが、全員が同時に情報を共有できるように、と小型のイヤホンとマイクを渡してくれたのだ。イヤホンはすっぽりと耳の中に収まり、マイクも服の内側につければ、人前に出てもそれと気づかれないようになっていて、なおかつ高性能だという。その機械のちょうど良いテストにもなるはずだ。
「シュラインよ。一応、小さい情報だけれど伝えるわね。高階氏の勤め先は幸和会病院。数年前から勤めているから、入信当時から所属は変わっていないはずよ。ちょうど明日が高階氏の休診日になっているわ。教団の方にいるんじゃないかしら」
『えーっと、こちら教団突入組の森羅、どうぞ』
しばしの後に、イヤホンから少し上ずった森羅の声が入って来た。シュラインの聴覚が優れていることを差し引いても、かなり聞き取りやすい。高性能だというのはだてではないらしい。
『それじゃ、こちらの作戦は明日決行。高階氏のいる時を狙いますね』
『あー、先に言われたー!』
翠のすました声の後に、森羅が不満げに叫んだ。
「了解。私も病院へは明日行くことにするわ。高階氏の留守を狙ってね」
シュラインは微笑まじりに返事を返した。
さて、明日はどうでるべきかと計画を練っていたところに、先ほどの記者から電話がかかってきた。やはり、当てはまる政治家はいないようだが、閣僚級の政治家の妻が大病を煩い、生死の境を彷徨ったものの、大手術の末に一命を取り留め、さらに目を見張るような順調な回復を見せているという。
「その方の入院先はわからないかしら? あと、変わった見舞客が来たとか、闘病中に誰かがどこかにお参りにいったり祈祷にいったり、とかいう話は聞いてない?」
シュラインはさらに細かな質問を重ねた。
「さあ……。そういう変わった話は聞いてないわね。入院先は幸和会病院よ」
「幸和会病院? もしかして、その方の主治医って……」
「ええ、今話題の高階幸宏氏よ。政治家たちの間じゃ、神の腕って密かに囁かれているみたい。家族に何かあったときには、真っ先に駆け込む先にあがっているらしいわ。それもここ最近、急に。だから、あまり外には知れていないようなのだけれど」
「そう……、ありがとう。また変わったことや気づいたことがあれば教えてちょうだい」
シュラインは丁寧に礼を述べると、電話を切った。さっそく仲間内に今の情報を伝える。
「高階氏、政治家たちの間では『神の腕』と評判らしいわ。家族が大病した時なんか、お世話になっているみたい。それもここ最近のことですって」
続けて、シュラインは閣僚経験者の妻の話も皆に聞かせた。
『そのようだな。だいぶ政治家から金が流れている。おそらくは同じく医者つながりだろうが、暴力団関係者からも金が流れているな』
クミノも教団関係を洗っていたのだろう、すぐに応答がきた。イヤホンの向こうからは各人それぞれの溜息が聞こえてくる。
そして、数時間後、そろそろ夏の長い日も傾こうかという頃、再びクミノから通信が入った。
『団体に肩入れしていた政治家連中の目的は、おそらく不死だ。具体的な方法までは知らされていないようだがな』
いつの世も権力者の考えることは同じだ。シュラインは軽く眉を寄せた。
それにしても「不死」。ゴンタの事件の時の「死を否定する」という想いとも通じる部分がある。もし、それと三途の川が浅くなっているということの繋がりがあるとしたら。
『それからカンナギノゾミについては裏も表も情報がさっぱりだ。こうなると一般人だと結論づける他なくなってくる。それも低年齢の。明日、神薙老人を当たってみる』
それだけ言うと、クミノからの通信は切れた。
翌日、シュラインは幸和会病院へと向かった。見舞客を装うための花束も忘れない。案内板で外科病棟を確かめる、そこに足を運ぶと、まずシュラインは遠目に看護士の詰め所を伺った。人待ちをする風を装いながら、中の看護士を1人1人物色する。
できれば、古くから勤めており、いろんな「裏話」を知っていそうで、なおかつおしゃべり好きなのがいい。
しばらく観察を続けた後で、シュラインは1人の看護士に狙いを定めた。その看護士が受付の前を通ったのを見計らい、声をかける。
「あの、すみません」
「はい?」
見込み通り、看護士は人の良さそうな笑みを向けた。
「今日って……、高階先生お休みなんですね」
担当表を指し、シュラインは困惑げに小首を傾げた。
「ええ、今日はこちらには来てないのよね」
「そうですか……。2、3ヶ月くらい前に知り合いがお世話になったから、お見舞いついでにご挨拶したかったのだけれど……」
シュラインは首をひねって残念がってみせた。
「ええ、ごめんなさいねぇ」
看護士もまた、首をひねって眉尻を下げた。
「その時の知り合い、カンナギノゾミっていうのだけれど、ご存知?」
言うだけ言ってみるか、とシュラインはノゾミの名を出してみた。
「あら、あなた希美ちゃんのお知り合いなの? 本当によかったわねぇ、希美ちゃん」
が、意外にも看護士はぱっと顔を輝かせた。
シュラインはそれに合わせて微笑みながら頷いた。思いもかけずの大当たりだが、いい加減なことを言ってしまえば全てぶちこわしになってしまう。さて、どう出たものか。
「本当、あれはびっくりしたわぁ。あの大事故なのに、希美ちゃんはほんのかすり傷程度で助かって。お父さんとお母さんももう即死でもおかしくないくらいの大怪我だったのに、お父さん、ご自分で救急車を呼んだって言うじゃない」
だが、何も言わずとも看護士は話を続けた。珍しい体験をしたなら、誰かに話したくなるのは人の常。それが守秘義務にあたる立場の人間ならなおさらだ。シュラインは静聴を決め込み、時折相づちを打ってみせた。
「ここに運ばれて来た時も、正直、もうダメだって思ったわ……。ええ、誰もがもうダメねって言ってたもの。小さい子を遺してかわいそうにって。でも高階先生、諦めなくてね……。びっくりしたわ、お父さんもお母さんも一命を取り留めて。でも、やっぱり怪我は重いから別の病院に転院していったけれど」
看護士の話はだんだんと熱を帯びていった。話を聞く限り、希美の両親が助かったのは、本当に奇跡のようなものらしい。
「高階先生、本当に素晴らしい腕をお持ちなんですねぇ。本業だけでもお忙しいでしょうに、最近話題の教団の方でも頑張っていらっしゃるなんて」
シュラインはさりげなく、教団の方へと話を振った。
「ええ、あの先生は人を救うことに熱心だからねぇ。希美ちゃんの件で、人を救うためには強い想いの力が必要だって、それを引き出すには医療じゃダメだ、宗教だって言ってあんな団体立ち上げちゃったんだから」
「え? あの宗教って高階先生が作られたのですか? テレビでは広報担当って……」
看護士の言葉を聞きとめて、シュラインは聞き返した。それが本当だとしたら、高階は「入信」したのではなく、れっきとした「創始者」だということになる。
「ああ、あれはね、自分が教祖とか代表とか名乗ったら、自分を崇拝させてしまうみたいになるでしょ? 人を崇拝するようじゃいけないって言ってああしてるみたいなの。代々受け継いだ立派な診療所があるのに、それを改築して本部にしちゃって、ねぇ」
「そうですか……。とりあえず、また出直します。ありがとうございました」
シュラインは丁寧に礼を述べると、病室の方へと歩き――何せ今のシュラインは「見舞客」なのだから――、頃合いを見計らって病院の外に出た。
「シュラインよ。神薙希美さんと高階氏が繋がったわ」
さっそく、マイクを通じて仲間たちに先ほどの話を報告する。シュラインが病棟についた頃、潜入組から潜入成功の知らせが届いていた。
結局、「引きこもり少年」静の付き添いは、友人である紫桜と森羅。翠とヴィルアは、彼らが教団を訪れたその隙に、こっそりと忍び込むことになったらしい。どちらの組も、今頃は教団内部でいろいろと探っていることだろう。わかったことは早めに報告するに越したことはない。
教団組からは返事は返ってこなかったが、シュラインは構わず話を続けた。何か作業をしているからといって聞き漏らすようなメンバーでもない。
「希美さん親子が事故に遭って運ばれたのが高階氏の勤めていた病院。ご両親はひん死の重傷で、希美さんだけが奇跡的に軽傷だったみたい。そのご両親も、こちらも奇跡的に一命をとりとめて、転院したことになっているわ。そして、教団を設立したのはどうも高階氏本人みたい。代々受け継いできた診療所を改築して本部にしたみたいね。希美さんの一件で、人の想いの強さを知ってっていうのが直接のきっかけみたい。宗教という形にしなければその想いの力を引き出せない、というのが宗教団体を名乗った理由、ということになっているわ。彼自身が教祖だとか代表者だとか名乗らないのは、人を崇拝するような形になるのを避けるためだと周囲には説明しているみたい。少なくとも幸和会病院の看護婦さんたちはそう認識してるわ」
しばしの後に、今度はクミノから通信が入った。
『クミノだ。神薙老人に会って来たが、希美は今年6歳。老人の話を聞く限りだと、どうも生まれつき、治癒だか予知だかの弱い能力を持っているようだな。とはいっても正式な訓練を受けているわけでもないから、その詳細ははっきりとはわからないが。ただ、事故で生命の危機を迎えて、一気に能力が開花した可能性も否めないな。教団を高階が創立したというのなら、あるいは希美は利用されている可能性もあるわけか』
やはり、「神薙」という名字は巫に繋がるものだったのかもしれない。希美に何らかの能力があるのなら、それは家系的なものなのだろうか。
また、そのことと、生存を絶望視された希美の両親が助かったことと、何らかの関係があるのだろうか。それに目を付けた高階が、希美を利用するために教団を設立した、ということなのかもしれない。
『翠です。『更正した』という子たちを何人か見ましたが、『別人と入れ替わっている』可能性は限りなく低いでしょうね。術を施した跡もなく、魂と容れ物の間にも違和感がありません』
『まあ、引き続き潜入を続けるさ』
次いで入って来たのは、翠とヴィルアからの報告だった。
「希美さんの能力、ご両親の生還、政治家関係者の高階医師への信頼、2ヶ月足らずの間にあげた目覚ましい実績、『人の想い』の力、そして、不死……。三途の川が浅くなっている、というのは不死とほぼイコールで結ぶとして」
シュラインは今回のキーワードと思われる言葉を、次々に手帳に書き付けた。どれも微妙に繋がりそうで、それでいてはっきりとした線は見えてこない。
「やっぱり希美さんの能力がわからないと、この繋がりが見えてこないわね」
小さく呟いた時。
『ありがとう。こっちは今日新しく入った菊坂静くんだよ』
唐突に、イヤホンから高階の声が聞こえてきた。なぜ、とシュラインは一瞬、耳を押さえて動きを止める。が、次の瞬間、疑問はすぐに氷解した。
『静お兄ちゃんだね。よろしくね、あたし、神薙希美。お兄ちゃんにもジュースあげるね』
それは、幼い少女の声だった。ちょうどクミノが報告してきた年頃の。状況から考えて、希美と接触した静が、その会話を皆に伝えようとマイクのスイッチを入れたというところだろうか。
『ほら、かなっただろう? これをただの偶然、あるいはこちらの芝居ととるか、自分の思いの力ととるかは君しだいだよ。でも、どうせならもう一度だけ自分を信じてみたらどうかな? 損をすることはないと思うよ……っと失礼』
高階の声が途切れ、遠くの方で違う誰かと二言三言言葉を交わしているような声が聞こえた。『済まないね、少し急の用事が入ったんだ。適当にこの辺りを見ていてくれないかい? すぐ戻るよ』
イヤホンの向こうでは、どうやら高階が席を外したらしい。しばしの沈黙の後に、今度は静の声が聞こえて来た。
『君が、神薙希美さん?』
『お兄ちゃん、希美のこと知ってるの?』
『ひいおじさんが、お家で待っているよ。一緒に帰ろう』
『うーん、でもパパもママも、ここにいるから……。今の希美のお家はここなの。パパもママも、お怪我が治るまでここにいなくちゃいけないんだって』
シュラインは全神経を耳に集中させながら、手帳に素早くその内容を書き留めた。「転院した」はずの希美の両親が教団本部にいる。そして、「怪我が治っていない」らしい。
『ね、それよりもお外の話して。お外行くとばい菌がついてきちゃうから、そうしたらパパママに会えなくなっちゃうって先生が言うんだ』
どうやら、希美の両親は、希美を教団の建物内に閉じ込めておくための手段でもあるようだ。希美たち一家の事故の知らせが神薙老人に届いていないことを考えても、高階が彼らを世間から隠そうとしているのは明白だった。
けれど、なぜ隠そうとするのだろう。奇跡的な生還を果たした例として大々的に公表すれば、高階の医師としての名声も高まるし、教団のアピールにもなろうというのに。
『お兄ちゃん! 大丈夫? しっかりして』
『静!』
『静さん! 大丈夫ですか?』
と、突然イヤホンの向こうが騒がしくなった。静の身に何かあったのだろうか。ざわりとシュラインの胸に不安がわき起こったが、駆けつけるわけにもいかない。シュラインは、祈るような気持ちで耳に神経を集中させた。
『大丈夫? お兄ちゃん』
『大丈夫だよ』
どうやら向こうは一段落ついたらしい。シュラインは、そっと胸をなで下ろした。
が、そのすぐ後に告げられたのは、衝撃的な情報だった。
『翠です。……希美殿のご両親を発見しました。身体的には、既に亡くなられているのですが』
『死体に魂が宿っている……といった状況だな。不完全な蘇生術でも使ったような状態だ。魂の劣化も否めまい』
翠も、その言葉を引き継いだヴィルアも、淡々とした口調ではあったが、その内容にシュラインは目を閉じて、大きく息をついた。
これで希美の両親を高階が隠そうとしていることの説明はついた。後は、なぜそういう事態に陥ったか、ということだ。
『どうしたんだい? ずいぶんと顔色が悪いけれど』
イヤホンの向こうでは、静のところに高階が戻って来たらしい。
『少し立ちくらみを起こしただけです。大丈夫です』
『そうかい。ここで休んでいってもいいけれど、今日はもう帰るかい? 体調が戻れば明日、また来るといい』
『そうします』
どうやら男子高校生トリオはこれで引き上げてくるらしい。お疲れさま、とシュラインは胸中でねぎらいの言葉を贈る。
『希美さんの能力は』
おもむろに、静の声がイヤホンから流れ出た。
『おそらく、相手の望みを現実にしてしまうこと……。多分、本人はそれと気づかずに能力を発揮しています』
シュラインは慌てて手帳に視線を戻した。これで、点が線に繋がってくる。
おそらくは元々微弱な能力の持ち主だった希美が、クミノの言う通り、事故に遭うことで一気に覚醒したのだろう。事故で彼女だけがほぼ軽傷だったのは、そして、父親が自力で助けを呼べたのは、おそらくそれが彼女の両親の望みだったから。そして、身体的にはとても生命機能を維持できない状況に陥っていた彼女の両親の身体を魂が去らなかったのは、それが高階の望みだったから。
『きっと、希美さんは無意識のうちに高階氏の望みをかなえ続けているのでは……』
希美の能力は、不死――というよりは「死の克服」といった方が正確だろう――を望む高階のために、三途の川が浅くなるという事態さえも招いているということだろうか。
そして、希美の能力に気づいた高階は、自らの想いに共鳴する人間を集めるため、教団を設立したということだろうか。
「なるほど。そうだとしたら、高階氏が教団を設立した経緯にも納得がいくわね。希美さんの能力に気づいた高階氏がそれをより効率的な形で発揮するために宗教団体を発足させた、と。奇跡を前にすれば人は簡単に傾倒するわ。うまく演出すれば、高階氏の思い通りに、立ち直る若者だって出てくるでしょうね」
ちょうど、静を希美に引き合わせたように。偶然を装いながら相手を希美に接触させ、「奇跡」を体験させる。引きこもりの若者を何人も立ち直らせれば、自然と世間の注目も浴びるし、教団の評価もあがる。そうして「会員」を増やし、「死」すら強い想いで克服できる、という考えを刷り込ませていく。これが高階の計算なのだろう。
『ふむ。しかし、正式な術の手順も踏まずにそれだけの力を発揮しているとなると……』
イヤホンの向こうからは、ヴィルアの声が聞こえてきた。
『彼女の精神も長くはもたないでしょうね。そちらも退去したようですし、こちらも一時撤退しますね。引き続き、情報を集められるよう手配はしておきますが』
続いた翠の声には、わずかな迷いが感じられた。希美の両親をこのままにしておくのも躊躇われるし、かといって手を下すことが希美に良い影響を与えるとも限らない。まして、自分で意識していない状態で力を行使しているなら、なおさらだというところだろう。
そして、しばしの後。今度はクミノからとんでもない情報が入ってきた。
『クミノだ。先ほど入った情報だが……、とある裏組織から教団の方にC−4……、俗にいうプラスティック爆弾が流れているな。それも結構な量が』
『爆弾なんて何に使うんだよ』
『さあ……、破壊活動以外の使い道があるのなら知りたいところだが』
絞り出したような森羅の呟きに、クミノは冷静な声を返した。
「これ以上、まだ何を……」
シュラインは手帳に新たな言葉を書き付け、それを見つめた。
<了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」】
【5453/櫻・紫桜/男性/15歳/高校生】
【6118/陸玖・翠/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師】
【6777/ヴィルア・ラグーン/女性/28歳/運び屋】
【1166/ササキビ・クミノ/女性/13歳/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【6608/弓削・森羅/男性/16歳/高校生】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは。ライターの沙月亜衣と申します。
この度は、当シナリオへのご参加、まことにありがとうございました。いつものことながら、納品がぎりぎり綱渡りになってしまい、誠に申し訳ございません。
とりあえず、今回は調査という形で、解決すべき問題点をいくつか浮き彫りにした形になりました。次回、決着がつけばいいなと思っております。一応、皆様一度撤退したという立場になっておりますので、次回はお好きな行動をお取り下さいませ。
今回は、調査先がほどほどにばらけたこともありまして、皆様に違うものをお届けしております。が、情報を共有する旨のプレイングを頂いたこともありまして、主要な情報は、皆様に届いております。前後の脈絡等気になる部分があれば、お暇な際にでも他の方の分にも目を通していただければ幸いです。
シュライン・エマさま
1作目からの通してのご参加、まことにありがとうございます。
病院側の取材は書き手にとって密かに盲点だったのですが、教団設立の経緯についての情報が、密かにここに潜んでおりました。
教団への関わりが間接的になった分、実はシュラインさんが一番情報をよく整理されていると思われます。
ご意見等ありましたら、遠慮なくお申し付け下さい。できるだけ真摯に受け止め、次回からの参考にさせて頂きたいと思います。
それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ、失礼致します。本当にありがとうございました。
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