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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


想い深き流れとなりて 〜4、そは聖者か狂人か

「わざわざ来てくれてありがとう」
 アトラス編集部の一室で、口を開いた碇編集長の顔は硬いものだった。
 麗香から「希望の会」という宗教団体について調べて欲しいというメールがきたのはつい先日のこと。
 「希望の会」というのは、まあどこにでもあるような新興宗教団体で、自分の力に自信を持たせることで、人を前向きにし、実際、何人もの引きこもりの若者たちを立ち直らせていることで最近よく話題になっている。
 しかし、その一方で、表に出るのは教団のスポークスマンに当たる人物ただ1人であり、他の幹部は誰か、どうやって若者たちを立ち直らせているのかなど謎の部分が多い。さらに、裏では黒い噂も絶えないとか。
 麗香の知り合いのフリーのジャーナリストが、その暗部に迫るべく取材を繰り返していたようなのだが、全く表に出ない教祖の名が「カンナギノゾミ」だと麗香に伝えた後、消息を絶ち、そして女性と共に遺体で発見された。表向きには心中事件として処理されたそれを、麗香は納得できず、また、月刊アトラスとして公然と取材することはできないので、協力者を募りたい、というのがそのメールの概要だった。
 そのメールを見て、弓削森羅はいやおうなしに先日関わったばかりのゴンタ暴走事件を思い出した。確か、ゴンタの暴走のきっかけになった本は、この「希望の会」が出版していたものだったはずだ。
 乗りかかった船とばかりに即OKの返事を出して出向いて来た森羅だったが、来てみれば親友のしーたんこと櫻紫桜(さくらしおう)、ゴンタの事件でも一緒だった菊坂静(きっさかしずか)にシュライン・エマ、さらにはそれ以前に関わった殺人事件で出会ったササキビクミノと知った顔がずらり。それに、さっぱりとした中性的美人の陸玖翠(りくみどり)、一見して男と見まがいそうな黒スーツ姿のヴィルア・ラグーンの総勢7名が今回の調査に赴く面々のようだ。
 既に互いに自己紹介を済ませ、麗香の話の続きを待つばかり、という状況だった。
「お願いしたいことはメールでお知らせした通りよ。参考になるかと思うのだけれど、これも見てくれるかしら」
 実に簡潔に言うと、麗香は手元のリモコンを操作した。お世辞にも大きいとは言えないテレビの画面にワイドショーとおぼしき番組の1シーンが映る。
 3人ほどのキャスターと向かい合うようにして、ゲストとおぼしき初老の男が座っている。画面にテロップで、「宗教団体希望の会広報担当 高階幸宏氏」と紹介が流れた。
『こんにちは。今日は、最近話題の宗教団体、希望の会の高階さんに来て頂きました。高階さんは、現役の外科医としても活躍なされている一方で、教団でも中心人物として精力的に活動なさっておられます』
 司会者が、画面に向かってしかつめらしく挨拶をした後で、ゲストの男、高階に会釈をした。高階も軽く頭を下げてそれに返す。
『希望の会では、何人もの引きこもりの若者を更正させたと聞いています。何が、その秘訣なのでしょうか』
 あの粘り着くような独特の視線をゲストに向け、司会者は高階にマイクを譲った。
『私は長年、医師として仕事をしていく中で、いろいろな患者さんと出会いました。中には、大けがを負ったり、大病をされて、まず助からないだろうな、というような方も大勢おられる。けれど、そんな中でも、生還される方はおられるんですね。もう、奇跡としか言いようがない。そういう人たちに共通するのは、みな、強い想いなんです。生きようとする想い、大切な者を遺しては逝けない、そんな強い想いで死の淵を乗り越えられる』
 高階は熱っぽく司会者に向かって語り、そしてカメラへと顔を向けた。
『本来、人が持っている想いの力というのは本当に大きなものなのです。誰もが、素晴らしい力を持っている。我々が関わって来た引きこもりの人たちっていうのは、それに気づかず、自分の力を知らずに、悩み、迷い、立ち止まっている人たちなんです。そういう人たちに、自分の力を気づかせてあげる。そうすれば、誰だって好き好んで引きこもったりはしないんです』
 その語りに、司会者たちは感心したような顔で何度も頷いてみせる。
 と、ぷつり、と小さな音がして画面が消えた。麗香が手元のリモコンで電源を切ったのだ。
「……こんな感じよ。表向きはこのテレビで言うように、一見建設的な新興宗教だけれど、黒い噂もちらほら聞こえてくるわ。そこを調査して記事にしたいのはやまやだけれど、どうもけっこうな数の政治家なんかも絡んでいるみたいで、上からのお達しで、月刊アトラスとしては表立って、その暗部を取材できないのよ」
 麗香は、既に何も映っていないテレビ画面を睨んで溜息をついた。
「さっきも言った通り、こちらからは大したフォローはできないわ。危険な仕事をお願いするのはとても気が引けるのだけれど、あなたたちにしか頼めないの。どうしても彼の無念を晴らしてやりたいの」
 言って、麗香は深々と頭を下げた。普段は見られない鬼編集長の態度に、誰もが一種神妙な顔になる。
「時に、黒い部分というのはどのあたりでしょうか?」 
 重くなりかけた沈黙を破ったのは、翠だった。
「ひょっとして洗脳? それとも人体実験?」
 さらりとした口調で、翠は実に物騒な言葉を続けた。
「どちらかという洗脳かしら。黒い部分というのはさっきも言った殺人疑惑と、あとやはりカルト化の疑いがある……と言えばいいのかしら。狂信化して暴走しかねない、いえ、ひょっとしたら既に暴走している可能性があるの。具体的にどう、とまでは言えないのだけれど」
「強い想いが時にすごい力を生むことはわかるよ、いい方にも悪い方にも。でも、心のよりどころを変な方に持っていくのは勘弁して欲しいよなぁ」
 森羅は腕組みをして天井をあおいだ。
「時に碇麗香。その『心中相手』とやらの名前は木下朱美といわないか?」
 おもむろにクミノが口を開いた。その名前にぎょっとして、森羅はクミノの方に顔を向けた。
「よく知っているわね」
 麗香の返事に、森羅は思わず息を呑む。そうして、改めて先日のあの理不尽な殺人事件を思い出した。あの事件までもが今回の件に関わっていたという事実は、少なからず衝撃的だった。「ふむ……。ということはそれは心中ではないな。少なくともその記者が殺されたというのは間違いない」
 クミノが表情を変えず、頷く。
「実行犯を公にすることがかなわぬため、不幸にして教唆者に捜査機関の手は及ばなかったということだな……」
 クミノに代わり、シュラインが当の殺人事件について簡単に説明した。どうやら、あの事件の後始末をしたIO2は、犯人が能力者であったため、あの事件を心中と隠蔽工作したということらしい。
 ふと、森羅は大川愛実の顔を思い出した。姉のことを話す時だけ、生き生きと顔を輝かせた彼女は、どんな思いでいることだろう。自慢の姉を、それも「心中事件」で失ったことにされているなんて。
「教祖の名前を知るだけで殺されてしまうなんて……、信じたくはないけれどよほど教祖のことを秘密にしておきたいんですね」
 紫桜が深刻な面持ちで口を開いた。
「もしくは、そのライターがまた別のことも掴みはしたけれど伝えられなかったのかもしれませんね」
 翠が付け足す。
「あれ? その教祖のカンナギノゾミさんって……、あの神薙老人のひ孫さんも、希美さんっていう名前でしたよね?」
 宙をにらんで、ぶつぶつと教祖の名を呟いていたらしい紫桜が、不意に目を瞬かせた。
「ああ、そういえばそうね」
 シュラインがはっとしたような顔で頷く。
「でも、もしそうだとしたら、今までの経緯や他の家族の行方も気になるところですね……」
そう呟いてから、紫桜が思い直したような顔をして、言葉を継いだ。
「ええと、少し前に学校の桜の木の下にたくさんの幽霊が出て『1人足りない』と騒いでいる、という事件があったんです。ふたを開けてみれば、幽霊たちの同窓会だったのですけれど、何でも三途の川が浅くなっていたので、思い入れのある母校の桜の下に集まっていたのだそうです。その同級生の中で、唯一ご存命の神薙さんという方がおられたのですが、その方のひ孫さんが希美さんというお名前でした。ただ、ご両親ともども行方不明なんです。三ヶ月前、山道で事故に遭ったようで、谷底から乗っていた車だけが見つかったとか。その時の幽霊の話では、彼らはまだ『向こう』にはいないということでしたが」
 どうやら、紫桜は紫桜で、この事件に関係ありそうな別の事件に関わっていたらしい。
「なーんか、だんだんと怪しい部分が大きくなってきたな。ゴンタの件といい……」
 森羅は天井を睨んだ。そして、はっと思い直してゴンタの件を皆に説明した。ここにはあの事件に関わっていなかった人たちも少なからずいる。
「まあ、要はその教団の黒い部分とやらを探れば良いのだろう?」
 今までわずかに口元をつり上げながら話を聞いていたヴィルアが、不敵な顔である意味身もふたもない総括をする。
「まあ、行ってみればわかることも多いでしょうしね」
 翠がそれに頷いた。どうやら、この2人、どことなくペースが合うようだ。
「そのことだけど、私は高階氏の病院の方を当たってみたいのだけれど」
 シュラインが機を見計らっていたような風情で口を開いた。
「私はカンナギノゾミの過去情報の方を主に調べたい」
 続いてクミノもまた、教団外の調査を宣言した。
「あ、もし神薙老人に会うのならお手紙を書いておくわね。麗香さん、便せんを頂けるかしら」
 シュラインが麗香からそれを受け取り、さらさらと素早く手紙をしたため始める。
「ということは、教団の方に行くのはこの5人になりますね」
 その間に、翠は軽く室内を見渡して確認をとった。森羅含め他の4人は教団に行くつもりだったらしく、皆小さく頷く。
「じゃあ、私は裏方の方が似合ってますので潜入でもしましょうか、ね」
「私も潜入派だな」
 翠がさらりと言うと、ヴィルアも短く頷いた。
「あ、俺も潜入の方が……。インタビューで聞き出せる話術ありませんし」
 紫桜は、少し困惑気味の表情を浮かべた。
「あれ? 俺、インタビューにいく人に護衛がてらついてく予定だったのに」
 予想外の話の流れに、森羅は思わず目を瞬かせた。
 どうやら誰もが、インタビューは他の誰かがやると思っていたらしい。麗香が一瞬目を丸くして、そしてくすくす笑う。
「いっそ、囮を使うというのはどうですか?」
 それまでずっと黙っていた静が顔をあげた。夏だというのに幾分青ざめたその顔には、疲労の色がにじんでいる。
「静くん……、顔色悪いわよ? 休んでなくて大丈夫?」
「大丈夫です。夏バテというやつで……」
 シュラインの心配に、静は力なく微笑んだ。
「引きこもり役とその他数名で、その教団に直接潜入するんです。引きこもり役は僕がやります……。ちょうど夏バテで顔色悪いし、それに、僕が一番それっぽいでしょ?」
 言って、静は少し苦みを帯びた笑いを漏らす。
「けど、静」
「危険は承知です」
 森羅が声をあげたのを、静は穏やかに遮った。
「けど、危なくなったらみんなが助けてくれると信じてますから」
 にこり、と疲れの露わなその顔に、穏やかな笑みを浮かべる。
「そこまで言うんだったら……。全力で静を守るよ」
「ありがとうございます、弓削さん」
 森羅の言葉に、静は相変わらずの丁寧語を返して寄越した。
「『森羅』! それからございますはナシ」
 半ば条件反射的に、森羅はびしり、と静に指をつきつけた。これじゃあ、しーたんが2人じゃないか、いや、「紫桜」と「静」だから本当にしーたんが2人だ、などと森羅はぶつぶつ心中で呟く。
「ありがとう、森羅さん」
「『森羅』! さんはつけない」
「えと……、ありがとう、森羅」
「はい、合格」
「じゃあ、俺友達その1で、しーたんは友達その2で」
 作戦を決めるのは早い方がいい。森羅はすぐに役割分担を申し出た。
「じゃあ、私が母親でヴィルアは父親ってとこですかね」
 翠がくすくす笑いながら同調した。
「誰が父親だ、誰が」
 ヴィルアが渋い顔で返す。
「でも、さすがにそれは無理があるかと。せめて若い叔父夫婦とか」
 紫桜は真顔で口を挟んだ。
「だからどうして私と翠が夫婦なんだ」
 じろりとヴィルアが紫桜を睨む。
「では、さしずめ私は妹か」
 ぼそり、とクミノが漏らした。

 結局、シュラインとクミノを先に見送り、残ったメンバーで作戦会議続行、という流れになった。クミノが小型のイヤホンとマイクとを人数分残していってくれたため、情報交換は随時できることになっている。イヤホンは耳にすっぽり入るし、マイクは少し注意して服の裏側につければ、まず人から見られても気づかれまい。しばらくは誰もが物珍しそうにそれをしげしげと眺めたり、いじったりしていた。
「で、手順はどうしましょう?」
 やはりというべきか、一番最初に本題に立ち戻ったのは紫桜だった。
 確かに、いつまでもこの興味深い機械をいじっているわけにもいかない。名残惜しくはあったが、森羅はそれを素早く装着すると、話題に加わった。
「そうだなー。俺としてはあの高階って人と接触したいね。何か持ち物を失敬できるといいんだけどな」
「ちょっと……、失敬って」
 静が少しとがめるような目を向ける。
「いや、ちょっとした能力ってやつでさ。持ち物持ってると相手のことがある程度わかるから、感情とか考えてることとか。場所もわかるし、ナビがわりになるかなって」
 森羅は説明を足しつつ、頭をかいた。紫桜はその隣で苦笑いを浮かべている。
「この際、構うまい。相手は黒い教団なんだろう?」
 ヴィルアがしれっと言い放つ。
「まあ、この場合はやむを得ないでしょうね」
 翠もそれに同調した。
「でも、さっきのビデオでも現役の医師と言ってましたし、いつでも教団の方にいるとは限らないですよね」
 紫桜が言うと。
『シュラインよ。一応、小さい情報だけれど伝えるわね』
 不意に、耳元から聞き覚えのある声が流れた。さっそくシュラインが連絡を入れてくれたようだ。
『高階氏の勤め先は幸和会病院。数年前から勤めているから、入信当時から所属は変わっていないはずよ。ちょうど明日が高階氏の休診日になっているわ。教団の方にいるんじゃないかしら』
 それも、まるでこちらの会話を聞いていたかのような絶妙な内容だ。
 翠たちは自然と顔を見合わせていた。無言のままに、皆が頷き合う。決行は明日だ。
「えーっと、こちら教団突入組の森羅、どうぞ」
 森羅は教えられた通りに、マイクのスイッチを入れた。こういうのを一度はやってみたかったのだ。それは、男の子ならきっと誰しもが心の奥に持っているはずだ。なのに。
「それじゃ、こちらの作戦は明日決行。高階氏のいる時を狙いますね」
 済ました顔で、翠がその先を言ってしまった。
「あー、先に言われたー!」
 思わず森羅は声を上げた。当然、マイクのスイッチは入ったままで。
『了解。私も病院へは明日行くことにするわ。高階氏の留守を狙ってね』
 イヤホンの向こうからは微笑まじりのシュラインの声が返ってくる。
「とりあえず、高階氏から何か失敬するとしたら、少し騒ぎを起こした方がいいですね」
 紫桜が真剣な顔でそう口にした。
「じゃあ、私たちはその間に潜入するとしようか」
 ヴィルアがちらりと視線を翠に向け、翠もそれに頷いた。
 さらに細かいことを詰めたり、今までの事件について話し合っている間に、シュラインから再び通信が入った。
『高階氏、政治家たちの間では『神の腕』と評判らしいわ。家族が大病した時なんか、お世話になっているみたい。それもここ最近のことですって』
 特にとある閣僚経験者の妻が最近、大病を患って生死の境を彷徨ったものの、大手術の末に一命を取り留め、さらに目を見張るような順調な回復を見せているらしいという話をシュラインは続けた。
『そのようだな。だいぶ政治家から金が流れている。おそらくは同じく医者つながりだろうが、暴力団関係者からも金が流れているな』
 続いてクミノの声も聞こえてくる。
「暴力団とも繋がりが……」
「なーんかどんどんうさんくさくなってくるなぁ。テレビの前では一応いいこと言ってたのにさ」
「呆れたものですね」
 皆、思い思いの感想を口にしつつ、溜息をついた。
 そうして、翌日の行動を確認し合い、とりあえず解散した後の夕方、再びクミノから連絡が入った。
『団体に肩入れしていた政治家連中の目的は、おそらく不死だ。具体的な方法までは知らされていないようだがな。それからカンナギノゾミについては裏も表も情報がさっぱりだ。こうなると一般人だと結論づける他なくなってくる。それも低年齢の。明日、神薙老人を当たってみる』
 それだけ言うと、クミノからの通信は切れた。
「不死、かぁ……」
 森羅は溜息をついた。ゴンタがあてられた強い想いは死を否定するものだった。だとしたら、教団が密かに目指すものが不死だとしても、矛盾はない。
 けれど、不死を得るために、人を殺す。その矛盾が、どうしても森羅には許容できなかった。


 翌日、静、紫桜、森羅の3人は「希望の会」の建物の前にいた。古い診療所を改築したらしいそれは、都心にありながらなかなか広い面積を占め、周りを塀と植え込みに囲われて、うっそうとした雰囲気をまとっていた。
 事前に紫桜が電話をして約束をとりつけたため、高階は今、教団にいるはずだった。裏潜入組の翠とヴィルアも、紫桜たちからは姿が見えないが、既に待機しているという連絡がイヤホンから入っている。
 3人は軽く頷きを交わした。紫桜と森羅が静の両脇に回り、その腕をしっかと掴む。
「やめろよー、騙したなー、僕はこんなところに入る気はないぞー!」
 静は声を限りに叫びながら2人の手を振りほどこうと激しく暴れた。
「そんなこと言うなよ、静のためなんだから」
「ここにきたら元気を取り戻せるってみんな言ってるじゃないですか」
「しーたん、タメ口!」
「いや、森羅、今はそんなこと言ってる場合じゃ……」
「やめてくれ! 僕のことなんかほっといてくれ」
「ほっとけるかよ! 友達なんだから」
 門の前で騒いでいると、ほどなくして中から慌てて人が駆け出して来た。背広の上から白衣を羽織ったその男は、間違いなく、テレビで見た高階だった。
「菊坂静くんだね。よく来てくれたね。せっかくここまで来たんだ、とりあえず中に入って話だけでもしていかないかい?」
 高階は穏やかながら力ある声で話しかけ、静の肩に手をかけた。
「やめて下さい!」
 静が思い切り高階の肩を突き飛ばした。高階の身体が後ろへよろめく。
「大丈夫ですか?」
 森羅はすかさず高階を支えた。そして、どさくさまぎれに白衣の胸ポケットからボールペンを抜き取り、それを素早く自分のズボンのポケットに収めた。
「ああ、大丈夫だよ、済まないね」
 高階は口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「ほら、静」
 紫桜がとがめるような視線を向ける。
「……済みません」
 静ははっとした顔をして、ゆっくりと頭を下げる。
「いや、いいんだ。誰でも最初は戸惑うものだよ。さあ、中に入ろう」
「はい……」
 静は素直に頷いて、紫桜森羅ともども高階の後に従った。イヤホンからは、翠たちが潜入に成功した旨が既に届いていた。

「そうか、お友達が心配して連れて来てくれたんだね」
 紫桜が高階に事情を説明する横で、静はずっと俯いていた。
「頼りにしてくれるのはありがたいんだけど、静くんは未成年だよね? 一応、保護者の方の了解も要る。できれば一度、お父さんかお母さんと話をしたいんだけど」
「両親は、いません。事故で死にました」
 静は抑揚のない声で答えた。
「そう、か……」
 高階は独り言めいた頷きを寄越すと、しばし黙り込んだ。
『シュラインよ。神薙希美さんと高階氏が繋がったわ』
 その間にも、イヤホンからは、シュラインの報告が入っていた。
『希美さん親子が事故に遭って運ばれたのが高階氏の勤めていた病院。ご両親はひん死の重傷で、希美さんだけが奇跡的に軽傷だったみたい。そのご両親も、こちらも奇跡的に一命をとりとめて、転院したことになっているわ。そして、教団を設立したのはどうも高階氏本人みたい。代々受け継いできた診療所を改築して本部にしたみたいね。希美さんの一件で、人の想いの強さを知ってっていうのが直接のきっかけみたい。宗教という形にしなければその想いの力を引き出せない、というのが宗教団体を名乗った理由、ということになっているわ。彼自身が教祖だとか代表者だとか名乗らないのは、人を崇拝するような形になるのを避けるためだと周囲には説明しているみたい。少なくとも幸和会病院の看護婦さんたちはそう認識してるわ』
 どうやら、麗香の知り合いの記者がつかんだカンナギノゾミという名は、あの神薙老人のひ孫であると断定してもよいようだ。
 シュラインの報告に耳を傾けながら、森羅はズボンのポケットに手を入れて、高階のボールペンに触れた。
 伝わって来たのは、熱情ともとれるような、強い想いだった。そこに思い詰めたような悲壮感はない。何か信念を持って、全力で突き進む、そんな想いだ。
 けれど、そこにはどこか危うさをも感じずにはいられない。それに傾倒するがゆえに、他を全て排除してしまうような、そんな攻撃性さえ感じる。長く触れていれば、文字通りあてられてしまいそうな、そんな狂気にも近い、それでいて冷静な思考も行えるれっきとした正気。高階が持っているのはそういった想いだった。直感的に、ゴンタがあてられてしまったのはこの想いだと、森羅は理解していた。
「とりあえず、少し歩かないかい? お友達にはここで待っててもらって」
 軽く息をついてみれば、目の前では、高階が静に誘いをかけていた。
「はい」
 静はそれに頷き、着ていた薄手のジャケットを森羅に差し出した。何かあればすぐに駆けつけられるように。静は森羅の能力を知った上で、自分の身を託そうというのだ。森羅は、しっかりと頷いてそれを受け取った。
「森羅」
 もちろん、静の意図を正しく受け取ったのは森羅だけではない。静と高階の姿が遠くなってから、紫桜が小声で囁いた。
「うん、大丈夫。今はあの高階って人より静を優先だな。それにしても、あの、高階って人……、ずいぶんと強い想いを持ってる。思い詰めてるって感じでもなくて、なんていうか、こう、本気で目指しているっていうか、信念もってやってるっていうか、そんな感じ。ちょっと……、ゴンタがあてられたのもわかる気がする」
 先ほどペンから読み取ったことを伝え、森羅は能力を使う対象を静の上着に切り替えた。
「そうか……。気をつけて」
 紫桜がそう言う間にも、他のメンバーからの報告が次々に入る。
『クミノだ。神薙老人に会って来たが、希美は今年6歳。老人の話を聞く限りだと、どうも生まれつき、治癒だか予知だかの弱い能力を持っているようだな。とはいっても正式な訓練を受けているわけでもないから、その詳細ははっきりとはわからないが。ただ、事故で生命の危機を迎えて、一気に能力が開花した可能性も否めないな。教団を高階が創立したというのなら、あるいは希美は利用されている可能性もあるわけか』
『翠です。『更正した』という子たちを何人か見ましたが、『別人と入れ替わっている』可能性は限りなく低いでしょうね。術を施した跡もなく、魂と容れ物の間にも違和感がありません』
『まあ、引き続き潜入を続けるさ』
 森羅は静の上着から静の動向を読み取りながらも、ふと紫桜に顔を向けた。紫桜は、どこか一点をじっと見つめている。
「しーたん、どうしたの?」
 森羅は、尋ねながらも、自分で紫桜の視線を追った。その先には硬い表情をした高校生くらいの少女がじっと佇んでいる。その顔には、確かに見覚えがあった。
「あれ? あの人……。間違いない、愛実先輩だ」
 なぜこんなところにいるんだろう。森羅は思わず目を瞬いた。
「知り合いですか?」
 紫桜が怪訝そうな顔をする。
「しーたん、タメ口。……学校の先輩でもあるけど……、碇さんの言ってた事件で殺された木下朱美さんの妹だよ」
 姉を失った心の痛みを埋めるための救いを、彼女はここに見いだそうとしているのだろうか。森羅は何ともいえない気持ちになる。
「そうですか……」
 紫桜も溜息をついた。その間に、愛実はふらりとどこかに行ってしまった。
『ありがとう。こっちは今日新しく入った菊坂静くんだよ』
 唐突に、イヤホンから高階の声が聞こえてきた。
 思わず森羅と紫桜は顔を見合わせる。が、次に入って来た言葉で、すぐに疑問は解けた。
『静お兄ちゃんだね。よろしくね、あたし、神薙希美。お兄ちゃんにもジュースあげるね』
「カンナギノゾミ……」
 森羅は思わず固唾を飲んだ。どうやら、希美と接触した静が、会話を他のメンバーにも聞かせるためにマイクのスイッチを入れたらしい。
『ほら、かなっただろう? これをただの偶然、あるいはこちらの芝居ととるか、自分の思いの力ととるかは君しだいだよ。でも、どうせならもう一度だけ自分を信じてみたらどうかな? 損をすることはないと思うよ……っと失礼』
 高階の声が途切れ、遠くの方で違う誰かと二言三言言葉を交わしているような声が聞こえた。
『済まないね、少し急の用事が入ったんだ。適当にこの辺りを見ていてくれないかい? すぐ戻るよ』
 イヤホンの向こうでは、どうやら高階が席を外したらしい。しばしの沈黙の後に、今度は静の声が聞こえて来た。
『君が、神薙希美さん?』
『お兄ちゃん、希美のこと知ってるの?』
『ひいおじさんが、お家で待っているよ。一緒に帰ろう』
『うーん、でもパパもママも、ここにいるから……。今の希美のお家はここなの。パパもママも、お怪我が治るまでここにいなくちゃいけないんだって』
 イヤホンは、静と希美のやりとりを伝えて来たが、静の上着は、激しい焦りと危機感のようなものを伝えて来た。
『うーん、でもパパもママも、ここにいるから……。今の希美のお家はここなの。パパもママも、お怪我が治るまでここにいなくちゃいけないんだって』
 その希美の声の直後、静の上着から、強い痛みの感覚が伝わって来た。静の身に何かがあったに違いない。
「静! ……しーたん!」
 森羅は弾かれたように立ち上がった。呼びかけるまでもなく、紫桜もすぐに立ち上がる。
 そのまま森羅は、上着が示す静の居場所へと、廊下を走った。奥の方に、うずくまった静と、その側に立ち尽くす少女の姿が見える。
「静!」
「静さん! 大丈夫ですか?」
 紫桜がいち早く静のもとに駆けつけ、その肩に手をかけて顔を覗き込んだ。静は、幾分青ざめた顔をしてはいたが、荒い息は急速に収まっていく。
「大丈夫? お兄ちゃん」
「大丈夫だよ」
 肩で大きく息をしながら、静は穏やかな笑みを希美に向けた。
『翠です。……希美殿のご両親を発見しました』
 イヤホンから静かな声が流れ出す。
『身体的には、既に亡くなられているのですが』
『死体に魂が宿っている……といった状況だな。不完全な蘇生術でも使ったような状態だ。魂の劣化も否めまい』
 ヴィルアが淡々と続けたが、その内容は衝撃的なものだった。森羅はきつく眉を寄せた。
「どうしたんだい?」
 そこへ高階が戻ってくる。高階は、紫桜と森羅に不思議そうな顔を向けたものの、すぐに静に向き直った。
「ずいぶんと顔色が悪いけれど」
「少し立ちくらみを起こしただけです。大丈夫です」
 静は軽く首を振って見せた。
「そうかい。ここで休んでいってもいいけれど、今日はもう帰るかい? 体調が戻れば明日、また来るといい」
「そうします」
 静は短く返事を返す。森羅と紫桜もそれに頷いて、静共々「希望の会」本部を後にした。帰り道、何があったのかを聞いても言葉を濁すばかりだった静が、おもむろに口を開いた。
「希美さんの能力は、おそらく、相手の望みを現実にしてしまうこと……。多分、本人はそれと気づかずに能力を発揮しています」
「望みを現実に?」
 一様に繰り返した紫桜と森羅に、静はゆっくりと頷いてみせた。
「きっと、希美さんは無意識のうちに高階氏の望みをかなえ続けているのでは……」
 高階の、あの死を否定するという強い想いを。
 それが、死体に魂が宿っているという希美の両親の状態であり、三途の川が浅くなっているという現象を引き起こしているというのだろうか。
『なるほど。そうだとしたら、高階氏が教団を設立した経緯にも納得がいくわね。希美さんの能力に気づいた高階氏がそれをより効率的な形で発揮するために宗教団体を発足させた、と。奇跡を前にすれば人は簡単に傾倒するわ。うまく演出すれば、高階氏の思い通りに、立ち直る若者だって出てくるでしょうね』
 思慮深げなシュラインの声がイヤホンの向こうから返ってくる。
『ふむ。しかし、正式な術の手順も踏まずにそれだけの力を発揮しているとなると……』
『彼女の精神も長くはもたないでしょうね。そちらも退去したようですし、こちらも一時撤退しますね。引き続き、情報を集められるよう手配はしておきますが』
 イヤホンの向こうから翠とヴィルアの声が聞こえて来た。
 そして、しばしの後。とんでもない情報がクミノから告げられた。
『クミノだ。先ほど入った情報だが……、とある裏組織から教団の方にC−4……、俗にいうプラスティック爆弾が流れているな。それも結構な量が』
 これ以上まだ、被害者を出そうというのだろうか。
「爆弾なんて何に使うんだよ」
『さあ……、破壊活動以外の使い道があるのなら知りたいところだが』
 思わず漏らした森羅の呟きに返って来たのは、クミノの冷静な声だった。

<了>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」】
【5453/櫻・紫桜/男性/15歳/高校生】
【6118/陸玖・翠/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師】
【6777/ヴィルア・ラグーン/女性/28歳/運び屋】
【1166/ササキビ・クミノ/女性/13歳/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【6608/弓削・森羅/男性/16歳/高校生】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。ライターの沙月亜衣と申します。
この度は、当シナリオへのご参加、まことにありがとうございました。いつものことながら、納品がぎりぎり綱渡りになってしまい、誠に申し訳ございません。
とりあえず、今回は調査という形で、解決すべき問題点をいくつか浮き彫りにした形になりました。次回、決着がつけばいいなと思っております。一応、皆様一度撤退したという立場になっておりますので、次回はお好きな行動をお取り下さいませ。
今回は、調査先がほどほどにばらけたこともありまして、皆様に違うものをお届けしております。が、情報を共有する旨のプレイングを頂いたこともありまして、主要な情報は、皆様に届いております。前後の脈絡等気になる部分があれば、お暇な際にでも他の方の分にも目を通していただければ幸いです。

弓削森羅さま

1作目、3作目に続いてのご参加、まことにありがとうございます。
ここで詳しく書くわけにはいかないので、コメントが曖昧になってしまうのですが、今回は、密かに重要な伏線を拾って頂いています。元気で明るい森羅さんは、いつも書いていてとても楽しいです。今回の男の子トリオにも、いろいろと活気を添えて頂きました。

ご意見等ありましたら、遠慮なくお申し付け下さい。できるだけ真摯に受け止め、次回からの参考にさせて頂きたいと思います。

それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ、失礼致します。本当にありがとうございました。