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<東京怪談ノベル(シングル)>


Jara

 スナック『瑞穂』
 それが私の経営する店の名前だ。駅近くにあるネオンが輝くスナックビルの五階…少し古ぼけてはいるが、カウンター席が七つにボックス席が二つ。小さな店だが私はここをとても気に入っている。
 カラオケの隣には演歌歌手のポスター、キープボトルの隣には趣味で作った創作人形。元々ここを経営していたママが年齢を理由に引退した時に私に店を譲ってくれたので、お客様は年配の人が多い。それでも皆よく顔を見せてくれたり、楽しんでくれていったりする大事なお客様だ。
「あんまり飲んだら体に毒よ、社長さん」
 今日最後のお客様は、小さな町工場の社長さん。前々から娘さんに彼氏がいると言うことなどを私によく話してくれていたのだが、春に結婚が決まったということで『花嫁の父』の複雑な心境を、私にこんこんと語っている。
「とは言ってもね…普段はやれテレビの前で寝転がってるのが邪魔だの、ズボンとパンツを一緒に脱ぐなだの、娘なんてうるさいもんだと思ってたけど、春になったら家からいなくなるのかと思うと寂しいもんだねぇ」
 少し薄くなった髪を撫でつけながら、社長さんは溜息をつく。でもそれは娘さんを大事に思っている溜息で、きっと色々なことを思い出しているのだろう。すっかり薄くなった水割りを飲み干すと、社長さんは笑顔で私に向き直り、懐からお財布を出す。
「今からそんな事言ってたら、式の時に大変よ」
「だな…仲人はしたことあっても『花嫁の父』は初めてだから、もうどうしていいのか分からなくてね。そのうちその婚約者をここに連れてくるから、その時は一緒にいじめてやってちょうだいよ」
「うっふふーん、どうしようかしら」
 飲み代を精算しお釣りをしっかりと両手で渡すと、私は出口まで社長さんを送り出した。
「気をつけて帰ってねーん。結婚式前に娘さん泣かせちゃダメよ」
「はいはい、また来るよ」
 笑顔と共に小さく投げキスをして、エレベーターに乗り込むまで私は社長さんを見送っていた。投げキスと共に送ったのは護法術。ここでゆっくりと羽を伸ばして家に帰るお客様には、挨拶のように投げキスをするのが習慣だ。
 エレベーターが来て社長さんが手を振りながら乗り込んでいくと、急にあたりが静まりかえった。階下から遠く演歌のカラオケが聞こえてくる。
「………」
 私は店に戻り、氷と水を用意した。ボトルキープのウイスキーは棚に戻し、自分用のサントリーオールドを出し水割りを作る。
「春になったら…か…」
 カウンターに腰掛け、氷をカラカラと鳴らしながら水割りをちびちびと飲む。いつもお客様を見送ってもこんな気持ちになることはないのに、きっと「春になったら」という言葉が染みたのだろう。
 腕に光るブレスレットには「Wynn(ウィン)」のルーン。
『いつか春の国に…』
 たった一つだけ「彼」とした約束。それが果たされる時は来るのだろうか…。

 それはもう何百年も前の話だ。
 私が人狼である「彼」の元に嫁ぎ、ささやかながらも幸せに暮らしていた時のこと。私が嫁いだ時は雪深かったが、雪が溶けると穏やかな春がやってくる。
 初めは彼が怖かったが、その頃には私の心も打ち解けていて一緒に出かけるようにもなっていた。
 二人で出かけ、小川を越える為に彼はいつも手を貸してくれる。私の足が水に濡れないようにとても気を使うのに、自分の足が濡れることには構わないのか、水の中にざぶざぶと入っていくのを見て、私はクスクスと笑っていたのを思い出す。
「私は大丈夫だけど、貴方の足が濡れてるわ」
 そう言った時、彼は一体なんと言ったのだろう…それがもう思い出せないぐらい遠い。
 彼の手には釣り竿、私はお弁当の入ったバスケット。春になって最初にするのは魚釣りと木イチゴ摘み。ゆっくりしていると短い春はあっという間に過ぎてしまう。長い冬を越すためには、春になった瞬間から備えなければならない。
「素敵、こんなにたくさんの木イチゴ!」
 私が知らないことを彼はよく知っていた。
 案内された「秘密の場所」には、バスケットに摘みきれないほどたくさんの木イチゴがなっている。それに喜んでいる私を見て、釣り竿を用意しながら笑っていたをまるで昨日のことのように思い出せる。それなのに、何を話したのかが全然思い出せない。
「これならジャムだけじゃなくて、果実酒もたくさん作れるわ。私が作った木イチゴのお酒を貴方にも早く飲ませてあげたいぐらいよ」
 幸せだった。
 取れたての木イチゴや釣った魚をその場で焼いて食べ、残りは家に持って帰りジャムや果実酒、薫製にする。魚釣りや狩りなど、本当は一人で行った方が集中できそうなのに、出来るだけ私を一緒に連れて行こうとしてくれた。
 それが自分に出来る精一杯だと言わんばかりに。
「私、貴方と出かけるのが好きよ」
 黒スグリやブルーベリーを摘んだり、それでジャムを作ったり、子供を連れた野生の山羊を見つけ乳搾りをしたり、毎日がめまぐるしく過ぎていく。
 私達が住んでいる所は冬が長く、春から秋は足早だ。頬を撫でていた風が日に日に冷たくなり、短い夏が過ぎ秋が来ようとしていた。
「もうすぐ冬が来るわね…何だか一年が短いような気がするわ」
 私は柔らかい羽毛を枕に詰めながらそんな事を言った。そろそろ冬支度をし始める頃で、風通しのいい場所にはニンニクなどがつるされている。この枕も厳しく長い冬の夜を、きっと暖かくしてくれるだろう。
 でも…その後の言葉を私は上手く繋げなかった。
 春から秋まではあっという間なのに、ここでは冬になると一年が過ぎるのが急に遅くなるような気がする。夜が明けるのも遅く日を見ることが少ないと、一人だけ冬の国に閉ざされたような気になることもある。
 多分、彼も同じ気持ちだったのだろう。
 彼はたった一人の人狼で、私は花嫁とは言えどただの人間だ。
 その「閉ざされたような気持ち」が、お互いの孤独をあらわしていたのだと思う。でも私はそれに気付かないふりをして、彼に向かって微笑む。
「今年は私が一緒だから、きっと二人でたくさん話をしているうちに冬なんてあっという間に過ぎていると思うわ…」
 それが私に出来る精一倍の強がりだった。
 きっと去年は、私の前にここにいた花嫁がここにいたのだろう。それなのに私も彼も同じような孤独を感じている。それがとても切なく、胸を締め付ける。
 手を握るでもなく、抱きしめるでもない微妙な距離。
「ここにいると私、季節が変わっていくのに何だかずっと春の日差しの中にいるような気持ちになるの。本当よ」
 そう言いながら私は彼に向かって一生懸命微笑んでいた。涙をこらえているせいでどうしても視界が曇り、その時彼がどんな表情をしていたのか思い出せない。
 もし…もし私が、春の女神フレイヤのような力を持てるのなら、彼を孤独の縁に追いやらずにずっと一緒にいられるのに。彼が持つ人狼化の能力をなくし、一緒に人として仲良く暮らしていけるのに。そう思うと苦しくて苦しくて仕方がない。
 でもそれが出来ないこともよく分かっていた。
 私がここに来たのは、フェンリルと呼ばれる彼の「生贄」としてだ。前の花嫁達が彼に引き裂かれ食われてしまったように、私もいつ同じ目に遭うか分からない。それなのに私が思っていたのはその時私が感じる恐怖よりも、その後で彼が感じる孤独と絶望だった。
 泣いてはいけない。泣き顔を見せてはいけない…私は眩しそうに彼の顔を見つめる。
「私…春が一番好きなの。花も咲くし、心が明るくなるもの。春が来るといつも思うの…ずっとこのまま春だったらいいのにって」
 そう言って私は彼を抱きしめた。
 そんな私に、彼は何かをこらえるように耳元で囁く。
「………」
 それはとても微かなうえに、涙で声になっていなかった。それで私は気付く。私と同じように、彼もまた先のことを考え胸を痛めていたのだ。ずっと一緒にはいられない…この幸せな日々も、いつ幕が降りるか分からない。
 ぽた…と冷たい滴が肩に落ちる。その瞬間、私は涙と共に言葉を吐き出していた。
「いつか二人で、春の国に行きましょう…約束よ…」
 かすれるような声と共に私達はしっかりと頷き合う。
 それは彼と私が交わした、たった一つの「約束」だった。
 それ以外、私も彼も「約束」という言葉を使わなかった。秘密の場所を教えてくれる時も、ジャムやお菓子を作ったり、お互いの誕生日を祝うささやかな宴の席でさえ、私達は「約束」とは絶対言わなかった。
 彼の体温を感じながら、私はルーンの神々に祈る。
 神様…もし私の願いが聞き遂げられるなら、約束や年月を司るJara(ヤラ)の加護をください。
 たった一つ、最初で最後の約束を叶えさせてあげてください。
 いつか二人で春の国に…お願いだから私達の「約束の地」に導いてください…。

「ごめんね…まだ私、『春の国』を見つけられてない…」
 カラン…と氷が鳴った。
 結局私と彼は一緒に春の国に行くことは出来なかった。彼は私を「最後の花嫁」にすることで、自分の命の幕を引いてしまった。私を食べず、私の記憶を持って遠い所へ逝ってしまった。
 一人になってしまった私は、人狼化の能力を押さえる術と共に『春の国』を捜すために世界中を歩き回った。色々な国を渡り人狼化を押さえることは出来たのに、春の国だけはどこに行っても見つからない。ほとんど冬の国や夏の国はたくさんあるのに、その「約束の地」に私は導かれない。
 もしかしたらそんなものはないのかも知れない。
 『春の国』は私と彼の心の中で作った美しい幻想で、どこに行っても見つからない幻なのかも知れない。
「でも『約束』だもの…」
 時折考えることがある。そこにたどり着いて、私は何を得たいのだろうと。
 もしその場所にたどり着いたとしても彼は既に亡く、たった一人で私は何をしたいのだろう。
 日本に来たのは、そんな思いに囚われ『春の国』を捜すのを諦めかけていた時だった。
 丁度桜が満開の時で、初めて見た桜吹雪に私は立ちつくすほどの衝撃を覚えたのだ。
「綺麗……」
 白や薄紅の花びらが、日本に来たばかりの私にひらひらと降り注ぐ。それはまるで私が彼の元に嫁いだ時のように、吹雪になって風に乗っている。
「………」
 『春の国』を捜していて、泣いたのはその時が初めてだった。あまりに静かに、何もかも受け入れるようなその優しい桜吹雪を見て、今まで押さえていた想いがあふれ出て止まらなかった。
 身を刺すような冷たさではなく、包み込むような暖かさ。リンゴの花やマグノリアとも違うその花弁と香り。
 この優しい吹雪を一緒に見たかった。私は自分のしているWynn(ウィン)のルーンが刻まれたブレスレットを桜吹雪にかざす。
「ねえ、見えているかしら…吹雪なのに、全然冷たくないの…」
 もういないはずの彼の声が聞こえるような気がする。桜吹雪の下で彼が笑っているような気がする。
 ここは春の国じゃない。それはちゃんと分かっている。
 だけど、桜吹雪を見るたびに私は彼を思い出す。それと同時にほんの少しだけ感じる胸の痛み…。
「大丈夫、忘れてないわ…いつかちゃんと『春の国』は見つけるから」
 私にまだ時間はたくさん残されている。
 もう少し…桜を見ても彼の幻影が見えなくなるまで、私はきっとここにいるだろう。それがいつになるか分からないけれど。
「春になったら、きっと社長さんも泣くんでしょうね…」
 春になったら。
 雪が溶けたら。
 私は既にいなくなった彼を想い、社長さんは自分の元から離れていく娘を想い、同じように涙を流す。
 その時は、きっとお互いに優しい吹雪が降り注いでいるのだろう…。

fin

◆ライター通信◆
発注ありがとうございます、水月小織です。
前回書かせて頂いたシチュエーションノベル「Wynn」から繋がるエピソードということで、今回は約束を意味する「Jara」をタイトルに書かせて頂きました。
『約束』の為に春の国を捜しながらも日本に留まっている理由を、名字にも入っている「桜」にしてみました。満開の桜から降り注ぐ桜吹雪は、はっとするような美しさがあると思います。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。