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<東京怪談・PCゲームノベル>


デンジャラス・パークへようこそ  〜紳士へのソネット〜

 すっきりと晴れ渡った秋空が井の頭公園池に青を落とし、水面に浮かぶ紅葉が映える午後のこと。
 弁財天宮1階カウンターでは、今日もまた、これっぽっちも清々しくない、殺伐としたやりとりが繰り広げられていた。
「このところ、支払い能力を超えた買い物をしすぎですよ、弁天さま! どうするんですか、この、某クレジット専門百貨店からの大量の督促状」
 蛇之助がカウンターを叩くと、山と積まれた封筒が崩れ、ばさばさと床に落ちた。弁天はどこ吹く風で、吉祥寺駅南口のドトールからテイクアウトしたカフェラテをすする。
「まかせる。よきにはからえ」
「もう、はからえません! つい先刻、債権管理担当のかたから、これ以上支払いを延ばすと、しかるべき処置を取らせてもらうという最終通告を受けてしまいました」
「なにぃ? 最終通告とな」
 さすがに、弁天の顔が強ばった。
「……そういえば、某クレジット専門百貨店の取立て軍団は、恐るべきプロフェッショナルが揃っているという話を聞いたことがあるぞえ。何でも(ぴ〜〜〜:詳細を語りますと危険なため調整音)なところに依頼して、結果、債務者は(ぴ〜〜〜:詳細を語りますと以下略)なことになるとかならぬとか」
「それはあくまでも都市伝説です。他所で言わないでくださいね。訴えられますよ」
「んねっ! ちょっと弁天ちゃん。いったい、何したの?」
 ハナコが息せき切って、弁財天宮に駆け込んできた。
「何事じゃ?」
 只ならぬ様子に、弁天はカフェラテを飲む手を止める。ハナコは息を整えながら、七井橋方向を窺った。
「今、ジェームズちゃんが、こっち向かってるよ」
「ジェームズが? 珍しいこともあるものじゃ。はて……? わらわに何の用であろうか?」
「そんなの、決まってるじゃない。ジェームズちゃんは凄腕のネゴシエーターなんだよ。きっと、どこかから内密に依頼を受けたんだよ!」
「弁天さま……。もしや、某クレジット百貨店債権管理部門からの……?」
「う、うむ。よもや、黒衣の交渉人ジェームズ・ブラックマンを直々に遣わすとは」
「どうしましょう?」
「知れたこと」
 冷えかけたカフェラテを一気飲みし、弁天は空の容器を放り投げる。容器は放物線を描き、カウンター端の護美箱にすとんと落ちた。
「……うまいこと誤魔化すしか、なかろうて」
「なるほど。道義的には最低ですが、現実的にはそれが最善の方法ですね」
 蛇之助は頷いて、地下1階の接待用ルームの用意に走る。
「たしか、ジェームズさんは大変な珈琲党でいらっしゃいましたね。とっておきの、フェアトレード・ガテマラ深煎り豆を、挽くことにいたしましょう」

 ++ ++

 珈琲の香りが漂う中、ソファに腰掛けたジェームズの様子はあくまでも優雅で紳士的だった。気が向いたので、ふらりと訪れたという風情である。
 弁天は笑顔全開下心満載で、2オクターブほど高い裏声を出した。
「おお〜♪、ジェームズぅ。よく来てくれたのう。会いたかったぞえ〜♪」
「お久しぶりです、弁天さま。旧軽井沢以来ですね」
「あのときは夏も盛りであったのに、ほんに月日の経つのは早いもの。このところ、わらわもすっかり秋を愛する心深き人となりロマンティックがとまらずに恋ぞつもりてふちとなりぬるじゃ〜」
(弁天さま。何を仰りたいのやら全然わからなくていい感じです!)
(その調子だよ!)
 同席した蛇之助とハナコが、小声で声援を送る。
「そうそう、秋と言えばハイネ。わらわは『オルフェスへのソネット』が好きでのう。『――神なればそれは為せよう。だが、それならば教えたまえよ君。たかが一人の男ごときが、只のか細き竪琴でもって、如何にしてかの神に伴奏(ともな)えというのか?』
(……それ、ハイネじゃないです)
(弁天ちゃーん。『オルフェスへのソネット』は、リルケの詩だよ)
 あわあわするギャラリーをよそに、ジェームズはコーヒーカップを手に、静かに弁天を見つめる。
「『――かの神の心は双方(ふたまた)に分かれている。ふたつの心臓の通路が、交叉するところに。そこにはアポロンの神殿は、ありはせぬのに』……いい詩ですね」
「うむっ。ジェームズは教養豊かじゃのう。わらわは知的な殿方がそらもうタイプで」
「……ああ。だから、ミスター・伊蕗とお付き合いなさってらした?」
「のおっ? どっ、どうしてそこでユージィンが出てくるのじゃっ!」
 動揺した弁天は、げほごほと珈琲にむせる。
「旧軽井沢での一件からひと月後でしたか、神聖都学園大学の工学部に、客員教授として復帰なさったという話を聞き及びましてね。なんでも、弁天さまのお口添えがあったとか」
「さ〜? 知らぬのう。ま、工学部は教授が不足しておるし、結構なことではないかえ?」
「……弁天さまは、お優しいですね」
「………!!!???」
 がしゃがしゃぱりーん。
 何かがテーブルにぶつかり、派手に砕け散る音が響く。聞き慣れない言葉に衝撃を受け、弁天がカップを取り落としたのだ。
「わ。大丈夫ですか? 弁天さま……は後回しでいいとして、ジェームズさんっ!」
「蛇之助ちゃんっ。ぞうきんとホウキとちり取りを早くっ」
「私は平気ですよ。弁天さまの指に、お怪我などなければ宜しいのですが。――どこも切ってないようですね、良かった」
 流れるような自然な仕草ですっと手を取り、確かめてから、ジェームズは微笑む。
「ところで、私の本日の用向きを、そろそろ申し上げてもいいでしょうか?」
「わわわ、わかっておる。言わずともわかっておるともっ!」
 顔を真っ赤にして手を引っ込めた弁天は、意味もなくシュガーケースを持ち上げ、こちらもひっくり返してしまった。あわあわしてすっかり挙動不審になっている。
「借金は払おうぞ。必ず払うゆえ、せめてもう少し、期限の延長をしてほしいのじゃ〜〜。債権管理担当者にそう伝えておくれ。これこのとおり」
「――さて? 何のことでしょう。心当たりのないお話ですが?」
「とぼけずともよい。だから、わらわはまるっと、全然、持ち合わせがないのじゃ」
「デート費用のご心配でしたら、どうぞお気になさらず。私のほうから申し込むわけですし」
「そうデート。……ん? デートとな?」
 弁天はきょとんとしてジェームズを見る。
「それこそ、何のことじゃ?」
「私は今日、弁天さまをデートのお誘いに来たのですが――おや?」
(なんと。デート希望であったか。ふっふっふ。ほっほっほ。うむっ、わらわもそうではないかな〜と思っておったのじゃ)
(はぁ〜。何て物好き……いえ、意外な展開ですね……)
(えー。ずるーい。ハナコもデートしたーい)
 冷や汗を拭いながら胸を張る弁天と、がっくりポーズのまま床をぞうきんで拭く蛇之助と、ほうきを右手に拾い集めたカップの破片を入れた袋を左手に持ち、ぷうと頬をふくらませるハナコを見――ジェームズは、皆さん、どうなさいましたか、と、呟いたのだった。

 ++ ++

「ジェームズちゃんにエスコートしてもらうんなら、そうだね、気位の高いお嬢様風のファッションが合うと思うよ」
「赤いドレスがよろしいですね。ジェームズさんの黒に映えますから。シルクベルベットの、ロング丈のチャイナドレスは如何でしょうか? ワインレッドの生地に金と銀の牡丹の刺繍がある、これなど」
「だったら髪は下ろして、牡丹の髪飾りをつけるといいかも。ノースリーブだから、ショールが欲しいね。んと、薄い金色のシルクで、できれば同色で牡丹のワンポイントがあって……と」
 未払い分クレジットの取り立てではない、とわかったとたん、安心した反動で、蛇之助とハナコは大変に協力的だった。
 ふたりは弁天の衣装部屋を洗いざらい検分し、デート用勝負服のコーディネートにいそしんだのである。
 おかげで数十分後には、赤いチャイナドレスのお嬢様の出来上がりと相成った。
「お、おかしくないかえ?」
 急なこととて動揺醒めやらぬ弁天は、いつになくしおらしく、胸元やスリット具合を確かめている。
「よくお似合いですよ。ああ、ハナコさん、それは私が」
「はぁい。よろしくー」
 ハナコからショールを受け取ったジェームズは、後ろに回ってふわりと広げ、弁天の肩と背を覆うように乗せた。
「それでは参りましょうか、お嬢様」

 ++ ++

 そして、1時間後。
 銀座にある『エノテーカ・ピンキオーリ東京店』で、ジェームズと弁天は、差し向かいでワイングラスを傾けていた。
 フィレンツェ発祥のこ店は、ワインの品揃えに定評がある。常時2100種類、12000本もの在庫があるらしい。
「ところで弁天さま。クレジット残高のことでお困りなら、ミスター・アイゼンに相談して、立て替えていただいては?」
「おおっ! その手があったか。さすがはジェームズじゃ」
 16世紀のフィレンツェを再現したという、厳選されたアンティーク家具や調度品に囲まれて話すにはアレな内容だが、ともあれ、会話は弾んでいた。
「そういえば」
 ジェームズが、ふっと笑う。テーブルの小さなキャンドルが、微かに揺れた。
「一度、お聞きしようと思っていたのですが」
「何をじゃ」
「ミスター・伊蕗について」
「ユージィンのことは、もう、良いではないかぁ〜」
 こと、伊蕗裕治に関する話題が出ると、弁天の頬に朱が射す。心の片隅というか遥か奥深く海底2万里あたりに眠っている、乙女心が呼び覚まされるらしい。
「ちょっと、気になりましてね。弁天さまは、若き日のミスター・伊蕗のどこに、心惹かれたのですか?」
「……笑うから言わぬ」
「笑いませんよ」
「本当に?」
「誓って。紳士のたしなみです」
「……その……初めて会ったときのことじゃが……。ユージィンは、白い馬に乗っておって……夕陽が、逆光になって、髪を金色に照らして……それは、まるで……白馬の……ええと……言いにくいのう……」
「白馬の王子のようだった、と?」
「……う……む……。ほらぁ笑った!」
「笑ってませんって。ですが、そう――微笑ましいですね。そんなふうに、頬を染めてらっしゃるところも」
「なにっ? 赤いか? 赤くなっておるのか顔が? ぬ、きっと照明のせいじゃ。でなければ、ワインに酔うたのじゃ」
「わかりました。そういうことに、しておきましょう」
 してやられて不満げな弁天は、今度は攻勢に出ることにした。
「のう、ジェームズ。わらわもこの機会に、おぬしについて、問いたいことがあるぞえ?」
「私に? どんなことですか?」
「ふふん。おぬしとて、気になる娘御のひとりやふたり、いるのではないかと思うての」
「いますとも。今、目の前にひとり」
「――うまいのう、ミスター・ネゴシエーターは。本音を聞き出すのは至難のワザじゃ」
「ジェントルマンとお呼びいただきたいものですね。……おや、ワインが切れましたか。お代わりは?」
「うむ。もらおうかの」

 新しくグラスに注がれたワインを軽く転がして、弁天はちらりとジェームズを窺う。
 黒衣の紳士は優雅な笑みを崩さずに、リルケの詩を口ずさむ。

 ――あゝ、オルフェウスは歌う! 
 あゝ、わが耳に高らかなる樹!
 そしてすべては静けかえりて、なれどその静けさのなかにもなお、
 あらたなる出発(たびだち)が、暗示が、そして変貌が現わる。

……Die Sonette an Orpheus

 ++ ++

 なお、エノテーカ・ピンキオーリの膨大なワイン在庫は、この日前代未聞の消費っぷりをされた。
 青ざめた後方スタッフが如何に走り回り、どのような手段で補充を行ったかは――ミシュランガイドで3つ星を獲得した名店のこととて、企業秘密である。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【5128/ジェームズ・ブラックマン(じぇーむず・ぶらっくまん)/男/666/交渉人&??】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。神無月です。
この度は、うきうきドギマギデート(?)へのお誘い、まことにありがとうございます。
未払い分クレジットの取り立てと間違えるあたり、日頃の心がけがしのばれますな。申し訳ございません。
ジェームズさまでしたら、どんなハイレベルなお店でもさまになろうかと思いまして、胸ときめかせながら行ってみた次第ですが、た、たぶん、お支払額がえらいことに……すみませ……。