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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


「、はじめました」


「やだやだ、この本じゃないんだもんっ」
 真っ白なベッドの上、どこか薬品くさい部屋の中。むずがる赤子のように、少女は唇を尖らせた。
「困ったわね……あなたの言ってたタイトルはコレでしょう?」
「そうだけど、あそこで読んでた本はこんな話じゃなかったんだもんっ」
 頑なに「違う」と首を横に振り続ける娘に、母親は「困ったわ」と口元に手を運ぶ。
「あの漫画喫茶にあった本は、こんな内容じゃなかったんだもんーっ」
「そんな事、言ってもねぇ……退院するまで、我慢なさい」
「やーだーっ!」


 草間興信所からそう遠くなく、駅にも近い雑多な界隈。
 どこにでもあるような雑居ビル、その2階に新たな漫画喫茶が居を構えたのは一月ほど前。適度な広さを持った店内には、手入れのされていない林のように背の高い本棚がズラリと並ぶ。ともすれば、絶好のかくれんぼスポットになりそうな。
「……だからさ……どうにかして欲しいわけだ」
 ふーっと、長い長い溜息を吐き出したのは、高校生くらいの青年。彼の名前は四ノ宮・一(しのみや・いち)。この漫画喫茶「時間工房」のアルバイト――にして唯一の店員。他にもオーナーらしき人物がいるそうだが、この店を訪れた事がある人間は、一以外のスタッフを見たことはなかった。
 まぁ、漫画喫茶にそんな事を気にしてやってくる客はそうそういないだろうが。
「問題はあの本なんだ。片付けたと思ったら、いつの間にかあの席に出てる。かと思ったら、いつの間にか勝手にしまわれたりっ」
 とにかく出たり入ったりを繰り返してるんだっ!
 半ば自棄を起こしたかのような彼の物言いは、一がいまどれくらい切羽詰った状況にあるかを如実に物語っている。
 つまり、彼の弁に嘘偽りがないということ。
 しかも初めて店に訪れた客に、泣きつき相談しちゃうくらいには困っているらしい。
「おかげで呪われてるとか祟られてるとか、変な噂たっちゃって客足はどんどん遠のくしっ! これじゃ俺のバイト代ゼロ! それどころか家賃搾り取られておーまいがーっ!!」
 ずびし、と一が指差した先。
 そこには小さなテーブルに乗っかった児童書らしきカバーのかかった分厚い一冊の本。
「頼む! あれをどうにかしてくれたら、ウチの永久無料チケットくれてやるからっ!」


 どうしよう、どうしよう。
 読んで欲しいけど、読んで欲しくないような。
 だけど……あぁ、もう、恥ずかしいよ。
 恥ずかしいけど……でも、読んで欲しい――でもでもっ、やっぱり恥ずかしいから隠さなきゃっ


 ふわふわゆらり。
 本棚の影で密かに揺れるおぼろな影、しかしそれは一の目には映らない。


「あら?」
 何かしら?
 ピカピカ、チラチラと。明滅する小さな光に、シュラインは歩く速度をゆるめた。
 草間興信所へ向かう道中、雑多な界隈。不用意に足を止めては、後ろを歩く人から間違いなく追突事故をもらってしまう。
 すいっと綺麗な水をかきわけ泳ぐように、歩道の脇に寄る。それから改めて、視界に不意に飛び込んできた輝きの主を確認。
「……あら、まぁ。何、どういうこと?」
 ハンドバッグの留め具に、ひっそりとかけてあるキーホルダー。先端にぶら下がっているのは、土産物屋でみかけるような小さな方位磁石。
 それがオレンジ色の淡い輝きを帯び、しかも針は何かを自己主張するように一点をぴしりと指して揺るぎもしない。
「これは……どういうことかしら? 近くに、他の欠片があるってこと?」
 半信半疑ながら、くるりと首を針が示す方向へ向ける。
 あったのはどこにでもあるような雑居ビル。最初に目に留まったのは『時間工房』という名の、業種不明な看板。
 そこに描かれた懐中時計のデザインが、シュラインの勘に何かを訴えかける。
「ま、今日は急ぎってわけでもないし。確認がてら覗いてみるのも悪くないわね」
 足音も軽やかに、とりあえずの目的地を急遽変更。
 もちろん、そのまま何事もなく終わるはずもない――そんな確信を抱きながら。


●一、困窮する?

「そもそもね、今時これくらいのことで悪い噂なんてたつかしら? だって可愛いじゃない、出版社に持ち込みしてる頑張り少女みたいで」
「ですね。むしろ魑魅魍魎が跋扈し集積してる草間興信所のご近所なんだから、諸手を挙げて喜ばれて客足はウナギ昇りな気がしますし――それよりむしろ私はアルバイトなのに家賃を搾り取られるという四ノ宮さんの身の上の方が興味深いです」
 青い瞳の迫力美女に、金の髪に緑の瞳という絵に描いたような美青年――シュライン・エマにモーリス・ラジアルだ――にそう言い募られ、たまらず臆した一はカウンターの中で一歩後ずさる。
 その表情には、しまった、頼み込む人間を誤ったか? という後悔めいた色が浮かんでは消え、消えては浮かび。
 しかし彼がそうなってしまうことに誰も非難の声は上げられないだろう。
 国際都市東京、多種多様な国籍の人々が日常の中に氾濫している街。されど一介の高校生である一が現在直面している現実は、彼の許容量を軽くオーバーしてしまって仕方のないものだ。
「シュラインさんもモーリスもその辺りにしませんか? ほら、彼がすっかり怯えてしまっていますよ?」
 モーリスの主であり、シュラインとも旧知の仲のセレスティ・カーニンガムが穏やかに笑んで二人を制する――が、それさえ一に呼吸する事を忘れさせるほどの緊張を与えてしまっている事に、セレスティは気付かない。
 ただ一人、一の心境を正しく理解しているのは法条・風槻(のりなが・ふつき)。
(「まぁ……怯えるなってのが無理な話……」)
 心の中でだけ嘆息し、多少の哀れみを含んだ視線をアルバイト少年に向かって流す。
 どれほど国際色が豊かになろうと、ありきたりの日常で生きているなら、所謂『外国人』の方々と密接に接する機会はそう多くはない。それが一対複数になることなんて、さらに稀だ――そんな状況に不意に陥れば、誰だって軽くパニックに陥ってしかるべきだろう。相手が流暢な日本語を操っている事をうっかり失念してしまうほどには。
(「まぁ、これも草間の因果か? 私だってただの時間潰しのつもりだったのに……あそこの興信所は周辺一帯を汚染してたりするのか?」)
 口に出して言おうものなら、「汚染はさすがに酷いんじゃないかしら?」と草間興信所最古参のシュライン辺りがピっと指摘を飛ばしてきそうな言葉――怪異を引き寄せている事自体は否定しないだろう――をもう一度、心の中だけで呟く。
「あーもー、確かにそういう噂好きな人は興味でくるかもだけどっ! でも、結局それって一過性のものじゃないですか!! そのうち皆に忘れ去られて……結局、最後には俺だけがあの本と取り残されるんだっ! その恐怖があんたらに分かるか!?」
 美形外国人3名様に取り囲まれた一が、不意に爆発した。人間、追い詰められると開き直るものだ――窮鼠猫を噛む。
「何だ。四ノ宮さんは怪異が苦手ということでしたか」
「こらモーリス、そんな正直に言ってしまっては彼に失礼ですよ」
 ……噛んではみたけど、そのまま噛み返されて咀嚼されちゃいました。
 そんな勢いで一の肩ががっくりと落ちた。反論しないところを見ると、どうやらそれがこの依頼の最大の真実だったらしい。ようやく彼の萎縮具合に気付いたシュラインが、慰めようと力なく項垂れた少年の頭に手を乗せて弾ませる。
「ごめんなさいね? ちゃんと解決してあげるから、そんな落ち込まないで?」
「ほら、着いたぞ基。ここが言ってた漫画喫茶だ」
「……疲れた。なんでこの一帯はいつもこんなに人が多いんだ」
 シュラインが一に向けた励ましの言葉に、新たに混ざった声が被った。途端に、一の顔がぱっと輝く。
「んー……基は座ってた方が良さそうだな。本は俺が探すことにして――って、えぇ?」
「送り狼の烏有に、行き倒れの環和!」
「だから、俺は送り狼じゃないってば……って、なんだ。ここ四ノ宮先輩のバイト先? それなら話早いや。なぁなぁ、ここに『泉のオレンジ姫』って本ある? ちょっと探してるんだけどさ」
 店内に加わった声の主は二人。どうやら一と同じ神聖都学園の生徒らしい。行き倒れの環和こと環和・基(かんなぎ・もとい)。そして送り狼の烏有こと烏有・大地(うゆう・だいち)、彼ら二人はセットで高等部内なら知らない者はまずいない――本人たちは不本意極まりない理由でだけれども。
「へ? それなら……」
 救いの主の登場! とばかりに明るくなった一の顔が、大地の指定した本の名前をして曇る。戸惑うような視線は、点、点、点っと無造作に机の上に置きっぱなし状態の本の上へ。
(「これは……そんな都合のいい事があるはずがないって顔だな」)
 黙して静観していた風槻が、おおよその事態を察して天井を仰ぐ。
 まったくもって、ここは本当に何かが何を呼ぶ因果の地なのだろう。偶然、なんて言葉で片付けるには駒が揃いすぎている。
「恐るべし、草間興信所――ですかね」
「そのようですね、セレスティ様」


●一、驚愕する?

「つまり、烏有くん達はこの本を探しに来た、そういうことですか?」
「そうそう。近所のおばさま方と井戸端会議してたら、入院中の娘さんがここの漫画喫茶の本を探してるって事になってさ。対おばちゃんってなると、いつの間にか俺が本を探すことになっちゃって」
 何でもその娘さんの話では、ここで読んだ本――タイトルは『泉のオレンジ姫』という――は母が探して買って来てくれた同タイトルの本とは内容が全く異なっていたらしい。
「で来てみたらこの騒ぎ? って、探偵忍者TKの新刊じゃないか……これはぜひ読んでおかないとっ!」
 セレスティの会話の途中から最近出たばかりのコミックに目移りした大地、言いたい事はこれで終わり〜とばかりに其方に飛びつく。
 置いていかれた形のセレスティだが、得たい情報は既に入手し終えたのか、本を囲んでひっくり返したりカバーを剥いだりと忙しく作業をしているシュラインと風槻の方へ向き直った。
「其方の方は如何ですか?」
「んー……思った通りカバーだけ差し替えてあるみたいね。というか、元々あった本のカバーをかけてこっちを置いていったって感じでしょうけど」
「作者に纏わる情報は皆無だ。連絡先はおろかペンネームらしき名前もない。紙とインクは多分、市販されてるプリンター用のものじゃないかな」
 言いながら風槻は軽く文字を指の腹で擦る、するとそれは微かに滲みを帯びた。
「ぱっと見、分からないように丁寧に作ってあるけど。本物の『泉のオレンジ姫』の本文部分を切り取って、そこに自分で作った本をくっつけたみたいね」
 本自体から得られた情報に、シュラインと風槻は顔を見合わせ眉根を寄せる。サインか何か残っていれば、そこから作者を探そうと思っていたのだが――そうは問屋が卸さないらしい。
「四ノ宮君って言ったわよね? 君、この本を仕入れた経緯とか、この場所でこれを読んでた子のこととか何か覚えてない?」
 シュラインに唐突に話題を振られた一が、へ? と目を丸くする。
 どうやらようやくシュラインを始めとする『外国人さん沢山』という状況に慣れ、なおかつ集った人たちが面倒な怪異を解決してくれそうだと安堵しきっていたようだ。
「えーっと……ここの本って元々ここがオープンする前からあったものばっかだし。それに意識してお客さん観察したことなかったからな」
 決まり悪そうに鼻の頭を掻きながら、一がシュラインに詫びる。
「どうやらここのシステムだと会員情報とかも残ってなさそうですしね。あ、宜しかったら皆さん如何ですか?」
 一定料金を支払って、一定時間を過ごす。入店の際に名前と年齢の記載は求められるようだが、それらがデータとして留められている形跡もない。さり気なく、しかし抜かりなく店のシステムをチェックしていたモーリスが、片手にプラスチック製の盆を持って話の輪に加わった。
「あら、飲み物?」
「えぇ、こういう場所はセルフかと思いまして」
「うわぁ! いつの間にっ!」
「色々種類があったので迷いましたが、とりあえず無難に烏龍茶にしてみました。ところで、ここの烏龍茶は少々水の割合が多いような気がするんですけど?」
 いつの間にそんな事してんだよ! という一のツッコミは入る前にモーリスの鋭利な疑問の前に砕け散った。
 あぁ、もう勝手にしてくれよ。解決してもらえんなら何でもいーや、とその場にへたり込む一を微笑ましく眺めつつ、セレスティが問題の本へと手を伸ばす。
「セレスティ様?」
「……高校生くらいの女の子、ですかね。作者さんは――そう、内気そうなお嬢さんな雰囲気ですよ」
 お手製ということは、作者がこの本に触れたということだ。しかもこれだけしっかり仕上げるには、かなりの努力が要ったことだろう。即ち、微かであるがこの本には『彼女』のかいた汗が残っていたのだ。
「高校生くらいの女の子か……まだ漠然としてるな……」
「でも年齢と性別絞り込めただけでも大助かりよ。こんな手の込んだ事をするくらいだもの、きっとここが自分の行動範囲内に入る子だわ」
 セレスティからもたらされた情報に、風槻の指がノートパソコンのキーボードの上を走り、シュラインの頭の中がこれまでの事件の定石を洗っていく。
「……なぁ、なんであんたらそんな事が分かるんだ?」
 目の前で繰り広げられる超常的出来事に、ぽかんと口を開ける一。
 セレスティはそんな青年に「企業秘密ですよ」と涼やかに微笑んだ。

「っち、犯人は次の巻か! なぁなぁ、基。お前もこのシリーズ読んでたよな。犯人誰だと思う?」
 大人たちが情報収集に勤しむ中、無事にコミックを一冊読み終わった大地は、ぼんやりと椅子に座っていた基を振り返る。
「んー……確か」
「うわ、待て。そういやお前本誌読んでたか!……どうした?」
 聞きたいような聞きたくないような。明確な解答を与えられそうになった大地は、慌てて基の弁を閉ざし――そして気付いた。
「いや、さっきからちらちらとな」
「誰かいるのか?」
 ぼんやりと店の奥を眺めているような基の視線、その先に「自分には見えない」ものを察し、大地は基を支えるように彼の背後に立つ。
 その様子を、モーリスが興味深げに眺めていた。


●一、恐怖する?

 人には誰にも言えない秘密があるもの――しかし、彼の場合は少し違う。
 秘密にしようという気持ちはさらさら皆無だ。何故なら彼自身がそのことを秘密にしようと思っていない――不思議なことだと思っていないから。皆、見えて聞こえていると思っている。
 だから、逆に周囲が秘密にしているくらいだ――そんなことが出来るのは世間にそういるものではないと。まぁ、草間興信所に出入りする面々にはけっこうザラにいそうな気がするけれど。
「多分、この近くにある女子高の生徒じゃないかな。制服、確かあんなんだったよな?」
 なぁ? と同意を求められた大地が曖昧な笑みを浮べて、応えを返す相手は基。
 彼の視線が焦点を合わせる場所、そこにあるもの――否、人を大地は見ることができない。けれど、基の態度から『誰かがいる』ことは分かる。
「案外簡単でしたね。もう少し手間取るかと思ってたんですけど」
 傍から見れば不可思議な高校生二人の会話に一石を投じたのはモーリス。
 華やかな笑顔の中に、どこか悪戯めいた色が滲み出る――それもそのはず、『彼女』に対し罠を仕掛けたのは彼なのだから。
「へ? 何かしたんですか?」
「ふふ、ちょっとだけですけどね。君ら二人を見ていたら、察せられてしまったのでそれとなく」
 口元に手を運び軽く唇の端をあげる笑い方は、どことなく小悪魔っぽいよな。
 モーリスの意味深な態度に僅かに背筋を寒くしつつ、大地は再び基に向き合う。どうやら基は女子高生と思しき何かと話し込んでいる様子。しかも『大丈夫だから』とか『泣くなよ』という言葉が連呼されている。
「こらこら、モーリス。純粋なお嬢さんを泣かせてしまってはダメじゃないですか」
「そんなセレスティ様、私は意地悪なんてしてませんよ? この本棚が迷路のようで少々邪魔だったから、小さな罠をしかけただけです」
 モーリスの背後からかけられた澄んだ声。その主は当然、セレスティ。漏れ聞こえた会話から、長い年月を共にある者がしでかしたことを察知したらしい。
「……アーク、使いましたね?」
「あちらの少年が不確かな気配に困っていたようなので、ちょっとだけですよ。此方を気にしていたらしく、あっさりと引っ掛かってくれたのは彼女自身の責任です」
 目には見えない少女――基が女子高生と言うので、そういうことになっている――の涙を思い、セレスティがわざとらしく顔をしかめると、モーリスはあくまで責は当人にあるのだと返す。
「と、それはさておいて。本の作者がみつかったみたいですから。話とか聞いてみたらどうでしょう?」
「え? そうなの?」
 モーリスがセレスティを促す言葉に、風槻と一緒になって資料を漁っていたシュラインが顔を上げる。
「いや、勝手にそうかなって思っただけですけど。こんなタイミングで捕まるのは関係者しかいないでしょう?」
「セオリー通りってことね。で、実際のところどうなのかしら?」
 モーリスの言葉に、然りとシュラインも頷きを返す。犯人は現場に戻る――これは捜査における鉄則のようなものだ。例えそれが怪奇事件であったとしても。
「んー…多分、そんな感じっぽい。基、彼女は何て?」
「迷惑かけて御免なさいって泣いて上手く話になってないけど。それを彼女が作ったのは間違いないって。書き上げた物語を誰かに読んで欲しかったらしいんだけど……そこから先は自分でも分からないって」
 こんな風に通訳するのにも慣れているのだろう。どうして大地が「聞こえている声」の事を自分に尋ねてくるのかもさして疑問に思わず、基は誰かの背を撫でるような仕草のまま大地を見上げた。
「分かんない?」
「そう、名前とかも。ただ、読んで欲しいような、でも恥ずかしくて読んで欲しくないようなってそればっかり」
 ピクリ。
 基が発した台詞――正しくは、問題の少女の弁にシュラインの眉がぴくりとつり上がる。
「まったくもう! そんなにはずかしがることないじゃない。少なくとも一人は入院先でまで貴方が書いた本を読みたがってくれるファンの子がいるのよ?」
「そうですよ。さきほどチラリと読んでみましたが心温まるステキはお話です。あまりに可愛いお話なので私は本を撫でてあげたくなったほどです」
 見えない少女の姿を基の位置から当りをつけて、率直な感想を告げるシュラインとセレスティ。
 その二人の様子に、先ほどから無言を通していた一が、同じくパソコンに向き合ったままの風槻におそるおそる問い掛ける。
「……なぁ、あの人ら。誰に何言ってんだ?」
「記憶がないのは事故にあったショックかな。この近辺での事故情報を当ったら、それらしきのがひっかかってきた。この本が出たり消えたりするのと時期も一致する」
 我関せずと見えていた風槻だったが、しっかり外野の声からも情報を収集していたらしい。
 キーボードの上を滑らかに走る指は、確実に作者の正体を手繰り寄せていた。
「彼女の名は、藤織陽菜。高校2年生だ」
「………へ?」
「本体は今も意識不明で入院中だそうだ」
「……って、ことは何!? 幽霊ってヤツ!? そういうこと!? そういうことっ!?!?」
 静かにパソコンを閉じた風槻を余所目に、一は一人で顔を青くしたり白くしたりの大騒ぎ。だが悲しいかな、そんな一に慰めの言葉をかけてくれる者はいなかった。
「藤織さん、だっけ? そんな強い想いがあるなら、恥ずかしいとか言ってる場合じゃないでしょ?」
 ひぃー、なんであんたらそんなに冷静なんだーっ!
 一の恐怖に引きつった叫びは、風槻の凛とした声の前に霧散した。


●一、落涙する?

「はい、出来た♪ こんなんでどうかしら?」
「可愛らしいですね。きっと陽菜さんも喜ばれる事でしょう」
 一の悲痛な叫びが上がった日から数日後、時間工房にはまたしても不思議国籍満載となっていた。
「そして……この感想ノートをここに置いて――はい出来上がり♪」
 子供が秘密基地を完成させた時のような、そんな笑顔を浮べてシュラインは自賛に手を打ち鳴らす。そしてセレスティは彼女の作成物に敬意を評する拍手を送った。
 既に定位置となったその机。そこには新たな鍵つきのカバーを与えられた例――正しいタイトルは『勇敢なお姫様』だったようだ。何でも魔物に囚われた王子さまを、可憐なお姫様が助けに行くというストーリーなようで――の本と、『恥ずかしがりやの本です。大事に読んでね』と書かれた鍵入りの小箱。ついでに『感想ノート』と表題のついた大学ノートが一冊。
「結局、動かすことは出来ませんでしたね」
 今日はティーセットを持参したらしいモーリスは、入りたての湯気が上がる芳しい香りを放つ紅茶を、主とその友人の目の前に静かに差し出した。
「霊的な影響を受けてしまったゆえの現象でしょうね。彼女の意思とは関係なく、この本自体が付喪神のような状態になってしまったんでしょう」
 そう静かに言いながら、セレスティは設置されたばかりの本に手を伸ばす。
 可愛らしい小箱の中から金の鍵を取り出し、カバーの留め具に取り付けられている鍵穴に差し込む。
 心持ち軽く捻ると、かちりと封が解かれる音。
「まぁ、ここまですれば物珍しさにこの本を手に取る人も出るかもしれませんが、大事にしてもらえるのは間違いないでしょう……ね、四ノ宮さん」
 思わぬタイミングで話を振られた一が、喉の奥から「うひぃ」と奇怪な声を発する。
 どうやらオカルトネタに弱いらしい彼には、この本がこの店内にあり続けるのが多少の苦痛を伴うらしい。いや、気持ちでは「それが一番」だと分かってはいるようなのだが、それだけで克服できるものでもないようだ。
「ほらほら、そんなに怯えてるとまた本が逃げ出してしまいますよ?」
 すいっと温かな湯気が一の鼻先を擽る。モーリスが差し出したのは真っ赤な色のティーカップ。
「赤は情熱の色と言うでしょう? ほら、元気を出して下さい」
「……闘牛士の牛じゃないんだから―――って、辛ぇーっ! つか痛い!!」
 紅茶を一口含んだ一、勢いに任せてそのまま噴き出した。それからまさに猛牛の勢いでセルフの飲み物コーナーへ突き進む。
「モーリス?」
「いえ、景気づけにちょっと唐辛子の粉末を。匂いで気付くと思ったものですから」
 主に窘められて、まさか本当に飲むとは思わなかったんですよ? とモーリスは首を傾げる。
「まったくもう。でも、まぁ。四ノ宮くんの辛気臭い雰囲気も飛んじゃったみたいだし、これにて一件落着ね」
 そう笑いながら、シュラインは感想ノートの一ページ目に大きな花丸を描いた。


「ほい、これが頼まれてた本。ちゃんとしたのになってないけど、中身はおんなじだから」
 花柄のカーディガンを肩からかけた少女に、大地はA4の用紙の束がつまった分厚い封筒を手渡した。
 叶うなら本を持ち出したかったのだが、店から出ようとしない――本が。持って出ようとすると消えて元の位置に戻ってしまうのだ――為、調べ出した陽菜の自宅を訪れデータを入手し、プリントアウトした結果がそれである。
「まったく。恥ずかしがり屋、ここに極まれりだよな」
 わーい、ありがとう! と歓喜の声を上げ、さっそく読み始めた幼い少女を眺めながら、大地はここに至るまでの苦労を胸の内で反芻した。
 見知らぬ少年が突然データが欲しいと陽菜の家を訪れたのだ――どれほどの労があったかは想像するだけで気が遠くなる。
 と、そこへ。
「それ……ひょっとして?」
 大地が開けたままにしていた少女の病室の扉、その向こうにパジャマ姿の高校生らしき少女――基がいれば一目で彼女が陽菜だと指摘しただろう――が立ち尽くしていた。
「ねぇ……もしかして、それ?」
 期待に満ちた輝きが陽菜の瞳に点る。
 視線の先には、少女が読み耽る紙の束。少女の方も陽菜に気付いたのだろう、何事かと顔を上げ――不思議そうに首を傾げた。
「お姉ちゃんもこれ読みたいの? でもでも、ちょっと待っててね。私が読み終わったら貸してあげるから。とーっても面白いんだよ!」
 少女の最後の言葉に、陽菜の顔が零れんばかりの笑顔に彩られる。
「そう、面白いんだ?」
「うん!」
 事の成り行きを見守っていた大地は、近くにある見知った気配にふっと頬を緩ませた。

「お疲れさまです、法条さん」
「ん? あぁ」
 ナースセンターの近くのこじんまりとした歓談スペース。そこにこそりと身を潜ませてい風槻は、背後からかけられた声に肩を揺らして振り返る。
「藤織さん、でしたっけ。彼女もこの病院だったんですね」
「まぁね、これぞ縁ってとこかな。さすがにちょっとばかり驚いたけど」
 声の主が基であることに、なるほどと安堵の息をつき、風槻は再び陽菜が入っていった病室の方に目を向けた。
「どうやって藤織さんをあの子の所へ?」
「や、それとなく本のデータを持ち出した少年を見かけたって言ったげただけだよ」
 そこに辿り着くまでにでっち上げた様々な設定の事を思い出しながら、風槻は両肩を竦めてみせる。
「ってことは、藤織さんは俺らのことは覚えてないのか」
「みたいだったよ。ま、それはそれでいいんじゃないのかな」
 時間工房で風槻らに叱咤された翌日、陽菜は長い眠りから意識を取り戻した。
 怪我自体はそう重いものではなかったらしく、今は病院内を自由に行き来している。退院の日もそう遠くないことだろう。
「全ては夢の中の出来事、ですか?」
「そうそう、物書きは自分の中にある夢を形にしてるんだし。ちょうど丸く収まったってことで」
 一人、いまいち上手く収まりきっていない少年――時間工房のバイト少年のこと――がいるのは置いておいて。
 麗らかな午後の日に照らされて、風槻と基はくすくすと楽しげに微笑んだ。


●オーナーはだぁれ?

「ところで、ちょっと質問いいかしら?」
 決して件の本が設置されたテーブルには近寄ろうとしないながらも、いそいそと店内の掃除を始めた一に、シュラインはどこからともなく雑巾を取り出し助成に入る。
「へ?」
 一瞬、びくりと眇められた肩は、彼の怯えの表れか。それでもシュラインが手にした雑巾に、ふにゃりと気配が緩む。無論、それを見逃すなんて甘さは持っていないのが、草間興信所の最古参。
「この店のオーナーさん、どんな人?」
 それは本の問題解決に当たりながらも終始気にかかっていたこと。
 夕の欠片が反応したということは、それ相応の何か――もしくは誰かがいるはずだ。しかも現状、人型をとって覚醒しているのは一人しかいない。
「っひぃ!」
 その上でこんな不思議を容認できていると言えば、もう確信を抱くに等しい状態なのだが――さらなる追求をかけようとしたシュラインは、一が発した奇怪な声に目を丸くした。
「ど、どうしたの?」
「あ、いや。なんでもない。なんでもないんだ……そう、なんでもない」
 あまりと言えばあまりな、分かり安すぎる一の『怯え』反応。その激的さは、申し訳ないが少し笑えるほどで。
「ははははは」
 モップの柄を手にしたまま乾いた笑いを零す一。その手にうっすらと汗が浮かんでいるのを見止め、シュラインは忍び笑いを殺して小さな溜息を零した。
 彼のこの極端な反応は何だろう? と首を傾げつつ、それでも『オーナー』に何らかの『恐怖』があるのは事実なようで。したがってさすがに、これ以上聞くのは申し訳なく。
「……まったく。ちっともじっとしてない人達なんだから」
 真相はまだ見えぬけれど――何かを予感し、シュラインはもう一度、盛大な溜息をつくのだった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/ 女 / 26 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

【1883/セレスティ・カーニンガム/ 男 / 725 /財閥総帥・占い師・水霊使い】

【2318/モーリス・ラジアル/ 男 / 527 /ガードナー・医師・調和者】

【5598/烏有・大地 (うゆう・だいち)/ 男 / 17 /高校生】

【6604/環和・基 (かんなぎ・もとい)/ 男 / 17 /高校生、時々魔法使い】

【6235/法条・風槻 (のりなが・ふつき)/ 女 / 25 /情報請負人】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。毎度お世話になっておりますライターの観空ハツキです。
 この度は、新しい船出「時間工房」の初依頼「、はじめました」にご参加頂き、ありがとうございました。
 そしてそして……限りなく有言不実行ちっくで申し訳ありません……orz
 早めの納品を…っ! と心に誓っていたのですが……いきなり出端で挫かれてしまいました。
 うーあー……つ、次こそはっ

 ●シュライン・エマ様
 毎度お世話になっておりますっ!
 今回は……夕の欠片出動で、ちょっとドキドキしつつ――ご対面はもうちょっと後のことということで。
 本にステキな居場所を与えてくださり、ありがとうございました。

 誤字脱字等には注意はしておりますが、お目汚しの部分残っておりましたら申し訳ございません。
 ご意見、ご要望などございましたらテラコンなどからお気軽にお送り頂けますと幸いです。
 それでは今回は本当にありがとうございました。 時間工房では皆さまのまたのご来店を、心よりお待ちしております。