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<東京怪談ノベル(シングル)>


神遊び



 穏やかな晴れ間が広がる晩秋の日の午後。藤宮永は、とある店の入り口に貼られた紙を見て、呆然と立ち尽くしていた。
 わざわざ電車を乗り継いで書画用品が取り揃えられている老舗へ来てみれば、その日に限って店にはシャッターが下り、達筆な文字で「臨時休業」と大きく書かれた紙が掲げられていたのである。
「この店、年末年始以外は無休や思っとったんやけど……違うんか?」
 何も自分が来る日に休みをとらなくても、と永はその四文字を眺めながら思わず深い溜息を零した。
 この店に通い始めて以来、いつなんどき永が店を訪ねても、店主が臨時で休みを取っている事などなかった。それがここへ来ていきなり休みとは、もしかしたら店主に何かあったのあろうか? とそんな憶測まで永の胸内を過ぎってしまう。
 けれど、「臨時休業」を告げる文字の横に小さく添えられた一文が永の目に留まると、その不安はすぐに打ち消された。


『本日「神輿を担ぐ会」参加に伴い
       真に勝手ながら休みとさせて頂きます 店主』


「……『神輿(みこし)を担ぐ会』って何やねん」
 心配が取り越し苦労であった事にホッとしたのも束の間。永はその文字の意味するところがわからずに首を傾げた。
 恐らく文字通り、神輿を担ぎたいという人々の集まりなのだろう。だが、店主が店の営業を投げ打ってまで参加したいと思うような大きな祭りが、今日この界隈で開かれているのだろうか。
 永はここまで来る道中の街の賑わいを思い出した。
 もともと下町だという事もあって、人通りの絶えない場所ではあったが、確かに駅のホームを降りた時から、いつにも増して人が多かったように思う。
「せや。確かこの街には大きな神社があったなぁ」
 以前書画店へ来た折に、店主からこの近くに美味しい甘味処があると知らされて街を歩いた事があった。その道すがらに、大きな鳥居を見た記憶がある。そこで祭りでも行なわれているのだろうか。
 どのみち店は閉まっているのだからここに居ても仕方が無い。かといって、このまま何もせずに自宅へ帰るのも癪である。たまには予定を変更して、祭り見物でもしてみようか。と、そんな事を思案している内に、ふと思考が参道に並んでいるであろう屋台へ移ると、永はその表情をパッと明るいものに変えた。
「屋台が出とったら、駄菓子の一つも売られとるやろ」
 書道教室のおば様方が見たら黄色い声を上げて喜びそうな程、永は幼い子供のような笑顔を浮かべて踵を返した。


*


 どこの神社でも、普段は参拝客の数などたかが知れている。だが祭りとなれば話は別だ。
 表立って有名ではないが、地元民や神社仏閣好きには意外と名の知れた神社である。真白の砂利で覆われた広い参道の両脇には、案の定ずらりと屋台が立ち並び、子供が親に綿菓子をせがんでいる姿や、甘酒と酒饅頭を片手に大騒ぎをしている若者達の姿が数多く見られる。
 永は、一の鳥居から二の鳥居、果ては本殿まで真っ直ぐに続く参道を埋め尽つくしている人の多さに思わず閉口した。
 恐らくここに居る人間の大半は、祭りの賑わいに便乗しているだけで、神社が何の目的で祭りを開いているのかさえ知らないのだろう。だが、普段は神社と無縁の人々がこうした賑わいに誘われて神社へ赴くのなら、そういう楽しみ方も悪くは無いと、永は思う。
「きっと今頃は、書画の店主も神輿を担ぎながら街の中を練り歩いてはるんやろなぁ」
 何だかんだ言って下町の人間はノリが良い。普段はおとなしい人間でも、そうした会合では人が変わる場合もあるのだ。
 永は書画の店主が捻り鉢巻を頭に、神輿を担いで街を跋扈している姿を想像すると、思わず口元に笑みを浮かべた。
 と、その時。

 ふと神楽囃子の音色が周囲に響き始めて、永は顔を上げた。
 それまで屋台とそこに賑わう人々ばかりに目が向いていて気付かなかったが、見れば二の鳥居の向こうにある拝殿の右手に、真新しい木々で造られた舞殿が見えた。
「……仮設の、神楽舞台やろか」
 神楽囃子が聞こえてくるという事は、恐らく神楽舞が披露されているのだろう。固定の神楽殿を置かない神社や、数年に一度しか神楽を行わない神社では、神楽舞を披露する年にだけ、祭りに併せて仮設の舞殿を造る事がある。
 神社で神楽を見る機会など、そうそうあるものではない。永は耳に届く囃子の音と、微かに見える舞人の様子に惹かれ、二の鳥居を抜けて舞殿へと向かった。


 人のざわめきは変わらず。けれどその声さえも凌駕して、締め太鼓の音色が拝殿前の空気を震わす。その音に併せて篠笛や胴拍子などの音色が入り混じり、里神楽独特の拍子が奏でられている。
 拝殿右手にある楽屋から仮設の舞殿までを橋掛かりがつなぎ、舞殿の周りには注連縄が張り巡らされている。上部には立派な蓋(がい)が設けられており、仮設とはいえ短期間でよくぞここまで造り上げたものだと、永は思わず感嘆の溜息を零した。
 舞殿では、剣と御鈴を採り物に、真白の装束を身に纏った四人の男が、直面のまま囃子に合わせて神楽を舞っていた。
 舞人の持つ御鈴が涼やかな音色を響かせる。
 その軽快な舞と楽の音は、聞いている永の心までも不思議と愉快な気持ちにさせた。
「これを見てる神様も、きっと楽しんで、喜んではるんやろなぁ」
 永が神楽舞を見ながらそう独り言を呟いた時だった。
「……おや、藤宮先生ではないですか?」
 不意に名を呼ばれて永が声のする方へ視線を向けると、斜め後ろから見物客の合間を縫って、のんびりと自分に近づいてくる一人の男と目が合った。綜月漣である。
 永は微かに驚いて向き直ると、漣に軽く会釈をして穏やかな笑顔を向けた。
「お久しぶりです綜月先生。このような場所で会うとは奇遇ですね」
 先程までの関西弁はどこへやら。永はスイッチが切り替わったように流麗な言葉遣いと笑顔で漣に対峙する。
 永の関西弁を聞いたことの無い漣は、それと知らずにのほほんとした口調で永へと言葉を紡ぐ。
「本当ですねぇ。藤宮先生のご自宅はこの近くなのですか?」
「いいえ。今日は所用がありましてこちらに。そのついでに神社へ立ち寄ってみたのですよ」
 永が鉄壁の笑顔で漣の言葉に返せば、「そうでしたか」と相槌を打つ漣も負けず劣らず穏やかに微笑む。
 傍らから見れば、今時珍しい程物腰優雅な二人の青年が、和やかに会話をしている光景に見えるのだろう。だが、決して笑顔を崩さない漣を見て、もしかしたら漣も存外に腹黒いのではないかと、永は密かに思ったりする。
「散歩がてら祭りを見に来たのですが、まさか神楽を催しているとは思いませんでしたねぇ」
 視線を舞殿へ向けて告げる漣の言葉に永もつられてそちらを見ると、いつの間に舞い手が変わったのだろう。白の千早に緋袴をはいた四人の幼い少女が、右手に御鈴を左手に扇子を持ち、巫女舞を舞っていた。
 先程の荒々しい剣舞とは異なる巫女達の物静かな旋回の動きは、まるで神の降臨を促しているかのように厳かだった。
 手に抱く御鈴の音が響き渡るたび、心に穏やかな静寂が訪れるような気がする。
 永はその巫女舞と先ほど見た剣舞とを思い出すと、そのあまりの動きの違いに驚きの表情を浮かべた。
「神楽は……特に御鈴というものは不思議なものですね。舞手や演目が異なるだけで、見る者を楽しい心持にさせたり、穏やかな気持ちにさせたりする」
 永は、巫女舞を眺めながら独り言のように言葉を紡いだ。漣はそんな永へと微笑みながら言葉を返す。
「神楽は別名『神遊び』とも『神座』とも言われるのだそうですよ」
「神遊び、ですか?」
 漣の言葉を永が反芻すると、漣は静かに頷いて、とある古文の一節を口ずさんだ。
「鈴はさや振る藤太巫女 目より上にぞ鈴は振る ゆらゆらと 振り上げて 目より下にて鈴振れば 懈怠なりとて 忌々し 神腹立ち給ふ」
 いきなり古文など語り始めて何事だろう、と永は漣を見遣りながら瞳をしばたたかせた。が、その一文に思い当たる節があり、永は記憶の糸を手繰り寄せる。
「梁塵秘抄の一節ですね」
「ご名答。藤宮先生もご存知でしたか」
「ええ。何かの折に読んだ記憶があります」
「御鈴は巫女が神をその身におろした事を知らせる楽器であるのと同時に、邪気を払い神の巡業を促す祓具でもありますからねぇ。聴く者を穏やかな気持ちにさせるのは、その所為かもしれません」
 尤も、採り物としての御鈴には神を楽しませるという意味合いもあるのでしょうが、と漣はのんびりと告げる。
 それを聞いて、永はふと「楽」という文字を脳裏に思い描いた。
 今己の手に筆と半紙が無いのは悔やまれるが、口頭で変換する程の事でもない。
「『楽』は鎮魂の意味の古語です。アソビとも訓じますから、神楽を『神遊び』と銘打つのは中々に奥が深い」
 永の言葉に、漣は「なるほど」と感心したように相槌を打つ。
「音を楽しむで音楽となりますが、元々神へ奉納する神楽鈴などの楽器の形が、『楽』という文字を形作っています。綜月先生の仰るとおり、御鈴は祓具であると同時に、芸能として楽しむものでもある。両極の意味を持つ楽器なのですね」
「きっとこの楽の音に惹かれて、神様もどこからか楽しく神社の光景を眺めているかもしれませんねぇ」
 永と漣は互いに得心がいったように、穏やかな面持ちで巫女舞を眺めた。

 楽と舞とで神の降臨を促し神を楽しませ、一年の豊作豊漁、果ては無病息災を願う神事。
 いつから生じた芸能なのか正確なところは解らないが、これから先も廃れる事無く日本の良き伝統として続いていって欲しい。
 そんな事を考えていた永に、漣は悪戯を含んだような声色で不意に話しかけた。
「飛躍して解釈すれば、今日我々がこの場所で偶然会ったのも、神様の遊びに巻き込まれたからかもしれませんねぇ」
 どういう意味だろう? と永がきょとんとした面持ちで漣を見る。すると漣は至極楽しそうな笑みを浮かべて、永へと酒を飲む仕草を見せた。
 永は漣の調子に、思わず軽く苦笑して告げる。
「では巻き込まれついでに甘味処でお茶でも頂きましょうか、綜月先生」
「おや、酒ではなく甘味ですか」
「酒にはまだ時間が早いでしょう。書画の老舗の店主から、以前美味しい店を教えて頂いたのですよ。如何です?」
 永の言葉に漣が笑顔で頷く。
 老舗が臨時休業だったのも、漣と出会ったのも単なる偶然なのだろう。けれど、祭りが行なわれていなければその偶然が起こらなかったのも確かだ。
 楽の音と舞とで楽しい気持ちになるのは、神様だけでなく我々人間も同じなのだなと思いながら、永は甘味処へと漣を案内する為に、のんびりと歩き出した。




<了>