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<東京怪談ノベル(シングル)>


『A bouquet to a dead person』


 翔子の方も無事では済まなかった。倒れた彼女の下の絨毯をも焦げさせるほどに体温を上げている彼女はその場に崩れ、荒い息を吐き続けていた。
 眼はうつろで、息を苦しそうに胸でしていた。
 完全なる敗北だった。
 そう。火宮翔子は負けたのだ。




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【1】

 その日、彼女はバイクで長野県山中の道を走っていた。
 深い山間に走る道だ。それは車二台がぎりぎり行き交えれるぐらいの幅しかなく、頭上は左側に広がる深い森の木々の枝や葉によって完全に隠され薄暗い。右手にあるガードレールの向こう側は崖である。
 奇怪にも聴こえる薄気味の悪い野鳥の鳴き声や羽音だけが彼女、火宮翔子の乗るバイクの走行音以外の音だった。
 つまり人気は無く、そしてうら寂しい道と言う事だ。
 翔子がこの道を走っているのは趣味のバイクでのドライブでであった。
 行き先を決めずにただ気の向くままにバイクを走らせていたらこんな道に出たのだ。
 分岐点はあの国道からこの道に至るわき道であった。
 しごく狭い道。舗装もされておらず、むき出しの山土に刻まれたわだちがバイク乗りの血をたぎらせたのだ。
 そしてその道を走り、この裏道へと出た。
 道に降り積もった落ち葉を見る限りだいぶこの道は使われてはいないらしい。
 それは一目瞭然だった。
 細く薄暗い道は時に緩やかで時に急で、登っていたかと思うと、下っていて、同じ風景、同じ様な道が続くこの道はいささか翔子を退屈させた。
 どこかで休憩を取ろうか? 
 ―――そう彼女が考えた時だった。
 急にその道が終わったのだ。
 道の終着点には駅があった。
 とても古い駅で、よく昔懐かしいレトロな建物を特集に組んだテレビ番組に出てくるような駅だった。
 いや、それを駅と呼ぶのには少し語弊があるかもしれない。
 駅だった建物と言うのが正しいのか。
 木造のその建物は簡素な造りで、最近の駅舎には見られない造りであった。
 そして草が生えたその向こうにはきっと使われなくなったレールがあるのだろう。
「だけど生憎私は鉄っちゃんじゃないんだなー、これが」
 翔子はひょいっ、と肩を小さく竦めた。
 バイクを止めて、ヘルメットを脱ぐと、初冬の空気の冷たさが彼女の素肌をそっと撫でた。
 その冷たい空気が孕んでいたのは鉄寂びの臭いだった。
 バイクから降り、ヘルメットをシートの上に置いて、彼女は顔にかかる髪を掻きあげた。
 それにしてもこんな所に駅があった事や線路が走っていた事は知らなかった。
 山で伐採した木を運ぶための物であるのであろうか、それらは?
「いや、それにしたって変か」
 そういう施設とはまた違って見えた。
 明らかに人の交通手段としての駅に見えた。
 しかし、
「ここは山の中なのよね」
 山深い場所にいきなり存在する駅。
 近くに民家は無い。
 また黒部渓谷などとも違ってダムも無いし、鹿の湯温泉のような温泉も無い。
 本当に何も無い場所なのだ。
 強いて言えば山の下に広がる町が別荘地だという事ぐらいだろうか?
 忘れられた過去の遺物というわけではない。
 本当に唐突にある場所。
 何だか本当にそれは不自然だった。
 しかしだからと言って異界に紛れ込んだそういう感覚も無い。
 もしもそうならばわかる。
 だけどそういう薄ら寒さがまるで無いのだ。
 本当にただどこにでもある場所に迷い込んでしまった、それだけ。
 だけどそれで済ますには、やはり何かが不自然なのだ。
 翔子は顔を左右に振り、改札口にかけられた錆びた鎖をまたいでホームに入った。
 しかしその翔子の足取りが緊張したものになっているのは、彼女が見逃さなかったからだ。鎖をまたぐ時に降り積もった埃の中に見た真新しい小さな手の跡を。
 果たしてホームの錆びついたベンチにはひとりの男の子が居た。
 もちろん幽霊などではない。
 そして外見からして廃止された駅の写真を撮りに来た鉄っちゃんでも無いようだ。
「家出かしら?」
 ひょいっと翔子は軽く肩を竦めた。
 それからわざとらしく大きな咳払いを立てる。
 ベンチの彼はものすごくびっくりした、という感じで身体を震わせた。
「何をしているの、こんな所で?」
 キツクなりすぎないように注意しながらも子どもの悪戯を注意するには充分の口調で翔子はそう問うた。
 しかしあからさまに彼はその翔子の質問に訝しげな表情をしたのだ。
 思わず翔子の方こそが何か間違いを犯したのか、と不安になってしまう。
「汽車を待っているんだよ。綺麗なお姉さん」
 ――――このマセガキ。
 思わず翔子の顔が引き攣った。
 それから翔子はあからさまに大きくため息を吐く。
「あのね、こんな場所に汽車なんか来る訳が無いでしょう?」
 線路はこの駅舎同様に朽ち果てていた。手入れがされていないのだから当然だ。こんな線路を走れる訳が無いし、それに汽車って………
 ――――何を言っているの、この子?
 やはり最近は相次ぐ子どもが被害者となる事件のせいで大人が余所様の子を注意できなくなったのを良い事に子どもは増徴している、という専門家の意見は正しいのかもしれない。ただでさえバブル期に援交をしていた世代が親となっていて、そのせいで子どもの家庭での教育がちゃんとなされていないのだ。
 本当に頭痛がする。
 煙たい大人を追い払うために嘘を吐くにしてももう少しまともな嘘を吐けばいいのに。
 それとも自分の事が怖いのだろうか?
 それでかわいくない子どもを演じている?
「どうでもいいけど、僕、ショタコンのお姉さんのツバメになる気は無いから。誘惑しても無駄だよ」
 ―――思わず絶句して、口を開けてしまった。
 そしてきっととても深く皺を刻んでいるのであろう眉間に手をあてて翔子は頭痛を堪えた。
 何、私、こんなお子様にセクハラされているのよ?
「そんな落ち込まなくっても。それだけ白い綺麗な肌で細身でスタイル抜群、っていうなら、お姉さんなら普通に街でナンパされたり、逆ナンでも成功するでしょう。うん。でも小学生に手を出すのは犯罪だよ。まあ青田刈りが趣味だ、って言われちゃうと、それがどんな趣味でもこの僕は人様の趣味にケチをつけるほど最低な心根の持ち主じゃないから、それを認めてあげる器量はあるけどね。うん。だけどまあ、ショタコン、ロリコン、年下好きは好き者、っていう感じで、良くないよね」
 ―――えっと、このウエストポーチに確か針と糸って入っていたよね?
 にこりと微笑む翔子は脳内でこのセクハラクソガキの口をその針と糸で縫ってやっているのを想像しながら彼の前に立った。
 腰に片手を置いて、もう片方の手は人差し指を立てて彼の前に出す。
「お姉さんからの忠告。ひとつ、女性に対するセクハラ発言はしない。ふたつ、大人を子どもが馬鹿にしない。これらは人が生きるうえでの最低条件よ。それを守れないようじゃダメね。子どもよ。子ども」
「だけど僕は子どもなんだなー、これが」
 彼は両手を開いて大仰に肩を竦めた。
 ―――えっと、バイクにロープはあったけ?
 翔子はかなり真剣にこの子を教育の為に木からぶら下げてやろうかと思う。
 なんだか本当に少し疲れたかもしれない。
「それよりもお姉さんこそ、僕を青田刈りしに来たんじゃないのなら、何をしにここに来たのさ?」
 小首を傾げる彼に翔子はため息混じりに言った。
「汽車に乗りに来たのよ」
 さあ、どう出る?
 ふふん、と笑いながら彼を見据えてやると、彼にはそこで会話を終了させられた。
 ―――ボ、ボケ、ほったらかし?
 翔子が顔を引き攣らせた時、車の走行音が二方向から聴こえてきた。
 一つは翔子と同じ方向から。
 もう一方は線路挟んだ向こう側―――翔子が来た方向の反対側からだ。
 そして車が止まり、足音が二つ。
 しかもそれは全て子どもの物であった。
 狐に包まれたような顔で翔子がそこに立っていると、やがて肥満体型の子と、対照的にガリガリに痩せた眼鏡をかけた子が来た。
 二人とも翔子を見て、次に翔子の目の前に居る彼を見る。
「念のために言っておくけど僕はこの人同伴じゃないよ。そんな優しさに包まれた環境で育ったのなら、ここに着てないだろう?」
 そう言った彼を翔子は改めて訝しげに見た。
 しかし男の子は腕時計を見て、それから肩を竦めると、ベンチから立ち上がった。
 汽車が駅のホームに入ってきた。
「嘘?」
 と、翔子は呆然とした声を出す。
 音は無かった。
 しかしホームに滑り込んできた汽車が起こした風に吹き上がる髪がこれが幻では無い事を証明していた。
 そして子どもたちは汽車の客車へと乗り込んでしまった。
 これは紛れも無く現実であるが、しかし日常ではなかった。
 いや、火宮翔子にとっては日常である。
 日常と言う名の非日常、という奴だ。
 彼女は肩を竦めた。
 この世には偶然などというものは無い。これは必然だったのだ。
 この非日常があるから自分はここに来たのだし、
 ここに自分が着たから、この非日常はここにあった。
 あのセクハラ小僧の相手はいささか手こずりそうだが、他の二人はそんな事も無いだろう。二人から情報を聞き出して、上手くこの状況をまとめよう。
 翔子もまた客車に入った。
 武器は己の体とわずかなナイフ、暗器のみだが、しかし、
「ええ、やってみせるわよ」
 蒸気汽車は発車した。


 体力:83
 気力:100
 装備:ナイフ25本 暗器?
 備考:行き先不明の汽車
    3人の男の子。セクハラ小僧・肥満児・めがね君



【2】

 セクハラ発言ばかりでも口を利いてくれる彼の方がまだマシだった。
 客車内では他の二人は一切無言だった。
 どのような会話を切り出しても二人とも無言だった。
 翔子は小さくため息を吐いて、この汽車を調べる事にしたがしかし、この汽車は無人で動いている、という異常を除けばただの汽車であった。
 果たしてこの汽車はどこへ行くというのだろうか?


 体力:90
 気力:93
 装備:ナイフ25本 暗器?
 備考:行き先不明の汽車
    3人の男の子。セクハラ小僧・肥満児・めがね君



【3】

 その男は翔子を見て目を丸めた。
「これは、困りました。貴女は?」
 彼は翔子たちが乗っていた汽車が行き着いた先の駅のホームでその汽車を待っていた人物であった。上品な仕立ての黒のスーツを着ている。俗に言う執事という奴だ。
 彼女は小さく顎を引き、一瞬で彼の全体を視界に映すと共に彼の立ち方、姿勢、顔色、体格、また服のボタンの位置、服の皺の入り方、そういう情報を一瞬で瞳で捉え、彼のだいたいの人なりを理解した。
 間違いなく彼はただの人間だ。
 何の戦闘訓練も受けてはいない事は服の皺の入り方、姿勢で判断できた。
 とは言え、
 ―――ただの、というのはあくまで戦闘能力を持ってはいないという事だけなのよね。
 この状況下で現れた彼がただの執事な訳が無いのだ。
 しかし同時に彼が翔子にはまったく情報の無かったこの物語を加速させるためのキーパーソンである事は確かだった。
 だから彼女は微苦笑と共にわずかに肩を竦めつつ自分の名前を告げた。
「火宮翔子よ」
「火宮翔子様。して、貴女様はもしや呪術的な事柄を取り扱う職業に就くお方でしょうか?」
「ええ。ハンターよ、私は」
「なるほど。ならば貴女様がここに来られた事にも納得がいきます。ここへ来たこの汽車が止まったあのホームには本来ならば彼らだけが辿り着けるようになっていたのですから」
「それはどういう事なのかしら?」
「つまり私の主は招待客を選ぶという事です」
「それは帰れという意味かしら?」
「わかっていただきありがとうございます」
「ツレナイわね」
「いえ、親切で言っているのでございますよ。貴女にはわかっているはずです。貴女が置かれている状況の悪さが。ここへは貴女のような人間しかイレギュラーでは来られない。それは要するにここはそういう場所だという事です。ですからつまり私の主はそういうモノで、そして私の主は招待状を持たぬ招待客を好まない。都合の悪い事になるのは貴女ですよ」
「ふむ、なるほど。善意で言ってくれている訳ね、あなたは」
「ええ、その通りです」
「でもそれって大きなお世話」
「大きなお世話ですか」
「ええ。その心意気には感謝するけど。でも、そのあなたの主とやらが悪であるのなら、私はそれを見逃せない。私を逃がそうとしてくれたあなたとも敵対する事になるのは残念だけど、私はやらなくっちゃならない」
「なるほど。ですが私は貴女と敵対する事はありませんよ。私は執事ですから」
「執事って、ボディーガードも含んでるんじゃないの?」
「いえ、それは業務外ですね」
「ふむ。ではその主とやらがどのような事をしているのか、という事は教えてもらえるのかしら?」
 翔子がそう訊くと、彼は苦笑いをした。
「それは執事の業務として言えませんな」
「そう。それは残念」
 肩を竦めた翔子に執事の彼は肩を竦めると共に彼女の後ろに居た子どもたちに視線を移した。
「それではご忠告は致しましたよ」
「ええ」
 執事は慇懃無礼に礼をして、「それではお坊ちゃま方、参りましょう」、と彼らを連れていってしまった。
 翔子はただひとり別荘前という駅のホームに取り残された。
「やれやれね」
 ひょい、と彼女は肩を竦めて、
 それから周りを改めて見回す。
 深い森、
 鈍色の雲。
 風は相変わらず錆びた鉄の臭いがした。
 ここはどこだろうか?
 自らの名前を名乗る事で加速させた物語から得たのは主と呼ばれる存在が居て、それが彼らを呼んだという事で、そしてそれは十中八九碌な事では無いという事。
 だったら、
「次に私が取るべき事は必然と決まってくるわね」
 翔子は背の高い木の向こうに見える屋敷の屋根を睨んだ。


 体力:93
 気力:100
 装備:ナイフ25本 暗器?
 備考:屋敷に居る主と呼ばれる存在があやしい



【4】

 屋敷の玄関から入れるのは正式に招待された客だけだ。
 しかし正式に招待されなかった翔子は1階の窓硝子を割って侵入した。
「やれやれ。困ったお方ですね。器物破損に住居不法侵入。そういう賊を捕まえ、主に指示を仰ぐのは執事の仕事ですよ」
「なるほど。主のSP、ただそれだけが含まれないのね」
 済ました顔で冷然とそう口にした彼女だが、次の瞬間、しごく悪戯めいた微笑を口元だけで浮かべて、両手を上げた。
「投降するわ。あなたのご主人様のところへ連れて行って」
「やれやれですね。窓硝子一枚高くつきました。律儀に普通に玄関から入ってきてくださればよかったものを。いえ、律儀ですから、窓硝子を割ったのですか」
 執事は本当に心底やれやれとため息を吐いた。
 翔子はくすりと笑う。
 そして彼女は3階の執務室に通された。
 そこに彼が主と呼ぶ者はいなかった。
 執事は主を探しに部屋を出て行く。
 翔子は執務卓の上を見た。
 そこにはジオラマがあった。
 それをどこかで見た事があると思ったのはそのジオラマの光景があの廃駅からずっとこの屋敷までの光景と一緒だったからだ。
 そしてその屋敷の前には執事の人形もあった。
 翔子は戦慄に襲われながら屋敷の屋根を外した。
 するとそこに翔子の人形があった。
 その人形の後ろに居るのは、乳白色のスライム。
 翔子は振り返った。
 そこにスライムが居る。
 振り返り様に投擲したナイフはそのスライムに飲み込まれていた。溶かされていく、その中で。
「冗談じゃない」
 翔子は舌打ち混じりに叫んで、ありったけのナイフを全部投げた。
 しかし結果は同じだ。
 そのスライムが蠕動した。
 笑ったのだ、そう翔子は思った。
「翔子さん、こちらに」
 執事が叫んで、消火器の消化液を噴射した。
 ホワイトアウトした視界の中で、スライムが逃げていくのがわかる。
 翔子は小さく吐息を吐き、前髪をふわっと浮かせた。
「子どもたちは?」
「主と共に行方不明です」
「何をしていたの? あなたの主は」
「言えません」
「執事の鏡ね」
「いえ、失格者よ」
 ぐしゃ、と渇いた音がした。
 そして翔子は前髪の奥で驚愕に見開いた瞳を細めた。
「あなたが主?」
「ええ、そうよ」
 最前まで左胸から手を生やしていた執事はその場に崩折れた。
 その彼を足元に置いてそこに立っていたのは化粧をした金髪の男だった。
「困ったちゃんね。ここにはあたしの招待客以外は入れないというのに」
「あなたは何者?」
「錬金術師よ。ああ、もちろん、鋼や焔、そういう二つ名では無いわ。あたしは美の錬金術師」
 そう言っていた彼の姿は女に代わる。
 裸の女だ。
「やっぱり女の身体は良いわよね。美しいわ。豊かな胸。蜂の様にくびれた腰。優雅な曲線を描く腰下からのライン。男の筋肉美はやはり無骨。だけど女の柔らかな身体は最高ね」
 にこりと笑ったその女の顔を見て、翔子は気付く。
 それは突如引退し、引退後は消息不明となっていた女優だ。
 そして次に変わったのは人気絶頂で突如まだ契約した本数の半分以上の撮影があったにも関わらずに行方不明となったAV女優だった。
「このあたしの身体には美しいと言われた女たちの身体を記憶させているの。望むべくはあのアメリカのセックスシンボルと言われた女優や、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の真実の口の前で新聞記者といちゃつく王女様の役を演じた彼女、もっとたくさんの歴史上の美女たちの身体をこの身体に記憶させて、鏡の前で愛でたいものだわ。無論、あなたも美女だし、その中にいれてあげてもいいわよ」
 にこり、と笑った彼女がいつの間にか翔子の後ろに居て、そして翔子は彼女によって拘束される。四肢や身体をねっとりとした何かで捕まえられたのだ。
 背筋を駆け上った悪寒と怖気に翔子は身体を緊張させた。
 思わず零れそうになった声を必死に噛み殺し、ライダースーツの右の袖口に仕掛けておいた暗器の極薄ワイヤーを後ろの女に絡める。
 そして翔子は奥歯に仕掛けたそのワイヤーに電流を流すための機会のスイッチを入れる。瞬間、後ろの女は、弾けとんだ。
 そう、弾けとんだのだ。
 電流が流れると同時に翔子の身体を弄っていたそれの触手にも似た何かの動きが止まり、一瞬で間合いを取ると共に振り返った翔子の目の前で、それは弾けとんだ。
 乳白色のぷるーんとしたそれが翔子の身体にかかる。
 熱いそれはつぅーっと翔子の身体を撫でるように重力に従って落ちていく。
 いや、落ちていくのではない。それは薄く延び、翔子の身体に張り付く。
 飛び散ったゼリー状のモノが翔子の身体を駆け上っていく。
 ライダースーツに染み込む。
 そしてそれは翔子の肌をも浸透していく。
 彼女の身体は蠕動するそのスライム状のモノによっていい様に扱われていた。
「こ、この」
 翔子は声を押し出す。
 しかしスライム状のモノは言う。
「身体を任せなさい。気持ち良く逝かせてあげるから。そしてあなたもあたしになるのよ。そのための材料は今日は3つも仕入れたばかりだから」
 翔子の濡れた瞳が見開かれた。
 それはあの3人の男の子の事か?
 このまま行けば翔子はこのスライムに身体を奪われ、喰われるのだろう。
 それはもはや完全なる事実だった。
 だから翔子は賭けに出る事にした。
 翔子の瞳が髪が赤くなる。
 それは【緋の眼】と呼ばれる能力の解放だった。
 しかし、今回に限ってはそれは応用だった。外に向かって放つべき力を翔子は己が身体に向かって放ったのだ。
 瞬間、翔子の身体の裡を熱が走った。
 翔子の身体の体温が急上昇していく。
 果たして翔子の身体に入ろうとしていたそれらは翔子の身体から離れた。
 そして逃げていく。
 だが翔子の方も無事では済まなかった。倒れた彼女の下の絨毯をも焦げさせるほどに体温を上げている彼女はその場に崩れ、荒い息を吐き続けていた。
 眼はうつろで、息を苦しそうに胸でしていた。
 完全なる敗北だった。
 そう。火宮翔子は負けたのだ。
 

 体力:0
 気力:0
 装備:0
 備考:火宮翔子敗北



【5】

 ただでさえ【緋の眼】の発動後は身体が動かないのだ。
 しかも今回は己が身に応用して使っていた。
 体力はもはや皆無だった。
 朦朧とする意識の中で彼女は自分が負けた事を悟っていた。
 そしてあと少しすればまたあれが自分にとどめを刺しに来る事もわかっていた。
 それにあの3人の子どもも助けねばならない。
「まったく、わかり難いのよ」
 どうりでセクハラ発言を連発して自分を怒らせようとしていた訳だ。
 彼は翔子をそれで逃がそうとしていた。
「ちゅうのひとつでもしてあげなくっちゃ不憫かな」
 ああ、でもさすがにこの格好でそれはそれこそショタコンの青田刈りだ。
 翔子は苦笑と共にわずかに生じた気力を振り絞り、右手の人差し指の腹を歯で噛み切って、そしてライダースーツの前を開けて胸や腹に自らの血で梵字を描いた。
 瞬間、それが発動する。
 翔子は立ち上がった。
「タイムリミットは3分。それで決着を付ける」
 これは最終手段だった。本当はこの梵字が描かれた札を身体に植え込むのだ。すると身体の細胞と札とが融合し、5分ほど超人的な力が使える。
 そしてその後は死ぬ。
 直接描いたために翔子の場合はそれよりも時間が短い。しかしその代わり力は札を使った時よりも格段に上だ。
 …………後の事は、わからない。
 しかし、その部屋での最後の事を終えると翔子は頷き、部屋を走り出た。微塵も躊躇いとかは彼女には無かった。
 そして階段を覆うスライムを見て舌打ちする。
 蠕動するスライムには溶けた人間の顔やら歯やら髪やら手足、内臓、骨などがあったのだ。
 翔子は廊下から直接一階まで飛び降りた。
 そして彼女はキッチンを目指した。
 あるはずだ。そこに。
 そして彼女は台所に入り、片っ端から探した。
 突如、台所の入り口が弾けた。
「みーつけた♪ もう、殺すよ」
 歌うようにそれが言う。
 そして白い滑らかな肌を、浮き出た鎖骨をそれに見せて、翔子も妖艶に、蟲惑的に笑う。
「私も見つけた」
 それが合図だった。
 双方が同時に動く。
 スライムから伸びる触手が翔子の身体を捕らえる。
 そして翔子をズリ寄せる。
 己が身に入れ―――、
 しかし翔子に絶望の表情は無い。
「あの術はここまで来て、そしてこれを見つけるまでで良かった。これさえ見つければ、そしてこれを放さずに持っていれば、あとはあなたが私を取り込み、自滅する事はわかっていたから」
 子どもたちは先ほど翔子が復活させ、そしてそれによって新たに自分の執事にした彼が逃がしてくれている。
 だからそう、もう、後は、
「ん、な、こ、これは…………」
 翔子を中心に自分の身体の裡が固まり出したそれが悲鳴をあげた。
「油を固める粉末よ。消化剤で苦しむあなたを見て、これなら通じると思ったわ。本当に複雑ね。私が敗れたあなたにこんなモノが通じるんだから」
 翔子は自虐的にすらなっていないただただ淡々としたクールな笑みを浮かべながら肩を竦めた。
 そして完全に固まったそれの中で、
「チェックメイトよ」
 そう告げて、【緋の眼】を発動させた。
 次の瞬間、それは完全に粉々に砕け散り、さらには翔子によって捻られていたガス栓から漏れていたガスに【緋の眼】の炎が引火して、ガス爆発が起こった。


 体力:0
 気力:0
 装備:0
 備考:火宮翔子自爆



【ending】


 そこには朝昼夜の時間はあるがしかし雀の歌や、子どもの笑い声、夜の虫の音は無く、それがただ単にベッドで寝ているだけの身としては退屈だった。
 こんこん、と扉がノックされて、きっちりと3秒後に翔子は返事をする。
「お嬢様、夕食を持ってまいりました」
 主、という呼ばれ方はなんだか嫌だったので、翔子は彼に自分の事をお嬢様と呼ばせているのだが、それはそれで照れくさい。
 あのガス爆発でスライムは完全に消滅した。
 そして翔子はその炎の中でさらに自分の周りにその周りの炎よりも強力な炎の壁を作る事で生き抜き、この執事に救出されたのだ。
 それから彼女はここで彼に介抱されている。
 壊れた窓硝子や台所は彼によって数時間で修復されていたので、それには支障は無かった。
「で、結局はあなたの前の主は何だったの?」
「あの方は美に囚われてしまった、ただそれだけの方だったのです。美しい方をここに招いては殺して、その身体を手に入れていた。スライム、という姿が本当に嫌だったのでしょう」
「そう」
 翔子はため息を吐き、彼が作ってくれたリゾットを口に運ぶ。
 彼の作ってくれるご飯は美味しい。
 療養のために動けず、よって鈍っていく身体も心配だが、
 動かないのに、彼の美味しいご飯をついつい食べ過ぎてしまっているここ数日、身体を治して、現実世界に帰って、そしてそこで体重計に乗って、改めて自分の体重という現実を知る事が少々憂鬱であった。
「そう。私も女の子なのよね」
 軽く肩を竦める。
「何か、お嬢様?」
「いえ、あなたのこのリゾット、すごく美味しいわ」
「ありがとうございます。ではそれのレシピもお嬢様がお帰りになられる時に渡すノートに書き綴っておきましょう」
「ええ、お願い」
 翔子は鷹揚に頷き、
 そして、
 ―――まあ、現実世界に帰れば嫌でもまた戦いの日々に身を置くのだから、今だけは普通の女の子を楽しみましょう。
 くすり、とかわいらしく微笑んだ。
 そう、今だけは戦士の休息を。


 →closed