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<東京怪談ノベル(シングル)>


光彩日


 それは9月下旬の、まだ秋の気配が薄い頃のこと。


「そろそろ寝ようかな」
 テレビを眺めていた彼が、そんなことを言った。
 パジャマに身を包んでソファにころんと、まるで猫のように横たわりながら眠そうに眼許を擦る姿は、なんだか幼い子供のようで。
 無防備なその姿に、思わず穏やかに微笑んでしまう。
 自分の膝の上にさも当然のことのように頭を乗せて、ぼんやりとテレビを見ている、彼。膝に感じる重みとぬくもりは、確かに彼が今、そこにいるという証。
 自分の傍に、いるということ。
 そんなものは、今まで――彼とここで共に暮らすようになってからはもう何度でも感じたものではあるものの、今、改めてそのことに想いが向かうのは……、特別な日が迫っているからだろうか。
 あと数分の、後に。
「…………」
 眠そうにしている彼の前髪を、そっと左手の指先で梳き上げる。
 薬指には、銀色の指輪。
 彼の左の薬指にも、銀色の指輪。
 ペアではないものの、お互いがお互いを想い、贈った物。
 場所が場所だから普段は嵌めてなくてもいいと言ったのに、彼は外す気なんて毛頭無いらしく、夏が来る前に贈ったその指輪を、今でも時折嬉しそうに眼の前に翳して眺めていたりする。
 最初の内は嬉しかったり、付け慣れないものだからつい意識を向けてしまいがちなのは分かる。
 が、数ヶ月も経てばそんなもの身に付けていることが当たり前になり、そうそう何度も嬉しそうに眺めたりしないのが普通なのではないかと思うが……どうやら彼は少し違っているようだった。未だに、嬉しそうにその銀の環を眺める。
 まあ、そういうのも見ているこちらとしては嬉しいものなのだが。
「……虎」
 無言のままさらさらと彼の細い黒髪を指で撫で梳いていた湖影虎之助は、名を呼ばれたことで膝の上から青い瞳が自分を見上げていることにようやく気づき、その視線に答えるように眼を細めて微笑んだ。
「何?」
「そんなことされてたら気持ちよくて絶対このままここで寝る」
 どこかとろんとした眼をしているのは眠いせいだろうか。
 そんなことを思いながら、一度視線を上げてサイドボードの上に置いてある時計を見ると、虎之助は唇に艶やかな笑みを浮かべて彼へと視線を戻した。
「寝るなら、あと30秒だけ待って」
「30秒?」
「そう、30秒」
「別にいいけど……何で30秒? たったそれだけの時間だったら今寝てもその後寝ても大差ないのに」
「大差ないと思うんだったら大人しく我慢して」
「だから、別にいいけど……、虎は秘密主義だなあ」
 首を傾げるようにして笑う彼に笑み返すと同時、さっき見遣った置時計がフランツ・リストの「愛の夢・第3番」を奏で出した。
 午前0時を、示す音色。
 日付が変わったことを、教える音色。
 9月26日から、27日へ。
「……誕生日おめでとう、真王」
 告げて、前髪を梳き上げた額に、軽く唇を落とす。

 それは――特別な一日の、はじまりの合図。

「……虎……」
 驚いているのか、いつもより少し掠れたような声で名を呼ばれ、小さく笑う。
「もういいよ、眠いのなら寝て」
「……誕生日、覚えててくれたんだ?」
 いつもよりどこかぼうっとした空気を纏いながら問いかけられて、微かに笑う。ぼんやりしているのは、驚きと、襲ってくる眠気のせいなのだろう。
「当たり前だろ? どこの誰が恋人の誕生日を忘れるっていうんだ」
 愚問、という言葉を言外に置きながら笑ってみせると、膝の上に頭を乗せていた彼――虎之助の恋人である七星真王は両腕を虎之助の首筋に回して抱きついた。その背に腕を回して抱き返しつつ、顔を間近に覗き込む。
「なに?」
「……虎も寝るんだからな? ……一緒に」
「え? ……あー……、……ああ、わかったよ」
 虎之助の首筋に頬を埋めるようにして囁かれた真王の声。そんな言葉を紡ぐ彼の表情を伺うことはできないが、きっと大いに照れていることだろう。
 その髪に頬を寄せると、虎之助は切れ長の眼を細めて微笑んだ。
 普段は怜悧なその瞳に宿るのは、ただただどこまでも穏やかで、優しい色。


「これ、買って」
 長いような短い夜が明けて――今は、午後。
 昼近くに眼が覚めたため、冷蔵庫の中にあるものでさっと虎之助が作ったブランチを二人で食してから夕飯の買出しに街へと揃って出てきたのだが、ふいに隣を歩いていた真王が立ち止まって呟くように言ったその言葉に、虎之助は不思議そうな表情を向けた。
「何を?」
「これ」
 示されたのは、ショーウィンドウに飾られていた、ブリキ製のアンティーク調ランタンだった。高さは15センチくらいの小ぶりなものだ。実用性があるものではなく、おそらくはただのインテリア用だろう。
「ランタン?」
「アロマキャンドルとか入れて置いておいたらいい感じだと思うんだ」
「そういえば、前の誕生日には確かランプを買ったような……。こういうの、好き?」
「好き。暗いところにいても明るくなるから」
 虎が近くにいたら俺の周りは明るいけど。
 そう呟くように言うと、真王は「早く早く」と虎之助の腕を引っ張って店の中に入る。
 まあ、彼の誕生日だ。彼が欲しいと言うものをダメだと言う必要もなく。
 虎之助も大人しくそれに従い、店の中へと入って行った。
 自分が近くにいたら彼の周りが明るくなる、という言葉の意味は、わかったようなわからないような感じだか――……。


 結局、その雑貨屋でミニランタンの他にも万華鏡やゴッホのひまわりの絵を体全体に描かれたぶたさん貯金箱やハートの形のペアマグカップなどを購入した二人は、スーパーに移動して夕飯用の食材の購入も済ませると、ようやく帰宅した。
 重い荷物をキッチンで下ろすと、虎之助は一つ大きく息を吐く。
 疲れた。
 その言葉は口には出さず胸の裡で呟くに留め、ふと視線をリビングへと向ける。と、真王がソファに座り込んで熱心に購入したばかりの万華鏡を覗き込んでいる姿が見えた。
 いろいろ買ってはみたものの、ランタンとその万華鏡がかなりお気に召したらしく、物も言わずにそれをじーっと覗き込んだまま動きを止めている。時折手が動くのは、万華鏡の中の模様を切り替えるためだろう。
「ま、気に入ったんならいいけどね」
 ランタンに、ランプに、万華鏡。
 光に関する物が好きなのだろうか。
 恋人についての新たな発見。
 嬉しそうに万華鏡を覗き込む姿は、やっぱり幼い子供のようで、可愛い。
 昔なら、男相手にそんなふうに思うことなど何があってもありえなかったのに――人生とは分からないものだと、しみじみ思う。
「……まあ、それもありか」
 そんな真王の姿を暫し眺めてから、虎之助は夕飯作りに取りかかった。
 夕飯は、いつもより少し手の込んだものを作る予定である。
 普段から食事の用意を含む家事一切は虎之助の仕事と化しているが、こういうときの夕食の準備というのはまた普段とは違う気合いが入るもので、その気合いを見事に反映したものが並んだ食卓を眺めて真王は素直に感嘆の声を零した。
「やっぱり虎はすごい!」
 まるで店の料理みたいだ、などと言いながら虎之助が引いた椅子に腰を下ろす。
「いつもよりちょっと豪華めに。折角の真王の誕生日なんだから、ちゃんとお祝いしないとね」
 想像していた通りに素直な驚きと喜びを表して料理を眺めている真王の頭を軽く撫でると、虎之助はその向かいの席に着く。
 テーブルに並んでいるのは、繊細な盛り付けが成された和食料理。和洋中いずれも得意ではあるが、誕生日、となると何となく和食にしてしまうのは、初めて彼の誕生日を祝ったときのことが頭に残っているからだろうか。
 今では、彼も自分の作った洋食を練習台にしてナイフとフォークの使い方を習得したため、別に洋食でも構わなかったのだが……。
「ケーキも用意してあるから」
「それも虎の手作り?」
「勿論。真王が好きな生クリームたっぷりのケーキだ」
「ありがとう、虎」
 突然零れた素直な感謝の言葉に、虎之助が眼を瞬かせる。それに、真王は困ったような顔で笑った。
「そんな驚いた顔しなくてもいいのに。……いつも、美味しい食事をありがとう。……本当は、そんなふうにずっと言いたかったから」
 ――今日は誕生日だから、ちょっとだけ素直になる。
 そう言ってから、恥ずかしさを払いのけるように「いただきます」と手を合わせて食事を始める真王を、虎之助は向かいの席から微笑みを滲ませた眼で見つめている。
 それに気づいて「じっと見てなくていいから」と軽く眉を寄せつつ言う真王に、虎之助は眼を細めて笑った。
「真王はさっき万華鏡を一生懸命眺めてたけど。俺は真王を眺めてる」
「……、何言ってるんだか、もう」
 淡く染まった頬を隠すように片手を当てて、また困ったように笑う真王。
 ころころとよく変わる表情。
 どんな表情も、一つとして見逃さないように。
「これからもずっと、ね」
「……それ、プロポーズか何か?」
 照れを隠すためなのか、ぽそりと返された言葉に虎之助は眼を瞬かせてから、おかしそうに笑った。
「じゃあ新しい指輪、買う? 今度はお揃いの指輪」
「いらない」
 素っ気無く返すと、真王は軽く自分の左手をひらひらと宙に泳がせる。
「大事なものはいつだって一つでいい。二つも三つもいらない。俺には虎にもらったこれがひとつあれば十分だから」
「そうか? ……まあ、そうだね。そういうものなんだろうな、何事も」
 言うと、虎之助は手を伸ばし、その真王の左手をそっと取り、自分の方へ引き寄せ。
「大事なものは、いつだって一つでいいんだ」
 俺には、真王がいてくれればそれでいい。
 そう艶やかな声音で告げると、虎之助は真王の左手の薬指の上にそっと唇を落とした。
 これからも二人ずっと共にあるように。
 ずっときみを照らしていられるように。
 そう、誓うように――祈るように。