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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

 ひそひそ…ひそひそ…。
 誰か来るよ。誰が来るのかな…。
 声を聞いてくれるといいね…お話ししてくれるといいね…。
 あたしの記憶をちゃんと聞いてくれるといいね…。

「石の選り分け…」
 大きな蜜柑の木がある日本家屋の客間で、シュライン・エマは膝に猫を乗せながら太蘭(たいらん)の話を聞いていた。
 一度知り合いの忘れ物を代わりに受け取りに来たときに「押型の解読」を頼まれてから、シュラインは太蘭の家の近くを通りがかるたびにしばしば顔を見せるようになっていた。
 太蘭の家には色々な古美術もあるし、猫もいる。特に何か用がなくてもお茶を飲んで他愛のない話をするだけでも楽しいし、太蘭も客が来るのが嬉しいのかいつも快く迎えてくれる。
 今日は最初普通に猫と遊んだり、話をしに来ていたのだが、シュラインが聴音などに自信があるという話題から、それなら是非頼みたい仕事があると言われたのだ。
 太蘭は湯飲みを持ちながらふっと溜息をつく。
「剣の装飾に使おうと思って手に入れた物の中に、原石が入っていてな。その石の中に常に小さな声で何かを呟いている物が混ざっているのだが、俺が話を聞こうとすると警戒するのか全く聞こえなくなる」
 警戒する…その言葉にシュラインがくすっと微笑んだ。
 太蘭自身は好奇心から囁きを聞こうとするのだろうが、辺りに漂う雰囲気などから警戒されてしまうのかもしれない。物を作る事に携わっている人は、往々にしてそんな雰囲気を漂わせている。石達はそれが怖いのだろう。
「石には記憶が刻まれてるって話もあるものね…私で良ければ聴いてみるわ。でも、お礼を私から指定してもいいかしら?」
「刀を作る以外なら」
 太蘭は刀剣鍛冶師と名乗ってはいるが、実際日本刀は気が向いたときと自分が気に入った相手にしか打たないらしい。シュラインもそんな気はなかったのだが、もしかしたらそうやって仕事の報酬を現物で受け取ろうとする者を警戒しているのかも知れない。
 自分の言った言葉が可笑しかったのか、太蘭が子猫をじゃらしながら溜息をつく。
「…いや、シュライン殿が刀を必要とはしないか。すまない、警戒心が強くて」
「そうね、私が必要な刃物って包丁ぐらいだし、太蘭さんが刀を打たないことは知ってるもの。私が欲しいのは…」
 膝に乗せていた猫を降ろすとシュラインは立ち上がり、縁側の方へと向かう。指を差した所にあったのは、この家の目印にもなっている蜜柑の木だった。橙色に色付いた実が昼下がりの日を浴びてたわわに実っている。
「あの蜜柑を少し分けてもらえないかしら。ここに来るたびに色付くのを見て、美味しそうだなって思ってて」
 悪戯っぽく微笑むシュラインに、太蘭もふっと微笑む。
「俺一人では食べきれないから、何個か取っておこう。自分でも食べたが甘くていい蜜柑だからな。では、よろしくお願いする」

 黒いビロードが貼られた盆の上に太蘭は何個か石を置いて行った。
 猫たちはおのおの太蘭にくっついていったり、別の部屋に行ったりしたのだが、真っ白な雄猫だけがシュラインの側から離れようとしない。
「一文字(いちもんじ)はシュライン殿が気に入ったようだな。邪魔になったら外に出していいから」
 そんな言葉を思い出しながら、シュラインは自分に寄りかかりながら寝ている白猫の頭を撫でる。
「一文字は私を守ってくれてるつもりなのかしら…」
 気持ちよさそうに目を閉じ、耳だけがシュラインの方を向く。それにくすっと微笑むと、シュラインは早速石の声に耳を傾け始めた。
 無音だと思っていても、世界には音が溢れている。
 時計の音、風の音、誰かが呼吸する音や自分の鼓動…。それらが全て混ざり合った「世界の音」の中から自分が聴きたいと思う音を探し出し、研ぎ澄ませるように一つの音の中へと入っていく。
 大きな音に紛れて聞こえないが、それはやがて自分だけの主張をし始めた。

 くすくす…くすくす…。
 誰か来たよ。誰かいるよ。
 ねえ知ってる?
 石には記憶が刻まれるの…あたしの記憶を、あなたはちゃんと聞いてくれる…? 

「………!」
 がくん…と体の力が抜ける。しまったと思ったときにはもう遅かった。
 石の声に引きずられる…何かの引力を持つかのように、石が自分の意識を引っ張っていく…。
「……ここ、どこ?」
「ニャー」
 気が付くとシュラインはどこの国とも、どこの時代とも分からない場所にいた。足下の鳴き声に目を向けると、一文字がじっとシュラインを見上げている。その翡翠色の瞳に、シュラインは安心したように溜息をつくと、しっかりと猫を抱き上げた。
「一文字も一緒に来ちゃったのね。でも、ちょっと安心だわ」
 しっとりとした暖かさと、確かな重み。
 こういうときは慌てても仕方がないことをシュラインはよく知っていた。まず現実への足がかりと感触を持ち、それから冷静に対処しなければならない。
「採掘場かしら…」
 どうやら自分達の姿は周りには見えていないらしい。ごつごつした石がある辺りを歩いていくと、そこに見知った顔が見えた。
「あ…太蘭さん?」
「ニャー」
 見間違えるはずがない。赤く鋭い瞳とあの長身…自分が知っているよりはかなり目つきなどがきつい印象だが、それはやはり太蘭だった。
 全く違うのは…その後ろに小さな少女がついて回っている事だけで。
「ねえ、そろそろあたしを弟子にしてよ。あんた有名な武器職人なんだろ?」
 ちょこちょこと後ろをついて回る少女を無視し、太蘭は採掘された翡翠を何かを確かめるように手に取って行く。大股で歩く太蘭に追いつくのが大変なのか、少女はいつも小走りだ。
「ちょっと、耳が聞こえてないわけでもないのに、どうしてずっと無視するの?毎日毎日話しかけてんのにさー」
「…お前はどうして俺の弟子になりたいんだ?」
 ピタ…と足を止め不機嫌そうに呟く太蘭に、少女がにこっと笑う。
「今は戦続きだから、あんたの弟子になったらお金持ちになれそうだしさ。ここでクズ石拾って生活するのには飽きたんだ…」

 その様子を見ていると、シュラインの後ろに人の気配がした。そこには今目の前にいたはずの少女が立っており、シュラインを見上げて寂しそうな笑みを向けている。
「…馬鹿だよね、あたし何にも分かってなかったんだ」
「ねえ…さっき見えた人は太蘭さんなのかしら」
 シュラインの質問に、少女がこくんと一つ頷く。
「名前は違うけど、多分同じ人…。ねえ、お姉さんはあたしの記憶を忘れないでいてくれる?あたしの話を聞いてくれる?」
 寂しそうな笑みが、何だか胸を締め付けた。抱きしめている一文字は、シュラインの肩に顎を乗せゴロゴロと喉を鳴らしている。
「あたしが刻み込んじゃった記憶を、覚えていてくれる?」
 言葉が出ない。
 いや、ここで何を言っても、それは儚く消えていくことがシュラインには分かっていた。
 自分が今話をしているのは、石に刻まれた記憶の中の少女だ。もしここで新しいことを言ったとしても、それは石に刻まれることなく空に溶けていってしまう。
 今ここで出来ることは…首を縦に振るか横に振るかだけだ。
「私で良ければ…」
 小さく頷いたシュラインを見て、少女が笑う。
「ありがとう。お姉さん…」

 真夜中…少女は翡翠の原石を持って走っていた。
 最近発掘された中で一番いい翡翠…それは本当は売り物であって、クズ石を拾わせてもらっている自分が手に持つようなものではないが、隙を見てそれを盗み、ある所に向かって必死で走っていた。
 きっと…きっとこの石を持っていけば、弟子にしてもらえる。
 あの武器職人が、剣の護符と装飾のために使う翡翠を探していたことは知っていた。毎日のように採掘場にまで来て原石を探していたが、これなら絶対満足してもらえる。盗んでしまったことは悪いと思っているけれど、弟子にしてもらってから謝っても遅くない。
「もうクズ石拾って生活するのは嫌なんだ…」
 家もなく、その日食べる物に困りながらいつ死ぬか分からない生活。
 弟子になれば…きっと修行は厳しいだろうが、一人じゃない。誰かが家にいて、誰かを待つことが出来る…その瞬間少女の足が止まった。
「あっ…!」
 風を切る音と共に、足下や背中に刺さる矢。
 体が地面にたたき付けられるが、少女は原石を放そうとしなかった。

「……あたし、馬鹿だ」

 弟子になりたかった訳じゃない。
 本当は一人で暮らしていくのが嫌だっただけだ。
 あの人に惹きつけられたのは、別に有名な武器職人だからじゃない。あたしと同じで、一人荒野に立っている感じがしたからだ。有名でお金持ちのはずなのに、いつも人を寄せ付けなくて、一人になろうとしていたからだ。
 馬鹿だ。あたしは本当に馬鹿だ。
 本当に言うべき言葉は「弟子にして欲しい」じゃなかったのに。あの人が欲しかった言葉も、それじゃなかったのに。
 本当に言わなきゃならなかったのは……。

 ひとりは寂しいから、少しだけそばにいてもいい……?

「へへ…やっぱりあたし、馬鹿だよね」
 シュラインの前で少女が泣き笑う。同じように涙を流すシュラインの頬を、一文字がぺろりと舐め、ざらっとした感触が頬に伝わる。
「そんな事ないわ。大事なことはなかなかその時には分からないものだもの…」
 それと共に、太蘭が何故あの時少女を弟子にしなかったのかの理由が、シュラインには分かったような気がした。
 太蘭は、少女に「誰かを殺す道具」の作り方を教えたくなかったのだ。
 どれだけ美しくても、武器は誰かを傷つける為に作られる物だ。そんな物を少女に作らせたくなかったのだろう。
 でも、もし少女が「寂しいからいっしょにいてもいい?」と言ったのなら太蘭はどうしていたのだろう…いや、それを今考えても仕方のないことなのだが。
 シュラインは猫を抱いたまま、片方の手で少女の涙を拭う。
「ねえ、忘れないでいてくれる?」
「忘れないわ…」
 過ぎ去ってしまった過去のことかも知れないが、それは確かな「記憶」であり「痛み」だ。その記憶を自分は忘れるわけにはいかない…。
「でもあの人には内緒にしといて…もう昔の話なのかも知れないけど、あたしにとっては刻まれたままの記憶だからさ…」
 シュラインが黙って頷くと、ふっと体に重力が戻り遠く少女の声が聞こえたような気がした。

 ありがとう…おやすみなさい…。

「ニャー…」
「シュライン殿…大丈夫か?」
 目を開けると目に入ってきたのは白猫の顔だった。仰向けに寝かせられていたようで、少しずつ起きあがると体に毛布が掛かってる。そして何故か翡翠の原石をずっと手に握ったままだった。
「あ…ごめんなさい。注意されてたのに引きずられちゃったみたい…でも、一文字が側にいてくれたからちゃんと帰ってこられたわ」
 持っていた原石からシュラインがそっと手を放す様子を太蘭はじっと見た。
 翡翠の原石。太蘭は息をつきながら一文字の頭を撫でる。
「蜜柑を取って様子を見に来たら、気を失ったシュライン殿の隣で一文字が鳴いてたんだ。石を取ろうと思ったんだが、しっかり握ってて放してくれなくてな…気が付いて良かった。まずお茶でも入れるか」
 シュラインは石を握っていた右手を見た。強く握っていたようで、傷は付いていないが指先がじわりと痛い。その痛みを感じながら、シュラインはお茶の葉を急須に入れる太蘭の背に向かって思わず言葉を吐く。
「太蘭さんは一人で寂しくないのかしら」
 一瞬の沈黙の後、くるりと振り返った太蘭は優しく笑っていた。石の記憶の中にある厳しい目つきではなく、色々なものを乗り越えた深く赤い瞳…。
「昔は人を寄せ付けないように意識していたが、今は猫もいるし時々友も訪ねてくるからな。自分が思っているほど一人じゃない」
 掛けられた毛布の上に綺麗な蜜柑が乗せられ、その丸い物に一文字が鼻を寄せる。太蘭はシュラインが握っていた翡翠を大事そうに手に取った。
「これはいい翡翠なんだが、剣の装飾などに加工して使うよりはこのまま飾っておきたい気がするな。なぜだか分からないがそんな気がする」
「…それが良いと思うわ。蜜柑頂くわね」
 石に刻まれた悲しい記憶が、太蘭の側にいることで少しでも優しい記憶に変わっていけばいい。もう誰も一人じゃないから…ちゃんと側にいる人がいるから…。
 膝に乗ろうとしている一文字を、太蘭が抱き上げようとする。
「一文字、お前は遠慮しろ」
「ニャー…」
「いいのよ、猫から元気もらっちゃうから…あ、この蜜柑甘くて美味しい」
 少し休んだら、蜜柑を持って草間興信所に行こう。
 自分が一人じゃない場所に。誰かが自分を必要としてくれている場所に。
 膝に乗っている一文字の翡翠色の目が、シュラインを見上げながら嬉しそうに細くなった。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
囁く石の選り分けという仕事から、ほんの少しだけ太蘭の過去に繋がる話になっています。石には記憶が刻まれるという話がありますので、もしかしたら長生きしているぶんだけ何処かで縁があったりするのかなとか思っています。化石とかも太古の記憶ですよね。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。

発注内容の件ですが「ナ王さん」表記でもよろしいです。短く好きなように呼んでやってください。