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似而非者
実はあなたには双子の弟がいたのよ。
そんな軽く修羅場的な展開が脳裏をよぎったが、すぐに思い直す。
世の中というものは、物語の後付設定のようには、甘くないのだ。
事実は小説より奇なり。
というわけで俺は、目の前―――つまり俺の自宅の居間で茶をすすっている人物を「俺」と認識したのである。
同じ時間と空間の軸上に、二人の櫻紫桜が並んでいた。
ごく普通だった一日がきわめて異例な終焉を迎えた、そんなある日の物語。
「そういうわけで、はじめまして俺」
どういうわけなのかの説明もなく、もうひとりの俺―――便宜上櫻と呼ぶことにする―――は開口一番そう告げた。毎日見ている顔に「
はじめまして」を言われるのも不思議な気分だった。
「……ああ、はじめまして、ですね」
俺はまぁ一応、こういった状況に慣れていないわけではない。勿論、自分が増殖したのは初めてのことだが。それは相手も同じのようで
、至って落ち着き払っていた。
「単刀直入に聞きますけど、あなたはここの住人?」
「そうですよ」
俺が即答すると、櫻は困ったように笑った。
「あちゃー……ってことは、やっぱり俺が飛ばされたんですね」
この間クランクインしたばっかりの映画が、もう地上波放送されてるからおかしいとは思ったんですよ、と彼は続ける。
「…………」
どうやら時差があるらしい。
「そういうわけで、何とかして元の世界に帰らないといけないようですね、俺たちは」
「俺たち?」
俺が聞き返すと、櫻はああと言って笑う。
「たぶん森羅も来てますよ。一緒に倉庫を掃除してたところでしたから」
なるほど、確かに弓削家の倉庫には怪しげな曰くつきの品物がごろごろしている。それこそ、世界の壁なんてものともしないような、そ
んな倉庫なのだ、あそこは。
「どちらにしろ、時間もあまりないようですし」
軽い調子の口ぶりで櫻は告げる。
「でしょうね、世界は異物に敏感ですから」
個人ではなく、世界が、その仕組みが。
そして最大の難点は、異物の排除に絶大なる熱意を傾けてくれることである。
「そうとなれば、早いところ森羅の家に行きますか」
俺が言うと、櫻は頷いて。
「そうですね、あちらが現場ですし。それにどうせ今頃二人とも漫才状態でしょうから」
「二人なのに一人漫才とか言って喜んでますね、きっと」
「なるほど、パラレルワールドといっても、随分と差異があるものですね」
「確かに。線同士が平行でありさえすれば、その色や太さが多少違っていても問題ないんでしょう、きっと」
平行世界についての答えのない、とりとめもない論議に終止符を打ち、俺は弓削家の呼び鈴を鳴らす。
ややあって、はーいという言う森羅の声が聞こえた―――それも二重に。
そして。
「ちょっと待って」
「今開けるから」
一続きのようで、途中から声の雰囲気が一転する。
開いた玄関の、扉の向こうには森羅が二人いた。不幸中の幸いというのかなんなのか、一方の森羅はジャージ姿で生傷をこしらえていて
、二人の識別に苦労するということはなさそうだった。自分たちの場合はどうなのだろうかと、俺は改めて櫻に視線をやる。彼の頬にも引
っかき傷らしき痕が見て取れた。それに何だか埃っぽい。
「そういうわけで、しーたん……」
ジャージでない方の森羅が俺を呼んだ。なるほど、彼がこちらの森羅のようだ。
「そうやって呼べば間違えがなくてわかりやすいね」
そう、というのはおそらく「しーたん」という呼び名のことだろう。弓削さん―――あちらの弓削森羅は、片手をあごに当てて考えるそ
ぶりを見せた。
「そーだっ。森羅の『し』をとって、しーたんにしよう、な? しーたん」
弓削さんは、森羅に向かって笑顔で宣言する。
「余計混乱するだけじゃねーか!」
見事な一人漫才だったけれど、とりあえずそれは置いといて。
何はともあれ、現在の状況。
彼らが弓削家の倉庫を掃除中に、野良猫乱入。その騒ぎに乗じて、保管してあった呪物が発動。気がついたらこちらの世界に飛ばされて
いた、と。
「はぁ、それはまた無駄に古典的な話です……」
いつものように言いかけて、俺はハッとして森羅を見やる。彼は満面すぎる笑みを浮かべていた。
「古典的……な話……だね」
少し苦しい修正だった。
「さて、それでは倉庫に行って原因究明でもしましょうかね」
今度は櫻が口を開いた。森羅はその口調にまでも反応して、櫻に顔を向ける。森羅は一瞬だけ苦虫を噛み潰したような顔をして、すぐに
表情を元に戻した。
弓削家倉庫内。
俺たちは『それ』の前に背筋を伸ばして気をつけの姿勢をとっていた。休めの号令はまだかからない、たぶんこれからもかかりはしない
だろうけれど。
『ふむ、それではその無礼者が妾に謝罪をし、そののち然るべき責を負えば、この件に関しては不問とし、そこな二名を元の世界に帰して
やろうぞ』
弓削家の怪しげな倉庫で埃をかぶっていたプラスチック製招き猫(首元に古ぼけた鈴つき)はこの上なく尊大な口調でそう告げた。
プラスチック史の都合上、さほど古い品物ではなさそうだ。物品が「化け」るようになるための年月を差し引けば、かなり若い人格のは
ず。それなのに、威厳と尊大さは一級品だった。
隣を見れば、「お前何様だよ」オーラを発しつつも笑顔を保っている森羅が口を開いた。
「あ、はい。ありがとうございます。必ずその不届き者を捕まえてきますから」
しかも敬語だった。
せっかくなので俺たちも便乗して微笑み、露骨に慇懃無礼な台詞を口端に上らせる。
「それでは、ひとたび御前失礼させていただきとうございます」
「次にご尊顔拝し奉ります折りには必ず、その不心得者を御前に参らせますゆえ」
あくまでも丁重に。
『うむ』
招き猫は、こめられたあからさまな皮肉には全く気づかず、威厳たっぷりに頷こうとして。
そのまま棚から落ちた。ものの見事に頭から。
材質が幸いして、割れることはなかったけれど。
「無礼者」―――要するに倉庫に乱入してお偉い招き猫様のご尊顔とやらに引っかき傷を作った猫―――を探すため、俺たちは倉庫を出
た。
「困りましたねぇ」
倉庫の扉が閉じ、会話が倉庫内に届かないことを確認し、俺と櫻は二人して溜息をつく。
「どーしたんだよ? あいつ、神社の境内に住み着いてる真っ黒い野良だろ。とっ捕まえて……」
弓削さんはこう、何かを両手で掴むような仕種をした。
「あちら―――つまり俺たちの世界では、ですよ。森羅」
櫻が訂正を入れる。そう、件の猫の話は、先ほど弓削家に向かう間にも会話に上ったのだ。それはこちらとあちらの「差異」についての
論議で。
「あれ、でもこっちでもいるぜ、神社に野良猫」
森羅がこちらをに視線をよこした。
俺は口調に気をつけながら、言葉を選んだ。
「それがね」
軽く息をつく。
「残念ながら、先月の終わりに交通事故で……」
それを聞いた二人の森羅は、揃って掌で顔を覆った。一卵性双生児を見ている気分だった。
「あちゃー……っていうか。向こうでは生きてるのに、こっちでは死んでるのか?」
森羅が問い、櫻が答える。
「そういうこともありますよ。時系列がずれていたりとか、何かの拍子に細かい事象が変動することは」
時系列。
例えば、先ほどの映画の話。その件だけを取り上げれば、こちらとあちらの時差は数年。しかし俺と櫻の年齢は同じだし、あちらの猫が数年後に死ぬと決まっているわけではない。例えば互いに平行な二本の直線の、色や太さが違うように。それでいても、確実に平行であることはゆるぎない。
しかし今は。
「ここで議論していても仕方ない。とりあえずどこかで似たような猫を探して……」
俺は論議を打ち切るために口を開いた。
「でもこの辺り、あれ以外に野良猫いない……」
言い返しながら森羅は、突然青ざめた―――野良猫は確かに、いるのだ。あと一匹だけ。
「……あのう、もしかしてもしかしなくてもですよ、しーたんさん? 」
森羅の言葉遣いが怪しくなった。
「ふむ、それが次善策ですかね」
あっさりと櫻も断じる。
弓削さんもこくりと頷いた。
かくして近所のボス野良捕獲それから墨染め作戦が決行されることとなったのである。
ボス野良は運良く眠っており、おかげで捕獲は簡単に済んだ。
しかし問題はその後だった。
墨染め作戦パートである。
思ったより手間取ってしまい、眠っている間に事を済ませられなかったのだ。
そういうわけで、もとより傷だらけだった櫻や弓削さんはもちろん、俺と森羅まであちこち生傷だらけとなった。
四人で顔を見合わせて笑い、暴れる猫を抱えて、弓削家に足を向けた。
そうして、再び倉庫。
『それで、そこな無礼者は何と言っておる?』
お偉い招き猫様は、ありがたいことに猫語を解さないらしい。
墨染めの猫はにゃごにゃごと怒り、今にも飛びかからんばかりの勢いだったが、弓削さんに尻尾を押さえられていた。
「あ、ええ。大変申し訳ありませんでしたって言ってます」
さすがに疑われそうな森羅の口からでまかせ通訳だったが。
『なるほど、それでは反省しておるのだな?』
招き猫はあっけなくも見事に納得した。
「ええ、それはもう、心の底から」
俺が付け加えた胡散臭い台詞にも、疑うそぶりも見せない。
『では、このたびに関しては許してつかわそう』
「……ありがとうございます」
俺たちは棒読み半笑いで、声を揃えて礼を述べた。
これで終わる、はずだ。
『それでは―――扉を開こう』
招き猫がそう告げると同時に、空間がぐずっと歪んで。
その向こうに、別の世界が垣間見える。
それは、森羅と紫桜とが暮らす―――。
「あっちの世界なのかよ、アレが?」
森羅が顔を引きつらせている。まぁ、それも当然か。
いくら時系列がずれているとはいえこれはあまりにも。
常軌を逸している。
こちらの世界では遥か昔に絶滅したはずの古代生物。巨大爬虫類。要するに恐竜。そんなものたちがてんやわんやと群がっている。
森羅の視線を受けて、櫻と弓削さんは、二人で力いっぱい首を横に振る。
「違う違う!」
「それじゃないです!」
二人の言い分にも聞く耳を持たず招き猫は宣告する。
『己の世界に帰るがよい!』
その瞬間、招き猫の首に巻かれた鈴が光り、歪みが二人を吸い込み始めた。
「へぇ、そっちが本体ですか……これはまた、随分と若作りを」
まあ、口調に年齢が染み出してますけどね。
俺は誰にも聞こえないくらいの声量で、呟く。
そんな中、尻尾を押さえていた弓削さんの手が外れ、黒染めにされた野良猫がふぎゃーと叫んで背中の毛を逆立てる。招き猫の視線が黒い猫を追った。
その隙を突いて、俺は招き猫の背後に回りこんで、その頭部を軽くはたいた。
バランスを崩した招き猫は再び倒れこむ。その先には森羅が待ち構えている。
森羅がその首から鈴を抜き取った。
歪んだ空間の奥で、景色が一変する。
ここと、よく似た―――いや、同じ場所。倉庫の中だ。
「……成功、ってか」
森羅がほっとしたように呟く。歪みの中に、もう一組の俺たちが消えていく。その最後の最後に、二人は笑って手を振った。
「まだ終わりじゃないみたいだけど……」
そう、猫は二匹いたのだ。
結局、野良猫は倉庫内でひとしきり暴れると、数分後にするりと扉の隙間を抜けて出て行った。
そして久々の静寂。
「策を弄するより、最初っからこうしとけば良かった気がしますね……っと、じゃなくて気がするよ」
言いかけて慌てて訂正する。うっかり気を抜くと、すぐに戻ってしまう。
「それを言うな」
憮然とした顔で森羅は、もう動かない、喋ることもしなくなった招き猫を拾い上げ、その埃を払った。
元のように棚に戻してやって、辺りを見渡す。
二匹の猫のせいで、倉庫内は天地がひっくり返ったようなありさまだ。
「片付けなきゃなー、これ」
「手伝おうか?」
俺は、ごくごく当たり前のように、倉庫内を見渡す森羅の背中にそう申し出た。
「悪いな、ありがとう」
振り返った森羅は、俺の顔についた引っかき傷を不思議そうに眺めて、得心したようにひとつ頷いた。
「その扉、閉めといてくれ―――猫が入りこんだら、大変だからな」
森羅はにぃっと笑って倉庫の扉を指し示す。だから、俺も笑い返す。
「ああ、お猫様のご機嫌を損ねないようにね」
END
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】
【6608 / 弓削 森羅(ゆげ しんら)/ 男性 / 16歳 / 高校生】
【5453 / 櫻 紫桜(さくら しおう)/ 男性 / 15歳 / 高校生】
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■ ライター通信 ■
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櫻紫桜様
はじめまして、超絶遅筆ライターの紀水葵と申します。
このたびは「似而非者」へのご参加、ありがとうございました。
いつもと異なり、基本一人称ノベルでしたが、心情描写等不備がなければ良いのですが……。
平行世界との交錯の物語、楽しんでいただければ幸いです。
それではまたどこかでお目にかかれますよう。
紀 水葵
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