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<東京怪談ノベル(シングル)>


比翼

 あの生々しさは何だったのだろう。
 最初にあの廃墟に訪れた時は気付いていなかったが、それは自分が自分だけにしか目を向ていなかったからなのかも知れない。あの時はただ夢中で、周りにある物も自分がどんな格好をしていたのかさえ上手く思い出せない。
 でも今は違う。
 目を閉じればそこにあった物も、降っていた雨も、乾いた血の痕も思い出せる…。
「…わたしには関係ない話だわ」
 白鋼 ユイナ(しろがね・ゆいな)は、口の中でそう呟くといつものように篁(たかむら)コーポレーションのIDカードを使い、ビルの最上階まで真っ直ぐと向かった。
 ずいぶん時間を食ってしまった。既に社内に人が残っている時間ではないが、雅輝はまだそこで仕事をしているだろう。
 昨日の深夜から、長距離の運転や取材の手伝いなどで神経は少し高ぶっている。篁コーポレーションの社長であり『Nightingale』の長である、篁 雅輝(たかむら・まさき)の顔を見れば少しはこの高ぶりがおさまるのだろうか…エレベーターのドアが開き、社長室のドアをカードを使って開ける。
「ただいま帰ったわ…」
 社長室のデスクでは雅輝がいつものように書類に向かっていた。ユイナが入ってきたのをチラリと一瞥し、口元で笑ってみせる。
「おかえり…と、素直に言っていいのか迷う所だけれど、ひとまずはおかえり」
「ひとまず…?」
 ユイナの背中に緊張感が走る。
 おかしい。雅輝はそんな事言わない。こんなに自分を突き放すような言い方をしない…。
「貴方は誰?」
 その問いの返事は殺気だった。手元から投げられた長針をかわし、ユイナはさっと戦闘態勢に入る。ユイナは『Nightingale』でもかなり雅輝に近しい位置にいるが、他のメンバーがどれぐらいいるかなど、そういうことは全く教えてもらっていないし、わざわざ聞く気もなかった。一緒にオーダーをこなすようなこともない。
 おそらく…今雅輝の姿をしているのは、その『誰か』なのだろう。
 雅輝の姿を映し、その椅子に座ることを許されている者。ちり…ちり…と心の底で言いようのない感情が起きる。
 雅輝の姿をした男は、全く同じ微笑みでこう言い放つ。
「それに答える必要が?まあ、門限ギリギリに帰ってこられたんだから、これぐらいの小言で済んだことを喜んでもらいたいものだな…これでよろしいですか?」
「いいんじゃないかな。それに僕のオフィスを壊されると困る」
 奥の秘書室のドアが開き、そこから本物の雅輝が現れた。その瞬間緊張感と殺気はとけ、雅輝の姿をしていた男が自分の姿に戻っていく。雅輝と全く変わらなかったその身長がすっと高くなり、デスクの上に置いていたサングラスをかけると、そのままユイナの方に向かって歩き出した。
「命拾いしたな」
「ちょっと待って、どういう事なの?」
 ピタリと男がユイナの隣で止まった。その視線はサングラス越しでも分かるように冷たい怒りに満ちている。
「そのままの意味だ…社長、いや雅輝さんの心の広さに感謝しろ」
 意味が全く分からない。男はそのままドアに向かい、出て行く前に雅輝に向かって一礼した。
「失礼致します」
 エレベーターが動く音が静かな部屋に響き渡る。何が起こっているのか分からず戸惑うユイナに、雅輝はふっと寂しそうな視線を向けた。
「ユイナ…君も見た目通りの子供じゃないから色々言う気はないけれど、一週間近く連絡もよこさずにどこに行ってたんだい?」
「えっ?」
 一週間近く。
 そんなはずはない。確かに雅輝に何も言っては行かなかったが、自分が廃墟にいたのはせいぜい一晩ほどだ。その言葉を確かめるようにユイナは雅輝のデスクに近づいた。
「それは、本当の話なの?」
「僕は自分が嘘つきだって自覚はしてるけど、必要のない嘘をついたことはないはずだけれど…ほら、ここの日付を見るといい」
 近づいてきたユイナに雅輝はデスクの上にあるパソコンの画面から株式市場のサイトを開いてみせた。
「………!」
 それは確かに自分が廃墟に行った日から一週間ほど過ぎている。
 だが、一体何故…戸惑ったまま立ちつくすユイナを見て何かを察したのか、雅輝はマウスを操る手を止めた。
「何か訳がありそうだね、紅茶でも飲みながら話を聞こうか。ユイナがいなくなって、こっちも大変だったんだよ。まさかユイナに…『狩り』の要請を出さなきゃならなくなるのかと思って、胃の痛い毎日だった」
 「『狩り』の要請」という言葉を、雅輝は言いにくそうに口にした。
 それは『Nightingale』に入っている者たちが課せられている唯一のルールだ。一定期間連絡が取れなくなった者は、逃亡とみなされ同じ組織の誰かに処理される。それは雅輝に信頼されその秘密を聞いている者ほど期間が短く、社長室のパスを持っている者であればせいぜい一週間が限度だろう。
「ごめんなさい…そんなに時間が経っていると思わなかったの」
「分かってるよ。でも、全くおとがめなしだと示しが付かないからね…帰ってきてくれて良かったよ。おかえり」
 そう言われてやっと安心したのに、心の底が揺さぶられるのにそれを上手く表情に出来ない。
「………」
 一番痛いのは雅輝に怒られることではなく、おかえりと言ってもらって嬉しいのに、泣くことが出来ない自分の心だ。嬉しいのに、そして不安なのにそれを上手く表に出せない。
 紅茶の入ったポットにティーコジーが被せられ、雅輝がカップを温めるために湯を注ぎながらこんな事を言う。
「ごめん、ユイナ。ユイナが帰ってきて嬉しいのに、どんな顔をしたら分からないんだ。何だか興味なさそうに見えるかも知れないけれど…口で言わなきゃ伝わらないと思って」
 どうして雅輝は、いつも自分と同じようなことを考えているのだろう。
 確かに知らない人が見れば、雅輝は部下に対して酷く冷淡に見えるかもしれない。
 それでもユイナは分かっていた。いつも人に対して仮面を被り続けて、上手く感情を表に出すことが出来なくなっているその姿を。それは悲しくても嬉しくても泣けない自分と全く同じだ。
「わたしもよ。本物の雅輝におかえりって言ってもらって嬉しいのに…胸が痛いのに泣けないの」
 じっとテーブルの一点を見つめながら、ユイナは今まであったことを正直に話す。
 廃墟に行き、一晩過ごしたらこんなに時間が経っていたこと。その廃墟に行くことになったきっかけ、目的、同行者…隠そうと思えばいくらでもごまかしはきいただろう。だがそうすることは、雅輝を裏切るような気がして出来なかった。
「信じられないかも知れないけれど、それがわたしが今まで連絡できなかった理由よ」
 湯気の立つ紅茶が入り、冷蔵庫から雅輝がケーキを持ってきた。誰かからのもらい物なのだろう。何個か隙間のある中から、雅輝はチョコレートのケーキを二つ皿に乗せる。
「…信じるよ。そうじゃなきゃ、ユイナが僕に連絡をよこさないなんてあり得ない…だから本当は、何も聞かずに迎えてあげたかった」
 それにユイナがそっと首を横に振った。
 そういう訳にはいかないだろう。『Nightingale』は強制された組織ではない。雅輝の代わりに手を汚すことも厭わない存在であると同時に、雅輝自身のカリスマに惹かれて集まってきた者達が一つの組織になっている。だからこそその結束が堅い代わりに、裏切り者に対する報いは「死」のみだ。自分だけが対象外というわけにはいかない。
「…さっきの彼は僕の影武者をやってくれたりしてるんだけど、忠誠心が高すぎてこういう時に困るね」
 もし自分が雅輝からここに来られるぐらいの立場である誰かの連絡が突然取れなくなったと聞いたら、まず疑うのは「誰かに始末された」ではなく「裏切って逃げた」であろう。そう易々と何者かに始末されるような者を、雅輝が側に置いておくはずはない。
 もしあの彼がいなくなったら、わたしは彼を迷わず殺しに行く…。
「わたしも立場が逆だったら、きっと同じ事をしていると思うわ」
 そのユイナの呟きで、雅輝がふっと笑って立ち上がり何かを拾いに行く。
「願わくば、そういうことにならない事を祈っているけどね…ああ、こんな所にあった」
 雅輝が手に持っていたのは先ほどユイナに向かって投げられた長針だった。その一本の針は鋭いが、一体これにどんな力が込められていたのかは全く分からない。ただの威嚇だったのか、それとも本気で自分に当てる気だったのか…。
 でも、あの時感じた感情は何だったのだろう。
 あの椅子に座り、雅輝の顔と声で語ることを許されている彼を見た時に、ちりちりと痛んだものは何なのだろう。
 今まで色々な痛みは感じたことがあった。母親をこの手で殺した時や、自分が死ねないと知った時、先ほど雅輝に「おかえり」と言ってもらった時…だが、自分が知っている胸の痛みとは全く違っていた。
『その声はお前のものじゃない』
『その姿はお前のものじゃない』
『その椅子はお前の座っていい場所じゃない』
 この感情をいったい何と言えばいいのだろう。今まで何年も生きてきたが、こんな感情を持ったのは初めてだ。そしてそれは、悲しい時や嬉しい時の胸の痛みとは全く違う「確かな痛み」を自分に与え続けている。
 長針をテーブルの上に置き、ソファーに座り直す雅輝にユイナが問いかける。 
「もし、わたしが死んだら……雅輝は悲しんでくれる?」
「難しいことを聞くね。多分もし死ぬとしたら、ユイナよりきっと僕の方が先だよ」
 ズキン…。
 まただ。またこの痛みだ。
「………」
 ユイナが無言でいると、雅輝は近くにある紙入れから長方形の薄い水色の和紙を出し、それを切り始めた。
「ユイナは『比翼の鳥』って知ってるかい。中国の伝説にある鳥で、目と足と翼が一つずつしかないから常に二羽が合体て飛んでるって言われてるんだ…」
 雅輝は紙を折りながら話を続ける。
「『天に在らば比翼の鳥となり、地に在らば連理の枝とならん』…僕よりユイナが先に死んだら…悲しいとかそんな陳腐な感情で済む自信がない」
「それは、狂うって事?」
「狂うというより『壊れる』かな」
 本当にそんなに悲しんでくれるのだろうか。でも雅輝は必要のない嘘はつかないし、多分本当のことなのだろう。
 そうだからこそ、もう二度とそんな思いをさせたくない…。
「ごめんなさい。わたし、雅輝を心配させてしまったわ」
「うん…流石に二度目はなしにして欲しいよ。もし、どうしてもその時間の流れが違う所に行かなきゃならない用事が出来たら、その前に連絡してくれれば、僕からの説得は効くから」
 雅輝の手の中で二羽の鶴が胴で繋がっている連鶴が出来上がった。一見ユイナが以前雅輝にもらった連鶴の「夢の通い路」に似ているが、それは羽根の部分までも繋がっている。それを雅輝はユイナの手に乗せた。
「これが『比翼』だよ。『夢の通い路』は水面に映った像のようだけど、これは二羽で羽根を共有してる…これが僕の答えだ」
 羽根を共有している『比翼』
 そこには深い意味が込められているのだろうが、ユイナはそれを聞かなかった。ここにある物が答えだというのなら、後の意味は自分で調べればいい。謎かけのようだが、それが雅輝のやり方なのだ。
「これは持ち歩けそうにないわ」
 先ほどまで感じていた胸の痛みが消えていく。やっと微笑んだユイナに、雅輝も安心したように笑う。
「そんなに大事にしなくても、すぐ作れるよ」
「雅輝は分かってないわ。すぐ作れる…じゃなくて、今作ってもらったから大事なの。他の『比翼』じゃなくて、わたしはこれを大事にしたいの」
 「私が死んだら…」の問いに対して作られたこの『比翼』でなければ、大事にする意味がない。雅輝にとっては簡単に作れる物なのかも知れないが、これでなければ意味がない…。
「ちゃんとした和紙で作って良かった…って所かな。さて、ちょっと時間は遅いけど何処か食事にでも行かないかい?ユイナにとってはたった一晩だったかも知れないけど、僕は一週間近く食事も喉を通らない日々を過ごしてたんだから」
「ケーキはどうするの?」
 紅茶は減っているが、出されたケーキにはお互い手を付けていない。雅輝はそれが乗せられた皿を手に取る。
「ケーキは食後のデザートだよ。ユイナが行かないって言うなら、僕は一人で行くけれど」
 これはやんわりとした命令だ。
 ユイナが一緒に行かなければ、誰も雅輝を守る者がいなくなる。食後のデザートと言うことは、食事をした後ここに一緒に戻ると言うことだ。
「雅輝は時々わたしに意地悪ね」
「優しいだけが好きっていうなら、努力するけれど」
 それを聞いたユイナがふっと溜息をつく。雅輝がクスクスと笑っているのがほんの少しだけ悔しい。
「そういう所が意地悪なのよ…」

fin

◆ライター通信◆
二度目のシチュノベ発注ありがとうございます、水月小織です。
今回も連鶴の名前である『比翼』をタイトルに使わせていただきました。文中でも説明してますが、前回出した『夢の通い路』とかなり似た形の鶴です。
前のゲームノベルから続いている話でしたので、最初少しだけお小言が入っています。影武者の彼についてはそのうち出てくる予定です。
『比翼の鳥』については、雅輝の謎かけとして多くを語らないことにします。調べるとすぐ分かりますが…。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願い致します。