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<東京怪談ノベル(シングル)>


プロジェクトS 〜 SはショッピングのS 〜

0.
 辛い戦いがそこにはあった。
 打ちひしがれ、そして挫折する者もいた。
 だが、挫折を繰り返しながらも立ち上がる者がいた。
 困難な道だと知りながら戦う者がいた。

 今夜はそんな一人の女性の物語である。


1.
 『秋の大バーゲン! 50%〜70%OFF!! 早い者勝ちの大特価!』

 DMの山の中からはらりと落ちたそのチラシが、主人公・桜塚詩文(さくらづかしふみ)の心を大きく動揺させた。
「また…この季節が来てしまったのね…」
 悩ましげにため息をつくと、詩文はチラシをカウンターの上に伏せた。

 季節の変わり目にやってくるこの『バーゲン』というイベント。
 デパートや大型ショッピングセンターなどの商品が時期外れや型落ちなどの理由から大幅な値下げが敢行される。
 そういった商品に群がるようにやってくる主婦を中心とする女性たちにより、各地に点在するそれらは熾烈な戦場と化す。
 身分の違いや美醜の差は何の役にも立たない。
 まさに、熾烈な力の駆け引きと過酷な貪欲さによる生き残りをかけた戦場である。

 詩文も幾度かその戦場に足を向けたことがある1人であった。
 しかし、その圧倒的なパワーの差に彼女はいまだ商品を手に入れた実績はなかった。
 手に入れた瞬間に他の者によって剥奪されたり、また髪を引っ張るなどの妨害による追い落としにより涙を呑むばかりだった。

  どうしようかしらん…?
  正直、あんな戦いに行くのはもう嫌だわ…。
  ボロボロになってまで得るものがあるのかしら?

 詩文はまたひとつため息をついた。
 前回もやはり何も買えず、地下の食品街でタイヤキをたくさん購入して帰路に着いたのだ。
 ボロボロになりながら帰宅した彼女は、その時二度と行くまいと決めていた。
 しかし、またこの季節が巡ると気持ちはそわそわと落ち着かなくなる。

  …ううん。違うわ。
  これは女の意地よ! 
  何でもいいの、何か…何かひとつでも勝ち取るの!

 詩文の瞳に、揺らめく炎が燃え盛った。
「やっぱり、今年も行くわよ! 詩文さん!」


2.
 長い髪をきっちりと結んだ。
 いつものスカートも今日はすっきりとしたパンツスタイル。
 さらに秘密兵器もかばんの中に搭載済みである。
 一陣の風をまとい、詩文は目の前の建物を見上げた。
 『高鳥屋』と書かれた高級デパートは、開店前だというのに既に鼻息の荒い主婦に包囲されていながら堂々とした威厳を崩してはいなかった。

 10時開店のカウントダウンが始まる。

10.9.8.7.6.5.4.3.2.1…

「おはようございます。高鳥屋、オープンでございます!」
 アナウンスとともに開かれたドアを押しのけるように主婦の波が高鳥屋店内へとなだれ込む。
 詩文もその波に流されるように店内へと入った。
 お客に向かい頭を下げる店員など見向きもせず、主婦の群れはエスカレーターを上る。
 そうして、階を上るごとにその群れは段々と勢いをなくしていく。
 それぞれがお目当ての階に降り立つためである。
 しかし…

「はぁ、はぁ…。こ、ここはどこ?」
 詩文はエスカレータ横においてあったソファに座り込んだ。
 彼女にとってエスカレータの波は毎年気力の半分を失う難所であった。
 ふぅっと一息つき顔を上げると、奥の方に黒山の人だかりが見えた。
 どうやらこの階でも戦いは始まっているようだ。

  とにかく、何か1つでも買って帰るのよ!

 詩文は気合を入れなおし、戦いの場へと足を再び踏み出した。
 この先に、何が待っているかも知らぬままに…。


3.
 戦場は既に阿鼻叫喚の嵐だった。
 何故だかこの戦場はやけに子連れが多いようで「おぎゃー」「ママー!」と叫ぶ子供の声がフロア全体に響き渡る。

 しかし、今の詩文にそれを気にする余裕はない。
 まずは最前線に到達せねば商品に触る事はできないのだ。
 人の山を掻き分けること。
 これがまず第一の試練だった。
 相手を人間だと思って侮っていると痛い目を見る。
 詩文が人を傷つけぬように気をつけているのに対し、相手は容赦ないのだ。

 これに対抗するために今回、詩文は奥様手袋という隠し兵器を用意した。
 綺麗な爪を保護するため、そして相手を傷つけぬようにすることが一挙に出来る優れものだ。

 キュキュッとすばやく奥様手袋をして、人の山へと分け入る。
 むぎゅむぎゅと容赦なく押し付けられてくる贅肉と香水の匂いの渦を掻き分けて、詩文は一気に最前列へと躍り出た。
 会心の第一歩であった。
 しかし、それも束の間の話で後ろから襲い来る敵により詩文の体は後退させられつつあった。

  い、今を逃したら、チャンスはもう巡ってこないかもしれないわ!
  なにか、何かを掴むのよ!!

 闇雲に手を伸ばし、確かな感触を掴む。
 と、同時に詩文の体は後ろに大きく弾き出されていた。
「…っいたた…」
 尻餅をついた詩文は痛むお尻をさすりながら、やっとの思いで掴んだ戦利品を見た。

 そこに思わぬ困難が詩文の前に立ちふさがったのだ。


4.
 掴んでいたのは真っ白な犬のぬいぐるみ…をさらにしっかり握った少女。
 少女と目が合った詩文だったが、状況がすぐには飲み込めなかった。
 ぬいぐるみを介し、お互いに見つめあう二人。
 …と、少女の瞳がうるるっと急激に水分を貯め始めた。
「ママぁ…」
 背筋に冷たいものが走り、詩文は慌てた。
 どうやらぬいぐるみを掴んでいた少女まで一緒に連れてきてしまったようだ。
 しかし、まるでこれでは詩文が誘拐したようでないか。
「ママ、どこぉ〜?」
 ひっくひっくと泣き出す寸前の少女に、詩文は困惑した。

 おそらくあの山のどこかにいるのが少女の母親なのだろう。
 ひと段落すればおそらく少女の母も戻ってくるのだとは思うのだ。
 しかし、この泣いている少女を見捨ててあの山に戻ることが果たして詩文に出来るのだろうか?
 いや、出来はしない。
 なぜなら…

「おねえさん…」
 少女がすがるように詩文に訴えた。

  『おねえさん』…。
  あぁ、そう言われたらもう探してあげるしかないわよねぇ。

 『綺麗』や『美しい』の形容はよくされるが、若さを表す『おねえさん』という言葉はなかなかめったに聴けるものではない。
 特に子供は素直で、『若く』て『綺麗』な女の人でなければ『おねえさん』とは呼ばないのだ。
 これを喜ばない女性は少ない。
「ちょぉっとお待ちなさいねん。今『おねえさん』がお母さんを探してあげるから♪」
 ぱちりと目配せして詩文はボソボソと小さく呟いた。
 それは、雷撃呪文の極弱いものだった。


5.
「停電!?」
 デパート全体の明かりが一瞬消え、非常灯へと切り替わる。
 商品に群がっていた主婦たちが、我に返った。
 そうして、子供の泣き声を聞きつけた親たちは子供の元へと走っていく。
「ママ!」
 案の定、少女の母親も子供の下へと戻ってきた。
 母親に抱きついた少女は、とても嬉しそうだった。
「よかった! 怪我ないわね?」
 子供の身を心配する母は、詩文にぺこりと頭を下げた。
「おねえちゃん、これあげる」
 少女は先ほど持っていた白いぬいぐるみを詩文に渡して母親と去っていった。

 停電はすぐに復旧し、再びあちこちの階で戦いは再開された。
「…なんだかやる気そがれちゃったわぁ〜」
 少女たちを見送った詩文は再びエスカレータ脇のソファに座った。
 再びあの戦場に戻るには、詩文は毒気を抜かれ過ぎていた。

 ふと見ると、先ほど少女が手渡してくれたぬいぐるみ。
 それには赤札で『500円』の表示があった。
「…あら、これもバーゲン品だったのね」
 てっきり少女の私物だと思っていたが、違っていたようだ。

 少し考えて、詩文はぬいぐるみを手にルンルンとレジカウンターへと歩き出した。
 どことなく、愛嬌のあるその顔が誰かさんの顔に見えた。



―― 和舟の芋ようかんと白いぬいぐるみという戦利品を抱えた桜塚詩文はこうして戦場を去った。
 後にこのぬいぐるみは詩文の寝室の守護ぬいぐるみとして、確固たる地位を掴むこととなる。
 そして、戦いに勝利した彼女は更なる戦いのために、その身を休息させるのだった…。