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<お菓子の国の物語>


お菓子の国のばってん羊





 【長い夜が始まった……】

 暗い夜道を足早に家に向かって歩いていたはずが、通りの角を曲がった瞬間、景色は一転した。
 空はやっぱり夜空なのに辺りは仄かに明るくて、突然甘い香りに包まれる。
 チョコレート色のブロック塀。あまりに美味しそうに見えたので爪で引っかいてかけらをそっと舐めてみた。
 間違いなくチョコレートの味がする。
 思わず辺りを見渡してみた。
 ウェハースの屋根にボックスクッキーの飾り。クラッカーの壁にマシュマロが一つ二つ三つ。庭にはグミの花が咲き乱れたお菓子の家。
 いや、それだけじゃない。
 飴玉で出来た小高い丘。足元を敷き詰めるホワイトチョコの道。
 もしかしたらあの夜空の星も飴玉で出来ているのかもしれない。
 ここは、お菓子の国。
 けれど、どうしてこんなところに迷い込んでしまったのだろう。
 呆然としていると突然、目の前を白いふわふわもこもこが横切った。
 二足歩行しているが、どうやら見た目は羊らしい。体長150cmのもこもこの羊毛に覆われた可愛い羊がたった一匹で。普通、羊は群れをなして生息するものだ。つまりは孤高の羊。一匹狼、されど羊。右目にはどうやって失ったものか十字の傷がある。彼が噂のばってん羊。
 そんな彼が、何を血迷ったのかうさぎの耳をつけて、右手の懐中時計を何度も確認しながら飴玉の丘を駆けあがっていくのだ。普段の危険な香りがしてこないのは、このメルヘンチックなお菓子のせいだろうか。


 ――ドキュン!!


 一昔前のマンガなら確実に胸から巨大なハートマークが飛び出しているところだろう、自分自身そんな錯覚をはっきり見たような気がして、シュライン・エマは自分のときめく胸をそっと手で押さえた。
「っ……い、今、心臓止まった」
 いつの間にか、普段は着ないような紳士もののテールコートに身を包み、同じ紺色のシルクハットを頭にのせていたのだが、シュラインは自分のいでたちに全く気付いた風もない。
「ただの不整脈じゃないの?」
 彼女の足下で、どこから取り出したのかトンカチ片手にホワイトチョコの道を叩き割っていたツヴァイレライ・ピースミリオンが、冷たく突っ込んだ。
 しかしシュラインはそんな事、全く耳にも入らぬ陶酔しきった顔で、くらりと半歩よろめいた。
「なんて愛らしい、うさ耳ばってん羊なの……」
「羊?」
 ツヴァイがお気に入りの緑のトップハットのつばを弾いて顔を上げた。同じく緑のモーニングコート。
 シュラインと並ぶと、まるでいかれ帽子屋が二人並んでいるみたいだ。
 その二人の視線の先――飴玉の丘の上で、今しも一匹のうさ耳を付けた羊が銀の懐中時計を開いていた。
「何やぁ、甘いもんばっかのとこ……おかしなもんぎょうさんあるんやろかぁ」
 そんな事を呟きながら辺りを物色していた繰唐妓音が、ツヴァイらに気付いて、彼らの視線をたどる。
「えーなぁ、もっこもこやぁ」
 そう言う彼女自身しっかり羊毛100%の毛皮に覆われていた。毛皮のコートというよりは着ぐるみに近い。
「わたあめのようで美味しそうです……」
 傍らに立っていた裏地は血のように赤い漆黒マントを身に纏い、黒のタキシードに同じく黒のシルクハットをかぶった迷探偵怪盗シオン!が、今にも涎を流さん顔で言った。ちなみにどうでもいい事だが、怪盗のかっこをしている迷探偵である。たぶん。左手にはカラフルなステッキ、右手にはマイお箸を握っていた。
「もの凄い勢いで無理がある仮装なのでぇすよ……もふもふ大盤振る舞いなのでぇす」
「ん? 何、この子」
 クラッカーの壁の上でうつ伏せに寝そべって、薄紫のストライプをしたチェシャ猫が、その上にぽつんと立っている黒のローブにうさ耳を付け、待ち針を片手に一寸法師然とした女の子を、手でつまみ挙げた。
 手の平より少し小さいくらいの女の子が頬を膨らませてジタバタともがいている。
「何するんでぇすか!」
 似非アメリカンみたいな口調で露樹八重は持っていた待ち針を振り回した。
 チェシャ猫姿の白神空は、初めてみる小さな人間に、暫くきょとんとしていたが、待ち針が自分の指を突きそうなのに指を離す。
 八重が空を睨みつけた。
「チェシャ猫しゃんをのぼるのでぇす!」
「…………」
 八重が、まるで探検家のような足取りで空の背中をのぼっていく。一方―――。
「わたあめ……」
 シオンの呟きを察知したツヴァイが目を輝かせはじめた。彼は甘いものには目がないのだ。あの全身ふわもこが全部わたあめなら……。
「抱き潰したいわ」
 うっとりと両手で宙を掻き擁いてシュラインが呟いた。
「しかし、その前にこれを……」
 うさ耳を付け、白の蝶ネクタイに白地に銀縁のベスト、白のツータックパンツを穿いた白尽くめの麗人――クレイン・ガーランドが、足元に落ちていたそれを抱き上げて言った。ちなみに、頭のうさ耳も真っ白だ。トランプの柄の描かれたエプロンを右手に提げている。
 そんな彼が拾ったのは、うさ耳の付いたばってん羊のぬいぐるみ。その腹には1枚の紙切れがついていた。
「あ、それ欲しい!!」
 シュラインが素早く奪い取る。ふわふわもこもこを堪能するようにぬいぐるみに頬ずりした。
「ま、待て! それはもしや……」
 わた菓子で出来ているかもしれない。ツヴァイがシュラインを宥めるように言った。
「罠かもしれない。さぁ、ゆっくりと僕に渡すんだ」
「嫌よ」
 そうして睨み合う2人に、クレインが溜息を吐きつつ、ぬいぐるみに付いていた紙を掲げて言った。
「『Trick or Treat!』だそうですよ」
「とりっく、おあ、とりーと……? 何かの暗号でしょうか」
 シオンが考え込む。
「なるほど、そういう事か」
 ツヴァイは左の手の平を右手の拳で小気味よくポンと叩いて得たり顔で頷いた。
 クレインも笑顔で頷く。
 今日はハロウィンなのだ。
 つまり、あのばってん羊はうさぎの仮装をしているのである。勿論、仮装は自分たちも含めである、が。とりあえずは、何故自分たちがこんなところにいるのか、とか、一体何が起こっているのか、とか、そういう瑣末な事は、どこか遠くの棚へ投げ上げておこう。
 『Trick or Treat! ―――お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうぞ!』
 どうやらばってん羊のために、急いで彼のお菓子を用意した方がいいらしい。彼のいたずらに遭う前に。
「彼がお菓子を食べている時なら、きっとふわもこ具合を堪能出来るでしょうね」
 クレインが言うのに、落ち着きかけていたシュラインの心臓が再び跳ねた。
「そ……そうね。あぁ、どうしよう。落ち着け自分」
 ふわもこを堪能。考えただけで心拍数も血圧もK点越えしてしまう。シュラインは気を静めるように大きく一つ深呼吸した。
「でも、それなら気に入りそうなお菓子を届けなくちゃいけないわね」
 お菓子を夢中で頬張ってもらわなくてはいけない。万一怒らせるような事でもしたら、ふわもこが遠のいてしまうのだ。
「そうですねぇ……何がいいでしょう」
 クレインが首を傾げると、チェシャ猫の背中で八重が手を挙げた。
「もふもふつながりでわた菓子なのでぇす!」
「そうよねー」
 空も賛同する。やっぱりわた菓子だろう。
「いややわぁ、こっちにもかいらしお嬢はんやん」
 妓音が空の背中にのっている八重に気付いて目を細めた。
「おねぇしゃんももふもふなのでぇすよ」
 八重はチェシャ猫の背から羊の背へ飛び移った。ふわもこのクッションに跳ねながらよじ登っていく。
「気に入りそうなお菓子? 羊だから草じゃないのか。その辺の雑草……はみんなお菓子なのか。もったいないな」
 ツヴァイが抹茶パウダーのかかった芝生を見ながら言った。抹茶クリームの下の地面は、きっと抹茶のスポンジに違いない。この芝生は、きっと抹茶ケーキで出来ているのだ。
「ふあぁ〜、芝生もお菓子なのでぇすよ。食べていいでぇすか?」
 甘党の八重が羊の頭の上で草原を見渡した。
「おう。食うしかないだろう」
 ツヴァイが握り拳をつくる。
「でも、確か羊氏は肉食じゃなかったかしら?」
 シュラインが首を傾げた。
「肉食? なら、そうだ。マトンを使った料理なんてどうだ? 共食いなんて、くっくっくっ」
 その共食いを想像してツヴァイが笑いを噛み殺す。彼は根っからのS属性らしい。
「このお菓子ばっかりの世界にそんなものあるのかしら」
 肩を竦めるシュラインにクレインが言った。
「もしかしたら今はうさぎさんになりきって、にんじんのような固いお菓子を好むかもしれませんし、何がお気に召すかわかりませんから、いろいろ集めて届けましょう」
「そうね」
 シュラインが頷いたとき、シオンが嬉々として手を挙げた。
「はっ!? わかりましたよ、皆さん! 暗号が解けました!!」
「は?」
 皆がシオンを振り返る。
 彼は探偵であった。
 探偵は暗号を解くのが使命であった。
 かくして彼は満面の笑顔で言ってのけたのである。
「トリック、オア、トリート! つまり、トリックを解かないとトリートメントするぞ!! です」
 彼は迷のつく探偵だった。
 ずっと静かだと思えば、どうやら彼は先ほどからずーーーーーーーーーーーっと、これを考えていたらしい。
「急いで解かないと、トリートメントされてしまいます!!」
 勢い込んで真剣な表情で語る彼を、誰もが呆気にとられた顔で見返していた。
「…………」



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



「ふっ。では、そのトリックとやらを解いてやろうではなか。そこの下僕!」
 ツヴァイはそう言ってビシリとシオンを指差した。
「人を指差しちゃだめですよ」
 シオンがツヴァイの指を腕ごと移動させる。
 しかしそれでツヴァイの無駄に偉そうな態度が改まるわけもなかった。彼は胸を張り、肩をいからせ、居丈高に言い放ったのである。
「貴様は奴を確保するための罠を作れ! 俺は奴のための食事を整えてやろう」
 腰に手をあて、一昔前のマンガの悪役キングみたいな仁王立ちで、今にもふっはっはっはっはっはっはっと愉快げに笑い出しそうな勢いのツヴァイであった。
「罠?」
 シオンが首を傾げる。
「ふはは、そうだ。少々古典的ではあるが、あれは今も昔も色褪せる事のない効果的な罠だぞ」
 ツヴァイは、ばしばしとシオンの肩を叩きながら、ポケットの中を漁り始めた。コートの前を開けると出てくる彼の腹には巨大なポケットが一つ付いていたのだ。中には何が入ってるのか、ぺったんこである。しかしそこから彼は、怪しげなものを取り出した。
 それは明らかにポケットより大きいだろう、一冊の本だった。表紙には『漢だって似合ううさ耳メイドのカタログ全集2007年版』とか書いてある。
「罠……ですか?」
 シオンがその本の表紙をマジマジと見ながら尋ねた。ばってん羊はオスである。オスにはメスの羊の方がいいのでは、と思うシオンであった。今は丁度うさぎさんのかっこをしているので、うさぎさんの女の子に反応するかもしれない。
「違う!」
 慌ててツヴァイは、それをシオンの手から取り上げると投げ捨て、再びポケットの中を漁り始めた。
 ぺったんこのポケットにはまだ何かが入っているようには見えない。しかし先ほども、角で人が殺せそうな分厚いカタログ本を取り出して見せたのだ。
 それを見ていたシオンが何かを勘違いして言った。
「私も負けません!」
 シオンが手にしていたカラフルステッキをくるりと回す。するとポンとひまわりの花が飛び出した。
「凄いのでぇす!」
 八重がパチパチと拍手を贈る。
 ツヴァイがポケットから手を出すと、各国の国旗が連なり出てきた。
 妓音も手を叩いてはやしたてた。
 シオンが負けじとシルクハットを手に、それをステッキで叩く。白いハトがひょっこり顔を出し飛び立った。
 それに空がちょっかいを出す。
 ツヴァイが更に―――以下、あまりにくだらないやりとりが続くので割愛する。推して知るべし。
「何をやってるのかしらね」
 呆れたようにシュラインは肩を竦めてみせた。それから腕を組んで「ふむ」と考える。
 ばってん羊の行方は何となくわかるような気がした。探し物の場所も感じる。どうやらここではいつもと違う、別の不思議な力がそなわっているらしい。その代わり、雑多な音を声真似するのはちょっと難しいのかもしれない。それはまるで自分が自分でないような不思議な感覚でもある。
 しかし無邪気な子供の頃に戻ったような気分でもあった。
「よぉし。この鬼ごっこ。絶対勝って、ふわもこはゲットよ」
「何か妙案でもあるんですか?」
 クレインが尋ねる。
「えぇ。勘がね。今日は冴えてるみたい」
「では、参りましょうか」
 促すクレインに、シュラインは頷いて歩き出した。
「私は是非、ナッツやドライフルーツのたっぷり入ったヌガーなどを届けたいと思うのですが」
「ヌガー?」
「えぇ、きっと湖に蓮の花のように咲いているのではないかと思うのです」
「湖かぁ……じゃぁ、行ってみましょう」
「待ってぇ。うちも行くぅ」
 ツヴァイとシオンの手品に飽きたらしい妓音が2人を追いかけてきた。
「あたしも行くのでぇす」
 妓音の頭の上で八重が仁王立つ。
 元々団体行動の得意ではない空だけが、壁の上でそれをのんびり見送っていた。
「湖の場所がわかるんですか?」
 クレインが尋ねるのに、シュラインは右腕に力こぶを作ってみせて言った。
「言ったでしょ。今日は勘が冴えてるの」



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



「うーん。お菓子かぁ……」
 1人―――正確にはツヴァイとシオンが傍で手品合戦を繰り広げているのだが―――取り残されて、空は塀の上にうつ伏せに寝そべって頬杖をつきながら呟いた。
「それより、おかしいのよねぇ。【妲妃】でばってん羊を追尾しようと思ったのに……【天舞姫】にもなれないし」
 彼女の言う【妲妃】とは、エスパーである彼女の複合ESPの一つである。人型変異体【妲妃】は、生体反応に特化した力をもち、残存生体電流を読み取って人を追尾する事ができた。また【天舞姫】は鳥女に変化して飛行能力をもつESPであり、上空からの捜索が行えるのだ。
 しかし、そのどれも反応しない。どうやらこのお菓子のおかしな世界では、ESPは使えないらしい。
「何なのよ、ここ。どうせならリマが一緒だったら良かったのに」
 半ば頬を膨らませ、ふてくされたようにそう呟いた時だった。
 目の前の空間がゆらりと動いた。
 それが薄っすらと影を作ると、たちまち人の形を象っていく。
「…………」
 その様を空は呆気に取られながら見つめていた。
 この世界では、いつもの力は使えないけれど、どうやら新しい力が身に付くらしい。
「リマ!?」
 空は歓喜の声をあげた。
「……空?」
 リマが目の前に立っていた。きょとんとした顔で自分を見下ろしている。間違いなくリマだ。という事は、ここで得た新たな彼女の能力とは―――リマ召喚。いつでも、どんな時でも、彼女を呼び出せる力。
「ここは、どこ?」
 リマがアサルトライフルを手に辺りを見渡した。もしかして彼女は何かとの戦闘中だったのだろうか。
「やーん。あたしの愛が通じたのね。これは愛の力なのね」
 空は飛び起きてリマの首に自分の腕を絡ませた。
「…………」
 リマは相変わらず状況が飲み込めず、狐につままれたような顔をしている。
「やっぱりハロウィンはお祭りだもん。デートしなくちゃ」
「ハロウィン? ここは?」
 リマは空の頭からつま先までをマジマジと見ながら尋ねた。2色の紫色のストライプが全身を覆い、しなやかな肢体を綺麗に浮かび上がらせていた。同じ柄の猫耳にしっぽの猫娘。
「よく知らないけど、お菓子のおかしな世界みたい」
 空が肩を竦めてみせる。
「お菓子のおかしな世界?」
 リマは首を傾げた。
「リマはハートの女王様か。うんうん。可愛い、似合ってる」
 そう言われて初めてリマは自分を振り返った。いつの間に着替えたのか、赤と白の派手なドレスを着ている。持っていたオートライフルの銃剣の先にハートが付いていた。そういえば昔、これと似たような状況を経験したことがある。その時は和服姿だったが。
「それで?」
 リマは先を促した。
 こういう時は、あまり深く考えてはいけない事を、本能的に知っているのだ。
「『Trick or Treat!』ばってん羊が置いていったの。お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうぞ、だって。ばってん羊のいたずらって、あれかしら。私たち、お菓子にされちゃったりして……」
 そうなった後の事を考えているのか、その割りに空の目はうっとりしている。
 リマは指で顎をなぞり、暫し考える風だったが、やがてにやりと笑った。
「ふーん、面白い」
「うん」
 空が頷く。
「つまり、ばってん羊にお菓子を届ければ私たちの勝ちで、届けられなかったら罰ゲームって事なのね」
「別にあたしは罰ゲームでもいいけど」
「何言ってるのよ! 勝つしかないじゃない!!」
 笑顔の空にリマはピシャリと言ってのけた。
「え?」
 リマのあまりの気合の入りっぷりに空が目を丸くする。どうやら彼女は無類の負けず嫌いだったらしい。
「ふっふっふっ……必ず首を刎ねてやる」
 リマはオートライフルのコッキング・ボルトを引いてみせた。今にもその指はトリガーを引きそうだ。
 リマの目が、鬼ごっこの鬼のようなやる気満々の目が、黒く底光りするを感じながら、空は呟いた。
「…………ハートの女王様?」



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



「湖……ですか?」
 クレインが棒読みで言った。
「たぶん、湖だと思うわ」
 シュラインがやっぱり棒読みで答えた。
「湖……ですか」
「湖……というよりは、沼って感じね」
 シュラインの視線が宙を彷徨う。
 湖面には自分の顔も映らない。
「底もなさそうですね」
 クレインが溜息を吐き出した。
 シュラインの捜査対象位置把握能力で連れて来られたそこはチョコレートで出来た湖だった。ドロリとチョコレート色のそれは、沼、或いは泥湯温泉とでも呼ぶべきか。どうやらホットチョコレートで出来ているらしい。
 ところどころ顔を出している石のようなものは、果たして何で出来ているのか。飛び石のように伝って行くには、ちょっとばかし勇気がいる。
 しかし、ヌガーの種を撒く花は、どうやら沼の真ん中に密集して咲いているようだった。
「どうしようか?」
 シュラインが腕を組む。これがよしんば綺麗な水であったとしても、出来ればはまりたくはない。
「誰かに取ってきてもらいましょう」
 クレインがあっさりとした口調で言った。
「誰か?」
「はい」
 シュラインは後ろを振り返る。
 さっきまで一緒にいた筈の、妓音と八重の姿は今はない。
 八重なら飛行も可能だし、簡単に取ってこれるかも、とも思ったのだが。

 ちなみに、丁度その頃二人は、迷子になっていた。

「羊しゃんもぉ、他の皆しゃんもぉ、いなくなってしまったのでぇすよ」
 妓音の掌の上で八重は辺りを見渡しながら言った。あの、飴玉の丘もすっかり見えなくなってしまっている。
 どうやら完全にみんなとはぐれてしまったらしい。
「まぁ、えぇんとちゃう? 先にお菓子見つけましょ」
 妓音は別段慌てた風もなく。のほほんとした口調で言った。みんなとはぐれてしまうのは慣れっこなのである。
「やっぱり、ふわふわもこもこのわた菓子だと思うのでぇす」
 八重は待ち針を振り翳して断固主張した。
「うちも、うちも。あ、見てみ。あの辺。うちみたいに、ふわもこやぁ、きっとあっこ、わた菓子の森やよ」
 妓音が指差した先に白い森が見える。葉に雪が降り積もったかのように、真っ白な綿毛の森だった。
「行くのでぇす!」
 八重は飛び上がると、ふよふよと空を飛んだ。しかしそれもすぐに失速する。
「おなかがすくのでぇす」
 どうやら飛行にはかなりのエネルギーを消費してしまうらしい。
「ほな、これ食べたらえぇんとちゃう?」
 妓音が道端に生えているゼリーで出来た花を摘んで言った。
「美味しそうなのでぇすよ」
 八重がその花の上に蝶のようにひらりと舞い下りる。
「こっち花ぼろもあるえー」
 かくして二人は確実に、わたがしの森からも外れて行ったのだった。

 ――閑話休題。話を戻す。

 クレインは、どこからともなくバナナの皮を取り出した。実はそれは先ほど、シオンとツヴァイがわけのわからない意地の張り合いをしている時に飛び出した逸品だったのだが、それをこっそりくすねてきたのである。ガラクタばかり出していると思っていたら、意外に使えるものも出していたというわけだ。
 それはザンゲスト青果がハロウィン向けに開発していた、食べられるお菓子バナナの皮――すべーるバナナちゃん、であった。従来の黄色と違い、ハロウィンにちなんだオレンジ色をしている。
 それをクレインはホッチョコ沼の周囲に設置し始めた。
「それで、どうするの?」
 シュラインは怪訝な顔をクレインの手元に向ける。
「面白い事になりそうな気がします」
 クレインは全ての皮を設置し終えて、一仕事終えたような、さわやかな笑顔で言った。
 確かに面白そうな予感はする。しかしヌガーはどこへいってしまったのだろう。
「先に、ミートパイを取りに行きましょう」
 クレインが言った。
 面白そうな事になるまで、ここで待っているのも退屈だといった風情だ。
 シュラインはなんとも複雑そうに頷いた。
「そうね。そうしましょうか」



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



 シオンはそこに穴を掘っていた。
 勿論、先ほどツヴァイと二人で出した山のようなガラクタを処分するため、ではない。ばってん羊を捕獲するためである。そう、それは落とし穴であった。そもそもツヴァイはその為にスコップを取り出すべく頑張っていたのである。結局、スコップは最後まで出てこなくて、やむなくそれは、ちりとりで代用されたのだが。
「さぁ、どんどん掘れ!」
 自分は服を汚したくないという理由でシオンをけしかけながらツヴァイが意気揚々と言った。
「ツヴァイさんも手伝ってくださいよ……」
 と言いながらも、お人よしなシオンは一生懸命穴を掘っていた。掘り出されたお菓子はツヴァイが片端から食べていく、といった具合だ。
 勿論、疲れると甘いものが欲しくなるので、シオンも時々つまみ食う。
 程なくして道の真ん中に大きな穴が出来た。
 ガラクタをクッション代わりに入れておく。
 ツヴァイとシオンはグミの木の影に隠れて、ばってん羊がやってくるのを待つ事にした。ところでばってん羊がここにやってくる可能性についてだが、その件に関して二人が全く考えていなかった事は……さておく。
「ばってん羊さんのお菓子はいいのですか?」
 シオンが遠慮がちに尋ねた。
「お菓子の国にラム肉はないからな。やむおえん」
 ツヴァイは腕組なんぞして言ってのけた。何が止む終えないのか、シオンにはさっぱりわからなかったが。
「はぁ……」
 シオンはなんとも曖昧に相槌を打って、道の向こうを振り返った。


 さて、その道の向こうである。


 そこでは八重と妓音が天性の方向音痴をフルに発揮していた。この世界では、今まで使えていた特殊能力の一切が失われる筈なのだが、さすがにこれだけは、失うことが出来なかったようである。
「困ったのでぇす。羊しゃんにお菓子を届けられなかったら、たいへんなのでぇすよ」
 果たしてどんな苛めに遭うのか、内心戦々恐々としてしまう八重であった。
 それを知ってか知らずか、妓音が人差し指を一本立てて言った。
「そうやねぇ……。うちはきっと、落とし穴掘ってはると思うんよ」
「落とし穴でぇすか」
「うん。きっと下に竹槍があってなぁ、蛇がしゃあ!」
 妓音は両手でその様子を表現してみせた。腕が蛇のように動いて脅かすように頭上の八重に伸ばされる。
「いやでぇす! 絶対、いやでぇすよ! あたし、ねずみしゃんに間違われてしまうのでぇす!」
 妓音の手が、まるで大口を開けている蛇のように見えて、八重は蒼白になった。
「きっと、うぞうぞおるんやよぉ」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 今にも泣きださん勢いで半べそをかきながら八重は待ち針を振り回した。
「そうや。蛇はんは獲物を丸呑みしやるし、一寸法師はんみたいに中から待ち針で付いたりぃ」
 妓音が言う。
「うっ……うっ……頑張るのでぇす」
 鼻をすすりながら八重が言った時だった。


「あ……」


「やったぞ! ついにばってん羊を捕らえた!!」
「やりましたね、ツヴァイさん」
 シオンとツヴァイは抱き合って喜び、白いふわふわもこもしたものが落ちた、落とし穴へ走った。
「逃げないように……」
 シオンがガムで作ったロープを真っ白なふわもこに投げつける。
 ガムの伸縮力故か白いふわもこがガムに引っ張り上げられるようにしてシオンの元へ飛んできた。
 ツヴァイが目を見張る。
「いやぁ〜ん。うち怖いわぁ〜」
 白いふわもこははんなり京都弁を嗜みながらシオンの胴体にタックルをきめた。
 刹那、シオンの体が白いふわもこに覆われ、頭からうさぎの耳が生え出す。
 ぐえっ……。
 タックルされたシオンが潰れた蛙みたいな声をあげた。腰を折り目に半ば背中の方へ折り曲がりかけている。
 ばきばきばき……。
 嫌な音が、ツヴァイとシオンの耳を叩いた。
「いやぁ〜ん。蛇はんうぞうぞ〜」
「いやでぇす。怖いのでぇすよ。あたし、美味しくないのでぇす!!」
 半ばパニック状態の二人が恐怖にか、更にシオンの体に抱きついた。
「蛇なんかどこにもいないぞ」
 ツヴァイが見かねたように、京都弁を喋る白いふわもこうさ耳羊――妓音の肩を叩いて言った。
「へ? そうなん?」
 妓音が我に返ったようにツヴァイを振り返る。
「ああ」
 ツヴァイは頷いた。
「なんや、うち、もう、びっくりしてしもたわぁ」
 妓音がゆっくりシオンの腰に巻き付けていた腕を離すと、シオンは力なくその場にくずおれた。
「あたしもでぇす。びっくりしたのでぇす。本当に落とし穴掘ってるとは思わなかったのでぇす」
 目尻に浮かぶ涙の粒を手の甲でごしごし拭って八重が言った。
「もう、はよ、ゆうてよ。うちてっきり、羊はんが作った思たんよ。もう、嫌ないたずらしはるんやから」
「そうなのでぇす。これは苛めなのでぇす」
 2人が頬を膨らませてツヴァイを睨む。ツヴァイはそれに「ふん」と鼻を鳴らしてみせた。
「あのばってん羊のいたずらを恐れて何になる。羊のいたずらなどどうせ、うさ耳だけに全員バニーちゃんにでもする気なんだろ。ま、俺は似合うと思うけどな」
 ツヴァイは自身満々に断言して、ナルシスチックな笑みを2人に投げかけた。
「お兄はん、えぇ男はんやもんなぁ」
 妓音がツヴァイの腕に自分の腕を絡ませる。
 刹那、今度はツヴァイが白いふわもこに覆われ、頭にうさ耳が生えた。バニーちゃんというよりも、これではうさ耳羊の仮装である。どうやら、妓音はこの世界では、触った人たちをうさ耳羊に変えてしまう能力があるらしい。
「ほんま、似合うやーん。うち怖いし、お兄はんにくっついてるわぁ〜」
 ちなみに、シオンの意識はまだ戻ってきていなかったが、妓音が手を離した時点で、彼は迷探偵怪盗シオン!に戻っていた。どうやら妓音が手を触れているときだけ有効らしい。
「おじさん、大丈夫でぇすか?」
 八重がシオンの額の上でぴょこぴょこ跳ねながら、やがておもむろに待ち針を突き刺した。
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!」



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



「きっと、ミートパイは柱の上だと思ったのよ」
 まるで神殿のように列柱が並んでいるその柱の前でシュラインが断言した。それは天井も何も支えていない柱である。いや、柱が支えているのはこの天なのかもしれない。
 シュラインの言う通り、大理石の如く艶やかな飴細工で出来た柱の上にポツンとパイが乗っているようだった。
「なるほど。しかし、どうやって取りましょう。はしごがいりますね」
 高さ10mはあるだろうか。柱は両腕で抱えきれないほどの太さである。
「はしご……はしご……。トカゲがはしごを運んできたり……はしないわよね。あ、飴なんだから融けるんじゃない? 火を点けてみたら?」
 シュラインがライターでも探すようにテールコートのポケットを探す。
「火を点けたら、焦げてしまうんじゃないですか? 湯せんのようにしないと」
「あぁ、そうかも」
「それに、そもそも火もないかもしれませんし」
 クレインの言葉にシュラインは、そういえばと思い出した。来る途中覗いたお菓子の家の暖炉には、火の変わりに食紅で色付けされたりんごのコンポートが並んでいたのだ。
「うーん……」
 よしんばライターが見つかったとしても、それが灯すものが、火である保障はどこにもない。
「あ、そっか」
「何かよい方法が見つかりましたか?」
 尋ねたクレインに、何か思いついたらしいシュラインが笑顔で答えた。
「だるま落とし」
「だるま落とし?」
 耳慣れない言葉にクレインが眉を顰める。するとシュラインは一つウィンクしてみせて言った。
「日本の伝統的は遊びよ」



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



「うむ、これは……」
 ツヴァイがそれを見て、何とも複雑そうな顔で呟いた。
「どろ沼のようでぇす」
 ツヴァイのトップハットのクラウンの上で八重が深呼吸する。
「でも、ホットチョコレートの甘い香りでぇすよ」
 八重の目がキラキラと輝いた。甘い物には目がないツヴァイも目を輝かせる。
「あのホットチョコレートは僕のものだ!」
「あたしのでぇす」
 ツヴァイが走りだした。八重も飛び立つ。
「あ、急に走りだしては危ないですよ」
 シオンがそれを呼び止めるように追いかけた。
「や〜ん。待ってぇなぁ〜」
 その時、それが発動した。
 クレインが沼の周りに設置していた地雷である。
「あ……」
 一番最初にそれを踏んだのはシオンだった。
 咄嗟に宙を飛んでいた八重の体を掴んだが、それでシオンの体重を支えられるわけもない。
「ぷぎゃぁぁぁ〜」
 八重が握りつぶされそうになって悲鳴をあげる。
 シオンはそのままもんどりうって滑った。
 それに妓音が、何を血迷ったのかツヴァイの腕をしっかと掴んだまま「うち、こわぁ〜い!」とか言いながら、地雷を踏んだから事態は更に悪化した。
「何ぃ!?」
 ツヴァイが目を見開いた時には遅かった。
 通常のすべーるバナナくんより若干性能は落ちるが、当社比15倍のうたい文句は伊達ではない。ハロウィン限定すべーるバナナちゃんだってその威力は絶大なのだ。
 4人はもつれあうようにして滑った。
 滑りに滑った。
 滑った先に、ホットチョコレートの沼があった。
 それだけだった。

 ジャボーン!!

「あ、何かかかったみたいですよ」
 クレインがミートパイを手に、ホッチョコ沼の方を振り返りながら言った。



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



 チョコレートの人形が4体。
 それがホットチョコレートの沼の真ん中の石らしきものの上に立っていた。
 沼の傍を通るホワイトチョコの通りから、遠目にそれを見つけたチェシャ猫が目を細めながら満面の笑顔で言った。
「やっぱりお菓子にされるんだ。どうしよう。リマと2人でかじりあっちゃうのかな。やっぱり敗北の方がいいんじゃない?」
「何言ってるのよ。絶対嫌」
 リマはきっぱり言い切った。勿論、嫌なのはお菓子にされる事ではない。敗北、が嫌なのだ。
 空はやれやれと肩を竦めつつ、ホッチョコ沼には近寄らずに歩き出した。わた菓子の森は反対側にあるのだ。


 一方、チョコレート人形本体の方である。
「うぅっ……ホットチョコレートは熱いのでぇす」
 八重が石の上で、体中のチョコレートを舐めながら言った。
「ったく、何て事だ」
 怒りを露にしながら、ツヴァイも腕のチョコを舐めている。
「とほほほほ……」
 シオンはぐったりしながらチョコレートの沼を暫く見下ろしていた。
「チョコレート味のわたがしもえぇかもしれへんねぇ」
 お気楽な調子で妓音が沼に咲いているお菓子の花を摘んだ。全身のチョコレートを何とかしようという気はないらしい。そもそも、4人はまだ沼の中央にいるのだ。うまく飛び石を伝って向こう岸まで行ければいいが、途中で滑って転んだりしたら、またチョコレートの沼に逆戻りなのである。それを見越しているのか。というよりはむしろ、落ちる気満々に見えてしまうのは気のせいだろうか。
「酷い目にあったのでぇす」
 全身を綺麗に舐めあげて八重はふわふわ飛びながら、自分の体くらいある大きな花の上に舞い降りた。
 中からポンと、ヌガーが飛び出してくる。
 それを八重は美味しそうに頬張った。
 体より大きいくらいのそれが、何個も八重の口の中へ消えていく。彼女の胃袋はブラックホールで出来ているらしい。
 甘いもの大好きのツヴァイも、負けじと花を摘み始めた。
 シオンもマイお箸を駆使してヌガーに舌鼓をうつ。
 やがて、何かを思い出したようにシオンが言った。
「あの……戻らないのですか?」
 3人を振り返る。
「ほんまやねぇ。そろそろ飽きてきたんとちゃう?」
 ヌガーやフィナンシェをいっぱい食べて、さすがに焼き菓子は飽きてきたような口ぶりで妓音が言った。
「そうだな。せっかく他にもいろいろあるんだ。行こう」
 ツヴァイが頷いた。彼的にはまだ飽きるにまで到っていないのだが、せっかく他にもお菓子があるのに、同じものばかり食べていてもつまらない気がしたらしい。
「はぁい。あたしも行くのでぇすよ」
 かくして4人は再びホットチョコレートの沼を泳いだのだった。



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



「きっと、ヌガーを取ってきてくれていると思うのです」
 クレインは人差し指を一本立てて、ニコニコしながら言った。
「まさか、そのヌガーを?」
 シュラインが目を丸くする。彼の、取ってきてもらうというのは、そういう意味だったのか。
 半ば呆気にとられていると、クレインは楽しそうな鼻歌を交えながら、ガムで出来た紐を木にくくり付けていた。
 どうするのか、と尋ねるまでもなく、シュラインは彼がしようとしている事に思い当たって笑みをこぼす。
 とってきたヌガーを分けてもらうにしては、あまり穏便なやり方ではなかったが、せっかくのハロウィンなのだ。自分ばかりがお菓子を配るのも楽しくない。いたずらする側にまわってみるのも一興だろう。
 目的の人物が現れるまで待つ間、シュラインはどこで見つけてきたのか、飴細工のナイフでミートパイをにんじんの形に切り取り始めた。
 程なくして、チョコレート色に染まったうさ耳羊が2匹腕を組み、迷探偵怪盗シオン!がシルクハットの上に三月兎の一寸法師をのせて、とぼとぼと疲労感を漂わせながらやってきた。
「あら、ばってん羊? じゃないわよね?」
 妓音は知っているが、隣の羊男には見覚えがないような気がしてシュラインが首を傾げる。
 シュラインは妓音の能力を知らなかったのだ。勿論、妓音が腕を組んでいるのは、言わずと知れたツヴァイであった。
「まぁ、それはこれを引いてみたら正体がわかります」
 いたずらっこのような笑顔でクレインが言った。それ以前に、右目を見たらばってん羊でないことはわかるだろう。
「それもそうね」
 シュラインは頷いて紐を掴んだ。
 チョコレートまみれの4人がガムの紐を越えようとする。その瞬間、シュラインとクレインは力いっぱいガムを引っ張った。
 3人が見事に紐に足を引っ掛けて転ぶ。
「いやぁ〜、うちびっくりやわぁ〜」
 とか言いながら、妓音はツヴァイのほうへ全体重を預けた。
「ぬがっ……」
 結果的にツヴァイは妓音の下敷きになる。
 一方派手に転んだシオンはシルクハットも転げ落ち、八重も投げ出されてしまっていた。彼らが集めてきたらしい散乱するヌガーを回収してクレインは満足そうに笑っている。
「……酷いのです……」
 シオンがクレインを見上げて言った。
「びっくりしたのでぇすよ」
 八重も地面転がったまま言った。


「くそ、何て事だ」
 自分が誰かを陥れるのは全然構わないが、自分が他人に陥れられる事は、我慢ならない我が儘プーこと、ツヴァイは、不機嫌に泥―――という名のココアパウダーを払いながら言った。
「僕にもヌガーを寄越せ」
 そう言ってクレインに向かって手を差し出す。
「あんなに食べたのに……」
 シオンが呆気に取られたように言った。
「そうなのでぇす」
 八重も頷く。そうですよね、とシオンは八重を振り返ったまま固まった。
「あたしも1個欲しいのでぇすよ」
 八重もクレインに向かって手を差し出していた。
「…………」
「あら、じゃぁ、このミートパイの残骸食べる?」
 シュラインがにんじん型に切り終えたミートパイの切れ端を八重とツヴァイに差し出した。
「甘くないものはいらん」
「甘くないのはいらないのでぇす」
 ツヴァイと八重が口を揃える。
 例えば、ここにいたのが単なる食欲魔人なら、何でも美味しくいただいたところだろう。しかし、これだけ回りに好物の甘味が散乱している場所で、わざわざ甘くないものを食べる理由はないらしい。
 そんな顔付きの2人だった。
「甘ければいいのですか?」
 クレインが尋ねる。
「あぁ」
「なのでぇす」
 2人が頷いた。
「では」
 そう言うとクレインはミートパイの残骸に触れた。それから2人に差し出して言う。
「どうぞ。騙されたと思って食べてみてください」
「なに……」
 不審そうにクレインの顔を見ながらツヴァイがそれを口の中へほうりこんだ。
「甘い!?」
 ツヴァイはミートパイをマジマジと見る。どこからどう見てもミートパイはアップルパイではない。しかし、甘ったるいのである。
「本当でぇす。甘いのでぇすよ」
 八重も歓声をあげた。
「どうやら私は触れたものの甘さを調節できるようで」
 クレインがにこやかに言った。
「何!? という事は、これは、もっと甘く出来るのか!?」
 ツヴァイが目を輝かせる。
「え? えぇ……って、もっと甘くするんですか?」
「もっと甘くしてくれ」
「…………」
 想像しただけで、甘ったるさで胸やけを起こしそうになって、クレインは口元を手で覆いながら、ミートパイを更に甘くしてやった。そもそもミートパイは甘い食べ物ではない。それを多少甘くするだけでもどうかと思うクレインなのである。
 だがツヴァイと八重はそれを美味しそうに頬張っていた。
 そうして、ツヴァイと八重が、ちょっと変わった味のするミートパイを嬉しそうに頬張り、クレインがヌガーの味見をしている。その傍らで、わた菓子の森を見つけたシオンが、そこで大量のわた菓子を回収して、一生懸命何かを作り始めた。

 やがて、それが完成した頃―――。

「さ、おもてなしの準備も出来たし、羊氏を呼ぶわよ」
 シュラインが意気揚々と言った。
「そうですね」



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



 ふわもこうさ耳羊が都合2匹と、三月兎と迷探偵怪盗シオン!が、紺色のいかれ帽子屋の案内でばってん羊を目指す。うさ耳一寸法師は、いかれ帽子屋のシルクハットの上にいた。
 シュラインの、捜索対象位置把握能力により、飴の丘を目指していた6人は、そこにばってん羊を見つけた。
 ばってん羊は飴の丘の上でデッキチェアーに腰かけて、のんびりと銀時計を見ながら優雅にくつろいでいる。
「私が行きます!」
 シオンが先陣を切った。彼は自らの特殊能力でばってん羊との距離を縮めていく。
 シオンの特殊能力―――腰をリズム感とは無縁に揺らし、同じように両手も揺らしながら、何とも微妙な踊りで相手の気を引きつつ、志気を殺ぐ。
 それを見てしまった仲間達の士気も下げてしまうという恐ろしい技だった。
 思わず、呆然と見守っていたシュラインが、ハッと我に返る。
「たのもー!!」
 シュラインは頭の上の八重を、シオンに気を取られているばってん羊に向かって力いっぱい投げつけた。
 八重は宙を舞い、ばってん羊の顔にベチャリと張り付く。
「びっくりなのでぇすよ」
「…………」

 その時、だった――−。

 突然彼らの頭上から煙幕が降り注いだ。
「げほごほごほっ」
 皆が一斉に咳き込む。
「なんだなんだ!?」
 片手で煙幕を追い払うように掻いて、もう片方の腕で鼻と口を覆う。
「こ…これは、クラッカー?」
 辺りは6人とばってん羊を覆い隠すように、粉々に砕かれたクラッカーの煙幕に覆われてしまった。
「はっ!? トリートメントされてしまいます! 皆さん、伏せて!!」
 シオンが声を張り上げて地に伏せる。しかし他の誰も伏せなかった。
「いややわぁ、うち、こわぁい」
 辺りが見えていないのか、妓音がシオンをふんづけツヴァイにタックルする。
 目も開けていられず、混乱の中をシュラインが泳ぐように歩いていると、すぐに足元が覚束なくなった。ぬたぬたとした異様な感覚に薄く目を開ける。足下には加工途中らしいマシュマロが敷き詰められていた。
 そうして視線が足下に注がれていたのは彼女だけではない。
 その頭上から、飴細工のネットが降ってきた。
 しかも水飴付きという丁寧さぶりだ。
「もう、どういう事よ! これがまさか、羊氏のいたずら!?」
 シュラインが叫んだ。
 しかしこの煙幕の中にはばってん羊もいるはずだ。一体何が起こっているのかわけもわからずもがいていると、やがてクラッカーの霧が晴れていった。
「あら?」
 チェシャ猫がネットの中を覗きながら呟いた。
「ばってん羊がいないわね」
 ハートのクイーンも首を傾げている。
「どういう事だ、貴様ら!」
 水飴も飴細工も口の中へと消化しながら、ツヴァイが顔を出した。
「ちょっと間違えちゃったみたいね」
 リマが肩を竦めてみせる。
 目測を誤ったのか。
「ちょっとじゃないだろ! ところでこの水飴はどこで入手した!?」
 ツヴァイが目を吊り上げる。しかしそんな事は耳に入らない態でリマは辺りを見回していた。
「ばってん羊はどこ行っちゃったのかしら」
「たぶん、近くにいると思うわ」
 シュラインが答えた。
「水飴はお箸では食べにくいのです」
 地面に這いつくばったままシオンが顔とマイお箸を上げて言った。
「いややわぁ、チョコの次は水飴なん?」
 シュラインとクレインとツヴァイとシオンと妓音の5人はべとべとになりながら、ネットを出た。
 心なしかぐったりしている。
 空とリマはとぼけたような顔で明後日の方を向いていた。
 シュラインが疲れたように溜息を吐き出すと、気を取り直すように言った。
「あ、あそこにガーデンテラスがあるわ」
「それで?」
 ツヴァイが冷たく返す。
「みんなでお茶会でもしましょ」
 シュラインが笑った。
「ばってん羊は?」
 クレインが尋ねるのに、シュラインはさらりと答える。
「ほっといて」
「え?」
 他の面々は顔を見合わせた。
「天岩戸みたいでしょ?」
 シュラインが楽しそうに笑って言った。
「天岩戸?」



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



 天岩戸。昔、太陽神天照大御神が天岩戸に引きこもってしまい、いくら声をかけてもうんともすんとも。太陽が隠れたことにより各地では災いが起こってそれはもう大変な事になった事があった。そこで八百万の神々たちは天照を天岩戸から出すために、岩戸の前で大騒ぎをしてみせたのである。するとどうだろう天照は何事かと岩戸の扉を開けたのだった。

 シュラインとクレインとツヴァイとシオンと妓音と空とリマの7人は、さっそくお茶会の準備を始めることにした。
 それぞれが集めてきたお菓子をロングテーブルに並べる。
 お菓子とわた飴で作った女の子羊に、うさぎの形をした――クレインに頼んで当社比10倍の甘さにしてもらった――わた菓子――シオンの力作。サイズだって当社比10倍――に、にんじんの形のミートパイと、ナッツやドライフルーツがたっぷりのヌガー。
 紅茶を淹れながらシュラインが大きな声で言った。
「さぁ、お茶会が始まるわよー!!」
 シュラインの号令に皆がティーカップを掲げる。
「かんぱーい!」
 カチンカチンと合わさるカップの音。一つ、二つ。三つ……八つ、九つ?
「羊氏!?」
「もふもふなのでぇす」
 ばってん羊にくっついて八重が言った。
 いつの間に2人は現れたのか。
 いや、そもそも、いつの間に2人はいなくなってしまったのか。

 あの煙幕の中、八重はばってん羊の顔に張り付きながら、こっそりローブの中に忍ばせていた、ハロウィン限定すべーるバナナちゃんをばってん羊の足下に落としたのだった。
 ばってん羊は、視界を奪われ、そのすべーるバナナちゃんを踏んづけてしまったのである。
 すべーるバナナちゃんの威力は、既に、シオンたちで立証済みだろう。ばってん羊は八重を顔に貼り付けたまま、滑ったのだった。
 結果として、頭上から降ってきたネットを紙一重でかわすことになり、そのまま滑りに滑って丘を下りお菓子の家の壁に体当たりをして止まったのである。
 そして、天岩戸よろしく、シュラインの声に誘われてきた、のであった。

 どこで見つけてきたのか、八重もしっかり自分サイズのティーカップを持っている。
「ど……ど……どうしよう……こんな至近距離に白いふわもこが……」
 向かいの席に座ったばってん羊に、シュラインは胸を押さえてわなないた。あまりに近くにその姿を目の当たりにして、抱きつきあぐねている。机をこれほど邪魔だと思った事はない。
 ばってん羊の隣に座っている空が、毛並みを確かめるように撫でているのに、嫉妬と羨望の眼差しを注ぎながら、シュラインは隙が出来るのを待とうと心に決めて何度も深呼吸を繰り返した。
「しまった! バリカン忘れてた!!」
 と、リマが立ち上がり、お菓子の家へ駆けて行く。
「そういえば、ばってん羊さんは、フェミニストでしたっけ?」
「え? それ本当!?」
 クレインの言葉にシュラインの目が光った。それなら頼めば触らせてもらえるかもしれない。
 一方、クレインの反対側ではシオンがカラフルステッキを手に奮い立っていた。
「どんなトリックを使ったのか、何としても解き明かせて見せます!」
 などと言いながら、シルクハットから色々なお菓子とうさぎさんを出して、ばってん羊にプレゼントしている。
 それが気に入ったのか、楽しいパーティーを気に入ったのか、或いは、単にシオンに対抗しただけなのか、ばってん羊はツヴァイのトップハットを取り上げると、中から板チョコを取り出してみせた。
 それを全員に配る。
「ありがとなのでぇす」
「なんだ、ばってん羊、いい奴じゃないか。しかし僕の帽子にそんなものが入ってたとは気付かなかった。どうやって出したんだ?」
 そう言って、八重とツヴァイは意気揚々とチョコにかじりついた。
 他の面々もチョコをかじる。
「ふぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜」
 八重が絶叫した。
「甘くないのでぇす!」
「なんだこれはーっっ!?」
 ツヴァイも顔を顰めてチョコを吐き出した。
「おいしゅうないわぁ〜」
 妓音が舌を出す。
「99%カカオ……」
 空が溜息を吐いた。
「変な味のチョコレートなのです」
 シオンが不思議そうに首を傾げている。
「ひつじしゃんのイジワル〜〜〜〜!!」
 八重はばってん羊の頭の上で暴れてみせた。
「あなたは美味しそうね」
 99%カカオのダメージにうちひしがれながら、ぐったりとシュラインは白ウサギを見やった。
「えぇ、まぁ……」
 クレインは笑顔でチョコレートを食べていた。何と言っても彼の特殊能力は甘さの調整なのである。
「私のもお願い。70%くらいで」
 シュラインはチョコレートをクレインに差し出した。
「はい」
「うぉー! 甘くないチョコレートなんて僕は認めない! 絶対に認めないぞ! 認めないからな!! 許さん、ばってん羊!!」
 ツヴァイがすっくと立ち上がり、ばってん羊を指差してにらみつけた。目が憤怒に彩られている。
「そうなのでぇす! 許さないのでぇす!!」
 目尻に涙を溜めて、八重も断固抗議した。
 シュラインが甘くなったチョコレートを口の中へほうりこむ。エネルギー充電で立ち上がった。
「本当よ。もう……ちょっと愛らしいからって。―――抱き潰しちゃうんだから!」
 ミートパイを頬張るばってん羊にシュラインは、テーブルを乗り越え語尾にはぁとまーくを付けて抱きついた。
 それを見ていた妓音も抱き付く。
「うちもぉ〜」
「おのれぇぇぇ〜!!」
 呪詛をこめてツヴァイが掴みかかる。
「ひつじしゃんのイジワル〜!!」
 八重がばってん羊の毛を掴みながらポカスカとばってん羊を叩いた。

 ところが―――。

「あ……れ?」
 抱きしめても、抱きしめてもふわふわもこもこで、ちっとも手ごたえがない。
 と思っていたら、それは大量のわた菓子だった。
 中からばってん羊のぬいぐるみが一つ。
 そこには一枚の紙切れ。
 達筆で。

『 は ず れ 』

 と、書いてあった。
「いつの間に!?」
 それは、ばってん羊の得意技、代わり身の術、である。
「羊氏は!?」
 シュラインが立ち上がって辺りを見渡した。
 どうやって移動したのか。
 飴の丘の上。
 ばってん羊が一人立っている。
 手には何で出来ているのかリボルバー。
 それを夜空に向けて。

 ドキュン!

 可愛い音がしてBB弾のようなこんぺいとうの粒が飛び出した。それが、夜空に燦然と輝く丸い月に当たった。

 ―――当たった?

 月がどんどん大きくなる。
 遠近法でいえば、月はどんどん近づいてきているという事になるだろうか。
 その事実に行き当たるまでに、誰もが暫しの時間を必要とした。
 ズシンと物凄い地響きを立てて、月は落ちた。
 お菓子の家からお菓子で出来たバリカンを手にリマが出てくる。
「なっ!?」
 リマは巨大な月を見て目を見開いた。
「うそでしょ……」
 空が頭痛をこらえるようにこめかみを指で押さえる。
 丘の上の月はゆっくり転がり始めた。
 徐々にスピードをあげていく。
「逃…逃げへんとあかんのとちゃう?」
 妓音が後退る。
「潰されるのでぇす」
 八重も目を丸くした。
「どっちへですか!?」
 クレインが誰にともなく尋ねる。
「とりあえず、こっちです!」
 シオンが答えた。皆を促すように先導する。
「速く!! 急いで!!」
 シュラインもシオンの後に続いた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 ぎりぎりまでわた菓子を頬張っていたツヴァイが、巨大な月に大慌てで7人を追いかける。
 そうして8人は走った。
 巨大な月が転がってくる方とは逆方向へ。
 ただひたすら、一直線に。



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



 気が付くと、見慣れた道があった。
 逃げ込むように通りの角を曲がる。
「え…………?」
 思わず腕で目を覆う。
 あまりの眩しさに、目を開けていられなくて。
 閉じた瞼に、乳白色の残像が飛び交った。

 そこには、長い夜の終わりを告げるように、朝陽が昇り始めていた。






 ■The END■





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業・クラス 】

【TK0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【TK5151/繰唐・妓音/女/27/人畜有害な遊び人】
【PM0778/ツヴァイレライ・ピースミリオン/男/22/エスパー】
【PM0233/白神・空/女/22/エスパー】
【PM0474/クレイン・ガーランド/男/36/エスパーハーフサイバー】
【TK3356/シオン・レ・ハイ/男/42/紳士きどりの内職人+高校生?+α】
【TK1009/露樹・八重/女/910/時計屋主人兼マスコット】

【TK/PM-NPC/ばってん羊/男性/???/NAT在住モンスターorタクトニム】
【PM-NPC/マリアート・サカ/女/18/エスパー】

 TK:東京階段 / PM:サイコマスターズ / ※発注順


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 ご参加ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。