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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

 東京郊外にある『四之宮医院』の扉は、何時でも開いている。
 それは自分を必要とする患者達がいつでも遠慮なく来られるようにと、ここの院長である四位 いづる(しい・いづる)がそうしているからだ。
「ふぅ…今日はもう終わりかな」
 その夜も夕食後に具合が悪くなったという子供を診たあと、いづるはカルテを整理しながら診察室で息をついていた。季節柄風邪が流行っているせいで飛び込みの患者が多少多いが、自分が少しでも携わることで元気になってくれるのはやはり嬉しい。
 時間は午後十時を回っている。
 今日は何だか急患が多いのか、やけに救急車のサイレンが聞こえるような気がする…そう思ったときだった。
 控えめな音で電話が鳴る。
 黒髪をさっとかき上げると、いずるは受話器をさっと取った。外科でも内科でも自分の元に来る患者を追い返すつもりはない。
「もしもし、四之宮医院です」
 救急車から緊急搬送の電話かと思ったのだが、無線もサイレンの音も聞こえない。その代わりに聞こえたのは、小さくかかるジャズの曲だった。
「もしもし、四位先生ですか?」
「どちら様ですか?」
 電話の向こうで息をつく声が聞こえる。
「都内にある『蒼月亭』って店のマスターのナイトホークです。今日はそちらに仕事を頼みたくて電話したんだけど…」
 その店の名前は知っていた。行ったことがあるわけではないが、患者から近くに美味しいコーヒーを出す店があるという話を聞いたことがある。だが、そのマスターが一体自分に何の用なのか…右手にボールペンを持つと、それを器用にくるりと回しながらいずるはメモの用意をし始めた。
「仕事の内容にも…って、うちは病院だからそれをふまえてのことでしょうね?」
「医者に頼むのは一つしかないんだけど、今からそっちに患者が行ったら診てくれる?」
 わざわざ患者を診るために前置きが必要なのだろうか。
 その言い方には何か裏があるような気がしてならない。だが、人間であろうが人外であろうが患者が来るのであれば、それを診ない道理はない。
「どんな患者なのかしら。何か訳がありそうね」
「察しがいいとありがたい。普通の人間じゃない患者を詮索なしにすぐに診てくれそうなのが、先生しかいなかったんだ。これから患者を連れた人が行くから、詳しいことはその人に聞いて」
「分かったわ。でも、取りあえずそちらの連絡先を教えて頂戴」
 悪戯だったときのことを用心して、いずるは教えられた電話番号と住所をメモした。受話器を置き、一つだけ溜息をつく。
 何だか妙な予感がする。
 それは自分の勘なのか、それともまた別の不安なのか分からないが、何だか今夜は忙しい夜になりそうだ。
「まあ、慣れとるけど…」
 急な患者が来るのは珍しいことではない。
 白衣の衿を直し、新しいカルテを出す。緊張が少しずつ高まり、それを押さえるようにペンをくるりと一つ回す。
「すみません…お待たせしました」
 音もなく開けられた玄関には、眼鏡にスーツの青年が立っていた。その後ろにいる長身で青い目をした青年は、毛布にくるまれた少女を抱きかかえている。白い肌に茶色の長い髪…だが、毛布から見えている足は細く、目はずいぶん脅えた表情を見せていた
「……人間やない」
 いずるは心の中で呟いた。
 眼鏡の青年は人間だが、他の二人は人ではないようだ。長身の青年は少女を眼鏡の青年に預けながら小さな声で呟く。
「俺は外に出てます。まだ追っ手がいそうですから」
「よろしく頼むよ、冬夜(とうや)…先生、診察室はどこでしょうか」
「こっちよ。まずその子を寝かせた方がいいわね」
 ……自分の眼に見えるのは、三人の緊張感と焦燥感。
 闇に飛び出していく冬夜の背を目で追い、いずるは青年達を診察室に案内した。

 青年はいずるに『篁 雅輝(たかむら・まさき)』と名乗り、自分の立場を紹介した。
 その名前に関してはいずるも聞いたことがあった。篁コーポレーションの若き社長…食品関係の研究だけではなく、医薬品なども取り扱っている。だが、その社長が何故人外の少女を連れているのか…しかも、何者かから逃げながら。
「どうでしょう、先生」
「疲労が激しいわね…熱が高いのは多分消耗熱だわ。後は……」
 聴診器をあてながら、慎重にいずるは少女を診察していった。
 痛そうに庇っている左腕は簡単な応急手当がしてあるが、腫れ方からいくと折れているだろう。足や体にも打撲の痕跡がある。
「………」
 熱でうるんだ瞳が脅えるようにいずるを見つめていた。その額にそっと手をあて、いずるは安心させるように少し微笑む。
「大丈夫よ。痛み止めの点滴をうってあげるから、何も怖いことはないわ」
「わたしのこと…ぶたない?」
「そんな事する人は、ここにはいないから安心しなさい」
 まずは骨折の治療からだ…開放骨折や粉砕骨折でなく、皮下骨折ですんでいるのがまだ救いだ…これなら手術をしないでギプスだけで何とかなる。
 治療の準備をしていると、少女が雅輝を呼び掛けた。
「わたし寝たくないの。寝ると、そのまま死んじゃいそうだから」
「大丈夫だよ。それに起きたままで手の治療をするのはかなり痛いし、我慢するのは辛いよ。元気になりたかったらちゃんと先生のいうことを聞くんだ、いいね?」
 腕が痛まないように半分ベッドから体を起こしながら、少女はいずるを見上げた。
 少女の怯えがいずるの眼に見える。
 腕が痛いこと、見知らぬ白衣の女性、眠ったまま死んでしまうことの恐怖、そして目が覚めたとき一人になっている恐怖…どんな能力を持っているかなど、知りたいことはいろいろあるが、そうやっている様子は中学生ぐらいの普通の少女だ。
「篁さんが途中でいなくならないように、私がちゃんと見張ってあげるわ…ちょっと痛いから、痛くなったら言って頂戴、休憩しながらやりましょう」
「大丈夫、痛いのには慣れてるから…」
 骨折の治療より必要なのは休息かも知れない。いずるが精神安定剤を注射すると、少女はその痛みにしばらく耐えていたが、少しするとすうっと眠りについた。ギプスの用意をしながら、いずるは軽く溜息をつく。
「さて、詳しいことを話してもらおうかしら…その前に、栄養点滴でも打ちなさい。そのままでいたら倒れるわよ」

 雅輝自身もかなり疲労しているようだった。
 気力などでカバーしているようだが、傷つきそうになっているのを黙って見ていられるいずるではない。人ではない二人に合わせて、倒れないように頑張っていたのだろう。
 少女の横にあるベッドに横たわりながら、雅輝は点滴が落ちるのを見ている。
「ホムンクルス…」
 雅輝が言うには、少女はある場所で作られた人造人間ということだった。
 そこから逃げ出してきた所を保護したのだが、普通の病院にも連れて行けずあちこち逃げていたらしい。ナイトホークに紹介してもらったのは、ある意味賭けだったと言いながら雅輝が困ったように笑う。
「いつもなら兄に診てもらうんですが、危険に巻き込みたくなかったんです。それにこの子の能力が、どんなものかよく分からなかったので」
「逃げ出してきたのは今日なの?」
「そうです…前から情報はあったんですが、決行するのが今日しかなかった…でもそれで僕自身が倒れそうになっているなんて、笑いものです」
 ベッドの真ん中に椅子を置き、いずるはそこにスッと座る。
「いいんじゃない?部下に何でもやらせて、のうのうとしているよりは好感が持てるわ」
 ……驚くほどアホみたいやけど。
 その言葉をいずるは飲み込んだ。大企業の社長が、たった一人の少女を逃がすために直々出てくるとは。普通に考えたら愚作の極みだ。
 それに…物事には限界がある。ただの人間である雅輝は何をしようとしているのだろう。その真意をいずるは知りたかった。
「…でも、全員をこうやって助けるのには限界があると思うけど」
 両手に持てる物は決まっている。欲張って何もかも取ろうとすれば持っている手からすり落ちていく。いずるの言葉に雅輝はテープで固定された点滴のチューブを見ながら、何故か遠い目をした。
「確かにそうですが、助けを求める声を聞き流せるほど、僕は大人になりきれてないんです。人であれ、人じゃないものであれ」
 神様じゃないのに。
 只の人間なのに。
 それは人を救おうとしている自分と重なりそうなのに、何故か遠く感じた。ギシ…といずるが足を組むと同時に椅子がきしんだ音を立てる。
「社長さんは、どうして危険の矢面に立とうとしてるのかしら」
「ここで死ぬようなら、所詮それまでだと思ってるからですよ」
 それははっきりとした言葉だった。
 ……闇や。
 人であるはずなのに、確実に人間であるはずなのに、彼の後ろに広がっているのは深い闇だ。今まで人間も、人間じゃない者もたくさん診た。だが、こんなに深い闇を背負って微笑む者は見たことがない…いずるの背に冷たいものが走る。
 すると雅輝はネクタイを緩め左の首元を見せた。そこには何かで斬られたような傷跡がある。
「これでも死ななかったんだから、多分これからも僕は大丈夫だって…自信家なんですよ。愚かしいほど」
「まったくや…」
 思わず関西弁が出てしまった事に、いずるは少し笑いながら腰を上げた。それに気付いたように少女がうっすらと目を開ける。
「先生…わたしも一緒に行く…」
 どうやら少女も外の気配に気付いたらしい。病院の近くに何者かが潜んで自分達を狙っている…少し休んだせいなのか、先ほどまで疲労感で満ちあふれていた少女の目には生気がみなぎっていた。だが、その様子を見ていずるは溜息をつく。
「あなたはゆっくり休んでなさい。自分がケガするより、自分が好きな人が傷ついた方が辛いわよ」
 そう言うといずるは白衣に隠し持っていた針で、少女を突いた。確かに一人より二人の方が対抗するにはいいのかも知れないが、生憎患者に庇ってもらうようには出来ていない。それに能力が分からない少女と一緒よりは、一人の方が何かとやりやすい。
 糸が切れた操り人形のように少女がパタリとベッドに倒れ、雅輝といずるの目が合う。
「守られなくても大丈夫そうやと思ったから、寝かせといたわ。お互いこれでくたばるようなら…」
「…それまでだったって事ですね」

 医院の看板の下には一体の異形が立っていた。それはざわざわと嫌な気配を発しながらいずるを見ている。
 狂気に囚われた赤い瞳…自分達に向けられた殺意と悪意。
「コロ…セ…コロセ…」
「シネ…死…シシ…死死死死死…」
 その異形も少女と同じような生気を持っていた。おそらくホムンクルスなのだろう…だが人と同じように考えたり話したりする少女と違い、異形が自分達に向けているのは破壊衝動だけだ。
 白衣に隠していた針を持ち、いずるは少しずつ近づいていく。
「………」
 何て悲しい存在なのだろう。
 目の前にいるそれは達成感も何もなく、ただ命令をこなすだけの肉の塊。一体誰が神を気取ってこんな者を作り出したのか分からないが、その間違った命…いや、違う。
 この世にいる者に間違ったも何もない。
 ただ、こんな目的しか持たされなかったことが、いずるから見れば悲しいだけだ。生まれたときはこの異形だって何の思いも持っていなかったはずだ。そこに破壊と死を願うだけの思いをすり込んだ者がいる…忌むべきはその存在であり、目の前のこいつじゃない。
「次は、もっといい命で生まれるとええな…」
 ヒュン…!
 いずるの視線と異形の視線がぶつかる。
 それと共に自分の手から長い針を飛ばし、急所を貫く…。
「本当は生かしてあげたかったんやけど、ごめんな」
 冷たい風が吹き雨が降り始めた中、いずるは倒れた異形を黙って見降ろしていた。

 冬夜から全ての安全が確保されたのを聞いたときには、既に午前四時を回っていた。
 まだ眠っている少女を椅子に座って見つめている雅輝に、いずるはそっと呟く。
「社長さんは、この子をどうする気やの?」
 ギシ…と椅子がきしむ音がした。ネクタイをきっちりと締め直した雅輝が、いずるの顔をじっと見る。
「名前を付けて、普通に学校に通わせるつもりです…彼女にはその権利がある。でも、後の生き方に関しては、僕がとやかく言う問題じゃない」
 そう言って笑った雅輝の後ろに、もう闇は見えなかった。
 きっとこの少女は、あの異形と違い人として幸せに暮らせるだろう。もしかしたら自ら危険に飛び込んでいくかも知れないが、それは誰にも口を出せはしない…。
 溜息をつくいずるに、雅輝がそっと名刺を出す。
「先ほど出し忘れてました。今後とも何かあったらよろしくお願いします、四位先生」
「いずる、でええわ…篁さん」
「では、いずる先生で」
 人でない者を治そうとする自分と、人でない者を守ろうとする雅輝には何か近いものがあるのかも知れない。
 だがそこに光がある限り、闇はどうしてもついて回ってくる。自分にも、雅輝にも。
 その時に大事なのは、その闇に振り回されないことだけで…。
「どうかしましたか?」
 雅輝の言葉にいずるはゆるゆると首を振り、小さく伸びをする。
「何でもない。それにしてもおなかすいたわ…」

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6808/四位・いづる/女性/22歳/医師

◆ライター通信◆
初めまして。発注ありがとうございます、水月小織です。
ナイトホークからの『危険な仕事』を、篁雅輝と一緒に…ということで、傷ついた少女の治療と異形との対峙という仕事にさせていただきました。雅輝はあまり激しく動くキャラではないので、危険度が少し低めです。
何となく似ている部分がありましたので、そのあたりに焦点を当ててみました。
人でない者を治そうとする所に、静かな情熱を感じます。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。