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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


言食み【ことはみ】



 近所の小さな古びた社。それに願い事をすると叶うという噂がある。
 叶ったと言う者もいれば、叶わなかったと言う者もいる。
 だが、彼女はそれを信じなかった。あんなボロい社にそんな力があるものかと。
 しかも、願い事が叶えば、供物として「死んだモノ」を捧げなければならないという。

  ──気味が悪い。

 虫だろうが小鳥だろうが鼠だろうが、死骸を欲しがるなどどうせロクなモノではない。
 だから彼女は願掛けなどしなかった。
 それでもある日、唐突に母親から「次のテストでいい点をとれなければピアノをやめさせる」と言われて、全く勉強をしていなかった彼女は慌てた。
 たまたま社の前を通りかかり、藁にもすがる気持ちで手を合わせた。
 結果、少女は母親の言いつけを守ることができたが、それは自分の底力の賜物であると思い、願掛けのお陰だなどとは思わなかった。

 そして夢を見た。
「約束を破ったな」
 手が喉に食い込む夢。それは人のものとは思えないほど長く、真っ黒だった。
「言食みの罪は重い」
 手はぎりぎりと喉を押し潰す。それを渾身の力で払いのけたところで目が覚めた。
 そして、声が出なくなっていることに気がついた。
 蒼白になった彼女の耳元で誰かが囁く。──次は目だ。
 弾かれたように振り向いたが何もいない。

 彼女は総毛立った。



 『いやだったけどむしをころしたちゃんとおそなえしたのにめがみえなくなった』

 目にも止まらぬ速さで、彼女は携帯電話の画面にそう入力して陸玖翠に見せた。とても視力を失っているとは思えない。器用なものだ。
「些細な願い、といっては失礼かもしれませんが……」
 不安に泣き濡れる彼女に、翠は静かな声音で言い聞かせた。
「自ら手を差し伸べてくるのは、あまりよくないものと相場は決まっています。神仏の類は、呼んでも縋っても中々手を貸してくれないものですし」
 頷いて、彼女は『もうにどとしないたすけて』と文字を綴る。
 必死に助けを求めてくる者をはねつけるのも寝覚めが悪い話ではあるし、手を貸すのはやぶさかではない。
 だが。
「大丈夫よ。この人がちゃんと助けてくれるから。その代わり、この事を記事にさせてもらうわね。勿論あなたの名前は伏せるから安心して」
 翠が首を縦に振る前に、その横で碇麗香が勝手に助力を確約している。──翠は密かに嘆息した。
「さあ、早速その社に行ってみましょう」
 意気揚々と麗香は言う。鬼編集長は既に、この記事を書くことに決めているようだ。こうなってしまっては、さしもの翠にも口出しはできない。
 面倒だとは思いつつ、翠は重い腰を上げることにした。助力することに否はない。ただ、記事にするとなると話は別だ。
「構わないが、おかしな記事を書くなよ」
 翠が釘を刺すのに、麗香は真顔で答えた。
「誰に向かって言ってるの? ちゃんと面白い記事にするわよ」
 話の根本が通じていない気がして、翠は再び嘆息した。


 問題の社は、人通りの少ない路地に面してぽつんとあった。
 かなり古いもののようだが、由来も、祀られているものの内容も記されていない。誰が何の目的で建てたのかも、麗香の調べでは掴めなかったらしい。
 翠の見る限り、何やら澱んだ気配こそあるものの、禍々しさは感じない。むしろ中心は空に近いような、妙な感じだ。
「頼んだものを持ってきて頂けましたか?」
 麗香に手を引かれる彼女に向かい、翠はそう問いかける。彼女はこくんと頷いて、鞄の中から手探りで包みを取り出した。
「何なの? それ」
「彼女が愛用しているコップだ。……亡くなった祖母に買ってもらった貴方の宝物、ですね?」
 確認するように問うと、彼女は再度頷く。
「何でまたそんなものを?」
 訝る麗香に答えず、翠は包装を破って、それを高々と持ち上げた。
「ちょっと翠──!」
 麗香が止める暇もあらばこそ、翠は勢いよく社に向けてコップを投げつけた。がしゃんと脆い音を立てて、陶器製のコップは粉々に砕け散る。
 ぽかんとする麗香と、壊れた宝物に思いを寄せて目を伏せる少女。二人の前で、翠は社に向けて問いかけた。
「供物を捧げました。如何でしょう?」
「供物ってあなた……」
 呆れたような口調で呟く麗香の声に、誰かの声が重なる。
『正解です』
 麗香も彼女もぎょっと振り向く。翠がゆっくりと振り返った視線の先に、白い着物を着た人影が立っていた。
 存在感に乏しい男だ。どこにでもいそうな、ごくごく普通の容貌。たとえすれ違ったとしても、一瞬後には顔を忘れる類の。
「貴方が社の主ですか。契約の内容は、助力と死んだ供物の交換ですよね。遅くなりましたが供物をお届けに参上しました。彼女から奪った感覚を返して頂けませんか?」
「え? 何で死んだ供物の代わりにコップを割る必要があるの?」
 どうやら意味を理解していないらしい麗香に向かい、翠は訊ね返す。
「麗香。この社に纏わる噂は調べたのだろう? 一字一句たがえず口にしてみろ」
「え? 確か……『願い事が叶えば、供物として「死んだモノ」を捧げなければならない』──だったわよね?」
「そう。死んだモノ、だ。誰も生き物の死骸だとは口にしていない」
 説明に、ようやく麗香が腑に落ちた表情を浮かべた。その隣で、彼女は己の思い込みにやっと気がついたというふうに息を飲む。
『貴女は頭の良い人だ。久々にまともな供物を頂いてホッとしました』
 社の主はそう言ってにっこりした。
「なあに? じゃあこの社って、壊れ物を捧げれば何でも願い事を叶えてくれるわけ?」
 麗香の目がきらりと光る。やや呆れた口調で翠は返した。
「そんなうまい話があると思うか? 供物は願主の宝物でなければならない。──そうですね? 社の主よ」
『そうです。僕はもともと、願主の宝物と引き換えに願いを叶える為に作られたんです。神仏の類ではなく、言わば誓願と供物によって作動する機械のようなもの』
 訥々と、社の主はそう語る。確かにこの社の中心にある空虚は、『機械』というモノ特有の虚ろさによく似ていた。
 なのに、と社の主は肩を落とす。
『どうして人間は、死んだモノと言われて、簡単に生き物を殺して捧げてしまえるんでしょうねえ……。お陰で僕、殺された生き物の霊に囲まれて暮らす破目になってしまいました』
 その言葉が刺さったのか、彼女は恥じたように俯いた。この社の周りの空気が澱んでいたのはそのせいかと、翠は一人得心する。
『そこの貴女』
 翠を呼ぶ社の主の足元から、ぞろりと黒いものが這い上がってきた。細く長い、何本もの手。
 麗香は一瞬だけ身を竦ませたが、すぐに彼女を背に庇って立ちはだかった。さすがに怪奇現象に慣れているだけあって肝が据わっている。
 社の主は、相変わらず朴訥な口調でこう言った。
『悪いんですけど、僕に纏わりついてるこれ、祓ってもらえませんかねえ』
 うねうねと動く手に絡め取られながら、社の主は困ったように翠を見上げる。
『そっちの娘さんに害を為したのは僕じゃありません。人間によって殺された生き物達が、僕の立場を乗っ取ろうとしているんです』
「……つまり、彼女から声や光を奪ったのは雑多な霊の仕業で、翠が祓ってあげないことには元に戻らないわけね?」
 麗香が言うのに、翠は思わず呟いた。面倒だ、と。
『そうおっしゃらずに、ひとつよろしくお願いします。このままじゃ僕、正常に作動しないどころか悪霊にされてしまいますから』
 語れぬ彼女も文字で「おねがいします」と訴えてくる。
「そうよ翠。ここであなたが一仕事してくれないことには記事にならないじゃない! 何の為にあなたを連れてきたと思ってるの!?」
 三方から畳み掛けられて、翠は渋々、懐から破邪符を取り出した。


「でも、よく考えてみたらおかしいわ、あの社」
 悪霊を祓い終え、早々に帰りたがる翠を編集部に引き止めて麗香は言う。
「だって、自分を『誓願と供物で作動する機械』だなんて言ってたけど、ここのところ誰もまともな供物なんて捧げてなかったわけよね? それなのに、どうして彼女の願いが叶ったのかしら」
「これは私の推論だが」
 そう断りを入れてから、翠は口を開いた。
「あの社の主の気配はかなり薄かった。だからあながち間違ってはいないと思う。彼は多分、自分の身を削って願主の願いを叶えているんだろう」
 叶う願いと叶わない願いがある、というのがその証拠のような気がした。彼の力は残り少ない。叶えたくても叶えてやれない。ひょっとしたら本人も、それを歯痒く思っているかもしれない。
「何でそこまでして? 人間が捧げた変な供物のせいでおかしくなりかけてたっていうのに」
 麗香は納得いかないふうだった。沈む気持ちを押し隠して翠は続ける。
「そういう風に作られているからだ。与えられた役目をこなす以外に、彼は存在意義を持たない。──道具だから」
 呆れたと言わんばかりに、麗香はぽかんと口を開ける。
「だからって──そんなの変だわ。このまま行けば、彼はどうなるの?」
「消滅するだろうな」
 翠の口調はあっさりしていたが、心情は重い。
 正当な契約が交わされるならば、彼はおそらく半永久的に人間の願いを叶え続けられるのだろう。
 なのに人は、知る知らざるに関らず契約をたがえる。自分達にもたらされた誰かの慈愛の手を、人々は己の手で壊すのだ。誰一人として自覚のないままに。
「どうして『死んだ生き物』じゃ駄目なのかしら? 機能しなくなった、という意味では、壊れた物も生き物の死骸も同義じゃないの」
 何だか憤懣やるかたないといった表情で麗香は唇を噛む。
「これも私の推測になるが、おそらく彼は、人に愛されて魂がこもるまでになった物から力を受け取っているんだと思う」
 作り手の命令を従順に守り続ける機械と、主人の願いを叶える為、黙って犠牲となる道具。それを哀れと思うのがそもそも間違いなのだろうか。所詮、機械も道具も人間の役に立つことでしか存在し得ないのだと割り切るしかないのだろうか。
 その考え方を選ぶのは、少しやるせない。
 翠が今日三度目の溜息を密かにこぼした時、毅然とした口調で麗香が言った。
「……記事に書くわ」
 翠は、決意に満ちた友人の横顔を見つめる。
「何だかこのままじゃ納得いかないもの。人間のエゴであの社が潰れるなんてそんな後味の悪い結末、B級怪談にすらならないわよ」
 決然たる言葉に、翠は小さく笑って呟いた。
「いい記事を書け。期待している」


 記事への反響は、扱き下ろし半分ではあったもののかなり大きかったという。
 余韻が冷めた頃を見計らって、翠は再び社を訪れた。主は少しばかり存在感を増していて、にこにこ笑って翠を出迎えてくれた。
『貴女達のお陰で、供物の供え直しをしてくれる人が増えました。お陰様で僕ももう暫くお役目を続けられそうです』
 社の主はそれが嬉しいらしく、こぼれんばかりの笑みを浮かべている。その在りようが切ない気もするけれど、彼自身が満足しているのならそれでいいのかもしれなかった。
「貴方は、人の言食みの罪を問おうとは思わないのですか?」
 訊かずとも答えは分かっているのに、あえて翠は尋ねた。案の定、彼はにっこり笑って答える。
『思いません。それは僕の仕事じゃない。僕は人に必要としてもらえれば、それだけで充分なのです』
 己の本分を弁えた言葉が好もしかった。翠は頷いて彼に背を向ける。
「時折、様子を見に来ます。貴方が悪霊に纏わりつかれて困っていれば、必ずお助けしましょう」
『ありがとうございます。あの、もしよければ、貴女も願掛けをなさいませんか?』
 おそらくは礼のつもりなのだろう、彼は言う。翠は振り返らずにそれに答えた。
「私の願いは大切なものと共に在る事。……壊すなど考えられません。それに悪霊祓いは陰陽師の本分。どうぞお気遣いなく」
『そうですか。貴女と共に在るものは、きっと幸せであることでしょう』
 社の主の言葉が何だかくすぐったかった。翠は、足元を歩く七夜に向かって半信半疑の口調で問う。
「……だそうだ。そうなのか? 七夜」
 頷くように黒猫はにゃあと鳴いて、翠の脚に鼻先をすり寄せた。





■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【6118/陸玖・翠(リク・ミドリ)/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師】