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<東京怪談ノベル(シングル)>


幽霊屋敷、買います

「お似合いです」
 八島真は言った。それが本心なのか、冗談の一種なのかは、黒眼鏡を通してはわからない。だが冗談にしては妙な冗談だと言えたし、本心ならば、いささか、うそ寒いと言わなければならなかった。
「それはどうも」
 それでもジェームズ・ブラックマンという男は紳士であるから、礼を言った。
 貸し与えられた衣服は、ぴったりと彼の身の丈に合った。……だが、きっと誰も、いつものジェームズとどこがどう違うのか、気づかなかったに違いない。むろん仔細な部分で、微妙にかたちは違うのだけれど、よほどの目利きでなければ判別はできなかったはずだ。ジェームズがいつもの黒服を着ているのか、八島に与えられた『二係』の制服を着ているのかということは。
 仕上げに、彼は八島とお揃いの黒眼鏡をかける。それでようやく、いつものジェームズとは違う面差しになった。と、同時に、そこにいるのは無個性なメン・イン・ブラックの二人組だった。

「すみませんね、突然のお願いになってしまって。今回のケースはジェームズさんにお願いするのが適任と思いまして」
「お役に立てるなら光栄ですよ、ミスター八島。しかし自分のことはどこで?」
「ははあ、それはまあ、蛇の道はヘビということで」
 ハンドルを切りながら、八島はありきたりな慣用句で言い逃れた。助手席から、かるく一瞥だけをくれて、ジェームズは話題を変える。
「……ホーンテッドハウス、ということでしたが」
「一般的かつ情緒的に言うとそうですね。私たちは霊障不動産と呼んでいます」
「専門的かつ即物的な用語だ」
「ごもっとも。この手のものはいろいろな処理の仕方がありますが……」
「ゴーストスイープなら別の人に頼んだほうがいい。装備品を貸してまで、私に依頼する意味があるということは?」
「ええ。……力押しで浄化してしまってもよかったのですが、コストのこともありますし、今後のためのトライアルケースと位置付けています。つまり……穏便な処置ということですね」
 黒眼鏡の男は、ちらりとジェームズに顔を向けて、うっすらと笑みを浮かべた。
「つまり、霊に対する退去の交渉です」

  *

 かつて、第一次大戦で功を立てたという軍人の屋敷は、当時としては斬新な洋風の建築として、東京郊外の某所にたたずんでいる。第二次大戦で、時のあるじが亡くなって後、屋敷は人手に渡り、戦後は持ち主を転々としたのだという。そしてその中で、いつのまにか、呪われたような風説が囁かれるようになる。
 どこまでが実際の霊障で、どこまでが噂に過ぎなかったのか、今となっては確かめるすべはない。ただ、この屋敷では過去に何人もの人間が自殺や不審な死を遂げ、空家になってからは、この場所で奇妙なもの、恐ろしいものを見たという話が絶えないのだった。
「あれが……」
 最初、ジェームズは、火事かと思ってはっと息を呑む。だがそうではなかった。黒眼鏡をずらして、肉眼で見てみれば、その屋敷を取り巻いているように見えたもやのような煙のようなものはまったく見えない。この眼鏡を通してはじめて確認できる霊気のようなものなのだろう。べつだん、こういったものがなければ霊的な存在を感知できないというジェームズではなかったが、貸してくれるというものを無理に断ることもあるまい。
「あー、なんか、聞いてたよりも霊気が濃いなぁ。ちょっと骨が折れるかもしれませんね」
 八島はそんな呑気なことをいいながら、車を停め、資料をめくった。
「とにかく、行きますか」

 立入禁止、の看板を無私して、屋敷に押し入る黒服の男がふたり。
 中は妙になまあたたかく、じめっとした空気に充ちていた。
 ふたりの男がただの闖入者でないことを悟ったのか、入るなり、無人のはずの屋敷のあちこちで、ぎしぎしいう家鳴りや、原因不明のラップ音のようなものがかれらを出迎える。
「二階の書斎が、いちばんよく『出る』そうです」
 懐中電灯の明りを頼りに、八島は埃の厚くつもった階段を登る。アタッシュケースを手に、その後に続くジェームズ。ふと、壁に目を遣って、彼はそこに、点々と手形がついているのを見る。
「絵に描いたような幽霊屋敷、というわけですか」
 肩をすくめた。
「お邪魔しますよ」
 かつて書斎だったという部屋は、今は見る影もなく荒れ果てている。窓にはなぜか板が打ち付けられていて明りはない。棚には放置されていた書物もあったが、ほとんど崩れかけていた。懐中電灯の光が向けられると、そのうえを、無数の紙魚が這う。
 そして――。
 埃をかぶって、それが地球儀であると気づくのにも時間を要した球体が、触れるものもなくくるくると回転を始めた。ロッキングチェアの軋む音。どこかで何かが飛び立つような、あやしいはばたき……。
(あ――)
 それは、忽然と、そこに出現していた。
 何代目の主人かはわからねど、おそらく、この部屋で首を吊ったものがいたのだ。かれが、天井から吊り下がって、振り子のようにぶらぶらと揺れている。ぽたり、ぽたりと、したたる体液が、床を汚す。
「あの自殺者の霊を『核』にして出来上がったようですね。自縛霊の複合体……こういう強度の心霊スポットはああいうものがよく見られます」
「しかし、自縛霊なら……」
 どこにも行けないのではないか。ジェームズは、黒眼鏡の奥で、すうっと目を細めた。
 それは世にも醜悪で、奇怪なしろものだった。
 巨大な蓑虫――あるいは、得体の知れぬ虫か何かの巣のように見える。ブラブラと、今にも朽ちて千切れそうなのに、決して切れることのない縄にぶらさがってゆれている男の身体には、別の、一目で死者とわかるものたちが、ロダンの地獄門さながらにからまりあって、ひとつの塊をなしていた。
「私、こういうものですが」
 八島が名刺を差出す。
「今日はお話があって……、うわ」
 ごう、と青白い炎が名刺を燃やした。
 塊からしたたり落ちる液が、生き物のように床の上を這いうねり、かれらのほうを目指していた。あれに触れてしまうとどうなるのか、知りたいとも思えなかった。
「素直にゴーストスイーパーに依頼したほうがよかったのではないですか」
 ジェームズは言った。
「もう遅いです」
 八島はネクタイをほどきながら、顎で後ろを示す。すでに、かれらが入ってきた扉はいつのまにかぴたりと閉じていた。
「ここにいらっしゃるのはネゴシエーターだけですから」
 ぴしゃり、と、八島のネクタイが鞭のように、床を打ちすえた。瞬間、青白い光が描く紋様がネクタイの表面と、床の浮かび上がる。黒い液体が、怯えたように後退した。目には見えぬ防護の空間が築かれたのだ。
「これのタイムリミットは?」
「小一時間くらいなら」
 ジェームズは頷き、ずっと手に提げていたアタッシュケースに手をかけた。
「この家を買い取ります。もちろんタダではありませんし、かといって、現世の資産ではありませんよ。もちろんお望みでしたら、遺族の方にお金でお支払いしても構わないのですが……お望みではないようですね」
 遺族、という言葉を出した途端に、死者たちのうつろな目が一斉に激しい憤怒の相を浮かべたのを見て、ジェームズは言葉を撤回する。
「まず、かわりの居場所をご提供します。永遠の安息を得られる場所を」
 アタッシュケースからジェームズが取り出したのは、いくつもの、墓地のパンフレットのようだった。
「あるいは、仕事の場を提供することも可能です。使役霊として契約していただくということですね」
 と、次に出て来たのは分厚い、なにかの契約書。
「いっそ、もう消滅をお望みでしたら、しかるべき方法による処置をとらせていただいても構いません」
 今度は呪符の数々。
「すべて、貴方の意志を尊重します。ここで、自縛霊として存在し続けるよりは、はるかに充実した」――言いながら、その言葉のおかしさに、自分でも噴き出しそうになるのをジェームズは感じた――「『充実した死後』をお過ごしいただけるものと……」
「……」
「え?」
 それが、なにを囁いたようだ。
 虫が這う音のように、囁かれる言葉は……いくつもの声音が重なっていて。
「ジェームズさん」
 八島が言った。
「見てのとおり、『ひとり』じゃないんです。一人ひとり、個別にご希望をうかがって下さい」
 ジェームズがいくぶん驚いたように八島を振り返ったが、真剣そのもの顔で、黒服の男は頷く。やれやれ、といった調子で、ジェームズは息をつくのだった。

  *

「ええと、墓地への転居が7体、いずれも永代供養を希望、と。それから2体が使役霊として契約。1体は永久封印措置、1体は遺族に現金での支払を希望――と、こういうことでいいですね」
 運転席で、書類に書き込みをしながら、八島が訊ね返す。
「……これは案件としては11件ぶんとカウントしても?」
「……善処します」
「振込先はお伝えした通りです」
「しかし、助かりました。お疲れさまです」
 それには無言で、助手席のシートに、ジェームズは身を沈める。黒眼鏡をはずして胸ポケットに挿すと、大儀そうに目を閉じた。霊をはじめ、超自然のものとの交渉はひときわ神経を使うものだ。つまらぬ言質をとられては命にかかわる。疲労がはげしいのも無理はなかった。
「さて。では帰りましょうか。……と、その前にジェームズさん、ちょっと寄り道して休憩していきませんか」
 片目だけを開けたのが返事だ。
「ご存じかどうかわかりませんが、なかなか良い珈琲のお店が近くにあるんです」
「そんな情報まで?」
「そこはそれ、蛇の道はヘビということで」
 そして返事を待たずに、車を発進させる。
 ジェームズは、もういちど、黒眼鏡を――依頼された仕事は終えてもう必要ないはずだが――かけなおした。
「差し上げましょうか、それ?」
 八島のそんな言葉に、彼は唇の端を釣り上げ、片眉をぴんと跳ね上げたのだった。

(了)