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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


籠姫の了見



 その家の奥座敷には座敷童子がいた。
 童女の姿をした神。それは長年に渡って一家に多大な余財をもたらしたという。
 それがある日忽然と姿を消したのだと、男は憤怒をはらんだ口調で言った。

 座敷童子の世話は十歳になる長女の役目で、その日の朝もいつもと変わらず、守り神に供物を捧げに奥座敷に赴いた。
 その襖を閉ざす黒く大きな錠前の鍵は、長女がいつも首から下げて持ち歩いていた。
 誰にも渡していないし触れさせてもいないと長女は証言するが、襖を開けた先に童女の姿はなかった。

 男は、何者かが我が家の趨勢を妬んで、妙な手を使って座敷童子を誘拐したのだと大声でまくしたてる。
 父親の怒鳴り声を聞いて、叱られたように顔を伏せる長女の赤く腫れた頬が痛々しく、草間武彦はわずかに顔をしかめた。



 それがたとえ守護神と呼ぶべきものであったとしても、幼い少女の姿をした者を鍵のついた空間に閉じ込めておくというのは如何なものだろう。
 長女の頬に残る打たれた跡を見ると、ますます依頼人への嫌疑が募る。彼はひょっとしたら女性軽視者ではないかという、これはいわゆる女の勘だ。
 シュライン・エマがそう私的見解を口にすると、草間は肩を竦めながら同感だと答えた。
「何だか色々と心配だから、私も同行させてもらっていいかしら?」
「ああ。おまえには長女の方を頼む。俺は父親とその周辺をあたる」
 慌しく事務所を出て行く草間を見送ってから、シュラインは座敷童子の住む家へと足を向けた。


 首から下げた黒い鍵がいかにも重そうだった。
 それには触れず、シュラインは黙って長女の怪我の手当てをする。幸いなことに、冷やしておけばすぐに良くなりそうだ。
 名前を問うと、少女は小さく「絵麻」と答えた。あら、とシュラインは笑う。
「私と同じ名前ね。他に痛い所はある?」
 絵麻は黙って首を横に振った。耳を澄まして拾った彼女の心音から、嘘をつく様子は見受けられない。少なくとも日常的に父親から暴力を振るわれているわけではなさそうなのに安堵した。
「座敷童子がいなくなって、寂しい?」
 問いかけには、暫しの間のあとに否定が返ってきた。これは心音から察するに嘘だ。
「いつも絵麻ちゃんがお世話をしていたんですってね。どんな風に?」
「……お供え運んで、一緒にお手玉したり、おはじきしたりしてた」
 古の神と現代の子供が、失われつつある昔の遊びに興じる様を想像すると、微笑ましいようなもの悲しいような複雑な気持ちになる。シュラインは淡く笑んで呟いた。
「いいお友達だったのね」
 その一言に、絵麻は鍵を握りしめて顔を伏せた。嫌な事でも思い出したかのように、彼女の心音がはね上がったのが分かる。
 あえて問うことをせず、シュラインはただ絵麻の頭をそっと撫でた。そのうち、その掌の温かさに溶かされたかのように、彼女は重い口を開いた。
「お姉さん達、お蔵様を連れ戻すの?」
 オクラサマというのはおそらく座敷童子の呼び名なのだろう。シュラインは唇に人さし指を当てた。
「これは絵麻ちゃんのパパには内緒よ。見つけたとしても、お蔵様が戻らないと言えば無理に連れ戻したりしないわ。約束ね」
「ホント?」
 ようやく少女は明るい表情を浮かべて顔を上げた。
「じゃあお姉さん、お蔵様に会ったら伝えてくれる? 絵麻が謝ってたって」
「それは構わないけれど、絵麻ちゃん、お蔵様と喧嘩でもしたのかしら?」
 どうやら図星だったらしく、絵麻はまたしょんぼりと俯いてしまう。
「……あたし、酷い事をお蔵様に言ったの。だからお蔵様、きっと怒って出ていっちゃったんだ……」
 ぽろりと零れた涙。震える肩を優しく抱くと、彼女は甘えるようにシュラインの胸に顔を埋めた。
 この少女は母親と別離している。これは草間の事前調査で判明したのだが、絵麻の母親は夫の過干渉に嫌気がさして家を飛び出したらしかった。
 母親は、この家を出る直前まで軟禁状態に置かれていたという。隙を見て逃げ出し、そのまま行方をくらませた。
 母親を失い、友達を失い、この少女はきっと寂しいのだ。そう思いながら背中を撫でてやると、絵麻はしゃくり上げながら必死に言葉を継いだ。
「ママがいなくなって、あたしがお蔵様のお世話をすることになって……。学校が終わったらすぐに帰らないと、パパがすごく怒るの。一分でも遅れたらぶたれるから、お友達とも全然遊べなくて……」
「そう……。可哀想に……」
「だからあたし、お蔵様に、お蔵様がいるからあたしはお友達と遊べなくなったって言っちゃったの。お蔵様のことが嫌いになったわけじゃないのに、意地悪言ったの……」
「分かったわ。お蔵様に会ったら、絵麻ちゃんの気持ちをちゃんと伝えておくから」
 きっと分かってくれるわ。その言葉に、ようやく少女は涙を拭う。
「それにしても、鍵がかかっているのに、どうしてお蔵様は外に出られたのかしら……?」
 シュラインが独り言のように呟くのに、絵麻は鍵を両手で握りしめて答えた。
「これはパパの自己満足なの。こんなのあったって、誰もお蔵様のことを閉じ込めたりできないよ」
「絵麻ちゃん、それ、どういう意味?」
「お蔵様はね、鍵がかかってたって外に出られるの。今までは、座敷から出ないでいてくれただけなの。パパはそれを知らないんだ。だから鍵なんかかけたの。そんな酷い事したって意味ないのに……」
 だって、ママだって逃げていったじゃない。そう呟いて絵麻は唇を噛んだ。


 シュラインは少女の様子が落ち着いたのを見計らって庭に出た。
 手入れの行き届いた庭の端に、赤い椿の枝。そこに続く小さな足跡を見つけてそれを辿る。
 木の陰に、童女が姿を現した。肩口で綺麗に切り揃えた髪と丈の短い赤い着物。白い素足。
 守り神は絵麻のことを案じて近くにいるのではないか、というシュラインの勘は当たったようだ。
「お蔵様、ですね? ……絵麻ちゃんから伝言を託ってきました。ごめんなさいって」
 膝をついて目線の高さを合わせてそう語りかけると、童女は寂しそうに笑った。
「どうやら私は邪魔な存在になってしまったようだ。もうこの家には居られぬ」
「絵麻ちゃんは本気で言ったわけじゃないですから……。戻る気はありませんか?」
「絵麻も、あれの母も、私によくしてくれた。去るならせめてその恩義を返してからとも思うたが……」
 神は、すっと目を細めて、目に見えない何かを眺めるような表情を見せた。
「主に問題がある。このまま恩恵を与え続ける訳にもゆかぬだろう。悪い男ではないのだが、不安が過ぎて、心配が度を越す」
 幼い姿に似合わぬ大人びた笑みを浮かべて童女は言う。
「あれは気がついておらぬ。束縛が愛情の印だと信じて疑わぬ。受ける側からすれば、それは不信の表れとしか思えぬのにな」
 シュラインは同意するように目を伏せる。
 この家族には話し合いが必要だ。それも一朝一夕に終わらせるものではなく、長く深く、互いについて語り合う必要があるように思えた。そうすれば、綻びかけた家族も元通りになるかもしれない。
「一旦、戻りませんか?」
 そう問いかけてシュラインが手を差し出すと、童女は小さな白い手でそれを握った。


 悄然と座っていた絵麻は、友人の姿を見るなり立ち上がってそれに縋った。
 ごめんなさい、と謝る小さな声に、童女は私こそすまぬと謝り返す。
 血の縁のない相手でも、互いを思いやる心さえあればこうして再び寄り添い合うことができるのだ。血が繋がっているのなら尚更だと信じたかった。
 だが、何の前触れもなく襖が開き、そこに立つ男の何とも形容し難い怒りの形相を見た瞬間、それは不可能ごとではないかという気がした。
 男が力任せに童女の腕を掴むのに、絵麻が割って入る。
「パパお願い! お蔵様に酷い事しないで!」
 男は無言で手を振り上げる。それを庇ったシュラインが打たれた。怯まずに、シュラインは男の充血した目を見据える。
「どうして奥様やお蔵様がご主人の元を去ろうとしたのか、その理由がまだお分かり頂けないようですね」
「……何だと?」
「今のお前は暴君だ。他者を蔑む者に寄り添う物好きは居らぬと知れ」
 淡々と座敷童子が言うのに、男は顔を真っ赤にする。娘は必死に父親の腕を引いた。
「パパ聞いて。鍵をかけたって、お蔵様は出て行こうと思えばいつだって出ていけたんだよ。閉じ込めることに意味なんかないの。ママだって──」
「うるさい! 黙れ!」
 再び振り上げられた腕を掴んだ者があった。男の背後に草間が立っていた。
「あんたは一度、座敷童子とは手を切るべきだ」
 唐突な草間の台詞に、男は言葉を失う。
「その上で証明して見せればいい。あんたの経営手腕は座敷童子の恩恵ゆえではなく、本物だとな。口さがなくあんたを揶揄する一族郎党を、実力で黙らせるべきだ。そうすればあんたも少しは自分を信じられるようになるだろう」
 まるで憑き物でも落ちたかのように、男は膝を折ってその場に座り込む。
「あんたが奥さんを信じられないのは、あんたが自分自身を信じていないからだ。自分に自信をつけてから出直すんだな」
「ど、どうしてそれを」
「探偵をなめてもらっちゃ困る。それくらい、調べればすぐに分かるさ」
 草間が不敵に笑うのに、シュラインは思わず微笑んだ。
「あんたの家族は、責任を持ってこっちで預からせてもらう。自信を取り戻したら、改めてゆっくり話し合うといい」
 彼はそう言って絵麻を見た。
「家の外にお母さんが待ってる。行っておいで」
 絵麻はパッと顔を輝かせて、童女に手を差し出した。そうして手を繋いで部屋を出ようとし、父親を振り返る。
「パパ、早く迎えに来てね。……待ってるから」
「……絵麻」
「やっぱり四人一緒じゃないと寂しいよ。だから絶対迎えに来てくれないとやだよ」
 男は深く頷くように項垂れた。少女二人は姉妹のように手を取り合って、ぱたぱたと軽い足音を響かせて家を出て行く。
「無理に閉じ込めたりしなくても、奥様も絵麻ちゃんも、お蔵様も、きっとご主人のところに戻って来ますよ」
 心さえ寄り添っているなら。シュラインの言葉に、男は震えて涙を落としながら何度も頷いた。


「心理的には分からなくもない」
 事務所に戻った草間は、ジャケットを脱ぎながらそう言った。
「自分に自信のない人間ほど、他人を軽視したり蔑んだりすることで自分の優位を保とうとする。……弱い人間の習性かもしれんな」
「あの男の人の場合は、その矛先が家族に、束縛という形で向いたわけね」
 うまく自信を取り戻してくれるといいけれど。シュラインの呟きに、草間は余裕のうかがえる口調で答えた。
「大丈夫だろう。あれでなかなか腕は悪くないらしいからな。ただ心が弱い。やっかみ半分の周囲の雑音を真に受けてるようじゃまだまだだ。──痛むか?」
 赤い頬を気にして彼が問うのに、シュラインは安心させるように笑みを返す。
「大丈夫よ。ちょっと当たっただけだもの」
 差し伸べられた手が頬に触れる。寒い中、外を走り回っていたせいか、草間の指は冷え切っていた。
「武彦さんの手、冷たくて気持ちいいわ」
 シュラインは目を閉じる。冷たい手に触れられてようやく、自分の頬が熱を持っていたことに気がついた。
 優しい手の感触があれば、沈黙すらも快い。唇が自然に笑みをかたどる。
「……大事なものを手にすれば、絶対に手離したくないと願う。……これも弱さかもな」
 瞑目の闇の中で聞く草間の声には虚勢の欠片もなく、それでいていつもよりも強く心に響く。
「そうね。でも……」
 目を開けて、青い瞳で草間を見つめてシュラインは答えた。
「相手が好きな人なら、たまにはいっとき束縛されるのもいいと思うの。他の事なんか考えられなくなるくらい──」
 ためらいがちに、それでいて引き寄せられたように、草間の手がシュラインの両頬を捉える。
 その指は優しい十の格子。囚われるのが心地よいと感じるほど。
 冷たいくせにひどくいとおしげで、やわらかく包み込むのにとても堅固。
 目を閉じた瞬間、甘い檻に鍵がかかる音を聞いたような気がして、籠姫は幸せそうに微笑んだ。





■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】