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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


籠姫の了見



 その家の奥座敷には座敷童子がいた。
 童女の姿をした神。それは長年に渡って一家に多大な余財をもたらしたという。
 それがある日忽然と姿を消したのだと、男は憤怒をはらんだ口調で言った。

 座敷童子の世話は十歳になる長女の役目で、その日の朝もいつもと変わらず、守り神に供物を捧げに奥座敷に赴いた。
 その襖を閉ざす黒く大きな錠前の鍵は、長女がいつも首から下げて持ち歩いていた。
 誰にも渡していないし触れさせてもいないと長女は証言するが、襖を開けた先に童女の姿はなかった。

 男は、何者かが我が家の趨勢を妬んで、妙な手を使って座敷童子を誘拐したのだと大声でまくしたてる。
 父親の怒鳴り声を聞いて、叱られたように顔を伏せる長女の赤く腫れた頬が痛々しく、草間武彦はわずかに顔をしかめた。



 病院の蒼白い壁の前に、着物姿の少女が立っている。気配からして人間ではないと、四位いづるはすぐに察した。
 さて、一体何用やら。一見したところ、特に具合が悪そうでもないが。
 問いかけようとした途端、壁の中に溶け込むようにして少女は消えた。それと入れ替わるようにして、診察室のドアをノックする音。
 患者は少女だった。誰かに右頬を殴られたらしく、口の中が切れていた。付き添いもなく、どうして怪我をしたのか訊ねても、かたくなに答えようとしない。
 手当てが済んでも、少女は一向に明るい表情を浮かべなかった。憂えた様子に、いづるは溜息をついて立ち上がる。
 いじめや虐待の可能性もある。職務上、このまま黙ってこの少女を家に帰すわけにはいかなかった。かと言って、警察沙汰にして下手に事を大きくするのも考えものだ。
 なら、自分が直接出向いて周囲の様子を調べるしかないような気がした。それに。

  ──助けてやってほしい。

 あの着物姿の少女は消える瞬間、そう願ったようにいづるは感じた。誰をとは言わなかったが、おそらく目の前の少女に関係しているのだろう。
「別に患者を助けるのは仕事やし構わへんけど、せめて主語ぐらい言うてほしかったな。誤解の元やで」
 いづるがぼそりと呟くのに、少女がきょとんとした表情を浮かべる。いづるはそれに、いかにも人当たりのよさそうな笑みを浮かべて答えた。
「何でもないのよ。独り言。それよりも先生をお嬢ちゃんの家まで連れていってくれるかな?」
 いづるは入り口に『四之宮医院本日臨時休診』の札を下げて、少女と一緒に蒼白い建物をあとにした。


 家の前には男が立っていた。
 家族かと問うと、少女は首を横に振って「探偵さん」と答える。
 何故探偵がここにいるのだろうと訝るいづるに、男が視線を寄越す。あちらも「何故ここに医者が」という顔つきをしていた。──白衣は脱いでくるべきだったか。
「失礼。お医者さんですか」
 男は懐から名刺を差し出した。『草間興信所所長・草間武彦』。どこかで聞いたような名だ。
「お嬢さんの傷の具合は?」
「申し訳ないんですけれど、家族でない方に患者の情報をお教えすることはできかねます」
 いづるは微笑んで、やんわりと草間の言葉を退けた。彼は何かを言いかけてやめ、代わりに少女に向かって声をかけた。
「お父さんが探してた。早く戻ったほうがいい」
 少女は怯えたように身を竦ませたが、やがて諦めたようにとぼとぼと家の中に入っていった。その途方に暮れたような背中を見送って草間は問う。
「……あの子の父親は左利きです。娘の右頬が腫れていたところから見て、殴った相手を父親だと断定しても?」
「物騒な話ですね。まあ、私もその可能性を憂慮してここまで患者に付き添ってきたわけですが……」
 いづるはちらりと草間を見る。
「そもそも草間さんとやら、あなたはどうしてこの家に? 児童虐待なら、調査は探偵ではなく児童養護施設の役割では?」
「ああ、俺は──」
 草間は何やら言い濁すふうを見せたあと、ごほんと咳払いしてこう答えた。
「人探しを」
「人? 誰を?」
「それは守秘義務があるのでお答えしかねます」
 どうやら先程の仕返しをされてしまったようである。いづるは軽く溜息をついた。
「話が進まへんな」
「は?」
「いえ。どうでしょう草間さん。ここはお互いの仕事の為に、ひとつ情報交換といきませんか?」
 いづるの言葉に、草間は我が意を得たりというふうに笑う。
「話の通りのいい方で助かります。ところで先生、お名前は何と?」
「これは失礼。名乗るのを忘れていましたね。私は四位いづる。四之宮医院で院長をしております。……とは言っても個人経営ですけどね」
「四之宮……。四位ではなく?」
「ええ。四之宮というのは……、私を育ててくれた人の名前です」
 穏やかな口調の中に、これ以上の質問は許さないという意思を込めて答える。勘のいい男らしく、草間はそれ以上の追及をしようとはしなかった。
「あの少女の傷は、おそらく誰かに殴られてできたものだと思います。草間さんのおっしゃるように、相手は左利きの可能性が極めて高い」
「あいつ……。座敷童子を逃がして腹立ち紛れに娘を殴ったな……」
 草間が忌々しげに呟く。いづるは目を丸くした。
「ザシキワラシ?」
「え? あ、いやいや」
 草間は愛想笑いを浮かべて煙に巻こうとする。いづるはそれをじっと見据えた。
「草間武彦……。どこかで聞いた名前だと思ったら」
 ようやく思い出した。いづるはポンと手を叩く。
「あなた、『怪奇探偵』の草間氏じゃないですか」
「……その呼び名は勘弁してもらえませんか」
 草間は憮然としている。どうやらこの二つ名は彼のお気に召さないらしい。急に居心地悪そうになった男に対し、いづるはふむふむと納得したように頷いた。
「なるほど。あなたの探し人というのは、ひょっとしてあの座敷童子ですか」
「あの? どの座敷童子です?」
「うちの病院に来た座敷童子」
 その言葉に、草間は勢い込んで身を乗り出す。
「それはいつの話です? 今もまだ?」
「あの少女がうちに来る前の話です。助けてやってくれ、と一言残して消えてしまったのでもういませんよ」
「……助ける?」
 今度は草間が何やら納得したふうに、いづるの姿をじっと見つめ返す。何だろうと思っていたら、むんずと腕を掴まれた。
「どうやら座敷童子の家出の原因はあんたにもあるようだな」
「え? 何で私?」
「とにかく一緒に来てもらおうか。依頼人に会ってくれ」
 先程までの敬語はどこへやら、草間は強引にいづるの腕を引いて屋敷の中へと連れ込む。中では真っ赤な顔をした男が猛り狂っており、妻らしき女性が必死にそれを諌めていた。
 その足元で、少女が身を縮こまらせて泣いている。草間は急いで少女の傍に駆け寄り、責めるように男を見やった。
「あんた、娘を殴って怪我を負わせたな? これ以上同じ事を繰り返すつもりなら、こっちは出る所に出なきゃならん」
「引っ込んでろ! お前の仕事は座敷童子を探すことだ! 余計な首を突っ込むな!」
「子供が殴られてるのを見て黙ってられるか。あんたがそんなだから、座敷童子も愛想を尽かして出て行ったんじゃないのか?」
「貴様──!」
 男は妻の腕を振り解いて草間に殴りかかる。それをあっさりとかわして草間は言った。
「図星か? あんた自身にも座敷童子に見捨てられたという自覚があったって訳か」
「いや」
 声をあげたのは男ではない、いづるだ。男は不審そうな表情で「誰だこの女は」と吐き捨てる。
「医者だ。彼女は、あんたが娘を殴ったと証言できるぞ」
 脅すように草間が言うのに男が怯む。いづるは手を上げてそれを制した。
「ちょっと待って草間さん」
「どうした?」
 いづるは半眼になって男の姿を眺める。そうして、どうして自分がここに導かれたのかを理解した。
 座敷童子というものは、家に異変が起こればそれを察知し知らせるという。
 童女はこの男を救えと言っていたのだ。そう得心していづるは男の腹を指差す。
「あなた、腹部に癌がありますね」
 人の命を蝕む病巣。いづるの瞳に、それは黒い渦のように映る。見透かされて男が明らかに顔色を失くした。
「相当痛むでしょうに、何故放置を? そんなに我慢してるから、イライラして家族に八つ当たりする破目になるんですよ」
「あなた……、それ、本当?」
 妻が驚いたように問う。指摘を受け、男はがっくりと項垂れてその場に崩れ落ちた。


 男は結局、四之宮医院に入院とあいなった。癌は相当進行していたが、いづるにならおそらく治せる。だからこそ、座敷童子は助けを求めてこの病院までやって来たのだろう。
 聞けば、男は自分の余命を知るのが怖くて病院に足を運べなかったのだという。それで寿命を削っては本末転倒だと思うのだが、病と向き合う強さは誰もが持ち合わせているものではない。それを責めるのは酷というものだ。
「パパ、ちゃんと治る?」
 あどけなく問う少女に、いづるはしっかりと頷いて見せた。それでようやく少女は安心したように破顔した。
 いづるは男の体に針を通すことで、彼の持つ治癒能力を快癒の方向へと流す。まだ若くて体力もある。じきに良くなるだろう。
 治療を施して病室を出ると、廊下に草間が立っていた。
「先生、依頼主の状態は?」
 最初に比べて「先生」という呼び方が幾分か砕けた響きを持っていた。いづるは白衣のポケットに手を突っ込んで答える。
「現時点で私にできる事は全てやったから、あとは本人次第かな。治りが悪いようなら手術も視野に入れないといけなくなるかもしれないけど……」
 ま、大丈夫でしょ。穏やかな口調でそう言うと、草間は小さく笑った。
「それにしても、あんたも異能者だったのか」
 あんたも、という言い方に、この男が素晴らしい類友状態を繰り広げていることが容易に想像できた。いづるは肩にかかった黒髪を払いのけて答える。
「異能と呼ぶほどじゃないと思うけどな。他の病院と違う所と言ったら──」
 いづるは、草間の後ろに潜む小さな影に向かって声をかける。
「あなたもせっかく来たんだから、健康診断くらい受けて帰ったら? 長年働きづめでガタがきてるかもよ」
 スッと姿を現した座敷童子は、いづるに向かって深くお辞儀をした。
「主を救ってくれて感謝する。私も世話になって構わないだろうか」
「先に診察室に入ってて。後から行くよ」
 軽い足音を立てて、子供の姿をした神は廊下をあとにする。それをぽかんと見送って、草間は言った。
「まさかあんた、人間以外の診察も?」
「そういうこと。人外だって調子崩すこともあるんだから、誰か診察できる奴がいないと困るでしょう」
 草間は何やら言いたげな表情でいづるの姿を眺めている。そうしてニヤリと笑った。
「俺が怪奇探偵なら、ここはさしづめ妖怪病院ってとこだな?」
「妖怪病院? それって意趣返しのつもり? 草間さん、センスないなー」
「少なくとも嘘じゃないだろう?」
 勝ち誇ったように草間は言う。いづるは肩を竦めて答えた。
「ま、お仲間が増えたところであなたの怪奇探偵の肩書きがなくなるわけじゃないから、そう呼びたいなら呼べばいいと思うよ」
 ちくりと刺すような言葉に、草間は二の句を継げない。いづるは白衣の裾を翻して彼に背を向けた。
「他で手に負えない患者がいたらいつでも連れてきて。私、助けを求める患者は見捨てない主義だから」
「ありがたい。その時はよろしく頼む」
「あなたが患者でも構わないよ草間さん。刺し傷でも銃創でも好きなだけ負って」
 縁起でもないこと言うな、と嫌そうに呟く草間に、何言ってるのといづるは柔和な笑みを浮かべる。
「たとえ五体がバラバラでも、生きてさえいれば助けるって言ってるじゃない。だからこれからは怪我負い放題。良かったね草間さん」
「……ありがたくて涙が出そうだ」
 黒い冗談に、草間は苦笑を浮かべて病院を出て行った。いづるは診察室に戻ってぽつりと呟く。
「それにしても、おもろい知り合いができたもんやな……」
 これからはどうも、草間の伝手で人外の患者が増えるような予感がする。
 自分は患者を救う事さえできれば、相手が何であれ頓着しない。望むところだと、いづるは楽しげに指の骨をぽきりと鳴らした。





■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【6808/四位・いづる(しい・いづる)/女性/22歳/医師】